口は災いの元、ドライブでもなどと口走ったため

美味しかった鍋焼きうどん 泡が立ってます

 この連休は寒かった。日差しはまだ暖かいのだが、とにかく風が冷たく南国宮崎の山間部にも雪が降ったようだ。しかし、本格的に寒くなるのは2月になって巨人軍がキャンプに来てからだ。2月に入ると時にはコートでも着ようかという日が何日かはある。こんなことを書くともっと寒い地域の人からは人生舐めとるんかと怒られそうだが、僕も京都の冬の寒さは良く知ってるし、茨城の下館に住んでいるときは生まれて始めて水道管が凍るという体験もした。そうそう、走っている車のフロントガラスが徐々に凍りつくところを見たこともある。

 またまた、話が大きいんだからという声が聞こえてきそうだが断じてネタではない。あれは丁度30年前の77年の今時分のことだった。当時鳥取の大学に通っていた友人(S良君)と東京の大学に通っていた友人(S藤君)と僕の3人で冬休みが終わり、大学に戻るのにS良君の車で京都まで行こうという計画を立てた。京都、鳥取間というのは意外に車でも移動できる距離であるし、S藤君は京都から新幹線で東京に戻れるし、僕は京都直行で大変ありがたい提案だったので1も2もなく賛成した。ただ車が、僕の記憶ではスズキのフロンテ、S良君の記憶ではホンダN360というどっちにしても軽自動車だったので、全て陸送では持たないだろう(免許は僕以外の2名しか持っていなかった)との判断で、広島まではフェリーで行き、そこから中国縦貫道路で京都まで行こうと考えた。

 行きはお日様の日差しが暖かく、細島(日向市といって宮崎市から北に50キロくらいの距離にある港)のフェリー乗り場まであっという間だった。フェリーに乗るときちょっとスリルがあった。というのも港からフェリーに車を移動させるのに、板みたいなものを船に引っ掛けてあり、その上を前向きの車と後ろ向きの車と交互に船に入れ込む手配になっていた。もちろん車の所有者が運転して乗せるのである。つまり細い板の上の一本道を前向きに進む車は良いが、バックで進まないといけない車もあり、僕たちの車はバックの方だった。免許の無い僕は、その怖さが分らなかったが、今考えると左か右に切りすぎたら海の中である。なんども言うが板切れみたいな渡しの上を走るのである。

 S良君は窓から身を乗り出し、反対側はS藤君がしっかり見て何とかフェリーに乗り込んだ。しかし行きにその形で良かったのだ。逆だったら着いたときにバックで降りないといけないから、そちらのほうがスリル満点であったろう。フェリーが出たのが午後2時くらいだったか、もっと夕方近かったか、とにかくまだ陽はあった。運転者は2人なので、免許を持たない僕は気楽に自販機で広島名産のワンカップの日本酒を飲み、いい気持ちで酔っ払っていた。広島に着いたのは夜の11時くらい、もう夜中だった。誰一人広島に来たことは無く、地図も持ってなかったが国道を走れば高速に乗れるだろうとたかをくくっていた。高速に乗る前にセンターラインが良く分らず、中央分離帯に激突しそうになりながら、なんとか無事中国縦貫道路に乗れた。

 もう午前零時は完全に過ぎ、外は風も強く車内も凍えるように寒い。助手席に乗っていた僕はS良君に当然の如く暖房を、ヒーターを入れるように頼んだ。彼の返事はシンプルだった。「そんな贅沢なもんは無い」。耳を疑った。冷房のついてない車は当時それほど珍しくは無かったが、暖房は全ての車についているものと思っていたので(当たり前である)、「ふざけてないでさっさと暖房を入れろ」と今度はやや強い口調で言った。返ってきた言葉はさらにシンプルで「無いものは無い」だった。いや、人間持たない者は強いな、ということは世の中で一番強いのは自称ルンペンプロレタリアートの僕のような人間だななどと当時は全く思わなかったが、暖房が無いということに頭の理解がついていかなかった。多分この時点ですでに寒さで頭がやられていたのだろう。

 なぜ暖房がついていないかをS良君は、彼なりに説明した。もとから故障していたので安くで車を買うことが出来たが、お金の余裕が無かったので修理はしなかった。それでも別段不自由は感じなかった、みたいな説明だったと思う。確かに宮崎で走る分には、暖房が無くても我慢できなくは無いかもしれないが、ここは広島である。しかも高速を通って京都まで夜間走るという計画だ。無謀としか言いようが無い。しかし着るものを着こんで、下半身にはコートなどを巻きつけて何とか暖をとりながら走った。あまりの寒さに震えながら、それでもなんだかんだ喋りながら走っていると、フロントガラスに妙なものが見えて来た。最初は小さな点みたいな物がだんだん蜘蛛の巣状に広がってきて、えーとある程度昭和の時代の記憶が多い人なら分ってもらえるかも知れないが、テレビドラマの「コンバット」のオープニングテーマのときに(スターリン、ビック・モロー、アイアム、リック・ジェイスンのナレーションの後のところ)ヘルメットの部分に銃弾が何発も当たり、それが広がっていくシーンがあったでしょ、あの感じですっていっても分りにくいだろうな。レンタルビデオ店で1本借りて見て下さい。

