香月保乃 凱旋ライブ・レポート おねいさん登場

 待ち合わせの中華料理店に入ると、一番奥の席にY尾君がいた。テーブルには既に生ジョッキと料理が2品置いてある。一皿はから揚げだが、もう一品が良く分からない。「ホイコーロとから揚げを頼んだけど、いいやろ」とY尾君。どうやらその良く分からない料理はホイコーロのようだ。しかし、ホイコーロと言えばキャベツと豚肉とピーマン(個人的にはタケノコのスライスが入っていると嬉しいし、豚肉は茹でで片栗粉をまぶしてから炒めてほしい)を辛子味噌で一緒に炒めた、どちらかというと油ギトギトの、ちょっと塩分多めで血圧高めのオトーサンは注意してねというような料理だが、そのお店のホイコーロは非常にあっさりした感じで辛子味噌ではなく水気の多い醤油みたいな調味料で味付けしてあって、それはそれで美味しかった。生ビールを飲みながら、僕はY尾君に4月のストリート音楽祭で見た「勝手にしやがれ」のCDや、翌日連チャンで見に行った山下洋輔代打スガダイローのカルテットの話などをした。メールにあった美女二人なんてものはY尾君の作文じゃないか、あるいは幻想じゃないかと頭の中をよぎりもしなかった。

 1杯目のビールがそろそろ空になろうとしたその時に、Y尾君の携帯が鳴った。誰かにこの店の場所を説明し始めた。この近くまで来ているが、場所が特定できなくて電話してきたような感じだ。そしてその電話が終わった後に、Y尾君が衝撃的な話を始めた。「オレの会社にお前のblogの読者がいて、その子が以前からお前と会ってみたいと言っててな」。僕は我が耳を疑った。ハァ、オレのblogの読者?オレのこんなしょうもない話を読んでくれて、あろうことか会ってみたいなんてよほど奇特なお方じゃないか。でも多分、同世代だろう、でないとこんな70年代をベースにしたエントリーなんか読んでも意味が分からないだろうな…。そんなことをぼんやり考えていたら、「ただ、その子も一人じゃ来にくいだろうからもう一人仲のいい女の子を呼んだ。どっちもまだ20代」などと、Y尾君はさらにショーゲキ的な話を続ける。僕は黙って頷いているだけだ。「彼女たちもお前のblogに載るのを楽しみにしているから、ちゃんと話を書けよ。そうそう、名前は、あ、オレの名刺の裏に書いてやる」。いや、Y尾君、それはマズいだろう。僕にそんな情報を与えたら猫にマタタビ、女郎に小判、泣く子に乳房、河童にエビセン、やめられないとまらない、ネバー・エンディング・ストーリーの暴走列車と化してしまう。

 等と妄想している間に、Y尾君、さっそくボールペンで何やら書き始めた。しかもぶつぶつ呟きながらの作業だ。何を言っているのかと耳を傾けると、「えーと、あの子の苗字は××だから、あ、N藤か、うんうん、もう一人は、えーとS竹、うん、これでいこう、これでいい」。いや、Y尾君、イニシャルにするのはオレの仕事であって、キミはそこに女の子たちの本名と携帯番号、それにメルアドが分かれば、それを書いてくれればいいんだけど、と口をはさもうとしたら、「うん、こっちのN藤さんがお前の読者だ。それと会社にもう一人お前の書く『おねいさん』の話が好きな女の人がいるんだけど、その人は高校の先輩にあたる人で、残念ながら今日は都合が悪いってよ」。いや、その、高校の先輩ならずっとご都合悪くて構いません。ショーセイは大した人間ではないので、エントリーでイメージして頂くだけで結構です、いや、決して年上だからどうこうというのではなくて(汗)、その、目下の課題はこれから登場する20代のおねいさんたちのハートをいかにゲットするか、いえいえ、決して下心行動委員会がどうこうという話ではなくて。などと妄想していたら、二人がやって来た。

