初めてのアルバイト

 先日、学生時代に祇園のクラブでバイトしていた話を書いた。例によって中途半端というか、起承転結のない話で終わったので今回改めて話を続けようと考えた。しかし、考えているうちに、そういえば大学に入って最初にバイトしたのは修学院のラーメン屋だったことを思い出し、この際だから私の青春放浪記、苦学生とアルバイト、みたいなテーマで話を書くのもいいんじゃないか、うん、今の時代の満ち足りたガキどもに、もはや戦後ではないと言われた年に生まれ、何事にも熱中しないシラケ世代だとダンコンじゃなかったダンカイの連中から批判されてきた、オレたちの世代の凄味を見せつけてやろうじゃないか、え、ここはひとつやったろーじゃないの、何ビビってんだよ、おもしれーじゃねーのと狂い咲きサンダーロードの主人公の口調を真似たところで、迫力も何もないがとりあえず話を始めていこう。

 高校生の時はアルバイトは原則禁止だったし、親元から学校に通っていたのでわざわざアルバイトなどしなくても、一応、毎月小遣いを2,000円ずつもらっていた。70年代前半の2,000円というのは、どれくらいの価値があったかというとLPレコードが丁度1枚買えた。シングル盤だと5枚は買えた。要するに、シングルは1枚400円で、この場合はA面、B面の合わせて2曲を聴ける。ということは、シングル5枚買えば10曲音楽が聴ける。もっともアルバムだと10曲以上入っていることが多いので、これはもうばらばらのシングル買うよりLPレコードつまりアルバムで買ったほうがお得である。いやちょっと待て、4曲入り600円のミニアルバムもあった、などといい始めるときりがないのでやめる。要するに毎月1枚はニューアルバムを買うことはできるが、それを買ってしまうと部活の帰りに腹が減って辛抱たまらず食うラーメン大盛りもダメなら、暑い夏はこれが一番のミルク金時を掻き込むこともできなくなる。ではどうするか。答えは簡単である。金のなる木からいただくのである。要するに、親に参考書を買うからとか、今日は弁当よりパンがいいからなどと言って、ちょくちょくお金をもらいそれを当座の小遣いにしたり、貯めていって新しいレコード購入の原資にするのである。

 そんな高校生活を送りながら、大学に行けばアルバイトで小遣いを稼いでレコードを腐るほど買ってやると決めていた。アルバイトもいろいろあるが、やはり大学生のアルバイトと言えば家庭教師。時間給も高いし、食事が出ることも多いし、もしかして教える相手が美少女で、しかも資産家の家だったらそのまま転がり込んで立身出世、いやいや、オレは痩せても枯れてもそのようなブルジョワジー諸君の世話になどならないぞ。いつまでも君たちの時代だと思ったら大間違いだ(by ZK)、などとありもしない未来に対して激怒していたのだが、現実はそんなに甘くはない。京都という街にはいたるところ大学生がいて、石を投げたら大学生に当たるという場所である。家庭教師の需要はあったが、見事そのバイトにありつけるのは最低でも百万遍にある某国立一期校で、私学のましてや文系の阿保学生はお呼びでないという世界だった。というか、大学入ってすぐ、サークルにも入ったので、バイトを真面目に探すことはしてなかったのだ。

 そのワタクシが何故、修学院のラーメン屋のバイトに行ったか。しかも、今を時めく天天有ではなく、えーと、店の名前すら覚えていない叡電の修学院駅の近くにできたラーメン屋のバイトに行くことになったか、思い出そうとするがあんまりよく覚えていない。一つ確かなのは、天天有は当時は屋台のラーメン屋で夜でないと食べられなかった。アルバイトをしたラーメン屋は、こちらはちゃんとした店舗で営業していた。時期は春休みに入ったころ、つまり大学生活も1年が経過しようとしていたころだ。隣の九州人だけの下宿の仲間と昼飯を食べに、その新規オープンしたラーメン屋に行った。店に入って注文をして、何気なく壁を見たら「学生アルバイト募集」と張り紙がある。思わず声に出して読んだら、それを聞いた店主が「あ、お兄ちゃん、バイト探してるんか?うちはええぞ、午前中の11時から夕方6時までか、夕方の6時から夜中の1時までかのどっちか選べるし、時給も昼間が500円、夜は550円や。どや、やらへんか?」と声をかけてきた。

