ミニ版 ヤングな僕のポップス・ナウ

 「駅に走る道は雨で、川のように僕のズックはびしょ濡れ~」という懐かしい原田真二のデビュー曲、「てぃーんずぶるーす」の歌詞そのままの土砂降りの日だった。もっとも、あれは「てぃーん」だからポップな歌になるのであって、「ふぃふてぃ」のワタクシたちになると、これはまさしく「ブルーズ」そのもの。石川セリの配偶者(あのグラサンかけて「脳天気ですか~?」とか言う男)が独身時代に「傘が無いから彼女の家にいけへん、どないしよ。都会で自殺しそうな若いもんの首吊りの足ひっぱたろか」みたいな歌があったけど、まあ、気分としてはそんな感じの台風通過の本日、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

 などと、非常にひねくれたイントロダクションであるが、実は今日は本当に久しぶりに『ヤングな僕のポップスナウ』シリーズの復活というか、ちょっと思い出したことをだらだら書いていきたい気分なのだ。先月は身内に突然の不幸があり、その前の月にも以前仕事でお世話になった元上司の、これまた突然の不幸があったせいか、ここ最近は昔のことをやたらと思い出すことが多くなった。別に一生懸命思い出そうとしているわけではなく、何か他のことをやってるときに、ふと昔聴いた歌のフレーズや友人・知人などの顔が浮かんでくるのだ。それも、ここ何十年か全然思い出したことのない友人だったりして、良く分からない。

 今日のエントリーを書くきっかけになったのは、ある日頭の中で「Goodbye Sam hello Samantha」というフレーズが突然、メロディとともに蘇ったせいだ。クリフ・リチャードのヒット曲だけど、いわゆるシーンには全く忘れられた歌というか、ラジオのヒットチャートで頻繁にかかった歌ではない。たまたまポップスに興味を持ち始めた中学生の時に耳にして、当時の拙い英語力でも聞き取れた歌詞だったので周りの友人たちに歌って教えたのだが、誰も反応してくれなかった。いや、正確に言うと一人を除いて反応してくれなかった。その、反応してくれた友人はK端君と言って、三島由紀夫の師匠というか、日本人で初めてノーベル文学賞を取った人と同じ苗字(イニシャルになってないちゅうの、笑)で、端正な顔と発達した運動神経、そして卓越した頭脳の持ち主であった。要するに、どこの中学校にも一人は必ずいるオールマイティな生徒というやつだ。



 当時僕は、延岡市のとある中学の2年生で頭は当然丸坊主、学校の行きかえりには雑嚢(ざつのう、と読みます。今のワカイモンには分かるかな)を肩から下げていた。そうそう、学生ズボンはダブルのタックの入ったやつで、ダサくてしょうがなかった。他の中学校ではストレートでノータックのズボンが許可されていたのに、僕の通っていた学校は禁止されていたのだ。理由は、「中学生が洒落っ気を出すのはけしからん」という、まあ流石は南九州の片隅の、夏目漱石に言わせると「人と猿が半々に住んでいる」田舎なので、仕方がないと言えば仕方がなかった。しかし、押さえつけられると反発するのは、これ人間としてある面当たり前だのクラッカーのことなので、「ダブルだと自転車の泥除けに引っかかって勝手が悪い、場合によっては泥除けが曲がってペダルに当たり、交通事故の原因になる」と中学生の頭にしてはまずまずの反論をしてみたが、「自転車に乗るときはダブルの折り目をおろせばいいじゃろが、バカモン。色気づくには10年早い」と一喝されて終わりだった。

 まあ、学生服のズボンの話はどうでもいいが、そのK端君とは中学2年の時に同じクラスになり、何故か無性に気が合ったというか、僕はその中学でもまあまあ普通くらいの生徒で、どうして成績優秀、眉目秀麗、運動万能のK端君といつも一緒にいるのか学校の先生や他のクラスメイトから怪訝な目で見られたことは一度や二度ではない。そのK端君に「クリフ・リチャードの『グッバイサム』って、いいっちゃが」と吹聴したのだが、何でも自分で確かめないと気が済まないリアリストK端君は、その時は何も言わず、数日後、「お前があんまりいい、いいというからラジオで聴いてみたが、大していい歌だとは思わんかった」とカウンターのキックが入った。僕は、そんなことはない、とてもポップでメロディもキャッチ―ないい曲ではないか(当時、そういう語彙を持っていたはずはないが、多分こんな感じのニュアンスだっただろう)、と主張したがとんと相手にしてくれなかった。

 このK端君、名前は次郎といった。お兄さんがいて、僕達が中学2年の時は既に大学生で県外に行っていたので、面識はないが名前は太郎といった。なぜこんなことを覚えているかというと、その時の国語の先生がK端君に「次郎、太郎は今どうしている」と話しかけてきて、「兄は××大学に行きました」という返事をしているのを横で聞いていたからだ。当時の僕からすると、高校生はもう凄いお兄さんで、その上の大学生というのは雲の上の人みたいな印象を持っていたため、『スゴイな、こいつの兄ちゃんは大学生、それも県外の大学生か』、などと思ったことが記憶に残っていたんだろう。また、その国語の先生が授業中に、あれは誰の詩だったか「太郎の家に雪降り積む。次郎の家に雪降り積む」というフレーズを読む時にK端君の方を見てにやにやしていたのも覚えている。他の生徒には何のことか分からなかったかも知れないが、K端兄弟の名前を知ってる僕は釣られて笑ってしまったが、「こら、お前は何がおかしいか。真面目に授業を聞かんか、バカモン」と怒られてしまった。

