帰ってきた過去への旅路 インターミッション

 前回の「帰って来た過去への旅路」は出町の王将で早めの晩飯を食べるところで終わった。本来は続編を書くところだが、今日はちょっと中休み、インターミッションというやつで、ここ最近の話を書く。もちろん、きっかけは今回の関西旅行だ。この旅行中に自分のために買ったものは本ばかりで、まずは行きの飛行機を待つ間になぎらけんいちの文庫本を買った。『東京路地裏暮景色』というタイトルで、雑誌の連載をまとめたものを中心としたエッセイ集だった。彼の撮った写真もいい感じで入っていた。以前にちくま新書から出ていた同じくなぎらの『町の忘れもの』は写真が多いが、文章が短くやや消化不良気味だった。今回の文庫は往復の飛行機の中、移動中の電車の中、そして地元に帰ってきてからも少しずつ読んで先日ようやく読了した。

 また京都ではジュンク堂で元憂歌団の木村の『木村充揮自伝』、元村八分のフジオちゃんの『村八分』、山下洋輔の『ドファララ門』、呉智英の『愚民文明の暴走』、さらに帰りの空港バスを待つ間に(by 平浩二)、梅田の紀伊國屋で美味しんぼの『福島の真実2』も購入した。マンガはさっさと読み終えて、「なんじゃ、海原雄山と仲直りしたらおもろないやんけ、しかも、若いころの海原のロマンスなんか読みとうないんじゃ、ボケ」などと悪態をついていたが、あとの音楽本は夜の寝る前に少しずつ読んで、「ほー、なるほど、そんなことがあったのか」とか、「ナニ、わしそんなん知らんぞ、ほかの人はみんな知ってたのか、え、もしかしたら、オレだけ×んぼ桟敷(エセ自主規制、IMEのボケが変換しても漢字を出さない、『何も無かったことにしましょうよ』、とでも言ってるのか、このヤロ)」とぶつぶつ言いながら読み進んでいった。

 木村の本を読んで、憂歌団のデビューにはウェストロードの伸ちゃんが随分貢献してくれたことを知った。またデビューしてからしばらくは「本名」の木村秀勝だったが、途中から今の名前に変えた理由だとか、内田勘太郎の本名など知って、うーん、オレも憂歌を聴きだしてかれこれ40年経つが知らないことが結構あるなとか、本の最後に掲載されたこれまでの作品のリストを見て、結構自分で持ってるものが多くて意外に感じたり、さらにおまけでついていたDVDが2004年の春一での演奏で、山下洋輔とのデュエットで中々いい感じだと思ったり、まあいろんな感想を持った。もっとも、この本の出版が2012年で、その段階での木村の話をまとめているので、憂歌団の再結成についても微妙な表現になっている。まさか、島田があんな形でこの世を去るとは思っていなかったということがよく分かる。島田が亡くなって、今生きているうちにできることをしようという感じで新井田耕造を入れて憂歌団は再結成されたのだが、無いものねだりを承知でいえば、やはりオリジナルメンバーで再結成してほしかった。

 木村の本を読み終えて、今はフジオちゃんの『村八分』を読んでいる。こちらもおまけのCDが付いているが、これまでに全て発表されたテイクのものだけなので、まだ聴いてはいない。それより、村八分がどうやって村八分になって行ったのか、またどうやってメンバーを決めていったのか、そのあたりが詳しく語られているので、夜、少しずつ読んで眠りについていた。おかげで夢の中にチャー坊やフジオちゃんが出てきて大暴れするので安眠できないことがあったのだが。

 そして、それは昨夜のことだった。例によって、布団に入って枕元のスタンドのスイッチを付けて本のページを開いた。オリジナルメンバーの青木真一がバンドを抜けるところからが、前夜からの続きだった。チャー坊が、あるコンサートで歌えなくなり、ステージから降りてしまったために、本来手にするはずのギャラ(当時の金で1万、今なら4万くらいの価値だ)がもらえず、それだけが原因ではないが、そのことがきっかけで青木はバンドを抜けてしまう。そのあとを読んでいて、一瞬固まってしまった。こう書いてあったのだ。

