MUDDY ROPE DIARY 或は 泥縄日記

 うだうだしているうちに12月である。ちょっとばかり、のんびりと地下に潜行しているうちに健さんも、文太兄貴も彼岸の国に去ってしまった。健さんが亡くなった時に、『昭和のスターがまた一人いなくなった』みたいなコメントがネットをはじめメディアでたくさん見たが、今回の菅原文太の訃報で、さらに『一つの時代が終わった』みたいな週末ついでに世紀末(by スターリン)的送る言葉があちこちで見られるが、これまた実に鬱陶しい。役者が何人か死んだくらいで時代が終わるか。そんなもんで時代を終わらすな。どさくさ紛れで京大の敷地内に公安入るな、などとやや八つ当たりもしたくなる昨今である。そういえば、あの同学会のニュースを例によって3K新聞は『各セクトは暴力性や党派性を隠し、震災で関心が高まった反原発やボランティア活動などを通し、浸透を図っているとの分析もある。大学内でも自治会やサークルを装って近づき、加入を促す「オルグ」が積極的に行われているという。』などと書いて、その後に『「新入生が4月に引き込まれて養成され、夏には目つきも違う筋金入りの活動家に成長する」と公安関係者は話す。別の捜査関係者は「過激派は逆風にさらされ、外見を変えながら若者を取り込もうとしている」と警鐘を鳴らした。』などと公安の予算分捕り作戦に手を貸す記事に仕立て上げた。そうか、大学の自治会やサークルに入ると「オルグ」されて、たった数カ月で「目つきも違う筋金入り」の活動家に仕立てあげるっていうのは、なかなか綿密な教育スケジュールもあるだろうが、「オルグ」される当人の問題意識がキョーサン革命を志向する思想性を持っていないと難しいと思うが、今の格差社会にはそのような問題意識を持った先天性革命家がごろごろしているのかもしれん。そりゃ楽しみだ。3Kさん、続報を期待する。

 などとひねくれたエントリーは毎度のことだが、しかし、あまりにも早すぎる。時のたつのが早すぎる(by 頭脳警察)。気が付いたら、壁のカレンダーもあと1枚である。もういくつ寝るとお正月である。お正月というのは『仏教徒2人』という意味である。その心は、『和尚がツー』、などとマイ・イングリッシュ・ジョークを快適に飛ばしながら、11月の反省と振り返りをしていきたい。

 11月は恒例のキャンプに行ってきた。僕が初めて入社した会社に何らかの形で所属したメンバーが年に2回集い、よもやま話を酒と大量の飯と一緒に摂取してバカ騒ぎをするイベントで、かれこれ四半世紀は続いている。もっとも僕が参加するようになったのは6年前からなので、あまり偉そうなことは言えない。偉そうなことは言えないのだが、参加メンバーの中では、その会社の最古参に近いので、どうしてもエバってしまう。ここ、大事なところで「偉そうなこと」は言わないが「エバ」るのだ。まあ、エバッたところで、誰も相手にしてくれないというか、また困ったオヤジがごね始めたみたいな捉え方しかされないので、最近は慎むようにしている。今年も人格が丸くなったワタクシをみんなに見せようとしたら、なんと今回は僕の上司だったM木さんも一緒に行くことになったので、最古参ではなくなった。このM木さんはエネルギッシュな人で、お勤めしていた会社はとっくに定年退職されたのだが、半年ほど家でぶらぶらしていたら退屈でたまらず、今は嘱託みたいな形で、以前勤めた会社の最前線で営業しまくっているというオジサンである。キャンプは第3土曜日だったが、その日も午前中全力投球で働き、正午のベルが鳴ると同時に僕の携帯に電話してきた。

 僕はその週の初めに風邪を引いてしまい、それがなかなか完治せず体調がイマイチだったので、今回のキャンプは欠席するかもしれないとM木さんにも連絡していた。その点を心配してくれて、オレが車を出して運転するから行こうという流石はトップセールスマン、強気のクロージングで、僕も普段は長幼の序などと言う割には、そういう時に「遠慮と勉強はしない」立場で生きてきたので、一も二もなく「行きます、行きます」と返事して合流した。場所は毎年冬のキャンプの定番、以前は伊佐郡菱刈町と呼ばれていたが、今は悪名高き平成の大合併のおかげで伊佐市というシンプルな地名になった場所にある川のほとりのキャンプ場である。僕の地元からは一般国道で2時間ちょっとで到着する距離だが、そこはバリバリの営業マンのM木さんである。豪快に高速道路をブッ飛ばして行ったので1時間とちょっとで着いてしまった。このキャンプには毎回事件を起こす、いわゆるトラブルメーカーの雑費君や、1900年代の初期にロシアで生活していたら絶対レーニンの影武者にさせられただろうI上君という名物コンビがいるのだが、今回は欠席。理由は雑費君に孫が生まれたこととI上君は一念発起して起こしたラーメン店が軌道に乗り、ここ一番で休んでなんかいられないくらい商売繁盛笹持ってこい状態らしい。まあ、少し寂しい感じはしないでもないが、その分、熊本からN村君というヨカニセが参加する。しかし、このN村君だが呑むだけ呑んだら早々と寝て、みんなが寝静まった明け方に、一人でさっさと車で熊本に帰り、しっかり仕事をしたというロードーシャの鑑である。

