ビバヤング!洋輔2デイズ

 すっかり忘れていた。洋輔2デイズの話だ。やっぱり、あれだな。ストリート音楽祭は次の本番に向けてのリハーサルというか指ならしだな、などと少しひねくれた考え方をしたが、いやいや実に満足、お腹一杯プロの演奏を聴いた2日間だった。今年も昨年に引き続き、ストリート音楽祭とその翌日のホール・コンサートという山下洋輔三昧の日が続いたのだ。大変うれしいことに、我がストリート音楽祭と洋輔は3年契約らしいので来年もこの2デイズが見られると思うと湧く手か、いやwktkである。wktkなどと書いても、拙blogをお読みいただいている「年齢と体力はともかく、精神だけはナウなヤング」の諸君には通じると確信している。まさか大慌てでグーグル先生に質問している奴はいないよな。あ、ケペル先生に聞いても無駄だぞ。『H-O-W, How?How?How?インディアンじゃないんだよ、それはベサツ用語だから今はネイティブ・アメリカンさ。ついでにエスキモーも今はイヌイットさ』、としか答えてくれないはずだ。ひょっとして子供電話相談室に尋ねたら無着成恭先生が独特のイントネーションで「それは、ワクテカと言ってね、期待に満ち溢れて『わくわく、てかてか』しているところから使われ始めてね」などと説明してくれるかもしれんが、保証は出来ない。

演奏中

 などと、またもやどさくさまぎれの導入部であるが、しかし、なんというか、やはり洋輔は洋輔であった。実は、今回のストリートと翌日のホール・コンサートだが、先だって行った遠藤ミチロウのライブの時に、いつものY尾君がフライヤーを持ってきてくれて、その時のフライヤーはホールコンサートのものだったが、そこには大きく「guest 向井滋春」と書いてあり、何年か前のストリート音楽祭に向井滋春が出演したので、今回もストリートに登場するものと信じ切っていた。ま、いつもの粗忽だ。去年の洋輔ライブはサックスとパーカッションが若手2人、そしてバイオリンに太田恵資というメンバーだったが、今回はベースに坂井紅介、ドラムに江藤良太、そしてなんとサックスに川嶋哲郎という強烈メンバー。僕はてっきり、この洋輔カルテットにゲストで向井さんのトロンボーンが絡むと信じ切っていた。そしてそれは間違っていなかったのだが、向井さんが登場したのはホール・コンサートだけであった。

 いや、どうも未だに興奮が冷めないもので、話が見えないかな。もう一度整理して始めて見る。少し前のエントリーに書いたように、今年のストリートは陽太が出ないので、夕方の洋輔のライブに間に合えばいいけど、もしかしたら拾い物のバンドがあるかもしれないし(これはザッツ・ライトだったが)、まあ昼ビーとか昼チューがどうどうと出来るのもストリートの特権と午後の2時半くらいから、ILU GRACEのリハを見ながらちびちびやっていたのだが、洋輔のライブが始まる前の16時には県庁のクス並木通りのど真ん中に設置された仮設ステージに向かったのだ。先発隊のY尾君が前列から2番目の椅子を確保したという電話があったので、それほど慌ててはいなかったが、とりあえず片手に昼チュー・オン・ザ・ロックの紙コップを持って歩行者天国になっているメイン・ストリートのど真ん中を歩いて行った。まさしく”Exile on Main Street”である。当然口ずさむのは「タンブリン・ダイス」である。Exileがついているからと言って「ちゅーちゅータコかいな」じゃなかった「チューチュートレイン」などは間違っても口ずさむことは無いのだ。などと、妙に力が入ったが、時々紙コップを口元に持っていき、ややふらふらしながら洋輔のステージに向かった。すぐにY尾君と合流し、その後別の友人とも一緒になり、とりあえず3人で前から2列目のベストポジションというべき場所を確保し、この日合流するといっていたロック・バーのマスターのための椅子も確保した。あいにく空模様が怪しくて、今にも振り出しそうだったが、洋輔のライブを見に来るお客さんはひっきりなしで、路上に置かれたパイプ椅子はほとんど満杯状態であった。「drac-obクン」と女性の声がするので、そちらを見ると高校時代の同級生がいた。つまりは同い年である。せっかく洋輔のライブを見るのだから、ここはひとつ「ジャズ喫茶に出没する謎の美少女」と一緒に見たいのはやまやまだが、残念なことにコネクションがない。今から知り合おうとしても、ライブまであと20分。うーん、この際、ひとつ妥協して同い年でもいいじゃないか、久しぶりに積もる話もあるかもしれないじゃないか、あ、それ以上に可能性があるのは同級生の人脈からおねいさん関係の紹介を貰えるかもしれないじゃないか、ということをコンマ5秒で考えて「お、久しぶり、Y尾もいるし後からロック・バーのマスターも来るから、一緒に見ないか」と誘ったが、相手は僕の下心を察知したのか職場の人達と一緒だからまたね、とあっさり断られてしまった。

