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ザキミヤ流通業界大異変、てか何でもイオンが悪いでは通用せんぞという話



週末の寝坊した朝、顔を洗おうとしたらテーブルに朝刊が。一面トップにあのドンキが唯一の地元資本のデパートを買収するという記事が目に入ってきた。今月の20日には地元で、いや正確にはディープサウス・ザキミヤの川向こうの市民に親しまれてきたイズミヤが撤退する、その上にこのニュースだ。まあ、この百貨店は以前はジャスコの資本を受け入れて橘ジャスコなどと名乗っていた。そのジャスコ資本がザキミヤの郊外にイオンを開いたのだが、その時点ではすでにジャスコ資本を離れていた。ザキミヤの一番大きな交差点の西角に立っているのだが、対面にはサツマ資本の山形屋というデパートがある。

ずいぶん前の話だが、当時勤めていた会社が業務改革をするために全国の支店に本社の改革支持派の役職を派遣した。そこで夜中まで研修して意識改革を、要するに会社のリストラ計画に賛同させようという狙いの研修だ。

僕は本社で何年か働いていたので、その役職メンバーとは顔見知りだった。その研修の最初だった。茨城なまりの役職がザキミヤ、サツマの社員の前で質問した。「みなさん、百貨店というとどこをイメージしますか?」。

質問した側は三井や三越、高島屋などという答えを期待していて、そういう大手もふんぞりかえっていたせいで顧客ニーズが分からなくなり、そのニーズを上手く活用して勝利したのはテナントに入っている小さな店舗だった。だからリストラが必要なのだ、という会社側の論理展開の魂胆は見え見えだった。

だがしかし、南国ザキミヤ、サツマを舐めたらあかん。研修に参加している社員はお互い顔を見合わせながら、ぶつぶつ言ってる。講師は最初は黙っていたが、誰も発言しないので前の席の社員を指名した。今はサツマで麒麟が来るというラーメン屋を開いている男だった。

その彼は大きな声で「山形屋」と答えた。講師が少し固まった。「他には?」と質問したら「橘百貨店」、中には「レマン」と答えたやつもいたが、他の社員からレマンはデパートでは無い、何故なら屋上遊園地が無いと指摘されていた。

茨城なまりの役職は困り果てて「おい、drac-ob、なんだ、ヤマガタヤとかタチバナ百貨店ってのは」と僕に聞いてきた。僕は山形屋は鹿児島が本店でザキミヤにも支店があるデパート、橘百貨店は当時はジャスコ資本が入っていたが、まあ地元資本とも言える百貨店と説明した。

研修の最初の掴みが見事に外れて、かわいそうにその講師の話はあまり受け入れてもらえなかった。

ま、それはさておき、この橘百貨店、中学1年の時に初めて行った。なんや、えらい田舎もんやな、などと笑ってはいけない。当時僕はザキミヤシティに住んでおらず、あの漱石先生が人と猿が半々くらいに住んでると書いた県北の街に住んでいたのだ。たまたま父親が日曜日にザキミヤに用事があるので、連れてきてもらったのだ。

当時住んでいた県北の街には個人経営の小さな本屋しか無かったので、橘百貨店の書籍売り場は大きく見えた。イメージ的には梅田の紀伊国屋書店くらいに見えた。そこで『幻の邪馬台国』という本を買って歴史に興味を持つようになったのはまた別の話。

時は過ぎて大学に入り、夏休みに帰省した時の話。今度はザキミヤシティが田舎に見えて仕方がない時期だったが、橘百貨店で中古レコードのバーゲンをやるというチラシを見た。どうせロクなものはないだろうと期待せずに行ったのだが、そこでニルソン先生の『ランディ・ニューマンを歌う』を見つけて購入。一夏ずっと聴いていた。

まあ、ザキミヤシティの市民であれば多少の思い入れはあるデパートだが、何もドンキに売らなくてもな、と思う人も多いだろう。僕もそう思う。デパートの価値は、その街に住む人だけではなく遠くの町や村から用事で出てきた人が買い物するのに便利だという点もある。

売り上げ至上主義のドンキが買ったら、全部出来損ない100均みたいな売り場と、美容や痩身のサロンなんかが増えるのだろう。ちなみに僕はドンキに入ると、あの商品山積みの圧迫感と窓が無い閉鎖性が我慢出来ず、すぐに出てしまう。ま、とっしょりやからしゃーない。

しかし、ザキミヤの経済界はこれからどうなるのか、岩切章太郎が草葉の陰で泣いている。




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Author:drac ob
1975年5月から1981年3月まで、眺め続けた景色から時代と文化が見えてくる。混迷と停滞の時代を撃つ、はずはない。

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