過去への旅路その9 Ramblin' ManいやGamblin' Manの話

 とりとめのない話というのは、どこまでいってもとりとめがないのだが、30数年ぶりの再会の宴は延々と続いた。その中で、Hさんが実は77年の後期からサークルに行かなくなったという話が出た。僕はHさんが75年の入学後すぐにサークルに入って、そのままずっと在籍していたと思い込んでいたが、言われてみると最後の方の印象がない。そのあたりのことが話題に上った。僕は全然記憶が無かったのだが、Hさんは3回生の夏合宿の時に、先輩のT原さんと大喧嘩して、それ以来何となくBoxに行きづらくなり、後期はほとんどサークルに顔を出さなくなったそうだ。T原さんと喧嘩したなんて、そんなこと気にせずBoxに来れば良かったのに、などといまさらなことを言ったりしたが、幸い前述したE副君やK下君と同じゼミだったので、たまにDRACのうわさは聞いていたらしい。昼ビーの勢いもあり、以前もその時のいきさつは聞いたことはあったのだが、今回は聞き手にデューク先輩、N谷君、マス坊と学年もばらばらな人間がいたので、もう一度話をしてもらった。

 問題の合宿は、信州だった。僕は75年から80年までずっと夏合宿に参加したが(思い出した、81年も参加している。その時は既に京都から地元に引き払っていたのだが、アルバイトでお金を貯めて、OBとして参加したのだ。まあ、同級生のF田君は現役学生として合宿に参加していたので、全然不安は無かったが。笑)、その中で唯一鳥取以外の場所で合宿をした年だ。これも何故そんなところで合宿を組んだかというと、話は長くなるが当時執行部だった会長のS戸君と副会長のF田君の二人がシティボーイにあこがれて、「夏は信州のテニスコートで恋とバカンス」みたいなポパイ的キャッチフレーズに、すこーんと足元さらわれたせいだ。だいたい、加西の田舎モンだったS戸君や堺のセンミツと言われたF田君の二人が組んで出す提案に碌なものは無かったが、最悪だったのがこの合宿計画だった。合宿場所を決める役員会の時に、事前に根回しをして会計のH居と渉外のF原まで巻き込んで、断固鳥取派の僕をエセ民主主義的多数決で以てフンサイしやがった。しかし、転んでもただでは起きないワタクシなので、「そんなら信州が絶対いいという証明をせえや。渉外のF原だけが下見に行っても、あいつは酒好きで飲まされるとすぐいい返事をするやろうから、念のため下戸のH居も一緒に行って冷静に判断して、それでも信州がいいというなら、承諾する」と、今考えてもオレ結構わがままなことを言っていたと思う。

 それで、二人は信州のなんたらというペンションの予約体験コースみたいなものに参加して、現地からBoxに電話をかけてきた。F原もH居も工学部だったので、要点をかいつまんで話すということが出来ず、またH居に至っては朝日新聞の天声人語を天政神語と書いたり、大器晩成を晩期大成と言ったり書いたりする国語力だったので、現状を正しく報告できるか一抹の不安はあったのだが、そういう不安や予感というのはえてして大抵あたる。この時も「凄い、すごい、いいよ、ここ。もうここで決定」とH居君がやたら興奮して口走るがこちらはどういうことなのか全然分からない。とりあえず順番に確認したことは、僕たちは文科系のサークルなので合宿は基本的にミーティングや会議が中心になるため、そのような場所が確保できるか(鳥取のかわとねは宴会場にもなる和室があったし、10人くらいずつ分かれて打ち合わせが出来る部屋が沢山あった)、駅からの交通の便はどうか、食事などの待遇面はどうかということを聞いたのだが、「洋室の広いミーティングルームがあって使い放題」とか「駅からはタクシーでも行けるし、直行の臨時バスがある」とか、「食事は最高、昨日の夜はしゃぶしゃぶでしかも熱燗付(これはF原君の感想、こういう点は抜かりがない)」、そして決定的だったのは「東京からの有名女子大の団体が良く来る」だった。