 ま、それはいいのだが、ライブの前にガソリン補給ということでY尾君も昼チューを始めて、前回のミチロウライブの総括などをしていたら、「どーも、どーも。遅くなって」と声がして、振り返るとロック・バーのマスターが立っていた。手に大きなビニール袋を持っている。「これ買ってきたから、皆で呑もう」と、彼がその袋の中身を出してきたが、なんと菅野美穂がCMしている丸くないウイスキー1本と、氷がたくさん入ったプラスチックのコップ(ロック・アイス・グラスなどと名前がついている)、そして炭酸のペットボトルが5~6本。いったいどうするのかと見ていたら、そのプラスチックのコップの包装を取り、上蓋を開け、そこにウイスキーを入れ、さらにその上から炭酸水をドボドボ入れて、上蓋をしっかり締めると、あ~ら不思議。そのあたりのオサレなカフェなんかで若人が飲んでるドリンクみたいになる。コップは横から見るとアイスティーなんかが入ってるように見えるが、その正体はハイ・ボールである。しかも呑み方が上蓋についてるストロー口みたいなところからちゅーちゅー呑むから、はたから見るとどう見てもオサレなドリンクを飲んでるとしか見えない。

 こりゃ、いいじゃないか。昼間っから紙コップでウイスキーなど飲んでいると、どうも人間やめますかのオジサンみたいだが、こういう感じでわあわあやってるとティーパーティーに集った30年前のヤングみたいでいいじゃないか、などと勝手なことを言ってぐいぐい呑んでいるうちに開演の時間がやって来た。もっとも、空模様はますます怪しくなり、時々冷たいものが顔に落ちてくる。ステージにはH高時計本店のものと思われるグランド・ピアノとドラムセット、そしてマイク、PAがセットされている。こりゃ雨天中止で場所移動かなと、少し不安だったがスタッフがステージに簡易テントを2帳持ってきて簡単な雨よけはできた。定時より5分ほど遅れて、ステージにメンバーが登場した。

 去年、ストリートで見た時はサービス過剰なまでのMCがあり、しかもその時のライブ前に地元テレビの番組にも登場していた洋輔だったが、今年はおしゃべりも控えめ。その分演奏に熱が入っていた。1曲目、2曲目は昔の洋輔を思い出させる、ややフリー・スタイルの演奏。しょっぱなからひじ打ち、拳骨が乱れ飛ぶ。川嶋のサックスもブロウしている。ベースもドラムもブッ飛ばしていく。なんでもかんでも、どんと来い。これが洋輔だという演奏だった。今回のメンバーの人選がどういう基準だったか、当然知る由もないが、一人一人に好き勝手に演奏するパートがあり、アンサンブルとソロのバランスがしっくり、天気はなんとか持ちそうな感じだ。



