DRACシカト列伝 気が向いたらシリーズ化(笑)

 新年早々、こういうことを書くのもアレだが、アレって何だ、アレはアレであってこれではない、などと言葉遊びしているのは、実はちょっと躊躇っているのだ。人は真実を認めるのに時間がかかるものなのだ。そして、強い心も必要だ。PK戦でも勝ち続けるくらいの強い心が必要だ、とさりげなく高校サッカー日本一の話題を入れたりして、さて、気を取り直して、ヒア・ウイ・ゴー・アゲイン。

 新年早々、こういうことを書くのもアレだが、実はオレは人望が無い。ま、もともとそんなもの薬にしたくてもないのだが、もっと具体的に言うと人から結構嫌われている。いやな奴だと思われている。でも誰からも好かれる八方美人よりはましだと自己弁護するのだが、それでも虚心坦懐に、果たしてオレは誰かに好かれているのだろうかと自問自答する。ノーである。ナッシングである。ネバーザレスである。誰も出てこないのだ。配偶者?配偶者という存在を知って、初めてオレは「不倶戴天の敵」というのは言葉だけのものではないことを知った。子供たち?子供からは最近「ブタ」とか「デブ」などと、およそ学生時代のワタクシを存じ上げている方なら、絶対そんなはずはない、drac-ob氏はそのような名詞や形状からファー・ラウェイの人だと声を大にして言ってくれると思うが、悲しいかな、ここ最近の食欲に比例して決して昔のようには痩せてはいない。恰幅が少し良くなったかな、と、本人は思いたい。

 ええと、なんでこんなことを書き始めたかというと、実は先日、FBでサークルの後輩を発見してメールしたが、完全に無視されたのだ、わはは。以前、ここにも何度か書いたことのあるブルースの鬼、マス坊から80年度のサークルの会報の最終頁をPDFで送ってもらい、当時のメンバーのことを思い出しながら何気にググっていたらヒットしたのだ。ここでちょっと僕のいたサークルの組織について説明すると、通常3回生がサークルの執行部の中心メンバーになる。この話は80年度なので、その時点の3回生は78年度生になる。その前の77年度生は人数も多く、個性的なメンバーも多かったが(ブルースの鬼、マス坊も77年度生)、この78年度生は全体的に影が薄かった。幹事長はT畠という工学部の学生。以前も書いたが、芦屋の開業医の息子で、当時海外旅行はまだまだ高根の花だったが(宝島あたりに洗脳されて、貧乏インド旅行してハッパを吸ったりラリッたりする奴らはちょくちょくいたが)、その1ドル360円時代に家族全員でアメリカに2週間も旅行に行ける、いわゆる大ブルジョワジーのボンボンだった。

 そのボンボンが、我がサークルに入ったおかげで工学部の自治会の選挙に駆り出され、むろん、イデオロギー的にどうこうではなく、工学部自治会選に出る人間がいない、このままでは敵対グループのシンパが選挙に出てくる危険性があるので、何とかそれを阻止できないかという、まあ「大人の事情」があり、工学部でおだてりゃなんとかなりそうなのはと白羽の矢が立ったのが彼だった。T畠君はやや小太りで身長もあまり高いほうではなく、いやもっと露骨に云うとおそ松くんに出てくる「チビ太」体形で、どう見ても似合わないレイバンのサングラスと黒のTシャツを着て、テレビゲームを銭湯帰りにやるのが趣味という、なんというか、まあ、そういう学生だった。その彼が、T原先輩に「オレに任せとけ、悪い様にはせん、まあオレが選挙参謀をやるからには、トップ当選5,000票は押さえる、心配するな」と言いくるめられて、気がついたら自治会メンバー、まあ、ボーリョク学生が一丁上がりであった。

 その彼のペンネームがロッキーと、非常にカッコいいのはちょっとした理由があった。自治会に出たのはいいが、当時の大学の状況であるとか、学生ムーブメント(スポーツじゃないほうの「運動」ね、笑)などほとんど訳も分からず、なんと思想的背景はまだ2ヶ月に1回しか発刊されてなかったロッキング・オン、それも僕が高校生の頃買っていたバックナンバーをまとめ読みして、「いやー、渋谷の『武器は無いに等しいが攻撃を開始する』いうフレーズはええなぁ。いつかチャンスがあれば使ったるぞ」とか、「頭脳警察のファーストでパンタがなんやらカッコいいこと言うてますけど、あれ原稿ありますの」などと、幼いことをいっていたのだが、あるバリケードストライキの夜、アジテーションの練習のためハンドマイク握ったT畠君、移転問題や学費問題を糾弾していくうちに興奮してしまい、その終わりに「そして最後に確認しよう、我々は明日のロッキーである」と言ってしまったのだ。それを聞いていた周りの連中から、やや呆れられながらロッキーなるペンネームを頂戴した訳だ。

