アイ・リメンバー・フィル・ウッズ

 フィル・ウッズが亡くなった。ロックバカだった僕がジャズに目覚めたのは大学1回生の学園祭の準備中に聴いた彼のアルバムのおかげである。サークルにおける大学1回生というのは、『1回生ダッシュ』という言葉で分かるように使い走り、雑用、何でも係、奴隷というような役割である。僕がDRACに入って最初に命じられた用事は、当時の幹事長だったゲゲゲのY田さんからBOX(部室)に置いてある巨大ゴミ箱を1階の処分場に持って行ってカラにして来いという命令だった。その時、BOXにはY田さんと僕と、もう一人、イケメンで背も高く服もオサレなE副だった。Y田さんは僕に、「お前、ゴミ置き場知ってるか?」と尋ね、僕が首を横に振ったらE副のほうを向いて同じことをいった。E副は「知ってます、残念ながら」と答えたので、「じゃ、お前たち二人でゴミ箱カラにして来い」と言われた。サークルに入ったばかりの僕は、E副の落ち着きぶりと口調からてっきり2回生だと思い、敬語で話しかけていたら通路で立ち止まったE副が「敬語使わなくていい。オレも1回生だから」といった。何だ、この野郎最初からそう言えばいいのにと思わなくもなかったが、同じ1回生ということですぐに打ち解けた。

 そのE副は最初からジャズを聴いており、BOXにも毎回ジャズのレコードを持ってきて、同じジャズファンだった千三つのF田や、アル中のS賀さん、「お嬢さん、僕と一緒にさるきませんか」でおなじみのNさんなどと、当時の僕が全く聞いたことのないジョニー・グリフィンがどうしたとか、エリック・ドルフィーがなんたらとか、最近はオリバー・ネルソンなんかもいいんですよね、などという摩訶不思議な会話をしていた。僕はジャズなどというのはお金持ちが道楽で聴いてる音楽という偏見があったので、ジャズ班の先輩たちとはマージャンをしたり酒を飲んだりするのは大好きだったが、音楽の話をするのは避けていた。それでも僕の下宿で酔っ払ったS賀さんがマクドナルド&ジャイルスのアルバムを聴いて、「お、このドラムはいいな」といったのを聴き逃さず、ある時、BOXで素面だったS賀さんに「ロックのドラムもいいものはあります、だってS賀さんもこのドラムはいいと言ったじゃないですか」といいながら、組曲ハ長調をかけたら「そんなことは言った覚えがない」としらを切られ、しょせんロックはお子様ランチと小馬鹿にされて悔しい思いをずいぶんした。

 そういう経験が何度もあったので、BOXでジャズがかかっているときはなるべく本を読んだり、同じ1回生のS戸やH居なんかとバカ話をして耳に入ってこないようにしていた。そうして前期の授業が終わり、後期が始まり、だんだん寒さも本格的になり始めた10月に学園祭、EVE祭の準備が始まった。学園祭では教室にバンドを入れてディスコをやる予定だったが、出演バンドも百万遍にある超一流大学ではあるが、やはりアマチュア学生バンドだったので1ステージがせいぜい30分で、バンド演奏以外の時間は当然レコードを流すことになる。11月の下旬に3日間の学園祭があるのだが、教室にはバンドの楽器やサークルのオーディオ装置、レコードなど大事なものが沢山あるので、サークルの学園祭実行委員と貧乏くじを引いた1回生が泊まり込む段取りになっていた。学園祭初日はオーディオや楽器の搬入があったり、なんだかんだと忙しく何十回、『1回生ダッシュ』と言われたかわからない。昼間の模擬ディスコが終わり、サークルの部員も一人去り二人去り、後に残ったのはEVE実(サークルの学園祭委員長)のI上さんと1回生の僕と、あ、2回生で会計をしていたY本さんもいたか。そして、もう一人がイケメンでジャズファンだったE副だった。僕は昼間の疲れと京都の夜の底冷え、しかも地下の教室の床に新聞紙を敷いて、その上にレンタルの布団を敷き、さらに僕の下宿から持ち込んだこたつを乗せて、そこに寝そべっていたら、いつの間にか寝込んでしまった。30分か1時間か、教室の照明は点けっぱなしだったので目が覚めた。ほかのメンバーも寝息を立てていたが、誰かがステレオのところに行って低いボリュームでレコードを流した。ドッドーン、ドッドーンと重たいウッドベースが響く。なんだか不気味なイントロだなと思って聞いていたら、突然、そう、本当に突然、闇を切り裂くような強烈なアルトサックスの音がした。フィル・ウッズのアルバム『ミュージック・デュ・ボア』の1曲目の「サンバ・デュ・ボア」だった(YOU TUBEで探したけど、僕の聴いたアルバムのテイクではないが、雰囲気は分かるので貼っておきます)。



