6周年のご挨拶というか駆け足で振り返る6年間

 昨日、花の75年度生トリオの一人であるPurple_Hazeさんのblogをのぞいたら、blog開設5周年とあった。彼は2007年の4月から『Blues Power』というクラプトンの曲名から頂いた音楽blogをやっているのだが、よくよく考えてみると僕も2006年の4月から拙blogをスタートしており、ということは6周年ではないかということに気がついた。そもそも4月29日にblogをスタートしたあたりに、分かる人には分かるこだわりというものがあるのだが、まあ、その辺の話はさておき、気がついたら6年たっていた自分の歴史を振り返り、総括することも必要ではないかと考えたのだ。

 考えてみると、このblogは最初、『人生はさすらい』というタイトルでパスワードをかけた閉鎖的な、要するに特定少数に対するblogだった。何度も書いたことなので、またかと思われるかもしれないが2006年の4月当時僕は無職で、職安で紹介された職業訓練を終わったばかりだった。3か月間の職業訓練だったが、そこでパソコンの勉強を一緒にしたのは20代、30代の若者たちで、当時十分オッサンだった僕は疎外されることもなく彼らの輪に入れてもらい、まあしかし、こういう性格だからついつい若者諸君に説教垂れることも多く、僕と同世代の連中であれば「てやんでぇ、このジジィ」的態度で反抗すると思われるのだが、いまどきのワカイモン(このあたりの表現、オッサンだね~、笑)は説教に慣れてないのか、逆に新鮮な刺激だったのか、結構重宝してくれて、じゃ訓練終わった後も、皆でいろんな意見や話を共有できる場を作るということで始まったのだ、このblogは。

 もっとも、最初の1か月くらいは僕の身辺雑記的な話と大学時代のちょっとした思い出話を書いていたのだが、5月の終わりから東京にアルバイトに行くことになり、そのあたりから元訓練生の諸君の登場が少なくなり、えーと9月くらいだったかコメントくれるのは元DRACの先輩、後輩だけになり、だったらパスワード書ける必要もないし、もう今後はオレの言いたいこと、書きたいことを表現する場としてblogを再スタートしますと宣言し、その時に『別館4階のBOXから』というタイトルが決まったのだ。そうそう、実はもう一つ、こっちのタイトルも捨てがたいと思っていたのが『それどころや無かったんや』というやつで、これはもう75年から多分82年までの間にDRACにいた人でないと分からないという完全楽屋落ちのタイトルであった。いまだに、一時のシャレで『それどころ』にしなくて良かったと思っている。

 さて、簡単に拙blogスタートのいきさつを書いたが、一口に6年と言っても小学生が入学から卒業までの期間と等しい。つまりロングロングタイムアゴーである。ざっと振り返ってみると、2006年の6月から7月にかけては東京の保谷というところでバイトをしており、アキバのメイド喫茶探検の話(未遂に終わる)やCDを買いまくる話などが中心だが、いまだに心に残っているのは吉祥寺のいせやに行って、高田渡をしのびながら焼鳥を食べたことだ。今は立派なビルになってるいせやだが、当時は昔のままの古い民家風で威厳のある建物だった。おっと、その前に一番最初のエントリーは何だったかというと地元のショッピングモールで行われた内田勘太郎と下地勇のジョイントライブのレポートだったっけ。そして、この年はもう一つ印象に残ったのは9月の加川良だった。ギター1本で「舟をこぎながら」歌う姿は感動的でした。