 という訳で、芦屋の医者の息子という恵まれた環境にありながら、わざわざ京都の清友荘という貧乏アパートに転がり込んできて、大学生活を送るのだが、流石に就職は親のコネかどうか知らないが当時はスゴイ人気だったS武百貨店(S友だったかもしれん、とにかく、あのツツミファミリーの企業)に入った。それから何年かして、同じ工学部の自治会選挙に出たものの実体的活動は一切せず、いわゆる名義貸しみたいな感じで大学を卒業した1年上の先輩の結婚式に参加しないかという電話をかけた時の話。あ、電話したのはオレじゃなくてT畠君の1年先輩になるN川君だった(と思う)。電話でサークルの会長もした、また同じアパートに住んでいたK君の結婚式があると話したところ、それまで黙って聞いていたT畠君、おもむろに「Kさん、か。なつかしい、なつかしいな。(突然、大声で)しかし、もう二度と彼らに会うことはない」と叫んで電話を叩きつけたらしい。会社でよっぽどいじめられていたのか、あるいは学生時代の肩で風を切っていた時代は過去のもので、それらは全て精算したいと思ったのかは定かでないが、それ以来、全く連絡がつかなかった。

 で、今回、消息が分かったのは残念ながらロッキー君ではなく、幹事長の彼を会計として支えていたK谷君であった。78年度生でユニークだったのはロッキー君の他にはネルシャツO畑君くらいで、あとはほとんど全員印象が薄い。あえて言わせてもらえば暗い。特に会計のK谷君と副会長だったN村君は、いつもサークルのBoxでも二人だけで何やらごそごそしゃべっていて、こちらが話しかけてもあいまいな返事をするだけで、会話に乗ってこない。コンパも1次会でさっさと帰る。麻雀はしない。単位はちゃんと取る(これは当たり前だのクラッカーか、笑)。そのくせ関西のニュー・ウェーブ系のバンドにやたら詳しく、大抵のギグやイベントには必ず顔を出して「今日はコンチのデブやる気でギター弾きよるな」とか「Phewのマイクの前に貼ってある紙(セットリスト)、演奏終わってそのままやったから取ろうとしたら、物凄い顔して取り返されたで」みたいなことを話して、鼻先で笑う。今、書いていても、少し不愉快だが、いったい彼らはあのパンク、ニューウェーブの何が楽しくてライブハウスに通っていたのか。パンクやニューウェーブに何を期待していたのか良く分からない。

 まあ、そういうお二人だったので80年以降、僕は地元に帰ってしまったせいもあるが、とんと付き合いはなく、連絡もしていなかった。風の噂で、大学を卒業して3年ほどしたN村君に会った、僕と当時は比較的仲の良かった後輩(隠さなくていいか、英文科きってのアホのM原だ)から、「いやー、あいつ変わりよったで。昔は愛想もクソもない男やったけど、偶然飲み屋街で会ったら、あいつの方から『M原さんお久しぶりです、お元気してはりますか』て、大きな声で話しかけてきて、一緒に軽く呑んだだけやったけど『ほな、またお会いしましょう。先輩方にも宜しくお伝えください、いやこれお世辞ちゃいますよ』とか、もう学生時代のあいつちゃうわ。「彼は昔の彼ならず」、ちゅうのはあいつみたいなやつのことでっせ」と聞いたことがあった。N村君は確か、新聞社かどこかマスコミに就職したはずだが、なるほどしっかり社会人として仕込まれたんだなと思ったが、別段、会いたいとも声を聴きたいとも思わなかったので、それきりだった。

