不感症の時代の不干渉主義者たち

 今日はエントリーを休んで、『早寝早起き丈夫な身体』、『仕事とHは家庭内に持ち込まず、必ずお外でね』を貫徹しよう(冗談ですよ、冗談。ここは噛み付かないでね)と思っていたのだが、先日の日記に対するguevarra129さんと狸さんのコメントから「著作権」という話が気になっていてちょっと思い出すことがあったので急遽エントリーをアップしている次第だ。人の意見を勝手に要約するのは、誤解・予断・偏見・フレームアップの元であり表現の根本にかかわるので、興味のある方はお二人の生コメントを読んで欲しい。ここでは話の都合上、大雑把に言うと「あなたにとって著作権とはどういうものか」という根源的な問いかけになってしまいそうだが、そのようなハードなことは書けないので、20代の頃から感じていた違和感について早足で書いてみたい。

 レンタルレコード店というビジネスが一世を風靡したのは80年、81年くらいだったか。僕はぎりぎり学生か、元学生という頃だった。レンタルレコードの基本コンセプトは簡単だった。当時LPレコード(!)1枚が2,500円から3,000円ほどした。決して高くはないが、多くの青少年にとって安いものでもなかった。またレコード店でも試聴できたが、たいていアルバム片面(昔はアナログレコードだったからA面、B面と片面ずつあったんだよ。だから意識的なミュージシャンは曲の配列や片面ずつのコンセプト、グラデーションなんかを考えたりジャケットとリンクさせたり、想像力を働かせてたんだ。したがって聞く側も…。止めよう、年寄りの繰言と思われるのが関の山だ)、下手すると数曲しか聴けないことが多かった。そのためレコードを買ったはいいけど、すぐに飽きてしまったり別のアルバムにしておけばよかったなどと不平不満があってもいったん購入したレコードは傷物だとか、不良品でない限りレコード店が引き取ったり、ましてや交換などしてくれなかった。

 そういう中で、音楽ファン同士が保険のためお互い買ったレコードを交換したり、中古品として売買したり、もっと簡単には貸したり借りたりするのは当たり前のことだった。まあ当時はダビングするといってもカセットテープ、メタルは既にあったがDATなんかまだなかったな。当然レコードほど音質はよくなく、テープが伸びきって悲惨な音になってしまうなんてことも結構あった。おっと、話がそれたが、まあそんなわけで個人で買えるレコード枚数は当然限界があるし、身近に同好の士がいない音楽ファンはレコード1枚買うのも慎重にならざるを得なかった。そこへ、レンタルという新たなシーンの登場である。買おうかどうか迷ったもの、いやロック雑誌なんかでちょっと興味はあったけど買ってまではと二の足を踏んでいたものが、たしか1泊二日だったか2泊三日だったか忘れたが400円くらいで借りることが出来たのだ。

 そんなに関心はないが今流行りだからとか、話のネタに聞いてみようなんてノリでレンタルして、気に入ったらテープにダビング。気に入らなきゃすぐ返す。こういうライフスタイルが登場してきた。あ、良く考えたらバブルのはしりだ。この手の風潮は僕自身大変不愉快というか苦々しい思いで見ていた。いや偉そうに著作権がどうこうなんてたいそうな思想ではない。もっとシンプルに「欲しいものは買う、そうでないものは買わない。」という考えだ。とはいうものの友達とのレコードの貸し借りは大いにやった。それは「お前このバンドの凄さ知らないだろう」とか「お前にこのミュージシャンの渋さを教えてやるぜ」とか「こんな音楽知らねえだろ、ちょっとオレのこと尊敬したら」などなど、友達と音楽(ほとんどがロックミュージック、もちろんフォークというかシンガーソングライターも含めて)によるコミュニケーション、音楽を通してのコミュニケーション、音楽を媒体とした自己主張・自己アピールだったと思う。

