そうだ、不幸の手紙を出そう

 このところ、不幸の連鎖が続いている。とっかかりはマラカスなどという今どきはやらない楽器の名前を冠した台風16号だった。引っ越し先はビルの7階で、見晴らしは大変いいが外壁にいわゆる軒がないので横風や雨に弱い。弱いなどという程度ではなく、ちょっと雨が降っただけで網戸越しに雨水が入ってくる。ベランダのある部屋はいいが、そうでない部屋は雨の日に窓を開けていると室内びしゃびしゃである。また建物が古いのでサッシも古く、ちょっと激しい雨風だとサッシ下枠を越えて雨水が流れ出てしまうので、古新聞やタオルなどで防御しなければならないのは、その前の台風で学習済みだった。しかしながら今回の16号は凶暴で、窓に直接取り付けしているエアコンの周囲から強烈な雨漏り。大きめのビニール袋を取りつけたが、あっという間にその袋に水がたまる。部屋の主であるバカ娘はすやすや寝ているその横で深夜3時に雨水と格闘する父、しかしこちらも眠くなり4時にはギブ。その後、配偶者がほぼ徹夜でビニールの雨水を取り除き何とか朝を迎えることが出来た。結局、これがすべての始まりだったのだ。

 そして、次はやけど虫にやられた。1週間くらい前から、朝起きて顔を洗う時に左目の端がピリピリする感じがした。見ると結構赤く腫れている。多分、寝ぼけて爪でひっかいたのだろうと思いそのままにしていたが、一向に治まらない。変だな、どうしたのかなと思っていたら、今度は首の下にかなり大きな赤いあざのようなものが出来ている。鏡に映してよく見ると、何やら虫にかまれたような跡がある。その時、前夜のことを思い出した。僕は寝ながら本を読む習慣があり、枕元に電気スタンドを置いて、その前に本を開き腹ばいになって読む。これは尊敬する殿山タイちゃんのスタイルを真似しているのだが、その枕元に黒いアリのような虫が天井から落ちてきた。邪魔だと手で払いのけたら、今度は反対側の枕元に食らいついている。ムカついたのでティッシュでつまみ、そのまま指の力で圧死させた。もしや、あのアリが一寸の虫にも五分の魂などと叫びながら、深夜ゴミ箱から出てきて、この恨み一太刀晴らさでおくまじ、などと気迫を込めてかみついたのではないか、などとこれは前日のアルコールが残っていたせいで妄想だが、なんとなく嫌な感じだった。そして、その時に洗面台の鏡をよくみると顔のあちこち、首から肩にかけて赤い斑点のようなものがある。げっ、娼婦に梅毒をうつされたなどと考えるわけはない。昭和の文士じゃあるまいに、いまどきそんな奴はいない。

 その日はそのまま仕事に行ったが、やはり周囲の人たちに気持ち悪がられ、こりゃ明日は病院に行って検査受けるかと思っていた帰り道、突然車のハンドルが右に傾き、これが右傾化か、アベ政治許すまじ、戦争法案反対などとシュプレヒコールをあげる暇もなくガリガリガリガリと強烈な音がして、一気にハンドルが固くなり車体に振動が伝わった。タイヤがバーストしたのだ。幸い、他の車にぶつかったりせず何とか広い駐車場に入れたが、タイヤはライ・クーダーの名盤『紫の峡谷』の内ジャケットの写真のようにぺったんこになっていた(知らない人には全く分からないたとえだが、知りたければググれカス。今は気持ちがささくれ立っているので写真を貼ったりする気になれんのだ)。レッカー呼んで、修理工場に運びバーストの原因を調べるがはっきりせず。はっきりしたのはバーストしたタイヤ1本だけ新しくしても意味がないので最低でも2本、出来れば後ろも入れて4本のタイヤ交換をした方がいいという事実。おい、お前のところで最初の車検をしてまだ1年もたたんし、走行距離は22000キロだぞ、それでタイヤ変えなあかんのか、という怒りは胸に抑え、手持ちの現金がなかったのでカードで払った。

 翌日、午前中に病院にいったら見事にやけど虫の仕業と判明。しかも目元の傷とそれ以外の傷は別々の虫がやったと診断された。つまり同時多発ゲリラではなく、不連続多発ゲリラ攻撃だったのだ。一応、やけど虫のことはネットで調べていたので、『網戸に虫よけスプレーしておけばいいですね』と医者に質問したら、鼻先で笑われた。いくらそんなことしても、『やつらは今が繁殖期で一番気合が入っている。網戸の隙間から入ってくるから防ぎようはない、とにかく手で触らないことだ』と言われたが、寝てる最中に天井から落ちて来たら無意識に払いのけるだろ。その時はどうしたらいいんだと聞いたら、薬を付けろといわれた。体は痛いは見た目はおかしいは、最悪の気分で家に帰ったら今月買ったばかりのテレビの液晶画面に大きなひびが入っていた。配偶者がテレビの横を通ったときに、誤って倒してしまったらしい。その時に思ったのは、しまった設置したときにテレビ台にビス止めしておけば良かった後悔先に立たず。もっとも引越しの時にテレビを外すのにかなり時間がかかったので、ビス止めはしてなかったのだ。しかし、いくら今どきのテレビが軽くなったからといって、ちょっと当たったくらいで倒れるはずはない。よほどの力でぶつかったんだろう。

 さて、そのテレビであるが購入先は安値日本一を自慢している邪魔田電気。メーカーは目の付け所が鋭すぎて中国の企業に安くで買収され未だにその金を貰えないという、経営とはこうやると倒産するんやという見本を示したシャブじゃないか、とりあえずフラットという仮名にしておくが、亀有モデルとか自慢していたくせに、工場もバタバタ閉鎖したあそこだ。原因が使用者のミスなので保証は効かないと思ったが一応販売店のサービスに電話。メーカー保証プラス販売店保証も付けて5年保証で買ったので、何とかならんかという気持ちだった。販売店のサービスは、やはり購入1年未満なのでまずはメーカー保証でということで、本日メーカーの修理が来ることになっていた。前日の電話で朝9時に着て午後1時半には修理して届けると配偶者に言っていたらしい。えらい早く修理出来るんだなということと、こちらの過失で壊したのに無償修理が効くのかと不安はあった。

