セキララ同窓会日記~シラカバ派風に

 いや、しかしあてにならないのは人の記憶。そして、進歩のない人間は何年たっても全然変わらない。という2つの真実を知ったのは先日のことだ。実は、先週5年ぶりに高校の同窓会があった。大学時代とか社会人になったばかりの頃は高校の同窓会が好きだった。理由は簡単で、同級生に好きな女の子がいて、その子と会えるのが楽しかったからだ。しかし、その彼女も人の妻になり、あ、その旦那も同級生でどうも具合が悪いのだが、ま、そんなこんなで同窓会なんて面倒になってずっとご無沙汰していた。大体、同窓会なんて単なる懐古趣味じゃねーか、社会的に成功した奴は自分の自慢話をしたがり、そのおこぼれにあずかりたい奴はコバンザメみたいにくっついて、お前はタイコかと言いたくなるくらいのへつらい方、そしてオイラみたいな世の中斜めに見ている奴は会話の中にも入れず大変居心地が悪い。それでも誰かがこちらの存在に気が付いて、「お、drac-ob、久しぶり、いま何してる?」などと聞いてくる。こちらの状況を説明するのが面倒なので、5年前の同窓会では「職業革命家だ」と答えてカタギの真面目な連中の目を白黒させたこともあった。

 ま、そんな性格なので同窓会なんて知ったことかと思っていたのだが、去年から店番していたロックバーで、その同窓会の打ち合わせを定期的やるようになり、自慢じゃないが僕のいた高校3年の時のクラスは消息不明の輩が多く幹事などやるやつがいなかったので、いつの間にか貧乏くじ的に役員にさせられてしまった。もっとも最初はやる気満点だった。今はもう時効になったから書いてしまうが、実はこの同窓会に大きなイベントを仕掛けようとしていたのだ。僕のいた高校は地元では、いわゆる進学校で国立大学に何人合格するかだけが評価基準の学校だったのだが、それでもそういう体制に反抗するロックな奴らはいた。有名どころでは元サザンオールスターズのO森、そして現サザンオールスターズのM田。この二人に一発、還暦ライブやってもらい同窓会を盛り上げようとロックバーのマスターから極秘計画を打ち明けられた。そりゃ面白い、やるべ、やるべと同意したのはもちろんワタクシであるが、いろんな問題があった。そもそも、同窓会がメインなのになんでドンバの演奏を聴かないかんのやなどと反対する勢力がいた。しかも結構な人数で。

 しかし、敵は幾万ありとても全て烏合の衆なるぞ、大義はこちらにある、破邪顕正の剣を受けてみよ的なことを会議で発言し何とか路線貫徹で行けるかと思ったが、メジャープロダクションからのプレッシャーは凄まじく、M田が引いてしまった。彼が悪いとかいうことでは全然なく、ケツの穴の小さいモンキービジネスの会社が事前に察知して圧力をかけたのだと思う。実はこの同窓会の打ち合わせは今年の1月から定期的にロックバーで、しかも僕の出勤日の水曜日に行われていたので、当然、最初は皆勤賞だった。ところが、イベントの話がO森だけになったころから、たまたまであるが僕自身も宮崎国際ジャズデイの実行委員に入れといわれ、相手はなんといっても高校の先輩で、さらにフランシス・マバッペや西藤ヒロノブ、最近ではスィングMASAやウィーピング・ハープ妹尾のライブなどを見せてもらったH高社長からの声かけなので、これは1も2もなく参加せざるを得なかった。そのジャズデイの会議が木曜に行われることが多く、必然的に同窓会の打ち合わせは欠席せざるを得ず、他の幹事諸氏に任せっぱなしになっていった。

 で、Time fade awayてなもんで、気が付けば8月も終わりになっていたのだが、ロックバーの最後の店番の日にオーナーからメールが入り、会費が振り込まれてないがどうなっているんだとやや怒り気味。正直言うと、イベントの話がぽしゃってからは、少し情熱も覚めており、今年の秋・冬は見たいライブが沢山あるし同窓会でお金を使うより、バックレて乏しい小遣いをライブの費用に回そうと姑息なことを考えていたのだ。しかし、僕が電話やメールで参加を誘った人もいるし、人を誘っておいて本人がゲルニするというのは、これは倫理に反すると思い直し、泣く泣く大枚8000両を封筒に入れて店のレジに入れておいた。すると翌々日にはハガキが届き、そこに入金お礼と抽選番号が書いてあった。要するに当日の現金授受は役員が大変なので、全て振込にしてチケット制にしようというコンセプトだったのだ。結果的にこのシステムは当日大変役に立った。何しろ現金管理がいらないし、受付も単なる案内で済んだのだ。

