ストーミィ・ウィークエンド、そしてソロ・ピアノ・デートの日 その1

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 ここ5~6年、9月の第二土曜日は恒例行事となったキャンプである。僕が最初に勤務した会社、もうとっくの昔に影も形も無くなっているのだが、その会社で一緒に働いた仲間たちとの気心の知れたキャンプで、拙blogでも何度かエントリーをアップしている。この『別館4階のBOXから』のコアなファン(そういう人がいるかどうかはさておき)は、今回もまた酒乱のZappy君の話がアップされると期待しているかもしれない。もちろん、その期待は裏切らないが今回は波乱万丈のキャンプで、しかも翌日は和服姿のジャズ・ウーマンのソロ・ピアノを訳ありのおねいさんと一緒に見に行くという、これまたコアなファン(だから、そういう人がいるとかいないとかいう問題じゃない。かつて囲碁に負け続けた坂田明は「勝負事は勝ち負けではない」という名言を残している。関係ないけど)にはたまらないエントリーになること必定である。

 このキャンプの企画は、僕が働いていた会社、日本教育企画株式会社(Japan Educationally Planningの頭文字を取ってJEPという略称を使っていた)の熊本営業所の所長だったN村君が、当時配属されたばかりの社員の親睦を深めるためスタートしたものだ。したがって起源は結構古い。四半世紀以上前からやっていたようだ。僕は在職当時、このキャンプのことは全く知らなかった。そして、この会社が無くなったあと何度かの転職をして、その時の会社の連中とは年賀状の交換とか電話のやり取りなどの接点がいつのまにか無くなってしまった。多分自分の人生の中で彼らに二度と会うことはないと思っていた。それが8年ほど前に偶然N村君と再会し、その時にJEPのメンバーによるキャンプが行われていること、そしてまた直前のキャンプで僕のことをN村君が話したら参加していたメンバーから是非誘うように言われたなどと聞いて、根が単純な僕はそれ以来毎年欠かさず参加している。夏場は鹿児島の伊佐市の楠本川近くのキャンプ場か、たまに都城の関之尾の滝のキャンプ場でやった。ところが、今年は熊本の芦北郡芦北町の御立岬公園キャンプ場でやるという。毎年、キャンプ場が鹿児島か宮崎ばかりなので、今回は熊本から来る人たちに気を使ったのと、ここは絶対おすすめという人がいて幹事のZappy君が決定したらしい。しかしながら熊本からの参加者はゼロで、この場所を大プッシュした本人も参加しなかった。何なんだ、一体。まあいいけど。

 ここ何年かはキャンプ地までの移動は、宮崎からは僕と元上司のM木さんと、先ほど登場したN村君の3人が1台の車で現地に行くというパターンだった。今年もそれでと思っていたら、直前になってM木さんが仕事の都合で不参加。いったん定年退職したM木さんだが、JEP時代に仕込んだトップセールスの技術は後継者がおらず、未だに現在の職場で若手顔負けの活動をしており、今月の拠点の売り上げノルマを達成するかどうかの瀬戸際で、キミたちと遊んでいる暇はないとは絶対言わないが、多分間違いないと僕は確信している。結局、N村君と二人で行くことになった。電話で打ち合わせして3時間見ておけば着くだろうから、土曜日の11時に僕の自宅に迎えに来てもらうことにした。

 当日は台風18号が接近していたが、進路の関係で九州には影響は出ないと思っていた。それでも、午前10時くらいから風が強くなったり、一時的に激しい雨が降ったりした。携帯にYahoo!の大雨注意のアラームが届いたりして、ちょっと落ち着かなかった。11時をかなりすぎてN村君から家の近くに着いたと電話があった。リュックと寝袋を背負って出てみると、それらしい車は無い。近くで改装工事をしている関係で工事の車が数台停まっていたが、N村君がいつも乗っているバンが見当たらない。もっと先に留めたかと思い、雨の中、傘をさして歩きはじめたらクラクションが聞こえた。振り返ると軽トラの窓からN村君が人懐こい笑顔でこちらを見ていた。「え、なに、これ、マジ?」と僕。「おー、drac-obさん、これよ、これ。これが一番いいっちゃが。荷物は沢山積めるし燃費はいいし、4WDよ、これ」とN村君。「いや、ちょ、待って、分かったオレの車で行こう。オレがフィアット(ホンダ製だけど)出すから」「え、何でこれはダメですか」「いや、ダメとかそういうことじゃなくて、きついだろ男二人で軽トラは」「なん言よっとですか、串木野のK瀬さんは何処に行くときも軽トラが一番って言いよったですよ、幹事のZappy君にも俺たちは最高級車で行くからちゅうてさっき電話したばっかりじゃが」。営業マンの力量は最終的に押しが強いかどうかで決まる。九州でトップセールス賞を何度も取ったことのあるN村君に僕の反論は通用しなかった。