 あの時初めてジャズはかっこいいなと思った。そのレコードはあっという間にA面が終わり、E副は別のレコードをかけようとしていたので、「あ、そのままB面かけてや」と声をかけた。起きているのは自分だけだと思ったE副はちょっと驚いた様子だったが、そのままB面をかけてくれた。「このサックスはフィル・ウッズといってチャーリー・パーカー直系の白人奏者。パーカーに心酔するあまり、パーカーの未亡人と結婚して…」とE副は解説してくれた。フィル・ウッズ、名前が短くて覚えやすかったこととアルトの強烈な音色は僕の記憶に残った。学園祭が終わってから、僕は少し悔しかったがE副に弟子入りして、ジャズのことをいろいろ教えてもらった。ジャズ喫茶巡りも付き合ってくれて、蝶類図鑑やしあんくれーる、インパルスにビッグボーイ、さらにYAMATOYAなどあちこち案内してくれた。E副が顔なじみの店もあって、そんな店では僕のことを「フィル・ウッズ聴いてジャズが好きになった変わり者」と紹介してくれた。さらに北白川のふーんじゃらーむでは1本1500円でキープ出来たサントリーのホワイトに、一番安いつまみの野菜スティックか大豆をいったものを頼んでうだうだと時間をつぶしていたことも多かった。あ、E副はほとんど下戸でアルコールは最初の1杯だけ。残りは僕がほとんどいただいた。そうそう、E副と同じ学科だったK下も時々参加して名古屋弁で会話に参加していたな。そうそう、このジャズ喫茶巡りをしていてある店のポスターにちょっと感動したことがあった。絵面ははっきり覚えていないが、英文が書いてあって”Dig America? Ok.So You Dig JAZZ” とあった。アメリカ知りたきゃジャズを知れってか、と自分で妙に納得したな。

 E副のおかげでいろんなジャズを知って、それでも傾向としては僕はハード・バップが一番好きで、フリー・ジャズは最初は良く分からなかった。楽器はやはりアルトサックスが一番好きだったが、ほかにピアノもギターも好きなミュージシャンが出来た。もっともギターはジム・ホールとかポール・ウィナースのそれが好きだったのでF田からよく小馬鹿にされた。それでも知らないものを知ることが勉強だと思い、2回生になったときはジャズ班に入ってジャズをいろいろ聴いた。当時はロック班の人数が一番多かったが、発言力や理論展開はジャズ班にいるメンバーが一番強烈だった。今だから言える話だが、大学の1回生の時からジャズ班のリーダーだったF田君は、あの有名なジャズ評論家の油井正一を「アブライ正一」と読んだり、UCCコーヒーを「カミジマコーヒー」と読んだりする粗忽ものだったが、調子のいい男で、ある研究会の時に次回はジャズボーカル、それも女性を特集しようという話になり、当時、スタン・ケントンとジューン・クリスティーのデュオアルバムを持っていた僕に「お前はジューン・クリスティーのレコード持ってこい』といったのはいいのだが、S賀さんがちゃちゃいれて、「じゃ俺はアガサ・クリスティーを持ってくる」と発言。F田君は「そうそう、アガサ・クリスティーもいいですよね。さすがS賀さん」と答えてしまった。当然、研究会にいた全員が大笑いで「アホ、アガサ・クリスティーはミステリの女王やんけ」と突っ込まれた。

 なんだか、いろんなくだらないことを思い出した。フィル・ウッズのステージは2年連続で見ることが出来た。最初はズート・シムスと一緒のコンサートで、ズートはずーっと(やってしまった)椅子に座ったままで、ソロの時だけ立ち上がるというステージだった。フィルは元気いっぱい吹きまくり、首から下げたアルトはおもちゃのように見えた。翌年は学生会館のホールでサード・ハード・オーケストラと一緒に演奏して、「サード・ハード、ナイスバンド」とリップサービスしてくれた。フィル・ウッズのおかげでジャズに目覚めた僕は2回生の夏休みに地元に帰ったときもジャズ喫茶を探した。いくつかあったが、若草通というアーケード入り口のビルの上の階にあった鰻の寝床みたいな細長い店が気に入った。缶入りピースとマッチと小銭を持ち、その店に行きずーっとレコードを聴く。たまに高校時代の同級生が来て、雑談してるとそこの気の短そうなマスターがにらむ。ある時、女の子を連れてその店に行き、カッコつけてビル・エバンスとジム・ホールの『アンダーカレント』をリクエストしたら、ケッと言われたが流してくれた。よっしゃ、これでこの女の子を口説いてやるぞと思ったが、ジャズはそういうときに勇気をくれず、結局頭脳警察の話などしてしまい、相手は呆れて帰ってしまった。そういえば、そのジャズ喫茶の名前はLIFETIMEといった。あれ、どこかで聞いたような…。

