ウクレレ抱いた渡り鳥リターンズ 藤井康一ライブレポート

 虫の知らせというものがある。一種の予知能力だなどと言う人もいるが、そこまで大げさにすると話がややこしくなる。どういうことかというと、普段から気にしていること、普段はそれほど気にしていないけど、何かあったらいざ鎌倉で絶対オレはやるぞみたいなことが、長い人生の中一度や二度はあると思う。回りくどい書き方だが、実は藤井康一の1年半ぶりの来宮ライブのスケジュールを見つけたのは、全くの偶然と言っても過言ではない。ましてや華厳ではない。あれは滝だ。滝田といっても修ではない。あれは日和った、などと余計訳が分からなくなった導入部であるが、要するにブクマしている藤井康一のHPを久しぶりに覗いてみるか、しばらく日記も更新されてなかったが、もういくらなんでも新しい話がアップされているだろうと思ってクリックしたのが、多分10月の終わりか、11月のはじめだった。

 藤井君の旅日記は彼がライブで行った町の、そこに住むネイティブでないと知らないような呑み屋や食堂、それも麺類に限らず海産物というか海のもの山のもの、それぞれの地方の特産物の写真を載せたうえで彼らしいコメントが書いてあり、読むだけで日本全国回った気になれるという便利なものだ。その彼の日記を久しぶりに読んだ後、ちかちか点滅しているスケジュール・バナーをクリックして、画面を下にスクロールしていったらライブの予定が書いてあり11月から広島、福山、宇部と西日本を南下してきて、一足飛びに鹿児島はT-BONEで加川良と一緒にマスターの還暦祝いのライブをするなんて告知があり、そしてまた福岡。この段階で諦めていたのだ。所詮、九州は西高東低。要するに九州の西側は新幹線も通り、「九州は1つ」なんて実感もあるのだろうが、その反対側、つまりワタクシの生活する場である東側、こちらは相も変らぬ陸の孤島。ロンリー・アイランド・オブ・ザ・ランド、などとこんな表現があるかどうか知らんが、本当に鳥も通わぬ九州東側。そのくせ鳥フルは発生しやがる。しかしながら最近それじゃいかんと大分県も奮起して綱引き映画を作ったりはしているが、それでも本当に九州の太平洋側はミュージシャンも避けて通ることが多いのだ。藤井君もしょっちゅう九州に来てはいるが、やはり西側ばかりで、どうせ今回も鹿児島来て福岡行って、そのついでに佐賀とか長崎でチャンポン食って帰るんだろうと思っていた。思い込んでいた。

 しかし、天は我を見放さず。天は自らタスクるものをタスク、吉岡タスク、なんつって。そのスケジュールを良く見ると、11/14延岡、11/15宮崎、11/16高鍋と何と宮崎3連荘、怒涛のライブだ。こりゃ万難を排しても行かねばならぬ、イカネバの娘である。さっそく、ライブ仲間の連中にメールを一斉配信した。今までは毎度毎度のY尾君しかいなかったが、今年になって高校時代の友人が宮崎に異動になってきたことがきっかけで、結構ライブを誘えるメンバーが増えてきたのだ。とりあえず、前回も前々回も一緒に行ったY尾君、ジャズナイトを一緒に行ったS尾君にS藤君、遠藤ミチロウを一緒に見てその後一切コメントしなかったロックバーのマスターにもメールした。

 すぐに返事があったのはY尾君で、「チャンポンの人ですね、面白かったから行きます」。いや、チャンポンの人って、間違いじゃないがもう少し言い方があるような気がするが…。あとのメンバーはS藤君が出張でダメ、ロックバーのマスターも店番する人間がいないのでダメ。S尾君は、なかなか返事が来なかったが、仕事の調整が上手くいき参加。都合3名で、藤井康一のライブに参加することになった。19時開場、19時半開演なので、18時過ぎにはどこか手頃な飲み屋でエネルギーを注入し、それからライブを見ようと話はまとまり、ライブの会場が繁華街のど真ん中なので、その前の呑み屋さんも地元で有名なせんべろ酒場の「たかさご」と決まった。そういえば1年半前の藤井康一のライブの時もここでY尾君とおでんをつついていったような記憶がある。