 2007年は何と言っても『フォークソング・クロニクル』という不定期なフォークの話を書いたな。わははは、例によって途中でどこかに消えてしまったが(※実は今、僕の若い友人である澪ちゃんが「フォークソングクロニクル」というタイトルで、シリーズを書いています。僕のような「面白けりゃ多少事実と違っていてもええんちゃうか」的なものではなく、しっかり歴史を検証して続けているので、興味をお持ちになった方は訪問してください。澪ちゃん、これでいいかな、笑)。6月にはWeb上では再会していたSugarmountain君と地元でこちらも多分20数年ぶりに再会。大いに呑んで食って語り合った。それをきっかけに元DRACの人たちの消息がぼちぼち分かり始め、あの未完の大作『DRAC興亡史1975-1980』がスタートした。もっとも75年の夏合宿から先に、あ、違うか、秋のEVEの話の導入までは書きました。なかなか続きを書くのが面倒、いや、その何かきっかけがあればまた始めるつもりだけど(汗)。ライブ関係は9月にまたもや加川良、このときはスティールギターのすぎのと一緒だった。そしてなんといっても11月に初めてカルメン・マキ最強トリオ(板橋文夫ピアノと太田恵資バイオリン)のライブに行き、そこで高校時代の同級生だったY尾君と20数年ぶりの再会を果たす。この年はライブの当たり年で同じく11月に故塩次伸二とウィーピングハープ妹尾のブルースを聴いた。そして12月には27年ぶりのジャンプをしたリトル・ジャイブ・ボーイズ、要するに元ウシャコダの藤井君と珍教祖との再会があった。

 2008年は衝撃のZEK3を初めてライフタイムで見た。いやー、その驚きというか感激は半端なものじゃなかった。あまりに嬉しくて、この気持ちを何とか伝えたくてくるみさんのホームページに書き込みしたら、レスを頂き、それから何度かメールもやり取りさせてもらい、なんと昨年僕の誕生日にあったライブでは、ソロのアドリブでハッピーバースデイを演奏してもらった(得意顔)。おっと、地元のジャズを頑張っていた香月保乃さんの単独ライブもこの時期から通い始めた。2セットの間に1曲か2曲、70年代のヒットチューンを入れてくれるのが楽しかった。キャロル・キングを歌ったときは「次はジョニ・ミッチェルね」とリクエストしたが、それは今度ニュー・ヨークから戻ってきたときに聴かせてもらおう。そうそう、この年の4月にフランシス・マバッペという強烈なミュージシャンのライブも見た。カメルーン出身でリズムが強烈、しかしながらメロディも美しい。一緒に演奏していた西藤ヒロノブのギターもマルでした。

 この年もライブは当たり年で、7月に天下のBAHOを見た。アコギで聴くベンチャーズ、そしてアンコールの「SMOKY」はエレキと変わらないというか、エレキ以上のド迫力でしたな。石やんとの掛け合いも最高でした。おっと、忘れていた。地元のイベント、みやざき国際ストリート音楽祭に行き始めたのもこの年から。ここで宮里陽太と出会った。クラブジャズだか何だか知らんが、テレテレしたサックスというかちゃらちゃらしたサックスが主流のこの時代に「男はバップ」という、流石は九州男児の心意気のサックスに惚れたね。その彼が山下達郎に認められたのは、実に感動である。そうそう、10月には坂田明とジム・オルークのちかもらち(「ちからもち」のタイプミスに非ず)。悪いわけがない。最近アルバムが出たらしいので、何とか入手せねばの娘だ。ジム・オルークは若松監督の『実録連合赤軍』の音楽も素晴らしかったな。そして11月はさがゆき、パリャーソウィズフレンズとしてのライブを見た。12月には何故か餃子屋でカルメン・マキ最強トリオを2年連続で見られた。CDにサインも貰った。

 めったにない家族サービスとしては9月に下の子のコンクールの応援に長崎に行った。実にエキゾチックな街で、2泊3日があっという間だった。是非もう一度行きたい街の一つである。さらに、この年の12月に以前勤めていたJEPという会社の仲間たちと再会し、それ以来夏と冬はキャンプに出掛けている。山岳ゲリラというか山岳ベースキャンプ設営である、そんなわけないか。まあ、その手のバカ話と当時20代30代だったイケイケ時代の話をして盛り上がる楽しいキャンプである。誰がハングオーバーになるかというロシアン・ルーレット的楽しみもある(笑)。

