信じられる60代 遠藤ミチロウライブその1

 交差点で信号が青になるのを待つ間に時計を見た。21時47分だった。スタートが19時40分くらいだったから、みっちり2時間近いライブだったわけだ。それも間に休憩をはさまず、ほとんどノンストップで、たった一人だけのライブをやってのけた男は、還暦をすでに過ぎていた。その人の名は、遠藤ミチロウ61歳、福島県は二本松出身の詩人でありミュージシャンであり、プロデューサーであり行動者でもある。アジテーターだった時期もあり、オルガナイザーだったこともあった。今年が始まってまだ半分にも満たないのだが、本年のベストライブの1つであることは間違いない。このところジャズやフュージョンなどに慣れていた耳に、久しぶりに本物のロックの歌を、いやロックだパンクだとか、そういうジャンルはどうでもいい。心に響く歌と演奏を聴いた。とにかく強力な、強烈なライブの報告をこれからしていきたい。

 ミチロウのライブがあるという情報をどうやって入手したか、はっきり覚えていないが去年は気がついたらとっくにライブは終わっていて、随分悔しい思いをした。今年はそういうことが無い様に、ちょくちょくインフォメーションをチェックしていたから、そこで分かったのか、僕の周囲に普段ミチロウを聴いている人はいないので友人・知人関係からの情報ではないと思う。そんなことはどうでもいいか。とにかく、あの遠藤ミチロウが宮崎でライブをやるということが分かったが、誰かを誘うという考えは最初は無かった。どうしてかというと、僕の友人関係というのは、僕が言うのも変な話だが結構社会的なステータスの高い連中が多く、ライブ関係の話に毎回登場するY尾君も実は地元の大手金融会社のエライサンで中心街活性化の担当もしている。そのほか、高校の同級生も会社を経営していたり、大手企業の役員をしていたり、ひどいのになると医者とか弁護士などという世間一般では学校関係以外なのにセンセイと呼ばれる奴らもいる。それに引き替え、このワタクシはいい年こいて立派なルンペン・プロレタリアートであり不安定な雇用の中、明日をも知れぬ身である。いったいどこで道を間違えたのか…。書いていて暗くなったのでやめる。

 要するに、ミチロウのライブを喜んで参戦しそうなのは、ちょっといないかな。最近、日本のロックを聴かねばの娘だとオルグしているロックバーのマスターも、『パンクは苦手でもクラッシュくらいなら聴ける』なんてタイプだから、どうしよう困ったなと考えていた。しかしながら下手な考え休むに似たりとはよく言ったもんで、結論から言うと総勢4名でのライブ参戦となった。最初は例によってY尾君から『前回の陽太のライブは行きたかった』というメールが来たので、遠藤ミチロウのライブがウェザーキングであるけど、どうすると返信した。すると普段は返信に3日4日かかる男が直ぐに『行きましょう』とやたらノリノリで返事が来た。参加はいいけど、『随分メールの返信が早くなったな』と折り返したら、『実は今、親の入院の付きそいで病院にいて手持無沙汰だったから』、などと返事が来た。一瞬、彼は遠藤賢司と間違ってるのじゃないかと思ったが、そのままにしていた。その後、S藤君、ロックバーのマスターも参戦するということになった。S藤君はパンタや頭脳警察も聴いていたから、ザ・スターリン時代のミチロウも知っているが後の2人はどうなんだろう、大丈夫だろうかという不安を持ちつつ当日を迎えた。

 18時30分開場だったので、その時間にライブハウスの入り口(地下にあるライブハウスなので、1階の雑居ビルの入り口あたりでと連絡しておいた)で待ち合わせたのだが、直前にメールで確認したらY尾君はまだ仕事で職場にいたし、S藤君も仕事が片付き次第向かうというし、ロックバーのマスターは今自宅でこれから出るなどという。そうそう、その日は春の嵐というか突然発生した低気圧でものすごい風が吹きまくり、もう4月だというのに真冬に逆戻りしたような天気だった。あまりの寒さにそれまで着ていたジージャンを脱いでダウンのごついジャケットを着こんだが、それでも顔や手に当たる風は冷たくて風邪をひきそうだった。待ち合わせ時間の5分前について、彼らを待っていた。するとどう見ても小学校の高学年とか中学生くらいの女の子が、ビルの入り口に吸い込まれていく。ときどきわけあり風な化粧をした、ちょっと恋と人生に疲れているんじゃないかと思う30代の女性とかそういう人も吸い込まれている。やるな、ミチロウ、流石はミチロウ、幅広い女性ファンがついているな、などと考えていたが、30代はさておき小中学生はどうも違うんじゃないかと思って、そのビルの看板を良く見たらEXITとかなんとかいうダンスユニットの教室が一緒に入っていて、どうもそちらの生徒たちのようだった。その看板を見るまでは、流石ミチロウ、バージンキラー、スコーピオンズ、オレもまだまだなどと無駄な対抗心を燃やしていたことは内緒にしておこう。

