怒涛のライブ3連荘 イントロダクション

 怒涛の3連荘が終わった。非常に疲れた。疲れたが楽しかった。いったい何の3連荘かというと酒と音楽の日々だ。大変残念なことに酒と音楽につきもののおねいさん関係は全くなかった。無かったどころか、3連荘の間、ずっと行動を共にしたのは、毎度毎度のY尾君である。代わり映えがしないのだ。まあ、彼とは父親の代からの付き合いがあったので、こういうのを腐れ縁というのだろう。父親の代からの付き合いというのは、実は今を去ることウン十年前、ワタクシがまだ紅顔の美少年だった花の高校1年生のときのお話です。無事、入試を突破し、それまでは坊主頭だった中学生が晴れて高校に入学し、新しい担任とクラスの仲間と出会い、当時は個人情報がそれほどうるさくなかったので、クラス名簿なるものを各自受け取った。今、思い出してみると生徒の名前、住所、電話はもちろん、保護者名から職業から書いてあった。中には保護者名が女性のものもあり、いわゆる母子世帯であることがあからさまに分かるわけだが、それでなんら問題も無かったから、まあおおらかな時代だったんだろう。しかしながら、ああいうのは妙に隠そうとするから、いろいろな問題が発生するのではないか。だいたい、人間は隠してあるものは見たい。特に誰かがこっそり隠してあるものほど、見てみたい。いったいなんだ何を隠しているのだ、お天道様の下に堂々と出して見せろと、ええと話が妙な方向に進みそうなので軌道修正する。

 そのクラス名簿を家に持ち帰り、そのあたりに投げ散らかしていたら偶然父親が見つけて叱られた。大事なものはきちんとしまえという、これはまた至極もっともなお説教だったので、素直に聞いていたら突然「このY尾というのは、これこれこういう感じの顔立ちじゃないか」などという。言われてみれば確かにそういう顔つきで、いったいなぜ知っているのかと尋ねてみたら、Y尾君の父君の名前に見覚えがあり、高校生の時一緒のクラスだった人ではないかと思ったらしい。実はこの父親の高校時代の同級生というのは、もう一人同じ高校にいて、こちらは中学の頃から知っていた。知っていたから別にどうという話ではない。

 その親子二代の付き合いのあるY尾君とは、ライブの情報交換をして予定が合えば大抵一緒に行動している。3月は23日に酒井春佳の久しぶりの故郷凱旋ライブ、翌日の24日は日南まで粥川なつ紀のライブを見に行く予定をしていた。それはいいのだが、実は僕はその前日の22日が職場の飲み会だった。勿論、次の日その次の日と二日連続予定があるので、職場の飲み会はおとなしく二次会など誘われても行かないと固い決意で、それでも会費分は飲み食いせねばの娘と化して、お行儀よく運ばれてくる料理を次から次に平らげ、それでもお酒はビールだけにして抑えていた。もっとも、いい加減お腹がいっぱいになった頃合いに、大好物のタケノコご飯が出た。食いたい、食いたいが腹がきつい。ううん、どうしようかと迷っていたその時、若き日の町田町蔵の叫び声が聞こえた。「おまえらはまったくじぶんというなのくうかんにたえられなくなるからといってメシばかりくいやがって」というアレである。僕は箸を置いた。そして、飯(この場合はアテだが)ばかり食わずに、少しは周りの人と話をしようとしていた、その時携帯が振動した。

 もちろんこういう場であるから携帯はバイブにしておいたのだ。そうそう、以前いた職場での話だが、取引先の偉い人が亡くなりお通夜に参列した。お坊さんの読経が続くその時に闇を切り裂くような携帯の呼び出し音が。どこのバカだと思って、音のする方を睨みつけたら僕の上司だった。ああいう時に人間性というものは出るとつくづく思った。というのは、仮に僕の携帯が鳴ったとしたら、素知らぬ顔をしてポケットの中で携帯の電源を切りオレ違うもんねという顔をすると思う。ところが、正直一辺倒、真面目一本やりで部長職まで上り詰めたその人は「ハイ、××でございます。あ、どうもお世話になります。今、今ちょっとですね、ええ、ハイ、ハイ、その件は」などと電話に応対しながら、もちろん早足でその場を去っていったが、実に残念なことにそのセレモニーに社長、会長というエロい人が、違った、偉い人が二人も参加していたので、当然、後日呼び出されて説教。そのとばっちりで当月営業数字が良くなかった僕の部署の役職は全員休日出勤を命じられて、あ、何の話だったか、最近、どうもこういうことが多くてイカン。MRIの電磁波がまだ頭に残って悪さしているんだろうか。

