ずいぶんご無沙汰しましたが

 早いもので4月も中旬を過ぎた。このところblogの更新は携帯からのアリバイ的なものばかりで、ちゃんと文章にして書いたものはなかった。何故ならば、あの強欲なマイクロソフトがXPのサポートを終了するという暴挙に出たおかげで、赤貧洗うがごとしのルンプロ、即ちルンペンプロレタリアートのワタクシは、その対抗策としてVISTAへのアップデートを試みたものの見事粉砕され、その怒りのあまり新型、といっても型落ちなんだが、それでも一応在庫展示品の新品更生というパターンでパソコンを購入した。OSが8で、まだ使い慣れず戸惑っている。さらに、これは以前書いたかもしれんが、僕はエントリーを書くときは、いったんワードに入力して、それをコピペしてblogにアップするのだが、今使っているのはそれまで使っていたワード2007ではなく、前に安くで入手していた2010を使い始めたら、これも何だか勝手がわからず戸惑ってしまう。トマドリシマイである。あ、これ「こまどり姉妹」の洒落のつもりだけど、書いてみたらあんまり面白くないな。

 ということで、久しぶりに端末の画面に向かって、この間の話を書いてみるつもりだが、いったいいつがこの間なのかよくわからない。正確には、昨年末のZEK3のライブの話あたりから書くべきかもしれないが、もうあまりに時が過ぎてしまったので、今年になって起きた出来事をちょっと振り返ってみたい。ライブ関係では某ジャズギタリストの演奏を2回聴くことができた。実に素晴らしい演奏だったが、昨年、野外で行われた彼の演奏を動画に撮りYOU TUBEにアップしたら、彼のマネージャーからクレームが来た。不本意な演奏なので削除しろと。もちろん、こちらはゲリラ的というか著作権など完全無視の海賊動画であることは間違いない。ただ演奏もそうだが、その野外コンサートの趣旨を広く知ってもらいたいということでアップしたのだが、アカンもんはアカン。まして4月にDVDが販売されるわけだから、その前にトーシロが撮った動画は全部削除、徹底追及キャンペーン中だったようだ。しょうがないので、動画は非公開にした。なんだ、ジャズって結構不自由な音楽なんだな(笑)。

 その話はもうどうでもいいのだが、実はここ最近で思わぬ再会が連続した。僕がFACEBOOKをやっていることは以前何度かここに書いたが、そのFBで大学時代の同窓生と後輩2人に予想外の再会を果たしたのだ。僕が大学に入った年が1975年、そして不本意な形で京都を後にしたのが81年の3月。その6年間の間、ずっと在籍していたサークルが僕のハンドルネームの由来なのだが、そのDRAC、同志社大学レコード音楽研究会の昔の仲間の話を今日は久しぶりに展開していくのだ。DRAC、読み方はドラックと発音する。Drugとスペルも音声も似ているのでバイヤーなサークルだと思われることが多かった。僕たちの何年か上の人たちは「DRAC=道楽」と呼ばれていたらしいが、僕らの代でそんな大時代な呼び方をする連中はいなかった。ま、しょせん、学生のサークル活動そのものが道楽なんだから、あえて言う必要はないか。もっとも、文科系のサークルのヒエラルキーというものはあって、「レコード音楽を研究する」などというのは軟弱な輩のやることであり、男だったらテツガクやブンガクにイノチをかけんかい、それが無理ならキリスト教でもいいけど、あ、それよりもっと新聞作ったり、学内で放送などしたほうがエイントチャウなどという声は大きかった。まあようするに学内政治力学的に75年から76年は弱かったわけだ。このあたりの話を書くと長くなるのでやめるが、要するに自治会のメンバーを何人出すかで、そのサークルの政治力が決まり、予算の配分が、ってこういう話もやめよう。

