過去への旅路その11 出てくるなよ、F田君

 30数年ぶりに会ったHさん、20数年ぶりに会ったマス坊と阪急の茨木駅で名残を惜しみながら別れた。またいつかこういう形で皆と会えたらいいな、次回はもっと多くの仲間と集まりたい等と言いながら二人は帰途につき、僕達はそのまま阪急に乗って京都へ向かった。N谷君は、この日京都駅近くのホテルを予約していたので八条口で降りた。僕も今出川大宮のホテルを取っていたので、それぞれホテルに一旦荷物を置いて、午後4時に同志社のキャンパスで合流しようと約束をした。阪急から地下鉄に乗り換えて今出川に着き、デューク先輩と一緒に地上に出てみたら、昔とあまり変わらない懐かしい景色が目に入った。大学の建物に足場が沢山組まれていて、やたら工事の音が大きいのと昔は古い喫茶店だった建物が、シャレたテナントビルに変わったくらいで、それ以外の、なんというか、その場所の空気は全く変わっていないような気がした。

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 もちろん、それは単なる気のせいであり、烏丸今出川を歩いている学生たちは皆こざっぱりしてスマホ片手にさっそうと歩いている。ヘルメットを被りハンドマイクを片手に持ち、汗だくになったタオルを口に巻いてシュプレヒコールを叫んでいる学生なんかどこにもいない。そうだ、昔と大きく変わった風景にキャンパス前に立て看が一枚もない。道路にビラが散乱していない。これは僕の地元の国立大学もそうだし、日本全国もう立て看などないのかと激怒しかけたが、実は後程、百万遍にある某国立一期校(いまどきのお子達は知ってるかな、この呼び方。昔は国立大学というのは一期校と二期校とあって、おおざっぱにいうと戦前は帝大なんて呼ばれていた大学が一期校、戦後全国の県庁所在地に新しく作られたものが二期校、口の悪い評論家は駅弁大学などと腐していたが)に行ってみたら堂々としたものがあった。だから、あるところにはあるのである。まあ、日本全国探しても今や百万遍だけかもしれないが…。

 デューク先輩と二人で、しばし烏丸今出川の交差点に立っていた。昔、書店だった場所がレンタルビデオ店になっている。時代だなと思う。しかし、地下鉄から降りて(いや地上に出て、だな)、ほんの数分歩いただけだが、京都のギラギラ太陽は容赦がなく全身から汗がしたたり落ちる。先ほどお昼を食べているときに実はホテルに電話して、夕方に予定していたチェックインを早くできないか尋ねたが、午後3時半にならないと部屋の準備が出来ないと言われていた。時計を見ると、まだ2時半くらいだったので水分補給とエアコンの冷気を求めて喫茶店に入ることにした。烏丸今出川だったら釜飯が旨かった駱駝艦か、二日酔いの日に良くカレースパを食べたデュークに入りたかったが、どちらもとっくの昔に無くなっている。しかし、しかしである。その昔、日本×産党ミンシュ×年同盟御用達の喫茶店、ト×オは健在だった。学生時代は、まだ何も知らなかった1回生の頃に何度か入ったことがあったが、なんとなく空気がヘンというか、真面目そうな男女がグループを組んでお茶を飲んでいる光景は普通なのだが、なんかちょっと別館の人たちとは違うな~などと呑気なことを考えていたのだが、後になって民×のたまり場だと聞いて、それ以来足を踏み入れることは無くなった。

