帰ってきた過去への旅路 その1(って完結するかな)

 あっという間に、1月が終わった。早いなぁ、などと考えていたら、先日行った関西ツアーからも1週間が過ぎてしまった。こりゃ記憶がはっきりしているうちに、エントリーにアップしないと、前回のシリーズ『過去への旅路』の二の舞どころか、一切無かったこととして別のエントリーを書いてしまいそうだ。ということで、今回は旅行中にiPhoneでアップした旅の日記をまとめて書いていく。完結するかどうか、ゴッドオンリーノウズである。

 今回の関西ツアーは昨年12月に発作的に決めた。2年半前のツアーは亡くなった後輩の家に行って潜行、違った、線香をあげるというのが第一目的であった。しかしながら、今回のツアーの目的は大学の同窓で、blog仲間で、花の75年度生トリオの一人であるPurple_Hazeさんのバンドのライブを見ることであった。『友達のバンドのライブを見に、わざわざ大阪まで行くとは優雅だな、こいつルンプロ言いながらプチブルちゃうか』などと考えた人はものの見方が浅はかというか、品性下劣というか、ま、そういうたぐいの人である。もちろん僕だって、そんな軽い感じで関西にホイホイ遊びに行けるくらいの経済力が欲しい。欲しいが、無いものは無い、そらそうやんけ、ゼニとはトンと縁がない人生を自ら選択して生きてきたんだからしょうがない。手のひらを太陽に透かして見ても、僕の血潮はドロドロオイルの臭い(by Lizard)しかしない。でも、男だったら行かねばならぬことがある。世の中にはゼニカネよりも大事なことがいくつかあり、義理と人情はその中でも1~2を争う重要事項なのだ。

 要するに、今回のライブはPurple_Hazeさんの単なる懐古ライブではない。彼はすい臓がんという大変な病と闘っており、その病気の体をおして自分自身が学生時代を過ごした関西の、その地にいる友人たちに今の自分を見てもらいたいと考えて企画したライブである。Facebookを通じて招待されたが、こちらは日本のディープサウス、南九州で細々と生活しているルンペンプロレタリアート。大阪にライブを見に行くといっても、日帰りはちときつい。かといって、泊まりだと往復の飛行機代もホテル代もバカにならん。しかし、オレも男だ、ゼニカネというのはこういう時に使うのが、その本来あるべき姿だ。アベノミクスの恩恵などさらさら受けてはおらんが、こっそり蓄えておいた老後のためのウン十万の貯金(しかし、オレの貯金はそんなものかと通帳を見て涙したことは事実だ)を解約すれば何とかなる。これまでのわが人生、何とかなるだけの精神で生きて来た、それがパンクぞ、それが男ぞ、と己を鼓舞してツアーを決断。もっともその時はライブが25日の日曜なので、翌日の月曜日に休みを取り、1泊2日のツアーで行こうと思っていた。それでも、2年半ぶりの関西なので、学生時代の先輩、友人、後輩に声をかけて、前回は7月のクソ暑い時期に行った大阪夏の陣だったので、今回は大阪冬の陣と名付けて、OB会というか新年会をやろうじゃないかと提案した。

 提案したのは良かったが、毎回この手のイベントの幹事を主体的に取り組んでくれるT花君が23日の金曜日までしか関西にはおらず、翌日からは出張で九州に行くという。しばし、迷ったがこうなったらやけくそで23日に大阪で飲み会やって、24日は懐かしい京都の街をぶらついて25日に本命ライブを見ることにした。そうそう、花の75年度生トリオというのは僕とPurpleさんと、岐阜のThis Boyさんの3人だが、実は一度も全員一緒に顔を合わせたことがない。もちろん大学の同窓なので、キャンパスや京都の街のどこかですれ違っていたことはありうるが、お互いがお互いを認識した形で会ったことは無い。もっとも正確にいうとThis Boyさんだけは、彼の学生時代の様子を知っている。というのも彼はあの銀閣寺のライブハウス、サーカス&サーカスで僕のサークルにいたS戸君と一緒にバイトをしていたのだ。まあ、僕たちがサーカスに行ってライブを見たり、お酒を飲んだりするときにオーダーを取りに来たり、頼んだ飲み物やおつまみを持って来たりしてくれていた。ただ僕は知っているが、彼からすると僕はたくさんのお客さんの中の一人だから当然覚えているはずもないが。

