ある週末の出来事、リアリズムを徹底して追求しました

 買ったばかりのiPhoneをトイレに落とした。それだけならまだいいが、そのまま流してしまった。顛末はこうだ。その日、車の無料整備点検でディーラーのお店に来ていた。所要時間は30分くらいと聞いたので、そのまま待つことにした。サービスのコーヒーを飲みながら日本経済新聞を読み、我が国の行く末を憂慮していたら、下半身に異常を感じた。『猪木ピンチだ、馬場が出る』症候群である。この落ちは関西系の人しかわからないかもしれないが、説明する気力はないのでこのままいく。要するに自然が呼んでいるというか、大を催したわけだ。清潔でシャレオツなトイレの個室に入り、しばし黙想していたら胸ポケットのiPhoneが鳴り出した。取り出してみると知らない番号だったので、拒否にしてそのまま、黙想を続けた。ふと、もしかしたらディーラーの人が、車の点検が終わったことを僕に伝えようとしたのではないか、僕の座っていた席に来たが見当たらないので電話したのではないかと思い、急いでトイレを出ようとした。そのままの格好で出たら、下半身丸出しでボケ老人と間違われること必定なので、当然、ウォシュレット機能を使い一昔前に「おしりだって洗ってほしい」と戸川純がCMしていたな、いや一昔なんて話じゃなくもっと昔だったか、などと考える間もなくトイレのレバーを大にして、さてパンツをはこうとしていたその時に、どうした拍子か手が胸ポケットに当たり、そこに収まっていたiPhoneが飛び出した。

 世の中にはニュートンが発見したおかげで引力なるものがある。つまり、空気より重いものは下に落ちるという法則だ。胸ポケットから飛び出たiPhoneは、あっという間に便器の中にジャンプイントゥザワーター(ちなみにパープルのヒット曲は「スモーク・オン・ザー・ワーター」と最初は聞こえた)である。しかし「あっという間」という表現は実に臨場感あふれると痛感した。実際、僕はiPhoneがポケットから飛び出た瞬間、確かに「あっ」と声を上げてしまい、その声が消える前にiPhoneは僕の視界から姿を消した。火事場の馬鹿力という言葉があるが、人間とっさのときは思いもよらぬ行動に出るものである。僕は一瞬の躊躇もなく便器(他人が排泄したばかりだと、躊躇するが自分の排泄である。何が汚いものか頭で考えたが、心はそうじゃなかったようで、その後ずっと右手のにおいが気になってたまらなかった。まあ、それは後の話だ)の中に手を突っ込んだ。そして奥の水が吸い込まれていく穴に手を突っ込み、確かに一瞬だがiPhoneの一部に触った。しかし、必死でつかもうとしたそのiPhoneは無情にも水音とともに吸い込まれていった。そして、数秒間、僕は茫然と立ち尽くし、今、いったい何が起こったのか理解しようとした。胸ポケットに、その重さを誇示していたiPhoneは今はすでにない。便器には透明な水が少したまっているだけで、当然のことだがiPhoneの姿はない。はっと、我に返り、またもや便器の中に手を突っ込んだが、何度やっても何もつかむことはできない。ストーンズの「無情の世界」のメロディを無意識に口ずさんでいた。というのは、たった今思いついたネタだ。要するにウソである。



 このまま立ち尽くしていても事態は解決しないので、すぐにお店の人を呼んだ。最初は事務の女の子が来たが、僕が状況説明している途中ですぐに男性スタッフを呼びに行った。飛んできてくれたスタッフは「あとはこちらに任せてください。メカニックの担当が、お車の状況を聞きたいといってるので、そちらにどうぞ」と言った。気にはなったが、僕がそこにいても状況が改善されるはずもないので、白いつなぎを着たメカニックの担当者としばらく車の状態について話を聞き、問題はないのでこれから洗車してお返ししますという説明を聞いた。それから、読みかけだった日経を手に取って松尾芭蕉の弟子は15歳から酒を呑んでいたとか、島流しになった絵描きがいたとか、オウム真理教のあの事件は五島勉の『ノストラダムスの大予言』の影響だとか、いろいろな記事を読んだが。何一つ頭に入らない。とにかく異次元に消えたiPhoneは無事戻ってくるのか、そのことだけが気がかりだった。

 数分後、トイレから出てきた男性スタッフが「スイマセン。今全部探したけど、もうどこにもありませんでした。明日、水道屋さんに来てもらって奥を見てもらいますが、もしかしたら下水管を通って外に出たかもしれませんね」と絶望的な結論を持ってきた。「普通の携帯ですか、スマホですか」と尋ねられたので、力なく「iPhone」と答えたら、「あー、iPhoneは防水が効かないから、たぶん出てきてもダメでしょうね。僕も洗面所で落としたことがありますが、水道水の中に一瞬入っただけでアウトでした」と、さらに絶望的なことを言う。どうしよう、確か買い替えの時にソフバンの修理保証をキャンセルしアップルのやつにしたけど、あれは修理の保証だけで紛失の時は保険は何もなかったんじゃないか、という不安が頭をよぎる。ここで心配していても何も始まらないので、とにかく大急ぎでiPhoneを購入したショップに向かった。