 えーと、最初に再会したのは同じ75年度生だったH居君。これは全くの偶然で、昔の仲間が誰かFB始めてないかなと思って、名前で検索したらヒットした。出身大学と出身地でむむ、と思いアップされていた自画像のイラストで確信した。ショーティH居、あるいはコロポックルH居、またまたある時はバンキH居と呼ばれていた男に間違いない、最初の2つのニックネームは彼が、あまり身長が高くないことからついたと、エブリボディがアンダスタンドできると思うが、最後の奴はちょっと難しい。77年あたりだったが、サークル内で就職のための一般常識のテストが流行したことがあった。こう書くと、結構真面目なサークルだったと思われるかもしれないが、要するに普段遊んでばかりいた先輩たちが、いざ就職試験となったときに最低限の一般常識がなかったことに気が付き、その腹いせに後輩たちに、「お前。こういう漢字が書けるか」などと質問したのが最初だった。そのうちにBOX(サークルの部室のこと)にいたメンバー全員にざら紙と鉛筆を配り、その時の担当者が漢字や時事の問題を10問出し、その後答え合わせと解説をする。などというエセ就職対策ごっこが流行った時期があったのだ。そして、それは当然、本番の就職試験には何の役にも立たなかった。

 その時は、確かF田君が担当だったと思うが、最初に「テンセイジンゴ」と声を上げた。参加者の大部分は、「お前、アホちゃうか、そんなん知らん大学生がおるか」とブーイングの嵐だったが、その後答え合わせをしたらH居君は「天政神語」と書いてあって、みんなからひどくバカにされた。しかし、73年度生だったS賀さんだけは、「天の政(まつりごと)に神の語(ことば)か、もしかしたらものすごく深い意味があるのかもしれん、H居を侮ったらいかんぞ」と口をはさんだ。ん、ちょっと待て、何故77年に73年度生がBOXにいるのかと気が付いた貴方は鋭い。本来は卒業しているはずの学年だが、我がサークルの美しき伝統である「留年」をしていたのだ。ちなみにこのS賀先輩は、今は地元の高知で新聞社関連の仕事をしている。天声人語が結んだ不思議な縁だろう。んなことはないか(笑)。

 おっと「バンキ」の話だった。やはり、その手の一般常識問題で四文字熟語の問題が出た。その時も読み手はF田君だった。「タイキバンセイ」と彼が読み上げたとき、当然、ほとんどの参加者からブーイングが起こった。なぜか、H居君は無言だった。終わって答え合わせをしたときに、全員の目が点になった。H居君は「晩器大成」と力強く書いていたのだ。やはり、その場にいたS賀さんが「バンキは大成すか。後から成長する人物は大物になるという意味だろうな、これはこれで意味はある」と妙にほめた。それ以来、H居君は僕たちの間で「おい、バンキ。早く切れや」「お、バンキ、生意気にリーチか」「え、カンチャン待ちか、せこいやんけ、バンキ。バンキッキー」などと言われるようになった。何の会話かわからない人は阿佐田哲也先生の『麻雀放浪記』を熟読するように。

 そのH居君だが、出身地の北海道ではなく花のお江戸で外資系の企業勤め。しかもリーマンではなく役員。日曜日も家に仕事を持ち帰り、日夜健闘しているらしい。何度かメールしてもなかなか返事がないので、やはり工学部出身だから字を書くのが相変わらず苦手なんだろうと考えていたが、今朝方、某先輩宛に返信したメールがCCで届いていた。文面を読んだら、いやー、お見それしました。これがあのH居君か、君子は3日会わないと括目すべしとかいうが、本当のことなんだなとつくづく実感したしだい。H居君、早く仕事を片付けて、またバカ話をしよう。君がサークルの会計をやっていた時に、F原君と一緒に信州合宿の下見に行って、見事だまされた話も以前ここでアップしているので、その時の事実確認もしたい(笑)。連絡お待ちしております。

