過去への旅路その7 ザ・ウェイト

 連日のうだるような暑さも、時に部屋に吹き込む風に秋の匂いがほのかに感じられる今日この頃ですが、皆様方はいかがお過ごしでしょうか。僕はと言えば、最近時間があるとすぐ寝てしまうという悪い癖がついてしまい、昨日も板の間に茣蓙を敷いて昼寝をしていたところ電話の音で目が覚めました。携帯ではなく固定の電話です。固定にかかってくる電話というと高齢の親戚関係か、あとはセールス電話で、これは電話を取った人間の口調でどちらかすぐ判断できるのですが、昨日はちょっとニュアンスが違いました。バカ娘1号が取ったのですが、どうもリアクションが普段と違い「父ですか、少々お待ちください」などと、お、あいつも敬語の使い方は全然知らないわけではないな、こういうときに「お父さん」なんていう若い世代が多くてイカンな、このあたり国語教育に携わる関係者はどのように考えているのかなどと寝ぼけた頭で考えていたその場に受話器を渡されたので、当然「もしもし」と出てみた。余談だが、77年度生で今は没交渉になっている岡山出身のM原君の父君は電話に出ないことで有名だったらしいが、それでも周りにだれもおらず本人が取らざるを得ない時は、「もし」と一言言って取っていたらしい。「もし」というと連想するのはブレッドのヒット曲か、夏目漱石の『坊ちゃん』くらいである。で、その電話であるが、出てみると図書館からで、予約していた本が入ったので1週間以内に取りに来いと言う。

 図書館に本を予約した覚えは無いし、ついこの前4冊借りたばかりだったが、仕方がないので読み終えた本の返却もかねて行ってみた。貸し出しのコーナーで渡されたのは『父・金正日と私』であった。思い出した、新聞の書評で見て面白そうだがお金を出して買うほどもないと思い、図書館に予約を入れておいたのだ。しかし、かなり前のことだったので本人もすっかり忘れていたわけだ。ちょうど、日中関係、日韓関係そして日朝関係が微妙な時期に差し掛かっていて、今後はどうなるのかいろいろ考えることも多いし、ここでの対応いかんによっては我がポンニチの将来もずいぶん変わってくるなどと柄にもなく考えたが、まあ、オレが考えても碌なアイデアは出てこない。小人閑居して不善を為すである。ちょっと意味が違うか。などと近況報告をチラリといれてみました。さて、過去への旅路の2日目に行ってみましょう。

 前日の夜の宴について、ちょっと書き忘れたことがあったので、先ずはそこから始めます。僕とマス坊は19時から呑みはじめたのだが、メンバーがあらかた揃ったのは20時過ぎくらい、そして最後のT花君が来たのはもう22時近かったのではないか。このあたり、記憶があいまいである。間違っていたらご指摘お願いしたい。その酒席では、さまざまな話題が飛び交ったのは前回も書いたが、何しろ75年度生の僕に77年度生のマス坊、78年度生のネルシャツO畑君、79年度生のsugarmountain君、80年度生のF田君、ここまでは実際にBoxで顔を合わせていたメンバーで、最後に来たのが86年度生のT花君。彼と僕は11年の差があるわけで、そうなると当然僕がリアルで知っているサークルメンバーの話と、僕が全然知らないメンバーの話と2極化するのは当然である。そして、今ふと気がついたが、80年度生のF田君と86年度生のT花君は5年あいだが空いているので、通常であれば面識はないと思われるのだが、その時の呑み会では全く違和感なく喋っていた。そうか、この飲み会の1週間前にも元DRACの連中の呑み会があって、そこで知り合ったのかとも考えたが、そのあたりはどうなんだろう。

