過去への旅路その6 すべての若き野郎ども

 ここ2回ほど、ちゃんとしたエントリーではなく写真付絵日記でお茶を濁してきた拙blogですが、しかし一度知った禁断の味はいかんともしがたく、2回やるも3回やるも同じや、毒を食らわば皿までというやないか、もう1回くらいは絵日記でエイントチャウ。いや、いやそういうことばかりやっているから人間がダメになるのだ。話というのは起承転結をしっかりつけてこそ話であって、ただ感情まかせに適当に書いてしまってあとは知らん顔というのはいかんのではないか。というような葛藤が心の中で起こっていた。それで、やはり話はちゃんと書いていかないといけないという原則論が勝利したので、ちょっと時間をさかのぼり旅日記は初日に淀屋橋のホテルに着いたところから再度始める。

 ノックの音がした。という切り出しで始まる星新一のショートショート集があったな、などとまたもや余計なことを書いて脱線しそうになったので、もとい。ノックの音がした。返事をして扉を開けるとマス坊が立っていた。髪に白いものが目立つが、背も高く腹もあまり出ておらず、どちらかというと筋肉質で凛々しい顔になっていた。僕の記憶にあるマス坊はいつも少し猫背で顔が丸くて少し赤く、何か話すときはぼそぼそと小さい声で喋る。普段そんなに冗談を言わない男であるが、普通に話す世間話が妙に可笑しい。まあ、サークルでも目立つ方ではなかったが、弱小ブルース班を再建し、発展させてきたのは彼の力量である。

 先ほど、ホテルの内線電話で声を聴いていたので、多分四半世紀ぶりだというのに、つい昨日別れたような感じで話が始まった。彼は生粋の京都人で、小・中・高・大とずっと同じ家で育ち、そのまま地元で就職したので彼の年齢イコール実家での居住年数という、なかなかにレアな人である。要するに下宿生活というか独り暮らしという経験が無い。そのせいか、よく僕の下宿に泊まっていった。終電どころか、まだまだ帰りの電車が充分あるのに「drac-obさん、今晩泊めてもらえまへんか」と研究会の後などに言ってくることがあり、僕もちょっとでも賑やかなほうがいいので帰り道の酒屋でビールや日本酒を買って、一緒に呑みながらバカ話をしたものだが、如何せん彼はお酒が弱い。ビールをコップ一杯飲んだだけで真っ赤になり、多少陽気にはなるがそれ以上は呑まないし、暴れるようなこともしない。当然、割り勘で買ったサケの9割以上は僕の胃袋に収納されるという非常にありがたい後輩であった。

 そのマス坊と、かれこれ26~7年間のお互いの消息についての話だとか、共通の先輩や後輩の消息についての話をしていたのだが、その時に嬉しいニュースの一つにネルシャツO畑も今日の呑み会に参加するという話があった。このネルシャツO畑君というのも、ユニークというか変わり者というか、何しろ1年365日毎日ネルシャツを着ているのだ。1年中ですよ、1年中。京都の真夏のあの炎天下の中を緑のネルシャツを着た彼の姿を見るたびに、「お前、暑くないんか。ネルシャツ脱げや」といっても「いや、大丈夫ですわ。わははは」と何故か力強く笑う。また京都の冬は物凄く寒い。秋でさえコート無しでは寒いと加川良が歌ってるくらいだから、1月や2月という時期はとんでもなく寒い。その寒い京都の冬、比叡おろしが吹きすさむ中、彼はネルシャツ1枚で大阪から登場してくるのだ。さすがに真冬は手に軍手をはめていた(後年、妹からもらったという赤いスタジャンを着てきたことがあって、その姿を見たときに僕は「立身出世」ということはこういうことかと妙に納得したが、良く考えてみると全然「立身出世」ではない)。見ているこちらが寒くなるので「O畑、お前、いくらなんでもその恰好は寒すぎるやろ」というと「いや、両手をグーで握りしめて手をまっすぐ伸ばして歩くと、案外さむくないんですわ。わははは」と、これまた力強く笑う。