 「お疲れ様です」「あ、どうも初めまして」「こんばんわ」「あ、いやどうも、わんばんこ」みたいな外交辞令が展開されたのは、ほんの数秒で二人とも生ビールを注文し、料理もさっと注文した。海老のマヨネーズ何たらというのと、なんだったか、やはりから揚げ系のものだったか、とにかく乾杯して話を始めた。僕は当然初対面だったので、最初はY尾君が二人に話題を投げかけてそれに彼女たちが答えるというパターンがほとんどだった。僕が不思議に思ったのは、いったいどうやって僕のblogの存在を知ったかということと、どんな話を面白がって読んでくれているのかという2点。いや、Y尾君がいなければ、もちろんそんな話よりももっとオトナの話をしたかったのだが、如何せん、職場の上司のY尾君の監視があるのでそんなわけにはいかない。

 結論から言うと、Y尾君が自分自身の登場するエントリーをプリントアウトして職場の人間に見せたところ、興味を持ったのがN藤さんと先程登場を阻止した(笑)、高校の先輩、まあ「おおおねいさん」のH原さんのお二人だったらしい。しかし、Y尾君が登場する話は、僕のblogの中でもライブレポートというか、タグで言うと「My Music」に分類される話がほとんどで、あまり僕の加筆訂正というか、まあ心無い人は「デッチアゲ」とか「大ボラ」などというが、文学的表現で言うと脚色の少ないエントリーである。話のパターンは僕かY尾君のどちらか、あるいはそのほかの誰かから入手してきたライブの情報から始まり、当日どこかで飲んでその勢いのままライブハウスやコンサート会場に乱入し、演奏が終わった後は反省会と称して、その日のライブのことを好き放題話す。ライフタイムの時は演奏を終えたばかりのミュージシャンに無理難題をふっかける。たまに、おねいさんが登場することもあるが、これが絶妙の擦れ違いばかりで、まさに戦後、その放送時間帯になると女湯の客をゼロにいたという『君の名は』と同じパターン(などと書いても20代のおねいさん方はご存じないだろう。下手すると、そのお母さん世代もご存じないかもしれん、涙)。全くもって奇跡的な擦れ違いばかりか、場合によっては僕たちなど単なる路傍の石で、一瞥もされないなどという悲しい経験も多かった。たまにはウソでも、おねいさんが出ずっぱりの話を書いたらどうだと、これは自己批判を兼ねつつ思う次第。

 それでも4人で飲み食いしながら、いろいろな話、もちろん4人のうち3人は同じ職場なので、その3人にしか通じない話も多かったが、ビールのジョッキが新しく運ばれるにつれて会話も盛り上がってきた。僕とY尾君は、そろそろビールから卒業し、あの無色透明な人民の友というか労働者の味方というか、要するに焼酎ですね、そちらにチェンジしようとお店の人に注文した。その店はコックがご主人で、給仕は奥さんという典型的な家内制手工業というか、零細、いやいやその、まあご夫婦で経営されているお店であった。要するに注文取ったり、空いたジョッキを下げたり料理を運んできたりするのは、オバちゃんが一人だったので、4人分の注文は何かと時間がかかることが多かった。それでも、笑顔で焼酎の入った徳利を持ってきたオバちゃん、僕達のテーブルを見て思わず、「あらら」と一言。