 それで一応役員会(サークルの執行部)としては、信州でいいんじゃないかと方向性を決め、それでも全サークル員参加(もちろん欠席者は委任状を提出)での会議を行ない、僕はあくまで鳥取断固死守だったが、やはり信州という言葉の魔力にやられたサークル員は数多く、特に少数であったが女性部員(もちろんHさんや、前回のエントリーに出てきたT永さんも)の圧倒的な賛成で、77年夏合宿は信州に決定した。ところで、京都から信州に行くには通常はJRの特急を利用する。しかし、非常に人気の高い路線なので、発売日の前日は駅に泊まり込んで、朝一番で申し込まないとチケットが取れない。とりあえず参加人数を確認して、サークルのお金を立て替えて京都駅にチケット獲得闘争貫徹実行委員会が結集することになった。いや、要するにこういうことが好きな連中が集合した訳ですな。メンバーは記憶している限りでは74年度生のT原さん、僕、会長のS戸、副会長のF田、そして何故か77年度生、つまりは新入生のグループから何人か、確かO原、H本あたりが参加したと思う。マス坊はどうだったか、多分参加してなかったと思う。

 京都駅に泊まり込むと言っても待合室などは貸してもらえないので、私鉄とJRを結ぶ通路の上に新聞紙を敷き、その上に僕が下宿から持ってきたコタツを組み立てた。何のために?当然麻雀をするためである。ニッカの黒の50(ウィスキーです、念のため。僕らは抑圧された黒人へのシンパシーとして飲むウィスキーは黒の50と決めていた。サントリーのホワイトなどを買ってきた日には、『お前はKKKか、白人至上主義か、アイ・セイ・サントリーか』、などと非難ごうごうだった。スコッチは当然ジョニ黒、の筈はなく、そんなものを飲んでいる奴は『プチブルだ、走資派だ、オレにも一口飲ませろ、それでもキョーサン主義者か』などと大騒ぎであった、いやシャレですが。笑)だとか日本酒だとか当然アルコールもつまみも買ってきてある。夜の10時過ぎくらいまでは通勤客や堅気の客の行き来があり、別段何の問題もなかったのだが、深夜零時近くなってくると何やら怪しげな人たちが、通路を行き来する。信州行きに限らず、夏のいい時期のJRのチケットを求めて泊まり込みをしているグループは他にも結構いたし、学生風なグループも多かった。しかし、他のグループの人たちは新聞や週刊誌を読んだり、雑談したり、せいぜいが缶ビールなどを飲んで談笑しているくらいで、大声で「リーチ」だ、「ロン」だ、「わー、フリテンや、チョンボや~」などと大騒ぎしているのは僕たちのグループだけであった。

 当然、目につくのでその筋のややこしい人たちが通路を通るたびに声をかけていく。ナントカ組の見回りだと称する3、4人組が何度も僕たちの前を通り、そのたびにちょっかいを出してくる。特に、その中の一人の痩せた男がしつこかった。「おう、兄ちゃん麻雀か、オレも入れてくれや」とか「レートはナンボや、何、ノーレート、ガキの遊びちゃうぞ、お前ら、そこの財布の金かけて勝負せえや」。当然、仲間内であってもお金を賭けてやっていたのだが、下手にこの手の人にそんなことをいうとどんなアヤをつけられるか分からないので、お金は賭けていないと答えたのだが、それが余計火に油を注いだようだった。それ以来、何かと僕に話しかけてきて、「お、兄ちゃん、白をポンして、チュンが対子か、アオ持ってきて大三元やな」とか「お前、ダマテンすんなや、オトコやったら堂々とリーチせんかい」などといちいち人の手に口をはさむので、頭に来て伏せ牌にしたら、その痩せた男が「こら、お前、なんやその態度は、一遍シバイたろか」などと言って絡んでくる。ちょっと焦ったが、上の立場の貫禄あるオッサンが「こらこら、お前、セイガク相手に何いちびってんねん。そんなんほっとけや」と言ってくれたので助かった。