 このネルシャツO畑君が、マス坊の直属の後輩でブルース班の後継者だった。あれ、そのほかにブルース班はいたかな。あ、いたいた、マス坊と同級のH本も確かブルース班だったけど、ほとんど影が薄い。というかマス坊とネルシャツO畑の二人のキャラが濃すぎて他のメンバーの印象がなくなるのだ。

 この二人、ブルースはかなり聴きこんでおり、ブルースで何か分からないことや知らない名前が出たら尋ねるのだが、知らないということが無かった。またレコードもコレクターで半端ではない枚数を所有していた(そのコレクションがどれくらいになったかは、その夜の宴で判明するのだが)。僕は、ブルースはあまり得意ではなかったが、T・ボーン・ウォーカーがどうしたとか3大キングがなんたらとかエルモア・ジェイムスがどうしたとか、やはりRCAブルースの古典は名盤であるとか、そういう分かる人には分かる話をしていたものだ。しかし、この二人の本当の本質は次の会話で判断できるだろう。

 「マス坊はん、キャンディーズ、そんな好きなんですか?」「おう、誰がなんちゅうてもワシはランちゃんや」「ランちゃん、そんなええかな。ま、カワイイいうたらカワイイですけど」「アホ、お前、ランちゃん最高やぞ、ああ、ランちゃんと結婚したいわ~」「え、まだ若いのにもう結婚ですか?」「そや、結婚したらお前、毎日ランちゃんとデキるんやぞ」「毎日、ですか。そらええですな。ワシもそれやったらランちゃんと結婚したいわ」「何言うてんねん、先にいうたのワシやないか、ワシが先や。ワシが飽きたらお前に譲ってもええわ」「あ、そうでっか、そら楽しみですな」。

 「お、マス坊、それなんや(今度はワタクシです)」「あ、これでっか、キャンディーズの新しい写真集ですねん」「お、ちょっと見せてみ」「いや、ほんでこれですけどな、この間買って家に置いてたら、ツレが遊びに来て一晩貸せいいますねん。まあ、返してくれたらええいうて貸したら、そいつなんちゅうたと思います?」「なんちゅうたんや」「『ラッキー。これで今夜のおかずが出来た』いうて1週間返してくれまへん。この前からやっと催促して、今日取り上げて来ましてん」「わ、なんや、バッチィ感じするする思たら、使用直後かいな。もうええわ」。

 えー、良識と品位で売ってる拙blogにこのような下世話な話題はいかがなのものかとアップするのを躊躇していたのですが、何しろ今回のタイトルは『過去への旅路』であり、まだ僕たちが10代後半から20代前半だったAll The Young Dudes時代の話なので、社会主義的リアリズムを貫徹するためには、多少のシーモネータ話も出てくるという教訓でした。とまあ、弱小ブルース班を支えたお二人の人となりを多少でも分って頂いただろうか。そうそう、それとネルシャツO畑君には「巨人のハラ事件」というのもあった。これは、確か79年か80年の鳥取夏合宿の話である。夏合宿はほとんど毎年鳥取の民宿に行っていた。交通手段は大多数はJRでのんびり行くのだが、車を持っているプチブルな連中もいて、その車に3、4人便乗して行きガス代などを割り勘にすると結構安くで行けた。しかし、ネルシャツO畑君は、ブルース班である。ワイルドなのである。大阪の自宅から原付で鳥取に向かったのだ。