 ♪どうしたんだ、ヘヘイベイベ、バッテリーはビンビンだぜ~、などと歌う暇もなく、いったい何があったかとオバちゃんの方を全員が振り返ったら、僕達が食べていた海老マヨを、やや咎めるような視線で見ている。実はこの料理を注文したのはN藤さんで、この子は流石にワタクシのblogの読者だけあって、実に気が利く(ファンサービス、笑)。大皿に盛られた海老、その下にはトマトのスライスがある、というかトマトスライスの上に海老が乗っているという方が正しいのか。その海老・ウィズ・トメィトゥを1人に1セットずつ、小さな取り皿に盛ってそれぞれに配ってくれたのだ。実に小ぶりな取り皿で、ちょうどトマトの半円がきれいに収まり、これはこの料理のための取り皿だと全員思い込んでいた。その皿をじっと見たオバちゃん、小声で「これは餃子のたれを入れる皿なんですけど」。しかし、それがどうした。確かにお宅の店ではこの小皿は餃子のたれを入れるために置いているかもしれんが、これはどう見てもトマトと海老を載せるのに最適ではないか、水は方円の器に従うと古の人はいっておるぞ、ええい、貴様では話にならん、主をよべ、あるじを、と突然海原雄山と化して、N藤さんをかばおうかと思ったが、あまりに露骨な下心行動委員会だと思い、じっと我慢した。こういうあたり最近僕は丸くなった。というか、N藤さん、僕のblogの読者だけにおっとりしていて上品なんだよ。まあ、言い方を変えると天然というか、ぼんやり、いや、その、「待機は番制す」、違った「大器は晩成す」だ、要するに物事に動じないお嬢さんだった。

海老ウィズトメィトウ

 もう一人のS竹さんは、逆にてきぱきした感じで話もサバサバしていた。入社はN藤さんが1年早いが、学校の関係で実年齢はS竹さんの方が1つ上らしい。どうして、二人のウマが合うのか、そのあたりをY尾君はいろいろ聞いていたが、特にこれというものはないようだった。家庭環境も家族構成なんかもよく似ていたし、他にもいろいろ話を聞いたが、どこまで書いていいか分からないのでこれくらいにしたい。ちょっと笑ったのは、お二人とも父上が「浴びるように」お酒を飲むタイプで、母上は全くの下戸らしい。女の子は父親に似るという法則を発見したのはメンデルだったか(ウソです)、遺伝の法則は正しいことが今回の飲み会でも証明されたわけだ。

 しかし、しかしだ。Y尾君は確かに彼女たちの職場の上司であるのは間違いないが、せっかくうら若きおねいさんたちとプライベートな話が出来るのに、話題が鬼平犯科帳はないだろう。以前書いたが、Y尾君はある時期から鬼平に目覚めてしまい全シリーズをDVDで完全制覇(最後の方は、もう見るのが苦行のようだったと言っていたが、だったら見なければいいだけの話だ)。鬼平の若い頃の過ちの話だとか、鬼平グループの子分や関係者はみんな脛に傷もつ人間で、その経験から犯罪者に対しても心優しいなどと、呑みはじめると延々と語り、ある時はついにジャズのライブより鬼平の方が好きだ、などと妄言を言い出したこともあった。しかし、まさか、このライブの前の楽しい語らいの場で鬼平を出すとは夢にも思わなかった。その原因は店のオバちゃんである。僕たちが注文した焼酎をこともあろうに、白い陶磁器の2合徳利に入れて持って来たのだ。よせばいいのに僕が「これじゃまるで日本酒だな」と言ったのがきっかけで、Y尾君の鬼平話が始まった。

 会社などという組織には、退屈な上司の話を延々と聞かされる朝礼だとか黙って聞き流すのが一番の会議とか、その手の不毛な時間がいくつかあるが、この時のY尾君の鬼平話はそのワン・オブ・ゼンと言っていいだろう。明らかに女の子二人は退屈して、表面的な相槌を打っているだけなのに、喜々としてY尾君は語る。熱く鬼平を語る。ありがたいことに二人とも『鬼平犯科帳』という名前は知っていた。もっともドラマは見たことが無いので、役者の名前や作家の名前をあげても反応はいまいちだった。笑ったのは、S竹さんが「決めのセリフというか、そんなのは鬼平に無いんですか」「決めのセリフって?」「たとえば水戸黄門の『控えおろう、この方をどなたと心得る』とか、そういうやつですよ」「『てめえたちゃ人間じゃねえ、たたっ切ってやる』とか、そういうの」「『この桜吹雪が目に入らねェか』とかそういうやつ?」「あ、それと『銭の花は白い』なんてのもそうか」、と最後のたわごとはワタクシでした(笑)。

