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何にも思わずにここまで来たけれど、このまま許されるはずはないから

 しかし、あれはやはり何かの予兆だったのか。ノーテイでチーハクな我がポンニチ国民がやれ平成最後の日だ、令和元年だと大騒ぎしている間にミチロウは静かにこの世界から彼岸の国へと旅立って行った。

 僕はソフトバンクの携帯を長く使っているので、毎月期間限定のTポイントが貰える。ただ有効期限が一ヶ月なので、ついそのまま流してしまうことが多かった。先月メールで期間限定ポイントが失効するということと翌月分のポイントを加算しますというお知らせが来た。その他にもちょこちょこポイントが貯まっていたので何か買おうと考え、以前から欲しかった遠藤ミチロウ監督・主演の映画、『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』のDVDを註文した。2015年制作の映画なので、本来なら地元の映画館で大きなスクリーンと大音量で観たかったのだが、なんせ文化不毛のディープ・サウス・ザキミヤ。僕が観たい映画はまともに巡回することがない。『三里塚のイカロス』もいつになったら上映されるかと待ちわびて、いや待てど暮らせど上映の話は無いし、下手すると永久に来ないと判断してやはりDVDを購入した。もっとも若松プロの『止め俺』は観られたので、そう捨てたものじゃないか。いやいや、それでもミック・ロンソンの映画は無理だろうな。せいぜいがボへラかEC止まりだ。

2015.10.21

 DVDを註文したのが4月25日で、自宅に届いたのが28日。嬉しくてFBに『病気と闘っている遠藤ミチロウに連帯するために、DVD購入。ミチロウ、ゆっくりで良いから病に勝利し、もう一度ライブを見せてくれ』というコメントとともに写真をアップした。そして29日の夜にお酒を飲みながらじっくり鑑賞した。ミュージシャンとしてのミチロウと普段の遠藤さんちのミチロウ君の両方の顔が見られたことと、おまけについていたザ・スターリンの復活ライブも興味深く観ることが出来た。それなのに、実はDVDが届いた日にミチロウは既に亡くなっていたのだ。膠原病から少し回復しまたツアーを再開したと宮崎のライブハウスで話していたときから4年。今度は膵臓がんで入院し闘病生活を続けていたが、ついに力尽きてしまった。その訃報を知ったのは昨日、いや正確には今日の午前0時過ぎ、連休中お酒を飲み過ぎたので、今日はドライで寝ようとしたもののなかなか寝付けず、枕元のスマホを取り出してFBを開いたらPANTAがミチロウの死について投稿していた。あまりのことに目が冴えてしまい、何だか似たようなことを前に経験したなと振り返っていたら、清志郎の訃報もGW中だったことを思い出した。亡くなったのは4月25日だが発表を5月1日の未明にしたのはいかにもミチロウらしい。令和元年だと大騒ぎしている連中の頭の上から猫いらずをぶちまけてやったんだ。

 僕が遠藤ミチロウの名前を、正確にはザ・スターリンの名前を知ったのは1981年のことだった。その年の3月に6年在籍した大学を中退し、田舎に帰ってきた僕は、耕すべき田園も無いので、かといって家でゴロゴロできる身分でもないので、どこかに働き口は無いかと思案ロッポー。友人の父親のコネを使って市役所のバイトの仕事を得た。もっとも3ヶ月働いたら1ヶ月は休み。連続して働かせるとボーナスを出さないといけないとか組合がうるさいとか何だかよく分からないがそんな理由だった。もちろんアルバイトでずっと働くことは出来ないので、正社員としての仕事も探していたし、市役所や県庁の試験も受けろと親から言われていた。公務員なんかになる気はないと学生時代から口答えしていたが、中退して田舎に帰っていたので肩身が狭くハイハイと生返事していた。4月1日の初出勤日に気合を入れようと思い、自分の部屋のステレオでINUのアルバムをフルボリュームでかけたら母親が顔色を変えて飛び込んできた。いつまでも学生気分でいたら困る、隣近所の迷惑を考えろと、これはまあ当然の説教だ。しかしながら、こちらはこちらで今から薄汚れた資本主義社会に入っていくわけだから魂だけは染められないようにするつもりだったが、とりあえずその場もハイハイと言って役所に行った。心の中で頭脳警察の歌を口ずさみながら。もちろん♪ネクタイ締めて役所へ通えば、待つのは死んだ魚の目だけ、鼻水垂らしてグチグチ言う奴ぁ、犬小屋で残飯食べてりゃいいのさ~ってやつだ。