 大阪鳥取間はおよそ200キロメートル。原付で時速40キロで走ったとしてもノンストップで5時間である。途中、休憩や食事を入れると半日はかかったはずだ。あ、原付じゃなくてカブだったかもしれんが、とにかくヤマハメイトとかラッタッターなんていうCMソングがまだまだ幅を利かせていた時代に、大阪から鳥取まで原付で走った勇者なのだ。途中でガソリンを補給しながら、当然本人も水分や食料を補給しながら鳥取までたどり着いたのだが、民宿にたどり着く直前、国家権力が検問を行っていた。「オイ、そこのバイク、ちょっとこっち来い」「あ、何でっか」「何でっか、やない。ワシが呼んだら国家が呼んだのといっしょや、もうちょっというと畏れ多くも賢くも天○陛下が呼んだのと一緒じゃ、きりきり歩いてこっちこんかい」「はあ、ちょっと急いでるんやけど」「どっから来たんや、兄ちゃんは」「ワシですか、ワシ大阪から来ましてん」「ええ加減なこというな、ここは鳥取や、大阪からそんなちんまいバイクで来れるか、アホ」「いや、ホンマですねん」「お前、なんや怪しいな、とりあえず免許証出せや」「免許証ですか、ほな、これ」「…。お前これなんや」「免許証ですけど」「アホ。免許証にお前何を貼ってるんじゃ」「おもろおまっしゃろ」「アホ、おもろいことあるか!!!」

 おまわりさんが手にした免許証にはシールが貼ってあった。その頃、ガムだったかチョコだったか50円くらい出して買うと、ナンセンスなイラストのシールが入っていて、結構人気はあった。しかし、いくら人気があったからと言って、大学生が免許証の自分の顔の所に「巨人のハラ」とかいたシールを貼って、貼るだけならまだしも検問の警官に堂々と提示するのはどういう神経だったのか。そのシールのイラストはジャイアンツのユニフォームを着たデブが腹を露出しているものだったので、確かに「巨人のハラ」である。ところが、このおまわりさんがジャイアンツファンだったかどうかは知らないが、免許証というものは公文書であり、勝手に加工したりするとお上は怒るものだということを残念ながら、ネルシャツO畑君は知らなかったようだ。その後、散々説教されて始末書か何かを書かされてようやく解放された。いつまでたっても民宿に来ないので、心配していたらこういう出来事があったのだ。「鳥取のおまわりはセコイわ。大阪やったら笑って許してくれるちゅうのに」というのが、彼の感想だった。いや、多分、間違いなく、大阪でも怒られると僕は思った。

 そんなバカな話をしているうちに、時間は過ぎて行った。この日は18時過ぎにsugarmountain君がホテルに来て、3人揃って呑み会の会場に向かう約束になっていた。そろそろ時間だと思っていたところに、仕事の関係で約束の時間に行けなくなったとメールが入った。ネルシャツO畑君も仕事帰りに来るとのことで19時半くらいになる予定だし、他の参加メンバーも集合時間の19時に来るかどうか怪しい。それでも、少し早めに僕とマス坊はホテルを出て、予約していた呑み屋さんに向かった。真夏の大阪は、太陽は少し傾いていたが、アスファルトの熱気はまだまだ強烈で前方には陽炎が見えるようだった。約束の19時よりだいぶ早く会場についてしまい、目の前の御堂筋を走る車を眺めながら参加予定者の連絡を待っていた。誰も何とも言ってこない。大丈夫かなと思いながらも時間が来たので、お店に入った。

 店は鳥舞台という名前の居酒屋で、19時だというのに結構な人数が集まって飲み食いしていた。マス坊が予約していたので、僕達はテーブル席ではなく奥の座敷風のコーナーに誘われた。奥に4人、手前に4人、コーナーを入れると10人はゆっくり座れる座敷が、左右2か所あった。もう片方は、何やら会社の仲間の宴会みたいで、結構出来上がった男女たちだ。僕はマス坊と生ビールを注文し、焼鳥や串カツなどそのお店の自慢の料理を適当に注文した。昼過ぎに宮崎を出て、夜にはもう大阪でビールを飲んでいる、そして目の前には学生時代の後輩がいるという状況が、ちょっと夢の中のようでビールの回りも速かった。お腹もへっていたし、のども乾いていたので軽快なピッチでジョッキのお替りを頼み、昔はつまみと言えばキャベツとか、あたりめとかシシャモなんかを頼んで、それを時間をかけて食べていたワタクシであったが、今は食うことこそ生きがいみたいになってしまい、バンバンつまみを頼むのでマス坊はちょっと呆れているようだった。時間も30分以上過ぎるが誰もやってこない。O畑君がそろそろ来てもいい時間だとマス坊に話しかけたら「ほな、電話してみますわ」と携帯を取り出した。