 ぶるるるるるるるるるる、とエンジン音を響かせながら軽トラは一路宮崎から国道10号線で小林市方面を目指した。都城市と分岐するところまで来たら、雨は完全に上がっていた。なんだかんだ文句は言ったが自分が運転するわけでもないし、N村君の軽トラは結構スピードを上げて快適に走る、走る。しかしながら僕が長距離のドライブのお供にとセレクトしたCD、N村君は普段演歌しか聴かないが、それでも60年代や70年代のヒットポップスは知っているだろうから3枚組のヒット曲のコンピレート盤と英語の歌は好かんとか言い始めたときの用心に吉田拓郎のベスト盤と歌はうるさいと感じた時のためのジャズのコンピレート盤を用意していたのだが、流石は経済効率最優先の軽トラ、音が出るのはラジオだけ。しかも窓もハンドル操作で開け閉めする。なんといってもきついのはシートの角度が90度。つまり直角である、その昔、『俺は直角』というマンガがあったが、あれはマンガであって現実的に背中がずっと直角であるのはきつい。

 小林市に入ったら去年も寄ったラーメン屋さんで昼飯を食うことにした。ウィークデイはベジタリアンで通しているワタクシであるが週末は肉・魚・コメ解禁なので、ラーメンとギョーザとライスがセットになっている定食を注文。ラーメンの具はもやしとチャーシューとネギだけという元祖宮崎ラーメン、最近こういうオーソドックスなラーメンは少なくなったとN村君としゃべりながら食べる。ボロボロの内装に、お冷はクーラーボックスが置いてありセルフサービス。お爺さんとお婆さんの二人でやっている店だが、こういうレトロな感じは大事だなどと勝手なことを言いながら店を出た。この駐車場で軽トラの写真を撮り、取り急ぎblogにアップした。

 さて、僕達が働いていたJEPという会社だが、教材の販売と電話で学習指導をするというアフターフォローがメインの仕事だった。営業スタイルは訪問販売という原始的な方法で日本全国に支店を展開してきた会社である。メーカーのリコー教育機器にも、その販売力で結構存在感を示していた。しかしながら朝は8時から、夜は納得するまで(つまり全てのセールスマンが『きょうはこっでしみゃー』=『本日はこれにて終了』という意味の宮崎弁、と言うまで)仕事は終わらない。午前様なんてしょっちゅうだったし、当月の売り上げが達成できそうにない時は日曜・祭日返上で働く。今で言うブラック企業に近いものがあった。しかし、しかしである。『1日24時間、1年365日死ぬまで働け』が社是であるブタミのような本当のブラックではなく、シホン主義ってこんなものなんだよとか、仕事は理屈じゃねえよ、オノレが納得するかどうかだみたいなことを徹底して仕込まれた。机上の空論ばかりだった僕の職業観をかなりな程度修正してくれた会社だった。大学中退でボーリョク学生のシンパだったチンピラ(僕のこと)を採用して、そういう人間だったから仕事が出来るとか出来ないという以前に、労働価値説がどうたらとか有給休暇は人民の権利だなどと、間違ってはいないのだが筋の通し方を知らなかった僕に社会の厳しさを仕事の厳しさを教えてくれた会社だった。「RCサクセションのコンサートがあるから会社を休ませてください」と言った僕に延々1時間以上説教してくれた上司のT岡さんも今は彼岸の国の住民だ。

 みたいな話は車中、全然せず、あいつはどうした、日曜日に営業車でラブホテルに入ったのを常務に見られたのは水戸のK間だったとか、あの女子社員は誰々と出来ていたとか、いや実は陰で付き合っていたのはあいつだったんだ、知らなかっただろう、で、××と結婚した〇〇が△△のアパートの浴室から出てきたところを見つかって血の雨が降ったのは知ってるか、みたいはおよそ下衆な話ばかりしながら男二人の軽トラはかっ飛んでいた。かっ飛んでいたのだが、小林市からえびの市、そしてあの島津領に入り伊佐市を過ぎたあたりから会話が途絶えた。だってそうだろう、そりゃそうだもの(ここ、小松の親分風に)。男二人何が悲しゅうて2時間も軽トラに乗っていなくちゃいけないのか。燃える男の赤いトラクターもいいけど、ヤン坊マー坊の天気予報もいいけど、軽トラに2時間乗っていたらたいていの人間はしゃべらなくなると思う。饒舌が終わるとき君は遠くなるのだ。