 3曲目に演奏したのは「幻燈辻馬車」。洋輔のリズミカルなピアノと川嶋のフルートが薄暗い東京の街を走る馬車のイメージを喚起する。あの岡本喜八監督が、山田風太郎原作の明治ロマンあふれる幻想小説を仲代達矢、真田広之、緒形拳という芸達者な役者と山下洋輔の音楽で映画化しようとして果たせなかった幻のサウンドトラックである。洋輔本人も、随分思い入れのある作品のようで去年も演奏している。またMCでも「どなたか奇特な方が出資して、何とか映画にしてくれませんかね。たったの10億くらいでいいんですが」などと無茶をいう。よっぽど手を上げて「オレが一部負担するから、残りの9億9千9百9十9万をどなたか負担してくれないか」と言ってやろうかと思ったが、良く考えるとこのライブは配偶者もどこかで見ているはずなので、その後、家に帰って『恥ずかしかった』とか『バカじゃない』とか言われるのがうざいのでやめた。MCといえば、その前に「スパイダー」をやった時だと思うが、「…この曲はそれぞれが自分の好き勝手に演奏していいという曲です。こういうことを40年以上やってきました」と言うのを聴いて、思わず全力で拍手をしたら、その拍手に反応してくれたのか「ありがとうございます」と返事をしてくれた。そうなのだ。限りある人生で、自分の好きなことをやらずに我慢してどうするのだ。言いたいことは言う。やりたいことはやる。それでいいのだ。人生は単純なほうがいいのだ。と、このあたりは赤塚イデオロギーもかなり影響しているな、オレ。

ソロ

 ラスト・ナンバーはクルディッシュ・ダンス。クルド人に聞かせたらクルド人もびっくりして、長いストローをグラスに差し込んで帽子をかぶってウィンクしたと、どこかで初恋の味と混乱してしまったが、あ、あのカルピスのイラストもいらんことチクリのどこかの親子がダメにしてしまった、ちびくろサンボも焚書にあった。だいたい、痛みを共有するのはいいがロイクでもないのに、やたら難癖つけてマンガや本や、ええとその他多くの我がポンニチ文化に「ああ、こんなところに関わるのは時間と金の無駄だからとりあえず謝って、無かったことにしておこう」という長いものに巻かれろ主義を蔓延させたのは、彼らの犯した大きな罪だと思う。あ、なんでこんな話を書いたのか、先ほど読んだ週刊誌でハッシッシビヨンドオザワなんて記事読んでムカついていたからだろう。

 とまあ、1時間のライブは圧倒的に凄まじく、ただ向井滋春が出てくるはずだ、きっと出るはずだ、いつ出るんだろう、そうか前半30分はカルテットでやってその後ステージに呼ぶんだな、あれ、もう残り時間があんまりないぞ、え、クルド人も踊り終わったぞ、そうか、アンコールか、憎い演出だね、アンコールに出てきて一緒に、あれ、ステージを解体し始めたぞ、どうなってんだよ、おい、こら主催者、え、あ、なに、向井さんは明日のホール・コンサートのゲストで、今日はまだ宮崎にも来ていない、え、なんで、いや、フライヤーに書いてあった、あ、あのフライヤーはホールのこと、ストリートじゃない、要するにオレの早とちり、得意の粗忽、あ、そう、うん、人間思い込みって怖いね。というやり取りがあったが、そんなに気にすることは無いと思う。

 洋輔を見終わって、急いで先ほどリハを見たILU GRACEのステージに向かった。ラストの2曲を何とか聴くことが出来た。その移動中にBLACK BOTTOMのステージやROOM#501のステージがあったのだが、こちらは気がつかなかった。ILU GRACEのステージで別の友人とも合流し、腹も減ったのでシーメに行くかと話がまとまり移動していたら一番大きなステージで何やら歌声がする。見ている客もかなりな人数で道路上の椅子はフルハウスで、左右の通路にも人があふれている。いったいなんだとのぞいてみたら、サーカスであった。真ん中に団長がいて左右にクロちゃんとHIROがいた。んなわけないか、それでは安田大サーカスだ。ステージにいたのは「ミスター・サマータイム」の大ヒット(いや、それしか知らんぞ、と言う声はさておき)で有名なサーカスだった。女性2人男性2人のコーラスは絶品で、バックは生ピアノ1台だったが流石はプロ。見事なハーモニーを聴かせてくれた。かわいそうだったのは途中で雨がぽつぽつ降ってきて、テントはピアノの所にしかなかったので、メンバーは雨に打たれながらの熱演でした。もっとも、どんな曲を歌ったか、ほとんど覚えていない。あ、そうそう「見上げてごらん、夜の星を」を歌ったな。

