過去への旅路その8 あい・おんりー・うぉな・びー・うぃず・ゆー

 阪急の茨木駅前で午前11時55分の待ち合わせだったので、摂津富田から1駅戻った。当時数少ない女性部員で、しかも同じ文学部の同級生だったH小姐との会食の待ち合わせをしていたからだ。デューク先輩を先導として、僕とマス坊はJRの茨木駅の改札を出た。ここでもう一人、75年度生のN谷君と待ち合わせていたのだ。デューク先輩曰く「N谷は、彼に会うという先入観をもって会うなら何とか大丈夫だけど、事前情報なしで街ですれ違っても絶対分からない」と力強く断言。うーん、僕も学生時代からすると、とても信じられないくらい大きくなったけど(口の悪い人は太ったとか、腹が出たとか表現するが、慎みとかたしなみのある人は貫禄がついたという。僕本人の認識は人間幾つになっても成長である。ただ上下の成長は既に完了したので左右とか前後に成長しつつある、という認識なのだ。ワハハ、オッサン、そろそろ夜の散歩でも再開しないかね)、N谷君はどういう風に変わっているのか。期待と不安でいっぱいだった。携帯で連絡を取り合っていたが、駅の改札近くのコインロッカーの前で会おうと伝えていた。

 改札を出て、コインロッカーの方に向かうと大笑いしているオッサンがいる。可哀想に連日の暑さで気がふれた人なんだろう。ああいう人とは視線を合わせないように、合わせないように、あれ、向こうがこちらにガンつけてくる。いや、関西ではメンチカツを食うといったか、いやいやメンチを切るとかいったな、あれをやってる、あれ、あのキツネ目の男はN谷君じゃないか?リュックを背負い、半ズボンというより七分の丈のパンツをはいて、Tシャツ姿のいがぐり頭は、間違いない、N谷君だ。彼とも四半世紀以上の再会であった。デューク先輩、マス坊そして僕と全員に対して、久しぶりの挨拶をして簡単に近況報告。そして何故かコインロッカーの前で記念撮影。通りかかったカタギの方にカメラのシャッターをお願いして、4人全員の集合写真を撮ることが出来た。

 荷物をコインロッカーに入れて、ようやく身軽になった体で今度は阪急の駅に向かった。茨木の駅前の商店街を一列縦隊、時々二列縦隊になりながら今どこに住んでどうしているとか、昔と比べてお互い随分変わったけど心は純真な少年のままだ、などと他人が聞いたらこいつらは大丈夫かと思われるような話をしながら阪急の駅前に向かった。そして、そこで34、5年ぶりでH小姐との再会。しかし、Hさん、学生時代と全然変わらなくてクリビツテンギョウ。いや、かえって若々しくなったというか、昔のイメージはおとなしい、ちょっと悪い言い方すると少し暗い感じがあったけど、今は明るい明るい。話し声の感じも大きく弾んでいる。もっとも、彼女はお母さんの介護を毎日しているというとても大変な状況で、いや、そういう状況だからこそ明るくなれるのが人間の強さかもしれないな、学生時代にこういう表情を見ていたら、もしかしたら惚れていたかもしれん、などと最後の方はややリップサービス気味な妄想(いやいや、オッサン、相手にも選ぶ権利があるというか、君なぞ相手にされなかった可能性が非常に高いのだが。まあまあそこを何とか、などとオレは一体誰をなだめているのだ、笑)をしながら、そして、いろんな雑談をしながら昼食の予約を入れているお店に向かった。

 約束していた時間より早めに合流できたので、お店の前に着いたときは予約時間より10分近く早かった。まだ「準備中」の看板がかかっていたので、店の前で総勢5人、とりとめのない話を続けた。僕とHさんはかれこれ34.5年ぶりだが、N谷君もマス坊も多分同じくらい久しぶりだとHさん。唯一、デューク先輩が2~3年前にHさんと会っている。そうそう、デューク先輩、Hさんと再会した時はわざわざその場から僕の携帯に電話をくれたっけ。そして、さすがに本人の前では言わなかったが、後日改めて電話があり「Hさん、ね。全然変わっていないよ。もちろん、年齢は重ねているけど、学生の時のまんま成長した大阪のおばちゃんになっている」と大変失礼なことをおっしゃっていた。あ、Hさん、オレはそんなこと思って、思ってなくはないけど、その、好きです。などとどさくさに紛れて愛の告白をしたりしていたのだが、お昼になってもお店は「準備中」のまま。いくらなんでもおかしいということになり、Hさんが入って交渉したら、『もう準備OKなのでどうぞお二階へ』とのこと。総勢5名はなんだかんだと言いながら階段を上った。