 なんだか、どうでもいい話なんだが、次々思い出すから仕方がない。そんなK端君だが、頭はいい、スポーツは万能、そして何よりもルックスがいいから、女子が放っておかなかった。ある時、クラスの女の子が僕に放課後残ってくれと言ってきた。その子は飛びぬけて美人じゃなかったけど、いつも明るくてスタイルも良くてまあまあ男子の中では人気がある子だった。いったい何の用事だろうか、もしかしてこの前、掃除当番をさぼって帰ったことを怒っているのか、などと考えていて、あることに気がついた。もしかしてだけど、もしかしてだけど(どこかで聴いたフレーズだが気にしないように)、オレに気があるんじゃないだろうか、残念ながら当時奥手な中学2年生だったので、「誘ってるんじゃないの」という発想は無かったが、人間思い込みとは怖いもので、もう、間違いない。あの女の子は俺のことが好きで告白したいんだ、などと気分はルンルン(死語)であった。

 結果はどうだったか。『人生なんてそんなもんよ、ケッ』という僕のシニカルな性格の原点はもしかしたらこの時がきっかけかもしれない。まあ、要するに彼女はK端君のことが好きで、でも自分から言い出す勇気はないので手紙をしたためた。本来なら靴箱にそっと置くのがセオリーなんだろうけど、当時の靴箱はオープンというか、学年とクラスの分別はあるけど、どこに置いても自由、バリアフリーの靴箱だったので、これはマズイ。で、よくよくクラスを見ているとK端君といつも一緒にいるお調子者のガキがいる。あいつは小学校の時も同じクラスだったから、手紙を誰にも分からないように渡瀬恒彦といえば何とかするだろう、するに違いない、じゃ早速命令しておこう。という思考回路だったのではないか。メッセンジャーボーイを頼まれたわけです。僕に対するラブレター授与があるんじゃないかと期待していたオレは大馬鹿で、でもしかし、これがオレのいいところで、そうか分かった、でもあいつを好きな女の子は結構いるぞ、競争率は高いけど、一転突破全面展開で頑張れみたいなことを言った様な気がする。あ、いや、もちろん一転突破全面展開なんて語彙は当時は知らなかったと思うが。

 で、その日、K端君に一緒に帰るために校門の所で待っていてもらったので、会うや否や、実はかくかくしかじかで、と一部始終を話した。すると、「分かった、それを寄越せ」とさっさと手紙を受け取り雑嚢の中にしまいこむ。その様子は、こいつ、こんな手紙をもらったのは一度や二度じゃないな、慣れてる、と嫉妬の炎が膨らむのを抑えることは出来なかった。で、彼女のこの恋だが残念ながら成就しなかった。翌日、K端君が「昨日の、アレ、読んだけど、オレはあの子と付き合う気はないから朝一番で断った。オレは別の中学に付き合ってる子がいる」としゃーしゃーと言いやがった。そんなにいるなら一人くらい世話してくれてもいいだろうが、と思うのはオッサンになった今だからであって、信じてもらえないかもしれないが当時の僕は硬派だった。女などと付き合うのは学問の妨げ、くらいにしか思ってなかった。この思想性は結構厄介で、高校になって♪ドドンドドン、しらぶじゅーいえーえーえ、、しらぶじゅゆーいぇーえーえーえー、の時期になっても結構手かせ・足かせになって、畜生あの時見栄を張らず手を出していれば何とかなったパターンは数限りなくあったのに、と後年悔しがる、あ、いや、そんな話はどうでもいいか。

 そういえばK端君と話をしていて、こいつにはかなわないなと思ったことがあった。小学校と中学校は何が違うかというと、字が違う、みたいな返事をしてクラスに笑いをもたらし、代わりに先生から拳骨をもらうというイチビリな性格だった僕は、いや、そうじゃなくて、小学校と中学校は何が違うかというと、もちろんいろいろあるが、一番は定期テストというものがあり、成績が1番からビリまでつけられてしまう。点数で子供たちを判断するのはベサツだ、全員100点でいいじゃないかというような、アホな先生はいなかったので、中間テストだ、やれ期末テストだ、ほれ全国統一テストだなどという鬱陶しいものがあった。普段は碌に勉強などしないのだが、それでも試験前には多少は夜遅くまで机に向かっていないと親の機嫌が悪くなる。さらに成績が下がるとお小言を頂戴するだけならまだしも、小遣いを取り上げるなどまさに大国の横暴、支配と被支配の関係はいずれ断ち切らねばならぬ、ああ、インターナショナル我らがもの、などという語彙は当時まだ持っていなかったので一方的に怒られたり、小遣いを取り上げられたりするのは嫌だったので、まあ、それも一つの動機として試験前の勉強はいやいやでもしていた。