 そして2009年は自分の娘だと言っても全く違和感のない酒井ハルカのBONOBONO BANDを見た。ライフタイムがテーブルを取っ払って、客が入るだけ入れた唯一のライブではないか。ちなみにハルカちゃんとはFBでもオトモダチである。決して下心などないことを公然と宣言しておく。おお、そうだった、この年に『ヤングな僕のぽっぷす・なう』というシリーズを始めたが、こちらもいつの間にか忘れ去られている。ま、そのうちやります。実は昨日、図書館で『僕らの「ヤングミュージックショー」』という本を借りてきて、パラパラ見ているのだが、懐かしいですね。クリームの解散コンサートやディープ・パープルとキャット・スティーブンスの放送など、このあたりの話は一度じっくり、などと安易に書くからあとで困るということを未だに学習できないワタクシです。

 ただこの年は思い出したくない訃報もあった。5月の清志郎と10月のトノバンである。特に清志郎はゴールデンウィークの後半に入る、まさにその時だったから余計気が重かった。というか、しばらくは無かったこととして現実の受け入れを拒否していた。反対にちょっといい思い出はストリート音楽祭で小野真弓を見た。可愛かったな~。

 2010年は地元にとって最悪の口蹄疫の1年だった。普段は能天気な拙blogもこの時期は、暗い記事や重たい話が何度かアップされたな。もっとも春先はZEK3を2回連続で見られてご機嫌だったんだけど。それとこの年は頭脳警察の5時間を超す映画のDVDをようやく入手して繰り返してみた。しかし、パンタもトシもこの時は既に還暦なのだが、今は還暦つっても下手な若者より体力気力十分であることは、先日のミチロウライブでも体験済みだ。そうだ、口蹄疫で落ち込んでいた僕に中山うりを燐さんが教えてくれて、それからはまりましたな。そうそう、個人的にもこの年はろくなことが無くて、未だにエントリーにアップできない話があるのだが、オープンにした不幸話としては、10月に追突されて1か月以上整形外科に通う羽目にもなった。大した後遺症もなかったのが不幸中の幸いだったっけ。

 2011年つっと、去年だけど幻の連続エントリー「ワタクシと北関東の出会い」を書いていたら、3.11が起こってしまい、それだけが原因じゃないけど、こちらも宙ぶらりんになっている。僕の最初の会社のスパルタ話だけど、こんなもの誰も読まないだろうと思って書いていたら、意外と面白いと言ってくれる人たちもいて、じゃあ、そういう応援をうけているのならしっかり連続して書けばいいと思うかもしれないが、ま、人にはそれぞれ事情というものがあって、要は、僕は飽きっぽいのだ。わははは、この年になってようやく気がついた。ライブはこの年もかなりの当たり年でした。なんといっても藤井君の「ウクレレ抱いた渡り鳥」を見ることができた。アンコールで「何年たっても」を演奏してくれたのは最高の思い出です。10月は宮崎空港でジェイク・シマブクロのライブを見たけど、あの演奏の強力さは記録媒体には残せない、まあ、これはジェイクに限らないけど、やはり音楽は生き物だ、ライブだということですね。11月にはakikoのライブも見た。ジャズバンドをバックに歌うビートルズナンバーは素敵でした。今月ついにCD買いました。

 とまあ、駆け足で書いてきたけど、それぞれに思い入れのある話ばかり。書ききれなかったのは2007年1月にそのまんま知事が誕生し、3月にオールナイトニッポンやったのをテープから起こしたけど、途中でダウンした話とか必殺二枚三枚の下を持つ男中山センセとか、いつも愉快なタモさんの話とかね。そうそう、リザードのモモヨさんともWebで再会できた話も。全然、まとまりませんがここはひとつ”Every Dog Has His Days”ってことでひとつヨロシク。そうそう、ここまで拙blogが続いてきた大きな要因は、いつも愉快なコメントを入れてくれる諸兄姉のお蔭です。さらに、こんなエントリーのいったいどこがツボだったのか、常に悩ましてくれる拍手の人たち。もちろんROMの人も、皆さんへ、愛してます。今後もご贔屓に、宜しくお願いします(土下座)。