 その「たかさご」に18時ちょっと過ぎに行ったら、S尾君が手持無沙汰な顔して立っていた。えらい、時間厳守である。Y尾君は多分18時半くらいになるだろうから、先に入って飲み食いすることにした。もっともS尾君は下戸なので烏龍茶である。僕は例によっておでんと鶏関係、今回はチキン南蛮と焼鳥などを注文。もちろんツベタイビールは瓶で1本。頼んだ後に壁の張り紙を見るとダレヤミセットというか晩酌セットが書いてあり、生ジョッキにサンマの塩焼き、アツアツカキフライで1100円である。しまった、そっちを頼めば良かったと思いながらも、後の祭り。しょうがないからY尾君が来たら注文させて、どんなものが出てくるか見ることにした。

 体が少しポカポカしてきたころにY尾君がやって来た。誰か1人連れてきている。職場の同僚らしいが、今日のライブがどんなものか全く予備知識ナシで連れて来たらしい。その初対面の相手に、「絶対、損はさせません。しかもライブを見終わったら、必ずCDが欲しくなるはずです。私はウソは申しません」と最後は昭和の時代の政治家みたいなことを言って安心させようとしたのは僕である。しかし、Y尾君は以前も取引先の人間を予備知識なしでライブに誘い、その時の彼(確か本人も楽器を演奏する)は「今日は勉強になりました。また機会があれば是非」と言って別れたきりである。このあたり難しいというか微妙なんだよね。もっとも藤井康一のライブは基本的に音楽が好きであれば、歌が好きな人であればだれでも大丈夫である。ということで、総勢4名で19時半開演のライブハウス、じゃなかった繁華街の雑居ビルにあるスナックに向かった。そこが会場なのだ。

 3階のお店に向かうと、ちょうどドアが開いて女性が二人出てきて何やらごそごそしている。「藤井君のライブ会場はここ?」と尋ねると笑顔で「ハイ」と返事。前売りは買ってなかったので当日券を買ってお店に入った。去年は入ってすぐの場所、つまり藤井君が演奏する正面に座れたが、今回はお客さんがフルハウス。もっとも小さなお店なので、全部で20人くらい。お店のカウンターは満席、奥のボックスも一杯。しょうがないのでS尾君は床に体育館座り、僕はその後ろに小さなクッションを見つけて座った。Y尾君と同僚は後ろのボックス席に無理やり入った。しかし、見渡す限り人生の先輩方が多い。はっきりいうとオジジとオババばかりである。ちょっと待て、じゃお前は何だと言われるかもしれないが、もちろん僕もオジジのワンオブゼンかもしれないが、まだまだ現役、ロックンロールにゃ歳だけど死ぬにはちょいと若すぎるってなもんだ。しかし、どうもお客さんの雰囲気がこれからソウルやリズム&ブルースに影響を受けた藤井康一の音楽のファンという感じがしない。なんだか昔、国営放送でやっていた故郷の歌合戦だったかのど自慢だったか、そんな感じ。

 アロハを着て、ウクレレ着た男が出てきた。どう見ても藤井君ではない。自己紹介を聞いたら藤井君が登場するまでの間、客席の空気を暖めておけと、つまりはオープニング・アクトなんつったらカッコいいが、俗にいう前座ですな。ゼンギは決して嫌いではないが、前座はスカな奴だと嫌だ、などと考えていたら、どうも宮崎ウクレレ愛好会みたいなセクトがあってそ、そこの御一行様が本日のライブに参加している様子。なるほど、それで前期高齢者の方が多いのか。その中にぽつりぽつり中学生だか高校生くらいの女の子も交じっている。出てきた男はハワイアンを何曲かやり、最後は全員強制参加で「上を向いて歩こう」なんかやった。RCバージョンならノリノリだが、正調「上を向いて」だったのでちょっと疲れた。

