過去への旅路その1~京都慕情

 もっと早く行くべきだった。行って、確かめて、自分の過去に区切りをつけておくべきだったとつくづく思う。今回の小旅行は自分の中の幻想が明確に否定され、そして別の新たなる幻想を生み出した4日間だった。などとらしくないイントロですが、ご存じ毎度毎度のバカ話。しかし、27年ぶりの京都は僕に対して妙によそよそしく、それでも最後に少し笑ってくれたような気がする。きゃー、なんかキザというか青春という感じがしないでもないけど、とりあえず『過去への旅路』の総括を行ってみよう。

 きっかけは、実にひょんなことだった。もっとも伏線はあったのだ。ひとつは、拙blogに突然サークルの後輩だったマス坊がメールしてきたこと。彼がDRACでググったら最初は妙なblogに当たったらしいが、それにもめげずに検索していったら僕のblogにたどり着いた。僕が誰だか分かったのは「ブルースの鬼マス坊」とか「タケノコの話」などのエピソードを読んで、これはあの6回生だったdrac-obハンに間違いないと確信してメールをくれたそうだ。それ以来、普段のちょっとしたことをメールでやりとりしたり、FBに僕が誘ったりして交流を深めていたのだが、あるとき突然彼から『マーマレード持ってます』と連絡があった。僕が大学時代にやっていたミニコミだが、僕自身も実家のどこかにしまいこんでしまい、かれこれ四半世紀は見ていないものだった。てっきり一番最初の創刊準備号だけ持っているんだろう(要するに、創刊準備号はまだ誰にも認知されていないわけだから、身内に無理やり売りつけるしかなかった)、と思い軽い気持ちで「ついでのときに郵送かデータで送ってくれ」と頼んだら、なんと全巻、といっても4冊だが、それでもコピーして郵送してくれたそのブツはちょっとした厚みがあった。

 読み返してみると、青臭い理屈ばかりのミニコミではあるが、自分自身の基本的な考え方は今とほとんど変わっていないことに気がついた。また一緒にやっていた1学年下の松原健君が今は彼岸の人ではあるが、彼の連載していた『日本のロックを追って』というシリーズは実に良くできているし、彼のことを何とか記録に残したいと考え、しばらく拙blogに連続してアップした。その時から(いや彼が亡くなったことを知ってからずっと思っていたのだが)、彼の自宅に行って線香をあげたいという気持ちが強くなった。

 それでも、最終的に今回の旅行を決断したのはバカ娘2号の大阪旅行がきっかけである。今年短大に入学し、以前にもましてアルバイトを連日やっていると思ったら、夏休みに大阪に旅行するつもりでお金を貯めていたのだ。本人が自分で稼いだお金で行くわけだから、親としても全然問題なかったが、唯一心配したのは彼女がとんでもない方向音痴だという点。それでも、それほど気にしていなかったが夏休みが近づいてきたときに、当然飛行機で大阪に行くものだと思って、チケットの予約をしたか聞いてみたら「飛行機は高いからフェリーで行く。フェリーやったら5000円で行けるっちゃわ~」などと能天気なことを言う。「お前、フェリーって、港に着いた後どうやって目的地に行くか分かるのか?」と尋ねると「アイフォン持ってるから大丈夫」などとお気楽なことをいう。「はぁ、アイフォン?お前は地図が読めんだろうが、アイフォンあっても宝の持ち腐れやないか」というと「なら、お父が連れて行ってくれるとね」などというので、売り言葉に買い言葉ではないが、娘の大阪行きの案内というか同行という名目で、何十年ぶりかの京都旅行、過去への旅路に出るのもいいのではないかと閃いた。

 もっとも、思い立つのは簡単だが仕事を休まないといけないので、そのあたり周到に根回しをして金曜と月曜に休みを調整し、都合3泊4日のスケジュールは押さえた。次は、M作戦というか軍資金の確保である。幸い、これまで耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、こつこつ貯めたsecret savings、つまりヘソクリというやつがあった。まあ、そんなに贅沢しなければ何とかなるだろうと目鼻がついたので、先ずは格安航空券の手配を行った。普段から『Webはバカと暇人のもの』を座右の銘にしているワタクシではあるが、こういうときはWebが便利である。伊丹空港までの往復チケットの見積を数社依頼して、返事を待った。問い合わせをした翌日には、それぞれの会社からメールで回答が来たが、しかし同じルートの同じ航空会社のチケットなのに、それぞれ単価が異なる。まあ、それはいいのだが、返事のメールの文面も全く機械的にこちらの質問に対する答えだけ送ってきた会社が1社、もう1社は「これ以外、どこに尋ねても空席は無いぞ。申し込みなら1日でも早くせんと間に合わんぞ」と、およそこれが客に対する回答かと思いたくなるような会社が1社。最後の1社は担当者のフルネーム入りで丁寧な回答だったので、当然そこに申し込んだ。

