大みそかの夜

 あと数時間で新しい年が来る。しかし、本当に新しい年なのか。真綿で首を絞められる1年が始まるのではないか。いわゆる、「終わりの始まり」ではないか。明日はTHE END、崩壊のTHE ENDではないのか、この前の選挙結果から、圧倒的多数の現政権支持の状況から、やってられねーな、浮かれてられねーなとつぶやく人たちの声を聴きながら、そしてトム・ウェイツのこの歌を聴きながら1年を終わりたい。来年の1月には久しぶりに関西に行く、懐かしい場所や懐かしい人たちに会う。そこでもう一度自分の過去と向き合ってみたい。拙blogを見てくれた全ての人には感謝したい。と言っても出会いに感謝なんて、エセ宗教的なことは書かないけど。君、あなた、お前、てめえ、この野郎、全ての若き、いや年老いていてもいいのだが、パンクスよ、いいお年を。



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世紀の一戦



知らなかった。いつの間にか、ニック・ロウがボクサーになっていたとは。もう、かなりな年齢だと思うが、やはり肉食中心の紅毛碧眼人は違う。

さらに、ゲバラまでボクサーになっていたのか。資本主義の豚共をぶちのめしてくれ。まあ、レーニンもカゴンマでラーメン屋を開く時代なので、何があっても驚かない。てか、最後のは楽屋落ち(笑)。

12/30、結果はニックロウはボロ負け、ゲバラは大勝利。




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70年代ロック入門の19曲

 先日、ある飲み会でほぼ同年代だがロックはあまり詳しくないという人から70年代のロックを聴きたいが、ダイジェストみたいなものは無いかと聞かれた。実は1年ほど前の飲み会でも同じことを聞かれ、ああ、そんなの邯鄲、邯鄲の夢。PCでちょちょいのちょいです、ワハハ、などと答えたが、イージーの意味で使うべき簡単を、間違えたくらい適当に返事をしていたので、そのまま忘れていた。実はその飲み会の時に、もしこの依頼が若くてかわいいおねいさんからだったら徹夜してでも作ったんじゃないかとまったく痛くもない腹を探られたので、そ、そんなことはない。この休みに作るからと言ってその場をゲルニした。しかし、いざ作るとなるとあの激動の70年代をたかだCD1枚にできるか、べらぼうめ。少なくとも1年1枚としても10枚は最低限必要だ。しかし、1年前もバックレているし今回もバックレたら、これはワタクシという人間の人間性が否定される。虞や虞や、汝を如何せんと考えていて、ハタと思いだした。何年か前にフルモトでThe No.1 70's ROCK ALBUMという中古CDを入手し、それは二枚組で40曲収録されているが、なかなかに選曲のセンスがいい。そうだ、それを1枚にまとめて、簡単な説明文を付ければいいと思い立ちやってみました。やってみたら、この選曲、多くのロックファンに検討してもらいたいと思い、自作のライナーノートを以下コピペ。

『70年代ロックの名曲集 シリーズその1~The No.1 70’s Rock Albumから編集』

1.「キラー・クィーン」 by クィーン
 オープニングは70年代ロックに、その華々しい足跡を残したイギリスのバンド、クィーンの3枚目のアルバムからのシングルカット。本国ではほとんど評価されていなかったバンドが、日本で人気に火がつき逆輸入の形でヒットした最初のパターン。その後はデビッド・シルヴィアン率いるジャパンもその好例。クィーンはブルース衝動を持たないハード・ロックバンドと言われ、今はロック成金と呼ばれるものの当時は「若いこだま」や「ヤングジョッキー」などでDJをしていた渋谷陽一が絶賛していた。その後は大貫憲章が引き継ぐのだが、それはさておき、大仰ともいえるアレンジ、重厚なコーラス、そしてブライアン・メイのへヴィーなギターサウンドが楽しめる1曲である。

2.「20世紀少年」 by T・レックス
 マーク・ボラン率いるグラムロックの王者、T・レックス。というより、今では映画やコミックで有名になった『20世紀少年』の元ネタと言ったほうが分かり易いかもしれない。69年にビートルズが解散して、ロックは様々な進化を遂げていく。その中で、T・レックスやデビッド・ボウイ、スレイド、ロキシー・ミュージック等のようにミュージシャンがメイクをしてラメのシャツを着て、視覚に訴えるロック(グラマラス・ロック)が誕生。もっとも、T・レックスは最初は黒魔術を思想的背景として、サウンド的にもアコースティックギターとボンゴという最少編成のバンドだった。アコギをエレキに持ち替えて、ブギを強調した音楽を始めて、一世を風靡した。何しろT・レックスのライブを見て恍惚状態になることを表す意味で、”T.REXTASY”という新しい言葉も生まれたくらいである。ハードなブギーサウンドに乗せて、マークの歌う呪術的な歌詞はあなたをとらえて離さない(by スネークマンショー)。

3.「いとしのレイラ」 by デレク&ザ・ドミノス(エリック・クラプトン)
 これはもう説明の必要のない70年代ロック史に残る名曲、名演。ブラインド・フェイスを解散後、デラニー&ボニーやレオン・ラッセルなどと交流が深まり、アメリカの南部音楽(スワンプ・ミュージック)に傾倒していったクラプトンが、腕利きのセッションミュージシャンたちと結成したバンド、デレク&ザ・ドミノスの唯一のスタジオ録音からシングルカットされた曲。演奏時間が長いので後半のピアノの部分はシングル盤ではカットされていた。スライドはご存知デュアン・オールマン。この当時から知る人ぞ知るギターの名手だったが、このアルバムで一気に人気を博し、それがそのまま自身のバンド、オールマン・ブラザーズ・バンドにつながっている。しかし、今やそのオールマン・ブラザーズ・バンドのドラムだったブッチ・トラックスの甥である、デレク・トラックスのほうがメジャーである。

4.「ステイ・ウィズ・、ミー」 by フェイセズ
 ロッド・スチュワートにロン・ウッド、故ロニー・レーン、ケニー・ジョーンズ、そして先ごろ亡くなったイアン・マクレガンのいたイギリスのR&Rバンド。ロッドのだみ声とノリのいいビートのロックを奏でるバンドのアンサンブルが素晴らしい。ステージでサッカーボールを蹴って、観客と遊ぶというパフォーマンスは有名。スタジオ録音よりライブ演奏のほうが、このバンドの良さは分かるだろう。なお、このバンド在籍中にロッドはソロ・アルバムを出して、そこから「マギー・メイ」などのヒットを飛ばし、太平洋を横断(アトランティック・クロッシング)、アメリカに活動の場を移し、バンドは解散。ロン・ウッドはその後、ローリング・ストーンズに、ケニー・ジョーンズはザ・フーに、ほかのメンバーもストーンズやディラン、ブルース・スプリングスティーンなど大物ミュージシャンのアルバムやライブに参加している。

