アミーゴ、たまには音楽の話でも

 時事ネタは難しい。昨日アップした安藤知事の談合疑惑だが、失職を選択すると思われていた知事が本日辞職を選んだ。一部のニュースソースでは昨日中に辞職の決心を固めていたとの事だ。思い起こせば26年前、当時の宮崎県知事だった故黒木博氏が逮捕された事件があった。その後の裁判で無罪判決が下りたが、イメージダウンは計り知れなかった。この事件を仕掛けたのがゲジ眉で、そのルックスを逆手に取り「真の悪役が日本を救う」などと豪語したE藤T美で、その二代目の息子は郵政民営化反対を表明し、圧倒的な支持を集め衆議院選挙に勝ったものの浪人生活は嫌だと泣きを入れ今回のZ民党復党グループ11名の中にいて、宮崎の恥をさらしているのは有名な話である。えー、イニシャルトークで誰のことか全く解らない話で申し訳ないが、思い切り想像力を働かして欲しい。例えばの話だが「E」の文字は漢字の「江」という文字が入るのではないかとか、「T」は「隆」、「Z」には「自」の文字が当てはまるのではないかと尋ねられたら、『何故解った!?』と大声で答えるしかないのですが。

 まあ、この手の話は僕のブログには合わないので、いつもの趣味のいい音楽の話に切り替えよう(誰も言ってくれないので自分で言うしかないが…)。昨日は見慣れない着信番号が携帯に入っていた。連絡してみると宅急便で、3~5週間待ちのはずだった鈴木勲の「BLOW UP」を届けてくれた。学生時代にクラシックファンだったF原から教えてもらったアルバムだ。ちなみにこのF原は同学年で工学部、土佐の高知の出身で「なんですろF原」と呼ばれていた。夏場は「レインボーサンダルのF原」とも。その由来は、ある日BOXで同じ土佐出身の、確か高校も同じだったのではないか、S賀先輩がF原を呼んだところ、「なんですろぅ、なんか用ですろぅ?」と答えて周囲の人間の度肝を抜いたのだ。というのも普段からあまり喋る男ではなかったが、たまに話すときは変に気取った標準語だっただけに、ネィティブの土佐弁に驚いたのだ。しかし一番驚いたのは同郷のS賀さんで、曰く「お前、なんですろぅっていつの時代の人間や?きょうびそんな言い方するのは高知でも80過ぎた爺さんくらいやで」と説明してくれて、なるほど彼は滅び行く土佐弁をこの京都の地で断固死守するために日夜健闘しているのだ、などとは誰も考えず、大いに笑いその日から彼は「なんですろF原」と呼ばれることになった。ついでに「レインボーサンダル」というのはある夏の日に彼がBOXに履いて来たサンダルの鼻緒というのか、あの足の指に引っ掛かる部分の太さと色合いとその派手さからつけられた愛称(蔑称?)である。

 この「BLOW UP」はLPレコードは持っていたが、ずいぶん長く聞いておらず今回多分10年ぶりぐらいに聞いたんじゃないかと思う。ライナーを読んだらドクタージャズの内田修さんや「スカッチはクレイモア」のいソノてルヲ氏、鹿児島のジャズフリーク中山信一郎氏(不覚にもこの人が脳梗塞で入院中とは知らなかった。早く全快する事を祈念いたします)などのコメントがあり懐かしかった。実はこのアルバムで一番気に入ってるのはオマスズのベースではなく菅野邦彦のピアノなのだ。日本のビル・エバンスなどと呼ばれていたが、もっとビタースィートなタッチで沁みるピアノを弾く。曲によっては裏方でしっかり演奏を支え、歌心のある曲では思い切り奔放に弾きまくる。ドラムのジョージ大塚もナベサダではないが「ゴキゲン」な演奏をしている。昨日は嬉しくて、下の娘の塾の迎えの車の中で大音量でかけていたら、娘から「うるさい、こんなピアノのどこがいいの」と言われ「所詮女子供にジャズは解らん!」などと聞く人が聞いたら烈火のごとく怒ってしまうようなサベツ発言をしてしまった事を自己批判します(土下座)。