 不安は的中というか、予想以上に強烈だった。昼休みにスマホを見たら配偶者からメールが何通も届いており、さらに着信もあった。なんだ、どうしたとメールを見たら『修理代、50349円』という文字が飛び込んできた。そのあとは価格ドットコムの写真や、メーカーの修理担当が話したことをいろいろ書いて来ていた。まとめると修理代が高いのでネットで新品を買った方が安いという当たり前だのクラッカー的結論。しおらしく「支払いは当然私がします」などと書いてきてはいる。ネットで買うのはいいが、今のテレビのリサイクルはどうするのかとか、せっかく入った邪魔田電気の総合保証サービスは無駄じゃないかなどと考えることもあり、ネットより多少は高くなるが、再度邪魔田電気で買った方が納品も当日だし何よりリサイクルが楽だと返信したら、一応「わかりました」と返事がきた。長年一緒にいるので絶対納得していないことは、この「わかりました」の返事で分かったが、とりあえずそのままにした。

 家に帰って話を聞くとメーカーから修理屋が来たが、販売店の保証サービスとは全く関係ないというか、そちらは良く分かりません。ただ今回の場合は過失であっても故意であっても使用した側に原因があるので有料の修理になるとのことだった。しかし、このテレビは邪魔田電気の決算価格で4万ちょっとで購入したので、修理代が5万以上になるのは納得いかないと話したところ、価格ドットコムで調べてくれて最安値36200円を見つけてくれたらしい。しかし、買ったばかりでまだ支払いもこれからだというのに(この時に他の家電もまとめて買ったので12回のクレジットにしたのだ)。ダメもとで交渉しようとして邪魔田電気の保証サービスのカバーを見たら、「1回あたりの修理代は、購入金額まで保証いたします」という文字が目に入った。ということは修理代5万ちょっとに対して、購入金額は4万ちょいだから、差し引き1万くらいの負担で修理が出来るやないけと一人が点して、サービスセンターに電話した。

 最近の企業の合理化は凄まじく、従来はそれぞれの店舗やエリアにお客様相談窓口的な電話番号があったが、今は一括してコールセンターが、多分人件費の安い沖縄や我が地元宮崎あたりに作られていて日本全国の相談事を一手に引き受けて居るはずだから、電話がなかなかつながらなくても僕は怒らない。怒らないが機嫌は悪くなる。舌打ちも露骨になってきたころにようやく電話がつながった。出たのは学生バイトかと思しき男の子。マニュアル通りの挨拶をしてこちらの用件を尋ねる。「今月おたくで買ったばかりのテレビの液晶が壊れて(ここがポイントで「壊した」というと「そら、あんたの責任や」で話が終わると思い防御に徹した)、今日メーカーに来てもらったら購入価格より修理代が高かった。そちらの保証サービスは購入金額までは保証するんだよね。てことは、差し引き1万で新品構成してくれるというこっちゃな」と一気に切り込んだ。「あの、その、ちょっとマニュアル見ますので、いや、その、資料を調べますので一旦保留にさせてください」。数分間、保留音が流れた後に、「お客様すいません。保証書の伝票ナンバーを読みあげてもらえますか」「なんたらのかんたら」「あ、確かに今月のお買い上げですね。もう一度上司に確認しますので少しお待ちください」。正直、期待したね。もしかしたら邪魔田電気、意外に使えるかもしれん。アフターサービスが悪いとか店員の接客が日本で一番悪いとかいわれているが、もしかしてそれは誤解?誤解ではなかった。

 先ほどまでは自信のない小さい声でしか話さなったオペレータが今度はずいぶん強気で「お客様、やはり購入1年未満の場合はメーカー保証が優先しますので当方では対応できません」「なに、どういうこと」「そういうことです」「いやだから」「あ、メーカーのコールセンターのフリーダイヤルを申し上げますので、そちらにお問い合わせください」ずいぶん強気でいいきる。しかもその時は19時半を過ぎていたのだが、メーカーのコールセンターは20時までだと生意気に急がせる決め手を使ってくる。こいつと話しても拉致はあかん、いやもちろん拉致はあかんわ、そっちじゃなくて埒があかん。メーカーにかけてみるといって電話を切った。

 メーカーのコールセンターは、邪魔田電気以上につながらない。待てど暮らせどつながる様子もない。その間に保証サービス内容を読み直したが、やはり使用者責任の場合は保証対象外と販売店もメーカーもそう書いていある。こりゃ仕方ないと電話を切って少し考えた。この際、配偶者が費用を負担するといってるので、もう新しく買い変えたほうがましだ。下手に話を長引かせると、テレビをしっかり固定していなかったこちらにも責任の一端を求めてきて費用は折半だなどといわれてもゲロムカつく。しかし、買ったばかりのテレビをまた同じ金額で買うのもしゃくなので、リサイクル回収費と保証費を負けてもらうよう交渉しようと決めた。いやダメもとで相談してみようと思い、販売店の担当者に電話した。こちらもなかなかつながらなかったが、ようやく出てきたのはカブトムシみたいな無感情な話し方をするセールスだった。担当者につなぐよう頼んだらあいにく公休だという。代わりに話しを聞くというので、今月その店で買ったばかりのテレビが破損(今回は正直爺さんでいった)し、保証も効かないので同じ機種を新しく購入する。それにあたって、今のテレビを無料で引き取ってくれないか、無理ならせめて保証料は前回のを適用してくれと話した。回答は早かった。「出来ません。テレビはリサイクル費用がかかります(そんなことは知ってる。それを何とかしてくれないかと相談しとるんじゃボケ)。また保証料は前のテレビのものなので新しいテレビには適用できないのは当然です。ま、せいぜい売り場に来てもらえれば可能な限り値引きします、いや出来るものなら値引きします」。こいつには感情がない、カブトムシだ。話にならん。「あ、さよか、ほなええわ」。

