過去への旅路その10 闇の中のパワーゲーム

 いつの間にか77年の信州合宿の話になってしまったが、行きがかり上もう少し継続する。結局、バスで京都から信州に向かうことになったわけだが、僕は合宿に行く前の決起大会じゃと前日呑みすぎたのがたたって、行きのバスの中では死に寝ていた。最前列には、後で登場するT原さんやO原、H本あたりが固まって、奇声を上げながら気勢を上げていた。ウルサイと文句を言う元気もなく最後部の座席で移動時間の大半を寝ていたのだが、途中でドライブインでの休憩もあり、なんとか信州までたどり着いた。たどり着いたらいつも雨降りという歌があるが、まあ、実際この信州合宿、気分は毎日雨降りそれも土砂降り、完全にスカでした。良かったのは気候くらいで、後はろくな思い出が無い。もちろん昼間の気温は快適で空気も乾燥していて過ごしやすかったし、逆に夜は寒くて、布団も冬用ではないかと思われるような分厚いものだった。毎日が地獄の暑さの京都とは雲泥の差、日本は広いなと実感した。

 そして、カスの話だが合宿初日にH居、F原という先発下見コンビがいかに海千山千の信州観光業者に騙されたかというのが発覚する。まず、合宿の目玉である会議の場所だが、確かにミーティングルームというか、ちょっとしたスタジオみたいなところがあるのだが、そこはたった1か所しかない。その時に同じペンションに合宿を組んでいたサークルや同好会の数は2つや3つなんてものではない。しかも我々のような文科系の研究サークルはほとんどなくて、合唱部みたいな演奏系というか音楽クラブとかテニスクラブといったものが多くて、どこもそのミーティングルームを使いたいと希望している。1か所しかない場所を交代で使用するしかない。さらに優先順位は演奏系というか実技系のサークル(ほとんどが関東モンばかり。標準語で格好つけてしゃべりやがって、「僕達のサークルは思い切り声を出して練習しないといけないので」とかぬかしていた。バカヤロー、そんなもんこっちも一緒じゃ。みたいなやり取りの結果、確かじゃんけんでいつどこのサークルがその場所を使うか取り決めをした)が主張し、3泊4日の期間中、我々が使用できたのは1日だけ。あとは、それぞれの部屋でロックやジャズやブルースといったグループごとに分散してかろうじて話し合いが出来ただけだった。結局、その時の合宿の会議でEVEにオカマ喫茶を復活させることが出来たのだが、それはこの信州合宿を推進した会長・副会長一派があまりの合宿状況のひどさに、それまで絶対反対していたオカマ喫茶案に対して強く反論できなかったところも大きい。

 しかもメシの不味いこと、おかずの数が少なくてしょぼいことこの上なし。『何がしゃぶしゃぶに熱燗付じゃボケ、お前がシャブ打ってたんと違うか』という僕のボーリョク的な発言が全ての怒れるサークル員の拍手で迎えられるくらいメシはひどかった。ひどいうえに配膳が遅い。3度の食事は、そのペンションに宿泊している者が全員食堂に集まって食べるのだが、指定された時間に行っても食器なども置かれてなく、椅子に座って待っていると、如何にも季節従業員というか夏と冬の書き入れ時(これが正しい漢字だとは知らなかった。てっきり「掻き入れ時」が正解だと思っていた)だけ、あたしたちゃ手伝いに来てるだけ、しかも最低時給でやってるんだからサービスとか愛想とかいうものを期待されちゃ大迷惑よ、とでも言いたげなうすぼんやりした連中がてれんこてれんこ食器を持って来たり、ジャーやお鍋を持ってくる。それもどうしたらそんなに時間がかけられるのだ、あなた方は、ハッ、もしかしたら「さぼたーじゅ」というのを実践しているのか、ここは戦艦ポチョムキンかと錯乱しそうなくらい、メシの準備が遅い。あんまり遅いので、僕達のグループは「こら、はよせえや」「遅いことは豚でもするぞ」「メシ、メシ、メシ」「勤労、生殖、睡眠、学習」などという罵声が飛び交った。その時、「食事は楽しくいただきましょう。待つことも調味料です」みたいなことを誰かが言ったかと思うと、男女のコーラスが起こった。東京あたりから来た合唱のサークルの連中が、殺伐とした空気を和まそうとして即興でハモってくれたのだ。

