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カラオケで歌った不滅の名曲集

 先日、職場の忘年会があり二次会でカラオケに行った。そこでいろいろ歌ったが、ほとんどの参加者が知らない、知らないというもので、こらあかん、こんな名曲を知らんで死んだら大変なことやとCDを作り、おまけに曲の解説を書いたのだが、もったいないのでここにもアップする。なーに、みんなが知ってる歌ばかり。安心してちょうだい(ここ財津一郎風に)

・不滅の男(遠藤賢司)
 やはり、オープニングはこの歌でしょう。胃がんと闘いながらも、今年の10月25日に惜しくも亡くなった純音楽家遠藤賢司が79年にリリースしたハードなパンク・アルバム『東京ワッショイ』に収録された歌。もともとはフォークの出身で三島由紀夫の割腹自殺のニュースと日常の生活を歌った「カレーライス」や自分の飼い猫にネズミという名前を付けて歌った「寝図美よ、これが太平洋だ」など少し人とは違った視線で歌うスタイルと唯我独尊的ギターはカッコよかった。『東京ワッショイ』の素晴らしさに感動したPANTAと鈴木慶一は、それ以来交流を深めた。エンケンの自宅に押しかけて、このアルバムはすごいと絶賛したそうだ。その縁があってエンケンバンドにTOSHIが参加したり、2002年発表のアルバム『幾つになっても甘かあネェ!』に3人ともコーラスで参加している。そうそう、ウシャコダもバンド・デビューしたばかりの頃で、『東京ワッショイ』とその次の『地球防衛軍』にコーラスで参加している。さらにエンケンの結婚式にバンドで登場しPANTAのバックで「さようなら世界婦人よ」を演奏したという信じられないエピソードもある。

・うちわもめ(センチメンタル・シティ・ロマンス)
 73年にデビューした名古屋出身のバンド。元はっぴいえんどの細野晴臣がプロデューサーとして1枚目のアルバム『センチメンタル・シティ・ロマンス』をリリース。その記念すべきアルバムの1曲目に収録されシングルにもなった曲。日本のロックバンドとは思えないくらいの音の抜けの良さ、キャッチーなメロディに抜群のハモリ、LAの風を感じさせるまさにシティ・ロマンスなバンド。自分たちのバンド名を書いたトレイラーに楽器を積んで全国をツアーするというスタイルもユニークだった。デビュー・アルバムを出した後にメンバーは名古屋市長からロスアンジェルス市長へのメッセージを携えて渡米するという今ではちょっと考えられないような出来事もあった。オリジナル・メンバーの告井延隆は2013年にバンドを離れ、今はアコースティック・ギター1本でビートルズの曲を完全コピーするという独自の活躍をしている。おっとセンチメンタル・シティ・ロマンスはまだまだ現役。

・カモナ・ウシャコダ(ウシャコダ)
 千葉県松戸市出身の同級生が中心で作ったバンド。78年ヤマハ主催「イースト・ウエスト78」(関西では8月8日に決勝戦をやるので8.8ロックデイというイベントだった)最優秀グランプリを受賞。シャネルズやサザンも登場したイベントだ。79年デビュー・アルバム『土一揆』にも収録されているが、スタジオ録音はセカンド・アルバム『パワフル・サラダ』に収録されており彼らのテーマソングといえる。デビュー当時は全員が農作業姿、ベースの恵福は実家がお店だったので恵福商店の前掛けをしており、MCで「お買い物は松戸市の恵福商店にどうぞ」なんて言ってた。ステージではジャンプといって観客全員にジャンプを強制させたり、躍らせたりコミック・バンド的だがソウル・R&B・ブルース・レゲエなどさまざまな黒人音楽の要素を上手く吸収して自分たちのものとしている。しかし、「キン作カッポレ」がボブ・マーレーのレコードを聴いているときに出来たというのは何かの間違いではないかと思いたい。