ブーゲンビリア空港

 じゃらんで往復の飛行機のチケットと宿泊先を予約したのが12月の10日。それから出発の1月23日まで、年末年始を挟んで、しかもインフルにもかかったり散々だったが、それでも旅立ちの日はやってきた。2年半前の関西ツアーは指折り数えて待ったのだが、今回のツアーはインフルは治ったものの風邪のような症状が続き、一体全体、体調は大丈夫か不安が先行する旅だった。伊丹空港に行く便は13時発だったので、午前中に荷物をまとめた。ごろごろのついたバッグ1つに着替えから何から一式つめこみ、車に乗って宮崎ハイビスカスじゃなかった、ブーゲンビリア空港に向かった。空港の手前で、旅の間、車を預かってくれる駐車場に我がロールスロイスを預けて、その駐車場のワゴン車で空港まで送ってもらう。1日500円の駐車料金は高いのか安いのか良く分からないが、空港の駐車場に置きっぱなしだと1日1,000円以上かかるので、やはりリーズナブルといえるか。今回の旅はEチケットというやつで、飛行機の座席指定もすべてネットで済ませていたから、空港についたら荷物を預けてあとは本屋で立ち読みだ。2年半前の時は、偶然、文庫の『つぶやき岩の秘密』を見つけて購入したが、今回はなぎら健壱の『東京路地裏暮景色』を発見。手に取ってパラパラやってみたら、最初のほうに「“70年代”新宿物語」という項目があった。東京の過去の街の思い出と今の街の話が読み切りの連作になっている。雑誌の連載をまとめたもののようだ。高田渡が亡くなった時の話も書いてあったので、取り急ぎ保護。飛行機の中で読むには手ごろな感じ。

 金曜の午後1時の飛行機は満席だった。飛行機の中の細い通路を歩き、指定された座席に座る。じゃらんで予約したのは早かったが、飛行機の座席指定は今年になってやったので、窓際は全部予約済み。通路側しか残ってなかった。自分の席に座り買ったばかりの文庫を読んでいると、「すいません、ちょっと動いてもらえますか」という声がする。見ると、年のころは20代半ばくらいか、マスクをしているが、かなりイケると思われるおねいさんだ。一瞬、ざわちんかと思ったくらいだ、ウソだけど。彼女は自分の席に座りたいが、僕が先に座っているのでちょっと通してほしいということだろう。両手に大きな荷物を持っている。僕はすかさず、「荷物、上にあげましょうか」とよそ行きの声で話しかけたが、「あ、大丈夫です」と言われてしまった。たかだか1時間のフライトではあるが、隣の席がジジババか、きれいなおねいさんかで全然、旅の楽しさは変わってくる。今回は大当たりだ、さてどうやってナンパしようかと頭の中で謀議を凝らしていたら、おねいさんはスースーと寝息を立てて熟睡。結局着陸するまで起きなかった。いや、本当は目が覚めていたのだが、隣に座っているのが結構いい歳してるくせに迷彩色のパンツを履いた中高年パンク。これは身を守るためには狸寝入りが正解と思われたのかもしれん。そう考えると、ちょっと不愉快である。

 飛行機はほとんど揺れることもなく、機内でコーヒーやキャンディーのサービスも受け、快適な空の旅であった。伊丹について預けていた手荷物を受け取り、高速バスで梅田に向かう。以前来たときは、梅田でタワレコを見つけて、そこで1時間ほどCD探しをしたのだが、今回は本を読んでいたためタワレコの場所が分からず断念。地下鉄に乗り換え、ホテルのある淀屋橋に向かった。実は2年半前は淀屋橋の13番出口を出たまでは良かったが、持っていた地図を逆に見てしまい、炎天下の中、汗だくでホテルを探した。逆方向に歩いているから見つかるわけはない。人に聞くのもしゃくで、自販機でミネラルウオーターを買って、水分補給しながらホテルを探した。いい加減歩いたところで、あ、これ東西を逆に見てるんじゃないかと気が付き、そこからダッシュでUターン。エアコンの効いたホテルのフロントに入った時は涙が出そうだった。今回はさすがに一発でホテルまでたどり着いた。時計を見ると15時。マス坊が迎えに来てくれる約束だったので、メールを送りベッドの上でごろごろしているうちに寝入ってしまった。

