マーマレード興亡史 松原健遺稿集その3

 松原君の『日本のロック・アルバムを追って』シリーズもついに3回目。つまり、マーマレードも無事3号目が世に出されたというわけである。取り扱ってくれるところも、大阪はプレイガイドジャーナル社、マントヒヒ(ミナミ)、NOW(梅田)、アンクル(茨木)、京都ではJAM HOUSE、聖家族、磔磔、ミッキーハウス、DUSTBIN DAN、カントリーコンフォート、RENOMA(僕の行きつけだった喫茶店)、ニコニコ亭、空、どらっぐすとあ、拾得と少しずつだが販路を開拓していき、ついに今号では読者からの投稿もあり新たにスタッフに参加するなどの動きも出てきた。また京都でライブを企画しているいろんな団体や個人とのネットワークも出来始めて、今回のパンタのインタビューはそういう関係の中から生まれた。

 僕自身はこの時と、その2年後の2回パンタにインタビューしたのだが、その時点ではもうマーマレードは無くなっていて、えーと、雑誌の名前は出してもいいか『サイレント・エイジ(Silent Ageという英語表記だったと思う)』というミニコミのスタッフとしてインタビューに参加した。パンタはリップサービスだと思うが僕に向かって、「前にインタビューしてくれたよね。その時と雑誌の名前が違っているけど、どうしたの」などと言ってくれて、いたく感激したものだ。おっと、僕の話はどうでもいい。松原君と一緒にサーカス&サーカスのライブが終わった後のパンタにインタビューして、それをもとに彼が書いた原稿である。え、原稿?インタビューじゃないの、と尋ねるあなたは鋭い。何故これがインタビューではなくレビュースタイルの原稿になっているか、ちゃんと最後に説明があるので、じっくり読んでね。

シリーズ 日本のロック・アルバムを追って その3
『パンタックス・ワールド』によせる間違いだらけの歌

パンタ

 最初にことわっておくが、パンタっていうのは「パンダフル・ハウス」などという、アホらしいのを通り越して微笑ましくさえある名前のバンドを率いてはしゃいでいる、どこやらの心情右翼とは別人である。

 このアルバム『パンタックス・ワールド』は、あのあまりにも鮮烈だったロック・バンド、頭脳警察の解散後、ソロ活動を始めた元ヴォーカル&ギターのパンタの第一作目のレコードである。バック・アップ・ミュージシャンは東京・関西の腕利きプレイヤーばかりでギターには我らがカントリー・ボーイ、どんぶりくん(※drac-ob注:マーマレードの執筆スタッフ、ほっぺたが真っ赤で純朴な九州男児を装っていたが、意外と陰獣的なところもあった、笑、ごめんなK木君)と同じ九州は大牟田出身・京都在住の塩次伸二や今をときめく竹中“チャ―”尚人なども参加している。だが、云うまでもなくこのアルバムは絶対にパンタ自身のアルバム以外の何ものでもないし、豪華なセッション・メンバーによる圧倒的なハード・サウンドに乗って、彼は僕らに向かって「毒」のある言葉を吐き続けるのである。それもポップな親しみやすさを狡猾にまとい、より知能犯的に、より確信に満ちて。

 アルバムの作詞、作曲者のクレジットは全て「中村治雄」となっているが、これは知る人ぞ知るパンタの本名である。そして、頭脳警察時代のクレジットが全て”Pantaxs’ World”となっていたことを併せ考えるなら、ここらあたりにこのアルバム『パンタックス・ワールド』の主要コンセプトを理解するカギがあると云えそうだ。

 即ち、彼の抽象化された観念世界である”Pantaxs’ World”を通して描かれてきたのが頭脳警察の音楽であったのに対し、今や肉体的現実としての「中村治雄」が現象化し彼自身の存在証明として『パンタックス・ワールド』との同一性を獲得する。それは同時に一つの訣別であり、方向への意志でもある。そして、この国のロックが自らの表現を持つだけでなく、それを取り巻く情況を切開してゆく力量を持たねばならないものなのだとしたら、このアルバムはその意味でははじめて真にロックたり得たものだと云えるだろう。