 その中で価値観の共有、共通認識、理想への憧れ、現状社会への異議申し立て、えー、恥ずかしいがこの際言ってしまうが、みんな経験あるでしょ、俺たちは普通じゃないんだ、早すぎた青年(又は遅すぎた青年)だなどと大いなる誤解をしながら友人としての人間関係を形成したり、青臭くはあるが人間としてのテツガクみたいなものを形成する大きな手段だったのではないかと思うのだ。したがってレコードの貸し借りには経済的なものは存在しなかった。借りてばかりいる奴が実に素晴らしい耳をしていたり、その音楽に対する深い理解と知識を持っていることはざらにあった。一方レコードを売るほど持っていて、人に常に貸しているタイプでも全然音楽(この場合やっぱりロックだな)を分かっていない、超ウルトラスノッブなんてケースもあった。

 ちょっとニュアンスが違ったな。そうそう、正直に言うと批判しながらも僕はレンタルレコードを利用したことがあった。未だに覚えているのはボブ・マーリーの「アップライジング」を借りたことだ。あの偉大なレゲミュージシャンが病気で亡くなったことを知り、遺作となったアルバムを聞きたくて、それまでは、欲しいレコードは乏しい小遣いをやりくりして買うか、仲のいい友人・先輩・後輩に借りるしかしたことがなかったのに、仕事の帰りにふらりと入ったレイコウドウ(だったかな)で見つけて借りたのだ。とてもいいアルバムでラストの曲は魂を揺さぶったが、どうもこのアルバムぴんと来ないのだ。どういえばいいのか、例えば高校生の頃一ヶ月の小遣いが2,000円だったのでLPを1枚買ったらもうアウトである。それがどうしようもないレコードだったときは、何とか元を取ろうというか、ぜったい良いところがあるはずだと盤が擦り切れるまで聞いて無理やり好きになることもあった。また大好きなミュージシャンが連続してアルバムを出す(当時来日ラッシュでライブインジャパンものとか編集盤が良く出た。信じられるかい、レオン・ラッセルのライブインジャパンも出たんだ。ミッシェル・ポルナレフも)なんてときは、昼飯を抜いてそのお金をためたり、親に問題集を買うといってお金をゲットしたり(あ、この前うちのバカ娘が珍しく参考書を買うなどと言って金をむしりとっていったが、もしや…)、とにかくいろんな方法でレコードを買って、聞いていた。その必死さがレンタルには当然ないのだ。何故か。いつでも借りられるという安易さ。どうせ数百円という気楽さ。ちょっと聞いてつまらなければ返して別の新しいのを借りれば済むこと。そういつでも代用可能な単なる暇つぶしになってしまったのだ。いやそう堕落させたのだ。

 ちょっと著作権にからませると、いくらレンタルレコード店でヒットしてもミュージシャンには実入りにならない。当然だ。極少ない枚数で回されていくのだから。ミュージシャンの実入りにならなければ、新しいアルバムは日の目を見ない。それどころかミュージシャンが音楽家であることを止めてしまうことすらある。ボ・ディドレーもタクシーの運転手やってたからな。

 えー、気負いこんで書き始めたのはいいのですが、本来考えていた話とは違った展開になってしまいました。要するにお金を出して買ったアルバムや、聞きたくてたまらず友人に無理を言って借りたレコードに対する集中力と、安易にレンタルしたそれでは雲泥の差があるということと、レンタル、リサイクルはこと音楽シーンにおいては邪道じゃと言いたかったのですが。眠気が襲ってきてこれ以上キーを打てません。もう少し内容を整理してから書くべきだという声も聞こえますが、いいんです。僕のブログはリーダーの方たちの知的レベルが高いので(こんなこというとベサツ的ですか?)、勝手に内容を解釈してくれるんだから。だから銃を取れ!(by頭脳警察)。なんのこっちゃ。あ、このエントリーのタイトルは時代にからめ取られた話を書こうと思い、先につけたので、本文とマッチしてないけど怒らないで下せー。
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コメント

