気まぐれ連載~フォークソングクロニクル その2

ガッツ 加川良が若い、当然僕はもっと若かった

 前回のエントリーの最後でようやく71年に岡林のベストを買ってフォークに目覚めるところまで話が進んだ。この71年というのは、僕が生まれて初めて受験生なる立場に追い込まれた時期で、そういう時期であるからかえって勉強以外の音楽や文学その他のいわゆるカルチャーに興味関心が湧き始めた時期である。今更若ぶってもしょうがないが、誤解無いよう説明すると「高校」受験である。断じて「大学」受験ではない。また、もうひとつ僕の個人史的に大きな出来事がこの年にあった。中2まで育ってきた(生まれは違うが)延岡市から県都宮崎市に父が異動になり家族で引っ越すことになった。当然、学校は転校である。もっとも定例の人事異動だったので、学期の初めには間に合った。巡る因果は糸車(by坂本九)か、僕がそのときに入った中学に今、下の子が通っている。現在はそれほど大きな学校ではないが、71年当時は確か1学年が10クラス以上ある大きな学校であった。

 転校するや否や修学旅行があった。今の中学生は生意気に飛行機に乗って京都・大阪に行くらしいが、冗談ではない。足元を固めずして世界が分かるものか。九州を知らずして関西は分からない(はずだ)。僕達の頃は長崎・熊本・福岡の北九州3泊4日の旅行であった。もっとも延岡にいた頃、つまり中2の時に既に修学旅行に行ったので、今回はパスだと親に言ったが、クラスの皆と打ち解ける良い機会だから行って来いといわれ2度目の修学旅行に行くことになった。原田真二は高校のときに修学旅行に行かず、そのお金と時間をデモテープ作りに回し、見事フォーライフのオーディションをパスするのだが(それが「てぃーんずぶるーす」なんだから、やっぱ天才だね)、楽器の能力も才能も無い僕は、一度行ったルートだけに知ったかぶりをしてガイドのセリフを奪ったりして受けを狙うのが関の山だった。

 そのまま学校にも馴染んでいけば問題は無かったのだが、当時住んでいたところが山を二つ越えないと町に行けないし、買い物も出来ない辺鄙なところだったので、車の免許をもたない母が父に頼んで、また引っ越すことになった。このあたりは以前別のエントリーに書いたので端折る事にする。そんなこんなでまた新しい中学校に入ったのだが、今度は1学年が4クラスという小学校並みの小さな学校だった。1年に2回も学校を変わったので、友達も出来にくかったし、出来てもうわべだけの付き合いでたいていは家に帰って本を読むか音楽を聴くのが楽しみな生活だった。もっとも音楽といってもポップスや歌謡曲でまだまだロックやフォークに親しむところには至らなかった。

 僕が軽音楽を聴くきっかけになったのがラジオである。68年にゲルマニウムラジオが学校でブームになり、僕もお年玉を貯めて買いに行ったら既に売り切れており、代わりにイアホンで聞く安いトランジスタラジオを買った。それから嬉しくて、暇さえあればラジオを聞いていた。特に夜寝る前は必ずイアホンをして寝ていた。当時NHKが夜10時過ぎくらいに「夢のハーモニー」という番組をやっており、まあ「ジェットストリーム」のNHK版みたいな番組だったが、その日のテーマに合わせて女性のアナウンサーが曲の説明をするというような番組だった。毎晩のように聞いていたので、パブロフの犬ではないがそのオープニングのテーマ曲を聴くと眠くなるという癖がついた。後年、ジャズのジム・ホールのライブレコードを買い聴いていたら、いきなり眠くなった。「今宵のあなた」がテーマ曲だったのだ。他にも前田武彦と小橋玲子が掛け合いで喋る「ヤングヤングヤング」や大橋巨泉の「ポップスナウ」などを聞いていくうちにいろんなポップスナンバーやフォークソングを覚えた。

 もうひとつのきっかけは中3の誕生日に安いガットギターを自分で買ったことだ。それまでの誕生日は、欲しいものを親に買ってもらうというパターンで、確か69年はナショナルのワールドボーイというトランジスタラジオ、70年はカセットテープレコーダー、これはラジオ付ではなく、スイッチも回転チャンネルのようなタイプで今考えると大層ダサかったが、当時は嬉しくて何でも録音したものだ。テレビで再放送していた「コンバット」のテーマ曲を録音するために、マイクをテレビの前に置き、家族に一切物音を立てないでくれと懇願し綺麗に録音できたと思ったら、最後に雑音が入って口惜しい思いをした。マイクで録音すると外部の音が入ってしまうので何か方法はないかと考えていた時に、LINEの端子を見つけて録音コードを使って録音する方法を知った時は嬉しかった。また同時にイアホンジャックにイアホンを入れると、音声を聞きながら録音できることを知って、驚いたりしたものだ。