 それでもBGMはレゲエが大音量でかかっていて、S尾君に「マリファナの煙が漂ってきそうな雰囲気ですな」などと話しかけ、先ずは気合を入れるためにアルコールを摂取する。ぼんやりBGMを聴いていたら、どこかで聴いたメロディが流れてくる。歌詞もさっと歌える。” Baby, I'd love you to want me The way that I want you, the way that it should be”「あれ、どっかで聴いた歌だな、この後が確か…」、” Baby, you'd love me to want you The way that I want to if you'd only let it be”「let it be、let it be~あれ、シャレじゃん。確かこれロボの歌だよな。何だっけ『僕と君のブー』じゃなくて。え~と、『片想いと僕』か~」などとS尾君と話していたが、誰が歌っているか良く分からなかった。後日、その時のBGMを調べたらジョン・ホルトという非常に有名なレゲエ・シンガーであった。結構白人のヒット曲をレゲエにして歌っていてなかなかいい。



 BGMの「片思いと僕」のメロディにいつの間にかウクレレの音が重なっていた。前を見るとアロハを着て背の高い男が音楽に合わせてウクレレを弾いていた。藤井康一の登場である。さて、拙blogのライブ話はここからステージの様子などを記憶便りに書いていくのだが、今回は何とICレコーダーで録音(盗み録りじゃないよ、藤井君も写真も動画も何でもOKと言ってくれているんだ、と言い訳。良い子は真似しちゃだめだよ)し、それをCDにして海賊盤を作ったという設定でライナーノートを書いてみた。イカそれを転載してみるので、ご愛嬌で読んでみてください。

帰ってきたウクレレ抱いた渡り鳥
藤井康一ライブ・アット・カリビアン 2012.11.15

 およそ1年半ぶりに宮崎に登場した藤井康一の熱いライブの記念すべき海賊版が出来た。もっとも海賊版と言っても、本人公認の録音なので著作権がどうしたこうしたなどというセコな話とは縁が無い。大して腕も実力もない自称『アーティスト』が、やれライブ中の写真はダメだとか、動画などもっての外だとか、つまらない規制をかけて自らの価値を高めようとするが(そしてそれは決して効果を上げているとは思えないが)、我らが藤井康一は写真も動画も録音も、はてはYOU TUBEへの投稿もどんどんやってよとおおらかなのである。自らの腕に自信があるミュージシャンはこんなものである。

さて肝心の藤井康一、彼の名前をご存じの方は少ないかもしれないが、この道30年以上のベテラン・ミュージシャン。音楽にジャンルは不要だが、あえてジャンル分けすればR&B、ソウル、ブルース、歌謡曲、カリプソ、ラテン、ボサノバ、などとキリが無いが基本的には黒人のブルースをもとにした音楽と言っていいだろう。デビューは78年のイースト・ウェスト(ヤマハが主催していたアマチュアバンドのコンテスト、サザンもシャネルズもここからデビューした)で見事最優秀賞を受賞したバンド、『ウシャコダ』である。

 もっともデビュー当時のいでたちは『スターリン』もビックリの千葉の百姓スタイル。麦わら帽子にたすき掛け、そう、まるで田んぼの案山子のような恰好をしており、なんといってもデビュー・アルバムのタイトルが『土一揆』。そして歌う歌は借りた金を返せなくなり、挙句は傷害事件を起こして一家は離散してしまうという「サラ金ブルース」とか、♪千葉県良いとこ、一度はおいでよ、薄暗い道も多いけど~と自虐的に出身地を歌う「キン作カッポレ」など。初めてライブハウスで彼らを見たときは、その恰好も凄まじかったが、演奏中に2人のギタリストが空中高くギターを放り投げ、お互いのギターを取り換えて演奏したり、小さいほうのギタリスト(ギターは2人いて、曲によってリードを交代していた)が大柄なベースに肩車されて会場中を一周したり、とにかく見ているものを飽きさせない。そして必ず最後はバンドと客全員がジャンプして終わるという、どちらかというと関西系のブルース・バンドのノリに近いものだった。

