誠実な人、遠藤ミチロウライブレポート

 遠藤ミチロウは誠実なミュージシャンだ。今回のライブを通して一番感じたのはこのことだった。3年前に彼のアコースティックライブを聴いたときもそう思ったが、今回はさらに痛感した。なぜならまだ立って歌うことが出来ないにもかかわらず、しかも数少ない観客に対してアンコールまで歌い続けたその姿を見て誠実という言葉しか頭には出てこなかったからだ。昨年は2ヶ月入院生活し、ようやく体調が良くなって再開したライブツアーだが、ステージを歩く姿も痛々しかった。またライブハウスで偶然聞いたスタッフの会話、「薬で何とか持たせている状態」で本当に大丈夫だろうかと心配していたのだ。しかし、ミチロウは凄まじい存在感を持って登場し約1時間半椅子に座ったままだったが、ノンストップで歌い叫び手拍子たたいて表現した。そして民謡とパンクの融合という誰も想像しなかった到達点に至ったのだ。

ミチロウライブ1

 今回のライブ情報を教えてくれたのはロックバーの女性スタッフだった。「今月、ミチロウのライブがあるらしいですよ」という言葉を聞いてネットで調べたところ10月21日に前回もやったWeather Kingというロック系のライブハウスで行われることが分かった。3年前は友人たちに動員をかけて、総勢4名(少ないといえば少ないが、僕の世代でパンクのライブにこれだけ行けば御の字だろう)で参戦したが観客は10数人という寂しいものだった。しかし、その10数人に対してミチロウは一切手を抜かず2ステージのライブを、約2時間の歌と演奏を聴かせてくれた。今回は、ライブ情報をキャッチしたのが遅かったので、友人たちも都合が付かず、最終的には毎度のライブの相方Y尾君と2人で参戦することになった。

 僕たちのライブ参戦前のセレモニーは居酒屋みたいなところで1時間ほどガソリンと食料を注入し、ほろ酔い気分でライブハウスに向かうというものだが、今回はいつものLIFETIMEではなくメイン通りにあるWeather Kingなので、集合場所も地元では有名なセンベロ飲み屋である高砂にした。お店の暖簾をくぐったのが18時ジャスト。Y尾君からは18時10分には店に着くとメールがあったばかりだ。この高砂はビルになっているが1階が長いカウンターと4人掛けテーブルが2つある広い酒場である。早い時間帯だとテーブル席はたいてい空いているのだが、あいにく今回は先客が1組。飛び交う声も大きいがテーブルの上に料理とお酒が満開、かなりメートルも上がっていた。さらにもう一つのテーブルにはおしぼりとメモ書きがあり、そこに来客予定の氏名が書かれていた。高砂にわざわざ予約してくる客がいるんだとちょっと驚いた。残念だったがテーブル席を確保できなかったので、カウンターに座った。すでに大勢が飲み食いしていて、2人並んで座れる場所がなかなか見つからなかったが何とか確保した。カウンターの隅っこには60代後半の設備会社社長風の男が生ビールと5合入り焼酎の紙パックと様々な食べ物をカウンターいっぱいに広げていた。

 壁に貼ってあるメニューから生ビールとカキフライ、サンマの塩焼きのセット1250円を註文。チンチンに冷えたジョッキがすぐに出てきた。手に取って、そういえば今日は大学の同期生のお葬式が浦和で行われていることを思い出し、しばし黙とう。冷えすぎたビールをのどに流し込み、10月21日、国際反戦デーに浦和でお葬式、宮崎の僕はこれからミチロウのライブと人生の不思議についてちょっと考えた。しかし、いまどき国際反戦デーと言っても話が通じない。職場の若い事務員に「今日は何の日か知ってる」と聞いたら、普段のこちらの性格をよく知っているので、ちょっと身構えて「お誕生日ですか」と返された。「いやいや、今日は太平洋戦争でそれまで免除されていた学生の徴兵猶予が廃止され、初めての学徒出陣が行われた日なんだよ」と説明したが、「へー、よくご存じですね、drac-obさんも出陣されたんですか」「いや、オレは丸太抱えて防衛庁、なことあるか~」と世代間のギャップは甚だしいのだ。しかし、いまどきの若いもんはものを知らなくて困る。ま、別に知らなくてもいい話もはあるが。