・アフリカの月(大塚まさじ)
 ディランⅡを解散して歌うことをやめるつもりだった大塚まさじに西岡恭蔵が作ってプレゼントした曲。西岡恭蔵の奥さんであるKUROちゃん(安田大サーカスじゃないよ)が初めて作詞した歌としても有名。アレンジは当時ジャズの影響が強かった故石田長生。大塚まさじの1枚目のアルバム『遠い昔僕は…』に収録されている。数多くのシンガーにカバーされているが、個人的にはCARMEN MAKIが最高だと思う。アルバムではこのバタ臭い歌に続くのが「天王寺想い出通り」。石やんのギターも渋いが、歌詞が泣かせる♪小便臭いプラットホームが道の下にある 昼寝息を殺したあの路地裏には昨夜の女と男の黒い秘密がある~。そうか、このアルバムには「うた」も入っている。こちらは是非YOU TUBEでお聴きください。ザクロの花がオレンジ色してるというのは「うた」で初めて知りました。

・ろっかばいまいべいびい(西岡恭蔵)
ゾウさんの歌を1曲。吉田美奈子のカバーのほうがオシャレで歌も上手いのだが、オリジネーターというのは味がある。スリー・ドッグ・ナイトの「オールド・ファッションド・ラブ・ソング」よりポール・ウィリアムスのほうが、二ルソンの「ウィズアウト・ユー」よりバッドフィンガーのほうが味があると思うのだ。しかし、この歌、実はオリジナルは先ほど登場した細野晴臣である。はっぴいえんどを解散した細野がソロで『HOSONO HOUSE』というアルバムを発表。そこに収録されていた歌を2年後、西岡恭蔵が自身の3枚目のアルバム『ろっかばいまいべいびい』に録音。ただテレビなどのクレジットでは作詞・作曲西岡恭蔵となっているのを何度か見かけた記憶がある。当時はJASRACもあまりうるさく無かったんだろうか。あ、オレ、これはカラオケで見つけきれず歌ってなかった気がしてきた。いいんだいいんだと、次に歌うんだ。

・てぃーんずぶるーす(原田真二)
 出た、フォーライフ・レーベルの秘蔵っ子、なんつっても今じゃ誰もご存じない。芸能人のゴシップ好きな人だと松田聖子と一時期噂になった二枚目というところか。しかし、この人はすごかった、広島の高校生時代に修学旅行に行かず、そのお金を自宅のレコーディング費用にした。そこで作ったテープをフォーライフに送り、それを聴いた吉田拓郎が腰を抜かし、3枚連続シングル・デビューという荒業を使ったのは衝撃でした。ちなみに「てぃーんずぶるーす」「キャンディ」「シャドーボクサー」の3曲。トリプル・シングル・デビューなどと歌っておきながら彼のファースト・アルバムにはこの歌と「キャンディ」の2曲しか入って無かったのを覚えている。今、新書で『阿久悠と松本隆』という本を読んでいて、丁度この時代の話になっている。当時の歌謡曲業界には沢田研二、ピンクレディー、キャンディーズさらに都はるみに石川さゆりという錚々たるメンバーがひしめきあい、またロック、ニューミュージックからCHAR、世良公則&ツイスト、ゴダイゴ、甲斐バンド、アリスなどこちらも強烈なメンバーがいる中で、弱冠10代の原田真二の快進撃は素晴らしかった。

・風をあつめて(はっぴいえんど)
 いわずとしれた日本語のロックを作り上げたはっぴいえんどの2枚目のアルバム『風街ろまん』に収録。細野晴臣、松本隆はすでにこの文章にも登場している。後は大瀧詠一だが、彼の歌は難しいのよ。「君は天然色」や「恋するカレン」なんかをカラオケで上手く歌うとバブリーなギャルがナンパ出来た時代もあったな(遠い目)。もとい、はっぴいえんどはもう語る必要のないバンドとして飛ばす。

・ダイナマイトに火をつけろ(ボ・ガンボス)
京大出身のどんとが作ったバンド。京都のライブハウスで活躍していたメンバーが中心。前身はローザ・ルクセンブルク。その頃から「在中国的少年」とか「さいあいあい」、「おいなり少年コン」などと人を食ったタイトルの歌が多かった。まあ、ボ・ガンボスになってからも「魚ごっこ」や「ずんずん」、「見返り不美人」とかやはり変なタイトルが多い。タイトルは変だが音は最高。疲れてきたので後は少し手を抜く。

