終わった~



今週が終わった。今月も終わった。最後に嫌な事もあったけど、とりあえずビールだ。このヤロ。本日は、サヒカブイにジャガーチェンジしそうな予感が。





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大迷惑だ!!!

 今日は木曜なので、シリーズで見ているMOZUのシーズン2を見ようとテレビをつけていたら野球をやっていた。そうか、日本シリーズをやっていたんだ。プロ野球に興味がなくなって、かれこれウン十年か。どっちが勝とうが知ったことじゃないが、以前はセリーグとパリーグの覇者が争った日本選手権(いやー、いちいちいうことが古いね、苦笑)を争っていたはずだが、いつのまにか絶頂シリーズとかなんたらシリーズとか、要するにリーグ優勝したチームが有利ではあるが、2位や3位のチームも混ぜて、もう一度争うというわけのわからんルールになって、まあそういうのもあって余計興味は無くなったのだが、確か今年はパリーグはソフトバンクホークスだが、セリーグはナベツネジャイアンツだったんじゃないか。画面を見るとシマシマの虎二郎チームが出ている。そして、なんと放送時間をオーバーしているのに、ゲームが終わらないとMOZUは見られないとテロップが流れている。くそッたれ、バカ野郎、タイマー録画してなくて正解だった。またもや、楽しみに録画番組を見たら、延々と野球が映っていただろう。大迷惑である。しかも、なんだか火事場泥棒みたいな終わり方して、よっしゃ、いまから日本公安の暗部を見てこましたろと画面を注視すると、あ、胴上げやインタビューや、ええ加減にせんかい、大迷惑だ。だから野球なんて大嫌いだ。ついでにプリウスに乗ってるやつも大嫌いだ。ダンカイだけの乗り物だと思ったら、最近30代や40代の働き盛りも乗ってるじゃないか。大迷惑だ。あ、孫の野郎が選手に握手している。お前そんなことしている暇があったら、もっと継続客を大事にしろ、他社乗換客だけ優遇するな。大迷惑だ。あああ、もう何もかも大迷惑だ~。



ぐゎんばれ、イバラキ!!47位がどうした!!

 その昔といっても、いつごろだったかをはっきりしないと大抵の話は昔話になってしまう思秋期のワタクシです(笑)。えーと、ちょっと調べてみると平凡パンチが廃刊になったのが1988年だから、たぶんその少し前くらいかな、すでにライバル雑誌とは呼べないくらい発行部数でパンチを抜き去っていた週刊プレイボーイが「ぐわんばれ、平凡パンチ!僕らは強いライバルが欲しいのだ」という特集記事を出して、落ち目のパンチにエールを送ったことがあった。もっとも平凡パンチなんてのは大橋歩のイラストでVANとかJUNなんてこじゃれた洋服メーカーの記事にあふれて、そうそう創刊が1964年。東京オリンピックの年で、今我が国の人口の中で一番うじゃうじゃいるダンカイ世代のバイブルだった。そのパンチが記事も詰まらん、特集もさえない、雑誌の方向性があっちふらふらフラメンコ、こっちによろよろヨーロピアン(by アナーキー、ってロックバンドのほうだよ)で、こんにゃくみたいで挙句はバンザイしてしまったのだが、その落ち目の三度笠のときにあえて頑張って雑誌を再建して、もう一度強いライバルとして復帰してくれとこれは大いに真面目に記事を組んだのだから、週刊プレイボーイの男は上がった。その故事来歴を意識して、本日はぐわんばれ、茨城県というテーマで日本全国で一番人気のない県にエールを送りたい。

 昨日、一昨日だったかモーニングショーや夕方のバラエティ系のニュースに、やたら熟年好きの漫才師やデブだけど踊りだけは得意なデブ女が「なめんなよ」などと、これはもうバブル期に流行ったナメ猫(ドントペロリアンなんてコピーもあったっけ)というか、今は忘れ去られたTHE CRAZY RIDER横浜銀蠅ROLLING SPECIALみたいなことを言ってるシーンに何度か出くわした。うん、なんだ、どうしたとテレビの画面を見ると、そこには47という数字がでかでかと出ている。これは偶然にも我がポンニチの都道府県の数と同じだとさらに注意して見てみると、何やら全国の都道府県の人気番付というかチャートの発表があって、1位は北海道、2位は京都などの人気の都市がならぶが、なんと堂々47位、つまり最下位、つまりドンベに輝いたのは、それも2年連続で輝いたのは茨城県だったらしい。そこで、先ほどの男女二人が「なめんなよ」と言っているらしいのだが、人気が最下位だったら舐められてもしょうがない。いや、違ったそんなことを書くつもりじゃなかった。僕がどうしようもない大学生活を終わり、このキビシー、シホン主義社会で生き抜いていく知恵と技術を教えてくれたのは、何と茨城だったことを思い出し、いや、そんなに悪いところじゃないよ、いいところもいっぱいあるよと弁護してやりたくて、本日のエントリーをアップすることにしたのだ。

 そう、だからそのテレビを朝の出勤前で少し気持ちはせいていたけど、画面に向かって、「茨城もいいところあるぞ。大洗の海水浴場に、えーとえーと、つくばの学園都市もある、水戸にはオレは大嫌いだが納豆もあるし、梅まつりもある。水戸黄門が米俵に腰かけて百姓の婆さんから追い掛け回されたってのは、あんなもん、講釈師の作り話だが、えーとえーと日立、そう日立がある。あそこで初めて仕事して、お客さんの職業聞いたら誰もかれもニッセイ、ニッセイというから、えらい生命保険の人が多いなと思ったら、日立製作所略してニッセイって、そんなもんわかるかー」などと叫んでいたら、配偶者から遅刻するから早く行けと言われた。

 その日の仕事が終わり、家に帰り先輩からいただいた京都土産のマキコーヒーを飲んでいたら、またニュースで47位だけどいいとこあるぞ茨城なんてやってたけど、今度は登場する地元の人がみんなネガティブで、自虐的。どうせ、こちらは最下位だからとひねくれている。それを見ていて、「いや、あかんやないか、そんなことでは。それだから茨城の人間はみんなデレ助と言われるんだよ。もっと自信を持てよ、そりゃ牛久の大仏は意味がないし、今どき戦国時代の軍師官兵衛じゃないんだから干し芋なんてありがたがらん。あんこう鍋が旨いと言ったって、そりゃ下関のフグ鍋のほうが豪華だし、美味しそうじゃないか。何が悲しくて深海魚を食わねばならぬのだ。おまえら、そんなに食いもんがなかったのか。そういえば、初めて茨城で生活した時に、関東、特に北関東の人間は牛肉を食べないというか、豚ばっかり食べていたっけ。たまには牛肉食べようって会社の奴を誘っても、『う、ウシなんか食ったら、おめ、角はえっど。九州の人間はおとろしいことすんな~』などと若干訛って返事されたっけな、そうそう、そもそも茨城県は「イバラキ」なのに、地元民がみんな訛って「イバラギ」って発音するから、オレも長いこと「イバラキ」は大阪の茨木市で、北関東の茨城は「イバラギ」と発音すると思い込んでたじゃないか」などと叫んでいたら、バカ娘1号にうるさいと言われ黙るしかなかった。

 しかし、しかしだ、イバラギも住めば都だった。水戸にいたときは千波湖の近くの会社のアパートに住んでいたな、和室6畳の2DKに10人くらい一緒に生活してたな。仕事は営業だったから夜は遅いし、だいたい10人からの人間が風呂に入るのを待っていると夜中になるから、ほとんどの連中は平日は風呂に入らず、コロンで匂いをごまかしていたっけ。風呂に入るのは土日だけだったけど、1週間ぶりに入るのは気持ちよかったな。飯はまだ当時はコンビニがぼちぼち出始めた頃なので、大抵セブンイレブンか地元のわけのわからないエセコンビニ、深夜0時まで空いてれば御の字だった。そうそう、下館の寮にいたときは近くにタイムリーワンってやっぱりローカルコンビニがあって、店名の由来は深夜1時までやってるからって聞いたな。でも深夜1時に行く客ってオレくらいだったよな。買い物終わって外に出ると街灯がないので、真っ暗で、その時の会社の寮は小さな平屋の借家で電気つけっぱなし、鍵開けっ放しだったけど泥棒に入られたことは一度もなかったな。水戸の生活だけど、一緒に寮住まいしていた連中はみんな茨城県や栃木県内に実家があったので5月の連休はそれぞれ帰るのだが、九州から来ていた僕は一人だけ。まあ、自由を満喫できたのはいいけど、一人じゃつまらんから、水戸駅の近くのにっかつロマンポルノの上映館に行ったら、そこは有名なハッテン場でガラガラの席なのにわざわざ隣の席に座る親父がいる。何だこいつと思って見ていると膝の上にスポーツ新聞を開いておいている。映画館だから暗くて新聞なんか読めるはずないのに、何故かその新聞が動く。ガサガサ動く。枡を描いているんだということが分かるまで、なーんびょう、かかっただろう(ここ「恋するカレン」でお願いします)。気色の悪い奴やと思って別の席に移動したら、新聞紙を腰巻みたいにしてまた隣の席に来た。付き合ってる暇はないのでさっさと映画館を出たけど、その時のオールナイト料金1000円は誰が払ったんだ、オレだ。やってられん。

 ま、それはさておき、茨城には水戸の市役所の隣のビルに入っていた会社で働いていた。毎朝、その雑居ビルの屋上でラジオ体操したり、朝の気合一番の挨拶をしたりするのだが、ちょうどその位置に市役所のビルの窓があり、小役人どもがへらへら笑いながらこちらを見ているという状況が大変不愉快だった。営業部長に言わせると市役所にいる人はみんな自分の会社のファンだなんてのんきなことを言ってた。そんなこと言ってるからバブルの後にあっさり倒産して自社ビルも乗っ取られてしまったっちゅうの。あれ、なんだか、いやなことしか思い出さん。うーん、きっといいことはあったと思うし、多分住めばなじめると思うけど、今更住みたいとはおもわんな、やっぱり。でも、2年連続最下位はあまりに可哀想だ。ぐわんばれ茨城県、と声援だけは送っておこう。ということで、本日は茨城出身の忘れ去られたミュージシャン、寺内タケシとブルージーンズの「太陽の彼方に」。♪のってけのってけのってけサ~フィン(笑)



江戸前の握りと回転寿司



妻の誕生日に、長女がお寿司をご馳走するという。正社員になれず、毎日アルバイトでコツコツ貯めたお金なので、自分の事に使いなさいと妻は言うが、その口調は今までに聞いたことがないくらい嬉しそうであった。遅番の次女の仕事の帰りを待ち、家族揃って向かった先は回転寿司だった。

なんだ、職人が握る江戸前の寿司じゃないのかと、口に出しかけたが、妻や娘達の喜ぶ姿を見ると、我が家にとっては、これこそが天下の江戸前の寿司なのだと思う私であった。

どうだ、明るい農村の投稿みたいだろ。ちなみにワタクシはおめでとうと言っただけで、何もしてないので、三宅の讃える歌を歌ってやると言ったら拒否られた。





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10月は黄昏てるぞ、というショートエントリー

 先週は体調が良くなくて、手抜きのエントリーばかりだった。いや、普段のエントリーも大体そんなもんだから、別に卑屈になる必要はないが、それでもblogを更新するのが義務みたいになっては本末転倒である。いったい何を考えて、今月は毎日更新すると決めたのか、今となってはわけがわからんが来月からは元のペースに戻そう。ということは、今月というか今週の金曜日まではしつこく更新を続けるというわけだ。とはいうものの、以前書いて中断している話、たとえば学生時代のアルバイトの話やサークルの歴史の話、ヒットポップスの話やライブ日記の続きなどはしんどいから書かない。体調は良くなったものの、やはり目が疲れやすいのと肩が凝りやすくなっているので、長文を書くのはしんどいのだ。じゃ、何の話だと言われると困るが、今この段階では何も考えていない。ただパチパチと端末のキーを叩いているだけだ。