 どういうわけか、アルバムのA面はニニ・ロッソ風のトランペットとともに幕を開ける。だが、サウンドは「ワン・ツー・スリー・フォー!」の叫びとともに怒涛のようなハードロックに変わる。俺が君になり、君が俺になるとき、二人は猫になり、また屋根の上へ、とうたわれるこの「屋根の上の猫」はまさに真の意味でのハード・ロック・ナンバーである。言葉がナイフになって僕らの肉体に直接突き刺さってくる。彼は、僕らは独りであるそのことによって決して独りではないのだ、とでも云いたげだ。



 「屋根の上の猫」の衝撃力はバラードの「Excuse You」や「明日天気になれ」、珍しいスロー・ブルーズの「青い烏のブルース」などをはさみながら、「三文役者」「ロックもどき」、そして9分22秒の対策「マーラーズ・パーラー」へと持続していく。

 僕は彼のスロー・ナンバーやラブ・ソングを決して否定するのではないし、古くは「さようなら世界夫人よ」「光り輝く少女よ」から最近の「やかましい俺のROCKめ」や「夜明けはまだ」までの一連の曲を愛するものであるが、このアルバムに関しては、そのような傾向のものに若干のアレンジの行き過ぎなどもあって、ハード・ナンバーの方が圧倒的に勝っているようだ。こう云うと実に無責任な云い方になってしまうが、それでも彼の曲は全て普遍的な意味でのラブ・ソングであることには変わりはないだろう。実際、僕らに大きなインパクトを与えてくれるアーティストはいつもラブ・ソングしかうたわなかったのである。

 ここで頭脳警察について少し書いておきたい。今更、彼らのことについて口を開くのは時代錯誤もはなはだしいかもしれないが、何故、彼らが単なる「過激派」バンドや破廉恥バンドに終わることがなかったのだろうか(未だにそのように考えているバカは無視している)。

 先に「心情右翼」という言葉を使ったが、僕は何も頭脳警察やパンタが左翼で、だからいいのだ、などといった愚にもつかぬ議論を行なおうとしているのではない。

 たとえば、「世界は一家、人類は皆兄弟」という言葉があるが、これはそれ自体としては非常にいい言葉であり、僕なども常々座右の銘にしたいと思っているくらい好きな言葉なのだが、ただ、その言葉を発することによってあたかも現実に、現在「世界は一家」であり「人類は皆兄弟」であるかのように扱われるとき問題が生じる。「右翼」とはそのようにして、自らが置かれている立場も状況も省みようとしない人間の心のあり方のことなのである。

 頭脳警察に置いてパンタは一貫して「政治とは無関係に、純粋な意味で僕らはミュージシャンだ」と云ってきたし、トシも解散後「俺達は右でも左でもない、うたいたいことを素直にうたっただけだ」と証言している。勿論彼らは自らの現実を見つめ、自己の真にあるべき姿を問うことによって演奏し続けてきたのだし、それがもし「左翼」と呼ばれ「過激派」と呼ばれるのだとしたら、これは一体どういうことなのか、賢明な人達にはおのずと知れることである。フラワー・トラベリン・バンドの「サトリ・パートⅡ」の中のフレーズをもじるなら、『There is no right or left. Your Truth is the only Master…』ということなのであり、この意味でこそ、頭脳警察は素晴らしいバンドであったのだ。

 だが、彼らのラスト・アルバム『悪たれ小僧』のラスト・ナンバー、「あばよ東京」で表出されたものが、彼ら自身の一つの答えであり、それ故彼らの弱さであったとするなら、即ち、自己の抽象的過程への一面化が、肉体的現実から自らを引き裂き、それが「拒絶」という形態をとることを余儀なくしたのだとしたら、彼らの解散もそのための「必然」だったのかもしれない。