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 「あ、もしもし、O畑か、今、どこ、え、店に来た。あ、奥や奥の座敷でもう始めてるわ」というマス坊の声と「え、どこですか、奥、座敷、さっき行ったんやけど」という返事が同時に聞こえる。これはもしかしたら、テレパシー、ではなく何とO畑君はとっくの昔に呑み屋にたどり着いており、奥の座敷ものぞいてみたが、知らないおっちゃんが二人で呑んでいたので、場所を間違えたと思って一旦出たらしい。それでも店の名前も間違いないで、もう一度入りなおしたところにマス坊からの電話が入ったわけだ。ということで、78年度生のO畑君も合流。彼は体形も顔つきも全く変わっていなかった。髪もほとんど真っ黒で、しいて言えば顔にしわが刻まれており、それが大学を出た後の彼の時間を物語っていた。「懐かしいですな~、drac-obさん。何年振りですかね~」と話しかけてきたが、いや、懐かしいのはこちらも同じ。しかし、まさかこうして元ブルース班の二人と一緒に呑める日が来るとは夢にも思わなかった。

 こうして3人になって話が盛り上がって来たところに「遅くなりました」と言って乱入してきたのがsugarmountain君と80年度生のF田君。sugarmountain君とは、5~6年前に僕の地元で会っているので、違和感が無いがもう一人のF田君は、これはもう何も知らずに街ですれ違っても絶対分からないだろうという別人28号になっていた。僕の記憶にあるF田君はレイバンのサングラスをかけたチリチリパーマの男の子というイメージだが、目の前にいるのは、どこかの工務店の2代目社長というかニッカボッカが良く似合う現場監督という雰囲気である。声も昔に比べてドスが効いている。それでも話を始めると、あっという間にあの頃のBoxの雰囲気に戻る。

 もうその頃にはビールは終わり、僕はその日サービス価格で提供されていた赤霧島のロックを呑みはじめていた。当然、酔いは回るし話はとりとめがない。先ほどのシーモネータどころではないような、今だから云えるバクロ話シリーズに盛り上がっていたら、「スイマセン、遅くなりました」と人のよさそうな顔をした男が入ってきた。86年度生のT花君である。僕は初対面だ。実は彼こそが、今回の宴会の陰の仕掛け人である。フェイスブックにDRACのグループを立ち上げて、彼らの同級生、先輩、そのまた先輩という風にルートを広げて行って、今では30人を超すコミュニティを実質管理しているのがT花君である。面識は無かったが、コメントのやり取りや以前チャットをしたこともあり、全然初対面という感じはしなかった。また話題への関わり方に、やはり別館族の匂いがした。僕たちのサークルの真面目な面もアホ丸出しの部分もしっかり継承してくれている。このことは翌日、8788年度生のS田君と初めて会ったときにも感じた。

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 さて、野郎6人で話す内容は全く支離滅裂で、昔の出来事、こんなことがあったとか、こういう奴がいたけどあいつは今どうしているのかとか、実はあの女の子はオレに気が合った、いや、思い込みちゃう、ここでは言えないが、実はこういうことが、あ、言うたらアカン、言うたらアカンといいながらつい手が出て、みたいな話が延々と続くのである。で、あるのだが、やはりそこはそれ、学生ではないから今は一体だれが一番甲斐性があるのか、もっとも僕たちのサークルの仲間であるから、やれマスコミに就職したとか広告代理店でブイブイ言わせているとかそういうステイタス自慢ではなくて、今、どういう風に音楽を聴いているかという話題になった。

 その中で、先ほどの元ブルース班の2人が突出する。何と、ネルシャツO畑君は2テラバイトのハードディスク4台にMP3に圧縮した音源を貯めこんでいるという。2テラですよ、2テラ。しかもMP3にしているから、どれだけの数の演奏がそこには詰め込まれているのか。本人も何度かエクセルでデータ整理をしようとしたが、手が付けられなかったらしい。また同じ演奏がダブっていや、トリプって入っていることを除外しても、物凄いデータである。