 ま、無難に先週の振り返りをしてみると、何も思い出せない。仕事が忙しかったこととやたら頭痛に悩まされたこと以外、何も出てこない。オレの小さな灰色の脳細胞はどうなってしまったのか。かれこれ35年以上前の大学時代のことは、すぐに思い出せるものの(もっとも、こちらもだいぶ怪しくなってきた。日曜日に2006年や2007年にアップしたエントリーをざっと見直していたら、完全に忘れている話もあった)、たかが先週1週間のことが思い出せないようでは、ちょっとまずいのではないか。えーと、燐さんから中山うりのサイン入りCDを送ってもらったのは、あ、あれは10月3日にアップしているから3週間以上前の話だ。えーと、えーと、そうだ25日に西藤ヒロノブのライブがあるけど、どうしようか迷った挙句、一緒に行こうと誘ったおねいさんの都合が悪くなったので、僕も行かなかった。あ、それで終わりか。ザットイズオールなのか、オレの人生はそんなもんか。

 まあ、そんなもんかなという気はする。最近よく見聞きするのは学生時代に熱中したミュージシャンや作家などの訃報記事ばかり。自分自身も体調は思わしくなく、体のあちこちにガタは来ている。人間っていうのは一気に落ち込むことはそうは無いが、徐々に低空飛行になって、ある時突然エンジンが止まってしまう。場合によっては、新鮮なガソリンが注入されて汚れも落として、またブルブルブルブルと動き出すこともあれば、まったく完全に止まってびくとも動かなくなることもあるのだろう。季節も秋だが、僕の人生における季節も秋に近づいているのかもしれない。などとちょっとメランコリックな気分になってしまったが、いやいや、何の何の、人生はまだまだこれから。小林信彦も『人生は51から』とエッセイのタイトルにしているではないか。まあ、こちらは51をはるかに超えてしまったが。ということで、本日の忘れ去られたミュージシャンはキャプテン・ビヨンド。第1期パープルのボーカルだったロッド・エバンスと元アイアン・バタフライのラリー・ライノ・ラインハルトとリー・ドーマン。ドラムは同姓同名のミュージシャンがいるが、ボビー・コールドウェル。1作目のアルバムが曲の切れ目がなくてカッコよかった。77年の再結成はダサかったけど。



図書館からメールが来て



予約していた本が届いたと書いてあった。毎週、日曜の新聞の書評を読んで、気になったものをチェックして図書館で検索する。本があれば借りに行き、貸し出し中の時は予約するのだが、人気の本は数人から数十人待ちなので、予約した本人もすっかり忘れてしまう事も多々ある。

この本も、予約したことを完全に忘れていた。作家は、僕達の世代では有名な通訳の鳥飼玖美子。何時の間にか、大学で英語教育に携わっていたようだ。思い出した、この本を読もうと思ったのは、英語教育を小学校に義務付けしようという動きがあり、いや、すでに小学校の授業で英語はあるのだが、更にそれを推し進める動きが強まりそうで、そういうのは嫌だと考えたからだ。

英語を生業としている鳥飼さんは、てっきり英語早期教育推進派だと思っていたら、全く反対の意見。これは、読む価値があると判断したのだ。だいたい、日本人は中学高校と6年、大学で教養課程を受ければ8年、専門で勉強すれば10年英語を学ぶのに全然話せないと言われる。

ホントか、本当に中学高校と真面目に英語を勉強したか。テキトーにやって試験前に一夜漬けで誤魔化して無いか。さらに言わせて貰うと中学高校に習った勉強をちゃんと覚えているか。和と差の積は自乗の差とか、アイアール分のイーとか、係り結びの法則を明確に言えるか、え、どうなんだ、ハアハア。

と、ムキにならなくてもいいが、ワタクシも、仮にも教養産業を生業としていた事もあり、今後の我がポンニチの行く末を憂慮するのだ。少なくとも、某市長や某政治団体の親分よりは。





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今日はお休みなので、届は必要なかですか?

 何とか体調も良くなり、今日は地産池消の店で買ったライムを絞ってハイボールを作った。いつもはグリーンレモンで作るのだが、やはりライムだとすっきりして美味しくついつい呑みすぎてしまった。幸いなことに配偶者は出かけており、配偶者以上に口うるさいバカ娘2号もいなかったので、テレビを独占し70年代ロックのDVDを見ていた。いやー、懐かしかったね。忘れ去られたミュージシャンシリーズにアップしたいバンドが沢山出ていた。その中でも、人気もヒット曲もたくさんありながら、最近とんとCMにも使われないスレイドを本日はアップしたい。「クレイジーママ」なんてヒットもあったが、あれは原題は“Mama Weer All Crazy Nowであり、クレイジーなのはママではなく俺たちだったって歌だけど、勢いで聴かせる。ベスト盤を持っていて、中に1曲渋いバラードがあったけど曲名は覚えていない。このバンドとかアリス・クーパーとか忘れ去れているよな。それからニューヨーク・ドールズなんて、当時はそれほど人気は無かったけど、後年評価されているというか過剰なくらい評価されてるけど、それもどうなんだいったい。あと、笑ったのはABBA。女性ボーカルの二人は単なるおデブさんででんでん美人じゃなかった。大笑いの海水浴場である。あ。あれは大洗か。



無断欠勤

 してもいいとデューク先輩にコメントもらったが、いやそれに甘えてはいかん。いかんが、とりあえず、ご厚意に甘えるのも後輩としての人の道、ということで本日までゲルニする。ほとんど、体調は良くなっているので、心配ご無用。などと、言うだけタダや。で、忘れされれたミュージシャンをやろうと思ったが、デューク先輩の白影コメントから何故か思い出した青春スポ根路線で「サインはV」.。

 ジュン・サンダース、好きだったよ~。岐阜のTHIS BOYさんがサインと写真をアップするといいながら、それっきりや~。はっきり言います。僕の人生の前半で一番好きだったおねいさんは、この人でした。岸ユキちゃいます、半分弱、なんつって。





欠席届

 もうすぐ、もう少しで完全復活すると思うけど、今日は欠席届の受理をお願いします。ということで、本日の忘れさられたミュージシャンはクニ河内の「透明人間」。しかし、この歌がグランプリ取った時、一番驚いていたのは本人だったっけ。



本日も早退届を提出します

 昨日は、湿布をして早く寝たおかげで今朝は比較的調子が良かった。コーヒーを飲んで車で職場に行き、午前中はまずまずだったがお昼前くらいから、また目と頭が少し痛くなった。外の天気もちょっと雲が出たりしてきたし、天気予報で雨がふりそうだといってたので、例によって低気圧というか気圧の変化を体が感じ出したのと、もう一つは仕事上、PCの画面を凝視することが多いので、そのせいだと思った。目を軽くマッサージしたり、窓の外を見たりしてごまかしたが、昼食後にまた少し頭痛がぶり返した。何とか、その日の仕事を終えて家に帰り、貼っていた湿布をはがすと完全に乾いていた。でも、肩の凝りはずいぶんに楽になってはいた。家に帰ってしばらくぼんやりしていたが、急に雨が降ってきた。通り雨みたいですぐに止んだが。

 10月に入ってから連日、blogの更新をしているが流石に昨日は早退届でごまかした。良く考えると昨日は、10.21国際反戦デーだった。もう最近ではすっかり聞かなくなった言葉だが、僕はどうしても忘れられない。そうそう、昨日は頭痛がひどくて見られなかった橋下市長とザイトッカイとかいう組織の代表との対話(?)を、先ほどYOU TUBEで見た。もしかしたら、この二人、「別個に進んで共に撃つ」って戦術じゃないかと思ったが、あまりのばかばかしさに笑ってしまった。特に、サクライ君の「いったいいつヘイトスピーチしたんだよ」ってセリフはガキンチョが「オレが、いつそんなこと言った。何時何分何秒だ」というのと同じ。まあ、おつむの程度が知れるというもの。サベツ主義者と言われて逆上したのか、橋下の出身地の名前を上げて(笑い声が上がったのが不愉快だったが)何やら言おうとしたが、どうせたいしたことは言えなかっただろう。彼のこれまでの言論から推して知るべしである。かといって、橋下君も大人げない。彼は相手によって態度が変わるというか、人をなめているところがあって、いくら初対面の人間でも「お前」呼ばわりはどうなんだ。ま、これはサクライ君が相手を挑発するために「あんた」と呼んだことに対して同じ土俵に乗ってしまったんだろうな。ま、出来るものなら「朝まで生テレビ」でお互いに、言いたいことを言いあえばいいんじゃないか、僕は見ようとは思わないが。

 うーん、まだどうも頭も目もすっきりしないので、本日もPCはこれで閉じる。このところシリーズにしている、忘れさられたミュージシャンの動画を最後にアップしよう。今日の天気から「雨」、歌と演奏はモップス。もっとも、この歌でのリードボーカルはヒロミツじゃなくて星勝が取っている。結構、キーは高いがいい声だ。なぜか、画面には「たどりついたらいつも雨ふり」のシングルジャケットが映っている。あの曲もいいな、ヒロミツのボーカルが迫力満点で、その昔、カラオケで良く歌ったっけ。



本日は早退します

 低気圧が近づいたせいか、あるいは連日の仕事でPCを使いすぎたのか、目が痛くて肩がカチカチで、そして頭痛が止まらない。ガンガングラグラの頭痛なら、参ったと言ってすぐ寝るのだが、重苦しい痛みで、バッファリンを飲んだが全然効果なし。両肩にはドラッグストアで買ってきた温湿布を張り付けているが、症状は緩和しない。ということで本日は早退します。忘れられたミュージシャンシリーズだけでも貼っておこうと思い、昨日、初期の五輪真弓の「酒酔草」を思い出して探したがオリジナルはなくて西田佐知子が歌っているものをFBにアップした。今日は、「ミスタークラウディスカイ」か「煙草のけむり」を、と思ったが、どうやら五輪真弓、YOU TUBEに自分の動画は上げられないよう圧力をかけているようだ。セコなやつだな。それでも初期の五輪真弓は良かった。「恋人よ」以降は、妖怪人間ベラみたいになってうざかったけど。ということで「煙草のけむり」のカバーをアップしておきます。おやすみなさい。明日には頭痛が止まってるといいんだが。



図解 宮崎ラーメン事情

 昨日アップしたエントリーだが、文字ばかりで読まれた方(奇特な方)に不親切ではないか、もう少しイメージしやすくしないとイカンのではないかと思い、本日はこれまでに撮っていた写真をアップする。まずは、昨日書ききれなかった熊本ラーメンは味千ラーメンでどうぞ。

味千ラーメン_convert_20141020223944

 僕も知らなかったが、味千ラーメンは台湾出身の客家、重光孝治が創業し、熊本市を本拠に日本国内はおろか海外まで進出しているらしい。ニンニクチップと独特のスープが後を引くのだ。

 お次は、最近ちょっとご無沙汰している久留米ラーメン。麺は久留米から直輸入という本格派。初めて入った時は、長距離トラックのおっちゃんたちがたむろしていて、ちょっと怖かった。しかし、ラーメンの味が忘れられず、鹿児島に出張するときは、経費節減を口実にあえて一般国道を走り、この店に顔を出したものだ。

久留米ラーメン_convert_20141020224613

 次からは宮崎ラーメンで行く。まずは、ずいぶん久しぶりに宮崎市内に再度オープンした赤江ラーメン。以前はエベレストくらいのもやしだったが、今はボロイシ山くらいしかなくなったのが寂しい。しかし、チャーシューとスープは健在。

赤江ラーメン_convert_20141020225130

 うーん、実際食べているときはそう思わないのだが、写真で比べると島ちゃんラーメンと赤江ラーメンの共通点は多いな。値段も味も手ごろな島ちゃんラーメンは、こちらも外回り時代に冬の寒い日、最後の当てにしていたお客さんが不在で、事務所に帰るに帰れず、ふと見たら赤い暖簾にラーメンと書いてあって、フラフラ入ったらすごく美味しかった。そしてラーメンパワーで仕事を頑張ったのだ。