・ロマンチスト(ザ・スターリン)
 ご存じ、遠藤ミチロウのメジャー・デビュー曲といっていいか、アルバム『STOP JAP』の1曲目。「不滅の男」遠藤賢司としゃれで遠藤兄弟と名乗ってステージに立ったことはあるが、血縁関係はない。今思いだしたがミチロウのエンケンに対する評価で「中間がない」という言葉がある。エンケンの歌や演奏は動か静のどちらかで、その中間というものがないという意味だ。この歌は最初は「主義者」というタイトルだったが、「ロマンチスト」に変わって正解だと思う。「主義者」じゃ普通の人間は聴かない(笑)。ステージでは豚の内臓や頭をぶちまけるとか鶏の首を切ったとかスキャンダルな話題が先行したが、本人は至って静かなインテリ。吉本隆明のファンだというのもうなづける。膠原病からようやく回復しつつあるが、今後も元気で音楽活動を続けてほしい。この曲をアコースティック民謡パンクにした「ロマンチスト音頭」も最高。

・ヒッピーに捧ぐ(RCサクセション)
 RCが不遇な時代に作ったアルバム『シングル・マン』に収録されている。歌詞はほとんど実体験。名曲であるがみんなで盛り上がるカラオケにはちょっとな。誰だ、こんな曲入れたのはと他人だったら必ず怒る。

・イムジン河(ザ・フォーク・クルセダーズ)
 故加藤和彦、故はしだのりひこと北山修の3人で結成したというのは間違いで、解散記念に作ったレコードから「帰ってきたヨッパライ」が大ヒットしてしまい、1年限定でプロとしてやるために作られた3人組のフォークル。そのうち2人のメンバーがもうこの世の中にいない。あれ、オレはあの時は「悲しくてやりきれない」を歌ったんじゃ無かったか。ま、どちらもいい歌ということで。

・アンジェリーナ(佐野元春)
 この人はデビューしたときはブルース・スプリングスティーンのパクりだと軽く見ていたが、なんのなんの。歳も近いせいもあるが、シンガーでソングライターでアレンジャーで、そしてとても真面目な人なのだ。歌としては「彼女はデリケート」のほうが好きなのだが、この歌は疾走感と独自の言葉の韻が心地よくつい絶叫してしまう。1980年3月彼のデビュー・シングルである。

・今宵の月のように(エレファント・カシマシ)
 もう説明はいらないかな。実は彼らのアルバムは1枚目と2枚目が大好きだった。レーベルで言うとエピック・ソニーの時代。しかしながら全然一般的な人気は出ず、彼らがポピュラーになるのは「四月の風」が収録された『悲しみの果て』、レーベルで言うとポニーキャニオン時代からである。しかし、本当のエレカシの良さは「待つ男」とか「おはようこんにちは」にある。カラオケのリモコンで探したがなかったので、ちょっと一般受けしようという下心からこの歌を選んだことは反省している。

・大和ぬ風(ヤマトヌカジ 下地勇)
 沖縄は宮古島の方言で歌う、多分この世界でたった一人のシンガー、下地勇(現在は下地イサム)。同じ日本語とは思えないというか、沖縄本島の人でも意味が分からないという宮古島方言(ミヤクーフツ)。メロディはいろんな洋楽の影響を受けてはいるが、やはり彼ならではのものも多い。この歌は宮古島から出て本土に渡りおお金持ちになって帰ってくると大口たたいた息子が母親に向かって覚えたのはタバコだけだったという内容。

・バラッドをお前に(THE MODS)
 ビート・バンドが売れた時代が一瞬遭った、もっと正確にいうと福岡出身のビート・バンドだ。めんたいビートなんていわれたっけ。MAXELLのカセットのCMソングに起用された。この曲の入ったアルバム『HANDS UP』は初回限定盤にはTシャツが付いていた。それを嬉しそうに着てハワイで撮った写真があるが誰にも見せて居ない。てか、今調べたらMAXELLのカセットのCMソングになったのは「激しい雨が」のほうで、こちらはドラマの主題曲だった。お詫びして訂正いたします。

・子供達を責めないで(伊武雅刀)
 まさかあれほど受けるとは思わなかった。本当はスネークマン・ショーの「咲坂と桃内のごきげんいかがワン・ツゥ・スリー」を探したが無かったので、たまたま選んだ歌。オリジナルはサミー・デイヴィス・ジュニアというれっきとしたシンガーの子供たちへのメッセージ・ソングだったのにスネークマン的解釈で大人が子供を嫌う歌になっている。

動画を付けたほうが親切かもしれんが、もう疲れたので、また。
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