 H居君の次はN江君という77年度生と再会した。これは他力本願というか、ある日仕事が終わった後、何気に携帯でFBを見ていたら、同じ77年度生だったマス坊がいつの間にかN江君と友達になっている。さらに80年度生だったチャもN江君と友達になっている。ここでカンの鋭い方はなぜ75年度生のワタクシが80年度生と交流があるのか。ゴホン、先ほども書いたように我がサークルの美徳は「留年」なんだよ、悪かったな。しかもシングル留年ちゃうぞ、ダブルやぞ。などと威張っていてもしょうがないので先に行く。N江君は通称ハタ坊と呼ばれていた。学年は2年下だったが、浪人生活を3年していたので実年齢は僕より1つ年上である。とても頭のいい男で、知識や頭脳の面で言えば僕がDRACで出会ったインテリゲンチャ・ベスト5のうちの1人と言い切れる。ずっと実家住まいだった彼が、ついに一人暮らしをするこになり、その時、僕はすでに地元に帰っていたがお金を工面して夏に一か月京都に来たことがあり、その時に彼のアパートに行ったことがある。壁じゅう本棚で、そこに並んでいる本もギリシャ悲劇から哲学書まで、まあ、小難しい本が一列縦隊、前にナラエって感じで鎮座していた。

 これはN江君と同じ学年、同じ英文科だったM原君から聞いたのだが、珍しく二人そろって専門の授業に出ていたら、何やらややこしい問題をその時の先生が出して、何人かに答えさせるが全然ダメ。N江君も当てられて、黒板の前に行って書かれた英文をしばらく読んでいたかと思うと、一気呵成に正解を書き上げ、教室にオーというどよめきが湧いたらしい。浪人生活が長かったのも、私立大学なんぞに進学したいわけではなく、おそらく百万遍にある国立一期校の大学に進みたかったのではないか。そうそう、彼の実家はキリスト教の専門書を扱う書店で家は荒神口にあったが、モダンな3階建てだった。
 N江君がサークルに入ってきた時のことはよく覚えている。僕のいたサークルでは新入会員は全員名簿に氏名・住所・出身高校などを記入させるのだが、77年のある春の日にBOXに行ってみると何やら騒々しい。「こいつ、けったいな名前やな」とか「武家の出ちゃうか」などという会話が飛び交っている。なんだなんだと首を突っ込むと、名簿にN江H之進という名前があった。出身校は京都の名門私立高校である。へえ、面白そうなやつが入ったんだなとその時は思っただけだった。それから何日かしてBOXに行くと見かけない男が座っている。長髪の多かったBOXには珍しく、髪はきちんと短くカットしている。それはいいが、髪の毛の色がなんというか金髪っぽい。また瞳も青い。色は抜けるように真白である。白系ロシア人だろうか、というのは冗談だが、でも絶対外国の血が混じってると思えるような風貌である。「君、だれ?」と聞くと真面目な顔で「N江です」と答える。「おー、君がH之進君か」と思わず僕は声が出てしまった。この時が彼との最初の出会いである。

 N江君とはいろいろな思い出があるが、研究会やサークルの会議などの発言を聞いて、頭のいい奴だなと思うことは多々あったが、一番印象的だったのはパンタのインタビューの時だった。銀閣寺のサーカス&サーカスのライブの後に当時イベント関係で親しくしていた人と通じて二度目のインタビューが出来たのだが、その時にせっかくだからサークルの連中にも何か聞きたいことはないかと尋ねたら、彼から『「フローライン」は「行く川の流れ」と「娘」との掛け言葉と解するが何の意味で』。『「すべてが幻」というのは「バラ」がなのか「戦車」がなのか、それとも両方が幻だというのか』。『なぜ「ネフード(ひとすじの導火線)」→「フローライン(川の流れは絶えず)」→「裸にされた街(叫びを忘れた)の順で演奏するのか」。という3つの質問を受けた。それをそのままパンタにぶつけたが、はっきり覚えているのは最後の質問に対して「ライブではあまり歌詞のことは考えず、小気味いい曲をスタタタターンとやっていくのがオレたちのスタイル」と答えてもらったことだ。あの時のカセットテープはまだ手元にあるので、そのうちまた聞き直してみよう。そういえばこの時にパンタが出したニューアルバムの『1980X』の中に「トリックスター」という名曲があるが、N江君もそのときすでにトリックスターに関する本をしっかり読んでいたな。