 もっとも、先ほどのイースト・ウェストはグランプリを獲ったバンドは成功しないというジンクスがあり、サザンもシャネルズもグランプリは獲っていない。サザンが出た年にグランプリを獲ったのは『たぬきブラザーズ』である。どなたか彼らの行く末をご存じの方がいるだろうか。しかし、神ならぬ身の彼らは、そんなことは知る由もなく、見事グランプリを獲得し、レコード会社も決まり全国ツアーも始めた。もっとも学生バンドだったので、ローディやスタッフが付いたりすることもなく、中古のバンを購入し、そのボディに自分たちで作ったカッティングシートを張り付けた。本人たちは「ウシャコダ号」と付けたつもりだったが、接着が甘かったせいか「シ」の中棒と「ャ」がはがれてしまい、そのせいでどう見ても「ウンコダ号」としか読めなかったという。その「ウンコダ号」で日本全国、47都道府県をまたにかけてライブハウスを回ったことが、今の藤井康一のライブ活動のベースになっている。おっと、彼らの名誉のために付け加えると、決して売れたとは言えない『ウシャコダ』であったが、解散後のブランクを経て1997年に再結成。もっとも元メンバーの中で未だに音楽活動を継続しているのはボーカルの藤井康一とベースの恵副の2人だけで、後のメンバーは本業を持っているため、活動できるのは土日だけと限定されている。その制約の中で千葉県松戸市の市長まで巻き込んで、年に1回の松戸一揆というイベントを行なったり、減二酸化炭素の運動のテーマソング「愛のゲンコツ」なども作曲している。

 さて、昔話はほどほどにして今回のライブの曲解説をしておこう。オープニングはエノケンでおなじみの「月光価千金」。東京を中心とした文化圏にはエノケンに対するリスペクト(「敬意」でいいと思うが、今の流行言葉を使いました)の念が強いようで、東京ロッカーズの『リザード』もコピーしている。当日の客の99%が地元のウクレレ愛好家だったためにコードを説明するとか、ウクレレの説明をするとかどうもライブのノリがいまいちだが、とにかくショーは始まった。2曲目の「ウクレレマン」は彼の作詞・作曲、関ヒトシと組んだバンド、『リトル・ジャイブ・ボーイズ』のオリジナル。この曲のあと、客がトイレに行こうとしたのでアドリブで「ベサメ・ムーチョ」を演奏する。藤井らしいお遊びも入っている。3曲目は古いジャズ・ナンバー「ブルー・スカイ」。ついでに「マイ・ブルー・ヘブン」も聴きたかった。

 藤井の音楽のキャリアは牧伸二のウクレレを聴いたときから始まっているが、そのせいか古い歌謡曲を良く歌っている。4曲目は三橋美智也の「星屑の町」である。私は彼より1歳年上であるが、それでもこの曲は聴いたことがあるくらいの印象しかない。いったいどこで仕込んでくるのだろうか。しかし、ウクレレの音もしんみり聴かせる熱演である。そして続いては服部良一の曲。我が国の生んだ、ある意味最初のポピュラーミュージックの作曲家と言えるだろう。その「胸の振り子」というバラードからそのままサム・クックの「ユー・センド・ミー」につながっていく。本人は多少照れているが、実に見事な展開である。そして、「サム・クックと来たら」という問いかけに「レイ・チャールズ」と答える痴れ者がいるが、そいつが(あ、オレだった)慌てて「オーティス・レディング」と答えた後、意外なイントロが続く。ボーカルが入って初めて、名曲「(シッティング・オン)ザ・ドック・オブ・ザ・ベイ」だと分かる。彼も長年、この歌は歌い続けてきただろうが後半のホイッスルに表れるように、常にオリジネイターに対する敬意は忘れていない。

