帰ってきた過去への旅路 その2

 朝早くにiPhoneの呼び出し音で目が覚めた。眠い目を開けてベッドから何とか身を起したが、強烈なのどの渇きと軽い頭痛がする。どうやら昨日は飲みすぎたようだ。しかし、休みの朝っぱらから誰だ電話なんかしてくる奴は、とむかっ腹を立てながら出てみると、名古屋在住で、同じ文学部の75年度生のK下君だった。そういえば、昨日のサークルOB会では誰がどこで今何をしているかと、あちこちの先輩や友人たちの携帯に電話したが、K下君は出なかった。話を聞いてみると、彼も昨日は飲み会で着信に全く気が付かず、今朝方気が付いて急いで連絡したとのこと。今回の関西ツアーについては事前に連絡していたので、僕が大阪にいることは知っていたが、今から京都に向かうから出てこいと誘ったが、断られた。ま、仕方ないか。しかし、昨日は楽しかったが、最後はもうめちゃくちゃだった。大体、二次会をカラオケボックスにしたのが失敗だったかもしれん。N谷君のテンプターズを聴いて、U田君のヒップホップにアレンジされたRCを聴いて、オレはエンケンを絶唱し、あとはもう入り乱れて何が何だか良く分からん。結局、1時間延長して、その延長が終わったという電話が来たが僕は最後までマイクを離さず、チューリップの「魔法の黄色い靴」を歌っていた。死ぬまでラッパを離しませんでしたって、オレは木口小平か。などといっても、今日日の人は知らんと思うからスルーしてくれ。

土曜日の御堂筋

 チェックアウトは11時なので、もう一度ベッドに潜り込み酔いを醒ました。何とか10時に起き上がり、シャワーを浴びてすっきりし、そのままホテルを出た。御堂筋は土曜日なので車の流れも人の流れも空いて、実にすっきりしていた。そこから地下鉄で大阪駅に向かい、京都へはJRの新快速を使うことにした。ホテルが三条河原町なので、京阪や阪急で行くことも考えたが、最短で行けるのは大阪京都間を29分で走るJRだと判断したのだ。土曜日の午前11時発の新快速は、結構乗客が多かったが何とか座ることができた。大阪駅を出たら新大阪、次は高槻、そして京都とさすがは新快速、快適にかっとんでいく。途中で山崎のサントリーが見えたのは懐かしかった。京都駅に着いて、地下鉄を見ると目的地の京都市役所前に行くには、烏丸御池で東西線に乗り換えである。京都の地下鉄は八条口から北大路くらいまでしかつながってないと勝手に思い込んでいたが、今は東西南北に走っている。烏丸御池に到着して、乗り換えの方向に歩いていくと、今乗ってきた線と異なり、また一段地下に入るようになっていた。地下に潜るというのは、何故か心躍るものがあるが、あなた、そういうことはありませんか、オレだけかな。