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コメント

おめでとうございます

おぼえやすい開始日で、言われるまでもなく、意識しておりました。Pさんへの貴コメントで、ご本人も記念日エントリーをされるかなと思い 個人宛メールでなく 記事を待って、コメントとして入れさせていただきました。そう言えば、尻切れトンボのシリーズ物が数え切れない位ありましたね(笑)。個人的には、ポップスナウとEVEがらみは、続きが欲しい所です。ブログの新年度突入おめでとうございます。これからも宜しくお願いします。

6周年

おめでとうございます。
考えてみるとdrac-obさんとの出会いはsugarmountainさんの所での懐かしい京都ネタでのコメントがきっかけでしたね。
別館が新町だけだと思っていたのがそうじゃなかったんだと言う事もこちらで初めて知りました。
おかげさまでデューク中島先輩やTHIS BOYさんとも出会う事が出来ました。
お互いまだまだ枯れる年じゃないのでこれからもずっと身も心も現役であるよう精進しましょう♪
それが報われる日が来るかどうかは置いといて(笑)

ブログ6周年おめでとうございます。

そういえば、そういうことあったな、とか思いながら読みました。
やっぱり口蹄疫と東日本大震災はインパクトもダメージもダントツでしたね。
うりちゃん紹介したの、口蹄疫の頃でしたか。ということは、母の入院はそれと同じ年かあ。ここですでに記憶の混濁がおこっています。

そういえば、うちのブログは8月で8周年、SIS公式サイトも8周年、小説は4月で5周年。我ながらよく体力があるもんだと感心します。

まあ、どれだけ続けられるかはわかりませんが、お互いがんばりましょう。

デューク先輩、ありがとうございます

学生時代は毎日のように顔を合わせて、バカ話していた仲間たちとはいつでも会えるみたいな気持ちでいて、当時は若くてバカだったので(笑)、年賀状なんて虚礼だからオレは書かない、なんてやっていたので、年数が過ぎてから彼はどうしてるのかとか彼女は元気だろうかとか気になっても、連絡の取りようが無くて半ばあきらめていた時にblogを始め、そこからいろんな人たちの消息が分かったのは収穫でした。もっとも年月は人を変えてしまうという、ちょっと残酷な事実もありましたが、基本的に自分の過去を否定するというのは自分自身を否定することじゃないかと愚考しますね。いいじゃねーか、バカと恥知らずは承知の上で、と言いたくなる今日この頃です。所詮、私立の文系の大学(あ、工学部もいたけど漢字が読めない奴ばかりだったっけ)であって、百万遍にある国立一期校とは出来が違うんだからしょうがない(笑)。

えーと、ぽっぷす・なうとEVEの話、承知しました。可及的速やかには厳しいかもしれませんが、アズポッシブルアズアイキャンというやつで、なんとか。

報われる日は必ず来ます、きっと

Purpleさんとの出会いは、そうですね『鳥肌音楽』のお蔭だと、ちょっと後輩を持ち上げておきましょう(笑)。しかし、同じ学校にいてお互い音楽が好きで(もっともこっちは聴くだけでしたが)、学部も一緒だったんだから、学生時代どこかですれ違っていたはずですね。特に銀閣寺界隈か出町近辺では間違いなくすれ違ってるはず(笑)。THIS BOYさんも入れて、一度はどこかで会いたいですね。あ、おねいさんはいてもいなくてもいいですが(笑)。

燐さん、どうもありがとうございます

プー太郎時代に、悶々としながらネットサーフィンをしていて、たまたま眺めていた2ちゃんの懐かしいテレビの話を読んでいた時に、貼ってあったリンクをクリックしたのが、最初でした。2ちゃんの書き込みは男口調で、blogの文体も中性的な記述だったので、最初はてっきり男性の方だと思い込んでいました。知り合った後も、実は逆ネカマではないかという疑惑が続いていました(笑)。

燐さんのblogに触発されて始めた拙blogですが、何とか6周年。最近は不定期更新で気が向かないと1週間以上開店休業ですが、むりせずぼちぼちやっていきます。お前百までわしゃ九十九までのスタンスでやりましょう(笑)。
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 昨日、花の75年度生トリオの一人であるPurple_Hazeさんのblogをのぞいたら、blog開設5周年とあった。彼は2007年の4月から『Blues Power』というクラプトンの曲名から頂い

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