 キャンプの夕餉はいつもと変わらず、昔話に花が咲いて、あいつはどうしているとか、あの時の事件は実は今だから話せるこんな真相があったとか、かれこれ四半世紀は同じ話題だけで盛り上がれるから、一緒に働いていた時にいかに濃ゆい人間関係があったか、さっしが付くというものだ。しかし、今回、意外な展開もあった。串木野から毎回参加するK瀬さんという、こちらも社歴の古い人がいるのだが、なんと今回彼が冬のキャンプは寒いからと、わざわざファンヒーターを持参してきた。そして、それ以上に驚いたのはカラオケセットを持ってきたことだ。もっともレーザーディスクやDVDという本格的なものではなく、マイクに曲が記憶されていて、それをテレビにつないで歌うという仕掛けのものだが、しかし、深々としたログハウスの中でみんなでやるカラオケは異常に盛り上がった。ただ残念ながら僕は演歌がダメなのでカラオケで歌える曲が少ない。その辺のことは良くご存知のK瀬さんはすぐに「あ、『ヘイジュード』ありますよ、歌いますか」とか「RCサクセションも入ってたと思うんですけど、無いですか」と気を使ってくれる。まあ、気を使わせてばかりいてもいかんので、僕が唯一歌える演歌、「石狩挽歌」を入れたが、歌に入るときキーを間違えたので最後が苦しくてしょうがなかった。K瀬さんも今回はテストパターンとして持参したらしいが、次回の夏のキャンプまでにはマイクに仕込む曲を後1000曲くらい増やすと言っていた。

 11月のキャンプはそんな感じでばたばたで終わった。それから、何をしていたかというと本を読んでいた。以前、写真をアップした鳥飼久美子の『英語教育論争から考える』を一度読んで、あまりに考えることが多かったので再度読み直しをした。読み直してつくづく感じたが、これは良書である。多くの人に読んでもらい、英語は何のための勉強かということも含めて考えてもらいたいと思った(ここ、マジ)。読んで驚いたのは我がポンニチにおける英語論争というか、英語教育改革案というのは明治の初めから全く、何にも進歩していないというか、議論が継承されておらず尻切れトンボ、悪たれ小僧でアッカンベーのベロベロバ(by ご存知ZK)であるということ。要するに「話せる(通じる)英語」か「素養としての英語」かという議論の繰り返し。第1章では、この本のタイトルである「英語教育大論争」で、僕は知らなかった(元英文科の学生としては大変恥ずかしいことであるが)が、1970年代に平泉参議院議員が提出した英語教育改革案に対して上智大学教授だった渡部昇一が反論、「実用か教養か」の大論争が行われた。そして、その時の「平泉試案」を「戦後初の英語教育抜本的改革案」ととらえた鳥飼さんが、平泉氏と渡辺氏にインタビューして、なんと驚くべき展開になっていく、ちょっとしたミステリ風味でもあった。

 詳細は是非、本を読んで確認してもらいたいが、その昔から日本の英語教育では文法教育が目の敵にされてきた。世間でよく言われる「学校教育は文法と訳読ばかりやっているから使えるようにならない」という論法である。であるが、これは破たんしている。学校現場ではこの20年来、文法訳読による授業は主流ではない(学校が授業の必要性の中で文法を教えることは当然あるが)。それではなぜ、いまだに文法を教えずに使える英語を教えろという論調がまかり通るか。中学、高校、さらには大学とトータルで10年英語を学んできたが「俺様」が英語を話せないのは、文法中心の授業が悪かったんだという、責任転嫁論。また教育改革に必ず首を突っ込みたがる、いわゆる財界・経済界の意見である。要するに「仕事で英語を使うのには会話が出来ないと意味がない。文法など無駄だ」という意見である。この経済界はグローバルがお好きで、我がポンニチに税金払うくらいならよその国に税金払って世界に通じる企業にしたいという碌でもない連中の集まりだといいたい。さらに大学入試が文法中心だからダメだなどという財界のご意見もあるが、これも実は全く事実と異なるので笑ってしまう。

 まあ、とにかく笑ったり頭に来たり忙しい本ではあるが、面白さではここ数年の中ではダントツ、もちろん僕の個人的見解だが。最後にグローバル人材は育つかという大きなテーマが出されていてこれは考えさせられた。著者の考える「グローバルな人間」とはどのようなものか。以下、引用する。

私の考える「グローバルな人間」のもっとも重要な資質は、異質な考えを理解しようとする開かれた心である。さまざまな意見があり、価値観があり、世界観があり、賛成も反対もある中で、相互理解をはかりつつ折り合いをつけるのがグローバルに生きる人間に求められる必須の資質である。ともかく異論を封じて和を保とう、という事なかれ主義では、日本の未来を担う次世代を育てることはできない。(中略)異質な他者を理解しようと意見をやりとりして相互理解をはかることができてはじめて、グローバルな人間が育つ。コミュニケーションに英語を駆使することのできるグローバル人材が必要だと言うのなら、伝統的な日本社会のあり方、日本人の価値観そのものを問い直す必要があるのかもしれない。