5.「ストレンジ・ウーマン」 by ディープ・パープル
 やはり、パープルはイアン・ギランのいた第2期が一番パープルらしい。ロッド・エバンスのいた第1期もいいのだが、路線がプログレ方向に行くか、ハードロックに行くか、はたまたポップな感じで行くか試行錯誤していて、名曲もあるがゲロつまらん演奏もある。その点、イアン・ギラン、リッチー・ブラックモア、イアン・ペイス、ジョン・ロード、ロジャー・グローバーという5人が一枚岩だった時期の演奏は鬼気迫るものがある。この曲はアルバム『ファイアーボール』からのヒット。その前にシングルで発表した「ブラックナイト」(MRTポスターバザールのCMで使っており、いまだにこの曲を聴くと年末のポスターバザールを連想する中高年は多いと推測される)で、日本でも新しいハードロックバンドとして注目を集めた。しかし、アメリカでのヒットはその後の『マシン・ヘッド』から。ちなみに彼らの来日公演を録音した『ライブ・イン・ジャパン(海外ではメイド・イン・ジャパンと表記されている)』 は、その演奏の凄さが評判を呼び、英米で輸入販売され大ヒット。武道館で演奏することが日本での成功であることを海外のバンドに浸透させた。

6.「マイ・ブラザー・ジェイク」 by フリー
 この編集CDのオリジナルは40曲収録のコンピ盤だが、輸入盤でイギリスで製作されているため、バンドはごもっともだが収録曲が?というものがいくつかある。その代表的な例がこれ。70年代のロックにフリーの存在は大きい。まだ20歳そこそこのポール・ロジャース、サイモン・カークに泣きのギターのポール・コゾフ、ベースのアンディ・フレイザーはまだ18歳という若さでブルース・フィーリングあふれる演奏をしていた。ヒットした曲も、「オール・ライト・ナウ」「ミスター・ビッグ」「ビー・マイ・フレンド」そして「ウィッシング・ウェル」などあるが、何故にこの曲。悪いわけではないが、やはり紅毛碧眼人とは感覚が異なるものか、つい考えてしまう。もっともボーカルのポール・ロジャースは親日家で奥さんは日本人の野添マチ。その関係でTVドラマ『夜明けの刑事』のテーマ曲を歌った。さらに、フリーの後期には日本人の山内テツをメンバーにいれ、海外での日本人ミュージシャンの門戸を開いた。ちなみにテツはロッド・スチュワートのソロアルバムでもベースを弾いている。余談だがSuperflyがこの曲のカバーを出している。

7.バック・ストリート・ラブ by 「カーブド・エア」
  先ほどのフリーのところにも書いたが、このバンドよりあっちのバンドを入れたほうが70年代が良く分かるんじゃないかと思いながらも、よくぞこのバンドを選んでくれました、さすが、分かってらっしゃる、といいたくなるのがこの選曲。歌姫ソーニャ・クリスティーナにロックでは数少ないバイオリニストであるダリル・ウェイ、ギターとキーボードのフランシス・モンクマンらが奏でるプログレだけど、妙にメロディが心に残る曲。ここでの演奏は抑制されたクールなものだが75年に発表されたライブアルバムでの演奏は強烈で、特にソーニャのボーカルは必聴。ポリスのスチュワード・コープランドもこのバンドに在籍していた。そして、これは知らなかったのだがソーニャとスチュワートは結婚した(その後離婚)。やっぱ、金かね。あ、今の洒落になってる(笑)。

8.「すべての若き野郎ども」 by モット・ザ・フープル
  グラムロックの後期に登場してきた、モット。この曲は彼らの代表曲で、デビッド・ボウイが彼らのために書き下ろしたもの。以前はボウイのバンドにいたミック・ロンソンの印象的なギターから始まり、イアン・ハンターの自信にあふれたボーカルが最初から最後までこの曲の緊張感をとぎらせない。勝手な思い込みかもしれないが、この曲がクラッシュの「すべての若きパンクスども」に影響を与え、そしてそのクラッシュの曲にインスパイアされて町田町蔵は「オール・ジ・オールド・パンクス」を作ったと信じている。とにかく掛け値なしに70年代を代表するロック・ナンバー。しかしギターのミック・ロンソンも今や故人、合掌。

9.「ヴァージニア・プレイン」 by ロキシー・ミュージック
  グラムロックでデビューしたバンドが続くが、単なる偶然。ブライアン・フェリーとブライアン・イーノという超個性的なメンバーがいたロキシー・ミュージックのデビューシングル。もっとも超個性的なだけあって、二人の人間関係は上手くいかずイーノはアルバム2作でロキシーから脱退。シンセサイザーを使った新しい環境音楽や元キング・クリムゾンのロバート・フリップとタッグを組んでフリップ&イーノ等の前衛音楽にシフトチェンジ。70年代後半のデビッド・ボウイのベルリン3部作にも協力する。バンドに残ったフェリーも、なんだかんだでソロ活動が中心になり、気が向いたときだけロキシーの名前で活動している。ただ忘れてはいけないのはフェリーが加藤和彦率いるサディスティック・ミカ・バンドを自分たちのコンサートのオープニングアクト(ま、前座ですな)に使い、イギリスでのミカバンドの人気を決定づけた。木村カエラがミカバンドの3代目のボーカリストになった時、彼女のイギリス人のお爺ちゃんから「ミカバンドのボーカルになれるのは光栄なこと」と言われたのは有名な話。

10.「恋のめまい」 by バックマン・ターナー・オーバードライブ
  バンド名は略してBTOだがパソコンの製造とは全く関係ない。あちらはビルト・トゥ・オーダー。カナダのロックバンドで、カナダ人てのはヤンキー以上にヤンキー的というか、何にも考えないんだなと思わせる軽快ロックンロールナンバー。「お楽しみはこれからだ」てな意味のタイトルだけど、先ほど機械翻訳でこの曲を調べたら、『「 あなたはまだ何も見られないではない」である岩の歌によって書かランディバックマンとによって実行されるバックマン•ターナー•オーヴァードライヴアルバム(BTO) フラジャイルはありません 。 これは、にシングルとしてリリースされた1974年のBサイドとしてインストゥルメンタル曲「フリーWheelin '"と。 それはビルボードホット100シングルチャート上の#1の位置とカナダに達したのRPMにも上の#2に達するように、チャート1974年11月9日の週にイギリスのシングルチャート 。」と出てきて大笑い。「フラジャイルはありません」というのは、この曲が収録されていた彼らのアルバム『ノットフラジャイル(壊れ物に非ず)』 のことだと思われる。

11.シルヴィア by フォーカス
  70年代のロックの特徴に英米以外のバンドの登場がある。早くはオランダからショッキング・ブルーなどがいたが、ハードなロックとしてはイタリアのPFM(プレミアータ・フォルネリア・マルコーニ)、フォルムラ・トレやドイツのクラフトワーク、トリアン・ヴィラート、タンジェリン・ドリームやフランスのゴングなどが上げられるが、その先駆者がこのフォーカスだろう。タイス・ヴァン・レアのキーボード・フルートとヤン・アッカーマンのギターの絡みとタイスの作る美しいメロディが印象的。ボーカルのいない、いわゆるインストバンドだが、「悪魔の呪文」などで聴かれるタイスのスキャットやヨーデルは強烈。この曲はリフが特徴的でメロディもいかにもフォーカスらしい。オランダ出身のバンドで69年のデビューからメンバーチェンジはあるものの、いまだに現役で活動している。うーん、こういうのは勇気づけられる。

12.ロッキー・マウンテン・ウェイ by ジョー・ウォルシュ
  元ジェイムスギャングといっても誰も知らないか。イーグルスの『ホテル・カリフォルニア』でギターを弾いてるというとわかってもらえるかもしれない。そのジョーの数少ないヒット曲。リンゴ・スターが往年のロックミュージシャンを率いてオールスターズとしてツアーをしており、その中のDVDでジョーがこれを弾いているのを見た。あの一座はドクタージョンやピーター・フランプトン、ゲイリー・ブルッカーなど一時期はその名前だけでコンサートを開けたミュージシャンの老後を救っているといえばいいのか、ロック年金みたいなものか。ちなみにこの曲がヒットしていた頃に、ジョン・デンバーが「ロッキーマウンテン・ハイ」というヒット曲を出しており、良く間違えた。