 ようやく、その人たちが立ち去った後で、すぐ近くにいた社会人風の人が「君たち、麻雀やってるから絡まれたんと違うか。それと、もう夜中や。周りの人に迷惑になるから、麻雀は止めてくれんか」と言ってきた。なるほど、ごもっともである。僕達、革命的麻雀主義者同盟のメンバーならいざ知らず、麻雀に興味のない人は牌をかき回す音や、話し声がうるさいだろうと、さすがにいくらアホ学生でもその程度の常識はあったので、「そやな。周りにも迷惑やさかい、麻雀はやめますわ」と素直に従った。もっとも、麻雀は止めても、大の男が何人も集まって、ただ時間をつぶすのももったいないのでサイコロを使ってチンチロリンを始めたが、これも周りから「音が響くのでこらえてくれ」と言われ中止。しょうがないからトランプでもするかとカードを出したその時だった。

 「兄ちゃん、何やんねん」と話しかけてきたオッサンがいた。頭は角刈りで背は低く小太りな男で、40過ぎくらいに思えた。先ほどのチンピラと違って、一人だし、それほど怖そうな人ではなかったので、「え、ドボンとか大貧民とかそんなんです」と答えたら、「そうか、ほんならワシも混ぜてや」と言ってくる。多少酒臭かったが、こちらもアルコールは入っているので気が大きくなり、「あ、そんなら一緒にやりますか」といって大貧民を始めた。今考えると、どうして見ず知らずのオッサンと一緒にカードゲームを始めたか、良く分からない。組関係の人はちょっとアレだけど、一般市民、とりわけ零細企業で額に汗するプロレタリアート諸君と連帯するのだ、みたいな熱にうなされていたのだろうか。そんなこともないか。

 とにかく、最初は愛想のいいオッサンで、大貧民のルールも知らないというので説明して一緒にやるのだが、全然ルールを守らない。というか、どうもゲームを理解しようとする気は無いようだった。それでも何回かやって、当然オッサンが最下位なのでカードを混ぜてシャッフルを始めたのだが、よく見ると両手の小指が無い。印刷工場にでも勤務していてプレスの事故でもあったのか、可哀想だな、くらいにしか思わなかった僕は世間知らずだった。カードを切ったオッサンが「兄ちゃんたち、今までワシは兄ちゃんたちに付き合ったから、今度はワシに付き合ってくれ。いつまでも子供みたいな遊びは止めて、これからはカブやろ」と低い声で言ってきた。僕は「あ、株、株はあかん。オッサン、オレ達はこう見えても現代シホン主義を憂えるメンバーなんや。株なんちゅうのは、額に汗して働く勤労とちごて、右の金を左に持って行って、シホンの沢山ある奴がどんどん勝ち進んで人民をサクシュする、まあ、要するにマネーゲームや、不労所得や。」などと言うと、ジロリと睨みつけ「兄ちゃんのいうてること訳分からんわ。ルール知らんのやったら、教えたる」とカードを切って配る。その時、酒に酔って半分眠りかかっていたH本が叫んだ。「オッチャン、これ絵札入ってるで。カブに絵札入れたらあかんやろ」。するとオッサン、「シバくぞ、ワレ。黙ってやらんかい」。

 それまでとガラリと人格の変わったオッサンに圧倒されていたが、良く考えてみれば金さえ賭けてなければ、いくら負けようが屁のカッパだと思って適当に相手していたら、ついにオッサンが言いよった。「おい、兄ちゃんたちよ、このままやっても緊張感がないから、10円でも50円でもええから賭けよか」。ほら来た、と思って僕は、「あ、金、ワシら金持ってへんねん。ここで汽車の切符取るように頼まれただけやさかい、個人の金は持ってない、ほら」とポケットから小銭入れを出し、それを開いてさかさまにした。チャリーンと音がしてコタツの天板の上に落ちてきたのは、部屋のカギだけだった。それを見たオッサンさらに低い声で一言、「シバくぞ、ワレ。ワシもいつまでも甘い顔してへんぞ」。こりゃ困ったオッサンやな、どうしようと周りを見回すが、普段修羅場には慣れていて、高校時代は不良と喧嘩ばかりしていて傷口の収まることは無かったと豪語していたF田君は何故か視線を合わせようとしない。S戸君は、さすがにサークルの会長をしていたので、ここはひとつ押さえようと「兄さん、すんません。ワシら貧乏学生ばっかりやし、こいつが言うたように余計な金持ってまへんねん」とフォローに入ったが、オッサン聴く耳持ちません。「金ない奴が国鉄の駅で、何で泊まり込みしとるんや。ええ加減なこというとシバくぞワレ」。