何ごとも最初が肝心

今は変わってきてはいるものの、レコード(音楽)業界というのは、非常に古い体質の企業が多かったため、貸しレコードが登場した時に、おろおろするばかりで、有効な手だてが取れなかった。どこの業界でもやっている、政治家を飼うということさえ、やっていなかったからとも言われています。
貸しレのメイン・ターゲットである学生は、当時は“貧乏”と同義語であり、またダビングによる音質の劣化もあって、「まあ、まあ。いいじゃないの」という流れになってしまったのですね。
ところが、あっという間にデジタルの時代になってしまって、さあ、困った! 今や、学生も風呂付きのマンションに住み、洗濯物は着払いで実家に送り返し、ヘンなバイトをされても困るし、バイクに乗られるのも心配だというので、親が車を買ってやるようなご時世。
でも、走り出した列車はなかなか止められない。「乗ってる人の権利はどーなるんだ!? 運転手の生活はどーしてくれるんだ!」と主張する人の声ばかり大きく、レコード業界は蚊の鳴くような声で「あの、すみません…、線路が通っているのは、うちの土地なんですケド…」と言ったところで、そんなものに耳をかたむける人はいません。
業界内も、例えばコピーガードをかけようという、どこから見てもけっこうな案じゃないかと思われるようなシステム、U多田某さんのように、「コピーガードをかけると音質が悪くなる(注・実際には耳で聞いて差がわかる人はほとんどいないそうです)。そんな事はユーザーに対して失礼だ!」と反対するなど、足並みがそろえられない。電車内でマンガ読みながら聞くのに、音質もクソもあるかとも思いますが。
とにかく、貸しレの段階でブレーキをかけられなかった事は、コピー、ダビングはアタリマエであるという下地を作ってしまった事と、おっしゃるように、音楽=使い捨てという風潮を生んでしまった事――この2つの大きな問題の根本となっているようです。

話は少しそれますが、最近、レコード会社はシングルは売れてもアルバムの売上に結びつかないという現象に、頭を抱えています。「お、この曲、いいじゃない!? ほかの曲も聞いてみるべ」という興味を持たないようですね、昨今の購買層は。
もっとも、彼らがほしいのは“今、流行っているあの曲”であって、それはもちろん昔では考えられないミリオン、ダブル・ミリオンという大量消費につながっているのですが、大量消費≒使い捨てにもつながっています。
しかも、100万枚を200万枚にするためには、莫大な宣伝費を必要とし、枚数分だけ儲かっているわけではないと。
ここへ来てメガヒットと言われる曲が出なくなり、音楽バブルと呼ばれる時代に離れていったユーザーやアーティストを再び呼び戻すのは簡単な事ではなく、レコード会社はどこも暗中模索の状態です。
長期展望が立てられないのは日本人の特性とはいえ、まことにトホホです。

やはりCDが原因でしょう

アナログ時代のA,B面という捉え方や、シングルにおけるダブルA面などという発想がなくなったのが大きいと思います。それからトータルなイメージとしてのアルバムジャケットもCDのプラケースだと貧相でいかん。CDになって音が良くなったとか、録音時間が長くなっていいとかいう意見がありますが、人間同じミュージシャンのメリハリのないアルバムを70分も聞いてられんというのが本音です。アルバム40分30センチ角のジャケットが良かったな~。収納は大変だったけど。

ああ、またもや失礼な長さのコメントを書いてしまい、申し訳ありません。

たしかにアリス・クーパーの『マッスル・オブ・ラブ』など、収納には困りました。「どーすりゃいいのよ!?」と本気で悩みましたよ。だって、ほかのと一緒に入らないんですもん。
CDでもハイロウズの『タイガー・モービル』など、変わったパッケージのものはありますけれど、しょせんあの大きさでは、やれる事は限られていますね。