 ええと、そうそう携帯がぶるぶる震えていたが、僕はその時話をしていた人達には気づかれないようにこっそり電源を切った。そしてタイミングを見てベションゲル(これは、ベション=小便、ゲル=逃げる。という語感からお分かりのようにトイレに行くふりして、その場をずらかるというジャズマンの必殺技である)した。着信履歴を見るとROCK BARのマスターからだった。かけなおすと、「今、高校時代一緒だったY山君が久しぶりに来てる。S尾もいるし来れないか」というお誘い。コンマ五秒ほど考えた。明日は酒井春佳のライブ、しかもその前にH高社長のビルの屋上でパーティが17時から入っている。体力温存、暴飲暴食接して漏らさず、インロータキンは頭の上、などと呪文を唱えつつ口を突いて出た言葉は「あ、今から行く。多分20分位で行けると思う」。

 こういう後先考えない行動が僕には多い。小学校に入る前からその傾向があって、何度も何度も失敗している。特に大学時代は明日は試験だというのに、雀荘で麻雀をしてしまい、そのまま踏ん切りがつかずにずるずる下宿に帰って徹マン。朝は泥のように眠ってしまい試験放棄、単位未収、挙句は留年、そして、という悲しい歴史を何度繰り返したらタマシイが入るのか、人間幾つになっても修行だ。そもそも今日のエントリーにしても、3回のライブを簡潔にまとめて、特に宮崎国際JAZZ DAYという素晴らしいイベントのプロパガンダもさりげなく入れた印象深い話にするのだ、と思いながらも、あの時の話は面白かったからそれも入れて、あ、あの落ちも入れんといかんだろう、さもなくばショルダーハンドドロップ(その心はショルダー=肩、ハンド=手、ドロップ=落ちる、ということから「片手落ち」でした、チャンチャン)になるなどと考えてしまったら、もう収拾がつかない。今回は前夜という話でいいかなどと勝手に考えている。

 というわけで、職場の飲み会が終わると僕は脱兎のごとく会場を出て、ひたすら地元の浮かれ街、繁華街をROCK BARに向けて歩いた。シータクで行けばいいじゃないか、せいぜいツーメーターかスリーメーターだという考えもあったが、いやいや無駄なお金を使ったらイカン。明日以降、ライブのチケット代も必要だし、当然飲食費も使う。そして、そしてだ。そのライブで、もしかしたら訳ありのおねいさんと親しくなって、もう一軒行こうてなことにならないとも限らない。その時に実弾が無ければ無念の撤退をしなくてはならない。花の75年度生は常在戦場、いついかなる時でも素振りは欠かさない。多少高めのボール球でも振らないとヒットは生まれないのだ、などと絶叫しながら、いや頭の中で叫びながら、さらにもう少し冷静に考えるとあれだけ大量のアテやルービーを飲み食いした訳だから、カロリーを消費しないとまずい。小金は貯めてもいいが、というか積極的に貯めたいが、貯めてはならぬ中性脂肪、手を上げて止めるシータク、メタボの元、などととっさに考え付いたマイ格言も唱えながらひたすら歩いた。

 ROCK BARの扉を開くとカウンターに二人の客がいた。奥のほうにいる客はちょっと思い出せないが、どこかで見た気がする。そして手前にいたのはY山君その人であった。確か大学の2回生くらいの時に会ったのが最後なので、確実に30年以上は会っていない。しかし顔つきは全然変わっていない。体形も少しふっくらしたようだが、大したことはない。マスクをしていた僕に向かって、「drac-ob君?太ったね~。一瞬分からんかった」と非常に不愉快な一言を放った。さらに「花粉症、そのマスクは?」などと聞いてくるので、敵権力に素顔をさらさないためだと言おうとしたが、良く考えるとこの人は非常にまじめな人で、そんな事を言おうもんなら、「やめときない、drac-ob君。オレが付いて行ってやるから一緒に警察に行こう、自首したら罪は軽くなるから」などと言うのは明らかで、そうなると僕もつい「いや、オレも痩せても枯れても自由の戦士や。権力に投降する位ならいっそこのまま」っていつまでやってるのだ、オレは。

