怒涛のライブ3連荘 その1というか1から2
さて、前回は一体何の話だったかというと、単なる昔話。高校の同級生は出世しているが、オレは河原の枯れすすき。世の中を斜めに見ていた天罰で、渡る世間の厳しさを、ようやく分かったこの歳で、年金ナンボになるんやろ、ナンボになっても食っていけん、食っていけんと人は死ぬ、死にたくないならゼニ稼げ、ああ、幾つになっても甘かぁねぇ、と最後はエンケンのフレーズをパクったが、いかんいかん、こんなことを書いているから話が進まない。一足飛びに3連荘の2日目の話を書こう。23日の土曜日は酒井春佳が地元(もちろん宮崎市のライフタイムだ)で凱旋ライブをやるというメールが、FBを通して本人からあった。この酒井春佳は、いつものライブの相方Y尾君の職場の同僚の娘さんで、その関係で4年前だったか、彼女が大学で結成したドンバ(BONOBONO BANDって名前がいかにも若い女の子だね)のライブに誘われた。しかしY尾君は、もっと前に彼女の存在を知っていた。実は富士通が主催しているイベントで100 GOLD FINGERSというものがあって、キャッチコピーが「ニューヨークからジャズピアニストが居なくなった」。普通、人間の手の指は10本(もちろん中には9本とか不始末の連続で8本とか不慮の事故で10本無い方がいるのは先刻承知だが、まあそういうところはとりあえず見逃してくれ)だから、100ということは10人のピアノ弾きが一堂に会して演奏するという大イベント。それの何回目かの、さっきネットで調べたら多分9回目のイベントが、地元は宮崎の新富町というところであり、そこにY尾君は見に行ったわけだ。実はY尾君、秋吉敏子のミーハー的なファンで、しかもその時はドン・フリードマンというもう一人大好きなピアニストが来ていたので、これはどうしても行かねばの娘(フィル・ラモーンが亡くなった、合掌)。で、ライブ終了後の打ち上げに、これは何度か拙blogに御登場いただいているM原先輩の伝手で入り、念願の秋吉敏子と話をしたりサインをもらったりしたのだが、その打ち上げの現場で制服姿の女子高校生がソロピアノを弾いていたのを目撃した。そのことを、会社の後輩に話をしたら、何とその高校生は実は彼の娘であったという顛末。世の中は狭い、実に狭いのだ。
世の中が狭い話の実例が最近もう一つあった。以前の日記に書いたように僕の首が回らないから、いや、その比喩的な意味じゃなくて現実にって、こういうエクスキューズはもういいか。まあ首の調子が悪いので整骨院に通っている話を書いた。その整骨院は、ちょっとユニークで治療室にBOSEのスピーカーが2本、壁に固定してあるし床には手作りじゃないかと思われるツィーターが2本、にょっきり立っていて、そこから時々ジャズが流れていることがあった。ボーカルやスタンダードが多く、もちろん治療室にいるのは首や肩や腰が痛くて施術を受けに来ているわけだから、音量も控えめでいわゆるBGMとして流している。豚のいななきとたとえられるエリック・ドルフィーなどかけられた日には、電気治療のコードを引き抜いてアバレ始める患者が続出するにきまっている。
ある時、僕のほかにも治療を受けているやや年配の人が先生に「これ(音楽のこと)CDを流してるの?」。先生、「いやインターネットの番組を適当に」「へえー。いいね、なかなか」「いやー、いい選曲の時もあれば全然ダメなときもあるよ」。などとやり取りしていた。僕はぼんやりその会話を聞いていたのだが、そういえばここの先生と世間話らしいことは何もしていないことに気がつき、せっかくのチャンスだから山下洋輔の4.30コンサートのチラシを置かせてもらい、ついでにチケットもなどとトラタヌを考えていた。しばらくして僕の治療が終わったので、おもむろに「先生は日本のジャズは聴かないんですか」「いや。聴かないこともないよ」「山下洋輔なんか、どうですか」「いやー、ああいう激しい音はね~」「あ、70年代みたいな無茶苦茶はもうやってませんよ。