サンダカン八番娼館 望郷 その2

サンダンス・キッドじゃない、サンダカン

 ずいぶんご無沙汰なエントリーですが、その1を書いておきながらその2を書かない、なんてのはいけません。何の話かというとEVEのお話ですよ。えっ、ご存じない。そうか、もうずいぶん前の話しだし、先月書きかけてそれっきりだからわからない人がいるかもしれない。そうだ、こういうときのために「前回までのあらすじ」というのがあったな。あれをやってみよう。

 前回までのあらすじ・・・修学院に夜毎はびこる野菜泥棒を捕まえるために僕は同級生のS戸君と一緒に先輩のI上さんの下宿に泊まりこんでいた。泥棒が出てくるのは当然夜中なので昼間は学園祭の準備で立て看を作ったり、他の大学に営業に行ったり、ディスコ用のレコードをセレクトしたり細々した雑用を捌いていた。さて夜になり、あたりを見張っているうちにだんだん腹も減ってくる。眠気覚ましにやっていたマージャンのメンバーも同様に空腹を訴えてくる。しかし、今と違ってコンビニなどない時代。買い置きのラーメンなどもなさそうだ。I上先輩は土鍋と出汁はある、肉や魚も少々ならある。しかし鍋には大根や白菜、ねぎといった野菜がないと盛り上がらない。買いに行くにも店は閉まってるが、窓から下を見ると広大な大地に自然の白菜や大根、ねぎが生えているではないか。これぞ天の助けとばかり手当たりしだいいただいたが…。早い話野菜泥棒は僕たちだったというお粗末(なんだかあらすじがずいぶん違うような気がするが、あまり細かなところは気にせず、歴史のダイナミズムを学ぶようにしよう)。

 と、まあこんな具合で学園祭前の準備期間中先輩の下宿に居候を決め込んでいたのだが、さすがに連日となると嫌がられ、お前も自分の下宿に帰れなどといわれ、それもごもっともな話とその日は自分の下宿に帰った。僕の下宿は木造二階建てで格子戸をくぐり抜け入って来ると北向きのドアがあり、そこが2階への入り口になっていた。そのドアを開けて靴を脱ぎ右手で部屋のブレーカー(2階には3部屋あり、壁にブレーカーが3つ並んでいた)のスイッチを上げようとしたら、すでに上がっていた。当時は冷蔵庫など持っていなかったし、何より貧乏学生の悲しい性で部屋を出るときは本能的にブレーカーを落としていたから、おかしいなと思いながらも階段を上がっていった。僕の部屋は階段を上がってすぐの部屋だが、鍵をしているはずのドアが少しだけ開いており、部屋の中に人の気配がする。

 泥棒かと思い恐る恐るドアを開くと、中にいた男と視線が合った。「Y尾か?」。高校の同級生だったY尾とN井が僕の部屋の万年床に寝そべっていた。何でこいつらが僕の部屋にいるのか、だいたい彼らはO分大学(すべってころんでオオイタケンという精神年齢3歳くらいの洒落にしかならない九州の地方都市ですって匿名になってないがな)の学生のはずなのに何で京都の僕の部屋にいるのか、わけが分からず僕は自分の部屋の前で茫然自失の状態だった。

 「腹が減った、何か食わせてくれ。それから風呂に入れてくれ。詳しい話はそれからだ」とY尾君。僕もはじめは驚いていたが、高校時代に馬鹿ばっかりやっていた仲間だったのでとりあえず近くの定食屋に二人を連れて行った。飯を食いながら話を聞いたが、彼らは大学の秋休み(国立大学にはそういう試験休みの期間があるらしい。あ、白いヘルメットを被った人が多かったT崎経済大学も秋休みがあったから、国公立と言うのが正しいのか?)、を利用して日本アルプスだかなんだか知らないが、山登りを決行し、それは良いのだが帰り道にお金が足りなくなり、僕が京都に住んでいることを思い出したので、とりあえず京都駅まで来たらしい。そこから公衆電話で(!これを読んでるお若いの、引いてはいけない。前の世紀では赤やピンクや青の電話機が駅や町中においてあり、10円玉や100円玉を入れると通話が出来たんだ。しかもコレクトコールと言って受信したほうにお金を負担させると言う裏技もあったのだ)僕の実家に電話して、下宿の住所を聞き京都駅から修学院までの道のりをリュックを背負ってひたすら歩いたらしい。