 そして、あたかもそれに対応するかのように、この『パンタックス・ワールド』のラスト・ナンバー「マーラーズ・パーラー」においては、まさにそのような自己との抽象観念と肉体とが、不断に移りゆく生の過程を媒介にして緊密に結びついてゆくのである。この歌は日本のロックの「新たなる夜明け」を告げる歌なのであり、たどり着いた地平としてはゼップの「アキレス・ラスト・スタンド」をもはるかにしのぐ名曲なのである。



 ボードレールの『悪の華』と並ぶ悪の教典であるロートレアモンの「マルドロールの歌」の中の、有名な「コーモリ傘とミシンの手術台のうえの不意の出逢い」の詩句を織り込みながら始まるこの歌もまた、かつての多くの歌と同じようにいくつかの箇所で歌詞の修「正」を余儀なくされた。たとえば「彼女が逆立ち中ピ連」「ILOの言い訳さ」「中朝ゲラゲラ腹を抱えて」「そそくさ逃げ出したKCIA」などがそうである。

 個々の歌詞自体は非常に難解で、何の脈絡もないかのようにみえるが、実はこれらの言葉によって彼は僕ら自身を取り巻く現代の混沌情況を描いているのではないだろうか。そして、そのような世界の片隅の夜に毒された路地裏に、腐りかけた愛を見つけたとき、彼は雨に満たされた軒先で星がはじけ飛んだあと信じるのである。この「腐りかけた愛」というのがなんなのかは知らない。だが、それはおそらく僕らの一人一人が違った場所で、違った方法で見つけてゆかねばならないものなのだという気がする。が、ともあれ、ここに彼はこれまでついに見出すことのなかった「だから、ロック」という地平に到達するのである。

 ロックとは確信であり、意志であり、ロックとは世界であり、僕ら自身である。従って、それは僕らを取り巻く虚構としての「世界」にとっては「毒」になる。階段の下でふるえていたねずみが明日を見つめるように、時の流れに身をまかせながら今日も街を徘徊するとき、やはり僕らの合言葉も「ロック」でなければならないだろう。正面きっての「反抗」が無効だと云うのなら、僕らは日常生活に「毒」をふりまき続けよう。いや、「毒」そのものになろう。そして、やがて世界が僕らの「毒」に満たされるとき、それはもはや「毒」ではなくなるのだから。

 たとえば、加川良が「うたは世につれ風まかせ、コンコンうたうは狐か狸」と開き直り、大塚まさじが「くたばってもいい、死んでもいい、僕の血が言葉となっていまあを時代をうたうなら」と盲信するとき、それはやはり「フォークの理論」でしかない。だが、彼、パンタの場合、時代をうたったくらいのことで、くたばったり死んだりはしない。何故なら、僕らは生まれたまま、そのままで既に「時代」そのものなのだし、彼はまさにその「時代」を自らの手で新たにすることによって、何が何でも生きてゆかんと意志するのである。

 何れにせよ、「マーラーズ・パーラー」、この決意の歌は彼の、そして日本のロックの一大到達点であるだけでなく、新たなる闘争開始宣言なのである。これ以降の「ガラスの都会」や「走れ熱いなら」「人間もどき」などはどちらかと云えば外向的な歌であるが、以前のものとは明白に異質に響くのは、彼が彼の「ロック」に確実に依拠しているからであろう。そして、彼と新しいバンドHALが今後も更なる邪悪さをもって、世界の「昼」を脅かし続けるだろうことを僕は疑わないし、それは僕自身の内なる「ロック」を信じてゆくことでもあるのだ。

 攪拌者として彼は「世界」を切り裂く。僕らの未来はその傷口から、まるでうみのように、拡がってゆくのである。

―お詫び―
 4月23日(※1978年)、僕らは銀閣寺サーカス&サーカスで2時間にわたってパンタにインタビューを行ない、今回それを掲載の予定でしたが、ミニコミ「屋根の上の猫」(※註1)編集長のチョンボでテープが消されてしまいました。疲れているのに快く僕らの要望に応じてくれたパンタとマネージャーさん、申し訳ありません。読者の皆さん、申し訳ありません。