 ことほど左様にインテリなN江君だが、なぜか実家に帰らずサークル仲間の貧乏アパートを泊まり歩くのが好きだった。当然外食をするからいつも財布はピーピー言ってる。いつだったか、彼の自宅に、確か彼の誕生日だったのではないか、サークル仲間が5,6人集まったことがあった。その時彼の家で食事をごちそうになったのだが、そのお膳を見て「あ、お造りや、ええな、オレ家に帰ればいいもん食えるんやな」と言ったのには大笑いした。そりゃそうだろ。実家があるんだから学校終わって、サークルも終わればさっさと帰って飯食って風呂入って寝ればいいのに、何を好き好んで他人の薄汚いアパートに留まって、中島食堂で飯を食ってるんだ、王将で中華食べているんだと、これは当時から思っていた疑問点だった。こんなことを書き出すときりがないので、そろそろやめるが、N江君は実家がすぐ近くだったせいもあって、ジャズ喫茶の名門「しあんくれーる」でアルバイトしていた。結構長い間やっていたので、お店を任せられることも多かった。しかし、彼は麻雀が弱かったため、いつも負けてばかりで、その賭け金を払うためにバイト先から前借を良くしていた。僕は借金の取り立て人みたいに、彼のバイト先に行き彼が前借するのに付き合ったことが数回あるが、ある時、店のママさんから「ああいう連中と付き合い始めてちょっと変わったんと違う」みたいなことを言われていた。うーん、オレは悪い先輩だったのか。その「しあんくれーる」関係ではもう一つ思い出があり、これまたある時、N江君の実家に泊まっていたのだが、翌日は朝からバイトだという。僕もせっかくなので「しあんくれーる」でコーヒーを飲んでいこうと一緒に店に入った。その時僕はウィングスのベスト盤を買ったばかりで持っていた。何気なく「N江君、ポールかけてや」と冗談で言ったら、「ええやん」といって彼はあの「しあんくれーる」のプレイヤーにレコードを乗せた。”Every day she takes a morning bath to wet her hair~”、アルバム1曲目の「アナザーデイ」がフルボリュームでかかった。A面の曲がもう少しで終わりそうになったとき、お客さんが入ってきた。すぐにレコードは変えられたが、その客にも間違いなくポールの歌声が聞こえたはずだ。

 3人目は、通称BOBO・M上君という、やはり77年度生だった。実は、N江君と再会したという情報をFBをやっていない先輩・友人諸君に送ったら、ある人から「BOBO・M上はどうしてるかな」と返信が来た。BOBO・M上、いたいた。熊本出身の男で背が高く、うちのサークルには珍しくナンパが得意な男だった。彼のニックネームのBOBOだが、実は彼はプロレスファンで、その中でも「黒い魔人」と呼ばれた黒人レスラー、ヘッドパットが得技だった、ボボ・ブラジルのファンだったから、というわけでは全然ない。もう、BOBOそのものが大好きというか、口を開けばその手の話しかない男だったが、妙に憎めないやつでもあった。彼は熊本の銘家の出で、京都の大学に入ると決まった時に、祖父から「京都にはアカが多か。お前はM上家の跡取りばってん、アカなどと交わってはならんぞ」ときつく言われていたらしい。したがって彼が僕のサークルに入ってきた時の開口一番はこうだった。「すんましぇんばってんが、こんサークルにはアカはおらんとでしょう?」。その時、BOXの壁のペンキを塗っていたボーリョク学生のN谷君は一言「アカて、なんぞ」。しかし、アカモクロも心情的シロも、もしかしたらアオのシンパもいたかもしれない別館でよく堂々と言えたもんだと今になっては笑い話である。