 下宿にようやく辿り着いたが、僕は不在。夜になっても帰ってこない。思い余った挙句、下宿の大家さんに事情を話して合鍵で僕の部屋に入れてもらったとのことだった。当時の僕はその下宿の大家さんから、しょっちゅう徹夜麻雀をやるは、髪の長い得体の知れない連中の出入りは多いは、夜中に気勢(奇声と言っても変わりはない)を上げるは、はっきり言って要注意人物と言うか下宿の平穏を乱すロクデナシと思われていたはずだから、彼らが無事に部屋に入れたことは単なる僥倖であろう。あるいは、見るからに純朴そうなN井が拝み倒したのかもしれないが、何とか雨露をしのげる場所は確保できたが、問題は食料で1円も持ってなかった彼らは僕の部屋を家捜しして、保存食のインスタントラーメンはすぐに食べつくし、本棚におつりでもらった小銭を入れてる箱を見つけて、その中の1円玉や5円玉をかき集め、食料品を買い込んだが、1日、2日と日は過ぎるものの僕は一向に帰ってこないので、下宿の大家さんからも不審がられて身動きが取れない状態だったらしい。

 「お前はいったい何をしてたんだ。大家さんもこの部屋は汚いと文句言ってたぞ」と腹が満ちてくると人はおのずと饒舌になるもので、二人は口をそろえて山登りの楽しさと、帰りに計算してお金が足りなかったときのショック、京都に辿り着いて駅から僕の下宿までの遠かった道のり、僕がいかに下宿の大家からにらまれているかといった話を延々と始めた。最初は面白がって聞いていたのだが、そのうちだんだん気分が悪くなってきた。いや話の内容ではなくて、本当に胸がむかむかしてきたのだ。そのことを二人に話すと「そういえばもう1週間以上風呂に入ってないから、その臭いが原因では…」と言い出した。確かに気が付いたらものすごい異臭がする。風呂に1週間くらい入らないというのは、風呂代節約の手段としては、もっとも安易な方法だが彼らは、体力の限りを使って山登りをして、汗まみれになりながらも風呂に入っていないから、悪臭も当然であった。

 一乗寺に、もうなくなってるだろうが雲母湯という銭湯があった。雲母と書いてキララと読むことをこの風呂屋で教わった。今は風呂付のアパート・マンションがほとんどなので、ちょっと信じられないだろうが、左京区のとりわけ一乗寺・修学院付近の銭湯はスラムというかゲットーというか、まあその長髪の小汚い貧乏学生がウンカの如く集うことで有名であった。その雲母湯に夜の7時代に行くというのは朝のラッシュの山手線に乗るようなものであった(ちと大げさかな)。とにかく壁側のシャワー付洗い場など絶対に空いておらず、中央部にまるで公園の噴水場みたいな洗い場に、それこそ芋の子を洗うが如く人間がうじゃうじゃうじゃうじゃ…(さあ、みんなで歌おう!♪単純なくせに数だけ多い、ゴキブリみたいに数だけ多い、うじゃうじゃうじゃうじゃ…by Stalin)。僕は長湯をするとのぼせてしまうというか、江戸っ子の特質で風呂は早い。これは未だに家族みんなから言われるのだが、お風呂に入るといったと思ったら上がっているという按配だ。

 したがって、髪も洗ってなるべく時間をかけたつもりだったが、熱さで目がくらみそうになったので二人に声をかけて先に上がった。扇風機に当たりながら髪を乾かして待っていたが、出てこない。久しぶりの風呂だからゆっくりしているのだろうと、待っていたがとんと上がってこない。いくらなんでも遅すぎる。のぼせて倒れたんじゃないかと心配になり、もう一度風呂に入ろうかとしていたときに二人が出てきた。びっくりした。人間ここまで色が白くなるもんだ、というか今までの黒さは何だった、しかもやつらは僕の布団で寝ていたはずだから…。考えるのはやめた。とにかく今は汚れも落としてすっきりしてるんだから、野暮は言うまい。