※いい加減疲れてきたので、あとはクレジットと簡単コメントだけ。

13. ベニーとジェッツ(やつらの演奏は最高) by エルトン・ジョン
  アルバム『黄昏のレンガ路』からのシングルカット。この曲を選ぶのはなかなかのロックセンスだと思う。

14.ママ・トールド・ミー by スリー・ドッグ・ナイト
  3DNがロックかと言われると自信はないが、選曲とアレンジ、コーラスのセンスが抜群なのは異議なし。

15.ある愚か者の場合 by ドゥービー・ブラザーズ
  できれば「チャイナグローブ」とか「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック」、あるいは「君の胸に抱かれたい」を選んでほしかった。ケニー・ロギンスとの共作。

16.ロクサーヌ by ポリス
  範疇としてはニュー・ウェーブになるか。トリオ編成と言うのはクリーム、EL&P以来の衝撃でした。この歌を「六さん」というバクチ好きの替え歌にして歌っていたことを思い出した。

17. ロッキー・マウンテン・ウェイ by ジョー・ウォルシュ
  あ、間違えて同じ曲を入れてしまった。スマン。スマンで済んだら警察イラン。

18.悲しきサルタン by ダイアー・ストレイツ
 マーク・ノップラーのギターと歌は衝撃だった。今聴きなおしても全く色あせていない。そういえばディランがアルバムのミュージシャンとして使ったこともあったな。

19.エンジェル by ロッド・スチュワート
  RCサクセションに同名異曲があり、あちらも泣ける歌。この歌はロッドがまだフェイセズ時代にソロアルバムとバンドのライブで録音している。

20.バンド・オン・ザ・ラン by ウィングス
  もはや説明不要。ポールの大名作。ナイジェリア録音。人間危機に瀕すると火事場の馬鹿時からが出るという見本。



 あ、パンク入れ忘れた。レゲエも忘れた。シンガーソングライターもおったやんけ、肝心のプログレはどうする、と結局反省ばかり。こんなことはやるんじゃなかった。

な、波、波のバースデーパーティ



Facebookでは、強気の発言したが、ぼ忘年会終わり素直に家に帰るのも、つまらないのでロックバーに寄る。ワイン飲んで、過去を振り返る。学習しない自分をバカだと思いながら、ジョー・ストラマーを偲ぶ。いいじゃないか、こんなバカがいても。な、ジョー。





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前夜の話てか再録

 元村八分の、いや元スピードの、いやいや元ティアドロップスの青木真一が亡くなった。去年の夏にフジオちゃんも死んじゃったし、チャー坊や浅田哲はとっくに彼岸の国の住民だ。ドラムがいたら、向こうで村八分を再結成できるなんてブラックなことを考えたりもした。追悼の意味を込めてエントリーを書こうかと思ったが、学生時代にやったイベントの話をここに再録する。まだblogを始めたばかりの頃で、妙にハイテンションなのがおかしい。最初のエントリーは2006年の6月7日に「前夜、前夜つったら前夜なの、当夜もある(予定)」なんてタイトルで書いていた。

> 2,3日前に池袋で購入したCDやDVDの事を書いたが、実はその前にすでに、こちらに来て最初のCDを買っていた。それが6月1日の記事のタイトルになったP-Model(の”ランドセル”)である。1980年の作品だが、このアルバムはリリース直後すぐに購入した。なぜなら、前年の79年に同志社の今は無き学生会館ホールで、学園祭の目玉イベントとして彼らのコンサートを主催したからだ。

 当時僕が所属していたサークル(DRACというのは前に説明した)にとっておそらく初めての大きなイベントだった。それ以前はレコードコンサート―信じられるかな、広い教室をカーテンで暗くしてBOX(部室のこと)からプレーヤー(パイオニア、品番は失念)とアンプ(名器サンスイのAU-7900)とスピーカー(これがOBの人の手作りで重たいの何の)それに当然レコードを持ち込み、司会者が簡単な説明をしてただレコードをかけるだけのものなのだが、今ほどオーディオ機器が普及してなかったせいか少ないながらもお客さんはいたのだ。あるいは映画の上映などをオリテ(オリエンテーション、4月の進学・進級時期)期間やイブ(同志社の学園祭でメインは11月末の3日間だが、10月からイブ期間として色々な企画が行われる)期間に行った。

 ただレコードコンサートは問題なかったが、映画はそれなりの企画書(趣意書と言ったかな?)を立てて持っていかないと、許可が下りなかった。特に文化団体連盟という組織の傘下にいたので、そこのえらいさん達に気に入られるようにしないとイベントの許可を取ることは難しかった。ある時ビートルズの”イエローサブマリン”のフィルムが安くで借りられることを知り、大急ぎで企画書を提出したがすぐNGが出た。理由は何かよく解らないが、とにかくビートルズは××(ここにはある嫌われ者の党派の名前が入るのだが、大人の配慮で自主規制する)だからだめと言われ、企画した僕は文連(文化団体連盟のこと)のBOXに呼び出され始末書を書かされた覚えがある。

 あまりこういうことは書きたくないのだが、文連の実力者(というか権力者だな)のT井がストーンズファンだから横槍が入ったとの事だった。このレコードコンサートや映画の話は僕がまだ2回生の頃だから76年くらいの話。それから苦節3年、文連での立場も確固たるものを築き上げ、ついには東京からバンドを呼んでイブにライブを企画するようになったのだから大したものだ。もちろんその間には、人には言えない色々なことがあったのよ。この辺のことは一度整理してからブログに書くかどうか判断したい。

 さてそのイベントだが、当時5回生だった僕は、サークルで企画班のリーダーをしていた。ロックを聴くだけではなく、ミニコミを発行したり(これはサークルとは別にやっていたが見事に3号雑誌で終わってしまった)、イベントを企画したりと言えばカッコいいのだが、実際はセミプロのイベンターのパシリみたいなものだった。でも今考えると、マイナーではあったがいろんなミュージシャンにインタビューしたり、ライブハウスや女子大でDJ(言葉本来の意味のDJ。ディスクを回す間、ビデオを流す間にロックに関するコメントを喋るのだ)をやったりしてこのまま音楽に関わって生活できればと甘い夢を見ていた(もちろんそれは見事に”砕けては手のひらから落ちた”っとここはハマショーのパクリだ)。

 さて話は一気に79年の6月になるのだが、企画班の外部協力者だったM君(僕の1年後輩だったが残念ながら故人、合掌)と打ち合わせする中で、当時先見的なロックファンにはすでにカリスマになっていたリザードを京都に呼ぶ計画を練っていた。M君は2回生まではサークル員だったが、言葉も行動も尖っていてサークルのぬるま湯に収まるタイプではなかったが、何故かいつも僕たちと行動を共にしていた。彼が京都の連続射殺魔と言うバンドのマネージャーをやっていた関係でリザードを呼べそうだと言うのだ。

 結論から言うとリザードの話は流れたが、P-Modelというアルバムリリースもしていないが、確実に時代を変えるバンドがいると言う話を、M君からも又当時入り浸りだった銀閣寺のライブハウス、サーカス&サーカスのブッキングメーカーのO釜さん(長ったらしい説明だな、しかも匿名になってない、そのまま発音すれば名前が解る)からも聞き、じゃP-Modelを呼ぼうと決めた。一緒にスピード(おいおい、皆が知ってるスピードじゃないよ、Boys I Love Youのスピードだよって誰も知らないか)も呼ぶことが決定した。