 心が洗われるようだった。今まで罵声を上げて、メシだメシだと言っていた自分たちの次元の低さを思い知るようだった。などというような殊勝な心掛けのやつは、我がサークルには一人もおらず、「アホンダラ、よけいなことすな」「やめやめやめ、聴いてるだけで余計腹が減る」「腹減らした関西人舐めとったら承知せんど、こら、カス」などと罵声はさらに激しくなるのだった。そんな具合に、まずくて遅いメシを食わされ、そして驚いたことに夜になるとペンションの人は誰もいなくなるため、夕食後の夜のお酒のおつまみにするものだとか、夜食になるようなものは何もないということが判明した。また近くにはお店(当時はまだコンビニが無くて、お土産屋を兼ねた何でも屋というようなお店しか期待できなかったが)らしいものが何もなく、ペンションからはるか1キロ位離れたところにカップヌードルの自販機が1台だけあることをかろうじて発見したくらいだった。当時は皆、20歳前後なので良く食べたし、昼間はソフトボールをしたりして体を動かしていたので、すぐに腹が減る日々だったのだ。

 そういう中で、事件は起こった。あれは確か明日には京都には帰るという日、つまり合宿最後の夜だったと思う。とんでもない合宿だったが、それでも最終日には打ち上げということで、ミニバー付の会場を借りてコンパをしていた(僕自身は恒例の打ち上げ花火の水平撃ちごっこが出来なくて欲求不満であったが)。この77年は合宿に参加した人数も多く、また77年に新しく入ったサークル員も多く(1回生だけではなく、2回生から入ってきた連中も何人かいた)、それなりに賑わっていたけど、その会場を借りられた時間が22時くらいまでだったのか、とにかく不完全燃焼で終わったコンパで、呑み足りない連中はそれぞれの部屋で続きをやっていた。その中で、76年度生の女子2名が男子グループと一緒にカップヌードルを買いに行って帰ってこないということが分かった。外は真っ暗だし、結構酒も入っていたので何か事故などあったらマズイということで、役員連中が手分けして探しに行き、ようやく見つけて連れて帰ったのだが、何故かF田君が激怒して、そういうことではいかん、風紀を乱してはイカンなどと延々と説教をしたり、なんだか空気も重くなったので僕は部屋に戻って寝てしまった。

 多分、その時だと思うが、実はさらに2名行方不明者が出ていたらしい。なんと74年度生のT原さんが77年度生の××さん(99%この人だと分かっているのだが、一応伏せておく。数年後別館では非常に有名になる女性で、のちの学友会副委員長の彼女にまでなる、あの人です。分かる人は分かるよね)の行方が分からなくなったというのだ。最初に気がついたのはT永さんで、外に探しに行ってようやく二人を見つけてペンションに戻るよう話したがいうことを聞かない。それで部屋に戻って一部始終をHさんに話したところ、Hさんも先輩のT原さんがそんなことじゃいけないと説得しに出かけたらしい。Hさんは普段はおとなしくて、とても男子に反抗するように見えないが、いえいえ芯の通った方で曲がったことは許さない。今考えると僕の悪行の限りがバレテなくて良かった。もし彼女が知っていたら僕は市中引き回しの上獄門磔になっていただろう(笑)。

 しかし、今になって考えると年頃の男女が、まあ一種のスリルというかアバンチュールを求めて、夜の闇に消えて行ったわけだから、大人であればにっこり笑って見逃せばいいと思うが、残念ながらその当時は皆、ピュアな心を持ったワカモノだった。Hさんは舌鋒鋭くT原さんを追及した。「T原さんは先輩やのに、何でそんなことするん?一体二人でどこで何をしていたん」。この質問に答えたT原さんの答が笑える。「二人で野球しとったんや」。ってこらこら、どこの人間が夜中に男女二人きりで野球をするか、野球拳の間違い違うか、と突っ込みたくなるのはあなたも一緒でしょう(笑)。この話を聞いたN谷君が「T原さん、な、あの人しょうがないんや、あの人は立派なところもあるけど悲しいかな下半身行動委員会の人やから、もう、ああいうのは病気なんや」。

