オール・ザ・ラスト



大学に入り、最初に覚えたのは麻雀である。高校の時にも、友人の家に牌があったので簡単なルールは知っていたが、いわゆる「役」を知らなかった。「イーファン縛り」とか、ましてや「ドラ」も何も知らずに立体的セブンブリッジみたいな感覚でやっていたので、それほど面白いとは思わなかった。

下宿で知り合いになったやつの中に、福井出身の浪人生がいて、こいつがやたら麻雀しようと誘うので、下宿の規則では違反なのだが、夜、僕の部屋に集まりこたつの上に毛布を敷いて卓を囲んだ。メンバーは、僕を含めた大学生3人に福井の浪人生。見学しているのは、隣の下宿の浪人連中。親決めして、いや、その時に初めて麻雀は親を決めてやるものだと知ったのだが、まあ、とにかくゲームが始まった。山から牌をツモり、手牌の中に入れて要らないものを捨てるという行為がしばらく続いた。

突然、福井浪人が「リーチ」と叫び、牌を横向け千点棒を投げ出した。「リーチって何?」と、僕は聞いたが奴は、「あ、気にせんとって、そのままやればええ」などという。その言葉に従い、そのままやっていたら、何周かして、突然「ロン」と言われた。福井浪人の手牌が倒され、「メンタンピン三色ドラ、あ、裏も乗ってドラ3。倍満や」などと嬉しそうに言う。何のことかと聞いたら、僕の捨てた牌が彼のリーチに当たり、倍満だから16,000点払わないといけないと言われた。「何言うてんねん、おまえ、そのままやればええと言うたやんけ、それで当たるのは卑怯だ。おまえそれでも九州男子か」と聞いたら、「いや、ワシは福井の人間や」と答えやがった。

そのやりとりから、マジで僕が麻雀を知らなかったことが分かり、ルールも知らずに賭け麻雀やるとは、さすがに九州の男は気合が入っている、などと思われる筈はなく、コリャいいカモがネギ背負ってやってきたと、福井浪人一派はヨダレを流したことだろう。その日から毎晩、福井野郎が部屋に来て麻雀のルールや、テンパイ待ちなどを細かく教えた。何も親切心からではなく、こいつに麻雀の面白さ教えて毎晩カモッたろという下心からであることは当然である。1つには、浪人生の大学生に対する屈折した心理(いわゆる、僻みね)もあったと思う。

その麻雀レッスンのある日、僕が彼に、麻雀のゲームのラスト、つまり半チャンが終わる時に「オーラス」というのは何故か尋ねたことがある。福井野郎の言うには2通り説があり、1つには「大ラス=大きなラスト」と、もう1つは「オール・ザ・ラスト」という意味だと説明を受けた。後に別館サークルの中でも麻雀の強さが圧倒的だったサークルに入り、ま、そこがDRACだったわけよ(笑)、そこでもオーラスはオール・ザ・ラストの意味だと聞いた。

さて、今日で8月も終わる。僕のロックバーでの店番も終わる。明日からは、訳あってジャズにどっぷり浸かることになる。今までのように、チーハクなロック小僧相手ではなく、全ての市民を巻き込んで大きなムーブメントを起こすために、起爆剤となれるかオレ。頑張れ悪たれ小僧のオレ。と、日の当たらなかったスパークスの情宣というアルバム聴きながら決意表明するのだ。





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コメント

麻雀禁止の下宿

そう言う下宿も有ったよね。忘れてた。
私が 居た 一乗寺のF荘はOKで、斜め前の どこか文化系のサークルだったと思うが、その部屋は、ほぼ毎晩麻雀してました。麻雀しないのが、年に20日位だったのでは?
隣のフェンシングは、酒盛りが ほとんどだったけど、週に3日位は 麻雀でした。その部屋に フェンシングの太田と言う男が よく来ていて、太田雄貴がメダル取って有名になった時に 顔も似てるし、ひょっとして あの太田の息子か?と思ったけど、親父は D大じゃないらしいから 別人ですね。残念。向かいの 卓球も 酒盛りがメインながら 週3〜4回は 麻雀してました。鶴瓶みたいなヘアスタイルのあいつは もう退社したけど、パナ〜の取締役に迄 出世したんですよ。あの頃、他の部屋の 真面目に勉強しようとしてた百万遍大生達は、D大お気楽学生が うるさかっただろうな(笑)。ロックバー お疲れ様でした。これで 縁が無くなる訳ではないから これからは、客として 楽しんで下さい。

修学院と出町の下宿は

麻雀禁止でした。もっとも、ご存じのように修学院時代は麻雀を覚えたばかりで、サルセンのように毎晩メンバーを集めてやってたし、大家さんにはとっくにバレていたけど、まあ大学生ということで見逃してもらっていました。麻雀をやっていると時間を忘れてしまい、気が付いたら朝の5時で大家さんがタバコの吸い殻やゴミの回収に来るので、その気配を感じたらみんなで声を潜め、大家さんの足音が遠のいたら毛布も外して牌をかき混ぜていたから、ばれないはずはないですね(笑)。

出町に引っ越しては、基本的にグリーンで麻雀して、そのあとは伊藤養豚場でF田やS戸と徹マンすることが多かったと思います。それでもY田さんの結婚式の日にI上さんとS賀さんが突然やってきて麻雀させろといわれ、確かT原さんを呼んで麻雀しました。翌日、大家がやってきてずいぶん怒られました。出町は僕以外はほとんど百万遍の大学生だったので、チクられたのでしょう(笑)。

No title

その調子では次も落ちたのでは。

京都の予備校行かしてくれるような家なら、コネで役場にでねじ込んでもらえるでしょうね。

えーと、そいつが大学に合格したとは

翌年の3月に聞かなかったので、多分農1年浪人したんでしょう。もっとも、下宿からは去ったので地元に戻ったのか、別の下宿に行ったのかは定かではありません。あ。、今思いだしたけど、あいつは麻雀を下宿でやりすぎて追い出されたのじゃなかったかな。関西文理学院、通称『カンブリ』に通ってました。大学生にマージャン教えてカモっていたのは、まだ良かったけど真面目な予備校生にもマージャン教えて、揚句はイカサマやってみんなからヒンシュクかってた男です。

ご指摘の通り、役所に勤めていても何ら違和感感じません。多分、しゃーしゃーとして今頃は年金を楽しみにしているかも。おーい、余裕綽々の人生送っているかもしれんが、お前に本当の友達は絶対いないぞ。
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