 ここでこの話は休憩し次回に続く。予告編をしておきます。
※このライブ当日受付をしていた僕はチケットなしの客を入れてしまう。何故か?
※この話に唯一の有名人が次回登場か?
※バンドのギャラとEVE実(学祭実行委員会)への報告書に疑惑が、「決して儲けるつもりでやったんじゃない」とどこかで聞いたような言い訳が。
等、等。今だから明かす真実のレポートに注目せよ!!って、誰も読んでくれないかも…



 続きは6月9日に「”前夜”の続き、果たして”当夜”は来るのか…」というタイトルで書いていた。この頃は結構連続で投稿していたんだな(苦笑)。

 1日中断したのでどこから話せばいいかちょっと解らなくなって来た。そうそう79年の6月、学園祭のイベントにP-Modelを呼ぶことになった所からだった。理由は良く覚えていないのだが(本当はある程度覚えているが、ここに書くのはちょっとどうかなと思ったので)、その年の学園祭の目玉企画として予算も押さえる事が出来たし、何よりも自分たち自身の手でイベントをやることにサークルのメンバー全員が燃えていた。

 企画会議は段取りよく進み、イベント名は”前夜”と決まった。一部”武装蜂起前夜”などとカゲキなことを口走っていた連中もいたが(オレのことです。すいません)、「今の我々を取り巻く音楽状況は、いつ明けるとも知れない白夜のような状況である。悪しき商業主義に毒された、いや毒にも薬にもならない大衆迎合音楽としての商業ロックが我々の日常の至る所に侵食している。この状況はまさしく”前夜”であり、果たして夜明けは来るのか、我々が待ち望む夜明けはまだ来ないのではないか。いや、東京ロッカーズがそういった状況の中で…」みたいなでっち上げのアジテーションと共に僕たちは活動を開始した(こんなわけの解らない理屈付けは留年生の先輩にやらせておけばいいと、ほとんどのサークル員が思ったそうだ、今にして納得)。

 バンドとの出演交渉は例のM君に任せ、コンサートのポスターとチケットは広告研究会にいたT田君(彼は3号でつぶれたミニコミの同人だった)に頼み、モスグリーンを基本色とした立派なものが出来た。出演バンドは関西からINU(かの芥川賞作家、というより高校生の癖に僕からハイライトを貰い、体育の出席回数を心配していた印象が強い、町田町蔵の率いた伝説的なパンクバンド)、連続射殺魔(M君がマネージメントをしていた日本のアングラロックシーンの長老バンド)、そして関東からはスピード(沖縄出身じゃないよ、元村八分の青木真一のいたバンド)そしてP-Modelというラインナップであった。

 夏休み明けから情宣活動を本格的に行った。チケットは各プレイガイドに置かせてもらい(売れても売れなくても手数料を取るのだから、言わば親方日の丸の商売である、このイベントの清算の時は泣いた)、あちこちの大学近辺の喫茶店やレストラン、ライブハウス、ロック喫茶等を回ってポスター掲示やチケット販売の言わば営業をやった。これはミニコミをやってたので僕は全く抵抗なかったが、当時の1回生で身長は1.8メートル以上ありながら、一人で行って交渉して来いというと、8時20分の眉毛になり困惑する男もいた(sugarmountain君、君のことだよ。覚えているかね)。

 当時はメディアを利用すると言う考え方はなかったし、また自分たちで文化を創造するのだといった青臭い使命感に燃えていたので、仮にそういったチャンスがあっても乗らなかっただろう。チケットの売れ行きは芳しくなかった。当時電話は各サークルのBOXにはなく、4階は文連本部にあるだけだった。コンサート1ヶ月前からしょっちゅう文連本部でM君と「売れてないな」「いや最初はこんなもんやで」などと言っていたが、日にちが近づくにつれ「当日は行列が出来るで」とか「今、阪急のプレイガイドで団体客がチケットこうてるで」などと現実逃避の会話をするようになった。

 いよいよ当日である。1,000人キャパの学生会館ホールに400人くらいの入りだったか。熱狂的なロックファンがホールを二重にも三重にも占有するはず、だった。十何人かは関西でニューウェーブ系のライブがあると必ず顔を見かける連中がいた。こいつらが一人100人ずつツレを呼んでいたら、ホンマニ役にたたん糞パンクス共やと、僕は未練たらしく、最初のバンドの演奏が始まっても受付にいた。ふと人の気配がしたので見上げると、短めのドレッドヘアにギョロメ、色の黒い男の人がガラの悪そうなアンチャンを3,4人連れて僕の前にいた。

 「連れのバンドが出るんやけど、入ってもええやろ」手には缶入りバドワイザーを持ち、目は明らかにクスリをやっている感じだ(もちろんクスリと言っても正露丸やバッファリンではない、いわゆるドラッグだ、ちなみに僕のいたサークルはドラック)。

 僕はうなずいて、その明らかに公序良俗に異議申し立てしている人たちを無料で会場に入れた。「何でチケット持ってないやつ入れるんや、しかもビール持ち込んだやんか」情宣には何も協力しなかったくせに関係者面した文連役員のI出が言った。「フ、フ、フジオちゃんやー」裏返った声は僕。あの村八分のリードギタリスト、その後悪いクスリをやってパクられた山口フジオ氏であった。周りにいた何人かのロックファンの連中は口々に「サイン貰えば良かった」「でもサイン下さい言うたらどつかれそうやったで」とやや興奮気味。村八分というと閉鎖社会の悪しき因習だと思っているI出は何のことかわからない。ええざまや。

 さてパートⅡで終わるはずだったが、色々と楽しかったことや、チクショーあのやろうと忘れていたことなど次々に思い出したので、パートⅢに続く。しかしそれが明日のブログかどうかは、神のみが知る。ゴッドオンリーノウズやー。おっちゃん睡眠不足でおかしくなったんとちゃうか?!ちゃうちゃうって犬かー。




そして、この頃から話をまとめきれないという僕の個性が出ている(開き直り)。最後のエントリーは6月10日に、「こういうのを、竜頭蛇尾という。イベント編パートⅢ」というタイトルでアップしていた。村八分再結成の話もどこかで書いたはずだが、それはまた今度アップしたい。気が付いたら日付が変わっている。あ、僕の誕生日だ。12月は16日がリザードのモモヨさんの誕生日で、19日が僕。そして22日がジョー・ストラマーの命日と忘れられない日がたくさんある。18日もそこに加わったな。

 山口フジオ氏がバドワイザーと街中では目を合わせたくないタイプのお友達数人と、タダで会場に入った後は予想通り誰もホールには来なかった。ホールのキャパの半分以下の入りではあるが、それなりにバンドは熱い演奏を繰り広げていた。オープニングアクトはINUで、町田は独特のMCでごく一部の客を乗せていた。この時の演奏が気に入り(もちろんその後も様々なイベントやライブハウスで見たが)翌年のEVEはメインアクトとしてコンサートに招くことになる。射殺魔は流石落ち着いたライブで良かったのだが、マネージャーのM君に言わせると”愛して欲しい”のカウントの数え方が重苦しい、もっとSSみたいにカッコ良く決められないのかと検討課題が増えたステージだったらしい。