 入場ハガキも来たので覚悟を決めて(いやいやそんな大層なもんじゃないが)、当日の準備をした。実は同窓会の前日にロックバーのピンチヒッターで店番していたら、東京から帰省してきた同級生が客でやってきた。その時の会話で当日の服装はどうするかという話になり、彼はジーンズで行きたいけど大丈夫だろうかと相談を受けた。会場は地元ではまずまず有名なホテルなので、それなりの格好をするのが良識ある大人というものだろうが、ちょっと待て。オレたちゃロックなんてカタワな音楽が好きなはぐれものやないけ、ジーンズのどこがあかんのや、それやったらオレはアーミーパンツ履いていったるわいと啖呵を切るのは、無論ワタクシ。そして、よくよく考えたらあの素晴らしきZEK3が今秋ついにアルバムデビューするじゃないか。その事実を1人でも多くの同志・友人諸君に知っていただかねば男が廃る。よっしゃ決めた。オレはZEKのTシャツにアーミーのズボンは流石にまずいのでカーゴパンツ。そして情宣用の黒ヘルメットをリュックにしのばせた。

 当日の開場は17時半からだが、役員は15時、遅くても16時45分までに集合とメールが来ていたので、自宅を15時過ぎに出てバスに乗ろうとしたら、会場のホテルまで直通のバスがない。いや、あるけど最短距離で行くのは本数が少なく、街中を大きく迂回していく路線しかなかった。面倒だったので歩くことにして、マツキヨで(余談だが先日パンタがFBの投稿に「マツキヨ」と書くべきところを「やすきよ」と書いていたので、「そら漫才師でっせ」と余計な突っ込みしたらスルーされた。昔から余計なことを言って人から嫌われるのは僕の特技である、エヘン)、水分補給用のミネラルウォーターを購入。気分は密集したデモの隊列のつもりだが、その実態は一人とぼとぼ会場に向けて歩くのだった。目指すホテルに着いたのは16時ちょっと前だった。3階の会場までエスカレーターで上がっていくと2階に控室があった。その前に大きなテーブルがあり、そこにギターが置いてあった。そのギターの前にO森がいた。思わず「O森!!」と高校時代のノリで話しかけたが、彼は僕が誰だか分からなかったようだ。名前を言ったら、分かったのか分からなかったのか、あいまいな微笑を浮かべた。彼から他の役員たちは既に3階で準備中だと聞いたので急いでそちらへ向かった。会場に行くとほとんどセッティングは終わっており、後は受付のテーブルや抽選会の品物の準備が少しあるだけだった。今回の同窓会のまとめ役であるI手君から声をかけられ、各テーブルに今度O森がリリースするニューアルバムのチラシと申込書を配布するよう言われ、何人かで手分けして行った。それをやっていると突然背中を叩かれた。振り向くと高校3年間同じクラスで、大学卒業後は某国営放送のアナウンサーになったS尾君だった。去年の3月に本人が希望していた仙台局に転勤になったから1年半ぶりくらいである。そういえば今日の司会進行は彼だった。「お前、ZEK3がアルバムデビューするの知ってるか?」「いや知らんかった」「こういう大事なことはみんなに知ってもらうことが大事だから、今日のイベントの途中で乱入させてくれ。ヘルメットもタオルもちゃんと持ってきたから」「分かった。タイミングを見てやろう」などと、その場でイベントへの乱入計画を立案。そのあとは先日地元で行われた沖至のライブに行けなかったことをお互い悔みあった。S尾君は有給がかなり残っているので今日から10日間休むのだが、2日早く休みを取っていれば沖至が見られたと悔やむことしきり。揚句は僕に、「お前は行こうと思えば行けたのに、なん考えちょっとか。沖至ぞ、絶対次は見られんぞ」とまあうるさいことこの上ないので、適当に相槌を打ちながら会場の入り口方面にゲルニした。