 ということで、僕は機嫌が悪い。部屋が水浸しになったこともタイヤがバーストしたことも、やけど虫に刺されたことも不愉快だが、今回の邪魔田電気の電話対応が一番不愉快だった。あんまり頭に着たので、「もうテレビはいらん。しばらくオレの前でテレビという言葉を口にするな」と宣言してしまった。テレビ見る奴はアホや、一億総ハクチ化じゃクソッタレ。と貧乏人の僻みは延々と続くのだった。しかし、いいことばかりはありゃしないどころかいいことなんかありゃしないの毎日がいつまで続くのか。

※本日見直したところ、怒り狂って一気に書いたので誤字脱字、変換ミスのオンパレードでした。またここはリンク先で説明した方がいいと思う箇所は大文字にしました。



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二足の草鞋というのか、とりあえずお知らせ

 宮崎国際ジャズデイのホームページにエントリーを投稿したが、どうもかってが良くわからずアップしたかった動画が貼れなかった。とりあえず、使い慣れたFC2のほうに動画をアップする。不死鳥のごとく蘇ってきたトランぺッターである。詳細はこちらのリンクをクリックしてください。

ラジオから流れてくる一本道


なぎらの解説で延々と続くNHKのFMラジオ。突然、友部の一本道が流れてきた。一瞬、時間が止まり、それから少し泣いた。あれからどのくらいたったのか、あれからどのくらいたったのか。



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タリヌタリヌハクフウガタリヌ


台風が近づいて来ているが、本日は敬老の日なので実家に和菓子を持って、ご機嫌伺いに行った。移動中から結構ハード・レインがゴナ・フォールだったが、たどり着いたら土砂降りになっていた。実家は雨戸を閉めて、完全防備が整っていた。それでもサッシのカギの調子が悪いと業者を呼んでいたので、何だか落ち着かず、また横雨が強くなると大変なので、そそくさ帰ることにした。その間、なんども土砂降りにたたられたのと、車のエアコンのせいか、自宅に着いたら鼻水が止まらない。頭が痛い。咳がでる。

こりゃ典型的な風邪の諸症状だ。ここ数年は、インフルエンザにこそかかったものの風邪はひいた事がない。風邪をひいたら、1に栄養、2に休養、3・4がなくて後藤久美、いや広瀬すず、何のなんの沢尻エリカを忘れちゃいかん。えーと、こういう風に思考が混乱するのが風邪の症状である。とにかく、果報は寝て待てともいうし、薬箱から葛根湯を出して飲み床に就いた。

この三連休は、まだ手付かずだった引っ越しの段ボールを開けて、本は半分いや、思い切って3分の2は処分するつもりだった。また、宮崎国際ジャズデイのホームページの再構築もやるつもりだった。そうなのだ、やるつもりだったのだが、いかんせん風邪をひいてしまい出来なくなった。今日は無理、持ち越し、などと言い訳だらけの毎日で良いのか?良くは無いが、仕方がない。何故なら風邪をひいたからだ。

などと本日は言い訳日記になったが、頭が重くて本を読む気にもなれない。ちなみに写真は読みかけのビル・ブラッフォードの自伝。長年、ビル・ブラッフォードと呼んでいたが、本のタイトルはビル・ブルーフォードになっている。それは良いのだが、彼の理想のドラマーはマックス・ローチだったと知ってクリビツテンギョウ。さらに驚いたのは、その憧れのマックス・ローチをクリムゾンのコンサートに招待したが、彼は演奏中ずっと寝ていたとのこと。ロバート・フリップのギターもクリムゾンのフリー・フォームのアドリブもクリフォード・ブラウンのラッパには敵わなかったのか、或いはローチも歳には敵わなかったのか、その辺りは不明。

とにかく、今日は早く寝てその間に台風が過ぎることを祈るだけ。ちなみに今回のエントリーのタイトルを何故戦時教訓にしたのか、本人もよくわかん。多分、これも風邪のせいだろう。



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セキララ同窓会日記~シラカバ派風に

 いや、しかしあてにならないのは人の記憶。そして、進歩のない人間は何年たっても全然変わらない。という2つの真実を知ったのは先日のことだ。実は、先週5年ぶりに高校の同窓会があった。大学時代とか社会人になったばかりの頃は高校の同窓会が好きだった。理由は簡単で、同級生に好きな女の子がいて、その子と会えるのが楽しかったからだ。しかし、その彼女も人の妻になり、あ、その旦那も同級生でどうも具合が悪いのだが、ま、そんなこんなで同窓会なんて面倒になってずっとご無沙汰していた。大体、同窓会なんて単なる懐古趣味じゃねーか、社会的に成功した奴は自分の自慢話をしたがり、そのおこぼれにあずかりたい奴はコバンザメみたいにくっついて、お前はタイコかと言いたくなるくらいのへつらい方、そしてオイラみたいな世の中斜めに見ている奴は会話の中にも入れず大変居心地が悪い。それでも誰かがこちらの存在に気が付いて、「お、drac-ob、久しぶり、いま何してる?」などと聞いてくる。こちらの状況を説明するのが面倒なので、5年前の同窓会では「職業革命家だ」と答えてカタギの真面目な連中の目を白黒させたこともあった。