島ちゃんラーメン

 宮崎ラーメンの老舗といえば、北は栄養軒だが南は丸金ラーメンであることは間違いない。ずっとおばちゃんが一人でラーメンを作っていたが、この前行ったらおばちゃんそっくりの若い娘がいたので驚いた。DNA恐るべし。ということで、出前で食べても美味しく食べられる丸金ラーメン。

丸金ラーメン_convert_20141020225905

 栄養軒には最近全くご無沙汰なので写真がない。FBでアップされている写真をパクってきてもいいのだが、そこは実践主義者のワタクシ、自分で撮った写真でないと納得できん。どうするかちょっと考えたが、この前食べたさといものラーメンが栄養軒の味に近かったので、そちらの写真をアップする。

里芋ラーメン_convert_20141020230311

 ううう、だんだん腹が減ってきたが、こんな時間にラーメンを食べたらデブる。間違いなくデブる。いや、最近は腹も出てきてるし結構デブりつつあるから、今更そんなもん気にするかといいたいが、そんな私も夢がある、そんなアタイも夢があるとおそうじおばちゃんのフレーズを口ずさみながら、ラーメンも旨いが突き出しの糠漬けともやしのナムルも絶品な一富士ラーメンを紹介しよう。

一富士_convert_20141020231208

 よし、これであらかた紹介し終わったと思ったが、何か忘れている気がした。何だっけ、どこのラーメンだったっけ。あ、もちろんここに上げた以外にも、宮崎にはたくさんの美味しいラーメン店があるのだが、あ、そうだ、風来軒を出してなかった。もともとは清武町という学生の町で屋台から始まったお店だが、宮崎ラーメンのヌーベルバーグともいえる。何せ、もやしは入ってないのだ。もちろんトッピングで入れることはできるが、初めて食べたときは天下一品のラーメンを思い出した。

風来軒_convert_20141020231648

 最後にラーメンばかりじゃ飽きてしまうので、おまけであんかけ焼きそば。これは延岡名物のあんかけ焼きそばである。花の75年度生のPurple_Hazeさんは、あんかけに酢をかけて食べるらしい。美味しいからとすすめられているが、まだ試したことはない。

あんかけ大盛り_convert_20141020232022

宮崎ラーメン事情 独断と偏見に満ちたその1

 物心ついたころから麺類が好きだった。当時はまだラーメンなるものは日常生活に登場していなかった。商品として存在はしていたが、我が家の食卓に上がるのは確か小学校に入ってからだと思う。未だにラーメンが麺類では一番好きであるが、ソバやうどん、ソーメンに冷麦、ビーフンに至るまでつるつるっとイケる食べ物はすべて好きである。あ、つるつるとはいけない焼きそばというものをどうするかという問題点もあるが、焼きそば・焼うどんも含めて麺類大好き人間である。したがって女性に対しても面食いである。もっとも、僕の女性の好みは趣味が悪いと友人・知人・家族からよく言われる。本人はいたって辛亥革命である。違った、新谷である、これも違うか、心外である。僕が好きなのは菅野美穂ちゃん、沢尻エリカ姫、深キョン、大御所高島礼子、あ、高島礼子ってエリカ姫に似てるよね。ゴホン、そんな話はどうでもいいか。本日は宮崎ラーメンの現状と問題点について深く考察するエントリーにするのだった。

 インスタントラーメン、昭和30年代は即席ラーメンと言っていたが、そのインスタントラーメンを始めて食べたのは多分3歳か、4歳くらいでご存知日清のチキンラーメンである。昭和33年8月に発売されたので、当時の流通関係などを考えて、我が地元ディープ南九州に入ってきたのは、おそらくその1年後になるので年齢的に合致する。ただ、ここでちょっとした疑問が生じる。我らがアベックラーメンは昭和35年発売である。お隣の熊本で当時は住尾のアベックラーメンとして売り出されており、こちらを先に食べた可能性もある。またおやつとして子供たちに人気のあったベビースターラーメンも昭和34年に売り出されているから、最初に食べたインスタントラーメンは実はポリポリかじるベビースターラーメンだったかもしれない。いや、ちょっと待て。ベビースターラーメンが流通する条件として、先にラーメンに対する認知度が高まっていないと需要は喚起されないはずだ。したがっておやつのベビースターラーメンを先に食べるとは思えない。やはりチキンラーメンかアベックラーメンのどちらかだ。などとやり始めるとインスタントラーメンの話で終わる危険性があるので、急いで、いわゆるお店のラーメンを始めて食べたのはいつだったか思い出してみる。

 多分、生まれて初めてラーメン屋でラーメンを食べたのは小学6年生。場所は延岡市にあった、いや今でもバリバリある再来軒であることは間違いない。それも99%以上の確率で7月の土曜日である。ザ・リーズン・ホワイ、当時住んでいた延岡市には土曜夜市というお祭りというか夜店の出るイベントがあった。それが7月の毎週土曜日に行われていたのだ。今も行われていると聞くが、往年の賑わいは全くなくなっているらしい。僕が小学生の頃は町中からずっと屋台のお店が軒を並べて、ざっと4キロくらいは続いていたと思う。子供の頃にとても楽しみにしていたお祭りであった。ただ、夜市というだけに夜行われるため小学生だけで行くことは禁止されていた。ばれなきゃ大丈夫だと、悪ガキだけで行く連中もいたが、何しろ娯楽の少ない時代だったので、必ず同級生かその親に見つかり、当時の親は人様の子供も平気で怒っていたから、その場でゲンコツをもらい、それでもそこの親が保護者として一緒に屋台を冷かしてくれたりした。結果オーライと喜んでいたら、次の日のクラスの反省会で「drac-ob君は子供だけで夜市に来ていました。いけないことだと思います」などと学級委員の女の子に告発されて、ああ、告白されるのはいいけど告発はアカンよな。きっちり担任からもゲンコツを貰い、反省文を書かされたりした。

 すまん、また話が逸れた。その夜市にあるとき、同じクラスの友達が「オレ、今日は姉ちゃんと一緒に土曜夜市に行くっちゃが」と言い出した。夜市は親と行くのもいいのだが、やはり親はなんだかんだ小言を言ったり、こちらが買おうとする銀玉鉄砲やゴム管(正式名称はパチンコというのか、要するにYの字の形をした金具にゴムがついていて、そのゴムの真ん中にモノをはさむ皮がついていて、そこにかんしゃく玉などをはさんで、ゴムを引っ張って適当なタイミングで指を外すと、そのかんしゃく玉は狙った方向に一直線に飛んでいき破裂する。子供のころから大好きな遊びで、これが後年火炎瓶などに興味を持つきっかけに、いや、その、パイプ爆弾は見た目がひょろっとしているので通称キュウリと、あわわ、もっとアカン話か)などを買おうとすると止められたり、金魚すくいをしたいと言っても飼うところがないからやめろと言われるし、そうすると当然カラーペイントされているひよこなど飼ってどうする、あんなもの全てオスで卵を産むはずがないなどと説教食らうのは嫌だった。

 しかし、同行するのがいやこの場合先導と言ったほうが正確か、要するに子供の夜遊びの大義名分に友人のお姉さんが付いてきてくれるというのは、これはもうやりたい放題というか好き勝手にできる。何、相手が年長者の権威でもってこちらの遊び心を止めようとしても、「女が男のやることに口を出すな」といえば、それは男尊女卑のディープ南九州、主導権はこちらのものだ、などと子供心に考えたかどうかは別として、親と一緒だと夜9時には帰らないといけないが、友達の姉ちゃんと一緒なら10時に帰っても怒られないだろうという打算はすでにできていた。その友達、Y田君に、普段はそんなに仲がいいわけではないが、目いっぱい媚を売って一緒に連れて行ってもらうことになった。まあ、今考えてみると、この当時からおねいさんが好きだったんだといえなくもない。

 その時の夜市がどうだったかは全然覚えていないが、夜の暗さと夏の暑さ、そして人ごみの異様な熱気と屋台の兄ちゃんたちの元気のいい掛け声などに疲れて、さあ帰ろうという時間に、ものすごくおなかが減っていることに気が付いた。友人のY田君もそれは同じだった。彼が、「姉ちゃん、腹減った」と言ったら、姉は心得たもので「もう少し歩いたら、美味しいお蕎麦屋さんがあるから、我慢しなさい」と返事する。僕はもらった小遣いを全て使い果たしていたので、これから食堂(小学生の僕にとって食堂というのは年に1回行けるかどうかの聖地だった。食堂=ハライソという貧しい時代だったのだ)に連れて行ってもらうのはいいが、お金をどうするか多分困った顔をしていたのだろう。その僕の顔を見て友達の姉は「あ、心配せんでいいよ、うちがおごるが」と言ってくれた。その瞬間僕はおねいさんに恋をした。というか、おい、あんまり即物的だなオレは。それともう一つ驚いたのは「お蕎麦屋さん」と言ったので、てっきり信州そばか出雲そば、あたしゃあなたのそばがいいという純和風のお蕎麦屋さんを連想していたのだが、連れて行かれたのはお店の中で湯気がもうもうと上がっているラーメン屋、すなわち再来軒であった。カウンターに座った僕たちは、お店の人がラーメンを作る作業を食い入るように見て、あ、それは僕だけで、Y田君とお姉さんは先ほどの夜市のことなどをいろいろ話していた。

 出されたラーメンをしばし見て、おもむろに食べ始めたのだが旨い。美味しい。世の中にこんなにおいしい食べ物があることを初めて知ったという感激と食べていくうちに少なくなるどんぶりの中を見て、人生のわびさびまで感じ入ってしまった。文字通り最後の一滴まで飲み干して思わず「美味しかった」と声を上げ、Y田君とお姉さんに笑われた。この時食べた再来軒のラーメンは宮崎ラーメンでも県北ラーメンなので、具やスープが宮崎ラーメンの中でもちょっと異なる。僕が普段食べている宮崎ラーメンは九州ラーメンにくくられると思うが、ラーメン伝搬ルートが九州ラーメン発祥の地久留米から国道3号線を使って南下、熊本ではニンニクチップを入れる独特の肥後ラーメンとして発達し、さらに3号線を下り、キャベツを入れる鹿児島ラーメンに変化。そしてそれが都城市を経由して国道10号線から入ってきて完成したと見ている。しかし、延岡はその場所から、おそらく久留米から熊本、そしてそこから高千穂を超えて入ってきたラーメンと、北側の大分県から入ってきたラーメンが合体して独自のラーメンになったのではないか。

 たとえば具であるが、元祖宮崎ラーメンには必ず入っているもやしがない。その代わりキクラゲが入っている店が多い。このあたりはシイタケやキクラゲが主食である大分の影響だろう。またメンマが、いや当時の再来軒で初めて食べたメンマが一体何だかわからず、思わずお姉さんに「これ何」と聞いたら、堂々と「シナチク」と教えてもらった。今気に入ってるマンガ『進撃の巨人』にシガンシナ地区というのが出てくるが、あれはおそらくシナチクから連想したのだろう。要するに東支那地区という意味だろう。ところで今、「シナ」を変換しようとしたら、「支那」が出てこなかった。単漢字で引っ張るしかないのだ。IMEの下らぬ自主規制だと見た。「支那」という表現のどこが悪い。あれは中国の英語読みChinaに漢字をあてただけだ。しかもそもそもChinaは中国の最初の統一王朝である秦から来た言葉であり、世界中の多くの国は中国のことを「支那」の変化形で呼んでいるし、そもそも中国自身が自分の国のことをChinaと呼んでるではないか、とちょっと石原閣下みたいなことを書いてみた(テヘペロ)。