 開場は17時半からだが、早く着いた人たちがチケットを見せて受付をどうしたらいいか尋ねていた。クラス別に丸テーブルを配置して、席には高校卒業後40数年経過して、昔と180度変わってしまったやつも多いことから、高校の卒業アルバムから抜き出した顔写真入りの名札を用意していることを説明。その名札を体に着けるよう話して、随時会場に入ってもらった。なんとなく、その場の流れで受付のテーブルに居着いてしまい、そのまま来客者を誘導案内することになった。事件はそこで起こった。頭はほとんど白髪で物腰の柔らかそうな男性が受付に来たその時、「あ、S藤先生。お久しぶりです」と叫んだ元女子高生がいた。ん、先生か、この人と疑問に思ったその瞬間、「ぼ、僕は先生じゃ無くて生徒のほうです」と半泣きの声。おいおい、あんまりだろうよ、同級生を先生と間違うのは失礼だぞ。その先生に間違われた彼は、心なしか背中を丸めて会場に入っていった。そのすぐ後に、こちらは間違うことなく英語の先生だったU宿先生が来られた。片手に杖を持っており、歩くのも少し難儀な感じ。同級生を先生呼ばわりした元女子高生(イニシャルは出さない、武士の情けだ、笑)に、「さっきの彼には、『あのU宿先生と同い年ですね』って言ったのとおんなじだよね。彼は傷ついただろうな、可哀相に」などと傷口に塩をすり込むようなことをいうのももちろんワタクシであった。

 そのU宿先生を紹介するエピソードがないと司会のS尾君が困っていたので、1つ思いだしたことがあった。この先生、しゃれや冗談が好きというか、いまでいうオヤジギャグを授業中に炸裂させるという裏技を持っていた。面白ければ生徒全員、腹を抱えて笑うのだが、いかんせん、あまりにしょうもないネタばかりで、クラスの秀才連中と出来の悪いのは全く笑わず、中間層の、出来れば授業中あんまりオレに当てるなよ、それでも当てるならなるべく簡単な、そうそうアクセントとか熟語あたりにして間違っても構文とか英文解釈を当てんなよ、このやろ的な中間成績者がお愛想で苦笑いするケースが多く、したがって非常に陰気な授業風景だった。あるとき教科書に”lament”という単語が出てきて、これは「嘆く」とか「悲しむ」という動詞あるいは名詞で、第2期キング・クリムゾンにも「ラメント=人々の嘆き」という名曲があるが、それが形容詞になると”lamentable”になるといわれた。あまりにもくだらないしゃれだったので、いまでもU宿先生の口調を覚えているが「ラメンタブルは『悲しい』、うん、つまり『ラーメン食べる』と『悲しい』わけだ」。この時はクラス全体に、まさに「悲しい」沈黙が漂ったが、何、先生、そんなことではめげず、そのあとの授業もときどきオヤジギャグを披露しては教室中の空気を凍らせていた。



 さて時間も17時半過ぎると、次々と会場に人が入ってきた。受付といっても、単に座席の位置を案内するくらいしか役割はないのだが、それでも忙しく応対していると、明らかに見覚えはあるのだが、名前が出てこない同窓生、同級生も次々入ってくる。また先ほど、同級生を先生と間違うとは何たる体たらくなどとエバっていたが、え、マジでこいつは同級か、そんなはずはないと思いたくなる人もいたが、そこはぐっとこらえて基本、同級生に対する接客態度を継続した。ウェルカム・バンドの演奏が始まり時間も18時になったので、受付にいたメンバーもそれぞれ自分の3年の時のクラスのテーブルに分散した。僕のクラスは参加者が少なかったが、それでも2テーブルに分かれていて、僕の席は美しい(これは書いておかないとね、サービス、サービス)2人の女性に挟まれたところにあった。右にいた女性はすぐに顔と名前が出てきたが、左にいる人が分からない。こちらが分からないのだから、先方も分からない。お互い名札を見て、「え、あなたが」「え、君が」と思わず声を飲み込む。なんと先ほど受付で座席の位置を教えたH園さんだった。