 ま、そんな性格なので同窓会なんて知ったことかと思っていたのだが、去年から店番していたロックバーで、その同窓会の打ち合わせを定期的やるようになり、自慢じゃないが僕のいた高校3年の時のクラスは消息不明の輩が多く幹事などやるやつがいなかったので、いつの間にか貧乏くじ的に役員にさせられてしまった。もっとも最初はやる気満点だった。今はもう時効になったから書いてしまうが、実はこの同窓会に大きなイベントを仕掛けようとしていたのだ。僕のいた高校は地元では、いわゆる進学校で国立大学に何人合格するかだけが評価基準の学校だったのだが、それでもそういう体制に反抗するロックな奴らはいた。有名どころでは元サザンオールスターズのO森、そして現サザンオールスターズのM田。この二人に一発、還暦ライブやってもらい同窓会を盛り上げようとロックバーのマスターから極秘計画を打ち明けられた。そりゃ面白い、やるべ、やるべと同意したのはもちろんワタクシであるが、いろんな問題があった。そもそも、同窓会がメインなのになんでドンバの演奏を聴かないかんのやなどと反対する勢力がいた。しかも結構な人数で。

 しかし、敵は幾万ありとても全て烏合の衆なるぞ、大義はこちらにある、破邪顕正の剣を受けてみよ的なことを会議で発言し何とか路線貫徹で行けるかと思ったが、メジャープロダクションからのプレッシャーは凄まじく、M田が引いてしまった。彼が悪いとかいうことでは全然なく、ケツの穴の小さいモンキービジネスの会社が事前に察知して圧力をかけたのだと思う。実はこの同窓会の打ち合わせは今年の1月から定期的にロックバーで、しかも僕の出勤日の水曜日に行われていたので、当然、最初は皆勤賞だった。ところが、イベントの話がO森だけになったころから、たまたまであるが僕自身も宮崎国際ジャズデイの実行委員に入れといわれ、相手はなんといっても高校の先輩で、さらにフランシス・マバッペや西藤ヒロノブ、最近ではスィングMASAやウィーピング・ハープ妹尾のライブなどを見せてもらったH高社長からの声かけなので、これは1も2もなく参加せざるを得なかった。そのジャズデイの会議が木曜に行われることが多く、必然的に同窓会の打ち合わせは欠席せざるを得ず、他の幹事諸氏に任せっぱなしになっていった。

 で、Time fade awayてなもんで、気が付けば8月も終わりになっていたのだが、ロックバーの最後の店番の日にオーナーからメールが入り、会費が振り込まれてないがどうなっているんだとやや怒り気味。正直言うと、イベントの話がぽしゃってからは、少し情熱も覚めており、今年の秋・冬は見たいライブが沢山あるし同窓会でお金を使うより、バックレて乏しい小遣いをライブの費用に回そうと姑息なことを考えていたのだ。しかし、僕が電話やメールで参加を誘った人もいるし、人を誘っておいて本人がゲルニするというのは、これは倫理に反すると思い直し、泣く泣く大枚8000両を封筒に入れて店のレジに入れておいた。すると翌々日にはハガキが届き、そこに入金お礼と抽選番号が書いてあった。要するに当日の現金授受は役員が大変なので、全て振込にしてチケット制にしようというコンセプトだったのだ。結果的にこのシステムは当日大変役に立った。何しろ現金管理がいらないし、受付も単なる案内で済んだのだ。

 入場ハガキも来たので覚悟を決めて(いやいやそんな大層なもんじゃないが)、当日の準備をした。実は同窓会の前日にロックバーのピンチヒッターで店番していたら、東京から帰省してきた同級生が客でやってきた。その時の会話で当日の服装はどうするかという話になり、彼はジーンズで行きたいけど大丈夫だろうかと相談を受けた。会場は地元ではまずまず有名なホテルなので、それなりの格好をするのが良識ある大人というものだろうが、ちょっと待て。オレたちゃロックなんてカタワな音楽が好きなはぐれものやないけ、ジーンズのどこがあかんのや、それやったらオレはアーミーパンツ履いていったるわいと啖呵を切るのは、無論ワタクシ。そして、よくよく考えたらあの素晴らしきZEK3が今秋ついにアルバムデビューするじゃないか。その事実を1人でも多くの同志・友人諸君に知っていただかねば男が廃る。よっしゃ決めた。オレはZEKのTシャツにアーミーのズボンは流石にまずいのでカーゴパンツ。そして情宣用の黒ヘルメットをリュックにしのばせた。

 当日の開場は17時半からだが、役員は15時、遅くても16時45分までに集合とメールが来ていたので、自宅を15時過ぎに出てバスに乗ろうとしたら、会場のホテルまで直通のバスがない。いや、あるけど最短距離で行くのは本数が少なく、街中を大きく迂回していく路線しかなかった。面倒だったので歩くことにして、マツキヨで(余談だが先日パンタがFBの投稿に「マツキヨ」と書くべきところを「やすきよ」と書いていたので、「そら漫才師でっせ」と余計な突っ込みしたらスルーされた。昔から余計なことを言って人から嫌われるのは僕の特技である、エヘン)、水分補給用のミネラルウォーターを購入。気分は密集したデモの隊列のつもりだが、その実態は一人とぼとぼ会場に向けて歩くのだった。目指すホテルに着いたのは16時ちょっと前だった。3階の会場までエスカレーターで上がっていくと2階に控室があった。その前に大きなテーブルがあり、そこにギターが置いてあった。そのギターの前にO森がいた。思わず「O森!!」と高校時代のノリで話しかけたが、彼は僕が誰だか分からなかったようだ。名前を言ったら、分かったのか分からなかったのか、あいまいな微笑を浮かべた。彼から他の役員たちは既に3階で準備中だと聞いたので急いでそちらへ向かった。会場に行くとほとんどセッティングは終わっており、後は受付のテーブルや抽選会の品物の準備が少しあるだけだった。今回の同窓会のまとめ役であるI手君から声をかけられ、各テーブルに今度O森がリリースするニューアルバムのチラシと申込書を配布するよう言われ、何人かで手分けして行った。それをやっていると突然背中を叩かれた。振り向くと高校3年間同じクラスで、大学卒業後は某国営放送のアナウンサーになったS尾君だった。去年の3月に本人が希望していた仙台局に転勤になったから1年半ぶりくらいである。そういえば今日の司会進行は彼だった。「お前、ZEK3がアルバムデビューするの知ってるか?」「いや知らんかった」「こういう大事なことはみんなに知ってもらうことが大事だから、今日のイベントの途中で乱入させてくれ。ヘルメットもタオルもちゃんと持ってきたから」「分かった。タイミングを見てやろう」などと、その場でイベントへの乱入計画を立案。そのあとは先日地元で行われた沖至のライブに行けなかったことをお互い悔みあった。S尾君は有給がかなり残っているので今日から10日間休むのだが、2日早く休みを取っていれば沖至が見られたと悔やむことしきり。揚句は僕に、「お前は行こうと思えば行けたのに、なん考えちょっとか。沖至ぞ、絶対次は見られんぞ」とまあうるさいことこの上ないので、適当に相槌を打ちながら会場の入り口方面にゲルニした。

