本日は一番乗り



毎週、水曜日の公立大の市民講座。今日は、何と一番乗りしてしまった。何度も繰り返すが、こんなことは学生時代には一度も無い。何しろ、入学後最初のオリエンテーションも遅刻して入室。流石に、これではいかんと思い、最初の週は授業にも真面目に出てクラスにも何人か顔見知りが出来た。僕のクラスは英文科だったので、クラスの9割が女子。しかしながら、内部進学が多いので、みんな固まって声をかけにくい。

ああいう場では、男子学生はからきしイクジが無くなる。その数少ない男子も内部進学が多く、目立つのは香里高校出身のシティボーイ。何やしらんが黄色いズボン穿いてる奴が、やたら多く大声で喋る。それ以外は関西、近畿、そうそう九州もいたが福岡や熊本ばかり。ディープサウスの宮崎出身は僕だけだった。

そのうち、クラスで勉強の出来ない男子グループと仲良くなり、その中に後のボーリョク学生になるN谷君などがいて、後年、2人でサークルを牛耳るのだか、それはまたいつか書きます。何が言いたいかというと、そうやって少しずつクラスにも馴染み始めた第3週の土曜日。その日は専門の演習の授業があったのだが、春眠暁を覚えず、王将で餃子を覚える。ま、寝坊したのよ。目が覚めたのは確実にヤバイ時間。今からエイデンや市バスで行ったら確実にアウト。

どうする、コンマ5秒考え、まだ真面目な高校時代の姿勢が残っていたので、シータクで行った。言うとくけど、修学院から烏丸今出川までシータクで行くと結構かかる。時間だけじゃなく、マネーもかる。しかし、背に腹は変えられん。友部は中央線よ、あの娘の胸に突き刺されと歌ったが、その時の僕はそんな余裕も無く、タクシーが停まったらダッシュで飛び出した。

まだ、間に合う、走れば大丈夫だ。間に合うかも知れない、今ならば、と余裕があれば拓郎の歌を歌ったが、ハッと気がついた。教室は今出川じゃない。新町だ。そして、メロスは走った。かの、悪辣たる王を許す訳にいかぬ。友の命も大事だが、などと頭の中はコンフュージン・ウィル・ビー・マイ・エピタフ状態。

ようやく尋真舘の教室にたどり着いた。教室のドアを開けようとしたら、中からどっと笑い声がした。授業で講師がジョークを放ったか、誰かがとんでもない回答をしたかどちらかだ。その瞬間、僕の頭の中で何かが弾けた。今更、遅刻した僕が教室に入ってもシラケるだけだ。そうだ、バックれよう。このまま別格別館に行こう。

こうして、僕の6年間の怠惰な学生時代が始まった。

その反省から、今回の講座は全て出席を目指す。我々の邪魔をする奴は容赦無く抹殺する。あ、何だか学生時代の空気が戻って来た(笑)。

※追記~確かにそのまま別館に行って、BOXで暇をつぶしたというと怠惰な6年の始まりらしく話としては成立する。ただ市民講座が終わって、家に帰って思い出してみたら、僕がDRACに入ったのは1975年5月10日の土曜日。この尋真館での授業をバックレたのは4月19日の土曜日。ということは、まだDRACに入っていないから別館に行くはずがない。多分、この日はそのまま生協に行ってレコードを漁って、そのまま学食で飯を食って下宿に帰ったと思う。そもそも、DRACに入ったきっかけは、隣の九州人しか住んでいない下宿の友人から音楽研究会というサークルがあって、そこだとdrac-ob君と話の合う学生が沢山いる。しかも女子大のおねーさんたちが沢山いると聞いて、よだれたらたらで行ってみたのだ。しかし、二部のサークルだった音楽研究会のBOXのドアは閉まっていて、仕方がないので似たような名前のサークル、同志社大学レコード音楽研究会、通称DRACに行ってみたらドアが開いていて、そこにはゲゲゲの鬼太郎みたいな3回生と仁義なき戦いの文太と同じよれたスーツにサングラス、角刈りのやはり3回生がいて、女子大のおねーさんは全然いなかった。しかし、だからと言って背中を見せるのは九州男児の恥だと考え、そのまま入会したのだ。今思えば、踵を返してもう一度音楽研究会に向かっていれば、僕の人生は大きく変わっていたと思う。ま、人生なんてそんなもんだ、



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