 延岡のラーメンの代表的な具は、キクラゲ・メンマ・ノリ・チャーシュー・青ネギ(これは九州の人間はみんな大好きな細いネギだ)。そして麺は久留米系の細麺でやや硬めにゆでる。スープは宮崎ラーメンに比べると透明度は高く、味はさっぱり系である。熊本から伝搬したと思うがニンニクチップはほとんど載せない。代わりにすりおろしたニンニクを各自が好みの量を入れて食す。胡椒は白コショウでアルミの館にはアルファベットのAの文字が描かれている。その心はアート・ペッパーだ(なんちゃって、笑)。この延岡ラーメンは時々無性に食べたくなり、外回りの仕事をしていた時は揚子江というお店があって、バイパス上にフランチャイズが何店舗かあったので、仕事の空き時間に飛び込んで食べていたが、最近は見かけない。フランチャイズが上手くいかなかったのか。再来軒は今も現役ですでに2代目だか3代目が張り切ってやっているが、場所がちょっと入り組んだところにあるため、なかなか足を運べないのが残念だ。先ほど、お店のHPを見たら操業が僕の生まれた年と同じだ。ますます親近感がわいた。

 先ほど、九州ラーメンについて書いたので各県ごとのラーメンについて軽く触れておきたい。久留米はグレイトである。九州ラーメンという独自のラーメンはここで生まれた。それまで支那そば、中華そばと呼ばれていた鶏がら中心のしょうゆ味のラーメン、東京中心のラーメンに対して、豚骨スープに細麺という組み合わせで反旗を翻し、ラーメン業界に革命を起こした。また久留米があってこその博多めんたいビートである。あの偉大なるサンハウスを生んだのも久留米である。太くてまっすぐなロックは久留米から博多に、そして日本全国のロックンロールクレイジーを狂喜させた。その久留米ラーメンは宮崎にもひところフランチャイズで「小太郎」とか「長浜」とか結構あったが、今は寂しい限り。しかしながら都城市にあるその名も「久留米ラーメン」は麺を久留米から直輸入しながらかれこれ四半世紀は健在である。このお店も外回りをしていたころ、高速代を節約するために国道を使って宮崎から鹿児島の営業所に行こうとしていた時に偶然見つけた。都城の市街地を抜けて、県境が近づく。もう少し走ると鹿児島の末吉町(今は合併して霧島市になっているのかな)、その末吉町の案内標識が見えるか見えないかというところにいくつかの飲食店が国道に固まってあった。その中に赤い暖簾で「久留米ラーメン」とかいてあるお店があり、吸い込まれるように入った。入ると外装と同じくらい古い感じの店舗で横山三国志のマンガがたくさんあったので、読みながら待っていると、何と本格的な久留米ラーメン。感動して一気食いをした。それ以来のファンである。

 その久留米ラーメンで元気を取り戻し、国道をひたすら走って鹿児島市は武町にあった会社に着く。しばらくは鹿児島の事務所で仕事するのだ。武町というのは実は西郷どんも以前住んでおり、その当時は「武村の吉之助でごわす」と名乗っていたらしい。そこでおとなしく狩りでもして居りゃよかったのに、いや、その前に江藤新平が来た時に、一緒に決起していれば、岩倉や大久保、山縣あたりが好き勝手することもなかったのに、おせーよ、やることが。などとちょっと西南戦争の話になりそうなのでやめる。その鹿児島ラーメンだが、キャベツが入っているのが特徴で、あえて言わせてもらえれば美味しいラーメンはまあよく見て3割。後の7割はクソみたいなしょうもないラーメン店がカゴンマには多い。僕が気に入っていたのは、その武町にあった「王ちゃんラーメン」。「王ちゃん」と書いて「ワンちゃん」と読ませる。また当時は西鹿児島駅と呼んでいた駅のアーケード内にあった「大名ラーメン」。あ、もちろん「くろいわ」とか「こむらさき」とか「海軍屋」などの有名店は美味しいが、その辺の町中のラーメン屋は残念なところが多い。何が残念かというとスープがやたら油過多なのだ。まさしくアブラカタブラと呪文を唱えたくなるくらいスープがまずい店が多い。

 その格差の激しい鹿児島ラーメンで最近検討している店があると聞く。キシャバの近くの店で、象、いや、ライオン、ちがうな、サントリー?いや、なんか違う。アサヒだったか、あ、思い出したキリンだ。漢字では「樹凜」と書く。正式には「麺匠 樹凜」と書く。自分から「麺のタクミ」と名乗るから相当な自信である。ここの店主はロシア革命の偉人にクリソツらしい。一度食べに行きたいと思いながらなかなか足を運べない。などと書いたが、実はこの店主も武町の事務所で働いていた人間である(笑)。おーい、I上レーニン君、行く行くといいながら足を運んでないが、そのうち行くから待ってろよ~。ということで本日はここまで。あ、熊本ラーメンの話を書き忘れたけど、それは次回じゃ。

予告編、宮崎ラーメン事情

 ほ、ほんまにほんまやで、さいぜんまでかいていたんや。みやざきのらーめんについてのはなしや。しょうわの30ねんだいからへいせいのいまにいたるまでの、ものごっついこうさつのはなしや。それが、それが、とちゅうでしゅうまつやさかいにハイボールのんでしもたら、ああ、もうええやろ。つづきはまたあしたちゃんとかくさかい。ほんまにほんまやで、ちゃんとかいていたんや。うそちゃうんや。みんなにみてもらおおもてたんや。

ということで、本日の忘れ去られたミュージシャンはジョン・デンバーです。銀縁メガネかけてたときは、かぐや姫のおいちゃんに似ていたけど、外したら何やら怪しい宗教家という感じだな。あ、この人、その手の新興宗教関係の方でしたが、音楽は別という話。


今夜の1曲

 とっても疲れた週末。お酒を呑んでぼんやりしていた。こんな時に週末の音楽を聴くというのは天邪鬼の僕の性格に合わないので、さあ仕事始めの月曜日の歌をと考えて、最初に浮かんだのが、「雨の日と月曜日は」だった。大工兄弟で有名な歌だが、個人的にはオリジナルの猿の惑星の人が好きだった。歌詞を見ながら彼の歌を聴いていたら、何となくああいい週末になりそうだと思えた。トム・ウェイツあたりだと重たいけどね。ところで、ポール・ウィリアムスって最近無視されてないかな。素晴らしいソングライターで、僕にとっては素晴らしいシンガーでもあるのだが。などと週末にちょっと気取ってみる。愛は人をやさしくするのだ。××さん、愛してるよ~。




謎の看板



先日、FBを見ていたら街で見かけた面白い看板の話が出ていた。昔懐かしいビックリハウスのネタだか、そういえば僕もかれこれ30年間くらい気になる看板というか、案内板がある。水中ロボット実演会説明会とある、その看板は僕の毎朝の通勤ルート中にある。

この間、仕事は色々変わったが、通勤ルートだけは同じだったので、かなりな回数みている。いや、休みの日などは、その道を歩いて通る事もあるのだが、一度も説明会や実演会などが行われた形跡はない。

というか、この看板の横は大きな倉庫になっていて、多分、その中に水中ロボットが置いてあるのだろうが、何しろ、シャッターが開いていたことが無いので、全く分からない。近所の人達も、何故かこの倉庫の事は話題にしない。開かずの扉である。

こういう謎は、そのままにしておく方がロマンがあって良い。決してググッたりしないことだ。メーカー名と品番で、ググって『なんだ、水中テレビカメラか』などと醒めた事を言ったら終わりだ。いや、終わりじゃない、新たな謎が生まれる。何故、テレビ局が近くにあるわけでも、ビデオ会社があるわけでもないのに、そんなものを実演するというのか。

ほら、眠れなくなるぞ。夢にダルマが出るぞ。と、こちらのほうが、ドラマの見過ぎかも(笑)。





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モッズが鳴く夜は何かが起こる(ネタバレあります)

 昨日から目がチカチカしてしょうがない。原因は分かっている。GYAOで以前、テレビで放映されていたMOZUのシーズン1が全10話アップされていて、その放送終了が16日までだと知ったのが、先日の台風の休日。16日から地上波でシーズン2が放送されるので、その前に復習しておけというTBSのおせっかいだとわかってはいるものの、つい一気に見てしまい目が疲れているのだ。この番組が放送されていた時は、僕は全く興味がなく見ていなかったのだが、ほかの家族全員、正確にいうと配偶者とバカ娘2号がめちゃくちゃハマっていた。僕も家族が話題にするので、大まかなストーリーは知っていて、多分5話目くらいからだったか、ちらちら横目で見ることがあった。もっとも、「公安ってのは、そんな甘い世界じゃない」とか、「公安がそんなに表に出てくるもんか、あいつらは百舌じゃなくて鵺だ」とか口を出すたびに、「うるさい」「黙って」「余計なことを言うな」とか反論が返ってくるので、我がポンニチにおける公安犯罪についてとか、いや、そもそも警察組織そのものが組織防衛の塊で、何かあった時の隠ぺい体質は凄まじいなどという話をしようとする頃には、テレビの番組も終わって、次回はどうなるかという母子の話ははずむものの、僕の公安批判、警察批判の話は完全スルーされるのであった。ま、女子供に分かる話じゃねーけどな。

 しかし、休日の夜、お酒の入った頭で偶然見てしまった第1話が面白くて、突っ込みどころはたくさんあるものの、役者も個性的でついつい2話、3話と見てしまい結局3日間で全10話一気に見てしまった。しかも、16日からのシーズン2も早速録画予約してしまったのだから、我ながら呆れる、もっとも、話は面白いが細部はかなり納得できないというか、こんなんあるかーと思わず声に出してしまうところが何か所かある。原作の小説は全く読んでいないので、あくまでテレビドラマで見た中で感じたことなのだが、新谷の妹が実は双子の弟で記憶喪失のため、自分自身を兄だと思い込んでいたなんてところは、なるほどなと納得したけど、その弟が婦人警官の格好はしているというものの公安と警備警察の合同の捜査会議の中に堂々と入ってきて、殺人を犯すなんてのは、そんなんあるかーい、我がポンニチの警察のセキュリティってそんなもんか、とか元公安の東がとらわれていた新谷を警備の警官になりすまして脱走させるとか、お前、ええ加減にせえよというところばかり。

 最後の10話で新谷が本来の目的だった室井警視監を襲撃するのも、あれだけ沢山あるエレベータのどこを見張っていれば、ピンポイントで襲撃できるんだよ、誤爆だったらどうするんだとか、挙句は室井に反撃され拳銃で撃たれた上に、アイスピックを手に刺され墜落したオブジェに左胸を貫かれていたのに、そこから出血しながら地下水道(か、どうかしらんが下水道みたいなとこだったな)まで歩いて、お前まさか心臓が右にあったとか言わないだろうな、とかそれでもそれだけ出血していたら死んでしまうぞ、などとこれは声に出して言いたかったが、そうすると家族全員から今以上に総すかんを食うと思われるのでじっとこらえたが、しかし、納得できん。納得できんと言えば、ラストシーン近くで目的の室井を刺殺した新谷がいつの間にか海に流されていて、何故かアイスピックが岩に笹ていて、そこから出てくるって、分かった、お前は21世紀少年だな、そういえばエンドロールの中で子供の頃の新谷兄弟が空に向かって、「アーメン、ソーメン、冷やソーメン」の祈りをしていたのは見逃さなかったぞ、ハァハァとすっかり番組の罠にはまっていたワタクシだった。

 しかし、役者も個性的なメンバーがそろっている。主人公の公安エリートの倉木は、今売れている西島秀俊、大河の『八重の桜』では山本覚馬を演じていた。最初は対立するものの途中から最強の協力者になる大杉警部補は銀行の常務から転身した香川照之、いやー、『半沢直樹』の大和田常務ははまり役でした。そして主人公の上司で実はシーズン1の主役はこの人だったんじゃないか、今の腐りきったポンニチを公安が牛耳る、かつての憲兵時代に戻してくれよ、それこそが「維新」じゃないのかと思わず感情移入したくなるほどクレイジーな役を演じた生瀬勝久、なんと我らがD大の通称「サンゲキ」=「第三劇場」出身の役者だ。80年にD大の社会学科に入っているから、もしかしたら別館ですれ違ったかもしれん。あ、サンゲキは新町別館のほうだからそれはないか。そういえば、彼は『八重の桜』では勝海舟を演じていた。さらに、オメラスがどうたらとか解釈垂れた元公安のトリックスター、東は長谷川博己が演じていて、こちらは八重の最初の夫役だったな。なんだ、大河で共演した役者が多いんだ。そして、このやたら血の気がほとばしる凄惨なドラマで紅一点(じゃないか、新谷の口を割らせるために捉えられたフリージャーナリストに有村架純が出てたか)、父も同じ公安刑事でなぜか突然蒸発した事実関係を知りたく公安に入った、明星役に真木よう子。いやー、凛々しいおねいさんで、実はSAIのCMも大好きでした。なんてことはどうでもいいか。