 ということがあって、Hさん、その合宿から帰った後はT原さんと顔を合わせにくいし、てっきりこのことはサークルのみんなが知ってると思い込んでしまったらしい。ところが僕もN谷君も、多分マス坊も今回の会食で初めて聞いた話なので、何も気にしなくて良かったのだが今更後の祭り。それ以来、Hさんはサークルに顔を見せなくなり、そうすると仲の良かったT永さんもだんだんBoxに足が遠のいていった。

 ちょっと、T原さんがワルモンになった話が出たので、その後は、でもT原さんもいいところがあったという話題になった。前回だったか、73年度生で下級生があこがれる素敵な女性先輩にM井さんという人がいたと書いた。実は、このM井さん、今では彼岸の国の住民になっている。それも結構全国的なニュースになった事故に巻き込まれたせいである。デューク先輩はもう社会人になっていて、その日の朝出勤前でテレビで流れるニュースを何気なく見ていたらしい。ヨーロッパでバスが崖から転落して、日本人旅行客もその被害にあって亡くなったというニュースだ。特に眺めるでもなく、ぼんやりそのニュースの画面を見ていたら、そこにM井さんのフルネームが出てアナウンサーが読み上げた。そんなバカな、他人だと思ったが年齢的にも合う。82年か3年くらいのことだと思うが、ヨーロッパを旅していたM井さんは、そのバス事故にあって亡くなられたのだ。

 この時に関西にいた元サークル員の女性陣は連絡を取り合って、お通夜や葬儀に参加されたらしい。M井さんの事故で、何年かぶりにサークルの友人や先輩・後輩が顔を合わせることになったのだが、あまりに悲惨で気の毒な事故だったためにHさんも、その葬儀の時のことはぼんやりしか覚えていないという。そして、葬儀も落ち着いて四十九日も過ぎた頃、M井さんの日記に実はT原さんが好きだったというようなことが書いてあり、遺族の方が、このT原さんという人はどこに住んでいるのか、どうにかして連絡を取って話をしたいという依頼があり、Hさん達、OGが協力して田舎に帰って働いていたT原さんに連絡し、線香を上げに京都に来てもらった。幸薄いM井さんだったが、T原さんが来てくれたことは喜んでいると思うとお母さんがおっしゃっていたらしい。T原さんは、女子と夜野球をするだけでなく、こういういいこともしていたのだ。

 しかし、この話を聞いた僕とN谷君は根っから下衆なので、T原さんはM井さんに何にもしてなかったんやろうかという話題を出しかけたのだが、Hさんに睨まれたのでやめた。というような話を延々と茨木のお店で2時間以上話して、名残が惜しかったけどそろそろみんな用事もあることだしと分かれることになった。Hさんは家に帰るし、マス坊も家に戻るという。僕とデューク先輩、N谷の3人はこれから京都に向かい、懐かしの今出川から百万遍あたりまで一丁ブイブイ言わせる腹である。うーん、この調子で書いていくと今月中に終わらない気がしてきたが、まだまだ過去への旅路は続くのである。



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コメント

あの年入学の女性達は

それまでの世代の方々は、いい意味での 昔ながらの女子大生って感じで、苦労して入って、地道に頑張っているイメージでした。あの年から 急に 服装、持ち物、メイクも華美になった印象です。新世代だなあと感じましたね。私は、その変化についていけず(笑)、戸惑い、地味目(失礼)な W部さんや T岡さんに 好感を持ったものです。問題の彼女は、甘い球を投げてたから T、O、Hのクリーンナップのバットが炸裂して、バックスクリーン3連発だったんじゃないかな? 他にも兄弟がいた可能性もあるでしょうね。M井さん、身近な人が、訃報でニュースに出るとは。ショックでした。今度 ご来訪の機会有れば、焼香に 一緒にご一緒しましょうか。その頃には、F田君も 出所してるのでは?(笑)

