フォーク・フォーク・フォーク

 あらかじめお断りしておきたいのだが、「帰ってきた過去への旅路」は、もちろんエントリーが続きます。カストリ雑誌のように、あるいは学生の作るミニコミのように2号や3号でつぶれるはずはない、と思いたい。いや、もとい、確信する。しかしながら、今日は何となく気分はフォークソングなのだ。というわけで、またもや無謀企画、CD1枚で聴くべきフォークを凝縮しました的な、なんちゅうか本中華、このギャグ分かる人も大体中高年、てな感じでさっそくティーチインしたい(笑)。

 前回配布した70年代日本のロックのCDに対する数少ない反響の一つに、『車を買い替えたのでドライブ中に快適に聴ける80年代洋楽のベストCDを作って下さい』というものがあった。なるほど、70年代と比べて、より成熟してより多様性を増した80年代の洋楽のベストCDを新車のオーディオで流せば、それは気分が良くアクセルもついつい踏み込むだろう。しかし、その結果、事故でも起こしたら大変なことである。ここはアクセルも慎重に、ブレーキも早めに踏めて「交通安全は世界の願い」とあのササガワさんも言っていた通り、日本のフォークの極私的ベスト盤を作って提供するのが年長者の義務ではないかという結論に至った。小さな親切大きなお世話、あなたの気配り余計なお世話というやつである。

 『フォークは暗い』とはタモリの名言で、まさしくその通りフォークソングは暗い。ただ、それは生活の貧しさや日々の苦労を歌った歌や虐げられた人たちの歌が主なので必然的に暗くなるのだが、それ以上に暗さを自慢する一連の叙情派フォークともいえる連中がいる。たとえば、「去年のあなたの思い出がテープレコーダーから流れています」などという辛気臭いイントロで始まる、ださまさし、違った、さだまさし(グレープ時代を含む)や、同棲している女と一緒に銭湯に行ったが、女の人より風呂から上がるのが遅かった(つまり、女の人より髪が長かった)とか、おでんを腹一杯食うことが月一の贅沢だったと歌う南こうせつ(かぐや姫時代を含む)、またいい歳こいていつまでもボーイズソプラノでとっちゃん坊や顔の小田和正(オフコース時代を含む)などのような連中は、今回全くセレクトしていない。というか、多分レコードもCDも持っていない。仮に持っていたら即座にレコードは叩き割るし、CDはシュレッダーにかけて粉々にしているはずなので、今から作るベストには出てこないのでご安心を。しかし、フォークも長い歴史を持っているので、その昔のカレッジフォークから始めるときりがないので、まずは日本でフォークブームを作るきっかけになったこの歌から始めたい。

1. 受験生のブルース by 高石友也
 今は茶髪で反原発ソングを、あのPANTAと一緒に歌っている中川五郎が書いた詩に、高石がメロディーをつけて、ややコミックソング風にアレンジして発表。これが大ヒット。確かに高校生の時に習った三角関数など実人生では一度も使ったことは無いが(三角関係はしょっちゅうあったが、などと茶々を入れてはいけない)、それでも人生における難問を解決する思考力を高めるには有効である、などと屁理屈いうより素直に笑って納得していただきたい初期関西フォークである。ちなみにワタクシが京都で学生時代を過ごした70年代中盤にはこの方は高石ともやと名乗っており、ナターシャセブンというバンドを組んでブルーグラスなどを歌っていた。その時からマラソンやってたのかな、宵宵山コンサートを開くなど京都では有名人。どっちかというとほんやら洞系の人。