『それで東京に帰ってから、ずーっと音沙汰もないまんま何十年か経って、いやいや、再編成の頃だ。79年か。あいつスピードってバンドで同志社大学に来たんだよ。チャー坊と哲とオレと、あと誰だっけな、いろんなヤツがいたよ。みんなでスピードを見に行った。青ちゃん見て、いいじゃないってことになって、みんなでその夜一緒に飲んだ時、青ちゃんがコップをバーンってぶつけて、暴れる寸前で帰ったの覚えてるけどね。』。

 え、なにそれ、79年の同志社でスピードのライブといったら、僕たちが主催したイベント『前夜』の時じゃないか。そう、あの時、僕は受付にいた。ライブは町田が率いるINUが初めての1000人規模のホールで熱い演奏を繰り広げていた時だった。ドレッドロックヘアで、色は浅黒く、こんな奴に絡まれたらいやだなと思うような目つきの悪い男が、バドワイザー片手に僕の前に現れた。後ろには彼の連れらしい、やはり目つきも悪く態度も悪い男が数人、こちらをニヤニヤしながら見ている。「連れのバンドが出るんやけど、入ってもええやろ」。ドレッドロックの男は有無を言わさず僕に迫った。僕は首を縦に振るしかできなかった、といういきさつを随分昔のエントリーに書いたけど、え、あの時、チャー坊もいたのか。髪がそんなに長くなかったせいか、あるいはフジオちゃんの迫力にビビッてほかのメンバーを直視できなかったせいか、気が付かなかった。その時の話は『前夜の話てか再録』に詳しく書いてあるので、興味のある方はご覧ください。

 そうか、そうなのか。あの時、フジオちゃんとチャー坊とそのお連れ様数名が、タダでスピードのライブを見ることができたのは、何とオレのおかげではないか。オレは日本のロックに貢献したんだと何となくいい気分になり、もう一度先ほどのフジオちゃんの文章を読んで思いだしたことがあった。ライブが終わった後に、久しぶりの再会を果たし、昔の村八分のメンバーと一緒に飲んだのはいいけど、青木真一は悪酔いしてしまった。いや、その原因は間違いなく当日のライブでアンコール用に取っておいた「Boys I love you」が演奏できなかったから、要するに当日の客の目当てはトリのP- Modelで、その前のスピードにはアンコールの要請がなかったことが原因じゃないのか。当日、スピードの楽屋を担当させた女の子に聞いたが、最初から愛想の悪いバンドで怖かったけど、ライブ終わった後は楽屋で暴れてマジで怖かったなんて話も聞いたな。うーん、しかし、いまではフジオちゃんもチャー坊も青木もあっち側に行ってしまってる。今はケンカせずバンドやってるだろうか。ギターとベースとボーカルはオリジナルメンバーだけど、ドラムは誰が叩いてるんだろう。なんて考えると、また今夜も夢の中で村八分のメンバーが出てきそうなのでやめておこう。

 ということで、今日はちょっとインターバルを頂きました。『帰ってきた過去への旅路』の続編もカミングスーンです、もう少しお待ちください(笑)。



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コメント

併せて読んでみたらいいかも

ご存じかと思いますが、柴田の死後、QUICK JAPANって雑誌に 北沢夏音ってライターが 草臥れて~と言う記事を 7~8回 書いてました。私は 4回分買って その記事の部分を ちぎって 持ってます。親族の話とか 興味深く読みました。単行本化されたようなブログ記事も有るのですが、私は見たこと無いです。未読でしたら 探されると いいかもです。大げさに言えば、そのDRACのイベントが 一ヶ月後の 7月15日の オリジナルではないけど 村八分 西部講堂ライブに つながったのかもしれないですね。大いに自慢して下さい(笑)。そう言う再会が有ったのなら あのライブのベースは 青木にすればよかったのに と残念です。

先日の電話では失礼しました

えらい二日酔いだったので、まともに話が出来なかったと思います。しかし、その時も話しましたが、確かにチャー坊と哲とフジオちゃんがスピードを見て、青木と交流したことが村八分の再結成につながった可能性はありますよね。ということは。我々は日本のロック史にその足跡を残すお手伝いをしたのだ、と子供に自慢します。多分、いや、確実にスルーされますが。
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