 その頃の話を以前書いたはずだと思って探してみたら見つかった。以下、コピペと記憶違いの部分を加筆訂正して入れておく。

> ミチロウと僕の最初の出会いは、いったいいつ頃だったか。ひとつはっきりしているのは、僕が大学を退学して地元に帰り、とりあえず堅気の仕事に就くためにアルバイトをしていた1981年の5月か6月くらいだと思う。それまでライブだ、イベントだ、あるいは集会だ、デモだと毎日大騒ぎだった学生時代とは打って変わって、南九州ローカルで変化も刺激もない毎日を過ごしている僕宛に届いた松原健君からの手紙だった。松原君は、今は鬼籍に入っており何度か拙blogでも故M原君と書いていたが、イニシャルで書くよりも実名で書いたほうが彼を知っている(知っていた)人からのアクセスがあるかもしれないと考えたことと、個人情報保護のためのイニシャルというのもちょっとオカシイ、個人情報は生存者の情報であるから、今後は彼についてはそのまま実名で書こうと思った次第だ。

スターリニズム

 その松原君からは、81年82年にかけてはちょくちょく電話を貰ったり、手紙のやり取りをしていたのだが、81年の初めの頃に来た手紙に、スターリンの『スターリニズム』とネオマティスの『No Chocolate』、後は射殺魔のレコードだったか、とにかく「借金してでも買って聴いたほうがいい」という文面と、それらのレコードの解説が彼独特の文体で書いてあった(ここは訂正。ネオマティスとポップ・ソング・ファクトリーと言って、もしかしたら僕もスタッフとして参加していたかもしれないPIL BOXというプライベート・ブランド所属のバンド、この2つはシングルで関西勢。ザ・スターリンはミニアルバムの『スターリニズム』)。正直、バイトでの収入はたかが知れているし、実家に食費も入れていて小遣いなんて雀の涙だったが、あの松原が勧めるのだから間違いはないだろうと思いお金を送ったら折り返しレコードが送ってきた。もちろん、どれも素晴らしいレコードで、ああ今頃関西のシーンはどうなっているんだろう、僕が一時期所属したPILBOXはどうなっているだろうとか、逆里心がついてしまい、ある日ついにそれまで通ってきた学校の校舎の白い壁に別れの歌刻み込んだり、窓ガラスをすべて叩き割って「留年からの卒業」などと絶叫したなどということはさらさらなくて、いかん、いつもの与太話に戻りそうなので再度巻き戻し。

 その松原君から送ってきたレコードは全て衝撃的で、それぞれの感想はあるものの、やはり一番驚いたのは、ザ・スターリンの『スターリニズム』だった。A面に針を落とすとシャリシャリという安っぽい音がしたかと思うと突然大音量で「ぶーたにしんじゅが、ぶーたにしんじゅが、のさーばってる~」とチープなバンドの音をバックに凶悪そうな歌声が響いた。歌詞は、当時の僕の屈折した心にまるで乾いたスポンジが水を吸収するように、一気に襲ってきた。「頭の上にマストを立てた学生どもには自殺入門書、傷つきやすいオジジやオババに永久不滅のホウレン草を!!」。なんだ、こいつらは、いやこの歌を歌っている男は。そして2曲目の「サル」である。「朕は××××」というモノローグから始まり、ものすごい歌詞が炸裂する。リフは「やり出したら止まらない、やり出したら止まらない」である。こいつらガイキチか?頭が半分真っ白になった(補足:歌詞カードには“天皇陛下 バンザイ!”としか印刷していない)。そのまま「コルホーズのタマネギ畑」である。ソフホーズとコルホーズ、ソ連の計画経済なんて社会科で習ったよな、などとぼんやり考えているうちにA面は終わっていた。