 しかし、しかしである。上には上がいる。もう一人のブルースの鬼、マス坊は何と音楽を聴くために蔵を建ててしまったというではないか。蔵ですよ、あなた。100人乗っても大丈夫のイ○バの物置ではなく、コガネムシは金持ちだの歌に出てくる蔵ですよ。先に書いたが、彼の住まいは京都の田舎の方でそのあたりの地元の人はだいたい160坪くらいの敷地に家が建っているらしい。160坪という広さが、もうちょっとビヨンド・マイ・コンプリヘンションではあるが、その敷地に20坪だが30坪のレコードを聴くためだけの蔵を建てたという。その蔵には奥方もお子達も絶対進入禁止であり、毎週末、そう金曜の夜とか土曜の夜になるとマランツのアンプにJBLのスピーカーが歌い始めるのである。壁一面には数えきれないほどのアナログレコードの棚が。この話を聞いて誰が呟いたか「私にとって天国に一番近い島を、とうとう見つけてしまった…」。

 この話のあと、酔っ払いジジイ達は緊急集会を開き、早期に京都マス坊宅にて一人一人が自慢のアナログと寝具と酒を持参してオールナイトのレコードコンサートをやろうということになった。現実的にはいつになるか分からないが、あの時の勢いではもうこの夏やるぞという雰囲気ではあったな。しかし、こういう時は最年長のオレがしっかりせんといかんと思い、はやる若者たち(いや、T花君以外は全員50代だが)を抑えて、「し、しかし、いくら京都の田舎とはいえ、夜中にフルボリュームでレコードかけたら近所からクレームくるやろ」というと、マス坊はいたってのんびりした口調で「いや、回りに家はあるけど離れているからクレームなんか来まへんで」。参った、参った狸は目で分かるのだ。というような、終わりも果てもないバカ話もついに時間が来て、それぞれ電車で帰るのであった。次の大阪夏の陣での再会を約束しながら。



 追伸、書き忘れたけどsugarmountain君が手土産に持ってきたCDとDVDも楽しかった。音楽モノでは僕はマリーンと熱帯ジャズ楽団のセッション、ノラ・ジョーンズの1st、ハーダーゼイカム(そういえばジミー・クリフを円山野外音楽堂でマス坊とT原さんと一緒に見に行ったな)のDVDなんかをもらった。それとT花君は、今回の呑み会が終わるときにわざわざ僕にお菓子の手土産を持たせてくれた。お二人には改めて感謝したい。

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コメント

いつオンリーロックンロール!

えいんとちゃう・プラウド・トゥ・ベッグ(ストーンズ)。なんちて。てか、うらやましい再会ですね。自分は仙台の友人と昨日やはり四半世紀ぶりに会えるはずが、友人が急な仕事で福島にいってしまい、会えずじまい。前日はぼくが止まる北上の近くにホテル予約してくれた(泣ける話、、)のにそれも会えずじまいで、楽しみは持ち越しになってしまいました。てことでなおさら、貴重な話に思えますわ。うらやましい限りです、ええ。

おもしろいなー
妹さんはきっと見かねてスカジャン買ってくれたんですね^^。
しかし原付でそんな遠くまで、本当にワイルドですね。

そういえば5年前だったかな、小学生のときの同窓会があったらしくって、母方の祖父母の家(小学校時代すぐ近くに住んでいたので、そこなら手紙を転送してもらえると思ったのでしょう。家を受け継いでいる伯母さんが転送してくれました)に『次回は来て下さいね』という手紙が来たのですが。「2次会は○○さんがやっているスナックでやりました」と書いてあり…。いわゆる公害都市&工業地帯、みなが進んだ中学は超有名ツッパリ学校(両親の考えにより自分はそこには進学せず、引っ越しました)、20前に2輪の暴走行為で数名亡くなる(内一人は見物に行って事故に巻き込まれた)というリアルAll the young dudesかつワイルドな地域でずっと暮らしてる同級生たちが集まり、地味であまり記憶にない○○さんがスナック経営?!と「一体どんな光景…」と恐ろしくて未だ参加していません。