 おっと、ガットギターだ。その誕生日の日にクラスの友人と一緒に繁華街に出かけ、レコードも置いている楽器店で、LPレコードを買うか(当時、ミッシェル・ポルナレフが好きでファーストアルバムを買おうかとも考えていた。もし買っていれば生まれて初めて買ったアルバムはポルナレフのはずだった)ガットギターにするか散々迷ったが、教則本とソフトケース付で2,000円という破格値だったので、思い切ってギターにしたのだ。当時、何を弾きたくてギターを買ったのか良く覚えていないが、特定の曲というよりギターそのものに憧れていたのだろう。ところが買って帰ったはいいが、ギターはチューニングが必要だということすら知らず、またラジオで聞くギターの音となんとなく違う、ボディも何処と無く違うなという違和感があった。テレビや雑誌で見ていたギターは、所謂フォークギターであるから、ガットギターとは全く違うのは当たり前である。

 しかも教則本に出ているのは「影を慕いて」とか、「湯の町エレジー」とかの懐メロナンバーばっかりで、今にして思えばそれはそれで味があるのだが、ナウでチャレンジでヤングな15歳が弾く曲ではないだろう。しょうがないので本屋で若者用のギター本を買ってきた。それが「ガッツ」である。72年1月号から買い始めたのだが、当時はこの手のギター本が「ヤングギター」とか「新譜ジャーナル」とか、あとは「明星」や「平凡」の歌本というやつが出回っていた。その中で何故「ガッツ」を選んだか、理由ははっきり覚えていない。ただこの72年の1月号はいろんな意味で面白く定期購読しようという気持ちになった。まず特集が何故かソロアルバムを出したばかりのロッド・スチュアートだった。当時ロックのロの字も知らなかったが、どんな音楽か聴いてみたいと興味を抱いた。さらに小室等が深沢七郎とギター対談したり、加川良がブライテストホープとして記事に載っていたり、もちろんギターのコードや奏法の説明も色々書いてあった。しかし、一番気に入ったのは加藤和彦のレコード批評のページだった。この頃の加藤和彦はもうフォークルのイメージは無く、「あの素晴らしい~」のヒットや「家を作るなら」のCMソングのイメージで、まさにフォークシンガー、シンガーソングライターのイメージだった。このすぐ後にサディスティック・ミカ・バンドを結成するのだが。

彼の記事は、ライ・クーダーの「紫の峡谷」を大絶賛していたり、ある時は「バングラディシュのコンサート」の海賊盤を手に入れて、音は非常に悪いのだが公式盤以上にディランやジョージの息遣いが伝わって同窓会みたいだったとか、エルトン・ジョンの家にミカと二人パーティがあるからと誘われて行ってみたら、バスルームに等身大の人形やぬいぐるみが山のようにあり驚いたとか、楽しい記事を彼独特のシンプルなくせに品のある文章でまとめてあり、毎月読むのが楽しみだった。

 しかし、ギターの話に戻るが、クラシックギターというとナイロン弦でピックガードも無くネックも太い。周りに教えてくれる人はいないし、最初の教則本は「影を慕いて」であるから無視したが、チューニングというやつだけはどうしようもない。チューニングが出来ないと何しろ楽器として機能しない。四苦八苦しながら音を合わせて、まずは5弦の第3フレットが「ド」だからと、単音で弾く練習をしていたが、「ガッツ」などを読むとコードなるものの存在が書いてあった。ほうほう、こう押さえるとCか、これがGね、Amはこうか、と段々覚えていき右手もストローク以外にスリーフィンガーやアルペジオなるものを練習して徐々に弾ける様になった。ところが大きな山が待ち受けていた。Fである。左手の人差し指で1~6弦を押さえて中指、薬指、小指でそれぞれまた弦を押さえると、どこかがきちんと押さえられずに音が濁るのだ。泣きました。何回やってもうまく押さえられない。