 おっと、余計な話に時間を取られた。呑み会の話なので、あとは駆け足で簡潔に書く。F田君の問題発言、「あの人たちはもう犬畜生かケダモノかと思った」一同爆笑。T花君の先輩とて容赦はせんぞ発言、「sugarmountain先輩のblog、面白いしとても参考になります。流石は『鮫肌音楽』」「オレは鮫肌文殊か!!!でも、そのネーミングいいな、アナザー・blogとして開設しようかな」。ネルシャツO畑君の問題発言、「あの時、清友荘でみんなが寝静まった後に…」。わー、やっぱり書けません、とてもじゃないけど書けません。もう、若かったからって何でも許されるわけじゃない(汗)。でも、書いてみたいと思う気持ちもあるけど、やはりここは良心と良識に従って、そう、仮にも新島先生の薫陶を受けた人間として、この場に出た話は一切公表せずに墓場に持って行きます。でも、どんな話か聞きたい人はメールをくれれば、ってこらこらそういう無節操なところが70年代じゃな、フォッフォッフォッってオッサン人格が崩壊したんかい。

 などと、いったいどんな話だったのか何も見えないまま、その夜の宴は終わり、翌朝は8時半にロビーでマス坊と待ち合わせをした。9時半にはJRの摂津富田駅でデューク先輩と合流し、その足で松原君の実家に案内してもらう約束になっていたからだ。ホテルのサービスの新聞をバッグに詰めて、二人して地下鉄の駅に向かった。梅田までいったん戻り、そこからJRで摂津富田に向かうのだが、地下通路でマス坊が立ち止まる。こちらは黙ってついていくだけなので、やや不安はあるが何と言っても関西在住50云年の男だから、まさか乗り換えが分からないということもあるまい。30秒ほど天井の標識を見ていたマス坊は小さく、しかし力強く「よし、こっちや」と歩き始めた。勿論、以下同文でついて行く。しかし、どうも先ほど通った通路のような気がする。阪神百貨店だったか阪急百貨店だったか、同じような入り口を通ったような気がするなと思っていたら、またもや立ち止まった。たまりかねて「マス坊、大丈夫か、道間違ってないよな」「多分…」「なんや、お前、多分て、メイビーとかパーホップスの話はワシ嫌いや。アイムシュアの話でいこや」などと昔ならった英単語の話などを出して笑いを取ろうとするが、マス坊にこりともせず、「最近このあたり全然来てまへんのや、ようわかりませんわ」などと不安なことをいう。

 しかしながら、我がポンニチの地下通路はその昔の地下水道のようなことは無く、案内板に従って行けばちゃんと目的地に着く。9時過ぎの電車に乗って摂津富田に向かうことが出来た。途中、デューク先輩からメールが入り、「摂津富田に到着しました。目立つように ジャニスジョプリンの黒地にカラー写真のTシャツを着てます。」などと書いてある。マス坊にそのメールを見せていたら、摂津富田の駅に着いた。ふと窓越しに見ると、物凄く派手な格好をした人物が見えた。四半世紀以上は会っていないが、デューク先輩に間違いない。改札を抜けて北出口から外に出ると、「熱烈歓迎 (僕の実名)先生御一行様」と書いた紙を持った怪しい人物が立っていた。アポロキャップにジャニスのTシャツにサングラスという、まるで東南アジアの人買いのようである。女衒の達という『麻雀放浪記』の登場人物を思い出した。久しぶりの再会を祝して一杯という訳にもいかず、とりあえずバス停に向かいながら3人で近況報告をしながら歩く。しかし、今回の旅で感じたのは学生時代の先輩・友人・後輩というのは長期間会ってなくても再会して一言二言交わしただけで、あっという間に昔の感覚に戻れるから嬉しい。