 ノックの音がした。思った以上に熟睡していたようだ。部屋のドアを開けるとマス坊が立っていた。2年半前も全く同じシチュエーションを経験しており、一瞬訳が分からなくなる。それでも久しぶりの再会ではあるが、一言二言話しただけで、学生時代の雰囲気に戻れるのはうれしい。マス坊は手に紙袋を持っていて、それをこちらに渡す。「drac-obさんが、タケノコが好きなのは覚えてましてんけど、今はまだタケノコ採れまへんのや。九州も八女茶とか美味しいお茶があるの知ってますけど、京都のお茶も美味しいから飲んでください」とこれまたうれしい一言。そうなのだ、僕はタケノコが好きで、実はマス坊の住んでいる京都のその昔は相楽郡と呼ばれた地区は春先はタケノコが採り放題だという話を彼から聞いたことがある。

 僕は九州の男なので、たかが食い物のことをあれがウマいとかこれが美味しいとか、そんな女子供の腐ったようなことは言わない。言わないが、一生の間に一度は食べてみたいものに、タケノコの残酷焼きというものがある。それを知ったのは檀一雄の『檀流クッキング』を読んだ時だ。タケノコが生えている山に行き、まずは竹の落ち葉を拾い集め山にしておく。採れたばかりのタケノコのお尻のところをドライバーで穴をあけて、醤油を注ぎ込む。その醤油がこぼれないよう大根を切って、ドライバーであけた穴を埋める。落ち葉の山に火をつけ、醤油を入れたタケノコを、その山に突っ込む。あとはタケノコが焼けるのを待ち、取り出してそのまま食す。うーん、今、書いていてもよだれが出そうだ。贅沢である。それともう一つ食べたいものがある。瀬戸内海の鯛である。もっともこちらは吉行淳之介が子供の頃だから、まあ戦前の時代に食べた話をエッセイで読んだ。四国は塩づくりが盛んで夏場の暑い時期に浜辺で塩田というか、塩の山を作っていたそうだ。そこに取れたばかりの瀬戸内海の鯛の腹をさばいて、内臓を出し、あとはそのまま塩の山に突っ込む。真夏の太陽の熱と鯛の肉に沁みこむ塩のバランスが絶妙で、身を手で引っ張ると鶏肉のように裂けたそうだ。うーむ、こちらも今書いていてもよだれがでる。あ、結構オレ食い物の美味い不味いをいうタイプかもしれん。いやー、人間っていくつになっても自分のことが一番良く分からんな。

新年会会場

 などと、話がそれたが今回の大阪冬の陣、場所は梅田グランフロント、マス坊から聞いたが、最近できたばかりのビルだという。19時からの約束で、まだ18時を少し過ぎたところだったが、場所の確認もかねて早めに移動した。さっき梅田から淀屋場に来たところなのに、今度は淀屋橋から梅田である。ホテルを梅田で探せば良かったと思ったが、多分、梅田のホテルは高い、高いに決まっている、あそこに泊まるのはカタギの人間ちゃうと思いこむことにした。地下鉄を出て、くだんのビルに向かう頃はもう真っ暗で周囲のビルの明かりや行きかう車のヘッドライトが照明代わりである。街の中の人の多さと、車の多さにちょっとひるみながらも、心の中では、「なんだ、宮崎の中央通りやニシタチと変わらへん、大阪なんかに負けてへんわ」と、いきなりな関西弁で見栄を張る。まあ、自分で自分に見栄を張ってもしょうがないので、このビルの由来と中のテナントについてマス坊の話にいちいちうなづいた。目的の店は7階にあった。それまでのフロアは普通にテナントが入っていたが、7階は全て飲食店で焼肉や粉ものや寿司屋などいろんなお店が通路の左右にならんでいる。予約していた大阪おでんの店は一番奥にあった。