ここ最近はメロディもはっきり分かるし、『チュニジア』とか『アイル・リメンバー・エイプリル』とかスタンダードもやってるし」「ふーん、あ、さっきの人にその話すれば良かったのに、息子さんがドラムやってるんだよ」「…。え、息子さんがドラム?もしかしてさっきの人は香月さん?」「なんだ、知ってるの」「娘さんが今、ニューヨークで修行中ですよね」「詳しいね、なかなか」「いや、この前の土曜日に香月さんのドラム聴いたばかりなんですよ、酒井春佳という新人ピアニストのライブで」「あ、そう。実は僕の甥っ子もピアノ弾いてるんだよ」「…。甥っ子がピアニスト、ここ荒武整骨院ですよね、てことは荒武裕一郎?」「あ、知ってるの」「いや、去年だったかジャズナイトの前日にLIFETIMEに飛び入りで演奏していたあと、一緒に飲んだりして」「あー。そうなんだ」。
ことほどさように世間は狭い。ところで何の話をしていたっけ。そうそう、酒井春佳の凱旋ライブだった。そのライブが3.23土曜日の19:30スタートだから、その前にY尾君と春佳ちゃんのお父さんと一緒に飲むという予定だった。ところが、そのライブの数日前だったか、Y尾君から電話があり同じ23日の17時からH高時計本店で山下洋輔コンサートのパーティがある、もっとも山下洋輔本人は来ないが、かわりに大西洋介が演奏するので、そちらにも顔を出そうという。さらに、そのパーティに酒井春佳も呼んでH高社長やM原さんを紹介し、彼女の宮崎での人脈を広げるのに貢献したらどうだという。いや、至極ごもっともな提案で、そりゃいいや、で、どうやって彼女に連絡するんだ、そうか、キミは彼女のお父さんと同じ職場だから、え、オレ、オレがメール。いや、そりゃやるけど、いきなり中年のオジサンからメールが来てパーティ行かないかって胡散臭くないか、いや、分かった、もちろん下心はない、そんなものはとっくに捨てた(嘘だけど)。などというやりとりがあって、とりあえず春佳ちゃんにメールしたら、喜んでくれて、以前にH高社長とは面識があるなんて書いてあった。
で、話を急ぐと当日ドタキャンが来た。良く考えれば当たり前の話で、当日の19:30から本番のライブがあるのに、その前にパーティで一杯やるっていうのはベテランミュージシャンでも二の足を踏むのではないか、まあ、ナベサダ・ヒノテルクラスだと違うのだろうが、何しろ当人は23歳のギャル(死語、死語なのか)である。当然のごとく「リハーサルがある」のでパーティは欠席と連絡があった。Y尾君にもすぐ伝えたが、彼は気落ちしたせいか、「了解」と実にシンプルな返事が届いた。最近携帯の絵文字やデコレメールを覚えて、何かあるたびに訳の分からない背景やぴょこぴょこ動く文字を嬉しそうに送って来たのに、今回は「了解」の二文字だけ。いかに落ち込んでいるかは長年の付き合いのワタクシピンと来ました。

そういうわけで、当日17時にH高時計本店前で、Y尾君と合流し、そのまま2階のロビーに行った。受付にM原さんが、そして2階のグランドピアノの前にH高社長がいた。お招きいただいたお礼を言った後に、実は今日は19:30から酒井春佳のライブを見に行くと話し、パーティは途中で抜けますが何卒宜しくみたいなことを伝えた。僕がY尾君から聞いた話では山下洋輔のコンサートを成功させる決起大会みたいなイベントで、そこで地元のピアニストである大西さんが演奏するという話だったので、気楽に構えていたのだが、実はとんでもない真面目な話だった。何しろ、ピアノの横にあるスクリーンにはPPTで『宮崎国際ジャズデイ』という文字とロゴが大きく映し出されている。そしてH高社長から、今回のイベントの趣旨説明があるのだが、その前にラグタイムを2曲、大西さんのソロで聴かせてもらった。スコット・ジョップリンの『ジ・エンターティナー』というより、映画『スティング』のテーマ、あるいは僕と同世代の人ならマイン・ブロイというキリンが出したビール(お、そうだ、Y山君、これ読んでたら、マイン・ブロイの復刻を上の方に掛け合ってくれ、ついでに許可が下りたら試飲用に1ガロンほど送ってくれ)のCM曲でおなじみのメロディが終わると同時にH高社長の今回のイベントにかける熱い思いが発表された。