 広い座敷に客は僕達だけであった。エアコンも良く効いていて、汗がすぐに乾燥していく。先ずは再会の乾杯を、と昼ビーを注文するがモノホンのルービーは僕とN谷君だけ。後の3人はノンアルである。ノンアルでもまあ、見かけは黄色くて泡がでるので、これで十分だ。5人でグラスをぶつけ合って乾杯する。お互い、まさかこういう形で再会するとは夢にも思わなかったなどと声が出る。そりゃそうだ、僕だって7月に入り、今回のツアーの連絡をして、いよいよ明日明後日には出発というときにセッティングされた会食だ。本当は、僕とHさんと「二人だけのデート」(by ダスティ・スプリングフィールドだが、ここはやはり青春のBCRで聴きたい)の筈だったのだが、デューク先輩が「私も一緒に」、N谷君も「ワシもええやろ」、マス坊に至っては「僕も行きますわ」とあっという間に増えた。いやいや、これは照れ隠しというか、本当はこのメンバーで会食できて楽しかった。

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 さて、74年から77年の間に入学し、同じサークルに所属していたわけだから当然その時の話題、もっと正確に言うとその時の先輩・後輩の話になる。以前も書いたと思うが、僕がこのサークルに入った75年は非常に荒んだ年だった。どういうことかというと、サークル員の7割以上が男、それも九州・四国勢が圧倒的に多い。女性陣は数少なく、また研究会には出席するが授業の空き時間にBoxに来て一緒にダベるということが少なかった。そりゃそうだよな、階段や通路には薄汚いポスターやビラがべたべた貼られ、Boxの床にはタバコの吸い殻が散乱していて、椅子やソファのビニール部分はあちこちが引きちぎられて、中のクッションというかスポンジが露出していて、それを暇つぶしにムシル奴がいるので(僕もワン・オブ・ゼンだったけど)、そこに座るのもなんとなく憚れるというすさまじさ。よっぽどイケメン(これは唯一、同級生でE副というのがいたけど。ま、しかし良く考えてみると、あれは一種の逆冬山現象だったのではないか。つまり、周囲にいた男性部員が1週間も10日もシャンプーしていないような小汚い長髪だったり、ゲゲゲの鬼太郎に似ていたり、角刈りで咥え煙草でミラーのサングラスかけていたり、かまやつひろしに似ていたり、そんな奴ばかりいたので、そのなかで小奇麗でルックスも甘かったE副が異常に人気があったのじゃないか、などと考えたかったが事実E副君は良くモテた。ナンパも上手くて僕やN谷君のような女性の愛に不自由な連中に、恵みをもたらしてくれたことは1度や2度ではなかったと思う。長いな、このカッコ)でもいなければ、女の子が来て楽しい場所ではなかったと思う。

 それでも掃き溜めに鶴はいるもので、2学年上にU村さんとM井さんという憧れの女子部員がいた。U村さんという人は、ここでも何度か書いたが熊本のご出身で僕と同じく英文科、言語学の単位がなかなか取れず、『原爆許すまじ、O田妙(教授のフルネーム)許すまじ』などと言っていた。どちらかというとイメージは「わたしは泣いています」の「りりぃ」とかそんな感じ、いわゆる「やさぐれ系」。当然、僕と多分デューク先輩はこちらのファンでした。かたやM井さんというのは女子大の人で、見るからに清楚、京美人という感じ。ふんわりした感じの人でした。こちらは野獣派のN谷君なんかがファンでした。後は誰がいたかな、そうそうM井さんの同級生でM荷さんという人がいて、この人の名前が最初読めなかった。後は1年上に強烈な個性を放っていたS本さんという人がいた。この人の身を暴漢から守ったのに、僕がボロカスに言われたことは以前のエントリーで書いた。