 大学の春休みは2月から4月の初めまで、ざっと2ケ月近くあるし、その時は田舎に帰省するより京都でバイトでもしながら、お金を貯めてレコードを買ったりジャズ喫茶めぐりをしたり、もしかしてイケメンのE副がナンパした女の子を紹介してもらえればデートの資金にもして、などと捕らぬ狸の皮算用ばかりしていたのだが、では実際にアルバイト探しをしていたかというと、学生課の掲示を見に行くこともせず、かといってアルバイトニュースなどを読んだりもせず、棚から牡丹餅を待っていたのだ。その、棚から大きな牡丹餅が落ちてくるはずだとぼんやり口を開けていた僕のところに、ほら飛び込んできた、バイトの情報。僕は夜行性の人間なのでバイトは昼間の部を、一緒に行った友人2人は夜の部のバイトに行くことになった。もっとも、昼間の部はそのお店で働くのだが、夜は同じ経営者がやっている別のお店で働くことになったので、実質誰も知り合いのいない、その店で翌日の11時からバイトすることになった。しかし、今考えてみても、面接もないし履歴書なども出した記憶もない、適当なバイト選考だったと思う。

 実は、その日はサークルのコンパで4回生を追い出す、いわゆる追いコンというやつがあった。一次会は祇園のかがり火だったか、上海だったか、すき焼きなどを食べて呑み、その後は例によって銀閣寺のサーカスでべろべろになるまで呑んで、僕の修学院の下宿にT原さん、Nさんが泊まりに来て時間はもう深夜零時をとっくに過ぎている。僕は翌日の、正確にいうとその日に初めてのバイトに行くわけだから、先輩お二人に対して明日はバイトだからもう寝ましょうというが、そこはそれ、酒癖の悪い九州出身者なので、「なーんば言うとか、きさんは。男が一晩くらい寝らんでも死ぬことはなか。バイト、バイト言いよるが、先輩とバイトとどっちが偉いか言うてみいや」と久留米弁のNさんに、「じゃっど、じゃっど、おはんな九州の人間じゃろが。バイトよりか先輩の付き合いが大事っち、西郷どん(せごどん、と発音してください)もいいよっど。あ、分かった、おはんな、大久保利通の仲間じゃろが、そげん人間はかごんまじゃ獄門、さらし首、磔の刑じゃっど」とこちらはT原さん。もう収拾がつきません。結局3時過ぎまで僕の下宿でレコードをかけて、酒を呑んで喚き散らす、まあ修羅場でした。

 しかし、それでもワタクシは初めてのアルバイトということで、気が張っていたせいか10時過ぎには目を覚まし、いぎたなく寝ている先輩二人を残して、バイト先のラーメン屋に行った。あ、そういえば、その時に簡単な履歴書みたいなものを書いて持っていったような記憶がある。店はまだ営業していなかったが、すでに大将と従業員が数名、厨房や客席でなにやら作業をしていた。「お、兄ちゃん来たか。ほな、ちょっと紹介する。こっちが何とか君、高校やめてこの商売やってるから君より年下やけど、仕事は先輩やで。ちゃんと挨拶して、彼から仕事は習ってな。そんで、こっちが何とかさん。お客さんの注文取ったり、ラーメン運んだりするお姉さんや、いや、元お姉さんや、ガハハハハハハ」。この挨拶を聞いて、僕はどうも場違いなところに来たような気がした。それでも、時給500円のために頑張るのだ。耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶのだ。