 そのサーカスも終了し、腹を減らした僕達総勢5名は、何故か無性に地鶏が食べたくなり有名な丸万に突撃。1軒目が満員だったので、2軒目に行ったらこちらも多かったが、なんとか座敷に上がりこみひたすら地鶏のもも焼をかぶりつき、脂がきつくなったらキュウリを噛み、漱ぎにスープを飲んだが収まらない。まだ食い足りないという意見が出る中、ロック・バーのマスターが「次は刺身を食おう」というひと声で店を移動。次に入った店は鶏刺で有名なお店。目の前に出されたモモ身、ムネ身、ササミ、ハツ(心臓)、砂肝、レバー、しかし中々箸が動かない。当たり前だ、先ほど鶏のもも焼を食べたばかりだ。いったい何が悲しゅうてこんなに鶏ばかり食べないといけないのだ。何の祟りだと喚きながら呑み且つ食った。なんだかんだで腹がくちくなってきたら、今度はちょっと歌でも歌うかと言う話になり、ストリート音楽祭のあった夜に僕の「サマータイムブルース(もちろんRCバージョン)」が炸裂した話まで書くと終わらないので、今回はここまで。あれ、洋輔2デイズなのに…。ところで、いったいどこが「ビバヤング!」なのだというご指摘はごもっともです。たまたまこの間読んだ本がオールナイトニッポンとセイヤングの歴史をまとめた『70年代深夜放送伝説』なんてやつだったので、潜在意識のどこかに残っていたんだな、パヤパヤ、ビバヤング!!

ラスト

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コメント

この間の日曜日にソーメンを食べながら

「冷やし中華人民共和国」の事を思い出していました。アグレッシブなジャズを聴かなくなりましたね。若い頃は、暑くなったらアグレッシブなジャズかやかましい俺のロックめでしたが、今は そもそも手元にあるジャズレコードは、約30枚のみ。それもおとなしめのばかり。山下ー坂田の音が懐かしいです。特にこれからの季節は、冷やし中華から連想し、たまに聴きたくなります。

真夏の暑い日に聴くジャズ

というのは、なかなかにいいものですね。学生時代は、まだまだエアコンが普及してなかったので、炎天下汗ダラダラで歩き、エアコンの良く効いたジャズ喫茶でコールコーヒーを注文して、エリック・ドルフィーを聴くなんてやってました。あまりの暑さで頭がくるくるぱーになってるからフリージャズが入ってくるんでしょうか(笑)。山下洋輔、丸くなりましたよ。拳骨やひじ打ちは、もう予定された16文キックというか、河津落としという感じです。ドシャメシャのフリージャズは、ほんのちょっぴりで後は、アップした動画のようなメロディのはっきりした、リズムもきちんとした演奏が多くなってる気がします。そうそう、ひところの夏のジャズ喫茶にはチック・コリアとRTFが良く流れていました。"What Game Shall We Play?"もBOXで良く聴いたな。そうそう、業務連絡です。ネルシャツO畑の生存が確認されました。

ビバヤングと言えばANN

同級生の女子にあうと思えば、奥様も同じ空間にいたわけですか。そのローカルな雰囲気がたまらんですね~!最後の本は気になりますね。中学時代は「深夜放送ファン」とか「ラン・ラジオ」つー雑誌片手によくきいてました。。。

♪おーる、なーいと、ニッポ~ン

というジングルが懐かしいですな。ひと頃、毎週月曜日の午後10時から吉田拓郎と坂崎のオールナイトニッポンゴールドを聴いていたので、それほど昔というイメージはありませんが、やはりANNは午前1時から3時までの1部を聴いて、眠気と闘いながら2部を聴いてそのまま朝まで起きておくか、爆睡して昼過ぎまで下手すりゃ夕方まで寝るってのが理想形でし。

そーなんすよ。配偶者がグループでカラオケやってるところに、乱入したので他の連中は楽しかったかもしれませんが、僕は全然面白くない。カラオケ代も、一人が「女性陣はタダでいいから」なんていい恰好しやがって、オレ、配偶者の分も全額負担、帰りのタクシー代も全額負担。納得いかん(怒)。