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 バスを待つ間に(by 平浩二)、本日お昼に合流する予定のN谷君にメールする。午前中に松原君の実家を訪問した後、茨木市で同じく75年度生のH小姐と一緒にランチをする約束をしているので、その確認である。関西に着いて2日目なのに、一気に大学時代の仲間と再会が出来そうで感無量である。そうしているうちにバスが来て、3人で乗り込んだ。バスは街中の道を大きく左折したり、右折したりしてだんだん坂道を上っていく。20分くらい揺られて降りたのは山を切り開いて出来た住宅街という感じの所だった。そこからさらに坂道を歩いていくのだが、午前10時だというのに太陽は容赦なく照り付け、僕は昨日持ってきた大きなショルダーバッグに、松原家の手土産に買ったお菓子の入った紙袋とT花君が持たせてくれたお土産の袋をもって、汗をだらだら流しながら歩いた。しかし、しかしである。こういうことを書くと嫌われるとは百も承知であるが、マス坊。こういう時はウソでもいいから「センパイ、1個くらい荷物もちましょか」くらい言うものだよ。ん。この日京都に着いてからはデューク先輩は荷物を1個持ってくれたぞ。ウソでもええねん。気持ちやねん。それからお前な、前の日にオレとホテルで雑談してた時、オレが「のどが渇いたな。ビールでも飲みたいけどsugarmountain君はまだ仕事中だからコーヒーでも飲むか」というたら「ハイ」て返事したけど動かんかったやろ。結局オレがコーヒー買いに行かざるを得なかったやないか。ああいうときもやな、「センパイ、僕一走りして買うて来ますわ」ちゅうのが後輩としての道ちゃうか。え、どないや。などと心の中でこぼしているうちに松原君の実家のある場所に着いた。

 山の一角を切り開いて作った分譲マンションが多分10数棟は立っている広い団地であった。煉瓦で出来たペイブメントが幅広く、街路樹もたくさん植えてありその木陰の中を歩いた。目的の棟に着いて、デューク先輩がオートロックのインターフォン越しに我々が到着した旨を話した。松原君のお母さんの声が聞こえた。オートロックのドアが開き、そこから少し歩いて部屋の前に来た。再度インターフォンを鳴らすと、ドアが開いて多分35、6年前にお会いして以来のお顔がそこにあった。応接間に通されて、デューク先輩が僕とマス坊を紹介してくれた。僕の名前を言うと「ああ、お兄ちゃんからしょっちゅうお名前は聞いてました。九州からわざわざ来てくれはったんですね、ありがとう」と何度も頭を下げられた。顔つきや声の感じは以前お会いした時とそう変わらないが、明らかに体力は弱っているというか、精神的なものと年齢的なものとが重なっているんだろうと思った。このマンションに病気療養中の松原君と一緒に暮らしてらっしゃったが、彼が亡くなった後は独りで生活をしているという。もっとも、松原君の弟たちが1人は直ぐ近くにいるし、もう1人もそれほど離れていないので何かあっても安心だと言われる。しかし、ご主人を亡くして間もなくご長男も亡くされたのだから、その時の心労はいかがだったろうか。察して余りある。

 仏壇に通してもらい彼の戒名を見ながら線香を上げさせてもらった。心の中で、「随分遅くなってスマンな。ま、オレのことは良く知ってる松ちゃんだから、いつもの苦笑いを浮かべてるだろうな」と手を合わせた。彼の亡くなった時、その前後の話を伺いながら飲み物を進められただが、頂いたのは缶チューハイ。昨日の酒も結構残っているし、これから昼はまた会食で多分、いや間違いなく呑むだろうからちょっと躊躇したがデューク先輩もグレープの缶を取って呑んでいるのでオレも覚悟を決めて呑んだ。良く考えてみれば、松原の家で、松原と呑んでいるのである。何の遠慮があるもんか。下戸のマス坊はコーヒーを頂いていた。オレもコーヒーにしておいた方が、と一瞬脳裏をかすったが、松原が「なにいうてんねん、オッサン。オレんとこに来て、シラフは許さんで」といったような気がして、さらに缶チューハイを煽った。今、冷静に考えてみると松原君がそういったという確証はなく、要するにオレのスケベ心が日中飲酒の正当性をこじつけようとしていただけのような気がする。しかも、後で分かったのだが、デューク先輩も健康のためお酒は控えており、その時の缶チューハイはノンアルだった。ノンアル2人に対して僕は、アルアル一点突破主義を貫徹したのだ。ま、いいか。