 曲は一転して「プリーズ」。どうか、どうぞ、どうにかして、と、このあたりのフレーズからついビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」を連想する方は、多分ヤングではない。そしてまたもや古いジャズ・ナンバーで「君去りし後」、要するに「アフター・ユーヴ・ゴーン」。吉田拓郎に「君が去った後は」という歌があるが、多分この曲がどこかに残っていたのだと思う。そしてファースト・ステージのラストを飾るのが「ラブ」。ジョン・レノンではなく、ナット・キング・コールの歌で有名な曲。その昔、西条秀樹が「ヤング・マン」で体を使ってアルファベットを表現していたが、ここで客席と一体になったL-O-V-Eのボディ・ランゲージはいかにも藤井康一らしい表現である。この歌で前半が終わり、怒涛の後半に入る。


藤井シングズ

 やってみると結構それ風なものが出来て悦に入り、続編もライナーノート風に書いてしまった(笑)。そうそう、この時の演奏、興味のある方はメールでご連絡ください。シェアしようぜ(笑)。

怒涛の後半戦、そして終わりなきジャムへ
藤井康一ライブ・アット・カリビアン 2012.11.15

 まず最初にお詫びして訂正をしたい。前回書いた文章の中で『ウンコダ号』に関する話だが、ベースの恵福が書いた日記で確認したところ、事実は次の通りだった。以下引用<ちなみに当時われわれの乗っていた車は白のハイエ-ス。オレは「ウシャコダ」のロゴを車にペイントするために、ダンボ-ルで型抜きし、茶色いスプレ-で吹き付けた。恐る恐るダンボ-ルをはずしてみると、「アッ」・・・・・・・・ 「ウシャコダのシの字がンになってる」そう「ウンコダ」になってしまったのである。結局、それからは「ウンコダ号」のまま全国ツア-に出かけていた。>引用終わり。

 何しろ、およそ30年以上前の話なので大筋間違いはないが、他にも細かなところで事実と異なることがあるかもしれないが、勘弁してほしい。JAROに言っても消費生活センターに言っても多分力になってくれないと思う。それはさておき、ウシャコダ時代の藤井康一はボーカリストとしての才能は既に十二分に発揮していたが、作曲あるいは楽器演奏者としての能力はどうだったのか。意外かもしれないが、1枚目、2枚目のアルバム中に藤井が作った曲は1曲もない。全てリード・ギターの菅野賢二(数曲共作あり)の手によるものだ。つまり名曲「何年たっても」もテーマ曲と言える「カモナ・ウシャコダ」も「キン作カッポレ」も全て菅野の作曲である。その菅野がバンドを離れた後(菅野は元ウェスト・ロード・ブルース・バンドの永井隆のブルー・ヘブンに参加するが、その後の足取りは不明。音楽業界から完全に足を洗ったようだが、実にもったいない才能である)作った3作目のアルバム『Soul To You』になって初めて藤井のオリジナルが登場する。

 当時ウシャコダのライブを見た人間は、これはコミックバンドではないかと思ったかもしれないが、彼らの歌や楽器演奏者としての能力は知る人ぞ知るで岡林信康、遠藤賢司、三上寛などの録音に参加している。ブルースの大御所、マディ・ウォーターズの前座をやったこともある。これは確か憂歌団が盲目のブルース・マン、スリーピー・ジョン・エスティースの来日の際に前座を務めたことが刺激になったはずだ。そうそう、ウシャコダ全盛期は良く憂歌団やサウス・トゥ・サウス、そしてあのRCサクセションと(一瞬だったが)比較、ライバル視されたこともあった。

 いつまでも昔話をしていてもしょうがないので、その後の藤井康一について簡単に書いておく。ウシャコダ解散後、『独立宣言』という初ソロアルバムを発表(確か廃盤)。92年に北海道が生んだブルース・ギタリストの関ヒトシと組んで『私の青空』を発表。ここで初めてウクレレプレイヤー、サックスプレイヤーとしての才能を見せる。前半のステージで歌った「ラブ」はこのアルバムで初レコーディング。その後、関ヒトシと『あつ燗と中華』、『ウクレレでごめんね』と連続して発表。『ウクレレ~』の録音時にリトル・ジャイブ・ボーイズのメンバーが揃い、サウンドが確立。『Little Jive Boys』、『Ukulele Man』とLJB名義のアルバムが続く。宮崎とも結構縁が深く、彼がライブを行う予定のマスターが急死したことを追悼して、宮崎でしか演奏しない「バイバイ・バードランド」という曲も作っている。私が藤井康一と再会したのも2007年のLJBのライブだった。しかも、それはラッパ会という宮崎の金管楽器愛好者のクリスマス発表会(プロ、セミプロ、アマチュア、一番若いのは中学生も出ていたと思う)の時だった。