 それとこのアルバムについては後日談があり、僕が大学6回生のころ(恥)帰省して地元のジャズ喫茶に行った時のこと。あれ、ジャズ喫茶じゃないか、ライブも出来るしお酒が主体の店でスペイン語で「友達」という意味の単語を店の名前にしているところで、大上瑠利子並の恰幅のいいママさんとキリギリスみたいに細く、外見は哲学者みたいなマスターがやってるお店だった。結構宮崎のジャズファンとジャズファンを装ったスノッブが集う所で、生意気盛りの僕はよく店の二人に議論を吹っかけたりしていたが、軽くダッキングされて終わりというケースがほとんどだった。一度だけローカルナショナリズムと地方で有名なお店であることの自己満足についてマスターに絡んでいたところ、どこかで地雷を踏んだらしく初めて真顔で怒られた事があった。あら、話が逸れた。そのお店で日本のピアノでは菅野邦彦が一番好きだとそこに行くたびに吹聴していたのだ。ある晩県庁に勤めていた同級生と一緒にその店に行ったときの事、たしか平日の水曜か木曜で、客は僕たち二人きりだった。

 店のママが電話を終えて僕たちのところに来て「今からジョージが来るよ、もしかしたら菅野も来るかも」と言った。ビックリして聞き返すと、ツアーの途中だかなんだか分からないがジョージ大塚が他のジャズメンとオフで宮崎に来ており、今からウナギを食べにこの店に来るとの事だった。その店にもアップライトのピアノはあったので、菅野さんが来たら「エブリシングハプンズトゥミー」をねだろうと待ち構えていた時だ。「よう!」と野太い声がしてカイゼル髯の小太りの男と痩せ気味の若そうな男が店に入ってきた。ジョージはジョージでも川口さんのほうで、一緒に来たのはベースの水橋孝さんだった。お二人は出前のウナギを黙々と食べ、その間は声をかけるのも憚れるような雰囲気だった。ようやく食べ終え、お茶を飲んでいるところをママが話しかけ、たまたま客の僕たち二人も会話に参加させてもらえた。

 一体全体どうしてジョージ大塚が川口になったのか、最後まで分からなかったが伝説の川口さんは本当に話の面白い人だった。川口さんは一滴もアルコールは口にしない。代わりにコーラを水代わりにがぶがぶ飲み。ライブの後はバケツで飲むそうだ(ほら、始まった。ジャズミュージシャン特有のホラ話だ)。ベトナムで米軍に護衛してもらいながら川で泳いだ話とか、後に本で読んだジョージ伝説のエピソードのいくつかを直接話してもらい、彼の独特な話し方と身振り手振りで全て本当の話と思ってしまうくらいの迫力だった。よく覚えているのはプロの手は、プロの手でドラムの練習のし過ぎで指が変形したとかなんとか言われ、調子に乗った僕が握手してもらい、ついでに水橋さんにも手を差し出したら「僕はまだ修行中だから」といって拒否された。その時の水橋さんの表情にいつかは自分もジョージさん以上のミュージシャンになるという決意を見たというのは、こちらの勝手な思い込みだったか。

 結局、菅野さんは宮崎には来ていないことを聞き、ジョージさんに何か叩いて下さいとお願いしたもののオーディエンスがたったの二人ではやる気が出ないのは当然で断られ、またいつかどこかのライブハウスでお会いしましょうといって別れた。それから、その店には何度か行ったが僕自身が関東や鹿児島で働いているうちに何となく疎遠になり、最近聞いた話ではもうずいぶん前にお店は閉めたそうだ。

