希望の道を切り開け~オープンマイロード

神崎オンザロード 『幻』のデビューアルバム

 遠くで電話のベルが鳴っている。誰か、多分下の子が取ったようだ。かすかに「じゃ、お父さんに代わります」と聞こえる。ぼんやりした頭で電話を取ると、実家の母からで墓参りに連れて行ってくれと頼まれる。昨日ブログを中断して床についたのが午前2時過ぎ。それから枕元に置いてあった吾妻ひでおの「うつうつ日記」を開いてしまい、ようやく寝付いたのが3時半回っていたので眠くてしょうがない。しょうがないが、ここのところ墓参をさぼっていたのですぐに起きて実家に向かった。今年になってから休みの日も家族の誰かに予定や行事が入り、なかなかみんな揃って実家に行ったり墓参りに行ったり出来ないが、出来るうちに出来ることをしておかないとたった一度の人生だ、後悔だけはしたくない。(最近こういうフレーズが良く頭に浮かぶ。ある意味人生の秋の季節に入ったことを「小さな灰色の脳細胞」が認識し始めたのだろうか)

 今日も下の子は前から友達と約束していたからとの事で、配偶者と上の子と母とでお墓に行った。僕は小さい頃からお寺やお墓が好きで、まあお墓が好きというと語弊があるのだがお寺には付き物なのでしょうがない。お寺の広い縁側や座敷、庭を見てボケーっとすることが3歳くらいから好きだった。生まれた田舎の家のすぐ近くにお寺があり、同い年の仲の良い女の子がいたのがその原因ではないかと睨んでいる。このあたりフロイト先生に聞いてみると「幼児期の屈折したリビドーがその後の人格形成の中に…」みたいな分析になり、実は僕はトンデモナイ人間だったことが解ったりするのだが、幸いなことにフロイト学説というのは今は否定されてるらしいので、喜ばしい限りだ。おっと余計なことを書いていると昨日の二の舞になるので、さっさとお墓参りに行こう。

 山を切り開いて造られたその墓地は、「希望が丘ニュータウン」(by ハマショー)と名付けたいくらい同じような造りで、かって「同じような服を着て同じような夢を見」た人たちが永遠に休んでいる所だ。僕は上の子と前を歩き、母と配偶者は並んで話をしながら後ろからついてきていた。娘が後ろの二人の話し声を聞き、「何故、人は年を取ると大きな声で話すのか」という疑問をぶつけてきたので、年齢による身体器官の衰えだけではなく、その育ってきた家庭環境や生活環境により声の大きさはある程度決まるのだといった説明をしていた時だ。ギャーとか、アーとか言う叫び声が聞こえ、振り返ると二人が固まっていた。決して比喩ではなく、「不思議な少年」が「時間よー、止まれっ!!」と叫んだ時のように、微塵も動かない(しかし、例えが古いね。当時の太田少年も小銭寿司の社長になって立身出世じゃ、今太閤じゃと持て囃されたのも一時の夢。その後はどうしているのか、所詮はかなきは人の身なり、とここは詠嘆調で)。

 どうしたのかと近づくとようやく小さな声で「へ、へび」。その指差す方をみると共用の水場がありその排水の側溝の下に茶色に黒い縦じまの蛇の尻尾が見えた。あっという間にその姿は消えて見えなくなったが、母も配偶者もしばらくは一歩も動けない。よほど怖かったというか驚いたのだろう。配偶者にいたっては腰が抜けかかったらしい。娘にそのことを言うと、「へー、見たかったな。私は蛇の抜け殻は見た事あるけど、本物の蛇は見た事が無い」との返事。その返事に今度はこちらがビックリして、本物の蛇を見た事が無いとはどういうことだと聞いたが、本当に見たことがないらしい。宮崎なんか自然が溢れている田舎なので、蛇くらいどこでも見られるだろうと思ったがそうでもないようだ。そうこうする内にお墓につき、まだ若干興奮していた母と配偶者が話をしているのを聞いていたらとんでもない事が判明した。