 などといってるうちに京都市役所前に無事到着。ごろごろのついたバッグを持って、三条まで歩きかけたが、さすがに勝手が悪いので荷物はとりあえずコインロッカーに預けて、単身三条まで歩いた。時間はもうすぐ正午。ホテルのチェックインは14時からなので、それまでに食事をして、久しぶりの京都の繁華街、三条から四条までぶらついて適当に土産を買うつもりでいた。こういうところの気配りはなかなか見上げたもんだよ、屋根屋のふんどしっとくらあ。ま、何というか、こういうお土産などという細かな気配りが人間関係を円滑にするというか、その人の人となりを表すんでしょうな。他人は旅行の土産話なんぞ、喜んだりしない、喜ぶのは土産そのものである。これも高度に発展したシホン主義社会の悲しい定めかもしれん。てなことは全然考えておらず、とにかく腹が減ったしホテルの場所も確認したいとふらふら歩き三条河原町の交差点を東に入ったら、ありました。前日のホテルとは打って変わって立派なホテル。1階には進々堂が入ってるし、建物も黒っぽくて落ち着いた感じ。地下鉄の駅から歩いて5分もかからない。場所も確認したし、おなかも空いたのでランチにしようとその付近を歩いてみた。まず目に入ったのは王将だったが、これは出町の王将で本日ディナーを取る予定にしているので却下。その王将のすぐ近くに「北白川ラーメン」なるのぼりと看板を発見。おっしゃ、ここや、北白川ラーメンなるジャンルがあるとは知らなかったが、天下一品も天天有も確かにエリアとしては北白川といえる。多分、結構こってり系のラーメンだろうと予測を付けた。入ってメニューを見ると特製醤油味玉ラーメンがおすすめになっており、単価も700円と手ごろである。速攻で注文し、何気にテーブルの調味料や漬物などを見ていて、びっくり。何とネギが大量に入った容器がある。オー、マイ、ガー、九条ネギがざく切りで大量に入っている。ネギ取り放題である。これはうれしい。その昔、天一のラーメンにはまった理由の一つはネギが入れ放題だったことだ。プラスチックのざるに大量のネギが刻まれてあり、それをトングで目いっぱいラーメンの上にぶちまけて、辛子味噌とコショウを、これまた大量に振りかけて食したチャーシューの大の感動は今でも覚えている。

 そんな貧乏学生時代を思い出しながら、背脂のたくさん入ったラーメンを一気に食った。おなかもいっぱいになり、さて三条か四条の商店街で土産品を買うかと思ったが、人間食べておなかがいっぱいになると、これは質量保存の法則から言って、排出したくなる。早い話がコーウンがしたくなった。関西のお子達の隠語でいえば「猪木ピンチや、馬場が出る」というやつである。ラーメン屋を出て左右を見渡すとコンビニの看板が見えた。よっしゃ、コンビニで京都に来たマーキングしたろか、と歩きかけたら何やら視界に懐かしい文字が見えた。ジュンク堂と書かれたその文字にふらふらと誘われるように向かっていった。おかしいな、その昔、ジュンク堂はもう少し下がったところにあったと思ったが、などという考えは後日家に帰って気が付いたことだ。コンビニで馬場をして、いたって快調になった足取りでジュンク堂をうろつく。読みたい本や欲しい本がたくさんあるが、本は重たい。いくらごろごろのついたバッグとはいえ、何冊も買うと結構な重量になる。また、この時はまだCDショップ巡回も計画していたので、本とCDを買うと本当に重くなる。洒落じゃなくて本当に、マジに重たくなるのだ。その時天啓のごとくひらめいたことがあった。何も買った本をバッグに入れて持ち帰らなくても、今のご時世、流通というものがある。飛脚でもブラックキャットでもペリカンでも何でもいいや、宅急便たらゆうやつに本や汚れ物や、重たいものはぶち込んで送ってしまえばいいじゃないか。そういえば、前回京都に来た時も漬物と和菓子を宅急便で送ったことがあったっけ。これは良いアイデアだ(by RC)と思い、本格的に購入する本を物色する。今回は音楽関係の本を中心に4~5冊チェック。しかし、こういうとき迷うんだよね。よし、この本に決定だけど、今すぐは買わない。もしかしたら、もっと欲しい本が出てくるかもしれん。一応、夜また来てその時に買うと決めた。少し落ち着いて時計を見ると、もうすぐ14時である。チェックインできる時間である。結局、ラーメン食べて本屋をうろつくだけで貴重な2時間を使ってしまった。大急ぎでコインロッカーから荷物を取り出し、ホテルに向かう。ホテルのエントランスに大きな日よけがかかっていて、そこから入っていくと、建物を通り過ぎて駐車場に出てしまった。あれ、おかしいなと思って戻ったら入口は左手にあった。チェックインを済ませて、エレベータで9階に行こうとしてエレベータが動かなかったことはiPhoneから投稿したとおりだ。エレベータの前には若いカップルがいたが、いったん入ったエレベータから出て来たオレがまた隣のエレベータに入り、「あ、なんで、なんでや、あ、そうか、こうすんのか」などといいながら悪戦苦闘している姿を見て、心なしか笑われている気がした。ま、いいんだけどよ、若いうちから贅沢してると罰が当たるぞと心の中で毒づく。