 開場は17時半からだが、早く着いた人たちがチケットを見せて受付をどうしたらいいか尋ねていた。クラス別に丸テーブルを配置して、席には高校卒業後40数年経過して、昔と180度変わってしまったやつも多いことから、高校の卒業アルバムから抜き出した顔写真入りの名札を用意していることを説明。その名札を体に着けるよう話して、随時会場に入ってもらった。なんとなく、その場の流れで受付のテーブルに居着いてしまい、そのまま来客者を誘導案内することになった。事件はそこで起こった。頭はほとんど白髪で物腰の柔らかそうな男性が受付に来たその時、「あ、S藤先生。お久しぶりです」と叫んだ元女子高生がいた。ん、先生か、この人と疑問に思ったその瞬間、「ぼ、僕は先生じゃ無くて生徒のほうです」と半泣きの声。おいおい、あんまりだろうよ、同級生を先生と間違うのは失礼だぞ。その先生に間違われた彼は、心なしか背中を丸めて会場に入っていった。そのすぐ後に、こちらは間違うことなく英語の先生だったU宿先生が来られた。片手に杖を持っており、歩くのも少し難儀な感じ。同級生を先生呼ばわりした元女子高生(イニシャルは出さない、武士の情けだ、笑)に、「さっきの彼には、『あのU宿先生と同い年ですね』って言ったのとおんなじだよね。彼は傷ついただろうな、可哀相に」などと傷口に塩をすり込むようなことをいうのももちろんワタクシであった。

 そのU宿先生を紹介するエピソードがないと司会のS尾君が困っていたので、1つ思いだしたことがあった。この先生、しゃれや冗談が好きというか、いまでいうオヤジギャグを授業中に炸裂させるという裏技を持っていた。面白ければ生徒全員、腹を抱えて笑うのだが、いかんせん、あまりにしょうもないネタばかりで、クラスの秀才連中と出来の悪いのは全く笑わず、中間層の、出来れば授業中あんまりオレに当てるなよ、それでも当てるならなるべく簡単な、そうそうアクセントとか熟語あたりにして間違っても構文とか英文解釈を当てんなよ、このやろ的な中間成績者がお愛想で苦笑いするケースが多く、したがって非常に陰気な授業風景だった。あるとき教科書に”lament”という単語が出てきて、これは「嘆く」とか「悲しむ」という動詞あるいは名詞で、第2期キング・クリムゾンにも「ラメント=人々の嘆き」という名曲があるが、それが形容詞になると”lamentable”になるといわれた。あまりにもくだらないしゃれだったので、いまでもU宿先生の口調を覚えているが「ラメンタブルは『悲しい』、うん、つまり『ラーメン食べる』と『悲しい』わけだ」。この時はクラス全体に、まさに「悲しい」沈黙が漂ったが、何、先生、そんなことではめげず、そのあとの授業もときどきオヤジギャグを披露しては教室中の空気を凍らせていた。



 さて時間も17時半過ぎると、次々と会場に人が入ってきた。受付といっても、単に座席の位置を案内するくらいしか役割はないのだが、それでも忙しく応対していると、明らかに見覚えはあるのだが、名前が出てこない同窓生、同級生も次々入ってくる。また先ほど、同級生を先生と間違うとは何たる体たらくなどとエバっていたが、え、マジでこいつは同級か、そんなはずはないと思いたくなる人もいたが、そこはぐっとこらえて基本、同級生に対する接客態度を継続した。ウェルカム・バンドの演奏が始まり時間も18時になったので、受付にいたメンバーもそれぞれ自分の3年の時のクラスのテーブルに分散した。僕のクラスは参加者が少なかったが、それでも2テーブルに分かれていて、僕の席は美しい(これは書いておかないとね、サービス、サービス)2人の女性に挟まれたところにあった。右にいた女性はすぐに顔と名前が出てきたが、左にいる人が分からない。こちらが分からないのだから、先方も分からない。お互い名札を見て、「え、あなたが」「え、君が」と思わず声を飲み込む。なんと先ほど受付で座席の位置を教えたH園さんだった。

