うーん、前もこんなん書いた気がする

 年末年始は家族にインフルが流行り、僕は大丈夫だったがエライな目にあった。そのおかげでblogの更新もほったらかしだったし、第一に大掃除もなし、年賀状も元日にPCソフトを使って一気に仕上げた。漏れた人もいるかもしれんが、次回はちゃんとやりたい。で、年末年始の出来事をアップするつもりだったが、前回作成したCDに続いて今度は日本のロックのCDを作ってほしいという依頼があり、とりあえずMP3で保存していた音源をもとに作ってみた。選曲もコメントもオレらしいなと思うが、本日はそれをアップして新年のご挨拶に替えたい。てか、今月末に2年ぶりの関西ツアーを予定しているので、そちらに気持ちが傾いていて落ち着かないのだ。ていうことで以下はコピペ。

極私的70年代日本のロック その1

1、 I’ll Sing The Blues For You by ウェストロード・ブルースバンド
 同志社大学の軽音楽サークル、ライラック・レインボーに在籍していた、塩次伸二、永井隆らが中心になり結成された。バンド名はメンバーが西大路近辺にたむろしていることが多かったからという説もある。70年代の関西にはブルース・シーンがあり(今も多分ある)、数々のバンドが活躍していたが、その中でも人気実力ともに突出していた。この歌はアメリカに渡った、もう一人のギタリスト山岸潤史に向けて歌われている。なお、B・B・キングにもそのギターの腕を絶賛されたギタリスト塩次伸二は2007年宮崎でのライブを行った翌年に栃木県で急病のため亡くなった。合掌。

2、 ブルドッグ by 近田春夫&ハルヲフォン
 著作『考えるヒット』シリーズなどで、すっかり文化人の仲間入りした近田春夫が1978年にリリースしたアルバム、『電撃的東京』からの1曲。オリジナルはフォー・リーブスのヒット曲。パンクやテクノポップがヒットした78年に、それまでの歌謡曲を近田のセンスでまとめた名盤。何しろ山本リンダやピーターの歌が見事にロックに変わっていて、最初聴いたときは開いた口が塞がらなかった。ハルヲフォンの次に近田が結成したバンドがビーフで、このバンドのメンバーがのちにジューシー・フルーツを結成して「ジェニーはご機嫌ななめ」をヒットさせたときは、またもや開いた口がふさがらなかった。というか、ライブで見たイリアは、やはり可愛かった(笑)。

3、 月光仮面 by モップス
 GSといってもガソリンスタンドのことではなく、グループ・サウンズのことである。あ、グループ・サウンズもご存知ないか?ジュリーがいたタイガースだとか、ショーケンのいたテンプターズとか失神バンドといわれたオックスなんかがいたんだが、えーと詳細はWikiで調べてください。そのGS時代から活躍していたモップス。もっともボーカルだった鈴木ヒロミツも亡くなって早8年が過ぎようとしている。GSブーム真っ只中の67年に「朝まで待てない」でデビュー。アニマルズのエリック・バードンに心酔していたヒロミツの黒っぽいボーカルと星勝のエッジの効いたギター、そして何といっても歌謡曲とは一線を画したセンス、演奏スタイルで一部の熱狂的マニアを作ったが、メジャーにはなれなかった。もっともいまだに英米ではカルト的な人気があり、彼らのLPレコードはかなりな高額で取引されている。この曲は客の少ないライブハウスのステージでアドリブ的に始めた演奏が元になっていて、深夜放送で大ヒット。この後、よしだたくろうの「たどり着いたらいつも雨降り」や陽水の「傘がない」などをロックにアレンジして歌ったが、フォークに魂を売ったと偏屈なロックファンから目の敵にされる。余談だが、初期の井上陽水のアレンジャーは星勝が担当、あのアルバム『氷の世界』は陽水のセンチメンタリズムと星勝のクラシックセンスを取り入れたアレンジで大ヒットした。

4、 パチンコ~ランランブルース by 憂歌団
 関西ブルース・シーンを語るときに憂歌団を外すわけにはいきません。天使のだみ声と評価される木村の超個性的なボーカルにカルピスの瓶で作ったボトルネックを駆使する内田勘太郎のギター。ベースとドラムは派手さは無いが、しっかりリズムをキープしてバンドにグルーブをもたらす。デビュー当時はアメリカの黒人ブルースに日本語の歌詞を乗せて歌うことも多かったが、だんだんオリジナルも増えてきて、このパチンコは初期のライブで「スティーリン」と並んで大いに盛り上げる演奏だった。1975年12月20日に初めて憂歌団を磔磔で見たが、その当時からステージパフォーマンスは堂々たるもの。演奏の半ばで木村が「オレ、もう歌うの飽きたから、お前歌えや」と勘太郎に振り、勘太郎がしぶしぶ「イコマ」を歌うシーンは大笑いした。バンドのドラムを担当していた島田が2012年に自殺。そのことがきっかけでそれまで休眠状態だった憂歌団を再結成。ドラムは元RCサクセションの新井田耕造が加入。なお、木村と内田は憂歌兄弟というユニットでも活躍中。