ガラス張りの風呂

 最上階の部屋に入ってこれまたクリビツ。ツインのシングルユースはまだいいが、浴室が総ガラス張りでトイレから丸見え。さらにシャワーが縦にスライドするバーに付いたものと天井からダイレクトに落ちてくるものと二段構えである。ホテルで洗い場のある浴槽なんてのは初めてでちょっとうれしかった。しかし、うれしがってる暇はない。これから今出川まで行き、そこから出町柳まで歩きエイデンで修学院に行くという、前回果たせなかった移動をするのだ。ということで、また地下鉄に乗って(by 猫)、烏丸御池で乗り換えて今出川まで来た。地下鉄を降りて案内板を見ると同志社キャンパスと書いてある。以前は烏丸通側に出るか、今出川沿いに出るかしかなかったはずだがと、首をひねりつつ案内板にしたがって歩く。階段を上がると少し窪んだ形で広場があり、テーブルやいすがたくさん置いてある。その先を見るとのぼりの階段があり、大学の建物が見える。一瞬、昔の別館の風景がシンクロした。今は無き別館も学食の横にちょっとした広場があり、そこから階段を上がると烏丸通にぶつかった。デモに出かける時は毎回通ったルートだ。デモじゃなくても、日常的に使った通路だった。

別館?

 もちろん、地下鉄今出川の駅が烏丸上立売(別館のあった場所、今は寒梅館が建っている)につながっているはずはなく、その見たことのない風景は以前同志社中学があった場所だった。そういえば前に同志社の職員になっているK君から中学は移転して、大学のキャンパスを広げているという話を聞いたことがあった。見慣れない建物の間を通り抜けると、懐かしい同志社の西門のところに出た。以前はここが大学や自治会からの連絡を掲示するスペースだった。2回生の時に学園祭の会議のスケジュールが出ていたが、普段キャンパスに行かない僕は、それを見落として会議に欠席。あぶなく予算を取り上げられかけたことがあった。あの時に教えてくれたのは、やはり大学の授業に出ないことで有名なF田敏雄君だった。しかし、やつはどうしてその掲示を見つけたのか、当時からずっと不思議だったがわからずじまいだ。昔は掲示板に手書きでいろいろ書いてあったが、今はきれいなミニタテカン風になっている。サークルの勧誘ポスターがあったり、大学からの連絡や行事予定がたくさん出ていたが、その中にぽつんと「都市を占拠する」というポスターがあった。我が大学は自治会が永久解散してしまい、この手のことを研究するところは無いと思っていたので、ちょっとうれしかった。今はネウヨや右旋回をしたがる連中が多いが、大学時代くらいは少し歴史や社会を勉強しておこうぜ、後輩諸君と中退の先輩が偉そうにいうのはあかんな。堪忍や、きゃいんきゃいん。

タテカン

 土曜の午後おそく、キャンパスには人気も少なく見かけるのはOBやOGの方々が散策している姿。スケッチをしている人もいる。もっともこちらは絵心など薬にしたくてもないので、さっさと出町に向かう。途中、良く通った冷麺屋の跡地(建物は残っていたけど)を見つけて感動。前回もこの道は歩いたはずだが、あの時はデューク先輩とN谷君と3人で話しながら歩いたので見落としたんだろう。さらに1週間前に火事で全焼したほんやら洞の前も通り過ぎる。まだまだ火事の臭いが鼻につき、防護ネットの隙間から見ると焼け跡が痛々しかった。出町柳の駅に行く前に出町の桝形通りのアーケードを通り、前回も買ったなかにしで京漬物を大人買い。1袋300円からせいぜい500円なのだが、あれもこれもと欲張っているうちに予算の5000両を突破。えい、知ったことか、こちとら江戸っ子でぇ、宵越しの銭は持たねえと生粋の南九州人が見栄を張る。例によってクール宅急便で送るのだが、明日の午後2時には届くという。我がポンニチの流通業者恐るべし。花の都の出町からディープサウスの南九州まで24時間かからないのだ。ありがたやありがたや。