 それでも何度も練習しているうちにミスも少なくなったが、右手のフィンガリングはなんとか出来ても左手のコードチェンジがうまくいかないとか、試行錯誤の繰り返しだった。その頃練習したのはジョン・レノンの「ラブ」(実際はレターメンが当時ヒットさせた)。レターメンの「ラブ」を初めて聞いた時はなんというかったるい歌だと小ばかにしていたのだが、例の「ガッツ」にコードが載っていて、比較的簡単だったのとアルペジオで弾くと感じが出るので、練習しているうちに段々好きな曲になった。あ、もちろんジョンのバージョンが、です。レターメンはその次の「オーマイラブ」もあわせて、ジョンの名曲をどうやったらこんなにつまらなく出来るのかと、一方的に嫌っていたのだ。中3の12月から練習を始め、高1の1学期までは結構練習はしたがやはり能力の限界というか、ギターを弾くより歌うほうが簡単だったし、それ以上に話すほうが何でも表現できるではないかという結論に落ち着き、ギターは遠ざかってしまった。もっともガットギターにスティールの弦を張って、ピックでガシガシ弾くなどということを発作的にやっていたことがあったが、父母兄弟から頼むからやめてくれと言われるわ、近所のオバサン連中からも夜中に突然金属音がして飼っている犬が遠吠えするという話を聞き、以後一切手にしなくなった。こうして71年の夏に余りに早過ぎたパンクスは消えていったのだ。

 ちょっと話がそれたが、ようやく71年に入りフォークと出会いつつある。この年フォークのヒットははしだのりひこの「花嫁」、シモンズの「恋人もいないのに」、エンケン「カレーライス」岡林「俺らいち抜けた」泉谷「帰り道」かぐや姫「酔いどれかぐや姫」あがた森魚「赤色エレジー」拓郎「人間なんて」加川良「教訓Ⅰ」高田渡「生活の柄」はっぴいえんど「風をあつめて」そして大ヒットしたのが上条恒彦と六文銭「旅立ちの歌」である。こうやってみると歌謡曲っぽいものから独自のものまで幅広いし、それぞれの曲についてのコメントも入れるとなると、すこし気が遠くなってきたが、まだまだ、こんなところでくじけるわけにはいかん。RCが「僕の好きな先生」で衝撃のデビューを果たすのは72年、古井戸の哀愁漂う「さなえちゃん」やケメの「通りゃんせ」など次回も70年代フォークの心だー(でもちょっと疲れたのでお口直しにショートショートか何かでお茶を濁すかも知れん、予め謝っておく。すまん)!!

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コメント

懐かしさ満載、、感激

その昔、クラシックギターなんぞ嗜んでいた時、左手の指で全弦を押さえるバレーが出来ず、どうしても関節と関節の間の弦が浮いて音がびびり、悔しい思いをしたのでした。こりゃ、やせこけた己の指がいかんのだと諦めたけど・・。Fの悲劇ですね。
フォークの曲名の数々、涙がでます。あーー、あの頃私は若かった。
ところで、先日夜更かししていたら、テレビで「コンバット」をやってました。ヴック・モローのサンダース軍曹が懐かしかったです。今、見ても面白いですね。

あ、

・・・影を慕いて・・一応マスターしました(^^;

フォークとの出会いを書くつもりが

個人史的な話になり、反省しています。僕自身のことより、僕が当時フォークを聞いて感じたことや、考えたことなどを時代背景とともに書いていくべきでした。このエントリーは書いた後、削除しようかとも考えたのですが、高田渡の「作品はウンコションベン」理論を貫徹するために、恥ずかしながらそのまま残しました。もちろん、この雑文を作品などという気は毛頭ありませんが、出してしまったもんはしゃーないやろ、という革命的開き直りの精神です。

Fの悲劇とはうまいこと言いますね。エラリー・クィーンのミステリかと思いました。

目的意識の欠如

「ギターが弾ける=カッコいい=女にモテる」という公式が、まだその頃にはなかったのですね、おそらく。ご自分で書いていらっしゃるように、早すぎたのでしょう。
もう少し目的がハッキリしていれば、今ごろはジェフ・ベックも真っ青、クラプトンも三歩下がって影を踏まず、ジミー・ペイジも日暮れて道遠しと頭を抱え、ファンの女のコで門前市をなすギタリストも、夢ではなかったかもしれないのに。惜しいことをしました。

あ゛ー、じまったー、そーだったのかー

と、今更ながら我が根気の無さに気がついたdrac-obです。そうだよな、みんな不純な動機でギターやってたんだよな。もっと真剣にスケベの道を極めるという学究的態度があれば、今頃は酒池肉林いやいや、肉池肉林におぼれていたやも知れず、全く惜しいことをしてしまった。♪ああ、じんせーいがにーどあーれば、この人生が二度あれば~。