 読んでいきながら非常に納得できた。もっとも今の状況と言うのは、「異論を封じて和を保とう」ではなく、異論そのものをつぶす、これは比ゆ的な意味ではなく物理的につぶそうとする組織や個人、そして権力があると考える。毎度毎度のひねくれたものの言い方をさせてもらうと、「ネウヨ」や「ザイ何とか会」などという連中は英語の勉強が苦手だったのだろう。そういえば、先日、FBで宝田明の反戦への思いを伊達政保のウォールで知った。うん、なるほどと思ったから連帯(シェア)した。すると、すぐに反対意見が出たのはいいが、一切相手の言い分を聞こうとせず、「オレサマ」視点ですべてを分かったような気になっている。ああ、疲れるな。こういう手合いの多いこと。

 ということで、先日のノルウェーのフリージャズライブの話に行く。これは良かった。強力だった、少し前にも、同じくライフタイムでノルウェーのフリージャズバンド、Flode Gjerstad Trioを見て、その圧倒的な演奏に参ったが、今回の2バンドも凄かった。最初にテナーサックスとピアノといいう最少編成のデュオが登場。Albatroshという名前だということは後から知った。フリージャズなんだけど、メロディがはっきりしていて聴きやすい。しかし演奏は緊張感あふれるものだった。1時間近くの演奏がat your mindであった。あ、「あっという間」という意味のエゲレス語ね((笑)。おっと、こういう態度では鳥飼さんに怒られてしまうか。そして、サックスはそのまま次のステージにも登場、こちらはFriends and Neighboursといいうバンド名。その昔、ブレッドに「フレンズ&ラバーズ」という洒落た曲があったが、関係は無いと思う。演奏が終わった後、鳥飼さんの本を読んだばかりのグローバル中年を目指す僕は、早速バンマスと思われるサックスのところに行って話しかけた。まずはジョークだと思い、小さなライフタイムのステージに大きな北欧人が6人も乗ったのでステージが壊れるんじゃないかと心配していた、というと大受け。とまでは行かなかったが、それなりに笑ってくれて、その後はもっと多くの宮崎の人に聴いてもらいたかったと話したら、小さいライブハウスでお客さんのダイレクトな反応を見ながら演奏するのが僕たちの流儀なんだ、なんてこと言ってたな。しかし、あれだな。英語は何かに似ているな。まず、大勢の前よりも密室のほうがやりやすい。そして同性よりも異性とのほうがスムーズに行く。またある程度のアルコールは盛り上がるが、飲みすぎるとダメになる。うーん、何だったか、ちょっと思い出せないが、確かに良く似たものがある。などと、せっかくの鳥飼さんの本もしょうもない結末で終わってしまうのだ。



スポンサーサイト

コメント

王八蛋

1ヶ月位前、中国から来た40フィートコンテナから 荷物を出す作業をしてたら 3分の1位進んだ所で 左側の壁に「王八蛋」と言う落書きが有りました。「何だい こりゃ、人の名前か?」と言ったら 一緒に作業してた 元々は中国人で 帰化して日本人になった男が 解説してくれました。「本来の意味は 王八がスッポンで、蛋は卵なんだけど、王八蛋で 馬鹿野郎とかアンポンタンの意味になるのです。」と言うことでした。日本語でも 馬と鹿と言う それ自体は 害の無い言葉が合体して 侮蔑する単語になるみたいなものでしょうな。そのコンテナが 落書きした奴の所に戻るのならば、中国語で 返事を書いてもらうのですけど(笑)。 貴エントリーの 菅原文太の死にまつわる感想に 同感です。美空ひばりや石原裕次郎が亡くなった時に「昭和が終わった」って表現が使われ これから先に 王や長島が亡くなると 同じく「「昭和が終わった」って言われるでしょうけど、昭和って とんでもなくどでかい時代は、数人の芸能人、スポーツ選手、政治家の死で代表は出来ませんよ。 そんなこと言う奴らは「王八蛋」だ。

馬鹿の語源も中国の古典だと

思い込んでいましたが、このページ(http://gogen-allguide.com/ha/baka.html)を見るとどうも怪しいですね。何でもかんでも中国4000年の歴史で片づけられるのも、いかがなものか(笑)。人間一人死ぬことは大変なことだと思いますが、亡くなった人を追悼するより生きてるうちに評価してやれよと毎回思います。普段、やくざ映画なんか白眼視していた連中が「健さん」とか「文太」などと書いているのを見ると虫唾が走ります。

非公開コメント

プロフィール

drac ob

Author:drac ob
FC2ブログへようこそ!

月別アーカイブ

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ブロとも申請フォーム

FC2カウンター

FC2カウンター

現在の閲覧者数:

QRコード

QR

鳩時計

フリーエリア

ブログ内検索