 結局、シーズン1ではほとんどの謎が未解決で、それをシーズン2でいかに引き継いで解決するのか。いや、未解決のままシーズン3に行くのか。結構テレビっ子と化して見てしまうワタクシであった。しかし、MOZUはなんと鳴くのだろう。やはりモッズ、モッズと鳴くのだろうか。ということで、俺達はパンクじゃない、ニューモッズだと言って元気が良かった頃のジャムを聴きながら、今夜はおやすみなさい、って渋谷陽一かって(笑)。



ベネバブ



仕事から帰ると、同じ差出人から僕宛に3通郵便が届いていた。 なんだ、何だ、ジャンクメールにしても手が込んでる。差出人に見覚えは無く。しばらく考えた。ウソだけど。

例の個人情報漏洩で、大騒ぎになった、トラトラのトラ次郎だったか、真剣なゼミとかいう教材屋さんからだ。封を開けると、僕とバカ娘2人の個人情報が漏洩したらしい。しかし、バカ娘2人がその教材を使っていたのは確実に10年以上は前の話だけど、それ以来ずっと保管していたのか。

確か、契約時に一定期間保管した後は削除するとか書いてなかったか。ま、いいけど、オレの個人情報はナンボや、と見ると500円であった。安いと思うあなたは、名簿業界を良く知らない。僕らの個人情報など、せいぜい20円である。クリーニングして無い名簿なら、下手すりゃ10円だ。これホントの話。

あ、本日のエントリーのタイトルですが、ベネ××からのバブルで、ベネバブなのだ。あー、しょーもな(笑)。





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嵐の昼に



例によって、ラーメンである。先週買ったタウン誌が、宮崎ラーメン特集を組んでいて、それ以来、外食出来るときは、ラーメンを食べに行ってる。今日は、台風なので外食は無理だと考えていたが、日頃の行いのせいか昼前には青空が広がっていた。

車に乗って、台風被害をパトロールしながら走っていたが、意外に静かなものだった。しかし、大手のファミレスやスーパーなど軒並み閉店。嫌な予感がしたが、やはり最初に行ったラーメン店は臨時休業。仕方ないので、次の個人経営のラーメン店に行ったが、そちらもダメ。自宅も兼ねている店舗のため、入り口のドアを外側から板で打ちつけてある。

困った、こうなるとますますラーメン慕情で、何処か開いてる店は無いかと、駆け回ったおかげで元祖宮崎ラーメンを自称する店に入れた。注文して出て来たラーメンは、確かに元祖宮崎ラーメン。モヤシとチャーシューとメンマ、さらにゆで卵が乗っている。あの老舗ラーメン店の栄養軒の後継者路線か。

割り箸を手に麺を啜る。美味い。自家製麺と歌っているだけはある。チャーシューはトロトロで、あ、これはチャーシューがトロツキストという意味ではなく、口のなかでとろけるのだ。モヤシもシャキシャキして歯触りがいい。メンマは、色の割に味が淡泊だ。

しかしながら、一番残念だったのはスープ。塩辛いのだ。宮崎ラーメンの特徴は、白いスープ、こってりした見た目だが、飲むと意外にあっさり。後口に甘さが残る筈のスープが塩辛い。この辺りが、課題であろう。さらに、もう一言。付け合わせにタクワンが出るのは良いが、このタクワンもチョット辛い。スープとタクワンも塩分過多という二大問題をこの店がいかに解決するか。ワタクシは革命的麺類主義者同盟革命的ラーメン主義派を急遽結成し、注目していきたい。

って、たかがラーメンに何をりきんでいるのか、と言われそうだが、あの偉大なる全冷中をリアルで体験したワタクシは一歩もひきさがらない。それが帝国カゲキ団なのだ。






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悲しき終列車、あるいは国鉄との妥協なき戦い

 台風がゆっくり近づいている。今日は、せっかくの日曜日なのに朝から風が強く、時々激しい雨も入り混じる。先ほど、所要で車を走らせたが橋の上では風の直撃をくらってハンドルが取られそうになった。まともに横風を受けたら車ごと横転して、まっさかさまに橋の下である。♪こんなとこ~来たことないけど、なぜか来たのが橋の下~、真っ暗で、だけどよくみりゃ親父一人で何してる、などとローザの歌を口ずさむ余裕などあるはずがない。しかし、大げさではなく乗っていたのが普通車だったからよかったものの、これが軽自動車だったら完全にハンドル取られて恐怖のデビルゲイト・ドライブ(スージー・クアトロのヒット曲だよ)になること間違いない。先週も台風のせいで1日中家でごろごろしたが、今週も連休なのに台風のためにどこかに行こうとか何かをしようという気持ちが起こらない。仕方がないので、こうやってPCの画面に向かい文字を入力している。さて、何故始めてしまったか、自分自身でも良く分からない10月ノンストップ・エントリーであるが、話もいい加減とっ散らかっているので、今日はこの前書いた学生時代のバイトの話を書いていく。

 生まれて初めて経験したのはラーメン屋のバイトで、これは先日アップしたようにわずか数時間でゲルニ。夜のバイトに行った友人2人は別の店だったが、しっかり働いて月末には通常の仕送り以上のお金を稼いで、一人は洒落っ気のある男だったので春物のジャンパーだとか、衣類にお金をかけて気に入ったものを次々買いこんでいた。もう一人は立派な体格をしていて、混声合唱団に入っていたので春の合宿や飲み会などの資金にして、それでもまだお金が余っている様子だった。僕は、バイト代も入らないし例によってインスタントラーメンで生命を維持するドツボ暮らしが続いていた。貧乏が嫌ならバイトを探せばいいものの、根が面倒くさがりなのでそんなこともせず、毎日サークルのBOXに出没し、帰省もせずにうだうだしている先輩や同級の仲間と人数がそろえば麻雀、集まらなければ河原町今出川にあったキングとラッキーという二大遊戯施設、世間ではパチンコ屋と呼んでいる場所に行って、200円分球を買い台が終了するなんてことはめったになかったが、それでもタバコや缶詰などの必需品に交換して暮らしていた。

 しかし、パチンコはともかく麻雀は貧乏学生同士でやるわけだから、勝負が終わったら即金で回収しないと、貸したりツケたりしたら、次返す、次勝って返すとまあ完全な口約束で、いくら帳面上であいつに何千円貸し、あいつにも何千円貸し、あ、あいつもこの間の負け金払ってないやんけ、次あったら催促せんと、などと捕らぬ狸の皮算用ばかりしていても、生活が維持できない。仕方がないので3月に入ったら田舎に帰ることにした。田舎に帰省する交通手段は飛行機か電車、フェリーなどいろいろある。一番安いのはフェリーだが大阪の南港から乗るのはいいが、到着するのが日向市で、地元の宮崎に帰るには、そこからバスか電車に乗り換えて1時間、フェリーは夕方乗って朝つくからほぼ丸一日かかる。乗ってる間の食事代とか、乗り換えの費用など考えると決して安くはなかった。次は電車であるが、これも新幹線で福岡まで行き、そこから日豊本線に乗り換えるわけだが当時の大分県と宮崎県の間にそびえたつ宗太郎峠という恐怖の峠があり、京都から福岡、まあ小倉だが、そこまでが4時間とか5時間で来るのに、小倉から宮崎までが特急で同じく4時間から5時間、急行だと6時間、各駅停車では10時間以上かかるという地獄のロードであった。そういえば、あれは何回生の時か忘れたが、冬休みの帰省をするのに、お金がカツカツだったので京都~小倉間を新幹線より安い特急の自由席で行き、小倉から宮崎は当時夜中に走る急行日南というのがあって、それだと電車の中で寝ていれば翌朝には宮崎駅に立つことが出来るというリーズナブルというかチープトレインツアーをたくらんだ。あ、思い出した。スカイメイトが使えない歳になっていたから、5回生か6回生の時だ。

 学年はさておき(笑)、貧乏学生で銭湯代が惜しくて風呂にも1週間は入っておらず、使えるお金をきちんと計算し、特急のチケット、急行のチケット、そして移動中の汽車弁当代などぎりぎり、宮崎駅に着いたらその時の体力によっては歩いて実家まで帰るか、どうしてもしんどいときはバスに乗ろうと、そこまでのお金しか持っていなかった。そして、碌に飯も食ってなかったのでフラフラしながら京都駅について、特急のチケットを買って乗り込み、まあこれで今回の帰省も何とかなったと気持ちも落ち着いたら、とたんに腹が減ってきた。車内販売が回ってきたので、手を上げて「弁当、幕の内」と伝えたら、「スイマセン、幕の内は売り切れです。今あるのは鰻弁当だけです」との返事。金額を聞くと幕の内は当時500円程度だったが、その倍はかかる。しかし、背に腹は代えられないのでしぶしぶ、その鰻弁当とお茶を注文した。受け取った弁当はあったかくて、また社内の暖房もあったかいというより、ちょっと暑いんじゃないかと思うくらい。腹は減っていたが、ついそのまま寝てしまった。「こくら~、こくら~、ご乗車ありがとうございました。終点こくらでございます。忘れ物の無いように~」というアナウンスで目が覚めた。慌てて荷物と弁当を持って駅に降りて、乗り換えの急行の乗り場に向かった。

 乗ってきた特急列車から降りた人は全員、駅の改札に向かい別の乗り場に向かうのは僕一人だった。ラッキー、こりゃ急行はガラガラだな。1人で座席を全部使える。体をL字型にして、向かいの席に足を乗せられるから楽できると、ルンルン気分でこれまで何度か使った乗り場に行った。その乗り場に着いた時に何だか妙な気配を感じた。誰も乗り場にいないのは夜の11時くらいに出発する急行なので、そういうこともあるかと思ったが、しかし、年末の移動シーズンに僕のような貧乏学生がほかにもいておかしくない。ちょっと不安になり、天井から吊り下げられている時刻表を見たら、なんと僕が乗ろうと思っていた急行列車はとっくに発車しており、この後乗れる電車は1台もなかった。慌てて持参した国鉄の時間表(当時は日本国有鉄道だったんだよ、あれを民営化してJRなんかに分割したから田辺町に向かう電車がビルに突っ込んだ大事故が起こったのだ。そもそも国労解体が狙いの、って話が逸れた)で確認したが、僕の時間計算は間違っていない。何故だ、どうしてだと考えているうちに、時刻表の発行月に気が付いた。つまり、僕が見ていた時刻表は、その前の月まで有効なもので12月にダイヤ改正があり、今まで乗れた急行は時間が早くなっていたのだ。さて、困った。ここがせめて久留米であれば、大学の先輩もいるが小倉にはいない。高校時代の友人とか知り合いとか誰かいないかと考えたが、思いつかない。お金は余裕がないので、こりゃ駅の待合室で夜を過ごすしかないかと覚悟を決めた。しかし、以前のエントリーにも書いた記憶があるが、夏の京都駅の待合室に泊まり込んで信州行の特急券を買おうとしたことがあったが、その時は待合室をねぐらにしている怪しい人たちと、結構面倒なことがあったので、そうだ、駅員に頼んでみよう。駅員室の片隅に泊めてくれと言えば、将来有望な大学生(に見えなくはないだろう)の頼みを、そう簡単に断ったりはしないだろうと、勝手に決め込み改札を出た足で窓口にいた駅員に声をかけた。