 10分ほどしてY尾君が登場。そういえば先月は彼と訳アリ彼女と3人で中山うりのライブに行った。先月は中山うり、今月はミチロウ、そして来月はZEK3と揺れ幅の大きいライブが続く。Y尾君はそれ以外に地元出身のジャズピアニストの荒武裕一郎さんのライブにもいったそうだが、会場がお上品な人たちが集うお店で非常に居心地が悪かったらしい。まあ、ジャズは女を口説くBGMくらいにしか考えていない俗物成金連中が沢山いて、それに腹を立ててワインやスコッチが主流のお店で芋焼酎を飲みまくったらしい。しかし、人口40万の我が宮崎シティではあるが、確かに音楽ファンの棲み分けは確立されている。高校の先輩で宮崎国際ジャズデイの主催者であるH高社長のイベントに集うのは、やはりセレブな方ばかりで、演奏されるライブも純音楽的なジャズが多い。かたや日常生活がジャズというLIFETIMEに集うのはフリージャズやアングラが好きな、カタワ、いや、その個性的なミュージシャンとそのファンが多い。さて本日参戦するWeather Kingはどんな客が集うのか。

 高砂で定食を頼んだお兄ちゃんがいて、運ばれてきた飯の多さ(どんぶりの上にてんこ盛り)に驚いたり、隣の60代後半の設備会社社長風の男が年齢不詳のケバホステスを口説いている様子を見たり、スーツがまだなじまない20代の兄ちゃん2人が満席で断れているのを見たり(いや席を詰めれば2人くらい十分座れるのだが、店の雰囲気に合わないと判断されたのか、あと10年くらい焼酎で顔洗って出直しな的な店のおばはんの対応が見事だった)、様々な人間模様を見ているうちに時計は19時30分を回っていた。開演時間を過ぎたが前回も地元のパンク兄ちゃんがオープニングアクトで30分ほど歌ったので、それほど慌てず高砂を出てライブハウスに向かった。歩いて5分もかからない距離だ。

 ファッションビルの階段を地下に降りたところにライブハウスWeather Kingはある、前日にメールで予約を入れたので前売り料金で見ることが出来た。そういえば春先に地元のロックバンド(AOIだよ)の公開録画に来たときはオールスタンディングで、足腰の弱った身にはつらくて、結局、、ドリンクコーナーに椅子を出してもらい演奏をBGMみたいに聴いていたことを思い出した。もっとも以前のミチロウのライブの時もテーブルと椅子が出ていたので、安心はしていたがこればかりは自分の目で確かめないと不安である。お金を払って客席に行くと、ステージがまっすぐ見えるテーブルが空いていた。オープニングアクトは石川ケンタという、地元では泣き虫パンチというバンドをやっているミュージシャン。歌も外見も三上寛に似ていてなかなかいい。一度、LIFETIMEでじっくり聴いてみたい。入ったのが遅かったので1曲だけで石川ケンタの歌は終わり、会場が静かになった。少し経つと不気味なサウンドが、重低音が響いてくる。ドアーズの「ジ・エンド」である。いよいよミチロウの登場だ。

 ゆっくりステージの袖から出てきて正面を向いて一礼。それから椅子に座りギターとハーモニカをセッティング。静かに、しかし力強く歌い始めたのは「Just Like A Boy」、まるで少年のようにと歌われる、比較的最近のミチロウの歌だった。続けて激しいギターのストロークとともに歌われたのは、ザ・スターリンのファーストに入っていた「MISER」。前回もやってくれたが、僕の大好きな歌だ。♪なんにも思わずにここまで来たけれど、このまま許されるはずはないから、いまに何か、不吉な何かが必ずおこる。歌詞も不気味だが、メロディもまるで暗闇に誘い込むようなサウンドだ。途中でミチロウのホーミーが入る。前回聴いたときは驚いたが、今回は待ってましたという感じ。