国際ジャズデイというのは「2011年11月、ユネスコ総会で、4月30日を『国際ジャズデイ』と定めることが宣言されました。『国際ジャズデイ』の目的は、平和と結束、対話、人々の協力関係を推進する力、および教育的ツールとしてのジャズの価値を、国際社会において深めることにあります。制定後、初の2012年4月30日の『国際ジャズデイ』では、ユネスコ親善大使のハービー・ハンコック氏を中心に、多くのアーティストがこの日を祝福するコンサートを世界各地で開催しました。この『国際ジャズデイ』の趣旨に賛同し、宮崎でもジャズの価値を広めていくため、「宮崎国際ジャズデイ2013」を開催いたします!」というもので、詳しいことはこのHPなどを見てほしいが、単に山下洋輔のコンサートをやる、地元の小学校と一緒にやるだけではなく、芥川仁さんの写真展やレコードコンサートなども複合的に、同時多発的に行い、発展定着を図り、いつの日かジャズウィークに、そしてジャズマンスにするぞ、宮崎にジャズの花の咲く一か月を断固として構築するのだ、みたいな感じ。ま、この手のスローガンより僕なんかは昔から「いらん子部隊」で行動あるのみ、理屈はいらんなんてほうだったから、とりあえずビラの配布とチケット販売は頑張ろうと思った次第。
その宮崎国際ジャズデイのサポーターの決起集会だったことがようやく分かり、その後屋上でH高社長お手製の豚シャブなどを頂きながら、ゑびすビールやワインをがぶがぶ飲んで、そして18:30から大西洋介さんのグループのライブが始まった。メンバー紹介はとりあえず、こちらからの引用でそのままパクリます。
大西洋介(pf)
5才からピアノを始め、宮崎大学特音課程入学後はクラシック、ジャズ、シャンソン、ラテン音楽を勉強。自己のバンド 「TRINITY」や、キム ジョン、甲斐和代、馬渡松子、坂本梨奈のサポート等、ジャンルを越えて活躍中。2009年には日野皓正クインテットのベース奏者:池田芳夫トリオの一員と してツアーを行う。
Whoopin(vo)
86年にポニー・キャニオンより CD デビュー。日本だけでなく欧米でも音楽活動を行う傍ら、大貫妙子、久石譲、加藤いずみ、アルフィ、小林武史、桐島かれん、森川美穂、高橋研、舘ひろし他、 国内外の様々なアーティストのコンサートツアーに参加。2009 年 ソロのジャズシンガーとして、第 10 回神戸ジャズボーカルクィーンコンテストにてグランプリを獲得。
Tony Guy(perc)
30年以上のスティールパンと パーカッションでのコンビネーションの演奏経験を持ち、イギリス、フランス、インド、アフリカ、アメリカ、カナダ、メキシコ、バミューダそして日本やカリ ブ諸国他、世界中のあらゆる国をツアーで訪問している。現在はスティールパンの講師としても、宮崎や鹿児島で活躍している
大西さんの演奏もずいぶん久しぶりだったが、僕が勝手につけたコピー、「宮崎のビル・エバンス」の名前通りのリリカルなピアノ。それにさりげなく絡んでくるTony Guyのパーカッション。実は僕はひょんなことから彼の住まいにお邪魔したことがある。和室2間の純日本風のアパートにPCや楽器などが沢山おいてあって、そうそうちょうど西藤ヒロノブのライブを見た直後でその話をすると、西藤ヒロノブとは彼が宮崎に帰ってくるたびにジャムセッションをしている、などと聴き驚いたことがあったっけ。そして、Whoopinは、スキャットが強力で客席の雰囲気もようやくほぐれていい感じになってきたその時、時計を見ると19:00を回ってしまっていた。ヤバい、春佳ちゃんのライブに遅れる。僕とY尾君はH高社長、M原さんに挨拶もそこそこに、駆け足でライフタイムに向かったのだ。うーん、話は全然終わらない。

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