 残念だったのはスピードで独特の重さを持ったタイトな演奏だったが、ほとんどの客が次のP-Modelを早くみたいためにアンコールを求めなかった。したがってアンコール用の名曲”Boys I Love You"はついに学生会館ホールに流れなかったのである。楽屋をフォローしたサークルの女の子に後から聞いたのだが、ライブが始まる前から怖かったけど、終わったあとはもっと怖くて声もかけられなかったそうだ。そりゃそうだな。

 P-Modelはこの日まで僕はライブを見たことがなく、ファーストアルバムを聞いただけだったので、どんな演奏をするか正直不安があった。YMOなんかが出てきた頃で、テクノポップのバンドとして位置づけられており、ロッキング・オンには比較的好意的に書かれていたので大丈夫だろうとは思っていたが、1曲目の”サンシャインシティ”のイントロでその心配は吹っ飛んだ。レコードよりかなりハードでどちらかと言えばテクノバンドと言うよりパンクバンドと言ったほうが正しいと感じた。

 歌詞が結構辛らつと言うか、毒のあるものが多く大笑いしたのは”モモ色トリック”と言う曲の中でレコードでは『ユージさんにはわかるまい』と歌っていたところを、ずばり名指しで『K野Y二にゃわかるまい』と歌っていた事だ。ただこれも説明が必要だろう。当時11PMという深夜番組の草分けがあり、毎週金曜日は金曜イレブンと言って映画の紹介をしていた。そこにレギュラーで出ていたのがP-Modelに”アホのリノでも見に来るぜ”と歌われたKせRの(後に肉体派女優になりました)とK野Y二がコンビで紹介していたのだ。ま、このK野Y二さんはかわいそうな人で、ブライアン・フェリーからも”TOKYOジョー”とおちょくられたり、自業自得と言えばそれまでなのだが。

 アルバム未収録の曲も何曲かやり(それらは次のアルバム”ランドセル”にアレンジを変えて入っていたが)、アンコールにも応えてP-Modelのライブは終わった。楽屋での応対も良かったようで、世話をした女の子たちの全員がファンになった。その後関西ツアーに来るたびになるべく見に行くようにしていたが、一番びっくりしたのは確かその次の年、僕らの第2BOXと呼んでいた銀閣寺のライブハウス、サーカス&サーカスの時。最前席で見ていたら急に反対側の入り口のドアが開き悲鳴とも絶叫ともつかない声がした。リーダーの平沢氏が「何があったの」と客に聞いたら「デビッド・ボウイが来てる」との事。なんとお忍びで京都に来ていたボウイが日本のライブシーンを見にわざわざ来たらしい。演奏終了後ボウイが会ってくれたらしいが、後日『日本のバンドはオリジナリティが弱い、イーノやDEVOに似ている』と結構シビアなことを言われていた。

 さてコンサートも無事に終わり売上金の精算と収支報告をEVE実(学園祭の実行委員会)にするのだが、誰が馬鹿正直にするものか。予想より入場者は少なかったが、それでもある程度の売り上げは確保出来たので、バンドのギャラも気持ち増やして渡すことが出来た。経費を差っぴいた残りを折半だったか六四だったか忘れたがとにかくEVE実と分配する決まりだったので、ごまかせるところは目一杯ごまかしてサークルの裏金にしてやった。これを基金として翌年のオリテのコンサートやEVEのコンサートが出来たのだ。

 「いやぁ、僕自身(イベントで)儲けようという気は全くありませんから」と目がギョロっとして福耳で会見中に口を膨らます人物のようなことをその当時は良く言っていたが、正直に告白すると、その時の売り上げの一部でスタッフ一同パーっと飲みに行きました。ま、貧乏学生だったから大したところには行ってないけど。



 

時代やなー、と思った話



週末の夜、自宅でビーテレを見ていたら、警察学校の実録モノをやっていた。機動隊としての訓練もあり、あのジュラルミンの盾を使った練習もあった。長い棒を持った教官が、盾を持った訓練生に攻撃する。結構、マジで女性の訓練生にも容赦無く、棒を叩きつける。

成る程、こうして我がポンニチの治安は守られているのか、と画面を見ていたら、暴徒はもっと激しい攻撃をする、などというアナウンスが入る。おい、ちょっと待て。暴徒って何やねん。その昔、機動隊に角材持って突っ込むのは、いわゆるカゲキハ学生、或いはボーリョク学生の専売特許だった筈だ。それが、いつの間に暴徒扱いされるようになつたのか。これも、時代のせいなのか。こりゃ京大の同学会の諸君に頑張ってもらわんといかんかもしれん。

或いは、明日の選挙結果が納得いかない時は、全てのルンペンプレカリアート諸君は、角材で武装して国会に突入、する訳ない罠。





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34年前の今日の出来事

 34年前のことだが、今でもはっきり覚えている記憶がある。その日はとても寒くて、例によって別館4階のBOXにいて暇をつぶしていた。僕とM原とH本の3人と、ほかにも何人かいたかもしれないが、麻雀を打てるのは、その3人しかいなかった。もう一人来たらメンツが揃うので、そうしたら室町今出川にあったグリーンと言う雀荘に行って麻雀を打とうと思っていたが、そういう時に限って誰も来ない。ランチも終わって時間も経っていたので、このまま待っていてもきりがないと思い、3人でビリヤードに行くことにした。店の名前は覚えていないが、別館の近くにあったビリヤード場で、受付がちょっと可愛いけど少し頭の弱い女の子だった。ローテーションを3人でやっていたが、そのビリヤード場には暖房が入ってない代わりに、少し大きな石油ストーブが置いてあり薬缶がしゅんしゅん言いながら湯気を立てていた。

 その石油ストーブの横に、これまた大きな家具調のテレビがあり、画面ではアフタヌーンショーで芸人たちが何やら芸能ネタをやっていた。僕たちはゲームに夢中だったので、テレビは気にしてなかったが、たまたま僕が黒板に点数を書いていたとき、突然アナウンサーが妙なことを言った。「ビートルズファンにはショッキングなニュースが入りました。ジョン・レノンさんが殺害されました。射殺されたようです」。その瞬間、3人とも固まった。じっとテレビの画面を見ていたが、アナウンサーは同じことを2回繰り返しただけで、番組はまたおちゃらけた笑いに包まれた。僕たちは、3人とも顔を見合わせ、「今、ジョンが死んだって言ったよな」「射殺されたて言うてましたやん」「鉛の弾をぶち込まれて死んだなんて、いかにもジョンらしいな」「ま、オレはポールのファンやし」「あれ違うか、実はそっくりさんやったいう落ちや」などなど。僕たちはそのままビリヤードを続けたが、アフタヌーンショーが終わるあたりから、ジョンの射殺についてニュースで取り上げられたり、だんだん現実だということが分かってきた。しかし、射殺されたということしかわからなかったので、どう反応していいか良く分からなかった。

 僕の悪い性格で、どうしていいか分からないときはひねくれたものの言い方をしてしまったり、ニヒルを気取ったりしてしまうのだが、ビリヤードが終わってBOXに帰ったらI橋がいた。「おい、ジョンが殺されたで」と声をかけると、彼も一瞬何のこととハトが豆鉄砲を食らったような顔をした。僕たちは「だから、ジョン・レノンが死んだってこっちゃ」「ピストルで撃ち殺されたらしいで」「まあ、ある意味ジョンらしい死に方かもしれんな」などと勝手なことを言っていたら、I橋は8時20分の眉毛を作り駆け足でBOXから出ていった。しばらくしてBOXに戻ってきた彼は、手に雑誌を持っていた。当時、小学館から発行されたばかりの篠山紀信が作った写楽という雑誌だった。表紙がジョンとヨーコで『ダブル・ファンタジー』を出したばかりの特集だった。その雑誌を手にI橋は銀閣寺の下宿に帰り、数日間はBOXに顔を出さなかった。ジョンの葬式をやっていたようだ。