 こういうバカ話ばかりしたわけではなく、この後に行われるジャズのライブについての話、音楽は生が一番、ビールや飲み物の生が一番、人生何事も生が一番じゃとドサクサまぎれにシーモネータに持ち込もうとした大技はY尾君に軽くダッキングされたが、それでも今から見るライブは花のニューヨーク留学から一時帰国する地元が生んだ歌姫の貴重なライブなので心してみるよう、オジサン二人は説教して、そうこうしているうちにライブの開演時間が近づいてきた。20時開演だがFBでの反応を見ていると、結構大勢のファンや関係者が来そうだったので、19時30分前には、その店を出てライフタイムに向かって歩いて行った。Y尾君が居なければ、腕を組んだり手をつないだり、♪あいうぉなほーじょは~ん、あいうぉなほ~じょうは~ん、つまりビートルズの「抱きしめたい」の世界に入れたのだが、誠に残念ながら男・男、女・女の二列縦隊は粛々と「あみーろーど」を歩いてライブ会場に向かった。

 ライフタイムに着いたときは、既にお客さんが半分以上入っていた。レジでチケットを買って飲み物を注文していると、カウンターの奥の席に香月さんがいた。「どうも、久しぶり」などとあいさつすると、一緒にいた二人の女性を見ながら、笑顔で「ジャズの好きな彼女ですか」と聞かれた。実は、以前FBで今度のライブには現在口説き中のジャズが好きな彼女を連れて行くとワタクシ豪語していたのだ。僕は目標達成に向けてベストを尽くすことで有名だが、その時も全力を尽くして口説いていた彼女はいたのだが、直前に体調不良を理由に断られた。まあ、仕方がない、体調が悪いのに無理してライブに行っても楽しくないよね、などと言いながら心の底では悔し涙を流していた。しかし、天は我を見放さず。今回この記念すべきライブにN藤さんとS竹さんという二人のおねいさんを届けてくれた。まさに天は自ら助くるものを助く。ん、ちょっと意味が違うか。どちらかというと天からぼたもち、いや、棚からぼたもちである。ちなみにワタクシ、餡子はつぶあん派である。どうでもいいか。お客さんは既にかなり入っていたが、幸運なことにステージの目の前のテーブル、しかもちょうど四人座れるところが空いていた。次は席順である。こういうときに、気配りのできる男はさりげなく男女男女となるように、場所を決めるものだが、もちろん保護者代理のY尾君はしっかり男・男、女・女という組み合わせにしてくれた。チクショー。

香月ライブ

 大勢のお客さんの温かい拍手の中、トリオと歌手がステージに上がってきた。香月保乃、2年ぶりの宮崎、2年ぶりのライフタイムのライブである。オープニングは「デイ・バイ・デイ」。久しぶりに香月さんの歌声を聴いてクリビツテンギョウ。以前は、高い声が印象的な歌い手だったが、随分ドスの利いた歌い方というか、迫力が増した歌声に変わっている。挨拶代わりに1曲歌って、メンバー紹介。ベースとドラムは以前からおなじみのミュージシャンだが、今回はニュー・ヨークから連れてきたピアニストがいた。David DeMotta、奥さんが福岡のご出身で、そちらで何やら祝い事があるので、じゃあ一緒に九州で演奏しようかというノリで連れて来たそうだ。リズミカルな、ちょっと打楽器ぽいピアノで実に心地よかった。演奏終了後握手をしたが、ニュー・ヨーク訛りが激しくて何を言ってるか聞き取れなかった。いや、ほら僕が学んだ英語はクィーンズ・イングリッシュだから、ヤンキーのスラングまみれの英語はどうも苦手で、う、ウソじゃないぞ。に、新島襄先生の作らはった学校に6年も通っていたさかい、そんなん、当たり前だのクラッカーやっちゅうの。…えー、話がそれたので軌道修正する。