 『去年は1年間活動できなくて、こっちのライブもキャンセルして本当にごめんなさい。やっとライブ出来るようになったんだけど、病気の後遺症のせいとかで立って歌うことが出来なくなって座って演るようになっちゃったんですけど…。』、とミチロウのMC。ああ、こういうところも誠実な人だなと思った理由だ。『1年間ツアーが出来ずやっと復活してライブが出来るまでになりました。一番辛かったのはライブが出来ないことよりも、ツアーに出れないことだったです。そして何とかツアーに出ることが出来て、またWeather Kingに来ることが出来て嬉しいです』とMCが続く。礼儀正しい人なんだよな、誠実な人なんだよな。パンクはこうでなくっちゃと己を振り返り反省した。ま、反省だけならサルでもするのだが。会場からは温かい拍手が生まれたが、ミチロウの話し方はとても苦しそうで、これから歌を続けることが出来るのか不安になった。続いては、ゆっくりしたギターの音色から静かなバラードが導かれる。早川義夫の「聖なるかな僕の願い」である。ミチロウはジャックスの曲もいろいろカバーしているが、この歌は本家早川義夫ばりにしっとり歌い上げてくれる。

 『せっかく復活したのでアルバムを作りました。震災以降初めてのアルバムです。その中から、アルバムは『FUKUSHIMA』ってタイトルなんすけど…』と言いながら歌い始めたのは、おお、グロテスク・ニュー・ポップ時代の「オデッセイ,1985,SEX」である。であるが、なんだか雰囲気が違う、あれ、福島弁で歌ってるのか?曲名を後で知って納得。「オデッセイ・2014・SEX・福島」だ。♪オーレのコトバはたーだのSEX、イって済ませる楽しいSEX、というサビが印象的で、つい口ずさんでしまうことが多かった。ある時、まだ若かったころだが、ちょっと良いなと思っているおねいさん、えーと、職場の同僚だったんだけど、仕事の関係で一緒の車で移動していたのね。その時にいろいろ話をしたけど、ほら、こっちも少し緊張しているし相手ももしかしたら意識してくれてるのかなというまあ虚実皮膜の章の時にですよ、ワタクシ、無意識にこの歌を口ずさんでいて、それから相手の態度が硬直して心なしか体も外側に向けてこちらを見ないようにしていたという苦い思い出があります。歌も時と場所を選ばないといけないという教訓を学びました。ま、それはいいけど。



 『もともとの歌を福島訛りで歌ったんだけど、通じるかな(会場、笑)。昨日、熊本でやったんだけど半分くらいしかわかんないって言われた(失笑)』

 『福島第一原発の隣に浪江町っていう町があるんですけど、放射能の汚染がひどくて避難区域になって、いまは誰も住んでない町なんです。そこに行ったときに作った歌を歌います』。今度は先ほどのMCと打って変わって、誰も笑わない、笑えない状況から静かにしかし、怒りを込めてミチロウは歌う。歌われている浪江の街の姿が、いま再稼働を始めている原発に経済依存している街の何年か先の景色ではないと誰が断言できるのか。万が一また原発事故が起きたら誰が責任を取るのか、いや取れるのか。アンダーコントロール、そんなもんは犬の餌にもならない、たわごとに過ぎない。それでもこの国の発展のために原発は必要だという人たちは、もう僕には理解できない。びよんどまいこんぷりへんしょん、というやつだ。