 次はホテルの予約である。以前、熊本に旅行した際にじゃらんで検索したら、普段は1万以上するホテルが、ネットの予約で5千円を切る金額で泊まることが出来たので、そりゃあなた、柳の下のドジョウをねらうのは人の子として当たり前だのクラッカーである。しかし、まあ、京都のホテルというのはいろいろあるもので、当然こちらは貧乏旅行なので格安ホテルを探していたのだが、迷いましたね。もっとも、この迷いは楽しかった。ほうほう、ここは四条河原町のすぐ近くか、じゃ飯はあそこで食べて、十字屋でCD物色して錦小路でお土産買って、とか、うーん、温泉大浴場は魅力だよな、旅の疲れと汗を温泉で流してこざっぱりして浴衣でぶらり、縄のれんをくぐると『あらお兄さん、おひとり?』などと中年増が声をかけてきて、いや、その、思い切ってプールのあるホテルで昼の暑い時は泳いで、プールサイドでオイチョカブやったろか(これ、今は亡き塩次伸二大先輩が高野のホリデイ・インで実際にやっていたらしい、オイチョでもう1枚引くという鬼の勝負をしていたとサーカスのバイトから聞いた)、などと妄想していると3時間4時間はあっという間に過ぎて、もう目はしょぼしょぼ。などという日が何日か続いた。

 さらに並行して、昔の友人、先輩、後輩にメールや電話をしまくった。我が家では僕は友達がいない人間とバカ娘たちから位置づけられているが、何、ひと声かければ500人の隊列が、なんてのは大嘘だが、それでも結構あちこちに連絡してるのを見て、姉妹二人で「お父も友達がおったっちゃね~」「宮崎にはおらんけどね~」「まあ、でもよかったわ」などと勝手な会話をしていたのを僕は聞き逃していない。もっとも、今回の旅行で最優先したかったのは松原君の実家訪問だったので、それを案内してくれるデューク先輩と何度かメールをやり取りするのだが、何しろ相手のあることだし、先方の都合が良くてもデューク先輩の都合がつかないとにっちもさっちもどうにもブルドッグ(by 四葉)なので、このあたりはなるようにしかならない。一応、目安としては土曜日か日曜日の午前中に行けるのではないかという結論になった。フェイスブックのDRACのwallにも、僕の上方登場はどうなったかという質問が出て、とりあえず27日から3泊4日で京都大阪方面に登場すると返事を書いたら、それじゃ一緒に呑みましょうという嬉しいお誘いもあり、中にはWebでしかやり取りしたことのない、学年で言うと10年以上離れているT花君とかS田君なんかからもお誘いを受けた。

 最終的に決まったスケジュールは、27日の夜に大阪は淀屋橋で元DRACの後輩諸君と会食。参加メンバーは77年度生のマス坊、78年度生のネルシャツO畑君、79年度生のsugarmountain君、80年度生の反動F田君(これは本日の彼の行動でワタクシが独断で付けたニックネーム)、そしてフェイスブックでDRACのグループを組織した86年度生のT花君と、こりゃまあ見事に男ばかり。うーん、これもオレの人徳か(苦笑)。そして28日午前中にデューク先輩に案内していただき松原君の実家に訪問。そしてそのままお昼には、数少ない同級生のHさん、あ、今回唯一登場する女性、と元ボーリョク学生の同級生N谷君、あとはマス坊もちろんデューク先輩と合計5人でランチ。そのまま京都に移動して、今出川キャンパスをブイブイ言わせて、出町、百万遍あたりを散策し、夜は87年度生のS田君も交えて会食。

 日曜日になる29日は、D大の職員になったK君の案内で元学生会館跡のレストランでランチ。これは抵抗有ったんだよね。なんといっても僕たちの根城であった場所に大学当局が建てたレストランで飯を食うのは嫌だ、出来れば明徳館の学生食堂で今の学生諸君と同じ飯を食いたいとも考えたが、まあこういう機会はめったにないしK君も職員としていろいろ大変な経験をしてきていることだし、元ボーリョク学生のN谷君と大学当局のK君も交えた鼎談というのは、必ず収穫があると思ったわけよ。そして、なんとこのランチのあとは田辺町キャンパスまで足を運ぶことになったんだが、それはまた改めて話をしたい。そして最終日の30日は、僕の学生生活のスタートになった修学院を散策するという6年間の僕の京都での生活をほぼ2日半で網羅しようという無謀な計画だった。

 さて、例によって前説ばかりが長くなったが、いよいよ当日になった。荷物をショルダーバッグに詰めて、子供と一緒に空港に着いた。今回の航空券はチケットではなく、受付番号をもらって、それを搭乗手続きの機械に入力するか、窓口で受付するかというやりかたなので、早めに空港に着いたがそれでも座席指定して、荷物を預けて出発までには1時間以上あいだがある。一人だったら焼酎の試飲コーナーあたりに行って、手当たり次第タダ酒呑むか、場合によっては売店で生ビールを買って地鶏なんかをつまみにちびちびやるのだが、さすがにバカ娘にそういう姿を見られると配偶者にチクられて、ただでさえ低い僕の家庭内地位がますます落ちて行き、我が家のカーストで最下位になる可能性があるので、じっと我慢した。しかし、今考えてみると、もともとオレの家庭内カーストは最下層であるから、いまさらそんなもん見栄張ってもしょうがなかった。ま、いいか。それで、時間つぶしに文庫本のコーナーをざっと見ていたら、『つぶやき岩の秘密』という単語が飛び込んできた。