 2曲目は「恋とは何でしょう」、エーゴで言うと” What Is This Thing Called Love?”、コール・ポーターがミュージカル用に作曲した、まあスタンダードですな。そして、3曲目は60年代の懐かしいヒットポップスから、ビートルズの「アンド・アイ・ラブ・ハー」。そういえば、香月さんのライブに良く通っていた頃、レパートリーの中に70年代コーナーというのがあって、そこではジャズ以外のロックやポップスなどを良く歌っていた。印象に残っているのは、クラプトンの「ティアーズ・イン・ヘヴン」やキャロル・キングの「ソー・ファー・アウェイ」、「君の友だち」、そしてロバータ・フラックの「やさしく歌って」など、ジャズのスタンダードの合間に聴く70年代の歌というのは、実に新鮮に響いた。せっかくそうやって、ミュージシャンがライブの工夫をしてくれているのに、「次はジョニ・ミッチェルのナンバーをやってくれ」とか、「ダニー・ハザウェイとロバータ・フラックが一緒にやったアルバムの中から1曲歌ってくれ」とか、無理難題をいうヨッパライの客がいた。あ、オレか。

 ところで、この有名な曲をY尾君は演奏前に「知らない」などというから、僕があの印象的なリフを口ずさんだら、それに香月さんも反応してくれた。こういうところの気配りがいいんだよな。ちなみにこの曲のインストナンバーを地元テレビ局が、良く流していた。それも、いまどきの人たちに話しても信じてもらえないかもしれないが、その昔、まあ、あれは60年代かな、少なくとも70年代には入ってなかったと思うが、昔、テレビは良く映らなくなった。いや、うちのテレビが故障したということではなく、放送上のトラブルが発生して画面がストップすることがあったのだ。番組の静止画像を、そのまま放送しておくのは問題があったためか、あるいは別の理由かもしれないが、テレビの画面が止まるとすぐに「しばらくお待ちください」というテロップとヤシの木のイラストの画面が出てくるのだが、そこにビートルズの「アンド・アイ・ラブ・ハー」のタタタタ~ン、タタタタ~ンという印象的なギターのリフが流れていた。パブロフの犬ではないが、そうやって刷り込まれていたので、あの曲は地元テレビ局の音楽だと思っていた。後年、ビートルズのアルバムで「アンド・アイ・ラブ・ハー」を始めて聴いたときに、『なんでMRTの曲をビートルズが知ってるんだ』とちょっとパニクッたりしたのも、今ではいい思い出である、違うか(笑)。

 香月さんの小話がステージでは行われていた。ニュー・ヨークに留学して早2年経過したが、最初は歌を歌うことは隠していたらしい。別に秘密にするつもりは無かったそうだが、ユーフォニアム専攻科として学校に通っていたので、歌も歌うとなるとボーカル科に通っている生徒から嫌がられるんじゃないか、などとこのあたりはいかにも宮崎人らしい気の小ささ(笑)。しかし、そういうことはいつかは分かる。天網恢恢疎にして漏らさず、というのはちょっと違うか。まあ、半年くらいは私は歌いませんみたいなポーズを取ってたけど、学校のビッグバンドで歌い始めて、今では月に4,5回は歌の仕事も入るようになったらしい、パチパチ。



 今回の香月さんのライブで非常に興味深かったのは歌手として、またユーフォニウムプレイヤーとしての実力を付けたことはもちろん、作曲・編曲の力を見せつけてくれたことだ。ファースト・セット、セカンド・セットの両方に地元の民謡をアレンジして歌ってくれた。ファーストでは「のさん節」、セカンドは「ひえつき節」だった。どちらも秀逸な出来で、特に「ひえつき節」は圧巻で動画を撮ったのだが、何故かピントが上手く合っておらず、残念ながらYOU TUBEにアップ出来なかった。地元の人なら、どちらの歌もよくご存じだと思うが、世間的には「のさん節」はどの程度の知名度があるんだろうか。「のさん節」、エーゴでいうと”Never Be Relax”。あ、これはワタクシのいい加減な訳ではなく、From New Yorkの香月さんがステージで言ってました(笑)。