 歌とギターとハーモニカとホーミー、たった一人で表現豊かに浪江の情景を歌う。やはり誠実な人だ、遠藤ミチロウという男は。『浪江町というのは僕の田舎の二本松の隣なんです。二本松はそこまで放射能汚染がひどくないので、避難区域になってないんです。だから浪江の人が避難してきて、今だに仮設に何千人といるんです。その仮設に住んでいる人たちと音楽祭なんかやってたんだけど、ある時コンサートじゃなくて盆踊りやってくれって言われて(苦笑)。僕らに盆踊りってのはちょっと縁がないだけど(笑)、せっかくだからやったんですよ。だけどみんなしんみりと踊っていて、楽しそうじゃないんですよね。もう自分の故郷に帰れない、そんな気持ちが充満していたのかな。そのしんみり踊っている姿を見ていると胸が締め付けられて、ちょっと感動してしまった。それから盆踊りにはまってしまって。で、そういうのをやっているうちに民謡バンドを作って、来月アルバム出します』と、最初は哀しい話だったが後はちょっと楽しみな話が出てきた。そしてこの後なんとミチロウは自分の田舎の盆踊り歌、「相馬盆踊り」をカラオケで歌ったのだ。もっとも正調で歌うわけはなく、コメに放射能が付いて困ったと替え歌にしていた。しかし、遠藤実なら分かるが、遠藤ミチロウのライブで民謡を聴くとは思わなかった。もっとも、実にこれがはまってしまうサウンドではあった。うーん、来月のアルバム買おうかなと考えてしまう。

 『この歌(相馬盆踊り)歌ってから民謡にはまってしまって、シダミョウジン(と聞こえた)っていう民謡バンド作ってしまって。まあ、パンクでアコーステックだから、えー、アンプラグド・パンク・民謡バンドってんですかね(笑)。そのアルバムから、もう1曲行きます。これは誰でも知ってます』と言って歌い始めたのは、なんと「ソーラン節」である。こちらも歌詞を変えて歌っている。もっとも♪新宿騒乱、騒乱、騒乱、ハイハイなんて合いの手は入らないっていまどき新宿騒乱なんつっても誰も知らないっつーの。観客のどっこいしょ、どっこいしょという合いの手と一緒に歌い終えたミチロウ。『これは「福島ソーラン節」っていうんです。ま、放射能のことを歌ってるんですけどね』とコメント。『今年の8月15日に盆踊りやりました。福島の山奥の150人くらいしか住んでいない限界集落があって、そこは避難区域じゃないけど凄いホットスポットで、若い人や子供はみんな出て行って、おじいちゃん、おばあちゃんが40人くらいで住んでるところがあって、そこと縁が出来て普段は若い人のいない集落だけど、お盆の8月15日だけはみんな戻ってきて盆踊りをやるんで、そこで演ってくれないかと頼まれた。でもそんなに民謡のレパートリー無いから増やそうと思って、もういっそのことスターリンの曲を盆踊りにしちゃえって(爆笑)。「ストップジャップ音頭」や「ロマンチスト音頭」、「メシ食わせろ音頭」とか(大爆笑)。でもみんな喜んで踊ってるんですよ、おじいちゃんおばあちゃんが、シュールな光景だったな。スターリンで盆踊り(笑)。』と話を続けた後は、これまた懐かしいスターリンの曲で「負け犬」の音頭バージョン。

 『まあ、お年寄りがスターリンの歌を絶対に聴くはずはないんだけど、こうすると(音頭にすると)みんな聴いてくれるんだよね。聴きながら踊ってくれてね、「あれ変な歌だよね」なんて言いながら、ちゃんと歌詞も聴いてくれてるんです。で、帰ってきた子供たちが「メーシ食わせろ」なんて歌ってんだよね(笑)』、そんな少し物悲しい笑い話をしながら、ミチロウの入院の話になった。『去年の7月、8月と入院してね…。太陽の光に当たっちゃいけなかったので、カーテンで遮断されて…。カーテンと壁に挟まれて窮屈な生活、外の景色が見たいなと思ったり。そんな生活だから気がめいってきて…。でも婦長さん、看護師で一番偉い人、その人の息子さんが熱狂的なスターリンのファンで、正体が全部ばれてしまって(苦笑)、婦長さんから「あなた、ずいぶんひどいことしてたのね」って呆れられて(笑)、「でもうちの息子はあなたのこと神様みたいに思ってるわよ」なんて言われてもね(苦笑)。まあ、それで病院中に自分の正体が分かってしまって、それから女の看護師さんの態度が変わっちゃって、凄い余所余所しくなってしまって、もう治療でチンチン出したりしなくちゃいけないのに(爆笑)』、歌は「パッフェルベルのカノン」に、やや下ネタ気味のMCから一気にクラシックの香りがするステージに(笑)。

