バイバイ、ミスター・ドラマー

 遅くなった昼休みに携帯で遊んでいた。FBは以前嫌な書き込みがあったので、自宅でPCで見る以外は携帯で眺めたりしないのだが、今日はなんとなく覗いてみたくなってアクセスした。小さい画面をスクロールしていたら内田勘太郎オフィシャルのウォールに珍しく記事がアップされていた。読んだけど意味が良く分からず、しばらくぼんやりして携帯を閉じた。

 仕事の帰りに駅の近くのブコフに寄り道した。いつもならすぐに中古CDの掘り出し物を探すのだが、あまり気乗りがせずコミックとかハードカバーのコーナーでしばらく立ち読みした。ようやく気分が落ち着いて、中古CDのコーナーを格安のところから、普通の金額のところまで全部見た。「や、ゆ、よ」と口から小さな声が出て目的のものを探すのだが、ついに「憂歌団」のコーナーはなかった。村八分のボックス・セットは2つも並んでいたのに、憂歌団は一枚もないのかと一瞬怒りが込み上げてきたが、98年の活動停止(実質的な解散)から12年もたっているからしょうがないかという気持ちがそれに勝った。若い頃だったら絶対に考えなかった事だ。これが大人になったというか、丸くなってきたということだろうか。

 自宅に戻り、夜の散歩をしながら75年の12月20日の磔磔を思い出していた。憂歌団のライブを初めて見た日だ。どうして日にちまで覚えているかというと、その前日が僕の誕生日で、サークルの先輩や友人とお酒を飲みに行き2次会でサーカス&サーカスに行った。そこでバーボンを浴びるほど飲んで、普段は何を言っても論破された先輩のS賀さんに絡んで無理やり踊らせたり、一緒に呑んでいた連中に「お前らも踊れ、祝いや、オレの誕生日や」などと言ってコップに持っていたバーボンをぶちまけたりした。当然つぶれてしまい(あの頃はお酒を覚えたばかりで、しょっちゅうこんなことをやっていた)、修学院の下宿まで先輩や友人たちの肩を借りて帰った。

 その翌日に約束していた憂歌団のライブに出かけた。二日酔いで頭は痛いし時々ムカムカするし最悪の気分だった。さっさと見て早く下宿に帰りたかった。断れば良かったかと一瞬考えたりもした。開演時間になってもバンドは登場しない。関西の客はこういうとき大人しく待っていたりしない。「どないなってんのや」「ええ加減にせえよ」「チャージ払わへんぞ(爆笑)」などの罵声が飛び交う。お店の人たちも電車が遅れてもうすぐ来るからとか言い訳して、まあこれで機嫌直してやと日本酒の一升瓶を回してくれた。比較的前の方にいたので、僕の所にもお酒がまわって来た。前日の酒が残って気分は悪かったがタダ酒だ。コップに目一杯注いで隣のテーブルに瓶を回した。「なんや、もうほとんど空やんけ、兄ちゃん、一人だけええ目して」と皮肉交じりに言われたが、無視して一気に飲み干した。

 迎え酒はアセトアルデヒドに犯されていた全身を解放し、一気にボルテージが上がってきた。パチパチと拍手の音とウォーという野太い野郎どもの声がした(そのライブには女性客はほんの数人、後は全部男だった)。ステージを見ると薄汚く、ガリガリに痩せた兄ちゃん達が4人、それぞれギターをチューニングしたりドラムセットを固定したり、演奏の準備をしていた。「お、お、お、おそなってすまんのぅ」と、やや吃音でボーカルが挨拶し、演奏が始まった。怒涛の演奏だった。ボーカルもボトルネックギターもこれまで聴いたことのないような音だった。圧倒的に目立ったのはボーカル。MCの時は何をしゃべっているか聞き取れないくらいモゴモゴ言うだけだが、歌になると物凄いパワーを炸裂させる。こんな歌はそれまで聴いたことがなかった。横でサングラスをして、ときどき咥え煙草でギターを弾いている男もとんでもなかった。カルピスのビンの首を切り取って作ったボトルネックでギターを縦横無尽に弾きまくる。圧巻はそのビンの首をギターの弦にこすり付けて、まるでバイオリンのボウのようにして音を出して「生駒」をやった時だった。