 大急ぎでレコードをひっくり返してB面を聴いた。「猟奇ハンター」は最初あまりピンと来なくて、何故かプガジャに連載していた川崎ゆきおのマンガを連想した。現実的には佐川一政の事件を連想させるとしてタイトル名を変えられたりもした。しかし、最初はあまり良く思わなかったその曲が、今では大好きな曲に変わっているから、感性というのは年齢によって随分変わるものだと思う。そして、問題の「スターリニスト」。おどろおどろしい歌詞から、演奏から展開されるイメージはミチロウのアジテーションで一気にボルテージが上がる。そして「増え続ける、増え続ける、増え続ける、増え続ける…」と煽っていき、最後は本当にあっという間に終わってしまう。これは強烈なインパクトがありました。このアジの部分を一生懸命ヒアリングして、後年入社したJEPという会社の全社員参加のグァム旅行の余興のステージで、九州を代表して僕はこのアジをぶちかました。一部の社員には大変受けたが、直属の上司は始末書を書かされたらしい。T岡さん、スイマセンでした。若気の至りです。

 この衝撃的なミニアルバムを購入後、アルバム『STOP JAP』を始めとして、一連のアルバムを購入し続けた。ザ・スターリンが解散する85年までの間というのは、僕が堅気の会社に入ってシホン主義のなんたるかをぶち込まれている時期で、ちょうど関東への出向時期とも重なっていて、毎日会社で説教食らい、仕事の何たるかを叩きこまれつつ、それでもオレは金のために体は売っても心は売らないぞと、思うそのバランスを取るために毎晩ウォークマンでミチロウの歌をフルボリュームで聴いていたのだ。当時の枕にはオレの涙とウォークマンのヘッドホンの痕がしっかり残っている(嘘だけど)。

 以上でコピペ終了。

 81年の欝々とした気分をミニ・アルバム、『スターリニズム』で発散させてもらった僕は82年に最初の会社に入社する。学校周りの視聴覚機器の販売と企画と騙されて入社した会社はカメラやコピーでおなじみのリコーが昭和40年代に大ヒットさせたマイ・ティーチャーという教材を訪問販売で一般家庭に売る会社だった。いわゆるセールスマンだね、最初はグループセールスと言って興味を持ちそうなお客さんを各家庭一軒一軒回ってアポを取るアポインターと商品説明(デモンストレーション、略してデモ)と契約締結(クロージング)をするクローザーと役割分担したグループセールスを経験し、その後は単独の飛び込みセールスもやった。いきなり子供の教材は要りませんかというセールスなのでけんもほろろにドアを閉められたり、居留守使われたり、ドア越しに要りません、しつこいと警察呼びますよ等さんざん断られると大きな声で♪手を引く優しいおふくろどもに頭の上から猫いらずを~などと歌ってストレス発散した。