 実は、我が地元の宮崎には有名な山と田圃と樹木がある。「ノサン」と「ダレタ」と「ヨダキ」である。これらすべて「疲れた」状態を表現する言葉なのだ。エーゴだと、せいぜい”tired”の一言だろうが、我がポンニチの、その南の果ての陸の孤島では「疲れた状態を」本人の意志がどういう状態でつかれているか、この3つの単語で使い分けが出来るのだ。純粋に肉体的に披露した状態の時に「だれた」と使う。「だりー」などと語尾を変化させると、より強調される。この「だれた」に「止める」あるいは「とめる」という意味の「やみ」を合体させると、「だれやみ」、即ち晩酌の意味にある。「もう、こん仕事は、はよ切り上げてだれやみすっが」などと使うことが出来る。

 本人にやる能力はあるのだが、気が進まない時に「のさん」と「よだき(ぃ)」を使う。「よだき」、地域によっては「よだきい」と最後に「い」または小さく「い」を付けるところもあるが大意はおなじ。よく学校の先生から「よだき、よだきで掃除をすんな、やるときはぴしゃっとやれ」などと怒られたものだ。え、「ぴしゃっと」とはどういう意味か、ですか。「ぴしゃっと」は「ぴしゃっと」である。適当ではないのだ。「のさん」は強調するときは「さ」と「ん」の間を長く伸ばすとネイティブっぽくなる。「こら、お前ははよ仕事に行かんか」「のさ~~~~ん」などと使えると、あなたは今日からネイティブ・スピーカー。ただ残念ながらTOEICには何もプラスにならない。

 この疲れ方を表す言葉が豊富だということは、やはり僕らの住んでるところの県民性はナマケモノが多いんだろうな。あ、いつの間にが言語学のお話になってしまった。香月さんのライブの話は、また今度ね(という手段で何度エントリーをボツにしてしまったか、ゴッドオンリーノウズである、笑)。

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コメント

いろいろ

エーゴだとexhaust (すごく疲れている) fatigue(疲労。仏語由来。文章語が専ら)が思いつくだけであります。
確かに勤勉こそ神聖!という真宗門徒が多い中部地方だとせいぜい「えらい(体がえらい)」とかあとは標準語に準ずるような言葉「くたびれた」とかぐらいですかね。

>鬼平

電車通勤者の間では「時代小説を読み始める」が「中年の始まり」と認識されております(笑)。実際電車内読書で見た目が40代後半以上の人の読んでるものの8割がたは藤沢周平、池波正太郎などなど。
そんな私も一時期CS時代劇チャンネルにて鬼平、大江戸捜査網(里見浩太朗主演期)、高橋英樹の「ぶらり信兵衛-道場破り-」を録画予約、まとめ見するのが楽しみでした。

「だれた」の最上級で

「ひんだれた」といういい方があります。昔のローカルのCMで畑が『連作、連作でおりゃもうひんだれた~』と泣きを入れるものがありました。要するに連作障害のことですな、同じ作物ばかり作っていると畑が弱るという内容でしたが、肝心の商品は全く覚えていません。それじゃCMの意味をなさないっつーの(笑)。

本日の地元新聞に宮崎のアンテナショップの売り上げが前知事時代の半分というニュースも出ていました。まあ、宮崎県知事の立場を捨てて、維新で国会議員になった彼も、それなりに貢献していたということですね。

時代小説は一時藤沢周平や、浅田次郎(『壬生義士伝』だけなので時代小説家と違うかもしれません)などを読んでいた時期がありましたが、最近は全然です。小説で読むより映画やドラマの方が楽でいいです(笑)。
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