 後で考えてみたら、完璧にルートを間違えていた。いや国道10号線から小林、えびのを経過し大口を過ぎて出水に出て、そこから国道3号線で水俣に向かうという基本路線は間違っていないのだが、とにかく遠い。人吉を経過していけば2時間ちょっとで行けるということを帰り道で学んだ。イッツトゥーレイトと言うやつである。しかし、今は行きのルートである。鹿児島エリアを過ぎて熊本の標識が見えたときは嬉しかった。しかし、案の定関所があり、クマモンがデカい面して通行手形を出せと言ってきた。パスポートを銃で求められた、プラハからの手紙である。分かるかな、よっぽどパンタが好きじゃないと分からねーだろうな。などと妄想しながら軽トラは水俣市を走る。途中で味千ラーメンがあって、あっと驚く。いや、熊本県に味千ラーメンがあるのは京都市に王将があるのと同じくらい日常的なのだが、そのお店は間違いなく、今から多分三十年近く前に僕が鹿児島の営業所から熊本の営業所まで移動中に昼飯を食べた店に間違いなかった。

 こういう記憶は一気に蘇ってくる。そういえばあそこの煙草屋で当時へヴィースモーカーだったオレはハイライトを2箱買って、それを吸いながら熊本の東バイパスにあった事務所に向けて走ったとか、もう少し走ると海が見えてきて、突然頭の中でリザードの「サカナ」のメロディーが流れてきて大声で歌っていたら、信号待ちしていたヤンキーっぽい兄ちゃんに睨まれたとかつまらないことをたくさん思い出した。そして、信じられないモノを目にした。標識である。進行方向に矢印があって「江戸」と書いてあった。反対方向にも矢印があって「薩摩」と書いてあった。真ん中の支柱には薩摩街道と大書してあった。写真を撮らなかったのでウソだと言われるかもしれないが、まぎれもない事実である。肥後の連中はやはり田原坂の恨みを忘れていなかったのだ。ここはやはり時代が止まっているのだ。などとこれは軽トラに乗り疲れたワタクシの妄想である。

 国道3号線で水俣を通過し、そろそろ目的のキャンプ場が近づいたかと思ってN村君に聞いたら、「うーん、もう少しじゃないですかね。オレもようとは知らんとですよ。確か、まだ熊本の事務所があった時一度下見に来ただけで泊まったこともないとですよ。」と不安なことを言う。あわてて携帯で地図を調べると、水俣を過ぎて津奈木町を過ぎてようやく芦北町だが目指すキャンプ場はその芦北町のかなり北部、もうほとんど八代(ネイティブは「ヤッチロ」と発音します。ハイ、りぴーとあふたーみー、「ヤッチロ」、わんもあたいむ「ヤッチロ」とまるで某英学校の授業みたいに、笑)。今、念のために地図を確認したが、やはり少しくらくらした。遠いなぁ。それでも、軽トラは走る。乗員二人はもう口を開かない。これぞ九州男児というくらい寡黙、N村君はハンドルを持ってまっすぐ前を、僕は開けた窓からひじを付きだして斜め前を凝視していた。その時携帯が鳴って、出ると能天気なZappy君からだ。「今、どこですか、え、まだそんなとこですか、じゃ僕らはもう釣りを終わらせてマリンハウスに移動しますから」と自分の用件だけ言って切った。釣りをしているというのは、その前の電話で聞いたが昔の上司が二人も来るわけだから、鯛の2~3匹は釣っているんだろう。まさか坊主じゃないだろう。いや、あいつらのことだから太刀魚がちょっと釣れたら大漁とか言い張るんじゃないか、と多少でも元気があればそういう悪口を言って士気を高めることも出来たかもしれないが、疲れ果てていた僕たちは寡黙なままだった。