そですね。2部から四国だとCMがほとんどなく、その時間にかかってるゆる~い音楽が妙に記憶に残ります。79年あたりの鶴光(もう晩年という感じですが)のテープが5~6本残ってますがCMタイムがなかなか楽しめます。進学塾なんか多かったかな。そういえばマイミクさんに頼まれてテープ貸したりしましたよ。レーベルが榊原郁恵のテープをライブハウスで受け渡ししたりして(笑)。
カルメンや小林麻美は録っときたかったデス。。

>2部から四国だとCMがほとんどなく

悲しいかな、地元宮崎では1部からCMもあまりなくて番組の間に訳の分からないインストナンバーが流れていました。しかし、今考えてみるとCMが無いということはスポンサーがいないということなので、どうやって商業放送として存在したのか不思議な感じがします。僕は中学の時に自作のDJをカセットに吹き込んで、それが好評だったので味をしめて高校時代にはバックにショーン・フィリプスを流しながら、友人数名と「男には女が必要か」というテーマでだべりあったテープを作りました。今聞くと、当時の自分の幼さが良く分かるのと、ものの考え方はあんまり変わってないのでがっくり来ます。

カルメンは僕も録音しておけば良かったとつくづく思います。

ANN

中部地方は北朝鮮放送との戦いでした。

私が住んでいた地域が自衛隊の基地の近くだったからなのか妨害電波のようなものがやたら入り困りました。夜は北朝鮮、韓国、ロシア放送がジャムセッション。なのでニッポン放送を直接1242で聞くことは不可能ではないけれど、妨害電波がやかましいことが多々有、いわゆる地元系の東海ラジオで「ミッドナイト東海」というのを聞く事が多かったです。この番組は非常に強く、これはさだまさしやつぼイノリオ、鶴瓶のおかげで全国に名が知られるローカル放送だったようですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%88%E6%9D%B1%E6%B5%B7


東海ラジオ、今はテレビ兼業のCBCに押されているようですが、東京圏でのTBS以外のAMラジオの不振ぶりを考えるとまだ、東海地方の場合は営業車や自営業者、農家(東海地方は多い)が地元民放AMを聞くケースが多いようです(特にCBCのつぼイノリオ、東海ラジオの宮地ユキオの両巨頭の昼間の番組)。

先日夜中にナインティナインのANNを聞いたら、岡村君がなぜかちあきなおみと友川かずきにはまっていると告白し、彼らの歌がyoutubeで大人気となる騒ぎに。ANN、少なくともナイナイのは人気健在のようですね。

http://www.youtube.com/watch?v=zCBV9IcSxIk
http://www.youtube.com/watch?v=wMIDu8ELZ9I&feature=related
(20万以上の閲覧回数だ!)

岡村君は確か金八ファン。

私世代には懐かしい、三原順子が「ライブハウス」に行くシーン
http://www.youtube.com/watch?v=hjXyx86ElZY&feature=related

私は当時裏番組の「太陽にほえろ」派で、こちらは再放送(結構すぐ再放送があった)で見ましたが、「1979年なのにフォークかよ!」と唖然とした記憶が。三原順子この再放送でファンになりましたが、すぐにイマイチになったと記憶しています。再放送が非常に多い番組、何回か再放送見ますが、三原順子のピークはこの番組でした。

walker-brosさんも、相当深夜放送を

聞きこんだ口ですね。そちらは北朝鮮の電波との戦いだったようですが、南九州は北京放送との戦いでした。期せずして中国共産党と北朝鮮労働党との電波獲得闘争を行っていたとはつゆ知らず(笑)。デビュー当時のタモリを気に入った理由の一つに、彼のやっていた北京放送の真似が、まさしく当時しょっちゅう強烈な電波でニッポン放送の受信を邪魔していたものとクリソツだったことです。そうそう、我らがしーちゃんことあべ静江もそちらのご出身だったのでは?