 1テーブルに8名ほど座っており、乾杯の合図で一緒にグラスを鳴らし祝杯をあげた。それからおしゃべりが始まったのだが、しかし、今回の同窓会ばかりは本当に立つ瀬がないというか、身の置き所がないというか、ああ、オレは昔からバカでアホだったと思わされることばかり。まあ外見が大きく変わったせいもあるが、最初に言われたのが「drac-ob君て黒縁の眼鏡に天然パーマの長髪ってイメージが強かったよね」「悪かったな。今はメタルフレームの眼鏡に、パンクス並みのショートカットじゃ」「…」。どうもショートカットというイメージではないらしい。何やらやたら人の頭というか額の部分を見る。確かに昔から額は広かった。20代のころのブライアン・イーノくらいあった。で、今は50代後半のブライアン・イーノくらいある。って、イーノを知らない人には全く分からないか。ま、髪の毛が若干不自由になっているのは認める。それはいいのだ、人間、歳を取れば髪の毛も薄くなるしハラも出る。その昔は、175センチ48キロのオレが、身長は変わらないものの体重は78キロと30キロは増えたのだから仕方がない。これもタバコをやめたせいだ。ま、それはいいのだが、僕の高校時代の話を聞いて、もう赤面するやら穴があったら入りたいと何度思ったことか。同じテーブルの同級生の生の声を再現する。

 「drac-ob君て、昔からカゲキ、いや、その独特だったよね」「そう、自分を持っていたというか自分の意見を押し通すというか」「メロンパンが好きで昼休みよく食べていたよね」「少し変わったところがあったよね、いや悪い意味じゃ無くて」「うん、ちょっと変わっていた」。「変わっていた」という言葉がエンドレスで繰り返された。やはりオレは高校生の頃からちょっと変わり者で人の意見を聞かず、ものの考え方がカゲキだったのか。メロンパンは確かに好きで、今も時々買って一人で食べている。買ってきたメロンパンを家族に勝手に食べられないように(あ、意図せざる洒落になってる)、冷蔵庫に貼ってあるホワイトボードに『メロンパン、喰うな』と書いて家族全員のヒンシュクを買ったことも1度や2度ではない。しかし、小出しのジャブの後に強烈なフックが来るとは思わなかった。「drac-ob君って、教科書に赤線引かない人だったよね。日本史なんか覚えるところを整理するためにみんな赤線引くのに全然引かない。『どうしてアンダーラインを引かないの』 って一度尋ねたら、『アンダーラインを引くと、そこしか覚えようとしないだろ。僕は歴史の全体を把握したいからアンダーラインは引かない。教科書に書いてあることはすべて理解するつもりだ』って答えた。凄いなって思ったのよ、その時」。いやー、もうアカン。オレは高校生の頃からそんなクソ生意気なこと言ってたのか。歴史のダイナミズムを理解するとか、ええカッコして言うてたんか、などと考えるともうこれはあなた、切腹ものですわ。そのあとも、こちらが全く覚えていないことを聞かされた。「味噌汁が飲めない人だったよね」。いや、それはまだガキだったから長ネギの味噌汁が苦手だといったのが間違って伝わったと思うと心の中でつぶやいたが、周りから見たら味噌汁は飲めないわ、教科書は白紙のまま開いているわ、授業中に突然とんでもない質問をして教師を困らせるわ、1時間自習時間が出来たら職員室に行って次の授業を入れて1時間早く帰るようにしろと、これはオレが単独犯でやっていたわけではなく本日の司会をしているS尾君とタッグを組んでよくやっていたのだが、いやもう恥ずかしい、恥ずかしい。オレは高校時代から全く進歩していないことが良く分かった。