 尚、この僕の文は非力ながら僕なりにパンタとの会見を踏まえて書いたものです。




 ※註1~「屋根の上の猫」という、もうストレートそのもののミニコミをやっていたのが、浜さんという女性。明るくて快活でとてもロックなどに命を懸けているようには見えないのだが、関西ロックを聴く「ねこの会」というものを組織していて人脈も広かった。もともとこの時のインタビューは浜さんがネゴして許可を取ったのだが、自分だけでは不安があるからと松原君を誘い、松原君は僕を誘い、結果的にはマーマレードの単独インタビューみたいになったのだが、好事魔多し。その時のインタビューテープを浜さんがじっくり聴きたいからと家に持ち帰り、なんと、当時テレビで放映していた『ムーミン』をその上に録音してしまったのだ。カセットの爪を折っておくとかダビングしておくなどの知恵がまだなかった頃の話だ。このパンタフェイドアウト、ムーミンフェイドイン事件は、あまりのことに僕たちは脱力して怒る気にもなれなかった。この時のマーマレードはパンタ宛に送ったはずだが、さすがにムーミンを録音したから消えたとは松原君も書けなかったんだろう。

 この時のパンタとのインタビューは初めてだったこともあり、とても興奮していてどんな話をしたか、良く覚えていない。印象的だったのは、2時間のライブの後だというのに煙草(セブンスターだった)を立て続けに、吸いながら誠実に答えてくれたこと。僕と松原は当然アルコールが入っていたが、パンタは全然飲めないということも初めて知った。そうそう、当時のパンタのマネージャーだった石井さんに最初あいさつしたのだが、名刺をもらって驚いた。僕のイメージでロックと名刺って、全然畑違いだと思っていたのだ。それと、この時の写真は編集長のMilk氏が撮ったと思うが、なかなかに良く撮れていた。特にトップに飾ったマイクを横向きに持つパンタの顔は迫力があって松原も気に入っていた。しかし、思い出すな、いろんなこと…。

スポンサーサイト

コメント

懐かしい店名を拝見しながら

国語力の無いH居君の回文(と言うほどでもないですが)「レノマのレ」を思い出しました(笑)。この記事の事は 書き出しの「パンダフルハウス」を引き合いに出した部分から よく憶えています。記事にする前に 彼が パンタと会ったと 内容を熱く語ってくれました。「今日もスホーイ モンゴル越えて」の「スホーイ」はソ連の戦闘機の名前なのだとか、文中にあるように 元はこんな歌詞だったけど、やむを得ずこう変えたのだ とかの話を。「マーラーズパーラー」のLPには 歌詞カードが付いてなくて、何と歌っているのか、本当にわからなかったです。「君は浮気な李太白」は「君は浮気な理解役」に 「二拍三連の脈拍」は「203年の脈拍」に聞こえてました。他にも聞き違いや 「ピノキオ目当てのテロリスト」とか「AICK」とか「Eスモール」とか 聞き取れない所が 多数ありましたね。 それと、私は、どんぶり君と その手の会話は無かったですが、松原君には たまにあったようです。「あいつが たまに (あの口調の物真似で)『女は、XXXをOOたら よろこぶんや』とか言って来るけど、あいつの場合は、その相手が 僕が良く知ってる△△さんのことだとわかってるからなあ・・・困るんです。」と苦笑してました。

「レノマのレ」、「カジマヤまじか」などは

確かに国語力のないH居君あたりが呟きそうですが(笑)、作者は英文科の恥部といわれたM原(77年度生)です。ちょうどキャンパスから出町方面に向かって歩いているときに、突然「回文出来た、『カジマヤまじか』」と言って、続けて「『レノマのレ』って、どないだ」と連発。皆で大笑いしましたが、心理学科のO原が「お前、それ道端の看板見て作ってるやろ」と暴露して、二度大笑いでした。ちなみに僕はずっと「カジマヤ間近」と思っていましたが、「カジマヤ、マジか」という受け止め方もあり、どちらかというとそっちで理解していた連中が多かったのではといまさらながら考えてしまいます。