 出町で目的の一つだった京漬物を買い、実はマキでコーヒーを飲みたかったが時間も押していたので、素通り。そのまま出町柳に行こうとしたが、やはり出町の三角州に寄ってしまった。冷たい風が吹いていたがお日様が出ていて、家族連れやカップルや一人でパーカッションの練習をしている人や様々な人たちを眺める。陳腐な言い方だが時間が止まったような感じ。父と子供だろうか、大きな凧を揚げていた。ここ何年か凧揚げなんて見てないな、たまに見かけてもゲイラカイトという洋風の凧ばかりだが、京都の父子は伝統的な奴凧を揚げていた。風に乗ってゆらゆらゆれる凧をずっと眺めていたかったが、今回のツアーで京都には1日しかいないので、泣く泣く出町柳の駅に行く。乗車券を買って改札を入った瞬間、違うなと感じた。僕が学生時代に使っていたエイデンは京福電鉄が経営していた。修学院の下宿に福井出身の予備校生がいて、そいつから聞いた話だが京福電鉄は京都と福井を結ぶ予定だったが、金がなくて京都は嵐山線と出町の叡電だけしか敷設できなかったと自虐気味に話していた。福井の人間はちょっとマゾ的なところがあるなと、これは後年サークルに入ってきたT君を見てもそう思った。

三角州に上がる凧

 それはさておき、今のエイデンは京阪が経営している。電車の色も乗った感じも昔の叡電と別人28号である。それでも電車が動き出し、「次は元田中、元田中」などというアナウンスを聴くと懐かしい。元田中には朝の4時までやってる居酒屋があって、そこのサバの味噌煮は絶品だったなとか、次の茶山ってのは印象のない町だったよな、一乗寺は学生の下宿がたくさんあって、当然電車を乗り降りするやつも多くて、中には銭湯の道具を持って電車に乗ってるやつもいたよなと、昔を振り返る。そうこうしているうちに目的地の修学院に付いた。出町柳からこの修学院まで、なんと全部無人駅である。京福時代は修学院にも駅員がいて、駅のすぐ近くの1階が喫茶店で2階が雀荘という建物があり、非番の駅員が良くお茶を飲んだり、麻雀打ったりしていた。ある時、駅員たちと隣の卓で麻雀していたら、「リーピン、一発、ハナ、ハナ、ハナ」という声がした。見ると花牌を入れてゲームをしているのだ。これは麻雀をしない人には何のことか分からないだろうが、花牌を入れるというのは相当昔に流行ったルールで70年代半ばの僕たちは全くやったことがなかった。それでも面白そうだから花牌を入れてやった時期が少しあって、花牌というのは春夏秋冬の4枚あるのだが、それを全部揃えたら役満というルールにした。その役の名前をどうするかと話し合って、僕がビバルディと提案して決まったことがある。もちろん四季から取ったわけだが。