 1テーブルに8名ほど座っており、乾杯の合図で一緒にグラスを鳴らし祝杯をあげた。それからおしゃべりが始まったのだが、しかし、今回の同窓会ばかりは本当に立つ瀬がないというか、身の置き所がないというか、ああ、オレは昔からバカでアホだったと思わされることばかり。まあ外見が大きく変わったせいもあるが、最初に言われたのが「drac-ob君て黒縁の眼鏡に天然パーマの長髪ってイメージが強かったよね」「悪かったな。今はメタルフレームの眼鏡に、パンクス並みのショートカットじゃ」「…」。どうもショートカットというイメージではないらしい。何やらやたら人の頭というか額の部分を見る。確かに昔から額は広かった。20代のころのブライアン・イーノくらいあった。で、今は50代後半のブライアン・イーノくらいある。って、イーノを知らない人には全く分からないか。ま、髪の毛が若干不自由になっているのは認める。それはいいのだ、人間、歳を取れば髪の毛も薄くなるしハラも出る。その昔は、175センチ48キロのオレが、身長は変わらないものの体重は78キロと30キロは増えたのだから仕方がない。これもタバコをやめたせいだ。ま、それはいいのだが、僕の高校時代の話を聞いて、もう赤面するやら穴があったら入りたいと何度思ったことか。同じテーブルの同級生の生の声を再現する。

 「drac-ob君て、昔からカゲキ、いや、その独特だったよね」「そう、自分を持っていたというか自分の意見を押し通すというか」「メロンパンが好きで昼休みよく食べていたよね」「少し変わったところがあったよね、いや悪い意味じゃ無くて」「うん、ちょっと変わっていた」。「変わっていた」という言葉がエンドレスで繰り返された。やはりオレは高校生の頃からちょっと変わり者で人の意見を聞かず、ものの考え方がカゲキだったのか。メロンパンは確かに好きで、今も時々買って一人で食べている。買ってきたメロンパンを家族に勝手に食べられないように(あ、意図せざる洒落になってる)、冷蔵庫に貼ってあるホワイトボードに『メロンパン、喰うな』と書いて家族全員のヒンシュクを買ったことも1度や2度ではない。しかし、小出しのジャブの後に強烈なフックが来るとは思わなかった。「drac-ob君って、教科書に赤線引かない人だったよね。日本史なんか覚えるところを整理するためにみんな赤線引くのに全然引かない。『どうしてアンダーラインを引かないの』 って一度尋ねたら、『アンダーラインを引くと、そこしか覚えようとしないだろ。僕は歴史の全体を把握したいからアンダーラインは引かない。教科書に書いてあることはすべて理解するつもりだ』って答えた。凄いなって思ったのよ、その時」。いやー、もうアカン。オレは高校生の頃からそんなクソ生意気なこと言ってたのか。歴史のダイナミズムを理解するとか、ええカッコして言うてたんか、などと考えるともうこれはあなた、切腹ものですわ。そのあとも、こちらが全く覚えていないことを聞かされた。「味噌汁が飲めない人だったよね」。いや、それはまだガキだったから長ネギの味噌汁が苦手だといったのが間違って伝わったと思うと心の中でつぶやいたが、周りから見たら味噌汁は飲めないわ、教科書は白紙のまま開いているわ、授業中に突然とんでもない質問をして教師を困らせるわ、1時間自習時間が出来たら職員室に行って次の授業を入れて1時間早く帰るようにしろと、これはオレが単独犯でやっていたわけではなく本日の司会をしているS尾君とタッグを組んでよくやっていたのだが、いやもう恥ずかしい、恥ずかしい。オレは高校時代から全く進歩していないことが良く分かった。

 お酒が回り、食事も進み、それぞれのテーブルから席を立つ人が増えてきた。会場には談話用のテーブルも別途用意していたのだが、やはりみんな話し相手を求めて、他のテーブルに行き、そこに座りこんで談話する人が多い。同窓会の打ち合わせの時に、食事をバイキング方式にするか、それぞれのテーブルにお膳形式でするか話しあい、やはり自分がお金を出した分はしっかり食べたいし、バイキングだといくらでも料理の手が抜けるのでお膳形式にしようと決めた。また、その議題が出たときに、宴がたけなわになってくると他人の席に座って話し込む奴が出てきて、自分の料理が自分の席で食べられないどころか、場合によっては誰かに食べられていたり、ビールや飲み物をこぼされ台無しになることもあるから、談話用のテーブルを作ると決めたのだが、全くこれは使われなかった。僕は根が貧乏性なのと、これまでの社会人生活の中で何が嫌かというと上司やエライサンにおべっか使ってお酌しにいくことが大嫌いだった。よって自分の席を死守し黙々と飲み食いしていたら、いよいよO森君の演奏が始まった。バックを務めるのは地元でも、それなりの力量のあるバンドマンだ。1曲目は何をやるんだろうと期待していたら、なんと「いとしのエリー」だった。え、ま、確かに彼のいたバンドのヒット曲だけど、などと若干違和感を感じたが、O森君のギターとボーカルは中々なものだった。続いて、やはりサザンのナンバーで「旅姿6人衆」。この演奏の途中でトイレに立って、用を済ませて会場に戻って来たら、なんと、O森君は、あの頭脳警察の名曲、内田裕也もレパートリーにしている「コミック雑誌なんかいらない」を歌い始めた。これはもうスタンディング・オベーションどころではない。手を叩きながらステージに近づいた。バンドの演奏と一緒に歌っていたら、司会のS尾君が手招きして何やら合図する。近寄ってみると、小声で「お前、この後、オレがメンバー紹介して合図したらヘルメットで乱入しろ」という。