5、 私は風 by カルメン・マキ&OZ
 70年代を代表する女性ロックボーカリストというより、ロックバンドOZを率いたカルメン・マキ。デビューは「時には母のない子のように」で、暗いフォークの娘というイメージだったが所属したレコード会社(CBSソニー)の社長が彼女のヒットを祝って、当時流行していた英米のロックのアルバムをプレゼント。その中にあったジャニス・ジョップリンのレコードを聴いてロックに目覚める。1972年に当時18歳の天才ギタリスト春日博文らとOZを結成。バンドデビューの前は荒木一郎の家で練習をさせてもらっていたが、母親で女優の荒木道子はとても怖かったと、これはマキさんご本人から伺った話(ちょっと、得意顔)。この曲は中森明菜などがカバーしたり、CMで使われたりしたので聞き覚えがあるかもしれない。ちなみに今のカルメン・マキはロックだフォークだジャズだ、などといったレッテルとは無関係、はるかに遠い存在になっている。浅川マキの歌を歌わせたら、彼女にかなう人はいないだろう。

6、 ロボット・ラブ by リザード
 79年に東京ロッカーズのなかの1バンドとして登場してきたが、それ以前は紅蜥蜴というバンド名で活躍していたキャリアの長いバンド、というかバンマスのモモヨ。77年にロンドンとニューヨークで突然起こったパンクロックムーブメントは、あっという間に日本にも浸透してきて、それまでほとんど楽器を持ったことのない人間も、それ以前は従来のロックバンドをやってきた人間も一気にパンク・ニューウェーブの流れに飲み込まれた。そんな中でロンドンからやってきたストラングラーズ、特にメンバーのJJバーネルに気にいられ、リザードはロンドンでレコーディングも経験。この曲はオムニバス・アルバムである『東京ロッカーズ』にもおさめられている。

7、 スウィート・ホーム大阪 by ファニー・カンパニー(桑名正博)
 70年代初頭、東のキャロルに西のファニカンと言われたロックンロールバンドで桑名正博がリード・ボーカル。70年代当時は大阪弁で歌を歌うというのはタブーではなかったが、色物的な見方をされていた。その中で、♪あんさん、新聞読んだはりまっか、排気ガスはひどいし事故も多おまんな~とぬけぬけと歌う桑名とバックの軽快な演奏は目立った。キャロルがありえないテーマで歌う(ルイジアンナなんて日本人がいるかよ)のに比べて、地元大阪の日常をさりげなく歌うファニカンは関西では圧倒的な人気があった。もっとも桑名は会社の社長の息子で、いわゆるええとこのボンだったので貧乏学生からは嫌われる一面もあった。その会社も倒産寸前まで行き、ボランティア活動しながら再建に取り組む姿に拍手を送っていたが、残念ながら病に倒れて今は彼岸の国の住民である。そうえいえばアン・ルイスの最初の旦那だった。

8、 ミスター・クラウディ・スカイ by 五輪真弓
 ちょっと信じられないかもしれないが、70年代初期、ユーミンと五輪真弓はほぼ同時期にデビューしたが、注目度は圧倒的に五輪真弓が高かった。何といってもキャロル・キングをバックにロサンゼルス録音という派手さ。方や、ユーミンはほとんどキャンペーンらしいものは無く、僕が学生時代に販促用のシングルを偶然手にしたことがあったが無地の紙袋に入ったシングル盤で、その白地の紙袋に赤いゴム印でユーミンとだけ書いてあった。ユーミンというのは曲名なのか、バンド名なのか最初は分からず混乱した。その五輪真弓、後年は「恋人よ」で、妖怪人間ベラに似たルックスをテレビに登場させるわけだが、そのヒットまでが長かった。この曲は多分、ニール・ヤングの「See The Sky About To Rain」からヒントを得たと思うが、のびやかな彼女のボーカルが印象的である。

9、 不滅の男by 遠藤賢司
 純音楽家エンケンの歴史的名盤『東京ワッショイ』収録の1曲。「カレーライス」や「ほんとだよ」などの抒情的な歌でフォーク・シンガーの印象が強いが、フォークやロック、ジャズにパンクなどカテゴリーにとらわれないフリーフォームな活躍を現在まで続けている御年67歳。この歌詞で歌われている相手は誰か、当時いろいろ考えたけどフォークのプリンスと言われたY田T郎なのか、あるいはI上Y水なのか、それともそういうミーハー・ミュージシャン全般を歌っているのか。とにかくエンケンはバカヤロで天才なのだ。