 僕の亡父は蛇が死ぬほど怖かったらしい。母が父と結婚したばかりの頃に、父の実家であるT町に帰った時の事。その家は典型的な農家で家の玄関前に広い庭がある。その庭から蛇が玄関先(昔のたたき、つまり土間だ)に入ろうとしていたらしい。母は卒倒しそうになり、大声で父を呼んだが、一向に父が出て来る気配が無い。そのままにしておけないので、母は棒切れを持ち出し、死ぬ思いで蛇を追い出した。怖いの気持ちがようやく治まり、家に入り父に何故すぐ来てくれなかったか聞いたところ、「オレは蛇が一番おじい(宮崎弁で怖いの意味)」とぼそっと呟いたらしい。それを聞いた母は腹が立つやら、情けないやらで声もでなかったらしい。その話をぼんやり聞いているうちに、あることを思い出した。僕が中3の時に自転車のハンドルに巻きついた蛇は、いったい誰が追い払ったのだろうか。どう考えても父ではない。母にも聞いてみたがそのような記憶は無いとの事。とすると、僕は自分の一人の力で追い払ったのだろうか。では、何故その時の記憶が無いのだろうか?ここでまたフロイト先生が出てくるとややこしくなるので、この話はおしまい。そうそう、神崎オンザロードの話をするのだった。

 神崎オンザロードを初めて見たのは、79年の今はなきフェニックスジャズインだったと思う。この頃の記憶が曖昧だったので、ネットで調べてみたが、驚いた事にフェニックスジャズインの記録はほとんど無いというか探せなかった。普通この手のイベントは年代表みたいな記録がどこかにあるはずだが、探せない。したがって記憶を頼りに書くしかないので、間違いに気付かれたらご教示願いたい。その時のジャズインの狙いは山下洋輔だったが、たしかクロスオーバー系のミュージシャンが特集されていたと思う。今、いきなり記憶がひらめいた。神崎オンザロードは誰か女性ボーカルのバックとして登場したので、オリジナルの時間が極端に短かったのではなかったか?

 あれ、やっぱり80年だったかな。とにかくクロスオーバー系のミュージシャンとしてはタイガー大越、渡辺香津美などが出ていた。タイガーは前評判が高く、確かそのころテレビのコマーシャル音楽をやっていたと思う。あんまり吹きまくるペットではなかったのと、一人だけ空回りしてるような感じで期待はずれだった。渡辺氏は「上手い、確かにギター上手いよ、で、それが何か?(おぎやはぎ風に)」としかいえなかった。御大山下洋輔はどうだったかというと、これがよく覚えていない。夜中に仲間内で飲んで盛り上がり「これから、ヨースケがやるのは『牛乳配達おはようジャズ』か『深夜喫茶ハイミナールジャズ』か」と問題提起した馬鹿がいて、あーだこーだと酔っ払いの議論はネバーエンディングストーリーで、はっと気がついたら洋輔の演奏は終わっていたという感じだ。

 そこで神崎オンザロードなのだが、またひとつ記憶がよみがえりその時の司会が本田俊之のオヤジで(こういう言い方は失礼だが、やはりプレーヤーのほうが評論家よりエライとの判断です)簡単にプロフィール青学出身(在学中と言ったかな?)とか紹介し「とにかくこのバンドroadという言葉が好きで、もうすぐ出るファーストアルバムも”Open my road”、今日の1曲目も”Open my road”です」という雰囲気の紹介をした。メンバーにギターの天野君はいたけどゲストとして参加していたのかどうかは覚えていない。とにかく当時の音楽好きな学生が6,7人ステージに出てきたな、という印象だった。