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 いや、実は僕はやりたくなかった。みんなが楽しく宴に参加している、伝統あるO宮高校の立派な同窓会に黒ヘルの元学生が乱入して式典をめちゃくちゃにする、などというのは過去の遺物、オールド・ファッションド、時代遅れだ。そんなことをして、それでなくても少ない友人を減らし、数多くいる敵をさらに増やすなどというのは自殺行為だ。などと考えるはずは全くなく、二つ返事で自分の席に戻りリュックからヘルメットとタオルを準備してステージ脇に備えた。「…、そしてオン・ギター、我らが同級生、タカシ・O森~」というS尾君の絶叫が響く。会場は拍手で盛り上がっている、その瞬間、S尾君の手が動いた。反射的にステージの階段を上り、マイクを握り叫んだ。「この場に結集されたすべての市民・学生・労働者の皆さんに革命的ZEK3共闘会議を代表して僕のほうからの若干のアピールと問題提起を行っていきたい!!」とまあ、第一声は良かったのだが、実はこのアジ演説ではレッド・ツェッペリンの楽曲だけ演奏するジャズ・ピアノ・トリオであるZEK3、長年ライブハウスでしか見られない、聴けないバンドだったが、満を持してついにアルバムがこの秋に出るので是非みんな買うように、という話をするつもりだったのだが、O森がラストに演奏した「コミック雑誌なんかいらない」が初期頭脳警察の大事な曲であり、曲は典型的なロックンロールだが、その歌詞に含まれる現実に対する批判を、これをアピールしなくてはという考えもあって、結局ぐちゃぐちゃ。最前列にいたやつからブーイングが出たので逆上して「ブーイングは許さないぞ」などと叫んだり、もうわけわからなくなりステージを降りた。そこへまさかのS尾君のインタビューである。あれはちょっとマジで引いた。

 というようなアトラクションもあり、はっと気が付けば宴も終わり。左右の美しきおねいさん2人に、この後はロックバーで二次会と誘ったが、そこはワタクシの人徳の無さ。他の約束があるからとあっさり振られ、振られ気分でロクンロールなどとひねくれていたら、高校1年の時一緒のクラスだった男子2人が声をかけてきてロックバーまでの道が分からないから案内してくれという。シータクに一緒に乗り、ロックバーに来たら、カウンターに同僚のK子ちゃんがいた。カウンターとボックスにはすでにグラスと飲み物、おつまみが用意されている。本日は僕もお客様のはずだが、つい習性で控室を通ってカウンターの中に入ってしまった。それから10分くらい地獄のように人が来て、1人2000円の会費を回収しながら中に入れて、酒や氷やソフトドリンクを次々に運び、リクエストがあればレコードをかけるといういつもの店番の仕事をやってしまった。途中、O森君たちも来たが、人が多くて入り切れずオーナーと一緒にいったん別の店で待機。再度入ったのはそれから2時間後くらいだったろうか。その時に「コミック雑誌なんかいらない」は刑務所の中の風景の歌だとO森が指摘して、なるほどと思ったりしたが、いやいや誰かと落ち着いて話しをするなんて全くできない状況だった。それでも黒ヘル乱入を喜んでくれた学友が一人いた。その昔、新入生歓迎会でトイレットペーパーを投げて謹慎をくらったH君だ。何が気に入ったのか良く分からないが、「あれは良かった。今日一番良かった」としきりに言っていた。二次会は21時半くらいからスタートし、途中で帰る人も多かったが、後からやってくる人もいてお店の中は満員。ふと気が付くとすでに午前2時を回っている。カウンターの中で立ちっぱなしで氷を作ったり、酒を運んだり、ときどきハイボールを作って飲んだりしていたので、足はパンパン。眠気もマックス。お店にいたみんなにお別れを告げて一人家に帰った。両手に抽選でもらったビールを、あ、一つは下戸のS尾君からもらったものだが、手土産に家に帰り爆睡した。

 後日、同級生で一緒に同窓会の役員をしたN友さん、通称ちかちゃんからメールが来た。読んでみるとステージに乱入したのは誰か全く分からなかったとあった。意外とそんなもんなのか。あ、それと二次会で思いだしたことが沢山あるが、これはとても人さまにお話しできるようなことではないので今回は書かない。しかし、なんだかんだ言っても楽しい宴でした。最後にこの同窓会を楽しみにしながらも8月に病に倒れたO合君に言っておこう。そのうち、そっちに間違いなく行くからちょっと待っててや。もう少し、この世でバカやって大いに笑って泣いて悔しがって、そしてまた笑って、その時の話は彼岸の国でするから、それまではバイバイ。君のおかげで沢山の同級生が集まってくれたぜ。センキュ!!


また一つ、文化の灯が



今日は、健康診断を受診するために仕事を休んだ。去年は、仕事の合間に健康診断を受けたが、おかげで大変な目にあったからだ。原因は、バリウムである。これまで何度も飲んだ事があり、その時はノープロブレムだったが、昨年は下剤が全く効かず、仕事中に物凄い腹痛が襲ってきて脂汗を浮かべながらも働いた。働いて、働いて、働いて、休みたいとか遊びたいと思ったら、その時は死ねなどとブラック企業も顔負けなことを言う母親がいたからではなく、たかがハライタごときで仕事を早退するなどというのは、男は日に三言の九州男児のプライドが許さんわけよ。従って、断続的に襲って来る腹痛と闘っていたのだが、人には限界というものがある。九州には玄界灘がある。ま、それは関係無いが、とにかく迫り来る腹痛をなんとかしないと気が狂いかねない。仕事を早引けして、そのまま行きつけの病院に直行した。

その病院には、大腸内視鏡のベテランのお医者さんがいるのだが、去年だったか、その先生の都合が付かず別の先生にやって貰った大腸内視鏡の検査では地獄を見た。麻酔をかけられているのに、痛みで意識を取り戻すなどという鬼のような経験もした。それはさておき、昨年は職場から直行しレントゲンを撮って、バリウムがもう肛門の近くまで来ているのに、出て来ない。もう少し、時間をおけば自然と排便されるかもと医者は言ったが、ちょっと待て、痛いのはオレであってあんたじゃない。オレはこの痛みを、今すぐ無くして欲しいのだ。自然に任せるのでは無く、人類の叡智を使って痛みから解放してくれ、飛べない調査兵団は巨人のエサにしかならないのは歴史が証明しているじゃないか。などと、ハライタで苦しんでる人間が言える訳は無く、ただ一言。『せ、先生、艦長違う、館長、こっちでもないか、あの元スパイダースだった痩せた男が昔、良く言ってた、そう、カンチョーしてください』。と、頼み込んで、やって貰ったカンチョーの気持ち良さ。いや、その、性癖としてのカンチョーでは無く、それまで詰まっていたものが一気に出る快感。しかし、人間は下水管に目鼻というのは、けだし名言である。