 そのあとは、ミチロウが2011年から作っていたドキュメンタリーの映画が来年ようやく公開されるようになり、その映画のタイトルはなんと『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』。もちろん歌もそのまま入っていく。



 そしてこの後に、衝撃の告白が入る。なんと入院中からNHKの朝ドラを見るようになってしまい、自分で架空の朝ドラのテーマを作ったと歌われた歌は…、アーティストイメージを損なうので割愛(笑)。しかし、まるで「想像されたウェスタンのテーマ」か10ccの『オリジナル・サウンド・トラック』みたいな話で笑えたな。お、そうそう、実は今年の1月にNHKの『戦後証言プロジェクト』という特番があり1月10日は吉本隆明の特集だったらしい。ミチロウは言わずと知れた吉本ファンだが、そのミチロウに吉本隆明の自宅の仏前で歌を歌いそれを放送するとNHKが企画したらしい。曲は「オデッセイ」である。一応、ミチロウは「大丈夫ですか」と不安だったらしいが、相手は「大丈夫です。私たちはNHKの良心です」などと大見え切っていながら、当日の放送を見たら曲名もクレジットされておらず、流れたのも最初の「やりてぇか~」のところだけ。ミチロウ怒ってました(笑)。

 ライブもいよいよ終わりが近づき「オレのまわりは」を熱唱するミチロウ。しかし、病み上がりなのに休憩も挟まず、水もあまり飲まずぶっ飛ばしていくが大丈夫なんだろうか。これは余計な心配だったようだ。次の曲はやはり早川義夫の「シャンソン」。高田渡の歌詞がオシャレな1曲。ギターのアルペジオが心地よい。『じゃ最後の歌を。あの謝んないといけないんですけど、新しいCD持ってきたんですが昨日売れすぎて全部無くなってしまって、あの通販で宜しく(会場笑いとともに「どうする、どうする」の声)。えーと、通販で申し込んでくれたらサインして送り返しますから』と言いながら、ホーミーとともに歌いだしたのは「天国の扉」。そういえば、Purple_Hazeさんはもう天国の扉を開けて入ってしまったんだなと思うとちょっと来た。そしてついに遠藤ミチロウのライブも終わった。



 ノンストップのライブもついに終わったが、誠実なミチロウは少ない客の熱心なアンコールの拍手にこたえて、少し足を引きずりながらステージにまた登場した。持参したCDが売り切れたお詫びに新しい民謡バンドのアルバムの歌をやるという。やるのは福島で一番有名な民謡「会津磐梯山」。その迫力ある歌から続けたのは「ロマンチスト音頭」。これには会場大感動で、一緒に歌うは手拍子たたくわ、もう大騒ぎ。いやー、これは民謡バンドのアルバム絶対買わなくちゃ。あ、吐き気がするほどロマンチックだぜ~!!

 ミチロウの最後のMC,『このアルバムはカラオケ付きなので来年は是非これで盆踊りやってください』。

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これ、おかしくね?



秋の図書交換市に出す為に、家から読まなくなった本をまとめて図書館に持って来た。公園が隣接しているので、駐車場は満杯。何とかスペースを見つけて、車を停めた。そういえば、ここの駐車場は最近工事をしていて、そのときも車を停めるのに苦労した。一体何の工事をしていたかというと、障害者専用の駐車場を確保するためのものだ。そして、工事が完了して今こうなった、というのが、添付写真。

ガラガラの障害者専用駐車場、それに対して全く空きの無い一般駐車場。一般駐車場には、空きスペースを探して右往左往する車が数台。これ、おかしいでしょ。障害者専用駐車場は、一般駐車場の中に屋根付きで数台分確保してあるし、さらに奥の方にも車椅子マークの駐車スペースはある。

もちろん、身体の不自由な人達にも図書館は積極的に利用して頂きたいし、雨降りのときは大変だから、屋根付きで当然だ。しかし、利用者数の予測とか統計とか取ったのかね?こういう善意の押し売りが、小さな親切が余計な御世話だと思うのは少数なのか?いやいや、みんなが大好きな民主主義は少数意見を、尊重するのと違うか?