 最初にY尾君がいかにもいままで仕事をしていたという格好で登場し、次にS藤君が「早い、早すぎじゃ18時30分は」と愚痴りながらやってきて、そろそろ45分になるぞという時間にロックバーのマスターもやってきて、これで全員集合。さてライブハウスに入るかというときにS藤君が「Y尾君とかマスターは30分もつかな」などと不安なことを言い出した。Y尾君も「オレ、昼間職場の40代のやつに『今日、遠藤ミチロウのライブに行く』と話したら、『エッ、ああいうの聴くんですか』って絶句されたぞ。不安になったから、どういう音楽なのか聞いたら、そいつが『明日は間違いなく筋肉痛です』とかいうけど、どんな曲やるんだいったい」などという。今更、ライブは見ないなどと言われると困るので、「うーん、なんというのかな。言語に敏感な、あ、吉本隆明、この間亡くなった、彼から思想的影響を受けていてね、うん、そうそう、『一本道』の友部正人、知ってるだろ、彼のバックでベースも弾いていた時期がある、なんていうかな、吟遊詩人といえばいいのか、いや若いころは、そりゃだれだって若いころは無茶するじゃないか、まあ、若いころのバンド時代はいろいろ武勇伝があって、豚の臓物投げたり鶏の首を投げたり、若い女の子にフェ、いや、ま、とにかく入ろう」と無理やり地下への階段を下らせた。

 入り口でチケットを出すとドリンク代500円を請求され、払うとコインをくれた。そのコインをドリンクバーに持って行って、希望の飲み物に交換するというスタイルは以前来た時に知っていた。実は数年前に某松風カルテットというジャズコンボのライブをここでY尾君と聴いたのだが、その時の演奏がトラウマになっていて正直このライブハウスとはウマが合わないイメージがあったのだ。また地下に降りる前にS藤君と話していた時に、今日のライブはオールスタンディングか椅子があるかという話をしていて、S藤君が自信たっぷりに「ここはオールスタンディング、それ常識」などというもので、足腰が弱りかけている我々は30分もつだろうかという不安もあった。焼酎のロックを注文しながらステージのほうを見ると、ちゃんと椅子があったので一つ安心して注いでもらったプラスチックのコップに勢い良く注がれる焼酎は、多分正味2合近く入ったのではないか。なんだ、そんなに悪い店じゃないぞという気持ちで前から2列目のテーブルに座った。目の前に2つテーブルがあったが、そこにはカップルと単独の女性がすでに座っていた。

 そのライブハウスは普段良く行ってるライフタイムの4倍近い広さがあり、第一ステージがかなり広い。向かって左側にはドラムセットが収納されてあり、中央にマイクとPAが、そのPAの横にセミアコのギターが置いてある。また右側には小さなテーブルがあり、そこにペットボトルやちょっとした小物が置いてあった。客席にはテーブルが12,3組、2列平行に置いてあり、客は10数人だった。19時になると、痩せた若い男が出てきた。「こんばんわ」と大きな声で挨拶して深々と頭を下げた。一瞬ミチロウかと思ったが、声の感じが違うし、ちょっと若すぎる。後で知ったが雅季というシンガーだった。マイクに向かっていきなり歌い始めた。悪くない、時々歌詞に気になるフレーズもある。ギターもまずまずだ。しかし、MCが随分低姿勢で「ミチロウさん、もうここに来てるんですが、ちょっとだけ僕の歌に付き合ってください」とか「あと2曲で終わります」とか、手にはタトゥーをしているし、レザーのパンツにはチェーンも付けているけど、言葉遣いもきちんとしていて、ものすごく礼儀正しいパンクスだった。あ、パンクスと決めていいものか、良く分からないけど。スタイルはセミアコのギター1本で絶叫する。しかし、声がのどから叫んでいる感じで、せっかくの言葉が聴き取れない、伝わりにくい。また叫び方が一本調子で、聴きようによっては動物のいななきみたいで、非常にもったいないと感じた。そうだ、その雅季君が歌ってる間、前の一番左の席にいた男の客がノリノリで頭振り乱し、足でビートを取っていた。それはいいけど、2曲目か3曲目の時に突然椅子を放り投げたのには驚いた。お、こりゃ、喧嘩でも始まるのかと思ったが何も起こらなかった。椅子も安っぽいビアガーデンなんかに良く置いてあるプラスティックのへなへな椅子なので、衝撃で音が響くとか周りのコップが割れるなんてこともなく、いったいあれはなんだったのかという感じだった。