 回りくどいわりに的確さに欠けるたとえで申し訳ない。しかし、最初それを見たときは驚いた。氷の結晶がフロントガラスに発生し始めたのだ。根っからの文科系の僕ではあるが、乏しい理科的知識を動員して原因を考えると、360CCの狭い車両に男3人が乗って話しているので、車内に大量の二酸化炭素が発生、それがフロントガラス越しに外のマイナス気温の空気に触れ、まず空気中の水分がフロントガラスに付きそれが急速に冷やされることで、現在進行形で氷の結晶が出来たということと違うか!どや!!と、慣れないことだけに力が入ったがここで、ひとつエセ科学を粉砕しておく。なにやら「水は何でもかんでもスーパースターよ」みたいな書物で、水に「美しい言葉!!」をかけるときれいな結晶が出来、「汚い言葉」をかけるときちゃない結晶が出来るとかいう連中がいるらしいが、この広島行きの車内では、およそここには書けないような罵詈雑言の嵐が飛び交った。そりゃそうだろ。当然あるはずの暖房が無く、歯の根が合わないくらい寒い思いをしていたのだ。誰かを呪わずして、恨みが晴れるわけが無い。

 しかして、そのダーティトークが跋扈する車内のフロントガラスに出来た氷の結晶は本当に美しく、見事な結晶であった。「こういう写真なんかでみたことあるな、なんとかなんきちとかいう随筆家、確か夏目漱石の弟子の…」「あー、高田浩吉」「そりゃ高田美和のオヤジだろ」「寺田ヒロオだっ」「それはスポーツマン金太郎」「寺田寅彦だ、トラヒコッ」はっきりとは覚えてないがこのような不毛かつ無内容な会話が続いているうちに恐ろしい事態が発生した。な、なんとその氷の結晶がフロントガラス全体に広がってきて前が見えなくなり始めたのだ。デフにして風を送るが、外の気温と対して違わない冷風のため全く結晶は溶けない。どうする、アイフルなどといってる余裕は無かった。しかも当時はそんなCMは放映されてなかった。

 苦肉の策で思いついたのが、ライターであぶるという手段だった。苦し紛れで炎を近づけてみると、なんと、結晶が溶けるではないか、うっすら水状になるではないか。即座にワイパーでふき取るが、いかんせんすぐまた凍りつく。こんな寒い場所で使うたとえではないが「焼け石に水」状態なのだ。しかし、この100円ライター、チルチルミチル、幸せの青い鳥作戦は結構正解で、フロントガラスに半径10センチくらいの透明なスペースを作り、そこから外を見ながら一路京都に向かったのだ。今考えたら、途中のパーキングで車を止めて、日が昇ってから改めて走ればいいものを、若いというのは一直線というか、考えが無いものである(それはお前らだけだという声が無くは無いが)。

 ところで自慢話をするわけではないが、「三国志」で曹操が水が無くて苦しんでいる軍団に「もう少し走れば梅園があり、そこで梅を好きなだけ取って咽を癒せ」と話しかけ、全軍がその言葉につばを飲み難所を突破したというくだりがあるが、この寒中突破の苦行中(こんなもの苦行以外の何物でもないな、今思うと)に、「今はつらいかもしれないが、これがいい思い出になって後で笑って話せるようになるんだ」などと一体何を考えてそんなことを言ったか趣旨が分らないが、とにかくそう言い続けて車内の気持ちをプラスに向けたのだ。後日、このときの話をするとお互い笑って話せるようになったのは事実だが。

 とまあ、こういう経験をしたことを思い出したのだが、実は今日書くつもりのエントリーはちょっと違っていた。今日は寒かったが日和が良かったので、日南海岸を久しぶりに配偶者と二人でドライブし、日南の「鍋焼きうどん」を食べてきたのだが、車内でのCDの選曲は注意しろという教訓話をアップするつもりだったのだ。というのも、以前同じルートを走っていたときに高田渡をかけて、夫婦間の空気が悪くなったことがあったので、今日は気を使った。気を使って小林万里子のCDをかけたのだが、その何曲目かに『男ばっかり、ええ目して。女は川で洗濯か!女は川で洗濯か!』というフレーズがあった。無意識に「そうや、女は川で洗濯や!」と思わずつぶやいてしまったのだ。えー、これは僕の本心ではなく、天国の西郷さんが「女子と小人は…」などとおっしゃってるので、っておんなじ落ちを使うな!!という教訓でもありました。

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コメント

また古い記事にコメント

>「今はつらいかもしれないが、これがいい思い出になって後で笑って話せるようになるんだ」

これ、私の口癖です。(クセとまではいかないかな…?)
何かトラブルが起きて落ち着かないときや、失敗して落ち込んでいるとき、自分ではどうにもならないことで絶望しそうになったときに、このセリフを言って、人を励ますフリして自分を励まします。
中学生のとき、乗っていた飛行機が大揺れに揺れ、一緒にいた姉がひどく怖がっていたので、「だいじょーぶ。明日の今ごろは『こわかったねー』って笑ってるよ♪」と言ったら、「そうねそうね」と少し落ち着いたようでした。そのしばらく後に、日航機が御巣高山に…。 あまりテキトーなことは言っちゃイカンなー と思った次第で。

いやいや、適当でいいと思いますよ

言葉の力というのは意外に侮れないところがあって、エントリー中にも引用した曹操のくだりなんか全くその通りだと思います。また飛行機の中でお姉さんにそのような事を言ったから飛行機が浮力を増して落ちなかったと思います。僕も飛行機に乗るときは誰にも聞こえないように浮力アップのおまじないを唱え続けているので、大変疲れますが、おかげで今まで乗ってた飛行機は一度も落ちていません。

あれ、エセ科学を粉砕しておきながら、自分がエセ科学の教祖様みたいになっちまった。
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