 しかし、別館にたむろする演劇関係者御用達の駱駝艦、またその他の別館サークル関係者御用達のデュークは別館が無くなるのと前後して廃業というか、閉店というか影も形もなくなったのだが、その点、やはりヨヨギの人たちは粘る。粘るというかしつこい。というか、まあある意味大したものである。その昔、ある活動家が「トロツキストは卒業したら社会人になるけど、ヨヨギは死ぬまでヨヨギだからな~」といった言葉を思い出す。親子代々ヨヨギなんていうのも、京都では珍しくないだろう。ということで、何が「ということで」か良く分からないが、多分37年ぶりにト×オに入ってみた。そこは完全に時間が止まっていた。1975年がそのまま、そこにあった。まず第一に室内が暗い。節電で照明を落としているのかと考えたが、昔からこんな感じだったような気もする。4人掛けのボックスもあったが、ゆっくりしたいので6人掛けの長いテーブルの席に座った。テーブルの上には、100円入れると星占いの巻物が出てくる灰皿が置いてあった。そして、この後トイレに行くときに気がついたが、奥の通路にインベーダーゲームのついている2人掛けのテーブルが何台も置いてあった。さすがにそちらは使っていないようで、壁際にぴったりくっつけて並べてあった。

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 お店のママさんに、デューク先輩が「30数年ぶりにここに来たんですよ、つまり30数年前は学生でした」などと説明したため、「どこから来たんですか」と尋ねられた。「満州です」、と答えようかと思ったが、あまり冗談の通じない感じがしたので、素直に「九州の宮崎からです」と答えたら、「み、宮崎って、あの、1年中アロハで過ごせるという、噂の宮崎ですか。全てのサーファーとラスタの人たちの聖地と呼ばれる」みたいな反応を期待したが、当然そういう反応は無く少し目を丸くしただけだった。冷たい飲み物を注文して、エアコンの風に身をまかせていたら汗は引いたが、気がついたら黒のTシャツに白い模様が浮き出ている。汗が渇いて塩が噴出したのだ。そうしているうちに5、6人の団体が入ってきて、隣のテーブルに座った。単位のことや学校のこと、友達のことを話しているのは僕たちの学生時代と変わらない。しばらく休んで、元気も取り戻したのでお店の人に記念写真を撮ってもらい、そこからバスでホテルに向かった。

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 今回宿泊するのは今出川大宮にあるプチホテル京都という所で、もちろん初めてである。ネットで安いところで連泊できる条件で検索したらヒットした。しかし、名前の通り小さいホテルというよりペンションだったが、とても静かで落ち着いた雰囲気の良い所だった。看板を見ないと外見はまるで小さな自転車屋さんみたいだ。3時半には、なっていなかったが、フロントに尋ねると部屋はもう使えるというので荷物を置いて、シャワーを浴びて着替えた。時計を見ると4時を回っている。デューク先輩に、「N谷もホテルでゆっくりして来るから、まだ来てないでしょう。念のため電話します」といってコールしたら、「お前ら何してんねん。ワシ、もうとっくにキャンパス入ってるで」と返事。こりゃマズイと大急ぎで、また二人してバスに飛び乗った。同志社に着くと冷泉邸の横の門が空いていて、そこから入れたのでそのままキャンパスに出た。7月の終わりだったら夏休みで学生は少ないだろうと思っていたが、とんでもない。たくさんの学生が行き来していた。翌日、職員のK君から教えてもらうのだが、今はちょうど試験期間で8月の10日くらいまで続くらしい。その後9月いっぱいまで夏休みになるという。

 キャンパスの一番目立つ場所、通称M(明徳館)前の石のベンチに座って、N谷君と合流した。しかし、この炎天下で石のベンチが熱くてゆっくり座っていられなかった。3人になって、先ずは明徳館という食堂や生協のお店が地下にあった建物に入っていった。さすがに建物の中に入ると陰になっていて、すこしひんやりする。先ずは学食に行ってみたが驚いた。Mチカ食堂なんて洒落た名前がついていて、椅子もテーブルも昔のイメージは無い。僕たちが学生の頃は、長方形の大きなテーブルに学生が10人くらいは座れて、椅子もパイプの丸椅子みたいなものしかなかったと思う。それが今は、こじゃれているんだ、内装も。中途半端な時間帯だったので、食事をしている学生は少なかったが、それでも陳列台に並んだおかずやショーケースに展示してあるサンプルを見て、時の流れを感じた。メインがフライもののおかずに大きなハム、その上に半透明なソース、大抵グリーンピースがまぶしてあり、添え物にキャベツの千切りが乗っていることが多かったBランチなど、今の学生諸君には残飯みたいに見えるかもしれない。しかし、しかしだよ、美味しかったんだよ、腹ペコの貧乏学生には(涙)。ランチの油ものの多いおかずとお椀の底が見える味噌汁と食券を買わずにパチってきたサラダをお盆に乗せて、食べた学食の旨かったことよ。あれはお金は無かったが時間だけはあった学生時代、遠慮と勉強はしなかったがやたら体力だけはあった学生時代の味なんだろう。今同じものを食べても、美味しいと感じるかどうかは疑問だが、それでも食べてみたい。これは終戦の日に大根飯など食ってありがたがる倒錯した心理と同じものだろうか。