 そして僕たちの同級生で今回一緒に食事をしたHさんと、いつもベレー帽をかぶって関西ブルース系のライブにしょっちゅう参加していたT永さんがいた。名前が非常にユニークな人だったが、実家がお寺さんだとこの時に初めて知った。今もかなり格式の高いお寺さんに嫁いでおり、いつものオレなら(by Panta)、何が寺じゃボケェ、などとめちゃくちゃ書くところであるが、いやいや、そういうことをしたらあかんぞ、とやや自主規制が入るくらいのお寺さんであった。え、でもT永さんて最初はS戸と付き合っていて、その後I上さんに乗り換えたんとちゃうか、などと暴言を吐くのは僕、だけではなく今回はN谷君がいたから心強かった(笑)。

 もう一つ余計な話をすると、1年下にも女子部員が少なかった(2年下になると、どういう訳か一気に増えたが)。その数少ない女子部員にK瀬とK繁という仲良しコンビがいた。この二人も女子大だったが、どちらも背が高く肩幅があって、なんというか、その貫禄があるというか物怖じしないというか、そういうタイプの子であった(どんなタイプやっちゅうねん、笑)。要するに「ごつい」のである。もっとも、英会話などは個人レッスンを受けており、一度オカマ喫茶にその先生を連れてきたことがあった。僕が接客したのだが、余計なことに僕を英文科の学生だと紹介しやがって、おかげで紅毛碧眼人になんだかんだと話しかけられて、これは学園祭のイベントなのか英作文の授業なのかと冷や汗ものだった。それでも、その先生がニュージーランド出身だと分かったので「フィル・マンザネラがプロデュースした『スプリット・エンズ』を知っているか」と聞いたら、大いに喜んでくれて、「お前はendにsをつけて発音したが、あれは『enz』つまり枝毛のことだ」と教えてくれた。そうか、それで鉄腕アトムみたいな頭をしているのかと納得した。

 違う、違う、この話じゃなくて、要するに英語がペラペラだけどごついおねいさん二人が、何とJALのスチュワーデスとして就職してしまったのだ。その事実を知った時に思わず「え、なんでや、スッチュワーデス、ちゅうのは『容姿端麗』が条件ちゃうんか」とBoxで絶叫したら、ある後輩に、その条件はちょっと女性蔑視の感じがあるので今年から廃止されたなどと教えられた。でも、お前、高いオゼゼ払って飛行機乗るのに、スッチュワーデスがK瀬かK繁、場合によってはその二人が同時に搭乗して来たらどうする、え、どうするんだと逆上したら、その後輩も苦しそうな顔をしてうーんとうなったきりであった。



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コメント

なんちゅうか 本中華 不思議なことに

宴席で申し上げた様に 私が仕事でウロウロしている駅の 一つ東の駅にH小姐がいて、私は、H小姐近くのマクドナルドに行くことが有るばかりか、H小姐の隣の建物に行ったこともあるのに 知らなかったわけですし、南に一駅行くと 疎遠になっているのが残念ですが、S戸君がいるのです。この分だと 西か北に2~3駅行けば、T.F田君がいるのではなかろうかと言う気がしてきました(笑)。U村さんは、年下から見れば姐御、年上から見たら小悪魔みたいな感じでしょうか。でも誰に似てるかと例えるのは難しいですね。フェロモンムンムンですが、 色気オンリーでは無いし、男に囲まれて、酒とタバコをやっている姿は、まさにプカプカの歌詞に出て来る女・・・ミステリアスな美人でした。近影は、リリィか安田道代が歳を取ったような感じですね。普段は、和服でも着て、過去を感じさせない雰囲気なのでしょうか。来年こそサプライズ訪問してみたいものです。「住所お所もわかっているので、見ず知らずの電車に乗って、土産はUCCカミジマコーヒーと けん価盤のLPを持って、一緒にご一緒しましょう。by T.F田」(笑)。

広くようで狭い世界ですね(笑)

実は、あちこちで当時の連中と出会ったりすれ違っているのかもしれません。今回のように誰と誰にいつどこで会うと分かっていれば、見逃すこともないのでしょうが、確かにN谷君と梅田ですれ違っても分からなかったと思います(笑)。

U村さんは、何とかコネつけたいですね(笑)。会ってしまえば何とかなると思うのですが、やはり老舗の女将となると敷居が高くて・・・。それと、F田君の消息を知りたい。いったいどこで何をしているのか、まさか南港の底で「それどころやなかったんや」なんて言ってないだろうな(汗)。
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