2. 悲しくてやりきれない byザ・フォーク・クルセダーズ
ご存知、フォークルである。と、書いたが、あの国民的詩人サトウハチローを知らない世代が多くなっているので、フォークルと言って通じる人がどの程度いるのか、はなはだ心もとない。また最近は通ぶってフォーク・クルセイダーズと表記する輩がいるが、今はさておき当時はクルセダーズだった、リアルタイムで見聞きしていたから間違いない。関西フォークしかもアングラと涙が出るくらい素敵な単語が続くが、どうせ今の若いもんにはわかりはしない。だから説明もしない、というのは不親切なので簡単に説明。「帰ってきたヨッパライ」の大ヒットに続きリリースしたシングル「イムジン河」は韓国から北朝鮮を美化していると非難され、北朝鮮側の朝鮮総連からは民族の音楽を盗んだなどといわれのない批判を受け発売中止の憂き目にあう。しかし、次のシングルを出してもっと金儲けしたいレコード会社(東芝だよ)から、ホテルに軟禁状態で作らされたのがこの曲。加藤和彦本人が『イムジン河のメロディーを逆から見ていたら、閃いた』みたいな発言をしていたが、後年否定している。しかし、15分で曲を作りそれをサトウハチローの家に持っていき1週間後にできた歌詞を乗せて歌ってみると実にしっくりきたというエピソードを見ても、加藤和彦の天才ぶりは素晴らしい。余談だが、フォークルのメンバーである北山修は大学の先生になり、はしだのりひこは歌謡フォーク路線に進み、「風」や「花嫁」などの大ヒットを連発。加藤和彦はエリック・アンダーセンの”Come to my bedside”を日本語の歌にしたり、CMソングを作ったり自由気ままにしていたが、吉田拓郎や泉谷しげるらのアレンジやレコード・プロデュースにも非凡な才能を示している。あの「結婚しようよ」でボトルネックを弾いているのは加藤御大。また泉谷の「君の便りは南風」という曲をレゲエにアレンジ。日本で最初のレゲエナンバーに仕立て上げたのも加藤和彦。泉谷が「リズムが頭にあるから歌えねーじゃないか」と加藤に文句を言ったというエピソードがある。

3. 遠い世界に by 五つの赤い風船
 高校の入学式の後、応援団の人たちが歌唱指導(笑)するといって体育館に新入生を集め、校歌や応援歌を教え込まれた。その時に角刈り、学ランで度の強い眼鏡をかけた応援団員の先輩から「この歌は我が校の第二校歌なので、本日中に必ず覚えること」と厳命された。体育館の壇上に応援団員がいて、♪とおい~せかいへ~たびにでようか(旅に出ようか)、それとも~あかいふうせんにのって~(風船に乗って~)とチェイス形式で歌をリードするやり方にはやや抵抗があったが、さすがは高等学校、義務教育とは違うなと妙に感心した。余談だが、僕の高校の掃除の時間に流れる音楽は「ビタースィートサンバ」だった。おかげでオールナイトニッポンを聴くと無性に掃除をしたくなった。パブロフの犬である。昔話はさておき、画家だった西岡たかしが結成したグループ。なんとサウストゥサウス加入前というか、まだ中学生だった有山じゅんじもメンバーにいたが、母親から「この子は高校入試があるから音楽なんかやってたらあかん」と西岡にクレームが入り脱退した。もっともギターは名手、中川イサトがいたので不安は無かったと思う。デビューアルバムが高田渡とLPの片面ずつというのは有名な話で、お互いライブの時に相手の面はやすりで削るように客にアピールしていたという。

4. 面影橋から by 六文銭
 関西フォークが続いたので東京方面も入れよう。六文銭は上条恒彦と組んだ「旅立ちの歌出発の歌」の大ヒットがあるが、本来はこの曲のようなしっとり聞かせるナンバーが得意。小室等がリーダーで、この曲を書いた及川恒平や吉田拓郎の最初の奥さんになる四角佳子などが初期の代表的なメンバー。しかし、小室等って人は若いころから長老的イメージがあり、逆に今は年齢不詳みたいな感じでやや不気味である。いつもにこにこしていて好々爺のイメージがあるが、結構権力好き陰謀好きなところがある。後年、吉田拓郎、泉谷しげる、井上陽水と一緒にフォーライフレコードを設立。誰が社長になるかで、「ここはひとつ年長の小室さんが」、「いやいや拓郎さん、あなたが」と譲り合い結論が出ない。それでは無記名投票で決めようということになり、各自がこれだと思う人の名前を書いて投票。開票したら、あら不思議。4票とも小室等の名前があったという。やだね~。

5. かもめ by 浅川マキ
 浅川マキがフォークか、という異論反対論は当然あるだろう。この人はロックだジャズだフォークだというカテゴリーにとらわれない、実にフリーでアナーキーなシンガーだったと思う、大学の先輩にマキファンの人がいて、京都でのライブを見て、大いに感激しレコードにサインしてもらおうと近づいたが、あまりの迫力にビビッて声をかけられなかったという話を聞いた。納得する。ところで、浅川マキも亡くなってしまい、彼女の歌ももう聴けないなとお嘆きのあなた。そんなことは無い。今、カルメン・マキがしっかりこの歌や「にぎわい」などを歌っている。MAKI Sings Makiである。