ところで三大ギタリストなるものは東芝の石坂プロデューサーが作った造語らしいですが、いかにも「日本三景」的な発想ですね。しかしデュアンは、ブッキャナンは、アッカーマンの評価はどうするのだと、あちこちからクレームが入りそうですが…。

人それぞれですが

当時はおそらく一般に名の通ったギタリストが、それぐらいしかいなかったのではないかとも思われますけど、石坂さんというのは、たしかに大した才能の方ですね。現在はユニバーサルミュージックのシャチョーですが。
我が家の三大ギタリストというと、ジェフ・ベック、パット・メセニーは動かないとして、あと1人は誰かなぁ?
ダンナさんはギター小僧のなれの果てですから、けっこううるさいです。私はエリック・ジョンソンかな。この人は、わりと最近の人ですが、ジェフ・ベックをエキセントリックな兄としたら、気のいい弟みたいな感じですかね。

あっ、なんだか音楽ブログみたいだっ…。

ほー、意外な人選ですね

どちらかというと純音楽家というか、ギター弾きらしいギタリストですね。僕は所謂、技術的に上手な人より、くせのある個性派が好みです。今日の気分だと、ミック・テイラー、ミック・ジョーンズ、ミック・ロンソンという3大ミックを上げたいですね。ロックのギタリストは思い入れたっぷりの感情丸出しのミュージシャンに人気がありますが、僕は乾いた音のギターが好きです。でもジャズのギターはまた別ですが…。

はっ、ほんまに音楽ブログみたいや、って音楽ブログと違うんかい!!

なんと!

偶然にも明日(4月29日)は、ミック・ロンソンの命日だそうですね。
D・ボウイは見に行ったんですけど、ぜんぜん覚えがないなぁ。ボウイばっかり見てたんでしょうね。子供でしたからね、まだ。

ギタリストは特定できませんね

あ~そういえば、Mick Ronsonの命日ですな。私も彼のかなりのファンで、ソロ・アルバムもずいぶん集めました。特に、最後のアルバム「Heaven And Hull」は、お気に入りですね。余談ですが、David Bowieのドキュメンタリー映画で、「Suzi Quatroではなくて、Mick Ronson!」とか紹介されてたのには、笑いました。

この人の不幸さというのは、なぜかBilly IdolのバンドにいたSteave Steavensと重なるのですよね。彼も相当凄腕のギタリストなのに、落ち目になったBilly Idolと別れてからは鳴かず飛ばずですしね。元King CrimsonのTony Revin、元UKのTerry Bozzio、それにSteve Stevensの3人でアルバムを2枚出していますが、なかなか壮絶なバトルをやっていて、面白いですよ。

まぁ、私は好きなギタリストが多すぎて、誰かと特定するのは難しいかなぁ…。実際の演奏で影響を受けたのは、多分Leslie Westとか、Stevie Ray Vaughanとか、Rory GallagherとかのBlues系のギタリストですね。Randy Roseとかも随分コピーしましたけどね。

あ~間違えた

Randy Roseは、Randy Rhoadsのスペルミスですな。

まだ子供だったぁ?

と、やや語尾が尻上がりにならざるを得ない狸さんの米でしたが、ミック・ロンソンの命日を教えてくれたことで、聞かなかったことにしましょう(ったくもう、人が黙ってりゃいつもでも子供ぶって…)。

スパーダースフロムマースの頃がミック・ロンソンの黄金時代だったのかと思うと寂しい気持ちになります。もっともっと活躍できる人だったのになぁ。しかし46歳で亡くなるなんて早すぎる、あれオイラいつの間にか追い越してる…。

barrett_hutter さん、また渋いところを

列記してますな。勿論barrett_hutter さんのギターを聴いたことはありませんが、影響を受けたギタリストの名前を見ていると大体想像できます。久しぶりにレスリー・ウェストの名前を見てマウンテンやウェスト、ブルース&レイングを聞きたくなりました。マウンテンはもっと評価されていいバンドですが、いつの間にか歴史の彼方に追いやられてますね。バッドフィンガーのようにいずれ再評価されるのでしょうが。ビリー・アイドルも懐かしい名前です。このあたりの事を書き始めるとカッパエビセンです、その心は「やめられない、とまらない」。

ところで、スペルミスを自己申告されるのは立派ですね。僕は結構ごまかしてるというか、シカトしてることが多いけど、見習わないとな。正直申告で行こう。

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