過去への旅路その14 京都学生下宿事情

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 烏丸今出川から河原町今出川まで、圧倒的に密集した隊列で移動した僕達3人であるが、出町の王将を見て外見も雰囲気も全然変わってないと嘆き、中島食堂が弁当屋になっていて変わり果てたと嘆き、パチンコのキングは立体駐車場もあり立派な姿を残しているのに、ラッキーは影も形もないと嘆き、ハタ坊の実家だったヨルダン社はどこだったか、探してみたが分からない。多分ここじゃないかという場所しか分からず、しかしながら後で撮った写真を調べたら全く違う家だった。そういうことをだらだらと話しながら、いよいよ賀茂大橋を渡り百万遍に向かった。大橋を渡りながら、川の土手など眺めると家族連れや友人連れの人たちが真夏の街中の熱気を避けて川風で涼を取っていた。浴衣姿のおねいさんも何人かいて、「お、あれはなかなか」、「いやいやあっちのほうが」、「え、あれ何ですの、浴衣の丈がちんちくりんというか、あれが今はやりのツィッギーのミニスカートちゅうもんでっか」、などと大ぼけかましていたら、とんでもないものを見つけてしまった。

 心ある市民の皆様が一服の清涼剤として川べりで時を過ごしているというのに、川の中の飛び石に「二人羽織か。お前たちは!!」、といいたくなるくらい固く密着している二人組。男同士ならモーホーだが、非常に不愉快なことに男女のカップルである。あんまり不愉快だったので、橋の上から石を投げつけてやろうと思ったが、悲しいかな、そこは舗装されたペイブメントであって、レンガや石ころは見当たらなかった。しょうがないからコーラの自販機を見つけて、中身はもったいないから一気飲みして空き瓶にガソリン詰めて火炎ビンにして放り投げてやろうと思ったが、なんと今時のコーラは全て缶入りで瓶に入ったコーラはどこにもなかった。おそらく学生の反乱を恐れるアメリカ帝国主義者の陰謀であろう。などと、あまりの暑さにこちらも少しおかしくなりながら歩き続けた。

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 大橋を渡って少し歩くと、N谷君が「あった、あった、ここだ」と指差す方向を見ると、そこにはドミトリー・ア×バがあった。1階にブティックが入っていて鉄筋の6階建てくらいだったか、70年代末に僕たちの前に登場したワンルーム・マンションである。当時、学生(むろん頭に「貧乏」という名詞が付く。僕の周囲に、その名詞が付かない先輩・友人・後輩諸君はほとんど皆無に近かった。これぞ「類は友を呼ぶ」である)が住むのは、さすがに賄いつきの間借というスタイルはほとんど滅亡していたが、大抵は下宿。それも4畳半は当たり前。下手すると1畳分の備え付けのベッド、要するに畳一畳分を60センチくらい床から上げて、上に布団を敷いてベッド代わりにし、その下の空間に引き出しを取り付けてタンスとして利用するという、まあ狭いスペースを少しでも広く使おうという考えだろうが、その分、活動スペースは3畳しかないなんてところも結構あった。また誰かを泊めるときは、その1畳のベッドに頭をお互い反対方向にして寝るしかない。要するに自分の顔の横に相手の足が来るという、非常に勝手の悪いものであった。これはK町君(後で説明します)の銀閣寺の下宿で体験したから間違いありません。その点、僕などは出町時代、清友荘時代と連続して6畳の部屋を借りてきたので、結構みんなから羨ましがられたものだ。

 何が言いたいかというと、当時の学生で風呂トイレ付の部屋を借りるというのは大変なぜいたくで、僕の京都時代6年間を振り返ってみても、そういう部屋に住んでいたのは一乗寺にお住まいだったU村さん、この方は風呂トイレ付のアパートに住んでいた。もっとも木造モルタル造りのアパートで鉄筋コンクリートではなかった。もう一人は同じ高校出身で、R大学に進んだM君。彼は実家が建設会社を経営していたので、大ブルジョワジーであり、何と衣笠の方に和室二間のアパートに一人暮らしという贅沢さ。当時、K町君というM君を通じて知り合ったR大の学生曰く「あっこは天国やで」。そう、6畳一間の安アパートですら、贅沢などと言われた時代に、6畳、4畳半の二間と台所、風呂、トイレのついていた彼のアパートは確かに羨ましかった。そういえば、このM君も卒業前は鹿ケ谷あたりに鉄筋のワンルーム・マンションを借りていたな。