6. カレーライス by 遠藤賢司
 エンケンがフォークか、という異論反対論は当然あるだろう。この人はロックだジャズだフォークだというカテゴリーにとらわれない、実にフリーでアナーキーな純音楽家だと思う。いや、である、と断定する。しかしながら、デビュー直後のエンケンは、これは間違いなくフォークシンガーといえるだろう。カレーが好きで、ついには自分でカレー店を経営してしまう。また愛猫家としても有名で、この歌にも出てくる猫は寝図美(ネズミ)という名前で、のちに名曲「寝図美よ、これが太平洋だ」にも登場してくる。しかし、アコギを抱えて、こんなセンチな歌を歌っていたエンケンが地球防衛軍として名作『東京ワッショイ』を繰り出してくるとは当時は予想できなかった。また、すでにビッグネームとなった後年にも『幾つになっても甘かねぇ』などというパンクで、ハードで、ご機嫌なアルバムをリリースするとは70年代にはとても考えられなかった。いつまでも元気でライブをやってほしい。なんていうと、余計なお世話だと怒られそうだ。

7. プカプカ by 西岡恭蔵
 ゾウさんである。オリジナル・ザ・ディランのメンバーながら、レコード・デビュー直前に脱退。残された大塚まさじと永井洋はザ・ディランⅡ(セカンド)と名乗り活動。しかし、ゾウさんは彼らにも曲を多く提供し、さらにソロでも歌うという、何やらようわからん関係になる。母音をはっきり発音する人で聴いていて気持ちがいい。またメロディーが独特でこの曲や「ろっかばいまいべいびい」や「アフリカの月」などはスタンダードの域に達している。作詞は奥さんのKUROが担当。そうそう、あのLAZY HIPのデビュー曲「ハドソンリバー」も二人のペンになるものだった。この曲は多くのミュージシャンや役者がカバーしているが、個人的には桃井かおりの歌が気に入っている。カティサークを飲みながら歌ってるので、途中歌詞を間違うのだが笑いながら最後まで歌いきるのはさすが女優である。

8. 男らしいってわかるかい by ザ・ディランⅡ
 原曲はボブ・ディランの”I shall be released”。「私はいつの日か苦痛から解放される」という歌だが、非常に意表を突いた歌詞に乗って歌われる。この手の逆説的な表現は加川良の「教訓Ⅰ」などにも共通する。当時のフォークソングのスタイルだったのではないか。70年代に関西で過ごした人間で多少なりとも音楽に、ポピュラー音楽に興味を持った人間であれば、この歌を知らないはずはない。もしいたら確実にもぐりである。グループを解散後、大塚まさじはソロ活動を始めるがあの独特の顔で歌うというスタイルは当時からあったな、間違いなく。この人の動画は一度、YOU TUBEで見てください。顔で歌うとはどういうことか良く分かるはずです。

9. 恋人もいないのに by シモンズ
 男性ボーカルばかり続いたので、このあたりで女性シンガーを入れたい。シモンズのこの曲は男臭いフォークソングばかりだったシーンに、一服の清涼剤のような感じで突然ラジオから流れて来た。女性二人のハーモニーというのはベッツィ&クリスの「白い色は恋人の色」(これも加藤和彦の曲、センスいいな、やっぱり)から、その後はあみんやパフィーまで一つのスタイルとして存在した。田中ユミと玉井タエの二人で、ワタクシはどちらかというとタエちゃんファンで、あ、そんなことはいいか。曲は五つの赤い風船の西岡たかし。実はシモンズのデビュー曲は「あの素晴らしい愛をもう一度」の予定だったが、そちらは加藤和彦と北山修が歌うことになったので、急遽、この曲がデビュー曲になったらしい。結果的に正解だと思う。

10. なんとなく… by 石川セリ
 この人も独特のスタイルを持ったシンガーだ。今は井上陽水夫人で、数年前に大病を患い、そこから奇跡的なカムバックを果たした。ただ、この曲で聴かれるような個性的なベルベット・ボイスは失ってしまい、ちょっとハスキーな声になり音域も狭まったが、再び歌えるという事実に勝るものは無い。この曲が収録されているアルバム、『ときどき私は…』は、ブレイクする前の荒井由実を筆頭に、松本隆・松任谷正隆・下田逸郎・瀬尾一三・みなみらんぼう・矢野顕子といった今考えるとものすごいスタッフが参加している。さらに作曲では長年の相棒ともいえる樋口康雄のメロディー作りの上手さが引き立つ。アルバムラストの曲は、その昔のNHKテレビドラマ『つぶやき岩の秘密』のテーマになった「遠い海の記憶」である。こちらも必聴です。