 応接間でいろいろ話を伺い、松原君のすぐ下の弟さん(車を持っていたので、僕達がイベントの情宣をする時に協力してくれた。文句も言わずあちこち走ってチケットを配ったり、売り上げの回収に行ってくれたりした。ちょっとツイストの世良に似ていた)が、会いたがっていたが仕事で来れないので宜しく伝えてほしいとか、その下の弟さんは昼くらいには顔を出せるなどと話がでた。そして、タイミングを見て彼の部屋を見せてもらった。写真を撮っていいか尋ねたら快く許してくれた。彼の部屋に入ると、北白川の伊東荘の雰囲気が少し残っていた。アナログレコードと本とさまざまなJRのお土産品(彼の亡くなった父君は国鉄職員だったのだ)。机の上には、彼の書いたキャッチコピーや弔問に来てくれた人たちの名刺やはがきなどが沢山並んでいた。その名刺の1枚を見て僕は固まった。学生時代、一緒にマーマレードというミニコミを作っていたのだが、その編集長だったMilk氏のものだった。尋ねてみると、つい先月ここに来て線香を上げて行ったらしい。そうか、もしかしたらこの家で彼とも再会できたかもしれないと思うと、人と人との縁の不思議さを感じた。

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 彼の亡くなる前の写真を見たが、学生時代とそれほどイメージは変わらなかった。相変わらず強面の顔である。前日、F田君が「松原さんは怖かった。どんな人やったかって(T花君に向かって)、そやな、布袋、顔は布袋で目つきはもっと鋭かった」などと形容した、確かに知らない人間が見たら視線は避けたくなる顔ではある。しかし、驚いたのは彼の小さい頃の写真で実に可愛いのだ。お母さんも「小さい頃は、可愛いお兄ちゃんやったけど、いつくらいからやったか、もうごっつい怖い顔になってしもて」と苦笑交じりで話をされた。彼の机にはいろいろなノートや手帳などが置いてあり、仕事に使っていたものだと説明を受けた。そのうちの1冊のノートをお母さんは僕らに手渡し、「これは亡くなる前につけていた日記です。もう字が読めないくらい汚くなってますけど」。確かに、彼の力強く独特の文字とは異なる文字列がそこに並んでいた。

 彼は大手の広告代理店で働いていたが、やはり向上心の強かった男であり、独立することになった。そして事務所も借りて、今まで以上に頑張って仕事に打ち込んでいる中、病で倒れてしまった。そして、そのリハビリを兼ねて実家で暮らしていたのだが、ある日生命の灯が消えてしまった。友人たちは、少しずつでも社会復帰し始めたと思っていただけにとてもショックで、彼のことを惜しんだ。彼と一緒に何かをやったことのある人間は、もちろん仕事も遊びも、そしてイベント関係も、彼のその独特のキャラクターと裏表のない誠実な性格にひかれて親しく付き合ったと思う。もっとも多少、個性的な性格だったので絶対波長が合わない連中も結構いただろうし、彼もまた人の好き嫌いが結構激しく、あいつは嫌いだと思うと容赦のないところがあった。もっとも、その嫌っていた人間であっても意外な一面を見てしまうと、特に義理と人情関係だが、ぱっと評価を変えて、「あいつもあんなしてるけど、結構いい奴やで、drac-obさんも、そんな毛嫌いせんと付き合うてみたら」などと屈託のない顔で言うこともあった。

 彼の最後の日記を読んでいて僕は思わず声を上げた。その日記には病気から立ち直ろうとしていた彼の行動、特に仕事の再会や昔のDRACの仲間との付き合いのことなどが書いてあったが、その中に僕の名前が、それもフルネームで書いてあった。『××××(僕の本名)氏と打ち合わせ』と日付と時間が書いてある。そんなはずはない。彼が亡くなった時、僕は九州に住んでいて、学生時代の連中とは年賀状の交流もない、全くの没交渉だった時期だからだ。何かの間違いか、松原君の勘違いだろうと思って読み進んでいくと、僕の名前が何度も出てくる。どうやら、僕と同姓同名のコピーライターがいて、その人と一緒に晩年は仕事をしていたようだ。しかし、デューク先輩に聞いてもお母さんに聞いても、どんな人か心当たりはないという。何とも不思議な感じがして、彼の部屋を後にした。