 そのN村君以上に大人しかったというか、江戸川乱歩流に言うと陰獣ぽかったK谷君がFBをやっていることが分かり、まあ学生時代はいろいろあってオレも彼にはあまり好印象を持ってなかったし、間違いなく彼は僕のことをウザイ先輩だと思っていただろうから、最初は連絡するのはやめようと思っていた。思ってはいたが、しかし、あれから30年以上経過しているし、また彼から他のサークルメンバーの情報、そう、もしかしたら伝説の男、F田敏雄の情報が入るかもしれないと思い、それでもちょっとフン切れなかったので、デューク先輩とマス坊にK谷君にコンタクトとったほうがいいかどうかメールで聞いてみた。デューク先輩の返信は早かった。「そんな奴知らん」(笑)。歴史年表的に確認すると、K谷君が入学した78年に何故か74年度生のデューク先輩は大学にいた(それを言うなら、75年度生のオレが何故80年度の名簿に名前が載っているかという大問題もあるのだが、笑)。そしてネルシャツO畑君ははっきり記憶にあるのに、陰獣コンビのK谷・N村両名は知らないと…。その点、1年違いのマス坊はしっかり覚えていて、まあ、あんまりおもしろい奴ちゃうけど、もしかしたらまたそこからサークルの輪がつながるかも知れまへんで、1回くらいは連絡したらどうでっしゃろ、という返事だった。

 そのマス坊の後押しに勇気づけられて、K谷君にこういうメッセージを送った。

「もしかしてDRACにいたK谷君ですか?こちら75年度生のdrac-obです。N村君と親しかったと思いますが、彼も元気なんでしょうか。昨年の夏に久しぶりに京都に行き、K君やO崎君、O畑君などと再会して来ました。」

 このメッセージを送ったのは、今確認したが1月8日である。そして、このエントリーを書いている1月23日現在、何も返事が無く未だに僕とK谷君はFB上では赤の他人である。わははは、書いていて気持ちがすっきりした。しかし、考えてみると突然大学の先輩を名乗る訳の分からない人間からのメールが来たら、用心するのが人情てなところかな。ま、K谷君なんか可愛いもので、シカト名人はまだまだたくさんいる。女性ではU村さん(わーん、憧れていたのに)、同級生でS戸君(エイデンで偽造定期を見つかり自動車学校用に貯めたお金を罰金で全額取られた話をばらしたからか、それとも後期試験でカンニングしてそれが見つかり全科目零点で留年決定と大学の掲示板に張り付けられた話アップしたからか、それとも天下一家の会にハマってサラ金地獄になった話を書いたからか、それとも、って沢山有り過ぎ)、後輩でO原、M原(お前らにはしょっちゅう酒飲ませたり、つぶれたときは介抱してやったりしたのに、ほんまに薄情な奴らや)、まだまだ学生時代に濃い人間関係を持ちながら、そしてWeb上だけではなくリアルに再開できる機会がありながら、全く完璧にシカトしてくれた人たちの話をこれからちょっとシリーズで書いたりなんかしちゃおうかと考えている今日この頃である。ああ、久しぶりにPCでエントリー書いた。



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コメント

私は その場に居なかったのですが

A水君が、卒業の数年後、他の部員と結託して、ボックスに 新入生として 偽りの入部をして、T畠君をハメた話を聞きました。さんざん T畠君に威張らせておいて、数時間後に 水戸黄門のように「このお方を どなたと心得る~頭が高い。控えおろう!」ってパターンだったそうですね。 今年こそ、個人的興味と貴殿の特使としても U村嬢を電撃訪問いたしたく存じます。敢えなく 撃沈されそうですが(笑)。

あー、ありました、ありました

いやー、そういう楽しい話をどうしてすっかり忘れていたのか(笑)。80年の5月か6月ですね。A水さんが仕事の休みを利用して、久しぶりに京都に来ることになり、誰が言い出したか分かりませんが、A水さんを1回生はあんまりなので2回生から入会希望の学生ということで、BOXに来てもらったんです。仕掛人は誰だったのかな、その時にいたのは僕とF田とH本、M原(英文のほう)、そして故M原も1枚かんでいたと思います。

サークルのことは全然わからない、宮崎から出てきた田舎者という設定で、A水さんもノッて演じていましたが、T畠君がふんぞり返る、ふんぞり返る。「まあ、キミなんかには分からんと思うが」なんてフレーズが頻繁に飛び交いました。ネタ晴らしはF田と僕だったと思いますが、T畠君が蒼い顔して「あかん、そんなんあかんわ」とマジで半べそでした。そして、その後みんなで記念写真を撮りに別館やキャンパスに出かけたけど、T畠君は誘っても参加しませんでした。ちなみに、その時M前の立て看の前で撮った集合写真をFBの表紙にしています。あ、だったら同じ下宿で工学部の1年先輩だったK君も絡んでいたし、それで結婚式来なかったんだな(笑)。

U村さん宅訪問は是非とも突撃精神で写真付レポートお願いします。忘れちゃ嫌だよ、U村さ~ん!!
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