私も似たようなことを…

昭和60年の体育の日に バイクの39キロオーバーで 一発免停となりました。その際、サンデーライダーだったので、次の免許更新までは 何も無かろうと 免許証裏面に 緊急時連絡先を列記していて、白バイ男に 「何を書いとる!?」と怒られました(笑)。 若い頃とは言え、ネルシャツさん、エネルギッシュですね。私も 親父さんが 若死にされて、家業を継ぐために 20代で 漁村に帰った元同僚を 5年に一回位、バイクで訪問するのですが…一般道山越えで、200キロメートル強に レーサーレプリカで ほぼノンストップでも 5時間かかります。4割が 市街地走行で ほとんど進まない。残りの6割の山道を2時間ちょっとで 爆走するのですけど、悪路に加え 最近は ネズミ取り、パトカー、覆面、白バイが 六ヶ所位います。いなければ、4時間半を切るのも可能かもしれませんが。

ズトさん、そりゃ残念至極西京極

でしたね。もっとも急な仕事であれば、しょうがないっちゃしょうがないけど。古い友人たちとの再会というのは、若い頃はいつでもできる、その気になれば明日でも出来るなんて考えていて、住所や連絡先なんかも大事にしてなくて、気がついたときは音信不通になっているパターンが多かったです。今は、ネットの発達のお蔭で、昔の仲間の消息は比較的つかみやすいけど、それでもどうしても消息が分からない連中というのがいます。まあ、そのうち分かるだろうと気長に構えていますが(笑)。

仙台のお友達と早く会えるといいですね。その時は、真っ先に「お前、俺との友情よりもゼニかや!?」と絡むことをお勧めします(いや、悪い冗談ですが、笑)。

彼がスタジャンを着て登場した時は

決して誇張ではなく、その時にBoxにいた全員から、軽いどよめきが起こりました。当然、どうやって手に入れたかという質問が飛び交いました。というのも、当時同じ大阪方面から通ってくる童顔の男の子がいたのですが、そいつがいうには新しい服が欲しくなったらミナミに行くと、知らないオッチャンが服を買ってくれるというのです。何でオッチャンが服を買ってくれるのかというと、試着するときに体のあちこちを触られるが、それさえ我慢すれば結構高い服が手に入ると自慢げに言ってました。

もしかして、そのパターンかと全員が期待しましたが、妹からもらったと聞いて、一気に興奮は覚めて、口の悪い僕の同級生などは「なんや、しょうもない」と吐き捨てるように言って、それから一切その話題には触れなくなりました(笑)。しかし、walker-bros の小学生の頃住んでいたのはワイルドサイドだったわけですか。近日中に、そのオトモダチのスナックのレポと写真をヨロシク(笑)。

今日、週末の病院通いのため

一方通行の道を突っ切って、左折のみの表示が出ている場所から直進して、その先の道路に向かったら、左から来た軽自動車がゆっくり左折するので、こちらは左右の直進車が来たらバイヤーな状態でした。幸い、何とか渡り切ったのですが、その軽自動車、ものすごくゆっくり走り、僕が行こうとする道の真ん中で止まりました。頭に来たのでクラクションを鳴らしたら、中から70過ぎくらいのお爺さんが出てきて、「さっきの道は直進すると捕まるよ。警察がしょっちゅう見張ってるから気をつけない」と笑顔で話しかけてきました。思わず、「ありがとうございます」と答えましたが、わざわざそれを教えるためにゆっくり走ったのか、あるいはクラクション鳴らされて思い出したのか良く分からない一瞬の出逢いでした。

デューク先輩、お互い「点数稼ぎの冴えない奴ら」には捕まらないよう注意しましょう(笑)。それと、ネルシャツ君は「しろくまきすけ」という名前でFBに登録すると言ってましたが、土壇場で日和って実名登録したようです(笑)。
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