 話がそれたが、そのドミトリー・ア×バというマンションに入居したのは、毎度まいど話題に出てくる同級生で、77年にサークルの会長になったS戸君である。彼は、兵庫県は加西市というイノシシが国道を歩いているような田舎町で育ち、入学当初は岩倉という人外魔境に住んでいたが、通学電車のエイデンから見える修学院プラザや一乗寺のにぎやかさに釣られて、北白川の下宿に引っ越してあのF田君と一緒に住んでいた。しかし、立志伝中の人というか一念発起の男で、サーカスのバイトと塾の講師のバイトで礼金・敷金を貯めて花のマンション暮らしを始めたのは79年だったか。その前に中古ではあるがトヨタのFTOを購入し、その車に装着している8トラのカセットでジュリーやキャンディーズの歌を流しながらナンパするという離れ業も見せる男だった。

 彼の乗っていたFTOは真っ赤なボディで結構足回りもよくて、あちこちドライブに連れて行った貰った。ある時、場所はもう忘れてしまったが、どこかへドライブに行く途中で道を間違えたことに気がつき、黄色い車線に入っていたが後方から来る車もないので、ウィンカーを上げて右折車線に入った。その途端に、『ウーウーウー』とサイレンが鳴った。「何だなんだどうした」とあたりを見回すと、白バイ警官がどこからともなく登場して路肩に車を止めろと指示する。「免許証見せてもらえますか」「任意、任意なら見せない」「いや、お宅、今違反しましたやろ」「違反なんかしてへんわ、天下の公道を車で走っとっただけやんけ」「いや、てんごいうたらあかん、車線変更しましたやろ。あれは『指定通行区分違反』いいますんや。黄色車線に入った時は、道を間違っててもそのまま行くて自動車学校で習たんとちがいます」「…。見逃してください」「あかん、あかん、はよ免許証出しなはれ」「これで堪忍しとくれやす。減点してもええさかい、罰金だけは堪忍して、な、悪いようにはせえへんさかい。罰金だけは」。ここで彼が歌い出したのがオナッターズの「恋のバッキン」、というのは大嘘で、だいたいあの歌は85年なので時代が違う。しかし、白バイにつかまり何の抗弁も出来ず、切符を切られたことと、クールなポリスから「指定通行区分違反」と言われたのは間違いない事実です。



 さらに、そのFTOをある時ぶつけてしまい助手席のドアが凹んでしまった。それだけならいいのだが、ドアのロックも壊れたようで助手席に乗るときは空けたままになっている窓から乗り込むという、まるでスーパージェッタ―の流星号みたいだった時期もあった。この時は伏見あたりの車のパーツ屋というか解体業者の所に行って(不肖ワタクシも窓から乗り込み、ナビゲートしておりました。笑)、山のように積まれた廃車のなかからトヨタのFTOを探して、傷のついてない車を見つけたのは良かったが、悲しいかな、その車のボディカラーがホワイト。真っ赤なボディに助手席のドアだけ純白という、ある意味立派なツートーンの車が出来たのだが、流石にそれは恥ずかしく思い塗装屋に頼んだ。後日、車のドア代も塗装代も予期せぬ出費だっただけに、塾で教える科目を増やしたとぼやいていた。

 そのドミトリー・ア×バが目の前にあった。1階にブティックがあったことは書いたが、今は既に無くなっているようで空き店舗になっていた。そういえば、このブティックの雇われだったか、オーナーだったか分からないが、要するにお店のマスターは顔の広い人だったようで、当時発刊されたばかりのFineという雑誌の記者がインタビューに来たことがあった。その時に、京都のシティ・サーファーというか今風の若者を誰か紹介して欲しいと頼まれて、あろうことかS戸君を推薦した。そのマンションには他にもっといい男がいたと思うが、毎日その店に出入りしていたS戸君に情が移っていたのか、とにかく『どんな雑誌か分からないがワカモノ向きのポパイのような雑誌がS戸君に取材に来る、そのついでに友人関係の話も聞きたい』と言われ何故か僕もそこに参加することになった。

 調べてみたらFineという雑誌は日之出出版の月刊ファッション雑誌で78年の9月発刊なので、やはりまだ出来たてほやほやの時期だったようだ。雑誌のイメージ戦略の一環として京阪神のヤング(笑、死語ですな完全に)のファッション状況を記事にしようということだと思うが、そして取材に来たのはいかにもヤリ手のキャリア・ウーマンというか、私、第一志望はキナメリさんの編集するPOPEYEだったのよ、最終選考まで行ったけど土壇場でコネを持ってる子が採用されて、そんな裏事情知ったらもうPOPEYEへの未練は無くなって、今度は私の一人の力でFineを日本中のヤング(笑、死語ですね完全に)の愛読書にするために出した関西取材企画なのよ、それなのに、何、このかまやつひろしみたいな子と、まあでもかまやつは多少はこざっぱりしてるからいいけど、一緒にいる米軍放出品のアノラックを、多分三信衣料で3980円くらいで中古で買ったの間違いないけど、そんな信じられないモノ着て、やたら饒舌に日本のロックシーンがどうしたとか、関西のパンク・シーンは今が見どころで、あのだててんりゅうのトナリさんがDUFFってバンドでコステロの曲やっていてそれは単なるコピーじゃなくて、商業音楽へのアンチテーゼだとか何とか言ってるウザイの、こんなのうちのおしゃれな雑誌に載せられるわけないじゃない。ということを心の中で考えていたに違いない取材記者が、それでも愛想は良く話を聞いてくれて、S戸君が15分位、おまけの僕もついでに5分位しゃべらせてもらって、出来上がった雑誌を見たら、S戸君が見開きの特集ページの隅っこに「サーフボードは持ってるけどまだ海に行ってませ~ん」みたいなキャプション付けられてひっそりと映っていた。僕が熱心に話した当時の関西ロックシーンの話やサークルがイベントを企画していて、そのイベントは間違いなく関西のニュー・ウェーブ・シーンの歴史に残るはずだという話なぞ、どこにも載っていなかった。当たり前か。