 僕は、京都で学問に取り組んでいる苦学生で、時刻表も本来なら新しく買って確認すべきところを、その貧しさゆえ古いものしか持たず、その結果乗り継ぎを間違えたこと。今日はもう電車がないので、明日の朝一番の急行に乗って帰るのだが、この寒空の中、暖房の切れた駅の待合室に泊まったら、それでなくても栄養のあるものを食べていない体に無理が来ること。下手をすると思わず、「パトラッシュ、僕もう疲れたよ」とつぶやきながら天使に導かれてそのまま川を渡ってしまうかもしれないこと。そうすると我がポンニチにとって大きな損失であることは、これは間違いない。したがって駅長室とは言わないが、ストーブの焚いてある、いやもしかしたらセントラルヒーティングかもしれないが、あなた方がぬくぬくと、いや失礼、黙々と仕事をする駅員室の片隅でいいから寝かせてもらえないか、いや仮眠室があって、そこが空いているならそこで休むことに異議は全くありません、的なことを誠心誠意をこめて訴えた。駅員はちょっと困った顔をして上司に相談に行った。

 となれば、一つのメルヘンであるが、国鉄合理化を目の前にした夜勤の職員、このまま国鉄に残れるか、それとも組合活動をやりすぎたので国鉄清算事業団に飛ばされるか、その場合は合理化反対闘争の一環として裁判闘争を貫徹するかとか、多分、そういうことで頭がいっぱいだった職員は、そうだ、ここで風体怪しげな学生を駅員室に泊めたりしたら、国鉄合理化フンサイなどと叫んで、それはそれで異議なしなのだが、駅員室封鎖やバリスト、挙句は線路に出て投石などされたら、わが身が危ない。こんな奴は絶対に駅員室に泊めるわけはいかんバイ、おっと待合室あたりにもバクダンしかけられたら大変タイ、こぎゃんアホ学生は安ホテルに案内するしかないというようなことを多分0.5秒くらいで考えたのだろう。彼の口から、「この先に豊ホテル(まだ名前を覚えているぞ、オレもいい加減執念深いな)という格安で泊まれるホテルがあるから、そこに行って泊まりなさい」とけんもほろろであった。この年だったか翌年だったか、椎名誠の『さらば国分寺書店のオババ』を呼んだ時に、「今、日本の本官たちはワシらの目をちゃんと見ることが出来るか」という一文があり大いに溜飲を下げたものだった。

 駅員の冷たい対応に激怒したものの、状況に変化はないので疲れた足を引き摺ってホテルに向かった。ホテルのフロントには、やはり中年の目つきの鋭いオジジがいた。そこで今回の乗り継ぎの失敗は赤字続きの国鉄が、時刻表の売り上げアップのための陰謀であり、貧乏な苦学生であるワタクシは一歩も間違っていないこと、それでも普通の学生は時刻表など本屋で立ち読みして済ますが、九州で生まれ育ったワタクシはそげん不義理はでき申さん、最後うどん、違った西郷ドンも敬天愛人、子孫のために美田は残さずと言うとるとですよ、窮鳥懐に入れば猟師も殺さずというではないか、要するにタダとは言わんがちっと安くで泊めてくれんかと嘆願したが、カブトムシの目をしたオジジは「うちは素泊まり5000円、このあたりで一番安い」と一言。泣く泣く財布を見ると、5千円札が1枚あった。取り出した聖徳太子を、しぶしぶオジジに渡して、その代わりに部屋のキーを貰った。あ、当時の5000円札は聖徳太子だったのよ。今の樋口一葉と違って重みがあったっけ。

 部屋に入った僕は、こうなれば元を取らねば大損だと風呂に入り、シャンプーなどのグッズをパクり、風呂上がりのビールも飲みたいが、財布に残っているのは宮崎駅から実家までのバス代だけ。歩いて帰るにしても、その金額ではビールが買えない。そうだ、昼間買った鰻弁当があるじゃないかと思い出し、早速取り出して食べた。覚めた鰻弁当はげんなりするくらい不味かった。そして部屋に備え付けのテレビを見て、下宿から持ってきていた文庫本など読んでいるうちに寝てしまった。朝一番の電車は7時発だったので、6時には起きて、もう一度風呂に入りタオルや髭剃りその他、手当たり次第にバッグに詰めてホテルを後にして駅に向かった。急行列車は時間通り発射して、例によって宗太郎峠のあたりでテレテレ減速したが、それでも無事宮崎駅に着き何とか家にたどり着いた。たどり着いたが、今回の旅のおかげで無一文となってしまい、こりゃなんとかせねばと高校時代の友人に頼み込み、デパートの内装工事のバイトにありついた。

 これはクリスマス商戦も終わり、いよいよ新年に向けての商戦を勝ち抜くためにカッティングシートで貼ってあるデコレーションをはぎ取るというバイトだった。カッターやそれ専用のスクレイパーを使って剥ぐのだが、これがまた骨の折れる仕事でしかも寒空の中、内装の大将から「寒くない格好で来い」と言われていたものの、てやんでぇ、こちとら真冬の京都を体験した人間だい、南国宮崎の冬など修学院で言えば立派な春じゃ、と素直に聞かなかったのでとっくりセーターだけしか着ていかなかった。ほかの職人さんはウィンドブレイカーやジャンパーみたいなものを上に着ているのに僕はセーターだけだったので木枯らしが身に応えた。それでも剥ぎ取りをやっているうちにポカポカしてきて、昼休みには汗をかいていた。昼飯は仕事先のY形屋デパートの後ろにあるおぐらというう有名な飯屋に連れて行ってもらい、何でも好きなものを頼めと言われて実はカツカレーを食べたかったが、初めてのバイトでカツカレーはちょっとまずいだろう、次からバイトで呼んでもらえないかもしれないと思い、カレーを注文。ちょっと考えて大盛りを頼んだ。ご存知の方はご存知だろうがおぐらの飯はボリュームがある。カツカレーにはサラダが付くのだが、体調万全の時でも完食は難しいのに、何を狂ったがカレーの大盛り。カツカレーだったらカレーに飽きたらカツを食うというバリエーションがあるが、カレーの大盛りはカレーかライスか福神漬けしか選択肢がない。一気呵成に勝負をかけたが当然敗北して、三分の一は皿に残っていた。それを見た内装の大将、「まあ、ボンボンの学生だからしょうがないが、人からごちそうになったものは全部食うのが人として最低の礼儀だからな、覚えとけよ」。いや、そんなん、知ってるし。第一、ボンボンちゃうねん、苦学生やねん。一部の人からボーリョク学生と言われるようなことはあるけど、基本苦学生やねん、といいたかったが腹がきつくて抗弁できなかった。そして、その内装のバイトは二度とお呼びがなかった。



嵐が待っている



嵐が待っている、と言っても別に松潤やニノが待っているわけではなく、台風19号が待っているのだ。先週末は、18号がゲッティング・クローサー・トゥ・マイ・ハートだったが、今週もまた台風来襲である。『今週来ても来襲とは、これ如何に?』などと、謎掛けしてもしょうがないが、秋のイベントは延期や中止が続いて、危うし観光宮崎である。

宮崎と言えば、元知事で元国会議員のゲーハー国原が、『今度の知事選には出ない、最終決断と捉えてもらってもいい』と言ったらしい。地元紙の一面に書いてあった。結構なことである。何回目かの新婚生活を楽しんでいればエイントチャウ?なまじ、地方の活性化をどげんかせんといかんなどと口走って、選挙に出られたら、いい迷惑だ。

そういえば、そのハゲ国原と同郷の元都城市長は、その後どうしているのか。サンデー毎日の買い占めとは無関係なのか。気になる。最近、やたら右翼の街宣車が通るが、どうも例の参拝産廃業者のネタをアピールしているらしい。僕は、朝の通勤中にすれ違うことが多いので何を言ってるか聞き取れないのだ。

もっとも、朝は気合いを入れて車に乗っているので、カーステからローザの「橋の下」や、村八の「あっ」等が、フルボリュームで流れている。したがって街宣車のスピーカーが何を叫んでいても聞こえない(笑)。昨日は、仕事でイラつく事があったので、久しぶりにクラッシュのファーストをぶっ通してかけて、一緒に歌っていたら、信号待ちの車からやたら視線を感じた。窓を閉め切っているつもりだったが、エアコンを切っていたので全開にしていたのだ。傍迷惑だったと思う。しかも、その時の曲は「ロンドンは燃えている」だったが、僕はアナーキーバージョンで歌っていた。隣が、街宣車じゃなくて良かった(笑)。

さて、これから激しい雨と風が始まるが、被害の無いことを期待するしかない。自然には、どうやっても勝てない。火山の噴火も台風の進路も、そして原発の事故処理もアンダーコントロールなんて出来ないんだよ、アベちゃん。





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貴方の波長をこちらに合わせて下さい

 発作的に始めた10月のノンストップ・エントリーだが、さすがに今日は欠席届を出してゲルニしようと思っていたが、こんな動画を見てしまったらやめられない・止まらないのエビセン体質なのだ。僕がこんな人生を送るようになった原因の、多分8割はこの人を知ってしまったためだ、などと言い訳したくなるくらい聴き狂ったパンタの、あの名曲、「マーラーズ・パーラー」を佐野市の、その名もマーラーズ・パーラーというミュージック・バーでのライブ動画。75年12月31日に解散した頭脳警察。そして、その翌年に発表されたパンタの初めてのソロ・アルバム。ビクターがフライング・ドッグ・レーベルとして出した最初のアルバムだった。ニニ・ロッソ風のトランペットから始まる「キャット・オン・ザ・トップ」すなわち「屋根の上の猫」。あのワン・ツー・スリー・フォーというカウントとバンドの怒涛の音、特にパンタックス・ホーンズの厚みのある音はカッコよかった。

 このアルバムはハードな曲とスローな曲のコンビネーションが実にいいのだが、3曲目の「三文役者」はチャーのギターもソリッドでいいし、B面2曲目(このあたりの表現がアナログだな~、でもLPレコードがすり減るまで聴いたんだから、誰にも文句は言わせない)の「ロックもどき」のフレーズもカッコよかった。「もどき」シリーズは次のアルバム、『走れ熱いなら』の「人間もどき」で完結する。お、パンタ、マグマ大使から曲のインスピレーションを得たかと驚いたが、「ニンゲンもどき」ではなく「(くたばりぞこないの)ヒトもどき」であった。そうそう、このアルバムには多分、パンタの初めてのブルース・ナンバー、「青い烏のブルース」も入っていた。そこでジャージーなギターを弾いていたのが、我らの塩次伸二、伸ちゃんである。その伸ちゃんも亡くなって、今年は七回忌になるなんて諸行無常だ。この時の伸ちゃんの関係からら、セカンド・アルバムのギターは山岸だった。アルバムタイトル曲でのパンタの「ヤマギシ~」って掛け声はイカしてたね。

 おっと、忘れていた。「明日天気になれ」という隠れた名曲も、このアルバムには入っている。「錆びついた思い出に輪投げをして遊んでた 柄じゃないけれど涙に声かけて いま少したったらどこかへ旅だとうと まるで当てのない明日は俺のもの」という歌詞は当時の19歳のオレの心に沁みこんだ。そうなんだよ、どんな悪ガキ、クソガキでも子供の頃があって、無邪気に輪投げなんかしていたころもあったんだよな。それが、どうしてこんなになってしまったのか、親の因果が子に報い、めぐるめぐるめぐる因果は糸車である。

 そしてアルバム最後の曲。この曲のイントロのハーモニカを聞いた瞬間、これは名曲に間違いないと確信した。分かり易いメロディーに難解な歌詞。そそくさ逃げたしたアイククってなんだよ、とか彼女は逆立ち千メガヘルツなんてちゃんと聞き取れなかった。そういえば、ピノキオ目当てのテロリストのところを血の気が目当てのテロリストと聞き間違えて、パンタにインタビューした時に確かめたら、こちらの気持ちを慮ってくれて、一瞬考えたポーズののち、「ちょっと違う」と言ってもらえたのは、僕の心の宝物である。まあ、へ理屈はいいか、この映像を見て一緒に歌える人と今日は時間を共有したい。タクミのギターも凄くいいな。