アルバムといっても、レコーディング中にスタジオのロビーで、何曲も作るとか、そんなクオリティのものは、本来、売れなくても当然なのですが。

レンタル派です

 こんなことを書くと、「著作権の意識のない教師」と言われるかもしれませんが、私はレンタル派です。
 レンタルレコード屋ができるまでは、FMエアーチェック派でした。エアーチェックなんて死語ですが、FM雑誌を書かさず買い、録音していました。

 D大近くにレンタルレコード屋がはじめてできたのは、烏丸今出川の南西の角のビルの二階だったと覚えていますが、けっこう通いました。京都を離れてからも、近くにはろくなレンタル店がなかったので、大阪まで電車代だして、借りに行っていました。

 もちろん、本当にほしいレコードはレンタル屋にはほとんどおいてなくて、中古を探したり、できるだけ安く手に入れようとしました。

 drac obさんが書かれているように、「要するにお金を出して買ったアルバムや、聞きたくてたまらず友人に無理を言って借りたレコードに対する集中力と、安易にレンタルしたそれでは雲泥の差がある」のは、その通りだと思います。
 でも、私の場合、自分の好きなものは、当時レンタルしたウシャコダや、エアーチェックしたSTUFFのライブなど、カセットテープ再生可能のカーステレオがこわれた去年までは時折聴いていました。
 要するに「けち」なんでしょうが。

アリス・クーパーの「愛の筋肉」

とは、一体どこの筋肉だと当時高校生だった僕たちは、真剣に議論していました(ウソ)。とにかくアリスは人騒がせな奴で、「スクールズアウト」だったか、紙パン○ィのレコード袋がついてました。広島は福山出身の後輩O原君(匿名になってない)は、それを穿いて学校に行き異様に興奮したと酒の席で「仮面の告白」をして、皆からその蛮勇さを称えられました。そういえばストーンズやトラフィックにも変形したジャケットがありましたね。

レンタルレコード店の批判を

したまでは良かったのですが、今日のニュースでツ○ヤやGE●がレンタルコミックを始めるというニュースがあり、そこに「貸本屋」の話が出ていました。そういえば貸本のマンガ読んだよなと考えていくうちに、昭和30年代、社会全体がまだまだ貧しくて、マンガや本を読みたい人のために「貸本」というスタイルが必要だったことに思いが至りました。その後「高度経済成長」に伴いマンガの「私有化」が始まり、家庭が個に分断されていった、おっとなんだか懐かしい用語が出てきてしまいました。このあたりまたエントリーにアップしてみます。
ところでguevarra129さんを「けち」などと言う気は毛頭ありません。僕がここで批判したのは音楽(特にロック)をファッションとして聞いている「安易にレンタル」する連中です。guevarra129さんの音楽に対するこだわりは十分分かっているつもりです。はっ、そうだ、著作権といえば加川良の音源を始め、共犯でした。

「岩石生活者」としては、

正直に言えば、私はFMのエア・チェックもしてましたし、貸しレコード屋にもかよってましたね。それに、今でもNapsterとか使ってますし、Boot落とすのにBitTorrentとかも使ってます。もっとも、明白な著作権侵害してまで音楽を聴こうとは思いませんが…。
率直に言ってしまえば、どういう形態で音楽聴こうとも、大して変わらないような気がします。レコードからCDになって、さらにデジタルな音楽配信になって、どんどんアルバムのアートワークの比重は下がってきましたけど、それで私個人の音楽に対する思い入れが軽くなったとも思わないです。
昔はRockを聴くこと自体が、社会に対するある態度を表明していましたけど、今はその覚悟をする必要も無くなったというだけでしょう。その意味では音楽は真剣に聴かれなくなったとも言えます。しかし、元々ただの音楽なのですから、今の若い子のように単なる消費物と捉えるだけでも、それはそれで健全だと思いますよ。

barrettさん、こんにちは、いやこんばんはですね

初コメントありがとうございます。同じ「岩石生活者」同士ですが、barrettさんは柔軟な考え方が出来る方ですね。

もちろん僕もFMのエアチェックは良くやってました。73,4年ごろはNHKのFMは夕方4時から新作のアルバムを1枚丸ごとオンエアしていたので、カセットに録音して聞いていました。クラプトンの「461オーシャン~」の時はアナウンサー(DJではない)が「エリック・クランプトン」と紹介してしまい、最後までそれで通しました。「天晴れな奴」と感動したのを覚えています。