 このドミトリー・ア×バでは、他にも『ピンクは血の色事件』とか『踊り場に置いてあった共用の灰皿を引っ越し祝いだといってS戸の部屋に持ち込んだ、あいつは誰だったか事件』とか『不良高校生桃色遊戯事件』とか『留年したお前たちはええなぁ、ワシもう滋賀で家具屋の仕事してて近所の商店街のオッチャン達と接待麻雀の毎日や、しかし、あれやね、大地に足を付けて生きるというのも嫌なもんやね事件』とか、様々な事件があって、もう全部時効だから実名バクロシリーズで書いてやろうかと思ったけど、そんなことをしても誰も喜ぶ奴はいないと思って止めた。まあ、そういう思い出の場所をまた一つ確認して百万遍に向かって歩いて行った。そう、過去への旅路はまだまだ続くのだ。

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コメント

卒業後、京都に行った時

おたび荘のK木君も A電沿いのどこかだったと思いますが、ワンルーム マンションに引っ越してました。洒落た洋室に 部屋の雰囲気は、下宿がそのまま移って来たようでしたが(笑)。S戸君の所に行ったのは 二回位ですので、室内の様子は、何もおぼえてません。今で言えば、セレブ生活だと羨ましかったです。T原君も 洋室に引っ越してたし 時代は変わったなあと 思いましたね。あの頃で賃料いくら位だったのかなあ…下宿代の3~4倍だろうか? ヨルダン社は 窓から荒神口の交差点が 見えてたから しあんくれーるの東隣あたりだったような気がします。次回来られたら 主要メンバーの下宿跡を 再訪されてもよいかと思います。

え、あの大牟田出身の純朴そうで

その実、陰獣そのもののどす黒い欲望を心に隠していたK木君ですか!!って、いい加減しつこいですか(笑)。言われてみれば、僕も1~2回はお邪魔したような気がしますが、はっきりは覚えていません。

T原さんの下賀茂の鉄筋マンションは覚えています。フローリングの部屋にベッドが置いてあって、そうそう、あるコンパのときに会費が足りなくなって、ちょうどバイト代だったか仕送りだったかが来ていたT原さんのアパートにお金を取りに、後輩のO原君と確かK村さんというサーファーの女の子に行かせたけど、いつまでたっても帰ってこない。しびれを切らせたT原さんがタクシーで戻ってみると、そのベッドで二人は乱戦中。気配りのT原さんが「O原、ティッシュはここにあるから」と言ってコンパに戻ったなんてことがありました。その後から、何故かすっきりした顔のO原君が戻って来たけど、さすがにK村さんは戻ってこなかったっけ。あ、しまった、このネタはエントリーで使うべきだったか(笑)。

ああたねw

まぁ、いいんっすけど、相変わらずの内輪ネタですなw

もう50越えて幾久しい人が、ああた20才の頃の話を延々だらだら良く書きますねw ああた、娘さん、こんな長い文章読むわけもなく…w お父さん相変わらず娘に揶揄されているのと違いますか?w

ああた、京都も最近は高層マンションの建設ラッシュで街が様変わりしてるのに、そんな昔の話を延々書いても、新しい京都の住人に通じる筈もなく。ぶっちゃけ言って、京都も新しい時代になりつつありますがな。う〜ん、やっぱり次のときは、鴨の河原で践阼大嘗会をせなあきませんなw そういうことでもせな、世の中変わりませんわ。

要するに、腐った阿呆が京都で寝言いうてるのは、ほんまに地元の京都人も怒りだしてるわけで…。正直申し上げて、街の気風として学生を大事にしてくれるのはええけど、それに乗っかった学者のふりした阿呆の寝言は堪りませんなぁ。ほんまに京都学派とかしまいに怒り出すぞ、と言いたいですわw

このエントリーはタイガー・ウッズ、いや

タイガー大越、でもないタイガーマスクではさらさらなくて、そう大河なんですわ、大河。ワタクシのネバー・エンディング・ストーリーなんすね。ちなみに、最近のワタクシはウェスト・サイズ・フトーリー(by 三平)なんつって。
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