 そんなこんなで、本日は義父の命日だったので配偶者と一緒に都城市へお墓参りに行った。行きしなの車の中で加川良の「やぁ」をかけて、このアルバムにランディ・ニューマンそっくりの曲がある(「セイルアウェイ」と「旗の下に集まろう」にクリソツなのだ)
とか、先だってのライブで演奏した歌があるとか話したがほとんど反応は無かった。やはり、あのライブの時は半分寝ていたのだ。次に下地勇の「ATARAKA」をセットし、これは宮古島の方言で歌っているからと説明しておいたのだが、2曲目くらいで「これ何語で歌ってるの?」と聞かれ、こやつは人の話を聞いていないと判断。しょうがないので「まっちゃのおばぁ」という曲における「コンビニエンスや大量流通のスーパーマーケットなどの大資本がいかに零細店舗を圧迫し、便利さ・快適さの名の下に弱者をいたぶるコイズミ・アベ連合的陰謀があり、それが日本の未来を、ウォウウォウウォウ~、いかにダメにしているか」について語ろうかと思ったが「人を見て法を説け」という先人の言葉を思い出して止めておいた。もう一つは熟年離婚と言う言葉で、まあ、これはドンと来い花の一人暮らしでネバーマインドなのだが、保険金狙いの毒殺とかされるのは嫌なので、とりあえず穏便にしておいた(何のこっちゃ?)。

 その墓参の帰り道にオープンしたばかりのGE○(これはマルであってアルファベットのオーではない)を発見し、後輩のSM氏を真似て特売のコーナーを物色。380円のところで、バグルスの「The age of plastic」とブライアン・フェリーの「In your mind」、ジョン・デンバーの「unplugged」そしてスザンヌ・ヴェガの「街角の詩」を購入。バグルスはかの大ヒット曲「ラジオスターの悲劇」が入ってる超有名なアルバム。僕は学生時代に始めてこの曲を聞いたときに♪ビデオキルズザレディオスターの部分を♪レディオキルズザレディオスターと聞き間違え、「ラジオがラシオスターを殺したというのは何かの隠喩だろうか」と考え込んだ事があった。今考えると、授業に出てなかったのでヒアリングがダメだったのだ。ブライアン・フェリーはもちろんロキシーの頃から大好きで、学園祭でやったオカマ喫茶の店の名前も「ROXY」にしたくらいだ。ソロアルバムは1枚目のが大好きで彼の選曲やアレンジのセンスの良さには驚嘆した。「ユーウォントシーミー」や「イッツマイパーティ」、「愚かなり我が恋」なんかはオリジナルより彼の歌うテイクのほうが気に入ってる。もっとも体調の悪い時に聞くとあの粘着質なボーカルのせいか悪い夢を見てしまうので注意が必要だが。

 ジョン・デンバーは悲劇の事故からもうどの位たったのだろうか。いかにも典型的なアメリカカントリーボーイといった外見と言動は好みが分かれるだろうが、フォークソングの一つの時代を作った人でもある。個人的には生まれて初めて買ったLPレコードが彼の「詩と祈りと誓い」だった。シカゴのレコードにするかずいぶん迷ったが、当時引っ越して間が無かったので「故郷に帰りたい」が入っているほうにした。おまけでビートルズの「レットイットビー」のポスターを貰ったのを覚えている。ライブ盤だろうと思って買ったのだが96年に取り直した演奏で、声がずいぶん太くなっていた。最近まで知らなかったのだが、僕の好きな「シティオブニューオーリンズ」、アーロ・ガスリーが歌ってヒットした、は彼のオリジナルだった。

 最後のスザンヌ・ヴェガは僕がいわゆる洋楽に最も離れていた時のミュージシャンでほとんどまともに聞いたことが無い。これからじっくり聞いてみようと思っている。デビューした頃は週刊誌かなんかで見かけて、リッキー・リー・ジョーンズのパクリかと勝手に決め付けていたのである。えー、どうやら何とか音楽記事っぽくなったので今日はここまで。そうだ、学園祭の話の続きはどうしようか…。 

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