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 ランチに必ず付いてくるキャベツの千切りに何をかけるかでサークル内が揉めたことがある。圧倒的多数派はウスターソースだという。ごく少数派が醤油という。ドレッシングなどというものは学食にはなかった。ちょっとランクが上の喫茶コーナー(学生会館にあり、そこで僕はF田敏雄君にトマトジュースを奢ってもらい、それ以来別館にずぶずぶになってしまった話は以前書いた。あのとき「一緒にご一緒しませんか、冷たいものでも奢りますよ」という一言をどうしてオレは断らなかったのか。歴史に「もし」は無いが、あの時F田君の誘いを断っておけば、僕はBoxに入り浸ることもなくクラスの仲間と楽しく学び、恋と青春を謳歌したはず。ん、ちょっと待て、そのクラスにN谷がいたな、F田の誘いを断っていても大して変わらなかったかもしれん。これが歴史の修正力というものか、なことは無いか、笑)にしか置いてなかったような気がするが、自信は無い。もしかしたら大きな容器に入れて置いてあったかもしれないが、記憶が定かでない。

 キャベツの千切りの問題であった。実は僕はソースもかけるが、たまに醤油をかけるとキャベツの甘みが増して美味しくなる(これはカネナ醤油でやると最高である。山盛りの千切りキャベツの上にカネナ醤油を丸くかけて一気に食べる、食べる、食べる、至福の時である)ことを知っていたので、どっちもと答えたら、ソース派、醤油派双方から日和見主義者とか鳥無き里の蝙蝠とか無茶苦茶言われた。実は、アジシオをかけて食べることもあったのだが、それを言わなくて良かった。お金が無い時(一か月のうち20日くらいかな)はご飯にもアジシオをかけて食べることがあったが、一度それをF田に見られてボロカスに言われたことがある。だいたい、あいつは秋田の山林王の孫とか言って、また実の兄は慶応医学部でオヤジは伊藤忠に勤めているエリート社員の一族とか言って、やたら食い物とか風呂の入りかたなどに文句をつけるやつだった。結局、多数決でキャベツの千切りにはウスターソースが正解だということになったが(もちろん僕は異論があったが)、今度はどれくらいかけるのがいいかという話になった。F田君がいうには、ソースをたくさんかけるのは下品らしい。キャベツの山にふんわりと、まるでカリフォルニアシャワーのように、朝日のように爽やかにかけるべきだという。僕と同じ宮崎出身のA水さんという先輩がいたのだが、この人は親の仇のようにソースをドボドボかける人だった。それを見るたびF田君は苦々しい顔をして、「A水さん、ソースそんなにかけたらソースの味しかせーへんでしょうが。これやから田舎モンは困るわ」などという。