 新田次郎の多分、唯一の児童文学作品だと思うが、この『つぶやき岩の秘密』はNHKの少年ドラマシリーズの中でも特別に印象に残っている作品だ。少し暗い話になるが、以前うつで働くことが出来ず、苦しんでいた時に突然脳裏にひらめいて調べたところ、県立図書館の書庫に1冊在庫があると分かり借りて読んだ。テレビドラマと若干ストーリーが異なっていたが、「紫郎はなにかひとりで考えながら海岸を歩くことが好きだった。」という最初の部分から一気に話に引き込まれ、読み終えた後の充実感は、たぶんうつが少し良くなっていった時期と重なっていたんだと思う。しかしすでに絶版になっていたので、ワードで一生懸命入力してデータにした。さらにはNHKのオンラインショッピングでDVDを入手して、何度も繰り返してみた。音楽は石川セリで「遠い海の記憶」という名曲が使われていた。その曲が収録されている『ときどき私は......』といいうアルバムは、学生時代のあこがれの先輩女性のアパートで聴かせてもらった。ラストに「遠い海の記憶」が流れてきたときに思わず「つぶやき岩の秘密だ」と叫んで、回りにいた人たちをびっくりさせたことがあった。

 その名作が文庫で復活していたわけだ。こりゃ、僕の過去への旅路は幸先良いぞと思いつつ搭乗口に向かうのであった。



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コメント

さすが 音楽ブログ!

ニールヤングのアルバムタイトルと渚ゆう子のヒット曲で来ましたか。ご家族とのやりとりからですと「なのに あなたは京都へ行くの」に なりそうですが。京都慕情は 大好きです。ベンチャーズ歌謡は、どれも良いですが、1、2を争う佳曲と思います。渚ゆう子自体は、京都の恋 と 京都慕情位しかヒット曲が無かったけれど、両シングルとLP4枚、CD1枚持ってました。ちょっとしたカントリーシンガー系より多い(笑)。ツアーの詳細続編楽しみに してます。

どうも、どうも、渚ゆう子のライブを

鹿児島は内之浦町の夏祭りで見たワタクシです。ですよね~、僕も「京都慕情」>「京都の恋」です。メロディといいアレンジといい、我々ポンニチの心の琴線にじんわり沁みて来ます。何故に、ああいうメロディを紅毛碧眼のドンバが作れるのか、不思議でたまりません。

前回の旅行は、楽しすぎてエピソードも山盛りで書いていていろいろなことを思い出します。撮った写真も半端ないので、ぼちぼちとアップしていきます。

旅行記楽しみです

京都のラーメン屋は最近、バラエティ番組でやたら取り上げられて有名ですね。支店を増やすと味が落ちるの法則でしょうか。

京田辺市は先日ニュースで日本で3番目に気温が高かったと報じられていました。

娘さんとは別行動ですが、「滅多にない家族サービス」の範疇ではないですか^^?

いやー、 walker-brosさん

ご指摘が鋭い。確かにタグとしては「滅多にない~」の反中かもしれませんが、バカ娘が登場するのは最初の方だけなので、ここはオーソドックスに「歴史から飛び出せ」を選択しました。旅日記というのは、実体験したことを反芻するようなもので、書いていて結構楽しいし、忘れていたことが蘇ります。もっとも、酒席でのバカ話はどうしても混乱してしまうので、ICレコーダーに録音するつもりでしたが、すっかり忘れてしまいました。まあ、その時の様子もなるべくリアルに再現しますので、ご期待ください。

しかし、この手の旅日記は意外と読んでもらえるんだなと再認識。これから旅ブロガーと呼んでもらおうかと思ったが、よくよく考えたら年に1回か2回、それもいきなり決まる小旅行ばかりだからシリーズ化は難しいな(笑)。

「お父」は「おとう」とよむんですよね(笑)

京都慕情、ぼくも小学校の時、シングルかいました。その後も意識的にきいてましたわ。最近、池玲子のLP「恍惚の世界」の音源もらったら、渚ゆう子「雨の日のブルース」をカバーしててはまったとこでした。

その通りです(笑)

うちのバカ娘2号は、ちょっと変な言語感覚があって、あれはまだ彼女が小学校の低学年くらいの時ですが、ある日家に帰ると姉が「お父さん、××(2号のこと)はひどい」と半べそ状態で訴えるので、何があったか聞いたら「私のことを『お姉ちゃん』と呼ばずに『お姉(おねえ)』と呼ぶ」(笑)。面白かったので、気にするなと言ってたけど、中学に進学した途端、「これからお父さんのことは父(ちち)と呼ぶわ。もう中学生やかい」とわけのわからんことをいい、それから中学3年間はどこでも「父」と呼び掛けられました。ある時などは担任の先生が
「××(2号のこと)、ほら父が迎えに来てるよ」などと言われ赤面したこともありました。

まあ、それにくらべれば一応敬う意味の「お」がついてるだけマシになったかもしれません(汗)。
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