11. 生きているっていってみろ by 友川かずき
 フォークは怖い。平々凡々とした日常を切り取るような歌が多いが、友川かずきの歌はこちらにナイフを突きつけてくる。後年、エレファント・カシマシを聴いたときに、「お前はただいま幸せかい?」と歌われ、思わず「違います」と答えたことを思い出した。ま、どうでもいいか。お笑いのナイナイの岡村(アホっぽいけど、あれで立命出身や)が、偶然YOU TUBEで友川かずきの動画を見て、ラジオで絶賛。ちょっとした友川バブルが来ている感じはする。しかし、以前『フォークの達人』というテレビの企画もので彼の話を聞いたが、「所詮、デタラメですよ、歌も詩もデタラメ」という照れ隠しの発言を聴いて、この人はいい人だなと思った。酒豪で酒乱であることはフォーク界では有名。

12. フィッシング・オン・サンデー by 高田渡
 フォークは歌はいいけど、サウンドがつまらないという声をたまに聞く。確かにアコギ一本とか、せいぜいピアノにウッドベース、ドラムが付くとちょっとバンドサウンドみたいになるが、まあ、あんまりインプロヴィゼーションとか演奏は話題にならない。いや、アコギの奏法で凄い演奏している人もたくさんいるんだけどね。御大高田渡をこの曲で紹介していいかどうか、良く分からんが70年代の半ばに良く聴いたアルバムからこの曲をセレクト。バックはヴァン・ダイク・パークスなどLAのそうそうたるメンバー。そういえば、この曲が入っているアルバムには山岸潤史がギターで参加している。最初から予定していたわけではなく、高田渡がレコーディングの合間にロスの街を歩いていたら、道路の反対側からちょうどアメリカに来ていた山岸とばったり会って、じゃギター弾いてよという話になったらしい。ホンマかいな。高田先生は自転車とか生活とかブラザー軒とかたくさんいい曲があるけど、こういうのもええんちゃうか。

13. 親愛なるQに捧ぐ by 加川良
 高田渡と来たら、加川良を入れんでどうする。中津川フォークジャンボリーで飛び入りで「教訓Ⅰ」を歌い大喝采を浴びた。ところが、その飛び込みも実は予定調和だったという話を最近知って、「大人って汚い」と思う感受性がフォークである。要するに成長しきれてないのだ。甘えているのだフォークは、あ、いかん、本音が出た。前に登場した大塚まさじは顔で歌うと書いたが、加川良は船をこぎながら歌う。どういう意味かはYOU TUBEで確認してほしい。ここ最近はスティールギターの相方と2人でライブをやることが多い。宮崎で2回ライブを見たが、トイレタイムもしっかり入れているし、無駄なアンコール拍手をさせず再登場するなど、中高年のフォークアイドルである。でも、若いころは結構とがっていたんだよね。

14. ぼくの好きな先生 by RCサクセション
 最初のカウントから人を食ってる。1-2-1-2-4と3をすっ飛ばして演奏に入る、楽器は当時まだ珍しかったカズーを使っている。けだるげに歌う詩の中に、従来の学校の先生と生徒の関係ではなく、ちょっとダルでちょっといい感じの雰囲気が伺われる。この歌がヒットしたころ、無気力・無関心・無責任という三無主義があちこちのキャンパスに占めていた。でも、「ぼくの好きな先生」は、そんな説教臭いことは言わずタバコを吸いながら、キャンバスに向かっていた。やっぱり、RCは独自の世界を持っていたんだなと思わせる曲。この大ヒットがあって、人生を舐めてしまった清志郎が様々な音楽的な屈折・苦労を積み重ねた結果、あの偉大なるRCサクセションへと昇華したのだ。もっとも、時代は清志郎が心配していた方向に、予想以上に傾いているけど一体どうなるのか。どうにかするのは生きているお前らの仕事だという清志郎の声が聞こえてくる。