 19時より少し前についたので、多分まだ誰も来ていないと思いつつ、店員に予約していたT花の連れだと話しかけたら、目の前の席にT花君がいた。その横に、もしかしたら将来立派な作家先生になっているかもしれないS田君、おっと、ご夫婦で来ているのは初対面だがウェブ上で何度も写真を見ていて、全然初めての感じがしないM谷夫婦。どうも、どうも、子供達(by P-Model)とあいさつしながら席に着いた。5、6人が座れるテーブル席を二つ予約してくれていた。今回の飲み会に参加するのは、僕と同学年のN谷君、Hさん、後輩の鳥肌音楽ことI橋君、パンク・ニューウェーブのライブはかなり見ているN尾君、万年ネルシャツ、ブルースの鬼、O畑君、奥さんも同じサークルだったU田君、そして僕と僕をここまで案内してくれたマス坊の総勢12名。そろそろ約束の19時になるが、N谷君は名古屋からの移動だから遅くなるかと思いつつ、何気に後ろを見たらそこはビルの通路になっていて、置いてある椅子にN谷君が座っていた。「あ、なんや、お前、もう来てたんか」と、相変わらず口が悪い。しかも、後輩連中が挨拶しているのに完全シカトである。元暴力学生はこういうところがいかんなと、僕がその場で注意して行動をたしなめた。そのあと、Hさんもやってくる、U田君も、O畑君も来て全員合流。年齢差12歳の不思議な集団の飲み会がスタートした。

 しかし、考えてみると不思議なもので学生時代に一緒にサークルをやっていたのは、79年度生のI橋君、あ、違うか、80年度生のN尾君までなのだが、ウェブでいろんな形で再会して、ついにはFacebookに電脳サークルまで作り上げ、先輩、同級、後輩たちとの交流が始まったのだ。もっとも、ある先輩とは意見が合わず電脳サークルを辞めた方もいたが、ま、それはいいか。この手のサークルのイベントにレギュラーで来ている人たちと、今回がほとんど初めてみたいな人たちもいたが、それぞれアルコールの摂取量と比例して話が盛り上がる、声が大きくなる、なるのだがお店のパワーがものすごく、ちょっと離れた席にいる相手とはほとんど話が出来ない。まあ、それでもよもやま話、学生時代の話やここ最近の出来事、今、どんな仕事をしているかなど大いに盛り上がる。意外だったのはN谷君は姫路の出身なのだが、後輩(今回が初対面)のM谷夫妻の経営するお店を知っていたことが分かり、世間は狭いなという結論に至る。しかし、何といっても周囲の音がすごくて落ち着いて話が出来ない。19時に始まった飲み会だが21時に時間終了を告げられる。このまま黙って帰るわけに行かないので、もう1軒行こうという話に当然なる。もっとも、同級のHさんはシンデレラなので、もう家に帰らないといけないと言って、お土産に大阪名物塩昆布をくれた、実は、ワタクシ、漁村の生まれで昆布やわかめ、海苔など、あ、もちろん魚も大好きなのだ。しかし、マス坊は京都の玉露のお茶をくれるし、Hさんは塩昆布をくれた。N谷は何もくれなかった。昔からそういうやつである。I橋は松田優作のデビュー作のDVDをくれた。まあ、このへんは、なんというか、あれだな、僕の人徳だな。

 さて、次のお店はゆっくり話ができるところに行こうという僕の提案は、元暴力学生のN谷君の「カラオケ行こうぜ、ジャンカラでもいいよ~」という変に間延びした声にブロックされた。人が九州からわざわざ出てきて、久しぶりに仲間と飲もうというのにカラオケかよ、ま、しかし、カラオケは意外とその人の性格が出たりして面白い。結構ええんちゃうけ、と総勢11名はカラオケボックスに繰り出した。若干2名ほどがインターナショナルを歌いながらカラオケボックスに向かっていたが、インター、久しぶりに聞いたな(笑)。さて、そのカラオケであるが最初は1時間で申し込んで部屋に入ったが、そんなもん、終わるわけがない。結局延長して店を出たときは午前零時が近かった。終電間際の連中はダッシュで消えていき、僕は最初、S田君と一緒だったが彼は京都に帰るので地下鉄に乗る僕は一人淀屋橋に戻るのだった。カラオケ楽しかったね、しかし、誰かが入れた”As Tears Go By”を全員で合唱したのは、店員からすると不気味だったかもしれない。実はこの時のカラオケボックスの様子はICレコーダーに一部始終録音してある。この間聴きなおしたが、結論。カラオケはみんなで酔っぱらって大いに盛り上がるべし。後日、冷静に聴きなおすというのは修正主義である。ということで2日目の旅の話に続くココロだ~。

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