この障害者専用駐車場は、一体どこの誰が提案企画したのか。責任者出て来いとジンセイコウロウ師匠だったら言うに違いない。あ、ところで、障害者を「障がい者」と言い換えるのは反対です。何でもかんでも言い換え、言葉を換えて住みにくい世の中にするのは、やめましょう。





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予約した本が



届きましたと、図書館からメールが来た。先週の土曜日に図書館の予約棚にあったのを見つけて、すぐに予約したがまさかこんなに早く読めるとは思わなかった。全908ページで、かなりな厚み。この週末は、我が国の雇用問題とはっぴいえんどについて、深~く考察してみる。しかし、TPPは騙し討ち以外の何物でもない、と口蹄疫の災難を受けたクニの人間としては、声を大にして言いたい。




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アイ・リメンバー・フィル・ウッズ

 フィル・ウッズが亡くなった。ロックバカだった僕がジャズに目覚めたのは大学1回生の学園祭の準備中に聴いた彼のアルバムのおかげである。サークルにおける大学1回生というのは、『1回生ダッシュ』という言葉で分かるように使い走り、雑用、何でも係、奴隷というような役割である。僕がDRACに入って最初に命じられた用事は、当時の幹事長だったゲゲゲのY田さんからBOX(部室)に置いてある巨大ゴミ箱を1階の処分場に持って行ってカラにして来いという命令だった。その時、BOXにはY田さんと僕と、もう一人、イケメンで背も高く服もオサレなE副だった。Y田さんは僕に、「お前、ゴミ置き場知ってるか?」と尋ね、僕が首を横に振ったらE副のほうを向いて同じことをいった。E副は「知ってます、残念ながら」と答えたので、「じゃ、お前たち二人でゴミ箱カラにして来い」と言われた。サークルに入ったばかりの僕は、E副の落ち着きぶりと口調からてっきり2回生だと思い、敬語で話しかけていたら通路で立ち止まったE副が「敬語使わなくていい。オレも1回生だから」といった。何だ、この野郎最初からそう言えばいいのにと思わなくもなかったが、同じ1回生ということですぐに打ち解けた。

 そのE副は最初からジャズを聴いており、BOXにも毎回ジャズのレコードを持ってきて、同じジャズファンだった千三つのF田や、アル中のS賀さん、「お嬢さん、僕と一緒にさるきませんか」でおなじみのNさんなどと、当時の僕が全く聞いたことのないジョニー・グリフィンがどうしたとか、エリック・ドルフィーがなんたらとか、最近はオリバー・ネルソンなんかもいいんですよね、などという摩訶不思議な会話をしていた。僕はジャズなどというのはお金持ちが道楽で聴いてる音楽という偏見があったので、ジャズ班の先輩たちとはマージャンをしたり酒を飲んだりするのは大好きだったが、音楽の話をするのは避けていた。それでも僕の下宿で酔っ払ったS賀さんがマクドナルド&ジャイルスのアルバムを聴いて、「お、このドラムはいいな」といったのを聴き逃さず、ある時、BOXで素面だったS賀さんに「ロックのドラムもいいものはあります、だってS賀さんもこのドラムはいいと言ったじゃないですか」といいながら、組曲ハ長調をかけたら「そんなことは言った覚えがない」としらを切られ、しょせんロックはお子様ランチと小馬鹿にされて悔しい思いをずいぶんした。