 26,7年ぶりに再会した藤井康一は、若い頃と比べて少し太った感じだったが歌もステージアクションもウシャコダ時代と全く変わっていなかった。いや、それどころかますます円熟して冴えわたっていた。ウクレレという弦が4本のシンプルな楽器が、これほど表情豊かな楽器だと初めて知ったと言ってもいい。

 などと、またもや昔話に花が咲きそうになったので、後半のセットリストを最後に紹介したい。後半1発目は、なんと牧伸二メドレー。昔、彼が持っていたFM番組のゲストに牧伸二がゲストで出て、その時に強制弟子入りして牧伸三の芸名をもらったらしい。MCに出てくる「大正テレビ寄席」という番組は、宮崎でも一時期日曜の午後にやっていた。漫才やコントなどの演芸番組で司会がマキシン。番組の中ほどに「あゆみの箱」のコーナーがあった。交通遺児や経済的に恵まれない子供たちへの寄付を募るという趣旨は大変立派なものだったが、そのコーナーのオープニングに歌われる童謡が「結んで開いて」。それはいいが歌の途中で「ま~たひらいて、て~をうって」の所に来るとマキシンは必ず股を開くポーズをした。また会場のちびっこをステージに上げるのだが、その子たちがマキシンのいうことを聞かなくなると「制作担当者」と言って父や母を呼んだりするので、世の良識ある方からはひんしゅくをかっていた。私?もちろん大好きだったので欠かさず見ていた。しかし、マキシンのボックス・セット、1回聴いてみたいが欲しいかといわれると微妙である。

 2曲目はマキシンのノリのまま観客参加の「ウクレレベイビー」。今回の観客は地元のウクレレ同好会みたいな団体で、藤井康一のことはウクレレ名人みたいな感じでライブに来ていたため、前半はややノリが悪かったが、後半ステージに慣れて来たのか「ハイハイ~」の合いの手も「ツンパッ」の合いの手楽しく盛り上がった。3曲目はジャズ・サックスの巨匠、ソニー・ロリンズの名演でおなじみの「セント・トーマス」。カリプソを豪快に吹きまくるロリンズに対して、我らが藤井君はちょっとおしゃれな歌詞を付けて歌い上げる。曲の雰囲気を盛り上げるためにカモメの鳴き声まで大サービスだ。

 そして4曲目に、ついに待ちわびていたウシャコダの曲を歌ってくれた。実は、休憩中に藤井君に話しかけて、後半にウシャコダナンバーをリクエストしていたのだ。昨年はウクレレで演奏したことが無いといいながら「何年たっても」をやってくれたのだが、今年は藤井君から「メンフィス・テネシーやろう」。藤井康一作詞作曲のこの曲は81年の自主制作シングル。2008年には松戸市のライブ録音を加えて、ついにCD『ライブ松戸一揆』にした思い入れの深い曲。実は、このCDは藤井君のHPから注文した。彼のサイン付だったし(笑)。注文してかなり待たされた(ツアー中でなかなかサインする時間が無かったらしい)が、届いたCDには彼のミミズの這ったような文字でサインがあって嬉しかったな。この曲の終わりに「次はダーク・エンド・オブ・ザ・ストリートだ」と叫んだヨッパライがいたが(あ、オレだ)、『ライブ松戸一揆』もこの曲順で入っている。
 「ダーク・エンド・オブ・ザ・ストリート」。この美しいメロディを持つ曲は、なんと白人のダン・ペンとチップス・モーマンの2人が会議の休憩時間の30分で作り上げ、こちらはもちろん黒人のR&Bシンガー、ジェームス・カーが歌った名曲。私が初めて聴いたのはライ・クーダーのアルバム『流れ者の物語』でインスト・ナンバー。世の中にこんなに美しいメロディがあるのかと、当時のワタクシ涙しました。機会があれば是非ご一聴を。その後、作曲したダン・ペンのアルバムも入手して聴いたけど、こちらはなんというかカルビーのポテトチップス、ようするにイモでした。