しかし読んでくれている方が限定されてるブログだと思っていたので、新しいお客様はとても嬉しいです。これからも宜しくお願いします。

>元々ただの音楽なのですから、今の若い子のように単なる消費物と捉えるだけでも、それはそれで健全だと思いますよ。
管理人のobさんのように50過ぎて尚怒りをエネルギーに音楽を聞け(ブログをかけ)とはいいませんが、消費物にしてしまったのは若者じゃなくてその上の世代の人間でそれを甘んじて受け入れるというのも子供げないような気がするのですが

sugarmountain君、君ねぇ、僕のネット上のイメージは

30代後半、いって40代前半という設定で売ってるんだから、あからさまに「50過ぎて」というのは失礼だろ。しかも「怒りをエネルギーに音楽を聞け(ブログをかけ)」というのも、温厚が服を着て歩いてるとか、人格者だねと人様によく言われる僕のイメージダウンになるから気をつけて欲しいもんだ。あと人のHNを勝手に「obさん」と短縮するなよ。正確にdrac-obと表示してくれたまえ。

ところで、「DRACのOB会」ってお前やったことある?N谷はS戸やM原なんかと飲んでるらしいが。

所詮、ムジナ

考えてみれば、私も人のことをとやかく言えるような立場ではありません。
貸しレは利用したことがありませんが、それは単に近くに店がなかっただけで、もし近所にあったなら、どうだったかはわかりません。
法律的には少し違いがあるのですが、中古については、レコードも本も、現在でもさんざん利用していますからね。著作権者が儲からないという点では、ほとんど同じです。
買ったものを、コピーすればすぐに中古屋に売れるという状況も、安易に買うという事に拍車をかけているかもしれませんね。

アナログの時代には業界も容認しており、先を見越した手だてを考えなかったというのもいけないのですが、デジタルの時代となって、同品質のものが、やろうと思えば大量にコピーでき、それが短時間に広まってしまうというのが、問題視されていることなのです。

例え話ですが、drac-ob さんが若い頃に作った曲があるとします(文章でも何でもいいんですが)。それは自分の手元に残っていないのだけれど、たまたま記録している人がいた。
その人は大変その曲に感動したので、自分のHPに載せて公開したところ、話題となって、道行く人は誰でも自分の携帯やパソコンにその曲をダウンロードして持っている。その人は、バナー広告などで大儲け。しかし、drac-ob さんにはそれがまったく還元されない。
しかも、若気のいたりまくりで作ったその曲を、drac-ob さんはこの世から抹消したいと思っているのにもかかわらず、「なぜですか!? 私はこの曲が大好きなんですよ! だからなるべくたくさんの人に知ってもらいたいんです」と。
著作権侵害というのは、権利者からするとこんな感じなのではないでしょうか。

狸さんがムジナというのは

なかなか風情がありますな。いや失礼「タヌキ」さんではなく「リー」さんでしたね、すいません。なんだか堂々巡りみたいになってしまったのですが、狸さんの例えは大変良く分かりました。ただ権利者からの言い分も良く分かるのですが、ここは故高田渡御大の「作品はウンコ、ションベン」論を、僕個人としては支持したいと思います。つまりいったん作者の手から離れた作品は誰がどのようにしようがかってじゃわいという奴です。このあたりは安易に書いてはいけないのでしょうが、その作品が出てくるまでが表現者の喜びと苦痛じゃないのでしょうか。出てしまったら後は野となれ山となれ~
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