 そういう経験が何度もあったので、BOXでジャズがかかっているときはなるべく本を読んだり、同じ1回生のS戸やH居なんかとバカ話をして耳に入ってこないようにしていた。そうして前期の授業が終わり、後期が始まり、だんだん寒さも本格的になり始めた10月に学園祭、EVE祭の準備が始まった。学園祭では教室にバンドを入れてディスコをやる予定だったが、出演バンドも百万遍にある超一流大学ではあるが、やはりアマチュア学生バンドだったので1ステージがせいぜい30分で、バンド演奏以外の時間は当然レコードを流すことになる。11月の下旬に3日間の学園祭があるのだが、教室にはバンドの楽器やサークルのオーディオ装置、レコードなど大事なものが沢山あるので、サークルの学園祭実行委員と貧乏くじを引いた1回生が泊まり込む段取りになっていた。学園祭初日はオーディオや楽器の搬入があったり、なんだかんだと忙しく何十回、『1回生ダッシュ』と言われたかわからない。昼間の模擬ディスコが終わり、サークルの部員も一人去り二人去り、後に残ったのはEVE実(サークルの学園祭委員長)のI上さんと1回生の僕と、あ、2回生で会計をしていたY本さんもいたか。そして、もう一人がイケメンでジャズファンだったE副だった。僕は昼間の疲れと京都の夜の底冷え、しかも地下の教室の床に新聞紙を敷いて、その上にレンタルの布団を敷き、さらに僕の下宿から持ち込んだこたつを乗せて、そこに寝そべっていたら、いつの間にか寝込んでしまった。30分か1時間か、教室の照明は点けっぱなしだったので目が覚めた。ほかのメンバーも寝息を立てていたが、誰かがステレオのところに行って低いボリュームでレコードを流した。ドッドーン、ドッドーンと重たいウッドベースが響く。なんだか不気味なイントロだなと思って聞いていたら、突然、そう、本当に突然、闇を切り裂くような強烈なアルトサックスの音がした。フィル・ウッズのアルバム『ミュージック・デュ・ボア』の1曲目の「サンバ・デュ・ボア」だった(YOU TUBEで探したけど、僕の聴いたアルバムのテイクではないが、雰囲気は分かるので貼っておきます)。



 あの時初めてジャズはかっこいいなと思った。そのレコードはあっという間にA面が終わり、E副は別のレコードをかけようとしていたので、「あ、そのままB面かけてや」と声をかけた。起きているのは自分だけだと思ったE副はちょっと驚いた様子だったが、そのままB面をかけてくれた。「このサックスはフィル・ウッズといってチャーリー・パーカー直系の白人奏者。パーカーに心酔するあまり、パーカーの未亡人と結婚して…」とE副は解説してくれた。フィル・ウッズ、名前が短くて覚えやすかったこととアルトの強烈な音色は僕の記憶に残った。学園祭が終わってから、僕は少し悔しかったがE副に弟子入りして、ジャズのことをいろいろ教えてもらった。ジャズ喫茶巡りも付き合ってくれて、蝶類図鑑やしあんくれーる、インパルスにビッグボーイ、さらにYAMATOYAなどあちこち案内してくれた。E副が顔なじみの店もあって、そんな店では僕のことを「フィル・ウッズ聴いてジャズが好きになった変わり者」と紹介してくれた。さらに北白川のふーんじゃらーむでは1本1500円でキープ出来たサントリーのホワイトに、一番安いつまみの野菜スティックか大豆をいったものを頼んでうだうだと時間をつぶしていたことも多かった。あ、E副はほとんど下戸でアルコールは最初の1杯だけ。残りは僕がほとんどいただいた。そうそう、E副と同じ学科だったK下も時々参加して名古屋弁で会話に参加していたな。そうそう、このジャズ喫茶巡りをしていてある店のポスターにちょっと感動したことがあった。絵面ははっきり覚えていないが、英文が書いてあって”Dig America? Ok.So You Dig JAZZ” とあった。アメリカ知りたきゃジャズを知れってか、と自分で妙に納得したな。

 E副のおかげでいろんなジャズを知って、それでも傾向としては僕はハード・バップが一番好きで、フリー・ジャズは最初は良く分からなかった。楽器はやはりアルトサックスが一番好きだったが、ほかにピアノもギターも好きなミュージシャンが出来た。もっともギターはジム・ホールとかポール・ウィナースのそれが好きだったのでF田からよく小馬鹿にされた。それでも知らないものを知ることが勉強だと思い、2回生になったときはジャズ班に入ってジャズをいろいろ聴いた。当時はロック班の人数が一番多かったが、発言力や理論展開はジャズ班にいるメンバーが一番強烈だった。今だから言える話だが、大学の1回生の時からジャズ班のリーダーだったF田君は、あの有名なジャズ評論家の油井正一を「アブライ正一」と読んだり、UCCコーヒーを「カミジマコーヒー」と読んだりする粗忽ものだったが、調子のいい男で、ある研究会の時に次回はジャズボーカル、それも女性を特集しようという話になり、当時、スタン・ケントンとジューン・クリスティーのデュオアルバムを持っていた僕に「お前はジューン・クリスティーのレコード持ってこい』といったのはいいのだが、S賀さんがちゃちゃいれて、「じゃ俺はアガサ・クリスティーを持ってくる」と発言。F田君は「そうそう、アガサ・クリスティーもいいですよね。さすがS賀さん」と答えてしまった。当然、研究会にいた全員が大笑いで「アホ、アガサ・クリスティーはミステリの女王やんけ」と突っ込まれた。

