京都幻想論~言語にとって美とは何か パート1

やはり太陽の塔は異形である 作った人間も異形だったが
 
 先日から、森見登美彦の「太陽の塔」を読んでいる。文庫で230ページほどの薄さだが、出てくる人物や風景が楽しくて、夜寝る前に2,30ページくらいずつ読んでいる。昔は面白い小説や本に出会うと、時間を気にせず一気に読んでいたのだが、これが年輪を重ねるということなのか、最近は読み終えるのがもったいないという感じが強く、少しずつ読み進むことが多い。この「太陽の塔」は京都市は左京区がストーリーの背景になっているので、懐かしい地名や単語が飛び交うのだ。例えば、吉田神社、百万遍、京大西部講堂、元田中、叡山電車などだ。もっとも最後の叡山電車は僕が学生生活を送っていた70年代後半は京福電車、京福電鉄と呼んでいた。

この京福電車だがその名の由来は、福井県出身の友人に聞いたのだが、はじめは京都と福井を結ぶ電鉄会社として立ち上げたらしい。ところが資金が続かず福井県の一部と京都の一部、比叡山に向けて走る叡電(エイデン、僕達はこの電車に乗ることを「テイクジエートレイン」、つまり「エイデンで行こう」、などといっていた。なにつまらぬ洒落だ)と嵐山方面を走る嵐山線が、その京都~福井間制覇の夢の名残として残ったという話だ。ウソか本当か知らないが、2両編成の小さな電車で、そうそう大学に入った75年にはまだ京都の街中に市電が走っていたが、その市電と比べても遜色の無いくらい小さな電車だった。1,2回生のころは左京区の修学院に住んでいたので、キャンパスのある烏丸今出川に行くには、出町柳から多少歩くものの、本数が多いのと運賃が安いことで重宝していた。

話が脱線するが(毎度のことなので、一々断らなくてもいいのでは、とも思うが、そこはそれ気は心というか、一応挨拶だけはきちんとしないと、人間としていかんのではないか、ってこの言い訳のほうが長くなってしまった)、僕の同級生で後に栄えあるDRACの幹事長という重責を担う、岩倉在住のS戸君という男がいた(彼の名誉のために付け加えると、3回生からは北白川、5回生からは下賀茂の当時は珍しい学生マンションに住んだ)。何度かこのブログにも登場した、「お百姓さんの気持ちが分かるから、野菜ドロボーは二度としない」なる名言を吐いた男である。その彼があれは2回生の頃だったか、3回生になっていたか、今になっては定かではないが、妙に浮かない顔をして僕に「おい、○○(僕の本名)。ちょっと聞いてくれや」と話しかけてきたことがあった。なんだろうと思って話を聞くと、エイデンでキセルがばれて捕まったというのだ。

彼の話はこうだった。前期試験の真っ最中に、例によって岩倉からはるばる花のキャンパスに専門の試験を受けにやってきた。当然、エイデンには定期券で乗った。乗るときも降りる時も定期だから、駅員もチラッと見るだけでフリーパスである。彼も「バラの木にバラの花咲く何事の不思議なけれど」とも思わず、無邪気に学校に来た。試験を終えて、さあまた人外魔境の岩倉に帰ろうと思って定期を取り出した時、その有効期限が前日で切れていることに気がついた。性格の良さと外見の人懐こさ(何しろかまやつひろしそっくり、豊田勇造にも瓜二つ。かの中山ラビが豊田勇造と間違えて挨拶をしたという事件もあった)だけで幹事長になった男だけに、すぐに定期の更新をしようと思った。しかし、我がD大学の前期試験は夏休みの前にある。ほとんどの大学は前期試験は夏休みの後にあるのだが、何故かD大学は違っていた。そのことが、彼の心に眠っていた悪魔を呼び起こしてしまった。「おいおい、今さら定期を更新しても後数日で夏休み。それから9月まで定期は使わないぞ。そのお金で、河原町に行ってナンパしたらどうやろ。アカン時は雄○にも行けるでぇ」多分、悪魔はこんなことを囁いたのだろう。