 マスクを外して横に座ると「うわー、変わってない。マスクしているときは分からんかったけど、変わってないよ、昔と」と、今度はちょっと嬉しいことを言ってくれる。このY山君は、その昔航空大学校に行きパイロットになるという大きな夢を持って高校に入ってきた。残念ながら勉強のし過ぎで視力が落ちてしまい、パイロットの夢は諦めるしかなかった。しかし、やはり優秀な人は優秀であって、福岡にある元国立一期校、旧帝大、ドグラマグラに登場する正木教授や若林教授が所属する大学に現役で合格。そのままストレートに卒業し、渡辺 香津美のいたバンドと同じ名前のビール会社に就職したという立志伝中の人物である。高校時代にロックなどを聴いて髪を長くして、校則違反の服装して学園祭の自主運営などを計画し、進路指導の教官に恫喝かけられるようなカス学生、ま、ワタクシであるが、そういうワタクシにも何故か良く話をして、そうそう大学の2回生に上がる春休みに京都の僕の下宿に遊びに来たことがあった。その時に銀閣寺のサーカス&サーカスに連れて行ったのだが、非常に感激して「すげえ、京都はすげえ。博多にはこういう所はない」と叫んだことを覚えている。いや、何、真面目な学生だったY山君が知らないだけで博多にもライブハウスは沢山あったはずだ。

 しかし、高校時代の友人というのは懐かしいもので会って数分ですぐに昔の感覚が戻ってくる。いろんな昔話をしていた、その時に彼が妙なことを言い出した。「そういえばdrac-ob君は大けがして学校に来たことがあったよね。その怪我の理由を聞いてオレは君を尊敬したことがある」。「え、オレ、そんな大けがなんてしてないよ」「した、した、包帯巻いて学校に来たが、今でもはっきり覚えいているって」「うーん、思い出さないな。オレは何で怪我したんだっけ」「ミッシェル・ポルナレフのレコードをかばって自転車から落ちたんだがね」「はあ、ポルナレフのレコードかばって?」「そう、自転車が倒れるときのそのまま倒れてしまうとレコードに傷がつくから、レコードを両手でしっかり守って倒れ、それで確か骨にひびが入ったんだよね」。

 本人はとんと記憶がありません。いや、それに近いようなことは確かに何度かあった。僕の高校は自転車通学がほとんどで、当時はCDなどないから音楽は全てLPレコード。30㎝角のアルバムを3枚くらい学校に持って行くことはしょっちゅうだった。3枚位ならレコード店が無料でくれるビニール袋に入れれば自転車に乗るときもそんなに心配ない。ただそれ以上を持ち運びするときは、自転車の前かごにバランス良く乗せて自転車を操作するテクニックが必要だ。自転車というのは低速で走っているときは力がいるが、ある程度スピードに乗ると軽快になる。しかし好事魔多しで、そういう時に良く段差にタイヤが乗り上げてバランス崩すことがあった。多分、その時もそんな感じで自転車が倒れそうになり、当時好きだったポルナレフのレコードを傷つけないように身を挺して守ったのだろう。木口小平である。死んでも喇叭を放しませんでした、である。要はアホである。

 などというような奇想天外な話を2時間近くして、その日は家に帰った。そして、その翌日から怒涛のライブが始まるのだ。続く。


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名簿の件

数週前に 家内と「高校時代の名簿は、住所、電話番号、親の職業まで載ってたよなあ~」って話をしてました。名簿を「あいつの親父は、○○市長か!こいつの親父は、××校長か!」なんて思いながら 見たものです。D大でも 校友会か何かが 学部生(その年の4学年分)の名簿を出してて、現住所、出身高校、帰省先の住所、電話番号が載っていました。ある年にゲットして、気になるお姉さんの家に電話するのに 重宝しました(笑)。今では 考えられないですよね。

>気になるお姉さんの家に電話

電話だけじゃ済まなかった、と思いますが(笑)。学友会が全学の学生名簿を作ってましたが、あれは学生大会の委任状を書くときとか、学内選挙の時しかもらえなかったですよね。僕は75年度生ですが、何故か79年度の名簿を持っています。同級だったN谷君の名前も何故か載っています。事務手続きのミスだったのかな(大笑)。
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