 愛と平和のジョン・レノンは好きじゃなかった。狂気のロックンローラーのジョンが好きだった。時代で言うとロスト・ウィークエンドの頃が一番好きで、あのまま酒と女とハードなロックンロールを展開してくれたら、もっと好きになっていたと思う。などと書いたが、やはりジョンは大好きだ。ヨーコの芸術とやらはごめん蒙るが、やはり不世出のミュージシャンだったと思う。しかし、あの日からしばらく、というかかなり長い間、「イマジン」は嫌いだった。今も積極的には好きじゃない。「イマジン」や「ジェラス・ガイ」を歌うジョンより、「マザー」を「ゴッド」を「アイソレーション」を歌うジョンが好きだった。でも、チープ・トリックのメンバーと一緒にやった「アイム・ルージング・ユー」は大好きだから良く分からん。



MUDDY ROPE DIARY 或は 泥縄日記

 うだうだしているうちに12月である。ちょっとばかり、のんびりと地下に潜行しているうちに健さんも、文太兄貴も彼岸の国に去ってしまった。健さんが亡くなった時に、『昭和のスターがまた一人いなくなった』みたいなコメントがネットをはじめメディアでたくさん見たが、今回の菅原文太の訃報で、さらに『一つの時代が終わった』みたいな週末ついでに世紀末(by スターリン)的送る言葉があちこちで見られるが、これまた実に鬱陶しい。役者が何人か死んだくらいで時代が終わるか。そんなもんで時代を終わらすな。どさくさ紛れで京大の敷地内に公安入るな、などとやや八つ当たりもしたくなる昨今である。そういえば、あの同学会のニュースを例によって3K新聞は『各セクトは暴力性や党派性を隠し、震災で関心が高まった反原発やボランティア活動などを通し、浸透を図っているとの分析もある。大学内でも自治会やサークルを装って近づき、加入を促す「オルグ」が積極的に行われているという。』などと書いて、その後に『「新入生が4月に引き込まれて養成され、夏には目つきも違う筋金入りの活動家に成長する」と公安関係者は話す。別の捜査関係者は「過激派は逆風にさらされ、外見を変えながら若者を取り込もうとしている」と警鐘を鳴らした。』などと公安の予算分捕り作戦に手を貸す記事に仕立て上げた。そうか、大学の自治会やサークルに入ると「オルグ」されて、たった数カ月で「目つきも違う筋金入り」の活動家に仕立てあげるっていうのは、なかなか綿密な教育スケジュールもあるだろうが、「オルグ」される当人の問題意識がキョーサン革命を志向する思想性を持っていないと難しいと思うが、今の格差社会にはそのような問題意識を持った先天性革命家がごろごろしているのかもしれん。そりゃ楽しみだ。3Kさん、続報を期待する。

 などとひねくれたエントリーは毎度のことだが、しかし、あまりにも早すぎる。時のたつのが早すぎる(by 頭脳警察)。気が付いたら、壁のカレンダーもあと1枚である。もういくつ寝るとお正月である。お正月というのは『仏教徒2人』という意味である。その心は、『和尚がツー』、などとマイ・イングリッシュ・ジョークを快適に飛ばしながら、11月の反省と振り返りをしていきたい。

 11月は恒例のキャンプに行ってきた。僕が初めて入社した会社に何らかの形で所属したメンバーが年に2回集い、よもやま話を酒と大量の飯と一緒に摂取してバカ騒ぎをするイベントで、かれこれ四半世紀は続いている。もっとも僕が参加するようになったのは6年前からなので、あまり偉そうなことは言えない。偉そうなことは言えないのだが、参加メンバーの中では、その会社の最古参に近いので、どうしてもエバってしまう。ここ、大事なところで「偉そうなこと」は言わないが「エバ」るのだ。まあ、エバッたところで、誰も相手にしてくれないというか、また困ったオヤジがごね始めたみたいな捉え方しかされないので、最近は慎むようにしている。今年も人格が丸くなったワタクシをみんなに見せようとしたら、なんと今回は僕の上司だったM木さんも一緒に行くことになったので、最古参ではなくなった。このM木さんはエネルギッシュな人で、お勤めしていた会社はとっくに定年退職されたのだが、半年ほど家でぶらぶらしていたら退屈でたまらず、今は嘱託みたいな形で、以前勤めた会社の最前線で営業しまくっているというオジサンである。キャンプは第3土曜日だったが、その日も午前中全力投球で働き、正午のベルが鳴ると同時に僕の携帯に電話してきた。

 僕はその週の初めに風邪を引いてしまい、それがなかなか完治せず体調がイマイチだったので、今回のキャンプは欠席するかもしれないとM木さんにも連絡していた。その点を心配してくれて、オレが車を出して運転するから行こうという流石はトップセールスマン、強気のクロージングで、僕も普段は長幼の序などと言う割には、そういう時に「遠慮と勉強はしない」立場で生きてきたので、一も二もなく「行きます、行きます」と返事して合流した。場所は毎年冬のキャンプの定番、以前は伊佐郡菱刈町と呼ばれていたが、今は悪名高き平成の大合併のおかげで伊佐市というシンプルな地名になった場所にある川のほとりのキャンプ場である。僕の地元からは一般国道で2時間ちょっとで到着する距離だが、そこはバリバリの営業マンのM木さんである。豪快に高速道路をブッ飛ばして行ったので1時間とちょっとで着いてしまった。このキャンプには毎回事件を起こす、いわゆるトラブルメーカーの雑費君や、1900年代の初期にロシアで生活していたら絶対レーニンの影武者にさせられただろうI上君という名物コンビがいるのだが、今回は欠席。理由は雑費君に孫が生まれたこととI上君は一念発起して起こしたラーメン店が軌道に乗り、ここ一番で休んでなんかいられないくらい商売繁盛笹持ってこい状態らしい。まあ、少し寂しい感じはしないでもないが、その分、熊本からN村君というヨカニセが参加する。しかし、このN村君だが呑むだけ呑んだら早々と寝て、みんなが寝静まった明け方に、一人でさっさと車で熊本に帰り、しっかり仕事をしたというロードーシャの鑑である。

 キャンプの夕餉はいつもと変わらず、昔話に花が咲いて、あいつはどうしているとか、あの時の事件は実は今だから話せるこんな真相があったとか、かれこれ四半世紀は同じ話題だけで盛り上がれるから、一緒に働いていた時にいかに濃ゆい人間関係があったか、さっしが付くというものだ。しかし、今回、意外な展開もあった。串木野から毎回参加するK瀬さんという、こちらも社歴の古い人がいるのだが、なんと今回彼が冬のキャンプは寒いからと、わざわざファンヒーターを持参してきた。そして、それ以上に驚いたのはカラオケセットを持ってきたことだ。もっともレーザーディスクやDVDという本格的なものではなく、マイクに曲が記憶されていて、それをテレビにつないで歌うという仕掛けのものだが、しかし、深々としたログハウスの中でみんなでやるカラオケは異常に盛り上がった。ただ残念ながら僕は演歌がダメなのでカラオケで歌える曲が少ない。その辺のことは良くご存知のK瀬さんはすぐに「あ、『ヘイジュード』ありますよ、歌いますか」とか「RCサクセションも入ってたと思うんですけど、無いですか」と気を使ってくれる。まあ、気を使わせてばかりいてもいかんので、僕が唯一歌える演歌、「石狩挽歌」を入れたが、歌に入るときキーを間違えたので最後が苦しくてしょうがなかった。K瀬さんも今回はテストパターンとして持参したらしいが、次回の夏のキャンプまでにはマイクに仕込む曲を後1000曲くらい増やすと言っていた。