 「たのうら御立岬公園」という標識が見えたときは、嬉しかった。遂に到着したのだ。どんなに長い旅も終わりは来る。明けない夜は無いのだ。あなたが希望を捨てたのです、希望はあなたを捨てません。などと最後はテレホン人生相談のフレーズを入れてしまったが、とにかく着いた。と、思ったのは早計で国道からキャンプ地まで7キロもある。さらに山の上にずっと登っていくのだ。先に行った連中が釣りをしていたくらいだから、僕は海の側だと思っていたが、実は山の上にキャンプ場はあり、その先に海が見えるとこれは多少元気を取り戻したN村君が教えてくれた。とにかく、先は見えてきたのだ。しかし、山道を登るとそれ風なキャビンはいくつかあったが、どこにもマリンハウスなどとは書いていない。もしかしたら道に迷ったのかと不安が走る。こういう時は電話で聞くのが早いとZappy君に連絡したら、僕達は行き過ぎていた。来た道を少し戻って駐車場で待っていたら、Zappy君が迎えに来てくれた。そう、このキャンプ場は駐車場は離れた空き地にあるのだ。そしてこのことが翌日の悲劇の伏線となる。

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 駐車場に止めた軽トラを見て絶句しているZappy君を無視してキャンプ場に向かった。道路を横断して山の下の方に続く道を歩いてカーブを曲がると絶景が見えた。不知火の海だ。向こうに見えるのは天草だ。あまりの景色の美しさに一瞬言葉を忘れた。坂道をもう少し降りるとキャビンが数棟建っていて、その手前の2棟を僕たちのグループが借りていた。懐かしい顔が見える。郡山で夜遅くまでお客さんの家で商談をして、煮え切らない父親に「お父さん、もう決めましょう」と大きな声でクロージングをかけて、そのついでにテーブルを叩いたら、親父さんが逆上して警察を呼び、パトカーで護送されたH君。「さて、と」が口癖で若い頃は田原のトシチャンみたいな雰囲気を持っていて、やたら母子家庭に強かったK瀬君。外見はまるでレーニンみたいだが、それでも若い頃はスナックで受ける芸を持っていたI上君など、みんな元気そうである。さらにH君の二男坊、愛妻家を自称しているI上君とZappy君は奥様同伴である。

 全員が顔を揃えたところで、8月に亡くなられた、宮崎の元所長だったT岡さんを偲んで黙祷1分。終わるとビールで乾杯し宴会がスタートである。BBQである、九州電力のインターネット回線ではない。あちらはBBIQ。ジェフ・ベックとティム・ボガードがクィーンとセッションするわけでもない(回りくどい割に面白くなかった)。要するにバーベキューである。野外にテーブル、コンロ、網はセットされている。そこに炭を入れて火をおこし、それぞれ肉や野菜など好きなものを焼いて食べるという原始的な食事である。毎年の夏のキャンプではこのBBQで一大焼肉大会をやっていたが、しかし、それぞれやはり年齢を重ねたせいか、今回は先ずは魚を焼こう。釣って来たばかりの魚を焼こうということになった。またこれはI上君が持参したのか立派な海老があったので、それも塩を振って焼く。Zappy家御用達の伯方の塩より高い塩である(笑)。魚と海老と野菜を焼くとなんとなく満足してしまい、その後の手羽先や豚バラ、もちろん牛肉などにはあまり手が伸びない。それでもビールを回せ、底まで呑もうとばかりにみんなアルコールは結構なピッチで進む。ときどき手を休めて海を眺めるが、曇り空の隙間からのぞく太陽が海に反射して頗るきれいである。いいな、いい場所だなと思わず口にしたが、しかし遠い遠いぞと文句は忘れずに言っておいた。もっともそりゃ軽トラで来たら遠いよりもきついでしょうと全員から反論された。だからオレのフィアット(ホンダ製)で来ればよかったんだと後悔する。

コンロ


 というところで本日はこっでしみゃー。続きはまた後日。ちゃんちゃん。

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コメント

懐かしい地名のオンパレードに

いつか再訪したいと思いながらも 行けず仕舞いで、このまま人生終わってしまうかも と ややセンチな気持ちになりました。昔出会ったおじさんやおばさんたちが「あんたと また会うことは、もう無いだろうね。元気でね。」と言うので、「俺は若いんだ、また来ることもあるさ。「」と答えたものですが、再訪出来ませんね。今は、違反点数が戻るの待ちだから余計に不可能です(笑)。貴記事を拝見したせいか、昨晩は、九州行きのフェリーにバイクを積んで乗船してる夢を見ました。

デューク先輩も懐かしいでしょうが

僕も、本当に久しぶりに国道3号線を走って、出水・水俣・津奈木・芦北と走りました。JEPで働いていた頃は、嫌になるくらい軽自動車(スズキのアルト)で走り廻ったところですが、あれから25年。月日の経つのは早いものです。多分、続編で書くと思いますが、帰り道は芦北から球磨川沿いを、急流下りを横目で見ながら人吉まで向い、ループ橋でえびのに抜けて帰りました。道路も整備されていて快適でした。
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