 その時だった。麻雀の時までは元気よく参加していたが、注意されてからは不貞寝していたT原さんが僕にだけ分かるように声に出さず口を動かした。「こ・う・あ・ん」と読めた。ん、ちょっと待て、仮にも反権力、反体制の運動をしている人間が、いざ苦しくなったからと言って国家権力に頼っていいものか、それでも元全×闘か、と一瞬思ったものの、背に腹は代えられない。僕もT原さんにだけ分かるように頷いた。

 5分ほどして屈強な鉄道公安員が二人登場して、「なんや、××やないか。お前、こんなところで何してるんや」と一人がオッサンに声をかけた。オッサンは顔を上げたが、それまでに見せたことのない笑顔で「あ、どうもお疲れさんです。いや、学生さんたちと楽しくトランプしてましてん」「何が楽しくトランプや。どうせお前のこっちゃ、賭けてやろう言うたん違うか」「いや、そんなことしません、ワシ、昔のワシと違いまっせ。もうすっかり足洗って、真面目にやってまんねん」「真面目にやってる人間が何でこんな時間に京都駅でぶらぶらしとるんや、ちょ、詳しい話聞かせえや」「え、いや、そやから、何もしてませんて、なあ、兄ちゃんたち何とか言うてや。一緒にゲームしてただけやな、な」「僕達がトランプしてたら無理やり入ってきて、『カブしよ』て言い出しました。『金は賭けん』というたら『シバくぞワレ』て何べんも言われました」「そ、そんなこと言うてない。なにテンゴいうてんねん、兄ちゃん、そんなんちゃうやろ」「『絵札入れてカブやろ』とか無茶苦茶いいますねん、このオッサン」「な、なんやこの餓鬼。シバくぞワレ」「分かった、分かった、ここは他の人にも迷惑や。向こうの事務所でゆっくり話を聞くから」。

 というようなやり取りというか悶着が起こっていたその最中に、いきなり一人の目つきの悪い男が、公安官に「近鉄の入り口はどっちでっか?」と話しかけてきた。そのあまりに当たり前みたいな質問にちょっと公安は戸惑ったものの仕事柄「向こうや」と指を刺したが、その男はそこから動かず、じっと事の顛末を見送っていた。抵抗して喚くオッサンを二人係りで持ち上げた公安官が去った後、その男は僕たちの方に近づいてきて「お前ら、ようもやってくれたな。覚えとけよ」と捨て台詞を残して去っていった。「こりゃ、ヤバいな」「なんやあのオッサン、カブのやり方も知らんのに」「でも小指無かったやろ」「あ、お前も気がついたか」「いや、あんなオッサン一人やったら、この人数やったら勝てたん違うか」「あほ、そんなことしたらあの手の人たちが仰山来て、オレら日本海かどっかに連れて行かれるぞ、比叡山かもしれん」「しかし、最後に来たオッサンも不気味やったな」「こらもうトランプも止めて大人しくしとこか」「このまま全員寝てしまったら、さっきのオッサンが戻ってきたときに襲撃されるから、寝ずの番を決めて順番に見張っとこ」。

 最後の提案は中々に現状認識が出来ていると全員一致し、それではこういう場合誰が起きているかというと1回生ダッシュの原則である。これはサークル活動をしたことがある人、とりわけ体育会系の人にはわざわざ説明する必要はないだろう。この場合はJRのチケットを入手するという大命を帯びた先輩たちを守るため、1回生のワカイモンが起きて革命的警戒心で以て敵の襲来に備えるということである。当然、H本やO原は不満げであったが、「誰が先輩や」というT原さんの一声でしぶしぶ寝ずの番に着いた。