 そして雅季君のラストナンバーが終了し、ついにミチロウが登場してきた。驚いたことに椅子投げ男は、ミチロウが登場すると一番前のステージと客席を隔てているフェンスのところに突進し、ライブが終わるまでそこでポゴダンスを踊っていた。ちょっとおとなしい感じで挨拶したミチロウはいきなり演奏を始めた。僕の知らない、最近の曲のようだった。歌詞に何度も2011年という単語が出てくる。重い、暗い歌だった。ただオープニングアクトの彼と違って、言葉がはっきり聞こえる。歌に込められた怨嗟の感じも強く伝わる。間違いなく、あの震災とその後の人災の関する歌だろう。ミチロウの声はナイフのように突き刺さり、そして理不尽な現実のせいでこの世から去らなければならなかった無数の人たちの嘆きを悲しみをホーミーで訴えてくる。このライブを通して、一番感じたことは、ミチロウは歌がとてつもなく上手い、そしてホーミーでのアクセントのつけ方はギター、ブルースハープに続く第3の楽器であった。

 1曲演奏が終わってMCが入った。昨年の3.11の時、ミチロウはこのライブハウスで演奏するために宮崎に向かっていたらしい。そして飛行機が着いたころに、あの大地震と大津波のニュースが空港で繰り返し流されていた。東京の知人や福島の実家に電話するが全く連絡がつかず、詳しい状況はライブハウスのパソコンで、ネットから情報を得るしかなかったらしい。その日のライブはどういう風に終わったか全然覚えていないという。それはそうだろうな。『あの大震災以降、東北のあちこちでライブやったけど、いつも来てくれていたお客さんの顔が見られないと物凄くつらい。今日は、初めて会う人もいるけど、また次のライブでも元気な顔を見せてくれることが一番うれしい』。



 『日本で初めて原子力発電所が出来たのは、どこか知ってる。そしてその電気はどこに送られたか知ってるかい。1970年のことなんだけど、君たちはまだ生まれてないよね』。ミチロウ、そんなことはないぞ。少なくとも1970年には既に中学校に通っていた元ヤンが4人来てるぞと、叫びたかったが、一緒に来ている連中が「やっぱりアブナイ奴だ。もうライブ見るのやめて居酒屋行くか」などと言い出しかねないので、心の中で叫んだ。『正解はね、敦賀原発。そしてその電気は大阪万博会場に送られたんだ。だからあの太陽の塔ってのは本当は原子力の塔だったかもしれない(笑)。そういう時代に流行った歌を歌います』といって歌ったのは「夢は夜開く」、といっても三上寛バージョンだ。「開く夢などあるじゃなし」という世界だ。キター!!!!!この歌を聴いた瞬間、オレはあの希望と不安がごっちゃになっていた70年にタイムスリップしていた。そして、『今の歌は宇多田ヒカルのお母さんの藤圭子って人が歌ってヒットしたんだけど、知らないよね。もっともオレが今歌ったのは三上寛という東北の人のやつだけど』。その後、東北について簡単に話した後に出てきたのが「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れました」。これも強烈なインパクトを持って僕の胸に突き刺さった。カセットブック『ベトナム伝説』で初めて聴いた歌だが、歌詞のおどろおどろしさと東北のイントネーションを感じるミチロウの歌い方、そして演奏の重さがしみじみと伝わる名曲だ。ボブ・ディランに捧ぐとあるのはどういう意味だろうなんて考えていたこともあったっけ。

 『しかし、今回の原発事故でみんな思っただろうけど、何がひどいって政治家が一番ひどいね、何にもしない、どうしようもない。でもそのどうしようもない政治家を選んだのはオレ達一人一人の責任だ』といって歌い始めたのが「下水道のペテン師」。
>掃き溜めばかりが花開く、アメリカばかりが何故赤い、愛するためにはウソがいる、そうだよ、オレもペテン師~。