ちなみに、英文科の先輩T原さんの作った麻雀回文、ただし鹿児島弁のイントネーションが必要というのがあります。「親んタンヤオ」ってやつです。これも結構受けました。

おっと、松原の話でした。「どんぶりくん」なるペンネームを使っていた大牟田の青少年は、先輩の前では猫をかぶっていましたが、同期の松原や下の連中の前では、結構いい顔役だったようですね(笑)。しかし、彼を思い出すと必ず北海道出身で髪が長く色の白かった国文科の女子大生を思い出してしまいます。ジョンの「ワーキング・クラス・ヒーロー」の歌詞を見て、「こんな歌詞、私だって書けるわよ」と豪語した伝説は有名ですね(笑)。そんなん、コロンブスの卵というか、あのジョンが書いたから話題になるわけで、地方の無名の女子学生が書いたって、世の中舐めるなと云われて終わりだってこと分からなかったのか。彼女が、教鞭を取っている学校の生徒はどんな人生を送っているか、ちょっと興味が湧きます。が、連絡取りたいとは思いません(笑)。結局、松原の話は何も書いてないや。

覚えています。

この文章は覚えています。一緒に縞模様とデヴィッド・ボウイ,KANが思い浮かぶのですが・・・・記憶が定かではありません。このころ、何度かPANTAのライブを見ています。そして、PANTA&HALのライブのLPも3年前までぐらいは持っていました。
「マーラーズ・パーラー」は衝撃的でした。今、聞き直してみると、ライブの方が演奏が荒くて、それがいい感じです。PANTAX WORLDに納められたマーラーズ・パーラーはイントロのハーモニカがフォークみたいで、どうもだめです。
この後、PANTAはHALを解散して、T-Birdをバックに従えていましたが、私はダブルドラムスのT-Birdも好きで何度かサーカスでライブを見ました。T-Birdのライブに予告なしでPANTAが登場したこともありました。

guevara129さん、記憶正しいですよ

表紙に縞模様のイラスト入っていました。デビッド・ボウイは、ネバネバライオン氏(しかし、なんというペンネームだ、笑)が、好きで良くネタにしていました。広告研究会のT田君ですが、ご存じないですか、確か経済の76年度生だったと思います。

>イントロのハーモニカがフォークみたいで
当時のビクターがフライング・ドッグレーベルというのを作って、そこでパンタを中心とした日本のロックを売って行こうという戦略があったようですね。その同じレーベルにウィーピングハープ妹尾がいたので、『Pantaxs' World』と次の『走れ熱いなら』には、やたらハーモニカが入ってます。僕はこの時にインタビューしたパンタから「マーラーズパーラー」の最後に流れてくる無線音は「あなたの周波数をこちらに合わせてください」という意味だと聞いて、随分感動したのを覚えています。

長い前振りで恐縮ですが

昭和56年の話です。職場に 1人の男が 飛び込みセールスに来ました。よく知ってる大手企業で 間接的に世話になっておりました。「間に他業者を噛まさず、直接やろうじゃないか。」の提案で、当時の上司が 二つ返事でOKし、取引が始まりました。この人 タメ口で 荒っぽい。「XXさん おるか?」「週末までに準備しとけよ。」と どちらが客なのやらと言う感じ。受付の子が「XXさんを尋ねてくるあの人は ヤクザ屋さんですか?」と本気で聞いてきたほどでした)。確かにチンピラに見えないこともないかな(笑)。しばらくして、お互いの話もするようになり 聞いたら 何と中央大学出身だと言う。「私、中央を受験して落ちたんですよ。」とかの話をしてたら 「あんた、妹尾って知ってるか?」と聞くので、「ウィーピングハープ妹尾ですか?」と答えた私に 彼が返した言葉は・・・「そう。俺は 大学時代 妹尾と一緒にバンドをやっていた。335とツインリバーブでな。今でも たまに電話で話をするし、妹尾がこっちにLIVEで来たら 会ったりもするよ。」でした。単に同期だ位の答えしか予想してなかったので、驚きました。残念ながら この人は しばらくして異動となり そのまま転職されたそうで、その後の事はわかりません。妹尾と聞くとその人を 思い出します。もう定年でしょうけど。 そうそう 昨年 この時の上司に 25年ぶりにお会いしました。すっかり おじいさんになっていて、足が悪いそうで ステッキを使って 引きずりながら歩いておられましたが、話し方は 昔のままで しばし昔話に花を咲かせました。ところが このお方、私と別れた後、何と1人でファッションヘルスに行かれたのです。片足は不自由でも 真ん中の足はお元気だったようで。めでたし、めでたし(笑)。