 お酒が回り、食事も進み、それぞれのテーブルから席を立つ人が増えてきた。会場には談話用のテーブルも別途用意していたのだが、やはりみんな話し相手を求めて、他のテーブルに行き、そこに座りこんで談話する人が多い。同窓会の打ち合わせの時に、食事をバイキング方式にするか、それぞれのテーブルにお膳形式でするか話しあい、やはり自分がお金を出した分はしっかり食べたいし、バイキングだといくらでも料理の手が抜けるのでお膳形式にしようと決めた。また、その議題が出たときに、宴がたけなわになってくると他人の席に座って話し込む奴が出てきて、自分の料理が自分の席で食べられないどころか、場合によっては誰かに食べられていたり、ビールや飲み物をこぼされ台無しになることもあるから、談話用のテーブルを作ると決めたのだが、全くこれは使われなかった。僕は根が貧乏性なのと、これまでの社会人生活の中で何が嫌かというと上司やエライサンにおべっか使ってお酌しにいくことが大嫌いだった。よって自分の席を死守し黙々と飲み食いしていたら、いよいよO森君の演奏が始まった。バックを務めるのは地元でも、それなりの力量のあるバンドマンだ。1曲目は何をやるんだろうと期待していたら、なんと「いとしのエリー」だった。え、ま、確かに彼のいたバンドのヒット曲だけど、などと若干違和感を感じたが、O森君のギターとボーカルは中々なものだった。続いて、やはりサザンのナンバーで「旅姿6人衆」。この演奏の途中でトイレに立って、用を済ませて会場に戻って来たら、なんと、O森君は、あの頭脳警察の名曲、内田裕也もレパートリーにしている「コミック雑誌なんかいらない」を歌い始めた。これはもうスタンディング・オベーションどころではない。手を叩きながらステージに近づいた。バンドの演奏と一緒に歌っていたら、司会のS尾君が手招きして何やら合図する。近寄ってみると、小声で「お前、この後、オレがメンバー紹介して合図したらヘルメットで乱入しろ」という。

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 いや、実は僕はやりたくなかった。みんなが楽しく宴に参加している、伝統あるO宮高校の立派な同窓会に黒ヘルの元学生が乱入して式典をめちゃくちゃにする、などというのは過去の遺物、オールド・ファッションド、時代遅れだ。そんなことをして、それでなくても少ない友人を減らし、数多くいる敵をさらに増やすなどというのは自殺行為だ。などと考えるはずは全くなく、二つ返事で自分の席に戻りリュックからヘルメットとタオルを準備してステージ脇に備えた。「…、そしてオン・ギター、我らが同級生、タカシ・O森~」というS尾君の絶叫が響く。会場は拍手で盛り上がっている、その瞬間、S尾君の手が動いた。反射的にステージの階段を上り、マイクを握り叫んだ。「この場に結集されたすべての市民・学生・労働者の皆さんに革命的ZEK3共闘会議を代表して僕のほうからの若干のアピールと問題提起を行っていきたい!!」とまあ、第一声は良かったのだが、実はこのアジ演説ではレッド・ツェッペリンの楽曲だけ演奏するジャズ・ピアノ・トリオであるZEK3、長年ライブハウスでしか見られない、聴けないバンドだったが、満を持してついにアルバムがこの秋に出るので是非みんな買うように、という話をするつもりだったのだが、O森がラストに演奏した「コミック雑誌なんかいらない」が初期頭脳警察の大事な曲であり、曲は典型的なロックンロールだが、その歌詞に含まれる現実に対する批判を、これをアピールしなくてはという考えもあって、結局ぐちゃぐちゃ。最前列にいたやつからブーイングが出たので逆上して「ブーイングは許さないぞ」などと叫んだり、もうわけわからなくなりステージを降りた。そこへまさかのS尾君のインタビューである。あれはちょっとマジで引いた。