 『この前、東北のツアーを回ってさ、もちろん原発事故の避難区域に当たるところも通ったんだけど、人っ子一人いないんだよね。その代わりにいたのがイノシシ。いや、もうあっちこっちに集団でいるんだよ。それから牛、飼われていた牛が、もう畜産農家の人も飼えないから放してやったんだね。野良牛だ。そういうのが沢山いて、もちろん放射能をたっぷり含んだ草や水を食べているから長生きできないけど、でも人間がいないので自由に暮らしてるんだよね。こうやって見ると、あの事故も動物にだけは良かったのかもしれない』。『僕の田舎のフクシマには阿武隈川って大きな川があって、あちこちの小さい川がその阿武隈川に合流して、最後は海にそそいでいるんだけど。その阿武隈川の周辺ではセシウムが凄いんだ。だからもう近くに住んでる人は川に絶対近寄らない。なん百億ベクレルなんて数字が平気で出てくるんだよ。これで安全だっていったって誰も信用なんかしない』というMCの後歌い出したのが「カノン」だった。
>ボクは今日 ふたのついた ビンの中で泳ぐ 玉虫色の光を キラリキラリさせながら
 腹を出して 尾っぽを流して 泳ぐ赤い金魚 ふ~らり、ふ~らり、ふ~らり…。歌詞の「ふ~らり、ふ~らり」のリフレインが心地よい。しかし、その水の中にはおぞましいものが、海の広さで薄められて入るものの確実に僕のあなたの命を奪う物質が…。

 前半、いや別に前半後半と分かれて間に休憩を取ったりせず、我らのミチロウはノンストップで2時間を疾走するのだが、あえて前半と区切らせてもらうと、ミチロウがアコギで演奏する意味が少しわかったような歌があった。「Just Like A Boy」というその曲は、ミチロウの歌、詩の世界がいかに素晴らしいものかが良く分かると思うので、ここに貼っておく。さて、この続きは明日必ず書くので、今夜はここでサヨナラだけが人生。



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コメント

いやあよくぞ取り上げてくださいました!

遠藤ミチロウさん、すごいですよね!
私も初めて生で観た時は、「これはすごい!」と鳥肌立ちました。お母さんの唄だったけど、狂気も交じってすごいパフォーマンスでしたよ、こんな人が日本にいたんだって本当に驚きました!
スターリンとか後追いだったのでライブは観たことないのですが、ライブ観たかった日本のバンドNo.1ですよ。

でも可哀そうなことに、同じスタンスの(以前は)町田町蔵の方が要領がいいがために、メジャーとか注目度が大きくなって差がついてしまったのは残念です。ミュージシャン、表現者としては数段遠藤さんが勝っていると思うのですが。

団塊の世代よりちょっと下、というのにはちょっと驚きました。

姫、き、気を確かに!!!

何ということを、栄光あるロシア帝国のロマノフ朝の皇女であらせらららら、イテテ、舌をかんだ。もといっ、ロマノフ朝の皇女であらせられる姫が、こともあろうにボルシェビキの、あの泥棒よりもタチの悪い強盗、野盗のたぐいであるスターリンなどを絶刺されるとは。

って、恒例のお姫様ごっこはここまで。そうでしたか、姫はミチロウのファンでしたか。ちょっと意外な感じだけど、以前もそういう米があったような・・・。いやー、本当に圧倒的な存在感、僕の20代から現在に至るまでが凝縮された2時間でした。この次のエントリーに書いたように、多分81年のミニアルバムがミチロウとの最初の出会いで、それからずっとアルバムと本(彼は本当にインテリで、ムック本も対談本も全てしっかりした内容で読み応え十分でした)を追いかけました。GNPをやって、ザ・スターリンからザを取ったスターリンも最初の2枚は持っていますが、その時期は不覚にも結婚などしてしまい隠れスターリン主義者としてこっそり聴いていました。

最近、またフルモトあたりで90年代以降のミチロウのアルバムを入手して、その延長で今回ライブを見ましたが、こりゃ飢餓飢餓海峡とか揃えないといかんなと。もっとも予算組をしっかりしておかないと、悲しき先天性労働者はお小遣いが乏しいのだ。

町田とミチロウの比較については、多少異論がありますが大筋は間違いないと思います。ミチロウはキョーサン主義者だから、お金に淡白、なのかな(笑)。

これはまた詳細なレポおつかれさまです

311のときは宮崎へ向かってたんですね。

「ひらく夢などあるじゃないし」あのアルバムも昔、人にもらったんですよ。
三上寛の初体験があれでしたよ。
高円寺ではやらなかったし、ききたかったな。。

あの歌から一気にスパークしたというか

もちろんオープニングからグイグイ引っ張ってくれたんですが、個人的な感情を一気に盛り上げてくれたのが「夢」から「お母さん」にかけてのあたりですね。そこからラストの「先天性労働者」まで一気呵成とはこういうことだと実感しました。

間違いなく今年のベストライブです。機会があれば是非もう一度年内に見たいけど…。
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