10、 ロシアン・ルーレット by 山本翔
 このライナーを書きながら、ふと思ったのだが70年代に活躍したミュージシャンの多くが鬼籍に入っている。この宇崎竜童が作った軽快なロックンロールを歌った山本翔もすでに他界している。70年代末期のパンク・ニューウェーブ時代に、あの土屋昌巳のいた一風堂をバックに颯爽とデビューした和製ミック・ジャガーこと山本翔。当時行きつけだったライブハウスに若い女の子が殺到して、ものすごい黄色い声の中でバンドを従えて出てきた。多分、ロックのライブに行くのは生まれて初めてみたいなお嬢さんばかりでノリもいまいちだったが、その客に対して「しけたお客」とつぶやいたのは大変むかついた。アンコールにストーンズの「ミス・ユー」をやったが、確かにミックに良く似ていた。もっともそれだけだったが。

11、 ダブル・ディーリング・ウーマン by 紫
 70年代の日本のロックシーンの特徴は、東京以外の地方都市から登場してきたバンドが一気に増えた点が上げられる。その中で本土復帰したばかりの沖縄(信じられますか、当時はまだ沖縄はアメリカの統治下にあり、パスポートがないと行けなかった)から、突然登場してきた紫は衝撃的だった。たとえばクリエーションが「You better go」というオリジナルを「ゆべーたごー、ゆべーたふぁいんだうつ、ゆべーたうぇいてんぐふぉじあざーがい」とまるっきり日本語で歌っていたのに対して、紫はネイティブと変わらない発音で(てか、巻き舌ですよね、ジョージ紫は)歌った。そしてサウンドは完全にディープ・パープルそのもの。米軍のキャンプで鍛えた演奏能力とリーダーであるジョージ紫のセンスが光るこの1曲。イントロからエンディングまで一気呵成とはこういうことを言うのだ。この紫の本土での成功が後のコンディション・グリーンや喜納昌吉の登場を促すといってもいいと思う。残念ながら紫はアメリカ進出直前で解散してしまうが、もしそのままアメリカでのデビューが決まっていたら、日本のロックシーンは大きく変わったかもしれない。ちょうど、プロ野球で野茂がメジャーの道を切り開いたように。

12、 路地裏の少年 by 浜田省吾
 迷ったのだが、やはりハマショーのこの歌は入れておきたかった。「マイ・ホームタウン」にしようかとも思ったが、やはり彼の原点はこの歌だと思う。青春、葛藤、ジレンマ、夢と希望、そして挫折と永遠のセブンティーン、浜省の代表曲。

13、 ハドソン・リバー by レイジー・ヒップ
 これは70年代後半に関西の、それもライブハウスに入り浸った人間しか納得してくれないかもしれない。が、しかし、いいバンドだったんだよ、レイジー・ヒップは。西岡恭蔵が作ったこの曲をからっとしたサウンドに仕立て上げた一番の理由はグァムで録音したから、なんていうのは楽屋落ちであるが、しかし、ボーカルの千秋ののびやかな声と長田タコヤキのスライドギター、それに絡む安っさんのギター。キーボードはのちに千秋と結婚するチャールズ清水が弾いているが、バンドメンバーではない。加川良が気に入ってバックバンドとしてツアーに出たり、彼と一緒にアルバムを作っているが、もっともっと評価されていいバンドだと思う。

14、 はいからはくち by センチメンタル・シティ・ロマンス
 ご存知、はっぴいえんどの曲を兄弟バンドといってもいいセンチがアルバムにまとめた『はっぴいえんど』から。バスドラの音から始まり、GOという掛け声とともに懐かしいはっぴいえんどの歌がよみがえる。今調べたら83年のアルバムだが、センチのデビューは70年代だしはっぴいえんどは日本語のロックを確立した第一人者なので、許せ。

15、 どうしようかな by 村八分
 70年代というより、日本人が日本語でロックをやるというのはこういうことなんだとつくづく考えさせてくれるのが、村八分。演奏能力はフジオちゃんのギター以外は特に突出しているわけではないが、チャー坊のやる気のないような歌い方の中にブルースはあり、ロックはあったと思う。オリジナルアルバムは2枚組ライブだけという潔さ。このバンドの再結成ライブを体験できたのは6年間の学生生活の中で最大の収穫だったと思う。

※まとめ~やはり1枚のCDに日本のロックをまとめるのは当然無理であり、今回はMP3の音源なので音質もあまりよくない。もう少し系統だてて作ることもできたが、休日の合間にあれこれ考えながら編集したのでまとまりがないといえばないが、それこそがロックではないか。パンタはどうした、INUがないぞとかいろいろなご意見はあるでしょうが、とりあえずパート1というか、導入ということで。