 というようなアトラクションもあり、はっと気が付けば宴も終わり。左右の美しきおねいさん2人に、この後はロックバーで二次会と誘ったが、そこはワタクシの人徳の無さ。他の約束があるからとあっさり振られ、振られ気分でロクンロールなどとひねくれていたら、高校1年の時一緒のクラスだった男子2人が声をかけてきてロックバーまでの道が分からないから案内してくれという。シータクに一緒に乗り、ロックバーに来たら、カウンターに同僚のK子ちゃんがいた。カウンターとボックスにはすでにグラスと飲み物、おつまみが用意されている。本日は僕もお客様のはずだが、つい習性で控室を通ってカウンターの中に入ってしまった。それから10分くらい地獄のように人が来て、1人2000円の会費を回収しながら中に入れて、酒や氷やソフトドリンクを次々に運び、リクエストがあればレコードをかけるといういつもの店番の仕事をやってしまった。途中、O森君たちも来たが、人が多くて入り切れずオーナーと一緒にいったん別の店で待機。再度入ったのはそれから2時間後くらいだったろうか。その時に「コミック雑誌なんかいらない」は刑務所の中の風景の歌だとO森が指摘して、なるほどと思ったりしたが、いやいや誰かと落ち着いて話しをするなんて全くできない状況だった。それでも黒ヘル乱入を喜んでくれた学友が一人いた。その昔、新入生歓迎会でトイレットペーパーを投げて謹慎をくらったH君だ。何が気に入ったのか良く分からないが、「あれは良かった。今日一番良かった」としきりに言っていた。二次会は21時半くらいからスタートし、途中で帰る人も多かったが、後からやってくる人もいてお店の中は満員。ふと気が付くとすでに午前2時を回っている。カウンターの中で立ちっぱなしで氷を作ったり、酒を運んだり、ときどきハイボールを作って飲んだりしていたので、足はパンパン。眠気もマックス。お店にいたみんなにお別れを告げて一人家に帰った。両手に抽選でもらったビールを、あ、一つは下戸のS尾君からもらったものだが、手土産に家に帰り爆睡した。

 後日、同級生で一緒に同窓会の役員をしたN友さん、通称ちかちゃんからメールが来た。読んでみるとステージに乱入したのは誰か全く分からなかったとあった。意外とそんなもんなのか。あ、それと二次会で思いだしたことが沢山あるが、これはとても人さまにお話しできるようなことではないので今回は書かない。しかし、なんだかんだ言っても楽しい宴でした。最後にこの同窓会を楽しみにしながらも8月に病に倒れたO合君に言っておこう。そのうち、そっちに間違いなく行くからちょっと待っててや。もう少し、この世でバカやって大いに笑って泣いて悔しがって、そしてまた笑って、その時の話は彼岸の国でするから、それまではバイバイ。君のおかげで沢山の同級生が集まってくれたぜ。センキュ!!


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コメント

職業革命家は

こないだ買った水木しげる「近藤勇」を読み終わったとこですが、いやあ政治混乱期に一旗揚げようってやつにはろくな奴いないということがよくわかる名作。

とか思ってましたら私の大学同期で亡くなった奴がいまして。
http://mainichi.jp/articles/20160915/k00/00m/060/084000c
訃報が新聞に載るってすげえなあ。
あすお通夜です。
黒ヘルで乱入したら喜んでくれるはずの男でしたが、手持ちがないのでやめます。

え、かくたさん、そんなに若かったの?

と、そっちのほうに驚きました。しかし、新聞に訃報が載るのは、確かにすごいです。僕なんかが死んでも、Nobody knowsですね。ま、それでいいってか、そういう人生だから仕方ない。あ、今日の通夜には間に合わないけど、明日の葬儀には間に合うので、いつでも黒ヘル借りに来てください。実は、ワタクシ、やはり赤ヘルで行けばよかったと今若干後悔しています。

今は赤ヘルブーム

同窓会の役員とはすごいですね。お疲れ様でした。
ハガキの返送率はどうでしたか?
知人女性(62歳)が役員してるのですが、4年に一度の同窓会、返送率が悪くなったので、以前来た人のみに絞って出す方針と言ってたから、「うーん、でもいきなり来たくなって来てくれる人もいるよ」と言ったら、「あっそっかー。そうかもしれないよねー」と。

僕が大学に入った75年は

最初の赤ヘルブームだったと思います。当時からあんまりプロ野球に興味がなくて、キャンパスでうろうろしていたら大学の自治会の人たちもみんな赤ヘル。基本的に赤ヘルが大好きなんですが、ZEK3のヘルメット作るときに、赤じゃしゃれにならんなと思って、とりあえず黒で作りました。今度は一丁、赤ヘルで乱入したるか!!

あ、同窓会の役員なんて単なる小間使いですわ(笑)。400人ほどのOBに手紙やメールをしたけど、何人かは今後連絡しないでくれとなどという金玉の小さいやつがいました。自らの過去を清算するなら、それなりのことをやれやと言いたいけどね。
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