フライング・ドッグつながりでしたか

 音源は持っているものの、クレジットを見ていないので、ウィーピングハープ妹尾とは思い浮かびませんでした。そういえば、山岸なんかもメンバーに入っていましたね。セカンドの「走れあついなら」に「ヤマギシ!」というPANTAの声が入っているのを思い出します。PANTAと関西ブルース、今、考えると異質で交わらない感じがします。
 ウィーピングハープ妹尾は休職していた時、大阪でライブを見ました。帽子をかぶって長い髪、昔のままの姿でした。

デューク先輩、心温まるお話(笑)

ありがとうございました。本来はウィーピングハープ妹尾と学生時代にバンドを組んでいた人の話をするべきでしょうが、最後に登場したお方の大ドンデン返しというか、男の本能は死ぬまで消えぬという人生における一つの真理、あるいは理想の姿を見せて頂き感動いたしました。しかし、実はその手に持っているステッキも何やら怪しげな使い方があったんじゃないかと想像するとめまいがしてきました(笑)。あ、そうそう姫がよろしくお伝えくださいとのことでした。

セカンドで山岸やナルッチョ

ジョニー吉長、国府輝幸なんかと一緒にやったのは、やはりウェストロードつながりというか、塩次伸二のルートからだと思います。これはパンタ自身が雑誌のインタビューで言ってたことですが、セカンドの録音をする前にメンバーから歌詞を見せてくれと言われたことが一番うれしかったそうです。頭脳警察を解散して、バンドではなくソロシンガーとしてスタートしたものの、やはり「あやつり人形」や「人間もどき」、「ガラスの都会」などを歌うときは、演奏メンバーと一体感をもってやりたいというのがあったと思います。パンタはこの後スージー・クアトロの前座で全国を回り、その後パンタ&HALとしてスケールアップして再登場しますね。この時期にパンタのレコードを聴けて、ライブを見ることが出来たのは実に幸運だったと思います。

補足しますと

あの時いたのが、梅田地下街東側で、別れる時に 「泉の広場は どっちかな?」と聞かれ 東通商店街のあるいかがわしい場所に何の用事だろうと思ったのですが、 畏れ多くもかしこくも 晩年の昭和天皇のような状態の よぼよぼのご老人が、まさかファッションヘルスとは、超サプライズでした。それに加えて、何と 事前に店のホームページを見て 指名する女の子も リストアップしてあったのです。その子らが 空いてなくて、別の子を指名したけど、ハズレだったそうですが(笑)。風俗に行く前の 時間つぶしに 呼ばれたのか…

デューク先輩、父兄です(笑)

違った、府警です。これでもない、婦警ですっていい加減にせんかいとどつかれそうです(笑)。そうですか、ITテクノロジーを駆使して情報収集をしたわけですから、じっくり待てば海路の日和があったはずなのに、気持ちというか欲望はティーンエイジャー並みでがっつくからスカ引いてしまったわけですね。どこやらの御大もそういう傾向が無きにしも非ずですが(笑)。
非公開コメント

トラックバック

まとめtyaiました【マーマレード興亡史 松原健遺稿集その3】

 松原君の『日本のロック・アルバムを追って』シリーズもついに3回目。つまり、マーマレードも無事3号目が世に出されたというわけである。取り扱ってくれるところも、大阪

プロフィール

Author:drac ob
FC2ブログへようこそ!

月別アーカイブ

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ブロとも申請フォーム

FC2カウンター

FC2カウンター

現在の閲覧者数:

QRコード

QR

鳩時計

フリーエリア

ブログ内検索