 そして6曲目に「愛のゲンコツ」。ゲンコツってなんだと思ったら、減CO2。つまり二酸化炭素削減のこと。なんとマジな話、藤井康一氏は松戸市減CO2大作戦(松戸市地球温暖化対策地域推進計画)で「まつど減CO2大使」を任命されていて、ちゃんと市のホームページにも彼の音源と写真がアップされている。Moccoly(大きな声で読まないほうがいいかもしれない)という女性振付師が藤井君のライブには良く参加しているが、彼女がこの曲にも振り付けをして松戸市ではコンテストまでやったっていうから凄い。そしてMoccolyの作った振り付けで最高のものが次の「チャンポンダマンボ」。こちらは長崎市の幼稚園児が全員踊り狂ったという記事が確かにローカルニュースで流れました。これもLJBのミニアルバムとして2004年に発表されている。前回だったか、前々回のライブの時だったか、藤井君からもともと「みんなのうた」みたいな番組のために作ったけど、ノリがいいのでシングルにしたとか言ってたような気がするが自信が無い。

 この「チャンポンだマンボ」でライブは終わるはずだった。終わるはずだったが、しつこいヨッパライがいて「ピンガでへべれけ聴かないと帰れない」などと喚き(あ、オレだ)、圧巻のアンコール。ボサノバスタイルのこの歌、歌詞をじっくり聴くと酒飲みならだれでも経験のある、「ちょいと一杯のつもりで呑んで」という反省歌。もっとも歌ってる本人は反省なんかはサルに任せておけばいい、とにかくノラなきゃ、ノレば都さ、などと考えているから始末が悪い。ところで、この歌の途中に入るモノローグをずっと「モナリザ」と思っていた。どうしてサンバというかボサノバというか、ラテンの歌にモナリザだろうと疑問だったが、今回ようやく分かった。あれは「小野リサ」と言ってるのだ。小野リサならぼっさぼさのボサノバで問題ない。この歌は体力使うと最初はちょっと渋っていた(もちろんシャレというかポーズ)の藤井君、ついにスイッチ入ってしまいトリニダード出身の店のマスターにスティール・ドラム叩かせ、エンドレスのジャムセッションに突入。曲は「Let The Good Times Roll」。ここは本当にスナックなのかという疑問が湧きながらも踊り狂うお客さんの姿があった(あ、オレだ)。


セッション

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コメント

ああた、相変わらずでw

まぁ、ウシャコダとかにこだわっておられるようで、はぁ、相変わらずですな。

私もアイルランドのチーフタンズのライブとかに出掛けて、それなりに思うところが、御座いました。まぁ、それについては自分のブログで色々書いてますが、話に出たライ・クーダーの懐かしいディスクとか、実家からレコードをひっぱり出すのも何なので、アマゾンでCDにて買い直しましたが、聴いてみたらきれいさっぱり忘れてて、こんな曲あったかと呆れておりましたw

まぁ、いいんっすけど、お互いネタがふっるいですなぁw

昔はナウなヤングと呼ばれたり

シラケ派とか言われましたが、今そんなことを言うと「シラカバ派ですか」などと言われかねない(涙)。まあ、古い奴だとお思いでしょうが、古い奴なりに萩原健太のラジオから新しい情報を手に入れたりはしてるんですが・・・。如何せん、ミュージシャンの名前をすぐに忘れてしまうという、脳の退化現象があって、なかなかです。そのくせ、昔の話だけはしっかり思い出すというか、覚えているんだな、これがまた。ちなみにライ・クーダー74年のこんな動画がありました。
http://youtu.be/niW0SZn3pr0
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