 このM上君だが、大学の近くのマンション住まいで、当時の僕のアパートが出町だったのでしょっちゅう行き来していた。同じ九州ということで気心がしれていたのか、やたら僕に「アベックラーメンが実家から届いた」とか「冷蔵庫とか電化製品もいろいろ来たから一緒にテレビでも見まっせ」とか誘われることが多かった。アベックラーメンは差し入れでもらったし、冷蔵庫は白くで寒々しいからみんなでマジックで何か書こうと言い出して、彼が書いた言葉はBOBOだった(これはウソ)。しかし、人懐こい性格だったので、多くの先輩や同級生にも好かれて、あまり音楽のまじめな話はしなかったが、翌一支所に酒を飲んだ。どうして彼が見つかったかというと、彼のフルネームを思い出したので、検索したら何人かの同姓同名の後に出身大学も高校もドンピシャな男がいたのだ。もっとももしかしたら別人かもしれないという不安はあったので、恐る恐るメールした。するとすぐに返信があり「今出川の渋谷陽一こと××(僕の実名)先輩ですね」。いやー、これは恥ずかしかった。オレ、当時そんなこと言ってたのかな(汗)。まあ、M上君と出会ったころはミニコミを始めたばかりで、その後ライブハウスや女子大でディスク・ジョッキーをやったりしてたから、天狗になってたんだろうな。まあ、彼の話もたくさん思い出があるのだが、今は立派な経営者になっているので、これ以上書くと名誉棄損で訴えられとまずいので今回はここまで。しかし、アホな学生時代を送っていたんだな。オレは(笑)。

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コメント

私の記憶では 口頭だったような

誰かが 彼に「お前 まだ こんなことも知らんのか? 」か「出来んのか?」と馬鹿にしたら 彼が「いいんや オレは晩器大成なんや」と言った後、「しまった…」、そこで 皆が大笑い と記憶しております。ご本人の記憶は 如何(読めないかな?)?
さて、年賀状に「今年はお会いしたいですね。」と書いたり 書かれたりしても 実際には、30年以上ご無沙汰と言う人たちの多さに 唖然となります。近年、会わないまま 亡くなる人も出てきて、こっちの寿命も分からないし、どげんかせんといかんと感じております。没有銭ではあるけれど、なるべく多く、再会、再訪したいと思います。F田に再会する迄は 死ぬ訳に行かない が 心の支えです(笑)。

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あー、そうだったですかね?

僕は、もう完全に就職対策の問題の出し合いの中で、H居君が間違えたと思い込んでいましたが、デューク先輩の書いたシチュエーションも何となく記憶の片隅にあるような、無いような(笑)。H居君が登場するエントリーを調べていたら、S戸君と二人して、「人を呪わば穴二つ」という言葉を知らなかった話をアップしてたので、文章中にリンクを張っています。ちょっとわかりにくいかもしれないので、こちらにもアドレス張っておきます。
http://gakkan.blog64.fc2.com/blog-entry-363.html

Re: 別名に

> 亀頭判事補ってのも有ったような記憶が。
> ニセ電話事件の鬼頭判事補に 彼のヘアスタイルが 亀頭にも見えるって事を引っ掛けて だったと思います。こう言うのは、直接 やり取りすべきかな?(笑)

あれは河原町のグラスホッパーという学生向けパブで、そこで働いていたバーテンのK場さん(鹿児島出身)につけられたニックネームです。K場さんがH居君の頭を見て、「なんや、お前、キトウみたいな頭して」と言われ、彼が真っ赤になって反論していたのを覚えています。バーテンのK場さんは、やり手で結構切れ者だったので、すぐ部下がついて、ある日、S賀さんをはじめいつものメンバーで飲みに行ったら、客は僕たちだけ。S賀さんが「多勢に無勢だな」とつぶやいたら、新人バーテンが「なんですかそれ」と質問。K場さんが「うそやろ、おまえ。知らんの意味を」と聞いて、うなづく相手に「人数には勝てんちゅうことよ」と言ったことがありました。
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