 なんだか、いろんなくだらないことを思い出した。フィル・ウッズのステージは2年連続で見ることが出来た。最初はズート・シムスと一緒のコンサートで、ズートはずーっと(やってしまった)椅子に座ったままで、ソロの時だけ立ち上がるというステージだった。フィルは元気いっぱい吹きまくり、首から下げたアルトはおもちゃのように見えた。翌年は学生会館のホールでサード・ハード・オーケストラと一緒に演奏して、「サード・ハード、ナイスバンド」とリップサービスしてくれた。フィル・ウッズのおかげでジャズに目覚めた僕は2回生の夏休みに地元に帰ったときもジャズ喫茶を探した。いくつかあったが、若草通というアーケード入り口のビルの上の階にあった鰻の寝床みたいな細長い店が気に入った。缶入りピースとマッチと小銭を持ち、その店に行きずーっとレコードを聴く。たまに高校時代の同級生が来て、雑談してるとそこの気の短そうなマスターがにらむ。ある時、女の子を連れてその店に行き、カッコつけてビル・エバンスとジム・ホールの『アンダーカレント』をリクエストしたら、ケッと言われたが流してくれた。よっしゃ、これでこの女の子を口説いてやるぞと思ったが、ジャズはそういうときに勇気をくれず、結局頭脳警察の話などしてしまい、相手は呆れて帰ってしまった。そういえば、そのジャズ喫茶の名前はLIFETIMEといった。あれ、どこかで聞いたような…。

 ええと、全く支離滅裂な話ですが、そういう沢山の思い出とともにたくさんの素晴らしい演奏を聴かせてくれたフィル・ウッズの冥福を祈って本日のエントリーは終わりたい。彼のラストページはどんな風景だったんだろう。合掌。



※10月4日追記:このエントリーの重要な登場人物である「E副」君を変換ミスで「E福」君としてました。ご本人からご指摘のメールをいただき、ここに謹んでお詫びし訂正いたします。あ痛、慣れないこと言うから舌をかんだ。またホワイトが1500円でキープできたのは「ふーんじゃらーむ」ではなく、「メルヘン」ではないかというご指摘も頂いた。地図も添付してくれたので、じっくり見たら「ふーんじゃらーむ」はエイデンでいうと茶山駅のあたり。DRAC関係者には伊藤養豚場の近くといった方が話が早いかもしれない。いや本当の養豚場ではなく、このエントリーにも登場したF田君とS戸君が住んでいた伊藤荘という下宿の近く。その伊藤荘の近くに「エルム」という喫茶店があってランチが安くて美味しかった。「ふーんじゃらーむ」は、その「エルム」と同じ人が経営していたことも彼のメールで知った。

かたや、「メルヘン」は百万遍を過ぎて、銀閣寺道の手前当たり、うーん、そういえばそんな気がしてきた。とにかく、ジャズ喫茶にしては珍しく照明が明るかったことと、サントリーホワイトが1500円(すぐに2000円に値上げしたが、それでも貧乏学生の懐には優しいお店だった)でキープできたこと、一番安くて美味しいつまみが野菜スティックと炒り豆だったのは間違いない。おっと忘れるところだった。そのE副君の考えるフィル・ウッズのベストプレイから”I Remember Bird”を最後にアップして追記を終わります。E副君、それからエントリーにはちょっとしか出てこなかったけどK下君、ありがとう。機会があれば南九州に来てね。



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