 11月のキャンプはそんな感じでばたばたで終わった。それから、何をしていたかというと本を読んでいた。以前、写真をアップした鳥飼久美子の『英語教育論争から考える』を一度読んで、あまりに考えることが多かったので再度読み直しをした。読み直してつくづく感じたが、これは良書である。多くの人に読んでもらい、英語は何のための勉強かということも含めて考えてもらいたいと思った(ここ、マジ)。読んで驚いたのは我がポンニチにおける英語論争というか、英語教育改革案というのは明治の初めから全く、何にも進歩していないというか、議論が継承されておらず尻切れトンボ、悪たれ小僧でアッカンベーのベロベロバ(by ご存知ZK)であるということ。要するに「話せる(通じる)英語」か「素養としての英語」かという議論の繰り返し。第1章では、この本のタイトルである「英語教育大論争」で、僕は知らなかった(元英文科の学生としては大変恥ずかしいことであるが)が、1970年代に平泉参議院議員が提出した英語教育改革案に対して上智大学教授だった渡部昇一が反論、「実用か教養か」の大論争が行われた。そして、その時の「平泉試案」を「戦後初の英語教育抜本的改革案」ととらえた鳥飼さんが、平泉氏と渡辺氏にインタビューして、なんと驚くべき展開になっていく、ちょっとしたミステリ風味でもあった。

 詳細は是非、本を読んで確認してもらいたいが、その昔から日本の英語教育では文法教育が目の敵にされてきた。世間でよく言われる「学校教育は文法と訳読ばかりやっているから使えるようにならない」という論法である。であるが、これは破たんしている。学校現場ではこの20年来、文法訳読による授業は主流ではない(学校が授業の必要性の中で文法を教えることは当然あるが)。それではなぜ、いまだに文法を教えずに使える英語を教えろという論調がまかり通るか。中学、高校、さらには大学とトータルで10年英語を学んできたが「俺様」が英語を話せないのは、文法中心の授業が悪かったんだという、責任転嫁論。また教育改革に必ず首を突っ込みたがる、いわゆる財界・経済界の意見である。要するに「仕事で英語を使うのには会話が出来ないと意味がない。文法など無駄だ」という意見である。この経済界はグローバルがお好きで、我がポンニチに税金払うくらいならよその国に税金払って世界に通じる企業にしたいという碌でもない連中の集まりだといいたい。さらに大学入試が文法中心だからダメだなどという財界のご意見もあるが、これも実は全く事実と異なるので笑ってしまう。

 まあ、とにかく笑ったり頭に来たり忙しい本ではあるが、面白さではここ数年の中ではダントツ、もちろん僕の個人的見解だが。最後にグローバル人材は育つかという大きなテーマが出されていてこれは考えさせられた。著者の考える「グローバルな人間」とはどのようなものか。以下、引用する。

私の考える「グローバルな人間」のもっとも重要な資質は、異質な考えを理解しようとする開かれた心である。さまざまな意見があり、価値観があり、世界観があり、賛成も反対もある中で、相互理解をはかりつつ折り合いをつけるのがグローバルに生きる人間に求められる必須の資質である。ともかく異論を封じて和を保とう、という事なかれ主義では、日本の未来を担う次世代を育てることはできない。(中略)異質な他者を理解しようと意見をやりとりして相互理解をはかることができてはじめて、グローバルな人間が育つ。コミュニケーションに英語を駆使することのできるグローバル人材が必要だと言うのなら、伝統的な日本社会のあり方、日本人の価値観そのものを問い直す必要があるのかもしれない。


 読んでいきながら非常に納得できた。もっとも今の状況と言うのは、「異論を封じて和を保とう」ではなく、異論そのものをつぶす、これは比ゆ的な意味ではなく物理的につぶそうとする組織や個人、そして権力があると考える。毎度毎度のひねくれたものの言い方をさせてもらうと、「ネウヨ」や「ザイ何とか会」などという連中は英語の勉強が苦手だったのだろう。そういえば、先日、FBで宝田明の反戦への思いを伊達政保のウォールで知った。うん、なるほどと思ったから連帯(シェア)した。すると、すぐに反対意見が出たのはいいが、一切相手の言い分を聞こうとせず、「オレサマ」視点ですべてを分かったような気になっている。ああ、疲れるな。こういう手合いの多いこと。

 ということで、先日のノルウェーのフリージャズライブの話に行く。これは良かった。強力だった、少し前にも、同じくライフタイムでノルウェーのフリージャズバンド、Flode Gjerstad Trioを見て、その圧倒的な演奏に参ったが、今回の2バンドも凄かった。最初にテナーサックスとピアノといいう最少編成のデュオが登場。Albatroshという名前だということは後から知った。フリージャズなんだけど、メロディがはっきりしていて聴きやすい。しかし演奏は緊張感あふれるものだった。1時間近くの演奏がat your mindであった。あ、「あっという間」という意味のエゲレス語ね((笑)。おっと、こういう態度では鳥飼さんに怒られてしまうか。そして、サックスはそのまま次のステージにも登場、こちらはFriends and Neighboursといいうバンド名。その昔、ブレッドに「フレンズ&ラバーズ」という洒落た曲があったが、関係は無いと思う。演奏が終わった後、鳥飼さんの本を読んだばかりのグローバル中年を目指す僕は、早速バンマスと思われるサックスのところに行って話しかけた。まずはジョークだと思い、小さなライフタイムのステージに大きな北欧人が6人も乗ったのでステージが壊れるんじゃないかと心配していた、というと大受け。とまでは行かなかったが、それなりに笑ってくれて、その後はもっと多くの宮崎の人に聴いてもらいたかったと話したら、小さいライブハウスでお客さんのダイレクトな反応を見ながら演奏するのが僕たちの流儀なんだ、なんてこと言ってたな。しかし、あれだな。英語は何かに似ているな。まず、大勢の前よりも密室のほうがやりやすい。そして同性よりも異性とのほうがスムーズに行く。またある程度のアルコールは盛り上がるが、飲みすぎるとダメになる。うーん、何だったか、ちょっと思い出せないが、確かに良く似たものがある。などと、せっかくの鳥飼さんの本もしょうもない結末で終わってしまうのだ。



ミヤザキは燃えている



家族の買い物の付き添いで、週末混み合うショッピングモールに来た。注文した商品を受け取るだけだから、車で待っていれば良いなどと言うが、オンナコドモの買い物である。早くて1時間、下手すりゃ2時間は待たされると思い、書店で立ち読みでもするかと人混みの中、エスカレーターに乗った。