 ええと、全く支離滅裂な話ですが、そういう沢山の思い出とともにたくさんの素晴らしい演奏を聴かせてくれたフィル・ウッズの冥福を祈って本日のエントリーは終わりたい。彼のラストページはどんな風景だったんだろう。合掌。



※10月4日追記:このエントリーの重要な登場人物である「E副」君を変換ミスで「E福」君としてました。ご本人からご指摘のメールをいただき、ここに謹んでお詫びし訂正いたします。あ痛、慣れないこと言うから舌をかんだ。またホワイトが1500円でキープできたのは「ふーんじゃらーむ」ではなく、「メルヘン」ではないかというご指摘も頂いた。地図も添付してくれたので、じっくり見たら「ふーんじゃらーむ」はエイデンでいうと茶山駅のあたり。DRAC関係者には伊藤養豚場の近くといった方が話が早いかもしれない。いや本当の養豚場ではなく、このエントリーにも登場したF田君とS戸君が住んでいた伊藤荘という下宿の近く。その伊藤荘の近くに「エルム」という喫茶店があってランチが安くて美味しかった。「ふーんじゃらーむ」は、その「エルム」と同じ人が経営していたことも彼のメールで知った。

かたや、「メルヘン」は百万遍を過ぎて、銀閣寺道の手前当たり、うーん、そういえばそんな気がしてきた。とにかく、ジャズ喫茶にしては珍しく照明が明るかったことと、サントリーホワイトが1500円(すぐに2000円に値上げしたが、それでも貧乏学生の懐には優しいお店だった)でキープできたこと、一番安くて美味しいつまみが野菜スティックと炒り豆だったのは間違いない。おっと忘れるところだった。そのE副君の考えるフィル・ウッズのベストプレイから”I Remember Bird”を最後にアップして追記を終わります。E副君、それからエントリーにはちょっとしか出てこなかったけどK下君、ありがとう。機会があれば南九州に来てね。



スポンサーサイト

コメント

ピエールカルダン レーベル

昭和46年末にN村でLP買った時、B6位の横開きの業界冊子をもらいました。それに ピエール・カルダンがレコードレーベルを始める。PHIL WOODS & EUROPEAN RHYTHM MACHINEが そこから新譜を出す~みたいな記事が載ってました。デザイナーレーベルらしい 芸術的なジャケットデザインでしたが、所属有名人がPHIL WOODSのみで、なおかつ LPが2000円の時代に2500円って 奇兵隊(高過ぎ新作)だろう、長続きするか?と思ってたら やはり つかの間のあだ花で終わりました。しかしながらEUROPEAN RHYTHM MACHINEのクロマチック バナナとモントルー ライブは 後に買いました。手持ちレコードが ほとんど無くなった時、たまたま こっちに持って来てたので、この2枚は残ってます。したがって、この2年間で それぞれ3回聴きました。貴貼付けの THE LAST PAGEもやってますよ。彼にとっては 異色の経歴ですが、この時代を楽しんでたのでは? 本人は 新天地ヨーロッパでALIVE AND WELLだったと思います。合掌! それにしても いつもの与太記事と違って 青春グラフィティーとしても秀逸な 読み応えのあるエントリーでした。たまには こう言う記事も書いてね(笑)。

デューク先輩、ありがとうございます

ただ、ちょっと気になる記述が、「それにしても いつもの与太記事と違って」というのは、ワタクシの誠実なエントリーが世多喜二(ヨタキジと入力して変換したら、まるで『蟹工船』みたいな文字が出て、これはこれで面白い)。与太記事というのはどういうものかわからないので、辞書で調べました。以下、コトバンクからの引用です。

与太
[名・形動]《「与太郎」の略》
1 愚かで役に立たないこと。また、そのさまや、そのような人。
2 いいかげんなこと。でたらめなこと。また、そのさまや、そのような言葉。
3 素行のよくない人。

うーむ、心当たりがありません(笑)。しかし、このエントリーは思いついて一気に書いたので変換ミスや誤字もありますね。訂正せねば。一番まずかったのはご本人から指摘されましたが「E副君」を「E福君」としていました。謹んで訂正します。
非公開コメント

プロフィール

drac ob

Author:drac ob
FC2ブログへようこそ!

月別アーカイブ

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ブロとも申請フォーム

FC2カウンター

FC2カウンター

現在の閲覧者数:

QRコード

QR

鳩時計

フリーエリア

ブログ内検索