というような経験を昨年したので、今年は万全を期して、仕事は休んで健康診断に向かった。人は過ちをおかすが、そこから学習する能力がある。今回は、前年の轍を踏まないために、バリウム検査の前に受付の若いおねいさんに、前回いかに苦しんだかを切々と訴えた。その効果は、早速現れた。通常は2錠しか出さない下剤を4錠、さらにテイクアウトで6錠貰った。バリウム検査は、多分、去年と同じ技師でやたら明るく声が大きい。その指示に従って右に回ったり、左に回ったり、回転するベッドの手すりを握りしめて仁王立ちしたり、目の回るような忙しさだったが何とか無事に終わった。そこから更衣室にダッシュで行き、大量の水と一緒に下剤を摂取。そのまま家に帰って、そそくさと飯を作って食った。すると、直ぐに便意を催しトイレに入ると、あら嬉しや、無事に出るものが出る。バラの木にバラの花咲く、何の不思議があろうか。艱難汝を玉にす、冬来りなば春遠からじ、などとありがたい諺を唱えつつ、しかし、ここで油断して出るものが出なくなると困る。どうすべきか?

結論は、身体を動かすことが一番だと判断。以前の大腸内視鏡検査の時も、下剤の効き目が悪く、病院の内外を当てもなく歩かされたことを思い出したのだ。そうだ、自転車に乗ろう。自転車に乗って(by 高田渡)ベルを鳴らし、隣の街まで嫌なお使いに行くのだ。いや、もう子供じゃないからお使いは余計か。そういえば、タワレコがこの街から撤退して、いわゆる新譜を置いてるCDショップにご無沙汰している。郊外のショッピングセンターまで、ぶらぶら自転車で往復すれば、お腹にも刺激になる。ペットボトルに水を詰めて自転車のカゴに投げ込んで出発した。

家から自転車で出て、大きな橋を渡り海の方に向かう。海の少し手前の大きな交差点を曲がり、そこからショッピングセンターまで一直線。の、つもりだったが、いつもと違う景色が目の前に現れた。地元では有名な大型書店の駐車場ががら空きで、しかも入り口に何やら張り紙がしてある。嫌な予感がして、その店に向かって張り紙を見た。なんと、今年の6月でこの場所での営業を止めていた。ということは、オレはこの書店に3カ月来てなかったのか。読みたい本は、図書館やネットで取り寄せして、新刊本の書店にはご無沙汰していたが、まさかこんなことになっていたとは。この書店は専門書も多く、文庫も充実していた。それと、何より新左翼党派の機関紙も置いてあった。こんなもの一体誰が読むんだと思いながらも、たまにその手の機関紙のやたら威勢のいい見出しや、この国の人民に対する悲壮なまでのアジテーションを立ち読みするのは嫌いではなかった。

やれやれと思いながらも、自転車を走らせると次は少し嬉しいことがあった。ブコフではないフルモトが、この近くにあったのだが、営業が厳しくなり廃業するかもといううわさだった。こちらはなんと9月からリニューアルオープンしていた。しかも、本もCDもDVDも一律30%オフだ。本は、これ以上買うといよいよ置く場所が無くなるので立ち読みし、CDを探したらマーク・ボラントリビュートのアルバム、マルコシアス・バンプの秋間が主催しているイベントのやつがあった。参加ミュージシャンにもちろん頭脳警察もはいっている。さらに徳間ジャパンから出されたブルースのコンピ盤。ウェスト・ロードのトランプや、入道、ソー・バッド・レビューにサンハウスにフラワー・トラベリング・バンド。名前を見ているだけで、あの時代を思い出して来た。しかし、地元資本の書店がまた一つ無くなったのは辛い。






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図書館で借りて



直ぐに読んだのだが、あまりに内容が濃すぎて貸し出し期間を延長しようとしたら予約が入っていた。一旦、返却して再度予約したのだが、なかなかメールが来ず、漸く予約本が入荷しましたと連絡があったのは、今週の初め。平日に図書館に行く元気が無くて、今日、やっと受け取りに行けた。

貸し出しの受付には、若いおねいさんがいて、ややふっくらしてはいたが中々にワタクシの好みだったので、ラッキーと心の中でつぶやきながらも、あくまでこちらの内心を悟られないよう、また、オレはこの時代を憂えているのだ的なハードボイルド的表情を取り繕い、予約本を受け取りに来た旨伝えた。

おねいさんは、機敏に書架に向かい探し始めた。しかし、なんとなく様子がおかしい。返却本の書架は50音順に並んでいるのだか、何故かア行から探しているのだ。まあ、念のために丁寧に探しているのだと思い、しばらく待った。その間に他の人が貸し出しの受付に来て、別のおねいさんが対応していたのだが、くだんのおねいさんは書架の前で何度も首を傾げている。

そのうち、別のおねいさんもやってきて一緒に探すが見つからない。2人で何か言いながら探しているのだが、見つからない。もしや、間違えて他の人に貸し出したのでは、と不安が頭をよぎる。その時、おねいさんたちの会話が耳に入った。「何処にあるのかね、この『トウザンシュウレツデン』」。

バ、バカヤロー、それは『きりやまかさねれつでん』だ、と叫ぶ直前に後から来たおねいさんが見つけてくれた。そりゃ桐山襲はメジャーじゃないけど、オマーラ図書館のスタッフだろうが、もしかしたら司書の資格くらい持ってるんじやねーのか。などと怒りをぶちまけようとおもったが、やはり好みのおねいさんなので、何も言えず黙って受け取ったワタクシは大人になったと思う今日の出来事であった。と、本日はシラカバ的な香りのする心温まるエッセイでまとめました。





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