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コメント

意図的かとは思いますが、やはりはっぴいえんどは外しちゃあかんでしょ。センチは「うちわもめ」か「LA大橋Uターン」。
はっぴいは「日本語のロック」の部分が強調されますが、さらに重要なのは日本のロックにグルーヴを持ち込んだという点かなと思います。その意味では細野晴臣というのは日本のロックの最重要人物だと思います。

GS=グループサウンズ

高校生になってから ユースホステルを利用して旅行をするようになり 全国のユースホステルが載っているハンドブックを買いました。予約した後に 地図を見たら GSの文字。GS=グループサウンズ と刷り込まれていたため 最初は 何で こんな所にグループサウンズ? しばらくして それは違うだろうが グループサウンズ以外にGSと略す物が 存在するのか? と ガソリンスタンドと気付く迄に 30分位かかりました。ギャグではなく、本当の話です(笑)。それほどGSって 一時代を築いたのだ と言う 言い訳なんて要らねえよ ですな。モップスなら「御意見無用」でも いいじゃないか、いいじゃないか♪ 村八分の代表曲は「あっ!」だけど 一般の人には「どうしようかな」で抑えておくのは賢明かもですね。サンハウスとかも 入れたい所です。

あのバンド

まだということはその2で、でしょうか。もちろんあのバンドです。ブレイン…。

皆さん、米返し遅くなり済みませぬ

月曜の深夜、インフルに罹患しタミフルで何とか回復したところです。丸3日仕事を休み、本日久しぶりに出勤したら、「うわ、出た」とか「げ、出て来た」と散々な言われよう(涙)。それでも何とか働いていたけど、だんだん声が出なくなりいつものベルベットボイスが台無しでした。

>saltyriverさん

しょーもないフォークグループみたいなHN使いやがって(笑)。うん、はっぴいの曲は次のベスト作成に入れるため予告編で入れた。センチももちろん「うちわもめ」をセレクトしています。日本語のロックというとはっぴいえんどが揉み手をしながらやってくるイメージですが、正直、お前らだけ違うわ、といいたくなる正直者のワタクシです。細野の偉大さは認めるけど、最重要かどうかはそれぞれの判断だろう。

>om-eco先輩

こちらも実に分かり易いHNで、見た瞬間、ご本人の得意げな顔が浮かびました。OMソーラーハウスはエコだという意味でつけたんでしょうね(んなわけないって)。さすがにお見通しですが、相手の人たちはほとんどロックは聴いていないので、まずは入りやすいけど割とレアなものを選びました。モップスは「御意見無用」と「雨」と迷いましたが、あ、これもあったなという感じのセレクト。ハイ、もちろん九州の男ばってん、サンハウスは欠かせんとです、「レモンティー」か「ロックンロールの真っ最中」あたりが次回登場するとです。ヒロシです、ヒロシです、ヒロシです。

>Walker-brosさん

もちろん、あのバンドは欠かせないのですが、下手するとCD1枚全部があのバンドになりそうで、、じっとこらえたとです。でも次回は今の時代にシンクロしそうな「軍靴の響き」や「ノーモアコミックス」あたりが出てくるのは間違いなかとです。ヒロシです、ヒロシです、ヒロシです。

大丈夫ですか??

インフルエンザ…大変でしたね(涙)
体調の回復を心から祈っています。。。

drac-obさんの選曲、ワクワクします。
私も聴いてみよう(^-^)

イマンさん、レス遅くなりスイマセン

インフルは治ったのですが、何となく疲れてすっきりしません。インフルの後に風邪をひいてしまったような感じです。今週末は関西に行くので、これ以上体力をロスしないように早寝しています。また旅行の話をアップしますので宜しく。

この選曲で聴いてみたいデス。。藤田敏八の映画でみたモップスの演奏がめちゃくちゃかっこよかったけど何の曲だったかなあ。五輪真弓は「少女」のデビューが鮮烈で、親父が「煙草のけむり」を気に入ってくれたのがうれしかった記憶があります。エンケン、何度かライブ行きましたがごぶさたしてますね。

センスのいいお父さんですね

「煙草のけむり」は五輪真弓が、ライブのMCで『初めて作ったメジャーコードの曲』と紹介していました。て、ことは何かい、あねさんはそれまではマイナーコードの曲しか作らなかったのかい、どうりで養鶏人間、違った、妖怪人間ベラに似てるんだな、というのが正直な感想でした(笑)。悪い癖でこの選曲でCD作りましたが、全部人にあげてしまい手元にありません。そのうち、また再編集してズトさんにも送ります。当てにせず、首を長くしてお待ちください。

はたして、このエントリーの続編がアップされるのと、ズトさんの手元に音源が届くのとどちらが早いか、ゴッドオンリーノウズです(笑)。
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