 イントロはキーボードから始まった。ソプラノがいきなりテーマを吹く。快適なリズムとメロディ、宙に浮くような感じでテーマが繰り返される。アンサンブルがしっかりしていてドラムのリズム感も爽快だ。リーダーの神崎の音楽に対する真剣さが伝わる良い演奏だった。演奏時間は短かったがこのバンドの名前はしっかりインプットした。大学の後期授業が始まる頃、彼らのファーストが出た。ジャケットのセンスが良いなと思ったら、なんと植草甚一御大のコラージュだ。アルバム通して聞いたら抜群に良い演奏と、まあまあのものとあったが基本的に神崎君の作るメロディは変に技巧的でなくストレートに人の心を楽しませるものが多い。ちょっと嬉しい驚きはギターに山岸のオッサンがゲストで参加していた事。山岸もこの頃は色々な方向性を模索していてクロスオーバーに一番接近していた頃だ。当時のライブではアンコールに「セントトーマス」をやってずっこけた事があった。でも、なんだかんだ言ってもライブが一番なんだよね。京都には結構来たのでその都度ライブを見に行った。神崎君のトークはちょっと辛らつな物もあったが、高校時代に好きだった女の子が自分を振ってR大学の哲学科に行ったとか、ギターの天野は二枚目だ、ギターよりルックスで選んだとか、ドラムは元サザンオールスターズなんて話が多かった。

 結局このあと3枚目のレコードまで追いかけたが、その後働き始めて彼らの音楽にもすっかり遠ざかり、ここ最近アマゾンで検索してもどこで調べてもCDにすらなっていない事が解った。ただ彼のソプラノ(アルトが専門だが、たまに吹くソプラノが良いんだよな)と彼のメロディは頭の隅にいつもあったような気がする。「オープンマイロード」はもとより「キャネットランチ」「ノンモアサルサ」など名曲であり名演でもある。とここまで書いて、恒例の夜の散歩をしてシャワーも浴びて、新鮮な気持ちで検索していたら、なんと神崎ひさあきの公式サイトを見つけ最近の情報や演奏の試聴も出来た。チェックしてみるとデビューアルバムが80年だから、初めてジャズインで見たのも80年で間違いない。しかし自分のサイトに「幻のデビューアルバム」なんて書くかな。しかも神崎オンザロード名義の3作は全てアナログのまま。これは売れ行き云々ではなく、神崎本人が封印しているとしか思えない。

 実は先程まで心配していたのである。というのも2ちゃんで神崎オンザロードのスレを見つけたが、そこには「神崎のボーヤになった大学の同級生が、ボーヤになってすぐ大学を中退した」とか「ライブの途中でメンバーのミストーンを罵倒した」とか「ギターの天野は完璧にビビッていた」とかろくでもないことばかり書かれており、良いミュージシャンではあるが人間性に問題があり歴史の中に消えていったみたいな書かれ方ばかりだったのだ。確かに棘のあるものの言い方をする人だった。拾得のライブの時だったか、「お客さんでR大学の人いる?」と聞いてきたので、これは失恋ネタだと思い手を上げて「哲学科っ!」と叫んだら、目がギラリと光り「哲学科ァ?オレはR大の哲学科には恨みがある」と洒落にならない口調で自らの振られ話を披露し、最後に「オレを振るなんてバカな女よ」と吐き捨てるように言ったのは、ちょっと驚いた。そのせいか知らないが一緒にライブに行ったハタ坊やM原には「神崎も悪くないけど、アート・ペッパーのほうがええな」と土台無理な比較をされたりした(スンマヘン、ハタ坊やM原というのはサークルの後輩です)。

 しかしながら、バイオグラフィーを読むと80年代はアメリカに行っており、結構ジャズのヒット曲を書いたりして、そこそこやってたようだ。試聴したOZONICの何曲かは昔と変わらないソプラノを吹いており、ストリングスのアレンジなんかに年季を感じたけど、歌心は変わってない。でも神崎君に一言言いたいのは、過去のアナログをCDにしてくれということ。いくら気に入らない所があってもその時代を同時代として過ごして来た人間もいるし、その時代があったから今の「神崎ひさあき」がいるのではないか。このままでは「そうはイカンザキ」(ついにやってしまった。つこうたらあかん、つこうたら、ソ○カと間違われるからつこうたらあかんと思いながらも、つい手が出てしもうて、監獄に入ってもう5年ってもういい加減良いか。解るのはごく一部のキー坊ファンだけだし)