ダメなものはダメというほどではないが

 今日は、比較的頭痛がしなかったが、それでも朝起きて、仕事に向かう前にはパブロンのお世話になった。このパブロンという薬は風邪の引きはじめには、確かに効果があり、またちょっとした頭痛だったら治してしまう。結構重宝して使っているが、ドラッグストアで買ってきても、いつの間にか家族の誰かが飲んでしまい、買った本人が飲もうとしたら無くなっているということが、我が家では良くある。我が家は課長じゃなかった、家長であるワタクシがシホン主義体制を否定していて、原始共産制を貫徹しているので、人は「能力に応じて働き、欲望に応じて取る」というシステムである。ということはつまり、一生懸命、汗水たらして働いてきた僕の収入はあっという間に、さまざまな支払いに消えてしまうと同時に、薬にしても買い置きのカップ麺やおやつ(僕は昔から和菓子で言うとかりんとうとか、洋菓子で言うとラスクとか、乾燥しててサクサク食べられるものが好きなのだ。ちなみに沖縄ドーナツといわれるサーターアンダーギーも好きである。あれは、ドーナッツというよりカステラに近い感じがする。しかし、昔は一切甘いものを食べなかったのに、ここ最近、やたら甘いものを食べるようになったのは何故だ。)なども、いざ食べようとか飲もうとした時は、影も形もないことが頻繁にある。

 まあ、パブロンやバファリンは薬箱や引き出しのどこかに、飲み忘れたものがあったりするが、食べ物とお金はいかん。あれは、本当にすぐなくなる。週末にお酒を自宅で呑むのだが、呑んだ後に無性にカップ麺が食べたくなることがある。どん兵衛とか焼きそばではなく元祖カップヌードルだったり、カレーヌードルなんかが食べたくなるのだ。もう、いい年した大人なんだから、そんなもん食べなくてもほかに食べるものはたくさんあると思うが、どうしても食べたくなることがある。これは、酒の味を覚えた貧乏学生時代に身に付いた習性だと思うが、実際どうなのか良く分からん。まあ、自分で食べたいわけだから、家族に頼んで買ってきてもらうことなどなく、自分で近所のお店で買って、僕の非常食扉に入れておく。この非常食扉には、万が一のために様々なものが蓄えられている。まず、ウィスキー。当然、角瓶である。炭酸水数本。そして缶詰類。サバの水煮や味噌煮、タイカレー、イワシの缶詰といってもオイルサーディンなんて洒落たものじゃなく、昔から酒屋においてあるようなやつ。そこに、さまざまなカップ麺やパスタ、ビーフンなどがしまってある。麺類ばかりじゃないかというご指摘には、それのどこが悪いと開き直るしかない。

 その、「僕の非常食扉」は誰でも簡単に開けられるので、いつの間にか無くなっているものが多い。前の週に、扉を開いてカップヌードルカレーがあることをちゃんと確認していたはずなのに、いざ食べようとすると無くなっている。どうした、誰が食べたと声を出すと、家族から男のくせに器量がないとか細かいことを言うなと文句を言われる。悔しいので、次の週には2個買って扉の中に収納した。そして、今度こそと思ったら、やはり無くなっていた。その代わりにシーフードヌードルが2個入っていた。逆上して誰が食ったと叫んだら、配偶者とバカ娘Aが昼に食べたが、代わりのカップヌードルを買って入れたという。 バカヤロー、オレはシーフードヌードルは嫌いなんだよ。と、大声を上げて考えてしまった。僕は漁村の生まれで、肉より魚が好きな方だが、何故シーフードヌードルは嫌いなのか。味噌汁のダシはイリコと昆布、または鰹節しかないと思う人間がなぜにシーフードヌードルは嫌いなのか。要するに、麺類に魚介類が入るとアカンのである、したがって、ラーメンでも魚介類のスープはダメなのだ。あれはラーメンだと思えない。そういう体験を昔、保谷でアルバイトをしているときに経験した。詳細は2006年の6月15日付のエントリー、「蓼食う虫も好き好きってこのこと?」をどうぞ。と、昔のネタで本日はゲルニを決める。あ、リンク貼ってるから、お暇な方は読んでね。

ああ、これも全部風邪のせいにしておこうっと

 先週末に台風が通過して、こちらは被害らしい被害はなかったものの、それ以来一気に秋が来た感じがする。朝晩の空気も冷たくてすがすがしい。それはいいのだが、どうも朝夕の寒さと昼の暑さ、いわゆる寒暖の差が激しく体調がパッとしない。僕はWeather-Head、すなわち天気頭、こんな言葉は無いかもしれないが、その日の天気で頭痛がしたりしなかったりという厄介な持病がある。晴れていれば頭痛がせず、雨や曇りだと偏頭痛というわけでもなく、最近何となく分かってきたのは気圧の変化、低気圧がゲッティング・クローサーだとヘディクがハップンするみたいなのだ。わけのわからない片言使わず、ちゃんとポンニチの言葉で書けば、低気圧が近づくと頭痛がするわけだが、ここ1週間の傾向と対策を見ると、低気圧に関係なく頭が重い、特に、この2日ばかりは昼間から軽い頭痛がしてすっきりしない。昨日はバファリンでしのいだが、今日は朝・昼・晩とパブロンである。薬飲んだ時はいいけど、時間が少し経過するとまた頭が重くなって憂鬱である。

 今日は、先日書いたバイトの話、要するに初めてのアルバイトが1日どころか半日ももたず、挙句はバックレてしまったのだが、この際なのでdrac-obアルバイト・バックレ・ブギでも歌いながら、これまでのバックレたアルバイト、途中でゲルニしたバイトの話を書こうと思う。しかし、オレは何でもバックレるというか大学も6年行ってバックレたし、社会人になって通い始めた自動車学校も第二段階の途中でバックレたし、根気がないよな。すぐ投げ出すよな。でも、それはいいかえれば物事にこだわらない、粘着質ではない、南国人特有のあっさり、からっとした性格から来るんじゃないか。うん、このあたりはもう少し考えてみる価値はありそうだ。などと、なんとか頭痛をごまかそうとしたがうまくいかん。もしかしたら、マジで風邪の引きかけかもしれないので、今日はここでバックレる。ゲルニさせてもらう。しかし、昨日も21時には寝たんだよな。季節の変わり目はどうもいかん、虞や虞や汝を如何せん、とつぶやいても詮無い秋の夜である。ということで、パブロンとゲルニから連想した、ゲルニカを聴きながら本日は終わる。頭痛の成果、違った、頭痛の成果なんかあるかい、頭痛のせいか陳腐な発想しか出てこないな。



THE END OF THE SUMMER


先日の台風で、車のフロントガラスが汚れた。洗車機に入れようかと思ったが、とりあえずぬれ雑巾で拭けばいいと考えて、雑巾を片手にフロントガラスのワイパーを上げた。その時、何か茶色いものが目に入った。良く見ると油蝉だ。フロントガラスとボディの間に納まっていたのだ。妙なところで死んでいるなと、周囲を見ると、ワイパーに油蝉の足が何本か挟まっていた。

なるほど、台風でフロントガラスに叩きつけられたのではなく、風に吹き飛ばされた拍子に、ワイパーに足を取られ身動きできなかった訳か。夏もこれで完全に終わったな、とつぶやきながら車のエンジンをかけ家路へと急ぐ、人生の秋景色だった。

などと、今日はシラカバ派で決めたワタクシである。まさしく自然主義的リアリズム、ワタクシの普段のエントリーそのものである。





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初めてのアルバイト

 先日、学生時代に祇園のクラブでバイトしていた話を書いた。例によって中途半端というか、起承転結のない話で終わったので今回改めて話を続けようと考えた。しかし、考えているうちに、そういえば大学に入って最初にバイトしたのは修学院のラーメン屋だったことを思い出し、この際だから私の青春放浪記、苦学生とアルバイト、みたいなテーマで話を書くのもいいんじゃないか、うん、今の時代の満ち足りたガキどもに、もはや戦後ではないと言われた年に生まれ、何事にも熱中しないシラケ世代だとダンコンじゃなかったダンカイの連中から批判されてきた、オレたちの世代の凄味を見せつけてやろうじゃないか、え、ここはひとつやったろーじゃないの、何ビビってんだよ、おもしれーじゃねーのと狂い咲きサンダーロードの主人公の口調を真似たところで、迫力も何もないがとりあえず話を始めていこう。

 高校生の時はアルバイトは原則禁止だったし、親元から学校に通っていたのでわざわざアルバイトなどしなくても、一応、毎月小遣いを2,000円ずつもらっていた。70年代前半の2,000円というのは、どれくらいの価値があったかというとLPレコードが丁度1枚買えた。シングル盤だと5枚は買えた。要するに、シングルは1枚400円で、この場合はA面、B面の合わせて2曲を聴ける。ということは、シングル5枚買えば10曲音楽が聴ける。もっともアルバムだと10曲以上入っていることが多いので、これはもうばらばらのシングル買うよりLPレコードつまりアルバムで買ったほうがお得である。いやちょっと待て、4曲入り600円のミニアルバムもあった、などといい始めるときりがないのでやめる。要するに毎月1枚はニューアルバムを買うことはできるが、それを買ってしまうと部活の帰りに腹が減って辛抱たまらず食うラーメン大盛りもダメなら、暑い夏はこれが一番のミルク金時を掻き込むこともできなくなる。ではどうするか。答えは簡単である。金のなる木からいただくのである。要するに、親に参考書を買うからとか、今日は弁当よりパンがいいからなどと言って、ちょくちょくお金をもらいそれを当座の小遣いにしたり、貯めていって新しいレコード購入の原資にするのである。

 そんな高校生活を送りながら、大学に行けばアルバイトで小遣いを稼いでレコードを腐るほど買ってやると決めていた。アルバイトもいろいろあるが、やはり大学生のアルバイトと言えば家庭教師。時間給も高いし、食事が出ることも多いし、もしかして教える相手が美少女で、しかも資産家の家だったらそのまま転がり込んで立身出世、いやいや、オレは痩せても枯れてもそのようなブルジョワジー諸君の世話になどならないぞ。いつまでも君たちの時代だと思ったら大間違いだ(by ZK)、などとありもしない未来に対して激怒していたのだが、現実はそんなに甘くはない。京都という街にはいたるところ大学生がいて、石を投げたら大学生に当たるという場所である。家庭教師の需要はあったが、見事そのバイトにありつけるのは最低でも百万遍にある某国立一期校で、私学のましてや文系の阿保学生はお呼びでないという世界だった。というか、大学入ってすぐ、サークルにも入ったので、バイトを真面目に探すことはしてなかったのだ。

 そのワタクシが何故、修学院のラーメン屋のバイトに行ったか。しかも、今を時めく天天有ではなく、えーと、店の名前すら覚えていない叡電の修学院駅の近くにできたラーメン屋のバイトに行くことになったか、思い出そうとするがあんまりよく覚えていない。一つ確かなのは、天天有は当時は屋台のラーメン屋で夜でないと食べられなかった。アルバイトをしたラーメン屋は、こちらはちゃんとした店舗で営業していた。時期は春休みに入ったころ、つまり大学生活も1年が経過しようとしていたころだ。隣の九州人だけの下宿の仲間と昼飯を食べに、その新規オープンしたラーメン屋に行った。店に入って注文をして、何気なく壁を見たら「学生アルバイト募集」と張り紙がある。思わず声に出して読んだら、それを聞いた店主が「あ、お兄ちゃん、バイト探してるんか?うちはええぞ、午前中の11時から夕方6時までか、夕方の6時から夜中の1時までかのどっちか選べるし、時給も昼間が500円、夜は550円や。どや、やらへんか?」と声をかけてきた。