再度、彼の名誉のために付け加えると、一度はこの考えを彼は否定した。しかし、今日、期限切れの定期に乗ってタダでエイデンに乗ったのは事実だ。このまま使ってばれた時に、謝ってお金を払えばいいではないか。浅はかな考えである。しかしながら、この浅はかな考えどおりに行動しておけば悲劇は起こらなかった。彼は、自分の運命を流れに身を任せるような、レットイットビー的な生き方を否定する人間であった。彼の定期の日付は1桁の日付である。その数字の前に「1」と書き加えれば、あーら不思議。有効期限があっという間に10日間延びて、彼は安心してエイデンに乗れるのである。早い話が、定期の期限を偽造したというわけです。彼は元来手先が器用なほうで、もちろんやる以上はすぐばれないように、根気よく、丁寧にボールペンで定期に「1」と書き込み、自分で見ても判断できないと思い、クラスの何人かに「おい、ちょっとこれ見て、何かおかしい事ある?」と聞いた。

その定期を見た全員が何もおかしいところは無いといったので、彼は安心して、それでも初めてその定期でエイデンに乗る時はどきどきしながら、改札をくぐった。出町柳で乗るときも岩倉で降りる時も、駅員は全く興味を示さなかった。この事実は彼を勇気付けた。翌日も試験があり、彼は往復偽造定期でエイデンに乗ったが何事も無かった。彼はますます自信をつけ、最早自分が定期を偽造していたことすら忘れていたようだ。悲劇は突然起こった。その日彼は、いつものように定期を出してエイデンに乗り、終点の出町柳に降り立った。改札を抜けようとしたとき、若い駅員に「あ、お客さんちょっと」と呼び止められた。そのときの心境を後日S戸君はこのように語った。「あの時、立ち止まらずに聞こえない振りをしてそのまま駅を出てしまえば良かったんや。バカ正直に止まったばっかりに…」

駅員は試験に急ぐ学生達を改札から送り出した後、件の定期を凝視して首を二三度横に振った。それから、無線で何か話したと思ったら、やや厳しい目つきで「お客さん、ちょっと駅員室に来てもらえんかな?」と口調とは裏腹に、S戸君の腕を抱きかかえた。駅員室に連れて行かれた彼は、落ちるのも早かった。権力にパクラレたら完黙こそが唯一身を守る術であることを、ノンポリだったS戸君は知らなかった(またもや余談だが、街中で自転車をパクッたあるサークルの活動家が警察に偶然「その自転車は誰のだ」と聞かれて「完黙する」と言ったために2泊3日でぶち込まれたことがあった。何でもかんでも完黙するのも考えモンだ。というより、活動家の癖に人民のチャリ盗むな!!)。結局、彼は定期を偽造した罪でエイデンの往復運賃の3倍だったか、ちょっと記憶はあいまいなのだが(どなたか法律に詳しい方フォローお願いします)、とんでもないペナルティを払わされた。そのお金は彼が、運転免許を取るために色々なバイトをしてようやくためた金額とほぼ同じだった。

彼は最後の抵抗を試みた。「うちの実家は農家でその手伝いするのに、車の免許がないとアカンのです。そして、ようやくこつこつと貯めたお金なんです。罰金は払いますけど、何とか分割で少しずつというわけには、いきまへんやろか」。ウソである。実家が農家というのは本当だが、免許は女の子にもてるためという下心行動委員会である。この言い訳は余計に駅員を激怒させ、ついには大学にも通知する、実家の親にも連絡するなどと脅されて、彼はようやく諦めた。改札を出てすぐに銀行に行き、泣く泣く預金をおろしてペナルティを支払った。その罰金をもって行った時、自分を捕まえた若い駅員が「ワシ今月こいつで3人目や」とキセル犯捕縛件数を自慢していた。その言葉を聞いた瞬間S戸君は燃え上がるような殺意が怒り、それを抑えるのに大いに苦労したらしい。しかし、抑えて良かった。有印私文書偽造くらいなら罪は軽いけど、駅員を殺害したら…。