 F田君は僕と同級ではあるが一浪しているので、実年齢はA水さんと一緒である。そうはいっても学年が1つ違うのだから、普段は敬語を使うのだが、このF田君、妙に先輩に媚びるのが上手くて甘えながら「センパイとて容赦はせんぞ」とか「あ、先輩、drac-obがあんなこと言ってますよ、いいんですか」などと言っていた。もっとも、A水さんは先輩後輩というのをあまり気にしない人だったので、F田君はかなりきついことを平気で言ったりするのだが、その時もA水さんは「ソースはこれくらいかけたほうが美味しいっちゃが」と宮崎弁でスルーした。ところが、それ以来F田君はA水さんとメシを食う時は、必ず「ほら、またソースかけすぎですよ、センパイ~。もう九州の人は味とか分からんのかな」などという。あんまりしつこいもんで、元祖ボーリョク学生のT原さんが「F田、おまえいい加減にしとけや、宮崎や鹿児島は暑いんや、南国なんや。分かるか、南の国や。暑いところに住んでいる人は汗をたくさんかくから塩分を補給せんといかん、だからソースもお前ら関西人より多くかけて当たり前や。お前はそういうことも分からんのか」と一喝され、さすがにその時はしゅんとしていた。

 えーと、なんでこんな話になったのか、こういうことを書いているととても話が進まない。進まないが思い出すものはしょうがない。8月はここまで。続きは9月、セプテンバー、そしてあなたは、セプテンバーである。そういえば「あいろん」さんから、ネバーエンディングストーリ―ですねと言われた。確かに果てしない話が延々と続くのだ。



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コメント

私の記憶違いだと思いますが

昔、明徳館地下に 四コマ連写の白黒証明写真ボックスが ありましたよね。外側には、撮った連中の残して行った おどけた表情の写真が、10人分位 貼り付けてありました。卒業から数年後、チャック・ウィルソン氏がテレビに出始めた時、あれ? 明徳館地下の証明写真ボックスに この男の写真が貼ってあったんじゃないか!?って 思ったのでした。紅毛碧眼は 似たり寄ったりの顔つきですが、米人学生は 非常に少なかったでしょうから 彼だった可能性はあるかなと…drac obさんの記憶では、どうですか? それと、至誠館側のコンクリートのベンチにも 思い出があります。昭和46年の楽譜雑誌「ヤングセンス」に ジローズの2人の白黒写真が載っていて、それが至誠館前の あのコンクリートのベンチからのショットだと 入学後 気付きました。まあ 外観以外は、すっかり様変わりしたキャンパスでしたが、懐かしかったです。 ソースぶっかけ4人男の1人より(笑)

うーん、記憶にないですね

いや、「 四コマ連写の白黒証明写真ボックス」、これははっきり覚えています。何かの証明写真をS戸だったかF田だったか、それとも両方だったか撮る必要があり、付き合った覚えがあります。ただ、チャック・ウィルソンの写真があったかと言われると自信が無いですね。「ヤングセンス」のジローズ写真も知りませんが、構図的には十分頷ける話です。しかし、当時の自治会の諸君が「ブルジョワ・マスコミの学内登場を許さないぞ」というような動きは無かったんでしょうか(笑)。

>外観以外は、すっかり様変わりしたキャンパス

ですね。ただ、凄くこざっぱりした学生ばかりでしたが、日曜日に散策したら、僕達と同世代だと思われるオジサン・オバサンが結構いました。中にはキャンバスに向かって絵筆をふるうオジサン、いやオジイサンもいてなかなか興味深かったです。

(家政婦は)見た!

おひさしぶりに覗いたら、2ショットが!!初デュークさんだ~。
お二人のTシャツに感服しました(?)。
学生以来からずっと交流ある、つながっているのって良いですね!
やっぱロックの力もあるのかな?
私もお二人の2ショットの間に割り込みたい(笑)

おお、姫、お久しゅうございます

ロックの力、十二分にあると思います。大学時代に6年間、いろいろお世話になり、その後ワタクシは地元に帰ってしまい音信不通でした。それが、何年前だったかblogのメールを通じてデューク先輩から連絡が入った時は驚きました。だって25年以上は音信不通というか、連絡も何も取っていなかったわけですよ。それが、あっという間に学生時代の感覚に戻って、メールやコメントのやり取りを始めて、今回実際に再開することになったわけです。音楽の力って大きいですね。姫とも、なんだかんだお話しできるようになったのもロックのお蔭です。ロックに足を向けて眠れないです。ん、ロックってどっちにあるんだ。サザンロックっていうくらいだから、南か(んなこたぁないか、笑)。
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