15. 今日をこえて by 岡林信康
 結局、この歌を聴きたいために延々と理屈をこねていた気がする。大学の先輩だからという色眼鏡を外しても、岡林が日本の音楽界に残した足跡は大きいと思う。滋賀の教会の息子として生まれ、多分にええとこのボンとして生きられる可能性が高かったと思うが、世間の矛盾や社会の汚さを歌にして登場した。しかし、信じられないのは当時は労音が主催するコンサートが多かったとはいえ、演奏の終わったミュージシャンに一升瓶持参で議論を吹っ掛けるオッサン(組合のオッサンだよ)が沢山いて、そういう集まりに出ないと「岡林は体制に寝返った」みたいなことを言って非難する、クソ団塊ジジ・ババが雲霞のごとくいたことが。そんなん、やってられんわと岡林は逃げた。京都の山奥で百姓しながら自給自足の生活をしていた。そこに、「あんたが歌わんのは日本の損失」と連日押しかけて、歌え歌えとアピールしたのが、泉谷しげる。後年、宮崎の口蹄疫の時に手弁当でやってきて、地元の畜産農家の人たちと痛みを共有し、さらに祭りを作ってイベントにしたその片鱗が伺える。

 あ、とりあえず、ここで終わるが、まだまだ紹介する歌はあるのでパート2が来ることを宣言しておく。リクエストもお待ちしてますって来るはずねーか(笑)。なお、ボーナストラック2曲収録しております。

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コメント

この流れだと 次は

「ナウいヤングな僕の 70年代初頭~中期 アイドル歌謡曲編」ですね。アグネス ・チャンとかの。「帰ってきた過去への旅路 その3」は 失われたエントリーに ま た近付きますが、BLOG本来の趣旨であった音楽エントリーなんだし、どこかのブロガー さんのタイトルのように「人生は さすらい」ですから(笑) OKでしょう。 さて、エ ントリーを拝見して 思うことをランダムに。1)大阪通天閣は、北、南、東面は 日 立の広告で、西面が 標語になっていて、何年かごとに 変更されます。昭和55年夏 から堺に住んでた時、南海電車から 夜 標語の面が 見えてて、その時の標語が「世 界の願い 交通安全」でした。笹川良一の一日一善ではなかった気がします。 2)フ ォークル ドラコブさんの修学院の下宿で、演歌風にアレンジして「悲しくてやりきれ ない」を T原君と3人で歌ったのが懐かしいです。サークルの替え歌「青年は雀荘をめ ざす」も名曲でした。「♪4人で行くんだ。BOXに背を向けて~」ってね。20年近く前 韓国に行った時に「イムジン河」を見ました。やはり オーッと思う所が有りました 。 3)大塚まさじ 歌う時の表情もですが、自分の歌なのに あそこまでメロディー をデフォルメして歌う所が 面白いです。 4)浅川マキ フォークで いいんじゃな いですか? 本人+生ギター2人の頃カバーしてた「ガソリンアレイ」とかも良かったで すね。 5)西岡たかし 若い割に説教臭い歌詞と なぎらけんいちが真似するように ♪旅に出ようか~♪と歌いながら 間に「それとも赤い(語尾を上げ気味に)」と 聴衆のコーラスを強要する所が嫌いでしたが、シモンズ「恋人もいないのに」の作曲を してから 聴くようになりました。たまにレコードかけますよ。シモンズの玉井嬢は 後藤次利の最初の犠牲者でした。「棄てるなら手を出すなよ」と思ったものです。 6 )六文銭 レコード3枚共 持ってます。ヒット曲多いのは 3枚目、評価高いのが2枚目 ですけど、私は1枚目が好きで、「インドの街を象にのって」とか好きでした。四角佳子 は 顔も声も可愛かったのに・・・以下は後藤次利へのコメントと同じ(笑)。 7)石川セリ 映画「八月の濡れた砂」のラストで テレサ野田が 銃をヨットの中で乱射して 銃痕から水が入って ヨットがだんだん沈んで行くのを 村野武範とかが 茫然として見ている。それが だんだん引きのショットになる所で 石川セリのテーマ曲が流れるってのが ドンピシャでした。石川セリだと 「八月の濡れた砂」ですね。

D大学生フォークシンガー

岡林、端田、ジローズの森下、シューベルツの越智とかが居ました。ピンクピクルスはD女だったし。佐井好子は 法律学科 72年入学だけど、病欠で1年遅れだったから私と同じ講義も有ったはずなのに 1回も会った事が有りません。彼女もサボり気味だったのかね(笑)。下宿の隣部屋の一緒に卒業した後輩の そのまたクラブの後輩に 上杉と言う男が居ました。在学中に 堀口ノアと言う芸名でレコードデビューしたけれど、もひとつ成功はしませんでしたが、今も京本政樹とかと コラボしてるみたいですね。