 もうすぐ、一番下の弟が来るからという松原君のお母さんのお誘いを、昼に約束している友人たちがいるからと言って丁重にお断りして、お暇することにした。松原君のお母さんは何度も何度も頭を下げ、特にデューク先輩にはいつもいつもお世話になりますといいながら見送ってくれた。彼の住んでいたマンションを出て、今度は下り坂になっているペイブメントを3人で口数少なく歩いてバス停に向かった。今回の過去への旅路で一番やりたかった松原家訪問は無事終了した。これから茨木市に向かって、同級生だったH小姐とN谷君とも合流し一緒にメシを食い、それから、京都に向かうと思うと足取りは軽かった。足取りは軽かったが、荷物は相変わらず重い。いや、松原君のお母さんが、これ持って行きといって缶チューハイを5,6本くれたので、更に重たくなっている。おーい、マス坊、こういう時はウソでもいいから、一言「センパイ、荷物持ちまひょか」くらい言うんやぞ。



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コメント

彼の部屋

その節は お疲れ様でした。私は、あの日だけでなく、だいたい 東南アジア(特にタイやフィリピン)の 怪しげな現地人ツアーガイドの雰囲気ファッションなのです。次にお目にかかる時も 似たようなものだと思います(笑)。貴殿と漢字まで同姓同名の人物の存在には、ビックリしましたね。大久保清の表札は、京都で三軒見た事があるが(笑)。私も 晩年の松原君には 顔のでこぼこ具合を含めて、布袋寅泰を 感じてました。彼が住んでいたマンションの部屋は、入って左側の壁に まず スチール製の本棚が置いてあって、本がぎっしり。書店のカバーをかけたままってのが 落ち着くのか、6~7割は カバーがかかってて、タイトルが わからなかったです。残りのカバー無しが 古書だったのかな。その先のスチール棚に LPが収納されてました。床にはプロレスの雑誌やビデオが積み上げてあって。懐メロ洋楽ロックをかけることは、リクエストしたらかけてくれましたが、ほとんど無く、イディオット・オクロックとか、メジャーでない日本のロックをかけることが 多かったですね。ラリーズは かけてたけど、頭脳警察も村八分も かけなかったです。マス坊さんも お疲れ様でした。何のご接待も出来ず、すみませんでした。貴殿のオーディオ蔵で 夜通し騒ぎたいものです。

その時期の彼のことは

僕は全く知らないのです。D大職員になったK君の結婚式か、その前後に当時勤めていた会社の社員旅行で関西に行った時にあったきりで、その後は自然消滅的に音信不通になりました。プロレスはエスエル出版の絡みで、彼の薦める本を何度か買ったことがあります。

>貴殿と漢字まで同姓同名の人物の存在

しかし、これは本当にびっくりしました。世の中、こんな小説みたいなことがあるんだとつくづく思いました。一度、何とかして接触してみたいような、このまま知らないほうがいいような複雑な気分です。マス坊の蔵で夜通し大騒ぎって、ナイスなご提案ですね。可及的速やかに解決したいと考えます(笑)。

補足しますと

あの日は、彼の思い出話が大半でしたが、松原君の実家にお邪魔する時、彼の思い出に関する話は、2割程度です。色々 思い出されても お母様は お辛いでしょうし、独り暮らしだと 誰とも 話をしない日も あるだろうから お母様が 誰でもいいから話したい事、聞いて欲しい事を お聞きするのが 8割ですね。数ヶ月に一回位、お電話する時も そんな感じです。

ああ、そこまで気が回りませんでした

なるほど、確かにその通りですよね。僕は、ようやく彼の家に行けたことが嬉しくて、つい彼の思い出話を延々としてしまい、かえってご迷惑をおかけしたかもしれません。そういう意味では、今回お邪魔したことがありがた迷惑だったかもしれませんね。生きてる人間は構わないけど、亡くなった人の家庭は、難しいなぁ。いろいろ指摘してくる輩もいますし・・・。
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