エイデン

 エイデンの駅を出て、ほとんどシャッター街になっているプラザ修学院のアーケードを歩く。昔は出町の商店街並に賑わっていたけど、今営業しているのはほんの数店舗しかない。僕が学生時代に行ったお店は全部なくなっていた。2年半前に来た時はホテルで借りた自転車で来たのだが、僕の住んでいた下宿はとっくになくなっていたが当時を思い出させる建物や景色があったので、再度昔の下宿のほうに歩いて行った。目的の場所に着いたが、今は当時の学生下宿などどこにもなく個人のお宅になっている。何気に表札を見て、あれと思った。僕の下宿の大家さんは鳥取出身のN井さんというひとで、四条でレストランを経営している人だった。たしか西洋軒とかいう屋号で、季節の時期時期にちらし寿司やたけのこご飯などを小さな器に入れて下宿生に配ってくれたりするやさしい人だった。しかし、その、自分が昔住んでいた下宿だと思っていた家の表札は全く違う名前になっている。もしかしたらと思い、もう1本奥の辻に入ったら、ありました。N井さんの家が2件続いている。多分、僕が下宿していた時N井さんはもう高齢だったから、その息子さんと当時そこに小学生の男の子がいたから、つまり大家さんから見るとお孫さんだが、そのお二人の家だろうと考えた。僕にこの下宿を世話してくれた向かいのT山先生のお宅もそのままあったから間違いない。下宿は無くなっていたけど、N井さん達がお元気でやっていると思い、心の中で合掌。

 その後は、鷺ノ森神社のあたりを少し歩いて、修学院離宮から北山通りに出た。以前、チェーンコーヒーハウスという喫茶店があったのだが、残念ながらシャッターが下りていた。白いカレーが名物だったサンルイはとっくの昔に無くなっている。のども乾いてきたし歩き回って疲れたので、出町に戻ることにした。ちょっと早いが王将で酢豚と餃子とビールでディナーだ。気が付くとお日様はその光を弱めてだんだん寒さが増してくる京都の秋の夕暮はコートなしではさぶいくらいで、あ、下宿屋のパクリや。さて話はまだまだ続きますが、今日はここまで。

出町商店街


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コメント

チェックイン後に よく回れましたね

新校舎へ行ったことはありませんが、アップされた写真からは 確 かに 旧学生会館に似た外観を感じますね。市バスで四条烏丸や京都駅に行く際、烏丸 今出川から乗ると混むので 烏丸上立売から乗ったものです。A電と言えば 次の停車駅 名をよく間違って 「元田中は まだ~」「次も茶山~」とかの迷調子で 乗客を笑わ せてくれた おじいさん車掌が 懐かしいです。修学院の「三塁」は ドラコブさんと 、ドラコブさんの先輩の 百万遍にある超一流国立一期校に行ってたA部氏と そのご学 (楽?)友 U野氏の 4人で行ったのが 最初だったと思います。何をしゃべったのか 記憶ないですが、不快な想い出も無いので、以前コメント入れたような「ピストル型ラ イターの銃口から 真横に炎は出せるのか?」論議みたいなことは なかったのでしょ う(笑)。サンルイは 英語のセントルイスと同じ綴りなのに 4文字しか発音しないとか 、ムッシュに至っては どこまで文字数を無駄に使うのかと フランス語については イラッと感が有りますね。ずっと一乗寺には シャレた喫茶店は無くて、5回生の年に「 ひらがな館」って 女の人がやってた まあマシな喫茶店が 駅の北裏に出来て 一緒 に卒業した(笑)下宿の後輩と たまにランチに行きました。もう無いだろうな。高額な旅 費を考えると 宿の移動は出来ず 同じホテルに連泊となりますが 出張プラン的なパ ックを使われた方が 経費的には よかったかもしれませんね。

うわー、すっかり忘れていました

百万遍にある超一流国立大学に行ってたA部さんは高校の先輩で、その弟がロックバーの共同経営者です。U野さんは、ちょっとトッド・ラングレンに似ていたというか、当時額の広い若者が良くやっていたセンター分けの髪型でしたね。そうっすか、そのメンバーでなんでまたサンルイに行ったんでしょうね。想像するに僕が修学院、A部さんも修学院、U野さんは修学院に居候ということで、急遽、左京区貧乏学生同盟が結成されたのかもしれません。そういえば、修学院離宮にI上さんの下宿もありました。
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