水元博子リトグラフ展のご案内

 高校の同級生がリトグラフ展を開くと案内が来た。彼女は革命家、ではなくゲージツ家で絵を描くことを生業としている。以前は結構頻繁に個展や共同展の案内を送ってくれていたが、何しろこちらが花鳥風月を解さぬ不良中高年パンクなので、展覧会とか美術館に行くとどうも落ち着かない。展覧会に行くと何故か「生は死なり、死は生なり」などと絶叫したくなるし、頭の中でくるみ割り人形が踊りだす。また美術館に行ったら行ったできれいな額をみると、何故か子供が泣いてるといいたくなったり、揚句は窓ガラスを割ってしまったり火をつけたくなる衝動が抑えられなくなる。えー、ワタクシの人格が破たんしているのか若いころからロックなどを聴きすぎた後遺症なんでしょうか。

 てなことを書いたが、実は絵を見るのは嫌いではない。ジャンルなどよくわからんが、前に見に行った伊藤若冲は良かったな。絵で圧倒させられることがあると、その時初めて思った。だったら、同級生の個展なんだから遠慮せず行けばいいじゃないかと思われるかもしれないが、いや、もちろん、今回はちゃんと行きますが、なんというか、会場のね、ハイソな雰囲気というか、ブルジョワ的雰囲気というか、ま、貧乏人の僻みといえばそれまでだが、どうもあのシーンとした雰囲気が苦手なのだ。そして、そこにあまり親しくなかった同級生などがいると、ますます気が重くなるのだ。その昔の現役パンクのころなら、そんな同級生には「おまえらと一緒にすな、このタニシ」的な言動をとっていたが、やはり歳月は人間をマルクス主義。あ、違った、丸くする。こう見えて僕も丸くなった。まず相手が嫌な奴でもちゃんと挨拶はするし、簡単な世間話に相槌を打つくらいはする。しかし、しかしだ。貴重な休日にたかが地方都市でちょっとばかり小金を持って、そろそろ年金の有効利用を考え始めたり、定年後の人生は旅行三昧で楽しもうなどと考えている諸君とはこちとら人種が違うのだ。早い話がこちらは死ぬまで働かないと生活できないルンペンプレカリアートであるからして、悠々自適の人生を送っている連中とはウマが合わないのだ。それでも暴言吐いて、さっさとゲルニするのも大人げないので、適当に話を合わせるのだが、後から自己嫌悪に陥るんだよね。『友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ』、などとつぶやきながら、もちろん花などは買わず。せいぜいヤケ酒飲んで音楽聴いて布団に潜り込むのが関の山だ。そして、いったいどうしてこんなことになったのだろうと考える。考えても詮無いことなんだけどね。

 いかん、いかん、せっかくの友人の花の個展に辛気臭い話を書いてしまった。えーと、彼女とは高校3年間同じクラスだった。田舎の中学校から進学した僕と街中の中学校から入学した彼女は、生活環境も違うし最初は接点が全くなかった。いったいいつごろから話をするようになったかというと、うーん思い出せないのだが、一つの要素としてはやはり絵というか美術がキーワードだったかもしれない。僕の父親は美術の教師だったことが、彼女と話をする一つのきっかけだったと思う。いや、共通の友人でサッカーとS&Gが大好きだったS尾君を通じて話し始めたのか。あるいはロックが好きで、そういう友人たちと雑談する中で親しくなっていったのか、今はどれが正解だったかわからない。多分、それらすべてがきっかけだったかもしれない。

 彼女との思い出というほどのものは大してないが、1つだけよく覚えているものがある。大学時代の話だが、夏休みに帰省した時に何故か頭脳警察のサードを実家に持って帰った。しかし、実家のステレオは京都の下宿に送っているので、再生装置がない。もちろん地元の大学に通っている友人や、同じように帰省してきた友人の中にオーディオを持っている人もいるが、何しろ頭脳警察である。聴く人を選ばなければならない。その時、すぐ思い出したのが彼女であった。ああ、彼女なら頭脳警察にも興味を持ってくれるんじゃないか。そう思って電話したら、今から来ても構わないという。当時はまだ車の免許を持ってなかったから、自転車に30センチのLPレコードを乗せて彼女の家に行った。何故か、ご家族の方は誰もいなくて彼女と二人だけで頭脳警察のサードを聴いた。僕は京都の話をして、彼女は東京の話をした。レコードを聴き終えて、ジャケットを見ていた彼女がこういった。「この歌の『幻想持つならヤケ酒飲んで頭の汚れを洗い落とせ』って言葉はいいね、よくわかる」。その歌とは「歴史から飛び出せ」だった。後年、パンタが出版する自伝のタイトルにもなった曲だ。初めて頭脳警察を聴いたはずなのに、さすがにアンテナが鋭いなと感心したのを覚えている。

 それだけである。大変残念ながらそれだけである。当時は多分お互い20歳前後だったと思う。その年齢の男女が同じ部屋に1時間以上いて何もなかったのか。大変残念だが、何もなかったのである。ああ、俺は臆病だったな。あの時、などという気持ちがないとは言わない。何しろ当時の彼女はとてもスリムできれいで、高校時代から男子学生の間でアイドルだったから。今?今は、いや、その、今もとても美しくきれいに年齢を重ねています、嘘だと思うなら会場にぜひお越しください。えーと、こんなんでいいんだろうか、とりあえず水元博子リトグラフ展のご案内でした。

※例によって青地の箇所にはリンクが張ってあります。原曲をお楽しみください(笑)。

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少しだけ 宮崎と関係有る話

頭脳警察のセカンドが出てすぐに買って「ファーストが発売されなかったから セカンドも すぐに発売中止になるだろうと思って買ったら やっぱりそうなった。」と喜んで話しかけて来たsouth高校 同級生女子を思い出しました。当時の宮崎では 超珍しいロック女子だったのですが、残念な事に 既に付き合ってる奴がいて、そいつの手前、その子とロック談義をするのが なかなか出来なかったのが 残念です。その後、どんな人生を送ったのかな…と懐かしく思い出しました。さて、もうひとつ。昨日、映画「風に立つライオン」を 家族と観て来ました。さだ嫌いだし、独身だったら まず観に行こうと思わなかったですね。前知識無しで観に行ったのですが、まあ いい映画だったと思います。五島列島のエキストラ老人たちが いい味わい出してます。やや 仁先生が 咲さまのいない アフリカで活躍するって感じもしましたけど(笑)。帰って調べたら モデルは 宮崎から長崎大学に進学された 柴田医師の71年頃のケニアでの話だそうです。ただし、映画のように 柴田医師は 手榴弾で亡くなったのではなく、日南あたりに おられるようです。老後 アフリカか南米で ボランティア的な事に携わってみたいなあ と思ったものですが、少し その夢を また思い出しました。実現は?ですけどね(笑)。

それにしても、あんまりなHNで(笑)

高校時代のお話はなかなかに感動ものですが、ボボ太郎っていうのはいかがなものか(笑)。南九州以外の人間は笑えませんよ。ところで、『風に立つライオン』のモデルの方は地元の新聞でも大々的に取り上げられて、今ではちょっとした有名人ですね。日南の県立病院の院長をしていた人のようです。
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