 はっと気がついたら朝だった。すでに泊まり込みをしていた人たちは皆起きて、それぞれ希望する窓口に移動しつつあった。我々、チケット獲得闘争貫徹実行委員会はと見ると、全員いぎたなく寝ている。いやさすがに会長のS戸君は起きて準備をしている。寝ずの番の後輩連中は、と見るとガーガー爆睡していた。頭に来たので、蹴って起こして全員で切符売り場の窓口に行き、会長・副会長の二人が行列に並んだ。待つことしばし、まずS戸君が首を振りながら、「あかん、売り切れやて」。そして、F田君も「どないなってんねん、朝一番で来て全部売り切れや。切符無いと信州行かれへん」と至極当然なことを言う。どうやら、せっかく徹夜して切符を買いに来たものの既に売り切れだったようだ。僕は内心小躍りして、これで信州案は却下、鳥取案復活と喜んでいた。まあ、どんなに頑張ってもないものは無いわけだから、今回の合宿はキャンセルするとS戸君がペンションに電話をしに行った。

 4、5分すると満面の笑みをたたえたS戸君が戻ってきた。気でもふれたのかと思ったら、「信州いけるで。特急の切符取れへんかったって向こうの人に言うたら、それならバスをチャーターしてください、ってバス会社の電話番号を聞いた。国鉄と同じ金額ちゅう訳にはいかんけど、交渉次第でそれに近い様にしてくれるらしいで。それでこういうことはホンマは渉外のF原の仕事やけど、あいつこういうこと苦手やから、drac-ob、お前やってくれや。相手は海千山千のバス会社や、しっかり頼むわ。ペンションの人も弁の立つ人が交渉したら金額はナンボでも変わりますて言うてたから」。だったら何のための渉外だよと思いながらも、おだてに弱い僕は「分かった、オレに任せろ」と安請け合いした。こういう性格というのは治らないものだろうか。この時からおよそ35年以上経過するが、安請け合いしてドツボに嵌るという体験を腐るほどしてきたが、全く学習できない。

 バス会社との交渉は難航した。とにかく無茶苦茶な金額を言ってくるので、こちらも相場が分からないため一旦電話を切って、いろいろ調べたらどうも相手が言ってくる金額はかなり高いことが分かった。それで次はその情報をもとに交渉すると、相手は路線が空いているときはその金額でいいが夏場のピーク時はその金額ではとても無理とか、今からよそのバス会社に当たっても絶対空きは無いとかいろいろ言ってくる。頭に来たので、じゃ断ると強く言ったら少し慌てたようで、バスのランクを少し下げれば希望する金額に近くなるが、その手のバスが空いてるかどうか、詰まっていたら調整しないといけないから少し時間をくれとか、まあ、だいたい単価の交渉で発生するようなやりとりが何度か繰り返され、最終的にはこちらの希望に沿った金額に収まった。役目をはたして安心した僕が「そしたら、いろいろあったけどお願いします。7月の22日の朝9時半に場所は京都駅近くの、そちらが指定したところにチャーターしてもらえますか」と言ったところ、「了解しました。間違いなくバスが向かいます。それで申し訳ないけど、金額さげたから車掌というかガイドはつかないけど、いいですね」「無問題です」「じゃ、それで。おっと大事なこと忘れてた」「何ですか」「いや、バスに全員乗ったら運転手にチップを渡すの忘れんといて」「え、何ですか、チップって」「え、知らへんの。お宅どこの人。長距離バス乗るとき、運転手にチップ渡すの常識ですやん。チップ渡したら丁寧に運んでくれるけど、チップないと彼らも人間やから、無茶苦茶粗い運転するで。ま、ゲロ吐く人が出ても構わんなら、それはそれで」「ちょ、ちょっと、それはマズイ。チップっていくらやればいいんですか、2千円、3千円」「何眠たいこというてますの、これやから坊ちゃん学生はんはモノ知らんと笑われるんや。一本です、一本」「一本、一本ていうと」「いちまんえん」「…はあ」。