彼のアンチ武勇伝を聞きながら、僕は彼の悔しさと駅員の横暴な態度に満腔の怒りを表明し、それを具体的な行動に起こした。つまり大爆笑したのであった。あまりにおかしくて腹の皮がよじれながらも、「でもS戸、なんでその駅員はおまえの定期がニセモノと見破ったん?」と聞くと「月と日の間に黒い横棒が書いてあるやろ。あれは日付が一桁の時は丸い点が打ってあって、二桁の時だけ横棒になってるんやて。そやから、最初にオレをパクッた駅員も最初は定期券のミスプリントと思ったらしい。駅員室で来る駅員、来る駅員みんな『これはよう出来とるな、ワシやったら見落とすな』って言いよるねん。それ聞いてたらワシ口惜しくて口惜しくて…」彼の嗚咽はエンドレスで続くのであった。

ということで、例によって70年代の京都で起こった話をアップしてしまったが、本当はこの話を書くつもりではなかった。実は、「太陽の塔」を読んでいる中で、長年、間違って覚えていた言葉の正しい表現を知ったことをアップするつもりだったのだ。ヒントは御伽草子である。ちょっと疲れたので、これから夕食を取り、元気があったら続編を書きます

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コメント

路線廃止反対~!

庶民、さらに言うならば貧乏人の足であるべき公共交通機関は、自家用車の普及によって、当時はいざ知らず、現在はどこも客足の減少に悩んでおり、存続の危機さえ叫ばれている所も少なくありません。
日ごろ使っている電車やバスを失ったお年寄りは、どのようにして病院に通えと言うのでしょう?
学生という優遇された存在でありながら、経営を圧迫させる不正行為を働き、さらに逆ギレしようとは、言語道断。無知蒙昧。若気の至りまくり。
このような反社会的行動は、いずれ社会のシステムそのものを崩壊させる危険性もはらんでおり(後略)。

いや、友達にバスの運転手やってるのがいるんですけどね、やっぱり厳しいらしいですよ、昨今は。

「太陽の塔」面白いですか?

このサイトご存じかと思いますが、これを見ながら思ったのですが、やっぱり、70年代の京都は独特の文化でしたね。今は様変わりして、あまり面白くなくなりましたが…。ところで、森見登美彦の「太陽の塔」の舞台は、何年頃の話なのですか?

http://www.m21.or.jp/clubfame/mojoproject/chronological_%20table.html#top

そんなに怒らなくても、狸さん!!

シャイな学生のお茶目なやんちゃですよ。しかし、この話を初めて本人から聞かされた時は、涙を流して笑ってしまいました。♪ほんの小さな出来事に、彼は傷ついた~と思わず「サボテンの花」を歌ってしまいました。その後何度も彼とはエイデンで一緒に帰ったのですが(あ、やっぱり2回生の頃だ)、出町柳の駅に入るときょろきょろとあたりを見回し「おった、あいつや」と自分をパクッた駅員を探していました。別に危害を加えるのではなく、コンニャロ光線で睨むだけで、しかも相手が見返してくると視線をそらすという軟弱な抵抗でしたが…。

作者が79年生まれなので、

作品の時代背景はほとんど現在です。携帯やPC、コンビニ、レンタルビデオなんかが登場します。しかし、感心するのは街の様子が70年代とほとんど変わらないというところですね。流石は魔界都市京都です。この小説に出てくる人物が全て一種の遊民ばかりで、政治的な部分や文化的な部分に対する思い入れは皆無に近いので、barrett_hutter さんには物足りないかもしれないですね。ただ、昔も今も大学生(とりわけ留年するようなやつ)はバカだなとつくづく思います。

MojoWestのサイト懐かしく拝見しました。76年以降が工事中なのが残念です。ご指摘のとおり70年代の京都は今では考えられないようなシーンでした。その中に身を置き、大学のサークルと自主制作したミニコミなどであの時代に関われたのは一種の僥倖だったと思います。いつかはきちんとした形で、あの頃のレポートを書いてみたいと思っています。久しぶりに「パルチザン前史」でも見るかな…。
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