確かに77年というのは

ある種の境界線かもしれませんね。教育指導要領でも旧課程と新課程の狭間でしたし(笑)。ブランド物を持った女子大生とかが急激に増えてきて、その後のクリスタル族に発展したんでしょうか。その中で、我らがサークルにはW部さん、T岡さんという昔からの女子大生がいて安心したものです。特にT岡さんからは頭脳警察のファーストを借りた恩もあります。ある時、BoxでT岡さんと二人だけということがあり、彼女から頭脳警察の曲で何が好きかと聞かれ、ファーストしか頭になかったので、「言い訳なんかいらねえよ」と答えました。

その後、なんだか気まずくなって話が終わったのですが、しかし「言い訳なんかいらねえよ、てめえのマ×コに聞いてみな」などというワイルドな曲を何故ワタクシは答えたのでしょうか。「夜明けまで離さない」といっておけば、もしかしたら・・・。それとW部さんですが、サークルを辞めた後彼氏が出来ました。それはいいけど、それまでのちょっと野暮ったい感じから、突然化粧もケバくなり蓮っ葉な感じに変わってクリビツテンギョウ。黒メガネと黒シャツでおなじみのT畠君も「W部さんみたいな人にオ×コを教えたらアカン」と自分のことは棚に上げて憤慨しておりました(笑)。

>他にも兄弟がいた可能性
クソ、オレにもう少しの勇気があったら、いや、その未遂ですから罪は無いと(汗)。

>F田君も 出所
だといいですが(笑)。

77

77年は、私の生まれた年です^^
この時代に大学生だったらなぁ… と憧れます。
想い出が繋がるっていいですね。たくさんのお友達との交流がうらやましいです^^

ということは御年35歳ですか

イマンさん、ど真ん中、ストライクです。などとここでも野球用語が(笑)。

>この時代に大学生だったらなぁ…

うーん、そうですか?携帯もないしコンビニもないし、コンピュータなんてのは工学部の学生が徹夜でごそごそやるもので、ロール紙に小さな丸い穴がたくさん空いたものを使ってましたっけ。要するにネットもない時代でした。まあ、その分想像力は豊かだったと思います。だいたい人と待ちあわるときも、遅れたときはあいつならあそこの喫茶店か、パチンコ屋だろうとか、先回りして会うなんてことも出来ましたからね。夜、お腹がすいたら屋台のラーメンとか深夜営業の居酒屋に行くか、思い切って我慢するという時代でした。それも楽しいっちゃ楽しかったけど(笑)。

>たくさんのお友達との交流

碌な話は無くてすいません(笑)。

そうです、35です^^;頑張って上を向こうという時期です(笑)

77年頃の話は母によくききます。現代にはない大切なものがたくさんあって、やっぱり憧れます^^

私も今がいい想い出となるよう、毎日を大切に生きたいものです。

みんな自分が生きてきた時代が

当たり前ですが、一番リアル、現実的ですよね。愛おしくもあり、鬱陶しいときもあり、いい思い出もあれば二度と思い出したくないこともある。まあ、そういうこと丸ごと呑みこんでの人生だと思います。なんちゃって、ちょっとマジに書いてしまった(笑)。

ただ、どこかの生命保険のコマーシャルで武井なんとかという女優が、友達の結婚式でスピーチをするという設定の中で、お互い一緒に年を取っていい人生だったねと縁側で笑えるようになりたい、とかいうのありますが、あれは絶対嘘っぱち。だって、まだまだこれから楽しいことが沢山ある人生、生命力も旺盛な若者たちが、冬の縁側で日向ぼっこして渋茶すすって"What a wonderful world!"なんて言うわきゃないだろって。途中で言葉に詰まった時に「ガンバレ」って励ますオバハンもムカつきます。毎朝、このCMを見るたびに怒りを口にするので、いい加減家族から愛想を尽かされています。

(笑)

dracさん、うちの父と似ています(笑)

私は結婚のときに、父にそのようなことを言われました。今、やっと意味がわかるようになってきました^^

うーん、お父さんに似ている、ですか

せめてお兄さんに似ている、になりませんか?え、どないだ?などと少しでも若く見られたいワタクシ(笑)。
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