 大学の春休みは2月から4月の初めまで、ざっと2ケ月近くあるし、その時は田舎に帰省するより京都でバイトでもしながら、お金を貯めてレコードを買ったりジャズ喫茶めぐりをしたり、もしかしてイケメンのE副がナンパした女の子を紹介してもらえればデートの資金にもして、などと捕らぬ狸の皮算用ばかりしていたのだが、では実際にアルバイト探しをしていたかというと、学生課の掲示を見に行くこともせず、かといってアルバイトニュースなどを読んだりもせず、棚から牡丹餅を待っていたのだ。その、棚から大きな牡丹餅が落ちてくるはずだとぼんやり口を開けていた僕のところに、ほら飛び込んできた、バイトの情報。僕は夜行性の人間なのでバイトは昼間の部を、一緒に行った友人2人は夜の部のバイトに行くことになった。もっとも、昼間の部はそのお店で働くのだが、夜は同じ経営者がやっている別のお店で働くことになったので、実質誰も知り合いのいない、その店で翌日の11時からバイトすることになった。しかし、今考えてみても、面接もないし履歴書なども出した記憶もない、適当なバイト選考だったと思う。

 実は、その日はサークルのコンパで4回生を追い出す、いわゆる追いコンというやつがあった。一次会は祇園のかがり火だったか、上海だったか、すき焼きなどを食べて呑み、その後は例によって銀閣寺のサーカスでべろべろになるまで呑んで、僕の修学院の下宿にT原さん、Nさんが泊まりに来て時間はもう深夜零時をとっくに過ぎている。僕は翌日の、正確にいうとその日に初めてのバイトに行くわけだから、先輩お二人に対して明日はバイトだからもう寝ましょうというが、そこはそれ、酒癖の悪い九州出身者なので、「なーんば言うとか、きさんは。男が一晩くらい寝らんでも死ぬことはなか。バイト、バイト言いよるが、先輩とバイトとどっちが偉いか言うてみいや」と久留米弁のNさんに、「じゃっど、じゃっど、おはんな九州の人間じゃろが。バイトよりか先輩の付き合いが大事っち、西郷どん(せごどん、と発音してください)もいいよっど。あ、分かった、おはんな、大久保利通の仲間じゃろが、そげん人間はかごんまじゃ獄門、さらし首、磔の刑じゃっど」とこちらはT原さん。もう収拾がつきません。結局3時過ぎまで僕の下宿でレコードをかけて、酒を呑んで喚き散らす、まあ修羅場でした。

 しかし、それでもワタクシは初めてのアルバイトということで、気が張っていたせいか10時過ぎには目を覚まし、いぎたなく寝ている先輩二人を残して、バイト先のラーメン屋に行った。あ、そういえば、その時に簡単な履歴書みたいなものを書いて持っていったような記憶がある。店はまだ営業していなかったが、すでに大将と従業員が数名、厨房や客席でなにやら作業をしていた。「お、兄ちゃん来たか。ほな、ちょっと紹介する。こっちが何とか君、高校やめてこの商売やってるから君より年下やけど、仕事は先輩やで。ちゃんと挨拶して、彼から仕事は習ってな。そんで、こっちが何とかさん。お客さんの注文取ったり、ラーメン運んだりするお姉さんや、いや、元お姉さんや、ガハハハハハハ」。この挨拶を聞いて、僕はどうも場違いなところに来たような気がした。それでも、時給500円のために頑張るのだ。耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶのだ。

「えーと、それじゃあ何からやればいいですか」と厨房にいたニキビ面の先輩とやらに声をかけたら、彼はニタッと笑い、「な、今日、雄琴行かへんか?」と尋ねてきた。僕は全く知らなかったのだが、京都のラーメン業界では初対面の挨拶にソープランド、いや当時はまだルートコだったか、いわゆる特殊浴場にレッツゴーしませんかという挨拶をかわすのが常識だったらしい。最初僕は「オゴト」を「シゴト」と聞き間違えてしまい、「あ、いいですけど、今も仕事に来てるんですが」と頓珍漢なことを言ってしまった。ニキビ先輩は妙な顔をして、さらに「この前、行ったとこがごっつうええとこでな、今度、紹介したるわ、オレと行ったら絶対外れはないど」と妙なガッツポーズをする。返事に困った僕は、「えーと、何したらいいですか」と再度聞くと、今度はめんどくさそうに「ほんならスープ取ってこいや」と命令された。目で厨房の奥にある寸胴を指している。ガスバーナーが強烈な熱を発している寸胴を覗くと、鶏の足やトサカ、豚の足やネギの塊、どろどろになって原形をとどめていない肉や野菜が、沸騰したスープの中でぐるぐる回っている。その衝撃的な映像と匂いを嗅いだ瞬間、前日の酒が戻ってきた。ラーメンスープの入った寸胴にゲロが飛び込まなかったのは、ひとえに僕の精神力である。

 スープを取れと言われたものの、結構高い位置にある寸胴の中に柄杓みたいなものを入れて汲み、そのスープを網で漉すわけだが熱気と匂いで頭はくらくらする。寸胴の外周に柄杓を添わせて汲んでいたら、ニキビ先輩から怒鳴られた。「おい、そんなとこ取ったらアカン。真ん中のグルグル回ってるとこ汲まんかい」と、彼は言うが、その真ん中に柄杓入れると熱いのよ。オレは熱いのは嫌いなんだといいたかったが、なんとか汲みだしてスープは確保した。寸胴のところで悪戦苦闘していたら、名前を呼ばれた。今度はネギを切れという。呼ばれた方に行こうとした時に、寸胴の近くにあった一升瓶に体が当たった。あっと思った瞬間、ガシャーンと音がして床に黒い液体が飛び散り、あたり一面しょうゆ臭くなった。大将が笑顔でしかしながら、目は笑わずに「兄ちゃん、この店で一番高いもん壊してくれたな。今日はバイト代無いで」。

 それから昼のピーク時は地獄だった。生まれて初めて本格的なラーメンを作って(もっとも麺をゆでて切るのはニキビ先輩と大将だけだったが)、お客のところに持っていって、注文を聴いて厨房に大声で伝達して、ようやく落ち着いたときは午後3時近かった、初めてのバイトで汗と熱気と匂いにやられた僕は、大将に実は昨日はコンパがあり、先輩二人が自分の下宿で寝ている。僕が帰らないと鍵がないので出られず困っているはずなので、定時より早いが帰らせてもらえないかと頼んでみた。大将はあっさり「ええよ。今日は疲れたやろ、また明日頑張ってや」とあっさり解放してくれた。このバイトを決めるときに支払いは当日払いと聞いていたので、一升瓶を割った負い目はあるものの僕はおずおずと「バイト代」と小声で申し出てみた。「あ、なんやて?壊すもん壊して、はよ帰らせいうとるうえにバイト代てなんや」と、大将は今度は全く笑顔を見せず睨み付けてきた。「分かりました、今日はいりません」と僕は答えて、下宿に帰った。

 下宿に戻ると、先輩たちは布団の上で胡坐をかいてタバコを吸っていた。「お、どうした、早いな」とT原さん。「今、お前のバイト先にラーメン食いに行くかと言ってたとこだ」とNさん。僕は、二人に今日会ったことの一部始終を話した。オゴトの話は大受け、一升瓶を割った話も大受け、そしてバイト代を貰えなかったところは一番受けていた。そして、先輩二人の出した結論は、そのラーメン屋はヤクザがやっていて、お前はそんなところでバイトしているとシャブ漬けにされるとか、気が付いたらオゴトで呼び込みやらされているとか、いくらバイトしても1円ももらえないとかさんざん言われた。言われているうちに、僕もめんどくさくなって翌日のバイトはバックれた。つまり、生まれて初めてのバイトはわずか数時間で終わったのだ。うーむ、あのころからオレはこらえ性がなかったんだな。そして、次に経験したバイトは、あ、もう遅くなったのでまた次の機会に~。ちなみに1日でバックれたバイトはデパートの売り子ってのもあったことを思い出した。そういう意味ではイン京都のバイトは結構長く続いたな。あ、しまった、イン京都の話を書くはずだったのに(泣)。ということで、本日の音楽はラーメンには悲しい話が付いて回るということを歌ったクリムゾンのLAMENTを。



ムカゴとハイボール



ムカゴを零余子と漢字で書くと、なるほど、確かにあれは山芋のツルに出来るグリコのオマケみたいなものだが、野趣のあるあの独特な味が好きなのだ。しかしながら、山芋を掘る事はあっても実際に山芋掘りに行ったことは無い。あ、分かりにくいかな。南九州では、酔っ払ってクダを巻くことを『山芋を掘る』と言うのだ。

つまり、僕は酔っ払ってクダ巻くことは多々あっても、リアルに山芋を掘った事は無いのだ。それはさておき、台風も全然大丈夫だったので、ムカゴをツマミにハイボールを呑む、日曜の夜なのだ。シャララーラ、シャラララーラと和風パンクの歌を口にするのだ。





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嵐の来る前に

 特別理由は無いのだが、今月は初心に戻って毎日エントリーをアップしてみようと考えた。考えただけではダメで、実行しなくてはいけない。しかし、僕は平日はイベントがない限り、お酒を呑まないのだが週末は呑む。呑むと文章を考えるのはいいけど、タイピングが面倒になる。いや、それ以前に最近はすぐ眠くなる。寝てしまうのだ。寝ていたら、どんなに素晴らしいエントリーも相手の胸に響かないという聖パウロの言葉通り、どうにもならない。などと、アホなことを書くのは止めて簡潔に。

 先日、アップしたエントリーのコメント返しをしようとした時、あれと気が付いたことがあった。貼り付けていた動画が見られなくなっていたのだ。古いエントリーだとしょっちゅうある。要するにチョサッケンたらゆうもんをブイブイ言わせて商売しているシャイロックとかいう会社あたりがクレームつけて、素人が楽しんでる動画を削除するのだ。あるいはこれからプロモーションを強化しようとするミュージシャンのバック、ジャーマネとか風呂ダクションとかいう連中の仕業だ。もちろん、安易な動画のアップはミュージシャンに正当な収入をもたらさないので、ちょっと考えないといけない。それは分かるが、僕のアップしたのはピーター・バラカンの番組の音源だ。

 僕自身はピーター・バラカンはあまり好きじゃない。というか積極的に嫌いだ。理由は、RCのことを下品な歌詞を喚き散らすバンドという評価を(その後訂正したかどうかは知らないが)、どこかの雑誌に書いていて以来、嫌いなのだ。しかし、今回の番組降板はちょっと不愉快ではある。まさかYOU TUBEの動画がその件には関係ないと思うが、あんまりいい気持ちはしない。それと、今日は図書館で征韓論論争の本を読んできたが、まあ、我がポンニチは明治の初めから腐った連中が権力握っていたんだな、とつくづく考えてしまった。うーん、やはりまとまらんので、お酒を呑んでエントリーをアップするのはやめよう。颱風も近づいているし、今日はおとなしく寝るか。



な、生うりちゃんやー



 僕が、blogを始めた時に、お手本にしたのが黒木燐さん。博識で、パンクで時に切れて笑わせてくれるエントリーは、毎回楽しく読ませてもらっている。最近、フェイスブックばかりで、blogの更新が少ないのが惜しまれる。最も、元祖パンクバンドのストラングラーズの公認ファンサイトの管理人という仕事もしてるので、あまり無理は言えない。

 その燐さんから中山うりのライブに行ったとフェイスブックに投稿があった。そういえば、僕が落ち込んでいた時に、「中山うりちゃんを聴いて、まったりして」とYOU TUBEの動画のアドレスを送ってくれたのも燐さんだった。それまで、あまり聴いた事がなかった中山うりだか、一発で好きになり、アルバムもDVDも買った。

 その中山うりちゃんだが前作の『ホロホロ』が、あまりに素晴らしく愛聴していたせいで、新作が出たのは知っていたか、そのうち買おうと思うだけで、中々行動に移してなかった。しかし、結果オーライ。うりちゃんのサイン付きCDを頂けたのだ。これから、じっくり聴かせて貰い、今夜は月とラクダの夢を見るのだ。




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さひかぶいのライブ



ここのところ、大人しくしてたけど、本日は坂田明のライブ。バックにポールニールセンラブが入る。こりゃ、見らねばの娘で仕事もそこそこにライブハウスにダッシュ。イガッタ。





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