 その日はほかの大学に行ってる高校時代の友人なども呼んで、宴会だった。次の日は彼らが僕の大学に遊びに来るというので案内した。ちょうど学生会館のホールで映画が上映中だった。カンパ制というのが彼らには新鮮だったようで、じゃ一緒に見るかという事になり、3人分のカンパ300円を払ってホールに入った。紫の煙が漂う学生会館ホールの雰囲気は彼らも気に入ったようだった。映画が始まった。高橋洋子は可愛くて、栗原小巻がまだきれいな頃で、田中絹代は鬼気迫る演技だった。ストーリーは、貧しさのために娼婦になった女性の一代記で、第二次大戦前後の世情や当時のアジアの様子なども写していた「サンダカン八番娼館 望郷」である。当時の天草の貧しさ、その中で懸命に生きようとした主人公に時代の荒波が押し寄せそして…という映画であった。

 見終わった後、三人とも言葉がなかった。まだ19歳だった僕たちは「お金で人間を買うことがすべての不幸の原因である」みたいな結論に達して、お金が自由に使えるようになってもそんなところ(どんなところや?)に行ったらイカンゾとか、お前は今はそんなことを言ってるが、目の前に誘惑があったら真っ先に転ぶタイプやとか、なぜかお互い攻撃的になりつつも、やっぱりお金でHを買ったらあかん、あれは愛情や、最大のコミュニケーションやなどとわけの分からないことを言ってそのときの感動を心にしまったのである。ちなみに彼ら二人がその約束を守ったかどうかは知らない。僕はと言えば、あっ、しまった。もう遅い。明日も早いので、今日はこれで終わり。肝心の我がサークルのゴーゴーアンドディスコ(何度書いても恥かしいが)喫茶「王将」の話はまたいつの日にか、ご披露しよう。そうそう、その後のY尾君は銀行にN井君は学校の先生になった。飯を食わせて風呂に入れてやり、さらには帰りの旅費まで貸してやった僕は、ルンペンプロレタリアートである。世の中の不公平さを感じる。

スポンサーサイト

コメント

こんばんは。
ちょっとした青春感動巨編でした。続編を秘かに待っていた甲斐がありました。
ところで雲母湯ですが、まだ現存してるはず。一乗寺界隈や北白川はまだまだ銭湯が残っています。
ボクの家からでも歩いていけるところに3軒の銭湯が営業してます。

もりさん、褒め上手ですね。

ワタクシ典型的な「おだてりゃブタも木に登る」タイプなので、どんどん褒めてください。お互いに褒めあってブログの質と内容を向上していきましょうって何のこっちゃ。

そうですか、雲母湯まだ生き延びていますか。ということは、学生アパートで風呂なしのところに住んでる貧乏学生がまだ多いということですね。良かった、この国にもまだ希望がある。

銭湯で番台の目を盗んで、パンツを手洗いする銭湯ゲリラをやらないと人は大人になれないというのが、僕の人生哲学のひとつです。女湯を覗くという、大人への階段(ツェッペリンみたいだな)についてはまた改めてコメントしたいと思います。

修学院の農家から野菜を盗んだのはお主達だったのか(笑い)キララ湯はまだあります。3時過ぎになると車で銭湯に来る人が増え、あの狭い道にいっぱい並んでいます。マキを燃料使っていたようですが、さすがに今は・・・・小生もお世話になっていて、去年も行きました。後は山端に一軒、神社の前を北に行ったところで、家内の友達の「トンちゃん風呂」(正式名知らず)は今はもうありません。
キララ湯の客層、昔と違い学生はそんなに多くなかったです。地元の古い人たちと思しき常連が多かったみたいでした。家に風呂があっても入りに来るのかもしれません。

失礼しました、sawyer先輩の所にも

盗んだ野菜の分け前を持っていくべきでしたって、それは違うか。いやぁ、修学院の畑は見張りもおらずちょろい、ちょろいってこっちも違いますね。まあ、若気の至りということで笑って見逃してください。

山端の銭湯は記憶にあります。「トンちゃん風呂」にもお世話になったのではと、思いますが雲母湯が一番印象に残っています。ご指摘の通り今時銭湯通いするのは、昔からの銭湯ファンだけかもしれませんね。宮崎にはもうほとんど銭湯はなくて、うちの子供たちが幼稚園のときに体験学習として保母さんたちが連れて行ったくらいです。まさしく"For the times they're changing~"です。
非公開コメント

プロフィール

drac ob

Author:drac ob
FC2ブログへようこそ!

月別アーカイブ

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ブロとも申請フォーム

FC2カウンター

FC2カウンター

現在の閲覧者数:

QRコード

QR

鳩時計

フリーエリア

ブログ内検索