タワレコが、このショッピングモールから撤退して初めて来たので、その跡地に何のテナントが入ったか気になり、のぞいて見た。ピンクの背景に白抜きの文字が見えた。アルファベットをチラ見したが、shiseidoと読めた。そうか、資生堂が入ったのか。こちとらには、縁がないなと通り過ぎようとした時、何か雰囲気が違う気がして、もう一度、文字を読み直した。SHINSEIDO、え、CDショップじゃないか、ジャマイカ。欣喜雀躍しながら、店に入った。タワレコと同じ場所で、レイアウトもほぼ同じ。ただ、在庫は半分くらいか、せいぜい3分の2。それでも、日本の音楽は、若者向けとジジババ向けに選別していないので、気持ちは良い。ロックのコーナーには、ボ・ディドレーのアルバムが多数置いてあったり、ドクター・ジョンのコーナーがあったり、アメリカのあっち系にこだわりがあるような感じだ。

残念ながら、掘り出しモノは無かったが、こうやって自分の目と、手で見て探していくことが大事なのだ。一度消えたミヤザキの音楽文化が、何とか復活した。ミヤザキは燃えている。このタイトルは、町田がi作った幻の名曲、「タカツキは燃えている」から拝借。






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また一人、サヨナラのニュースが

 イアン・マクレガンが亡くなったので、今日のショートエントリーはFACESの”STAY WITH ME”の動画を張って、彼のキーボードと当時のロックシーンの話でも書こうと思っていたら、何と元PANTA&HALのベーシストだった村上元二が亡くなったニュースが飛び込んできた。ニュースソースはパンタ本人なので間違いないだろう。パンタ自身のFBに「マラッカの風」の動画と一緒にそのことが書いてあった。今年、フォークシンガーのイルカのライブを見る機会があり、その時に切れ味鋭いギターを弾いていたのは、やはり元PANTA&HALの長尾行泰だった。ドラムを担当していた浜田文夫はパンタの投稿にちょくちょくコメント入れているし、まだまだ当時のメンバーは元気でやっていると思っていたが。ステージでは黙々と演奏している印象が強かったが、歌心あふれるベースラインは大好きだった。合掌。



意味は無いけど思い出した歌

 昨日のショートエントリーに冬が好きだと書いた。生まれた月が12月なので、それが一番の理由かもしれないが、四季の中では一番好きなのが冬だ。特に11月から12月に移る時期は、学生時代は学園祭で72時間自主管理という名のもとに、好き放題して、しかしながら祭りはいつか終わりを告げ、後片付けやその後の尻拭いなどであちこち駆け回っているうちに12月に入る。厚手のセーターとコートを着ていても比叡おろしが厳しい修学院からエイデンに乗りキャンパスに向かう。途中の喫茶店でコーヒーを飲み、体を温める。熱いコーヒーがのど元を過ぎて胃に落ちていく、その瞬間に自分が生きていると実感する。なんてことをカッコつけてやっていた僕は、やはり若いころはバカだったと思う。じゃあ、それから何十年も経った今は少しは賢くなったかというと、相変わらずバカである。バカはバカでしょうがないので、ちょっと冬の歌を集めて簡単なエントリーをアップしようと考え、頭に浮かんだのはスパークスだった。曲は”In the future”。何でだ、S&Gの「冬の散歩道」とかニルソンの「リメンバー」とか、ママパパの「カリフォルニア・ドリーミング」とかクリスマスソングを考えると腐るほどあるのに。さらに我がポンニチでも「冬が来る前に」とか「12月の雨の日」だとか、「冬のリヴィエラ」だとか、まあ枚挙にいとまがないくらいあるのに。何故にスパークス。あ、そうか、歌詞の最初に「冬じゃ」「雨じゃ」というフレーズが出てくるからか。そして、この曲が収録されているアルバムを修学院の4畳半の下宿で良く聴いたことが原因だろう。次の”Looks Looks Looks”と切れ目なくつながっていて、やたら景気が良かったのも気に入った理由なんだろうか。お金持ちの親戚から貰ったスコッチ(確かジョニ赤)をストレートで呑み、あいまあいまに電気ポットに入っている水をそのままチェイサーにして下宿の友人たちとバカな話をしていた時が、幸せだったのかもしれない。ということで、本日の忘れ去られたミュージシャンはスパークスを2曲。歌詞はこのサイトから拝借。



"In The Future"

It's winter, it's raining
You're tired, she's fainting
You're bitter, she's brooding
But don't be disenchanted
'Cause you can barely stand it

The sweep and the grandeur
The scope and the laughter
The future, the future
The future's got it covered
With what will be discovered

In the future fun is fun
In the future, lots of sun
I'll be there, it's up to you
You'll be there if you don't do nothing foolish

You'll love it, I know it
I know what you like and
You'll love it, I know it
We'll need some vintage vino
So wash your feet and stamp away

Coming soon and everywhere
Everyone will walk on air
Now it seems so far away
But each day it's getting closer and closer

Convenience and pleasure
All blended together
And culture, and madness
You think you've seen it all
You've seen it all except the future



"Looks, Looks, Looks"

Looks, looks, looks
You had sense, you had style, you had cash galore
Looks, looks, looks
You employed her and dressed her in formal fashion
Still you bore her because you ain't got a

Nose that's straight, a set of perfect teeth
You got a built-in seat, that makes you look effete
You know that looks, looks, looks, are why you rely on books

Looks, looks, looks
From the eye to the brain's just an inch or two
Looks, looks, looks
From the eye to the heart's only slightly farther
The smart grow smarter, but still can't compete
And they know deep down that they are scarred for life
And that a face can launch a thousand hips
It's gonna be all right
If it ain't, don't blame me, it's your looks

At night she masquerades her passion covered by a veil of calm
Say, put on your shoes
Say, put on your shoes
No use one look at her and anyone can tell that she's on fire

Spot her error
Spot her error
Spot her error
Well, now she's all over you

Looks, looks, looks
No, it's not very hard to make history
Looks, looks, looks
Just some cavalry and a good uniform that fits in places
where everyone tends to look and marvel
At the way you lead them on and
Look and marvel at the way you win because of
Looks, looks, looks
As long as you're long on looks

Spot her error, [etc.]

Looks, looks, looks
Far away, close at hand, it's the only thing
Looks, looks, looks
On the seas in the sand, any place is laced with those who have it
And those who can only look



寒いことを南九州ではサミーというがセガサミーとは無関係だ

 12月に入り、急に寒くなってきた。いよいよ冬到来である。冬本番である。寒くなると頭もさえてくるし、だいいち汗や熱気や虫や蛇もいなくなるので僕は大好きな季節である。食べ物もおいしくなるんだよね。昨日はシチューを作ったし、今日は特製の味噌ラーメンとおじやという炭水化物ダブル攻撃というパターンを繰り出した。もちろん、食後にはリンゴをちゃんと食べてビタミンも補給した。しかし、急に寒くなると夜寝るときに風邪を引かないように気を付けなければならない。その昔、アボリジニは寒い夜は3匹の犬と一緒に練るといいという言い伝えがあり、そこから生まれたコーラス・グループが、ご存知、スリードッグナイトである。彼らは自分たちで曲を作るよりも、外部から素晴らしい、そしてまだ無名に近い作曲家を選んでヒット曲に仕立て上げた。ニルソン、ランディ・ニューマン、レオ・セイヤーにローラ・ニーロ、ポール・ウィリアムスも彼らの恩恵を受けた作曲家だ。というわけで、本日の忘れ去られたミュージシャンは3DN。

 しかし、weblioには『ただし、オーストラリア英語慣用句としてはFive dogs nightが正しく、入植した白人があまりの寒さに毛布代わりに犬を抱いて寝たことに由来する語である。』とあったのは笑ってしまった。



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