「えーと、それじゃあ何からやればいいですか」と厨房にいたニキビ面の先輩とやらに声をかけたら、彼はニタッと笑い、「な、今日、雄琴行かへんか?」と尋ねてきた。僕は全く知らなかったのだが、京都のラーメン業界では初対面の挨拶にソープランド、いや当時はまだルートコだったか、いわゆる特殊浴場にレッツゴーしませんかという挨拶をかわすのが常識だったらしい。最初僕は「オゴト」を「シゴト」と聞き間違えてしまい、「あ、いいですけど、今も仕事に来てるんですが」と頓珍漢なことを言ってしまった。ニキビ先輩は妙な顔をして、さらに「この前、行ったとこがごっつうええとこでな、今度、紹介したるわ、オレと行ったら絶対外れはないど」と妙なガッツポーズをする。返事に困った僕は、「えーと、何したらいいですか」と再度聞くと、今度はめんどくさそうに「ほんならスープ取ってこいや」と命令された。目で厨房の奥にある寸胴を指している。ガスバーナーが強烈な熱を発している寸胴を覗くと、鶏の足やトサカ、豚の足やネギの塊、どろどろになって原形をとどめていない肉や野菜が、沸騰したスープの中でぐるぐる回っている。その衝撃的な映像と匂いを嗅いだ瞬間、前日の酒が戻ってきた。ラーメンスープの入った寸胴にゲロが飛び込まなかったのは、ひとえに僕の精神力である。

 スープを取れと言われたものの、結構高い位置にある寸胴の中に柄杓みたいなものを入れて汲み、そのスープを網で漉すわけだが熱気と匂いで頭はくらくらする。寸胴の外周に柄杓を添わせて汲んでいたら、ニキビ先輩から怒鳴られた。「おい、そんなとこ取ったらアカン。真ん中のグルグル回ってるとこ汲まんかい」と、彼は言うが、その真ん中に柄杓入れると熱いのよ。オレは熱いのは嫌いなんだといいたかったが、なんとか汲みだしてスープは確保した。寸胴のところで悪戦苦闘していたら、名前を呼ばれた。今度はネギを切れという。呼ばれた方に行こうとした時に、寸胴の近くにあった一升瓶に体が当たった。あっと思った瞬間、ガシャーンと音がして床に黒い液体が飛び散り、あたり一面しょうゆ臭くなった。大将が笑顔でしかしながら、目は笑わずに「兄ちゃん、この店で一番高いもん壊してくれたな。今日はバイト代無いで」。

 それから昼のピーク時は地獄だった。生まれて初めて本格的なラーメンを作って(もっとも麺をゆでて切るのはニキビ先輩と大将だけだったが)、お客のところに持っていって、注文を聴いて厨房に大声で伝達して、ようやく落ち着いたときは午後3時近かった、初めてのバイトで汗と熱気と匂いにやられた僕は、大将に実は昨日はコンパがあり、先輩二人が自分の下宿で寝ている。僕が帰らないと鍵がないので出られず困っているはずなので、定時より早いが帰らせてもらえないかと頼んでみた。大将はあっさり「ええよ。今日は疲れたやろ、また明日頑張ってや」とあっさり解放してくれた。このバイトを決めるときに支払いは当日払いと聞いていたので、一升瓶を割った負い目はあるものの僕はおずおずと「バイト代」と小声で申し出てみた。「あ、なんやて?壊すもん壊して、はよ帰らせいうとるうえにバイト代てなんや」と、大将は今度は全く笑顔を見せず睨み付けてきた。「分かりました、今日はいりません」と僕は答えて、下宿に帰った。

 下宿に戻ると、先輩たちは布団の上で胡坐をかいてタバコを吸っていた。「お、どうした、早いな」とT原さん。「今、お前のバイト先にラーメン食いに行くかと言ってたとこだ」とNさん。僕は、二人に今日会ったことの一部始終を話した。オゴトの話は大受け、一升瓶を割った話も大受け、そしてバイト代を貰えなかったところは一番受けていた。そして、先輩二人の出した結論は、そのラーメン屋はヤクザがやっていて、お前はそんなところでバイトしているとシャブ漬けにされるとか、気が付いたらオゴトで呼び込みやらされているとか、いくらバイトしても1円ももらえないとかさんざん言われた。言われているうちに、僕もめんどくさくなって翌日のバイトはバックれた。つまり、生まれて初めてのバイトはわずか数時間で終わったのだ。うーむ、あのころからオレはこらえ性がなかったんだな。そして、次に経験したバイトは、あ、もう遅くなったのでまた次の機会に~。ちなみに1日でバックれたバイトはデパートの売り子ってのもあったことを思い出した。そういう意味ではイン京都のバイトは結構長く続いたな。あ、しまった、イン京都の話を書くはずだったのに(泣)。ということで、本日の音楽はラーメンには悲しい話が付いて回るということを歌ったクリムゾンのLAMENTを。



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