 その会社の本社は当時は茨城県の水戸市にあった。市役所の隣のビルだった。九州の営業は甘いと社長と営業部長の鶴の一声で関東への長期出張が決まった。いままでは会社の寮に住んでいたが週末だけは自宅に帰れたのでレコードを聴く時間があったが、今度は関東の寮に入るからステレオがあるかどうかも分からない。水戸の寮にはステレオが無かったが、その時の仕事は水戸、下館、そして埼玉の大宮を1か月くらいずつ移動していくシート追註時期だった(業界用語で分かりにくいが、要は学年教材の切り替え時期だった)。大宮にはステレオがあったので、休日を利用してまずはメジャー・ファーストである『Stop Jap』を購入し、カセットに録音。最初のボーナスで買ったウォークマンで何十回、いや何百回聴いたことか。1曲目の「ロマンチスト」のイントロ聴いただけで脳天に衝撃が響いた。あのアルバムは全て名曲ぞろいだが、最初に好きになったのは「欲情」、「MONEY」、「MISER」などだ。あ、おまけについていたソノシートの「肉」も大好きで繰り返し聴いたものだ。しかし一番驚いたのは「ワルシャワの幻想」だった。不気味なサイレンの音、低重音のベース、そしてミチロウの叫び。歌詞を聴いて再度ぶっ飛び。INUのアルバムに「メシ食うな」という歌があるが、ミチロウは延々と「メシ食わせろ」と叫び続ける。後年、町田の「メシ食うな」に感動してミチロウが作った歌だと知ったが、アンサーソングというにはあまりにへヴィだ。まさにプロレタリア革命前の人民の叫びのようだった。

Stop Jap

 ファーストを繰り返して聴いていたが、実はザ・スターリンにはアルバム未収録のシングルがあることを知り、日曜を利用して大宮のレコード店で「アレルギー/No Fun」を購入。アレルギーはアルバム収録曲だがテイクが別。No Funはピストルズもコピーしたパンクの古典。しかしミチロウの紡ぐ言葉はナイフの様に突き刺さった。そして、その次のシングルはなんと12インチシングル。さらに驚いたのはB面の「先天性労働者」の歌詞。マルクスの「共産党宣言」から引用しているじゃないか。頭脳警察の「世界革命戦争宣言」は共産同赤軍派の宣言を「囁くように呟くようにやろう」と決めたものの、いざステージの上がるとアジテーションの絶叫になったというのは知る人ぞ知る話だが、こちらの古典的作品のミチロウの叫びは鋭い。最後のほうで「今日までのあらゆる社会の歴史は階級闘争の歴史である。今日までのあらゆる階級闘争の歴史は敗北の歴史である」という部分は何度もかみしめた。労働組合も無いセールス会社で1日16時間働き詰めの自分の境遇を考えながら聴いていた。まあ、正直な話、当時の労働運動は賃上げ闘争ばかりで全く興味も関心も持ち得なかった。てめえらの給料上げるためには第三世界の人民の血と汗が流れることに気が付かないのかなどと毒づいて、一人仕事終わりの寮の布団の中でウォークマン聴くのが精いっぱいだった。

 メジャーでの次のアルバムは『虫』。鞍馬天狗の絵がレコードにある、いわゆるピクチャーレコードだった。とにかくこのミチロウという人は発想がユニークで、企画もとてつもない。顧客サービスの鬼でいろんなことをやってくれる。多分この頃だと思うが『イヤだと言っても愛してやるぜ』とかいうタイトルでムック本を出した。その中で売れないころは(いや、ザ・スターリンでデビューしたころも売れなかったと書いてあったが)、ビニ本のモデルのバイトで生き延びたという記述があった。ビニ本モデル、ええやん、なりたいわ~などというのはトーシロの考えで目の前にぶら下げられた人参をただ見ているだけ。蛇の生殺しそのもので、このバイトを経験してから女性の裸に不感症になったなんてことが書いてあったな。またザ・スターリン解散後だったか宝島からカセットブックを出したりした。これ当時は異才と言われていた蛭子能収のマンガが付いているが、グロテスクそのもので後年のバス旅などで性格は悪いが人間は良さそうな蛭子さんもこういう時代があったんだとちょっと感動させる。そのカセットブックにはパンク版「青ゲバと落し」ちがう「仰げば尊し」も収録されて、これは確か滝田修に捧げられていた。「お前の犬になる」は田名角栄に捧げられていたかな。さらにING-Oというミニコミ?やビデオ・スターリンといってレコードやソノシートではなくバンドの音源をビデオで出すなど当時としては考えられないような活動だった。