 そして、その興奮の、多分1時間以上あったライブの間、クールにブラッシュ・ワークを聴かせていたドラマーがいた。そのドラマーが亡くなった。自死だとか、事故だとか報道は勝手なことを書いているが、亡くなったことだけは間違いないようだ。木村は取り乱してしまいコメントが出来なかったが、勘太郎は彼らしい几帳面なコメントを出していた。花岡は…、花岡はどんなコメントかコメントしていないのかも分からない。ドラムとベースというバンドの屋台骨を一緒に支えた、驚異のリズムセクションだっただけに何とも言えない気持ちだろう。

 憂歌団の解散後は、いや活動中からあちこちのブルース系のセッションで活躍し、また今月も演奏のスケジュールも入っていたのに、どうして、いったい何故、などと詮索してもしょうがないし、事実は変わらない。サヨナラだけが人生だ、という言葉がシャレにならなくなったここ最近。島田和夫よ、安らかに。



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コメント

まぁ、水道屋とかですからw

ぶっちゃけ言って、私あんまりファンっちゅうわけでもないんで、ちょっと躊躇しますがw

まぁ、割と最近、踊るポンポコリンと『男歌』とか出してまして、これが一回り上の世代には馬鹿うけしてるみたいですが?w 夢で会いましょうとか言われても、もう記憶の片隅でようやく思い出す世代なもんで…w

私もいい加減ええ年なもんで。昔々、シルヴィー・バルタン・ショウのLaserDiskを見てたら、歓喜の声を上げてるおっさん連中を見て、呆れてましたwこんなおばはんどこがええねんとか思ってましたが、まさかおばはんのデヴィー・ハリー見て、今度は自分が歓喜の声あげてるとかw 因果は巡るっちゅうか、なん中華w

プールサイドに夏がくりゃ♫ エ、エ、エイ、エイ、エエエ、エイ♫ セ・ヴィアン♫

さすがにこの辺までしか記憶ないわw

barrett hutterさん、レス遅くなりました

近藤房之助とのユニットは大ヒットしたようですが、その前にお遊びで出した大西ユカリとのシングルは気にって購入しました。拙blogの第1回目のエントリーが内田勘太郎と下地勇のジョイントコンサートの話だっただけに、今回の訃報はショックでした。しかも、どうも自死であることは間違いないみたいで、その点も大きかったです。

>おばはんのデヴィー・ハリー見て、今度は自分が歓喜の声

わはは、分かります、分かります。中古CD物色してる時も、ゼッタイ購入しないことは分かってるのにスージー・クアトロって名前を見ると手が止まるという習性がワタクシにもあります(笑)。

数日遅れですが

今日、生聞59分のLPを聴いてました。シカゴバウンドとかいいですよね。当時、エレクトリックのブルースバンドは 結構居たけれど、アコースティックな 日本語のブルースは 珍しかったし、日本語が良く メロディーに 乗ってました。昔、職場に 市立工芸高校出身者が居ましたが、26年生まれとか32年生まれとか34年生まれとか 彼らと在校時期がダブってなくて、高校当時の彼らのエピソードを聞けなかったのが 残念でした。

サーカスの写真が使われている

彼らの初期のライブアルバムですね。アナログレコードの時代に59分の録音時間というのは驚きでした。さらに驚いたのは、スタジオ録音より演奏がいいということ。ライブバンドの面目躍如でした。歌詞は確か尾崎なんとかという人が協力していたと思います。そういえばユニオンシャッフルの奥村ひでまろって今何をしてるのかなと気になりますが、まあ元気でやっていることでしょう。
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