割り込み米で すみません

確かに 中学~高校時代、北京放送は 実にクリアに入って来てましたね。大阪以北の放送は、ザーザー状態なのに。締めくくりのセリフが 「日本の同志の皆さん~」でしたっけ? インターナショナルのインストが 最後に流れて。 あべ静江と言えば、職場に あべ静江の松阪時代の同級生が おられます。親が 芸能界に入れたいと 必死になってる様に見えた と言われてました。私も綺麗だった頃のあべ静江のサイン持ってますよ。(笑)。

四国高知では…

ニッポン放送は比較的安定してた記憶です。ANNは高知放送できいてましたが、ニッポン放送であえてきいてたのは「ラジオドラマ愛と誠」「ゼロの世界」とか。せんだみつお足かけ2日大進撃とか、吉田照美とか。。文化放送はちと弱かったけど時々きいてました。TBSに関しては高知放送が900kHzだった関係で、電波停止のときにきく程度だったので、上京したらTBSを割とものめずらしくききましたね。中学時代はBCLにはまり、中部日本放送も東海ラジオもベリカードはゲットしました(笑)。

皆様

drac-ob様、デューク中島様
生憎、あべさんを知ったのは彼女が全国区スターになってからでした。
私は深夜放送デビューが遅く、あべさんが東海ラジオに出ていたころは10時には寝ているような子供でした!私の「現役」時代は「兵藤ゆき」ですかね。あべ静江とだいぶタイプの違う芸能人ですが(笑)。どうでもよいが「兵藤」って愛知や中部地方に多い名前という印象があります(あと鬼頭とか蟹江とか)。
ラジオ関係ないですが、八神純子、岡田由希子、河合その子、川島なお美は「同級生だった人」がよくうわさの種にしていたので又聞きぐらいでお話を聞きました。舘ひろしは本人より実家が有名でした(地元の中学生が夜中に前を通るだけの肝試しに使うような古い洋館が実家なので)

ズートホーン00様

超深夜だとニッポン放送がクリーンに聞けました。それでよく「2部」を聞きました(ローカル放送だと「1部」はネットしてくれるが「2部」の時間にはトラック運ちゃん向け放送に切り替わるからです)。

逆に地元の中部日本放送(CBC)のほうがものすごく混信で聞きづらかったんですよね。これは有名みたいでウィキペディアに載ってます(笑)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%B7%E4%BF%A1

ツボイノリオといえばおはようこどもショー

walker-brosさん

ツボイノリオ、なつかしいですね~ラジオでもききましたが
おはようこどもショーですよね、たしか。
大メジャーでしたが、いまもお元気なんですね。
動画みたくなりました。。

スミマソン

walker-brosさん

no nameになってました。失礼しました。。

まとめレスで、さらに亀レスですが

>デューク中島先輩
あのクリアな北京放送には、ほとんど殺意を覚えました(笑)。エキセントリックな女性アナウンサーがわあわあ喚いて、やたら「偉大なる毛主席」とか「日本の同志の皆さん」とか「在日アメリカ軍は張子の虎」だとか、まあその手の発言ばかりでしたが。後年、大学の最後の頃に偶然当時の後輩たちと下宿で麻雀しながら北京放送を聞いていたら「劉少奇は犬ではなく人である」という再評価のニュースが入ってびっくりしました。そりゃ、犬じゃなくて人間だっつーの(笑)。

>ズートホーン00さん
吉田照美は就職して、関東で仕事をしていた時にラジオで良く聞いてました。「ルンルンラジオ」とか言ってなかったですかね。ベリカードは名前こそ知っていましたが、どんなものか見たことは無かったです。受信記念みたいなものですね。いろんな放送局のものを集めている人がいると知って、世の中にはいろんなコレクターがいるんだとつくづく思いましたが、良く考えたら自分自身も本とレコードの立派なコレクターでした。

>walker-brosさん
ときならぬ「あべ静江」リクエストでご迷惑おかけしました。高校生の頃だったが、確かガッツというギター雑誌に当時の深夜放送のDJの座談会(笑)がアップされていて、キンキンがポール・ウェイトリフティングなどというシーモなネータをやってました。その記事だったか、別の記事だったかに我らが「あべ静江」様がアップされていて趣味は「パン×ィ集め」と書かれていて、いたくコーフンしたのを思い出しました。いや、それだけの話ですが。

>再度ズートホーン00さん
ツボイノリオはある意味谷岡ヤスジ主義者と言えると思います(笑)。
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 すっかり忘れていた。洋輔2デイズの話だ。やっぱり、あれだな。ストリート音楽祭は次の本番に向けてのリハーサルというか指ならしだな、などと少しひねくれた考え方をし

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