 えー、例によってまとまりのない事をダラダラと書いてきたが、結論です。表現者として高田渡が指摘した「作品はうんこ・しょんべん」は正に名言だ。一旦出してしまった物は元に戻せないし、それは受け手がどのように解釈しようと受け手の自由であり、いわゆる「誤読の自由」もあるのだ。神崎オンザロードの音楽は日本のクロスオーバーシーンに大きな足跡を残したとかいう事より、あの時代の一瞬の希望を音楽に託して表現した類まれな音楽集団であった事を再認識したい。願わくばアナログがCDになり、この閉塞した時代にもう一度”Open My Road”という希望をもたらしてくれる事を…

 ちょっとキザったらしかったので、おまけ。上田正樹とサウストウサウスの『幻』の京大西部講堂ライブ映像です。
>全くの偶然ですが、上田正樹とサウストウサウスが16年ぶりに京大の西部講堂でやったライブの映像を見つけました。NHKの衛星で放送した物で、下手糞な画像の加工をしているので大変見にくいのですが、彼らの熱さの一部は伝わると思います。(Belmie2001さんに送ったメールから抜粋)「オープニング~ファンキーペンギン」 「アイキャントターンユールーズ」「トライアリトルテンダーネス

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コメント

知らないですね~

全然知らないですね。ここらへんになると、リアルタイムで聴いてないとなかなか接点がないんでしょうか。これだけCD再発がブームになってても、まだまだ未CD化作品があるということですね。まぁ、フュージョン~クロスオーバー自体が今人気ないんで再発されてないだけのような気もしますが....

そうかぁ、シーンそのものが沈んでる可能性も、

考えられますね。ただ80年から82年くらいまでのアナログ盤なので一度はCDになってもおかしくないですよね。パラシュートはCDの廉価盤が何枚か出たので、やはり何らかの意思が働いてると思います。

変な例えですがパラシュートはメカニカルで神崎はジェントリーウィンドです。最近のは試聴できるので、機会があれば是非。

上田正樹はライブ版CDで出ている時のものですね。
7~8年前、私の住んでいる奈良の田舎で開かれた野外ライブ(商工会主催で無料でした。)に来た上田正樹を見た覚えがあります。観客の一人が「キー坊」と呼ぶと、「なれなれしく、そんな呼び方やめてほしい」と言ったり、えらい変わったなと思いました。現在は創価学会信者らしいですね。サウス当時の姿からは信じられない感じですが。

そうか、層化になってしまったのか!

guevara129さんのご指摘の通り、サウスが再結成した時のCDの音源ですね。このときは「みんなと会えて嬉しい」とか『カモンおばはん』の歌の中で有山と「パチンコに絶対一緒に行く」など、かってのキー坊のままだと思ってましたが。
やはりかのカルトの中に入ると、芸術部隊の一員として音楽よりも布教活動なんでしょうか。やだやだ…。

 布教活動というのではないでしょうが、関西では墓地霊園のコマーシャルに奥さんの上田千可さんといっしょに出てますよ。
 これもかなりイメージくるいますね。

そこまでして、小金を稼がなくても

と、思ってしまいますね。メジャーで売れたのは良いことですが、自分の音楽がどこから来て、どのような人に支持されてきたのか、忘れてしまうというか忘れたいのでしょうか。
それはさておき、ローカル限定のCMは面白いですね。YOU TUBEにも「懐かしの関西CM」があります。「ずぼらや」とか「楽しいロンドン、愉快なロンドン」、「ビジョの逆立ち」なんかは学生時代、深夜に白黒テレビで良く見たのを思い出しました。
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