 やられた。最終最後でドンデン返し。こちらが世間知らずなので足元見て、チップだ。もちろんこれは運転手ではなく、このバス会社がサクシュしたに違いない。しかし、それでも、これでなんとか信州へ行く足を確保できたので、僕は胸を張ってサークルの合宿前の打ち合わせに出席し、当日は朝間に合わないという連中を出町の下宿に泊めてやり、前祝じゃといってサーカスでバーボンを呑み、それでも足りなかったからカジマヤでトリスを買い、当然朝は二日酔いのムカついた気分のままバスに乗り込んだ。

 …。えーと、いつの間にか信州合宿の話のイントロダクションになっていました。さて、この合宿で何が起こってHさんは、その瞳から真珠のような涙を流したのか、また今回では後輩の危機を救ったT原さんが、実は下心行動委員会の主要メンバーであったというバクロ話は次のエントリーのこころだぁ~。ちゃららっちゃちゃちゃちゃちゃん~。



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コメント

私も居ました

エッチ本が 小指の無いおっさんに注意して 「しばくぞ、ワレ!」の事、よくおぼえています。まさか駅でヤクザとは。観光地京都も物騒な所だと知った貴重な経験でした。なぜ、あれだけの人数が 集まったのか…たぶん 2~3人で 暑い駅の床に徹夜は酷だろう、4人超えれば麻雀できるだろうしと 暇な有志が一緒にご一緒したのかな? 寝られなかったと思うのだけど、寝たんだろうね。あれだけの人数が居たのに 切符が取れなかったとは、没有面子でした(笑)。

あー、これは失礼しました

デューク先輩もあの時京都駅で泊まり込んでいましたか?メンバーはこのエントリーに書いただけだと思い込んでいました。こりゃ、もしかしたら他にもいたのかな。あのアンコ型のオッサンは忘れられないですね。とにかく二言目には「シバくぞ、ワレ~」でしたから。H本が突っ込んだ時も、あいつはクソ度胸があるというか怖いもの知らずだなと感心しました。しかし、こんな話を書くとは思ってなかったです。最初は、T原さんの話とM井さんの話でまとめるつもりだったんですが、この際なので行けるところまで行きます(笑)。

社会勉強でしたね

その当時よりも20年か15年か前の話ですが、親類のちと「いちびった」オジサンが京都近辺に住んでいて、どうやら「愚連隊」まがいであったと自慢されたことがあります。多分話を300倍にしてると思うのですが。
看板屋に勤めていたので歌手の興業の看板を作成することが多く、そのツテでなぜか楽屋に入ることもあったそうで、バンドマンらとその種の遊びをしたことがあると自慢されました。人生色々からたちからたちの花で知られる歌手は素顔は正反対の性格で立てひざでバンドマンと花札していたとかいろいろ言っていました(このあたりは彼本人の話ではないので別に脚色していなさそう)。

おじさんはその後地元に帰り、看板屋をしていましたが、仲間の中にはそのまま本物の愚連隊ー三下ヤクザになったものもいたのかもしれませんね。戦後社会民俗史ですね(笑

おおなんてこった

すいません、ハンドルネームスペリングミス:((((((
walker-brosです。

さらば息子は愚連隊ですか

などと、五木寛之の初期作品の言い間違いを思い出しました(笑)。興業の看板作りをしていると、楽屋に行って注文主と話をすることもあるでしょうし、一概に話を作ったとは思えませんね。特に、その女性歌手は後年、自称占い師に拉致監禁されマインドコントロールされて酷使される将来が浮かんでくるようです(笑)。

>仲間の中にはそのまま本物の愚連隊ー三下ヤクザになった

宮崎学あたりとつるんでグリコ森永事件のパシリをしていたかもしれませんな。

再び、walker-brosさんへ

ドンマイです。walker-blossomってハンドルネームを変更したのかと思いました(笑)。僕も以前のエントリーで、drac obというハンドルネーム見ると、間が抜けてる感じがしてしょうがないです。
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