おっと、怒涛の二連発コメントありがとうございます

いや、フォークの話を書いたら意外に自分自身が聴いていたことに驚いています。また今回取り上げられなかった友部正人や、赤い鳥、お笑い路線のあのねのね、ソルティーシュガー、芸達者のなぎらや高専の学生だったNSPとか、そうそう関西で人気だったS戸勉、じゃなかった豊田勇造、中山ラビ、雷徒人とかきりがないです(笑)。玉井のタエちゃんも四角のお圭に対するご意見、全く同感です。音楽やってるのは女癖悪いやつ多いな。だからと言って聴いてる人間も悪いやついっぱいいますが(笑)。

スプーンソング

子供のころ、フォークソングというのが意味が分からず、波浪警報をハロー警報、大河ドラマをタイガードラマと思うような子供で、フォークもあのフォークかと思う始末で…。そうこうするうちにダサい・ネクラ組=フォーク全般、さだまさし、海援隊、ポプコン系フォーク演歌(伊藤なんとかって国鉄職員とか)/イカす組=暴走族、エーちゃん、銀蠅/一般人=アイドル歌謡曲/ハイソ組=洋楽、な中学に入りましたから、なじみないまま大人になりました。(でも高校の時は岡林あたりには興味あったなあ)
なぜか共産党シンパの親類のお兄さんの家に加川良と頭脳警察があったのを覚えてます。

ところで中山ラビ氏はほんやら洞 国分寺店店長です。

本家は火事で無くなりましたが

そうか、国分寺にのれん分けした店があったのか。そこの店長が中山ラビというのも泣かせますね。吉祥寺のぐぁらん堂がアメリカ村に支店を作って、そこのマスターが大塚まさじという感じでしょうか、って何だか良く分かりませんが(笑)。

フォークソングとフォークダンスも似て非なるものですが、あれはなぎらが「アーパーサーファーギャル」で融合したので、まあそれはそれでいいかなと。しかし、ヨヨギシンパが加川良を聴いて涙するのは分かりますが、頭脳警察はマズいでしょう。宮本先生に見つかったら自己批判では済まないような気がしますが(笑)。あ、それともあれかな、敵を知るための研究材料として持っていたとか。もっとも、そのうち感化されてしまい世界同時革命なんて言い出したら面白かったのに、ってこりゃ無責任ってもんだ。

子供の頃の 歌詞に関する勘違い

舟木一夫「高校三年生」の「クラス仲間はいつまでも」は「暮らす仲間」、軍歌「若 鷲の歌」の「七つボタンは桜に錨」は「桜に怒り」って 自分の国を代表する花に怒 って どうするのか?、春日八郎「お富さん」の最後「えーさおー源冶店」は「バ カだなあ」「のんきだなあ」を意味する「げんやだなあ」と言う言葉が 江戸時代か 明治時代に有ったのかと思ってました。吉永小百合、橋幸夫「いつでも夢を」の「お 持ちなさいな」は「お餅な さいな(自分がまだ知らない言葉か?)」って何だ? などと(笑)。

暮らす仲間は僕も同じくです

あと、南九州の方言で人を殴ることを「くらす」といいますよね。ですから、「くらす仲間(ぶん殴って来た仲間)は、いつまでも~」って「くらす」方はいいけど、「くらされる」方はたまらんなと考えたり(笑)。聴き間違いや空耳みたいなことはしょっちゅうで、ある時、突然正しい言葉を知って驚くことも頻繁でした。八神純子の「パープルタウン」は「錯乱」と聞こえて、「さーくらーん、さーくらん、紫の何とかがうっふふ~」と聴いて、これは間違いなく春先に出てくる基地外の唄だと思い込んでました。

あと、以前のエントリーにも書きましたが、「ひっそり閑」という言い方を「ひっそりたんと」聴いてしまい、当時はまだダイハツがタントを作っていなかったので、「ひっそり」な状態が「たんと=たんとある、つまりたくさんある」という表現だと思い込んでました。バカだね~。

中森明菜

中森明菜「少女A」の中の「じれーたーいっじれーったい」を「自衛隊」と思っていました。

自衛隊、自衛隊~

私は私、関係ないわ~って意味は十分通じますね(笑)。コメントのレスが遅れたお詫びに、本日のエントリーに無知をさらしております。
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