 あるとき、学年一番に何度もなったことのあるK端君に「試験前にどんな勉強してるんだ」と尋ねたことがあった。彼の答は「オレの父ちゃんから、試験のための勉強はするなと言われているので、試験前も特別何もしない」。むかつきまっしゃろ、この答。うそこけ、受験生ブルースじゃないけど『全然あかんと答えとき、あとでショックを与えるさ』作戦だろうと心の底で、思わなかったんだな。これが。なるほど、だからこいつは頭がいいんだなとつくづく思っただけだった。

 残念ながら僕は中学2年が終わると同時に宮崎に引っ越して、高校は宮崎だったのでK端君との付き合いはそこでいったん終わった。もっともたまに手紙を出したり(当時はまだ僕の自宅に電話がなかったのだ、笑)、延岡の親戚の家に泊まりに行った時に在ったりすることはあったが、どうしても以前の頃からするとやや疎遠になった。そのK端君とまた親しくやり取りするきっかけが出来たのはロックのお蔭だった。当時、LPレコードは1枚2,000円の時代で、僕の高校時代の小遣いが丁度、1ヶ月2,000円。つまり、アルバム1枚買ったら、ジ・エンド、ジス・イズ・ジ・エンド、マイ・フレンドなのである。もちろん、買ったアルバムがゴキゲンでお気に入りになればいいのだが、中には何を考えてこんなものを買ってしまったのか、オレの1ヶ月を返せと泣きたくなるものもあった。もちろん、そうならないように、どんなにつまらないアルバムでも美点凝視の精神で何十回も聞いているとそのうち段々良くなってくるんだこれが。いや、そんな話じゃなくて、まあ、一人の高校生が買えるレコードの数は限りがあるので、聞き飽きたレコードを交換、あるいは格安で売買したらいいというアイデアが浮かんだ。最初は同じ高校のクラスの仲間とやっていたが、それだとどうしても分野が狭いというか同じレコードばかりになる。それで、当時あった音楽専科などの雑誌にレコード売ります・買いますの広告を出して手広く始めた。ついでに、延岡の友人たちにも声をかけてみた。リア充(当時はこんな言葉は無かったけど)のK端君はロックなどというウルサイ音楽、カタワモンの聴くような音楽は興味が無いだろうけど、シンガーソングライターなんか集めてそうだと思って、これこれこういう趣旨で中古レコードの売り買いをしているが、不要なレコードは無いかと葉書を出してみた。その数日後、速達で届いた手紙にあるわあるわ、圧倒的にな数のレコードリスト。それも全部ハードロックばっかり。フリーやブラックサバス、ゼップにマウンテン、さらにはクリームにブラインドフェイスなどなど。どうしたんだ、K端君。何があったんだ、K端君と僕はそのリストを見て慄然とした。なんてことを、思い出したのさ。しかし、人生何があるか油断できないな、というのが本日の結論でした。

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コメント

統一模試で思い出した事

大したことなかった中学校でしたが、後に 超一流高校に行き 更に東大理系に合格した ダントツの秀才が居りました。私は、定期テストでも 60~70点台。ただ、英語だけは 私の方が上でした。とある統一模試の英語で 彼が96点を叩き出して 名前が載りました。先生が ××君が96点で本校トップと褒め称えました。しばらくして 答案が戻って来て 見たら 私は98点。主催者の掲載ミスか…まあいいか の感想でした。先生に言ったら 次の時間に ××君が96点で本校トップと言ったが、中島が98点だった と訂正の発言をしました。その時の 私を見る 彼の憎悪に満ちたまなざしを忘れません。気持ちは 分かるけどね。その後の人生の勝ち組は 君の方だよ と会えたら 言ってあげようかな(笑)。

中々に素敵な思い出ですね(笑)

似たような思い出が僕にもあります。Big Castle高校の確か2年の時です。英語と数学は成績別のクラスで授業があり、数学はともかく英語はまあいいほうのクラスに居ました。そのクラスに、高校3年間ずっと学年トップ、1回だけ2位になった男がいたのですが、あるテストの時に彼の答が×。問題はもう忘れましたが、特定の名詞に続く動詞を答えるとかなんとかでした。自分が間違えたことを認めたくない彼は、「こんなの絶対オカシイ。オレが今まで見てきた問題集でもこういう答えはありえない。教師が間違ってる」とクラス中に響く声で喚いていました。実は僕も同じ答えを書いていて当然×だったのですが、その事を彼に言うと、「あ、オレの勘違いだな。お前とオレの答が一緒になるはずはない」とこれまたクラス中に響く声で叫びました。一瞬殺意を覚えましたが、後年、赤門のある大学の医学部に進んだものの「友達がいない、出来ない」と悩み続け、挙句は、という人生を送りました。まあ、凡人で良かったです、ハイ。そうよ、あたしゃ女で結構、女の腐ったので構いませんよ~てな心境です。
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