ベトナム伝説

 『虫』はジャケットのきらびやかさと反比例して音は非常に重たい。それ以前にあったグロテスク・ニュー・ポップという、その後、ミチロウのソロ活動のテーマになるようななんというのか変態的な明るさは影を潜め、ひたすら精神の内面に語りかけてくるようなアルバムだった。「365」や「天プラ」とか「アザラシ」のように聴きやすい曲もあるが、とにかく繰り返して聴くのはちょっとしんどいレコードだった。しかし、九州と関東を行き来しながらセールスの仕事をしていた、そうそうその頃はだんだんクレーム処理も任されるようになった僕にはコンスタントにアルバムを出してくれるミチロウはありがたかった。ちょうどPANTAがスィート路線だった頃と重なるので、自分の精神のバランスを撮るためにはザ・スターリンの音が、ミチロウの歌と叫びが必要だった。ロッキングオンから「バターになりたい」という対談本を出したのはこの後くらいか。吉本隆明を尊敬しているミチロウなので、対談の口調が柔らかく、何だこれと思ったが、後年、ライブのMCを聴いて実に人間の出来た方だと知った。しかし当時は鶏の首をはねたり、ステージで全裸になり客の女の子にフェ×チオさせたり、豚の首を振り回していたので、想像がつかなかった。

 メジャー3作目、バンドとして通算4作目の『Fish Inn』は通販で予約して購入した。もともとそういうシステムだったのと、その時は下館市にあったディーラーの会社に出向していたので受け取りをその事務所にして居た。事務員にちょっとカワイイ女の子がいたので、その子に近日中に僕あてにちょっとした荷物が届くので預かってくれと頼んだ。仕事から帰ると、その子が興味深そうにブツを出してきていったい何だと聴いてきた。今、一番大好きなバンドのレコードだと説明したら、聴き飽きたら貸してほしいという。ちょっとした下心もあったので、そのレコード全曲と予約特典のソノシート「バキューム」と「解剖室」をカセットに録音して翌日貸してあげたら、その翌日蒼い顔して返してきた。それ以来朝晩の挨拶以外は口をきいてくれなくなった。このアルバムは「バイバイ・ニーチェ」となんといっても「アクマデ憐レム歌」だろう。むろんメロディはストーンズのシンパシー・フォー・ザ・デビルだが、いきなり♪お袋の肉は不味いぞ、脂肪が厚くて噛みきれ無いのさ~と始まる。こんな歌を喜んで聴いている人間とは「付き合いたくない」のは当然か(笑)。

 などと思い出を書いていくと、僕の労働履歴がすべて分かってしまうのだが、この続きはまた改めて書きたい。しかし、今回のミチロウの訃報を知って自分の持っているアナログ、CD、DVDなどを調べてみたら結構あった。以下、忘れないために列記しておく。

ザ・スターリン~『Stop Jap』(アナログ、CD)、『虫』、『Fish Inn』(アナログ)、『For Never』(アナログ、DVD)、シングルで「アレルギー」、「GO GO スターリン」(アナログ)、ミニアルバム『スターリニズム』(アナログ、CD)

スターリン~『JOY』、『STALIN』、『殺菌バリケード』(CD)

遠藤ミチロウ~『ベトナム伝説』(カセット)、『THE END』(アナログ、CD)、Get The Help名義で『オデッセイ・1985・SEX』、『アメユジュトテチテケンジャ』、『GET THE HELP!』、『破産』、『TERMINAL』(アナログ)、『50 (HALF)』、『羊歯明神』(CD)

映画~『爆裂都市』、『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』(DVD)

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Author:drac ob
1975年5月から1981年3月まで、眺め続けた景色から時代と文化が見えてくる。混迷と停滞の時代を撃つ、はずはない。

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