 結論から言うと、モノがないとどうしようもない。モノが出てくればアップルの代理店に持参すると、たぶん新品交換してくれるが、なければ再度購入しか方法はないらしい。そして、ちょっと驚いたのはその間の代替え機は購入したショップでは無理で、アップルの代理店(地元のショッピングモールに入ってるのだが)の関連先のソフバンに店で相談しないと無理らしい。頭に来たので、iPhoneを止めてガラケーに戻すと口走ったところ、できなくはないがお金が余計かかるとかなんとか、もうさっぽ分かりません。しかし、一つだけ驚いたのは、物は試しと配偶者の携帯を借りて、自分のiPhoneに電話してみたら呼び出し音が鳴った。つまり、まだ僕のiPhoneは生きているのだ。どこか排水管の途中で引っ掛かって、水のかかってないところにあるのかもしれない。しかし、いずれにしても明日、ディーラーの連絡待ちだ。モノが出てくるか出てこないか、A Woman or A tiger?の心境である。と、このあたり、元英文科の意地を見せる本日の、世の中何が起こるかわからないの話である。はぁ~、モノが出てこなければまた借金だぜ、べいび~。それでも、今度の土曜日は大学の同じ学科の2年先輩であることを、つい最近知った大野えりのライブに行くので、そこで発散させるぞ。ちくしょー。ということで、今、僕宛に電話したりメールしても一切返事ができません。ご了承ください。しょうがないからコステロの歌でも聴くか(涙)。



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また会おうとフローデは言った、あるいは京都のおねいさんの話

 どーだ、これがカミングスーンってこった。分かったか、コノヤロー、などといったい誰に悪態をついているかというと、ほかでもない。自分自身だ。いや、昨日、FBに投稿した話のフルバージョンをアップするぜと予告したのだが、僕は根っからの、しかも誠実なパンタのファンなので、予告男、言うだけ番長、出る出るといって全然でない幻のアルバム、などという様々な評価を受けてきた師匠の弟子なので、エントリーも続きを書くといいながら未完のままにしているものが、どれだけあるか。最近では2年前の京都旅行の話をつづった「過去への旅路」もそうだし、60年代から70年代前半のヒットポップスを当時の歴史的背景を振り返りながら、時には辛辣に時には暖かくつづってきた「ヤングな僕のぽっぷす・なう」だとか、反戦反戦つってスタン・ハンセンを忘れるんじゃねーよという意味は全くなかった「フォークソング・クロニクル」とか、まだまだこんなもんじゃない。どんなもんだい、エヘン。などと威張ってもしょうがないが、しかし、人生はいろいろな出会いがあるから面白いという話を本日はアップするのだ。そうそう、拙blogには珍しく、きれいなおねいさんが2人も登場するので、正座してしっかり熟読するように、なんつって、誰もそんな読み方しねーよ、かんにんや、おっちゃん、キャインキャイン。

 それは高校時代の友人、S尾君から届いたメールがきっかけだった。「ライフタイムの北欧フリーは絶対見るべし♪会場で会おう!」という文面だった。シンプルな中にも力強いメッセージが込められているが、まさかこの男が高校時代は大のサイモン&ガーファンクルのファンで、同じサッカー部にいたO船君、通称、ボロ君といつも一緒に「サウンドオブサイレンス」や「明日に架ける橋」などを熱唱していたとは思えないだろう。しかし、人は進化するのだ。サッカーとS&Gしか興味のなかったS尾君も人生の挫折を経験し、そこで出会ったアンソニー・ブラクストンというかフリー・ジャズで音楽的嗜好が一気に変わり、今ではマスコミ関係の仕事をしている。そういえば、この前の山下洋輔のコンサートの司会もしていたし、去年は東京ジャズデイの司会を延々としていた。しかし、ああいう真面目な場で、昔の友人の声を聴くと緊張感というものが一気にメルティング。アイスブレイクどころの騒ぎじゃなく、おーい、焼酎一杯、オンザロックでと言いたくなる。

 それはさておき、くるみさんからZEK3のTシャツをライフタイムに送っているというメールももらっていたので、ちょうどいい。渡りにテツヤではなく、渡りに船だ。いっちょ、毎度の連れであるY尾君も誘って、たまにはパツヨロのフリージャズでも聴いて、心身を清めるかと思い、メールしたところ当日は取引先の接待で行けないが、Tシャツは買っておいてくれと頼まれた。僕は何年か前のライブでZEK3のTシャツは購入していたのだが、今回は10周年記念Tシャツというからには買わねばの娘だ。しかも、我らがZEK3、いよいよ今年の夏のフェニックスのジャズナイトに参戦する。ということは、ですよ。『ZEK3と勝手に連帯するノンセクトラジカル同盟南九州支部長』を自認するワタクシが、いっちょ組織せねばどうする。ジャズナイトの会場にZEK3の黒いTシャツを着て、人数はもちろん多いほうがいいが、こちらの力量というものがあるので、まあそれでも3人×6列ぐらいの密集した隊列を組み、先頭には負傷、ちがった、骨折したのは去年の話だ、不肖ワタクシが黒いZEK3の旗をかかげ、黒ヘルをかぶりホイッスルを吹きながら「田辺、粉砕、闘争勝利」のシュプレヒコールを上げながら、っていい加減妄想はやめよう。それでも気は心というではないか、一人でも多くのZEK3軍団を作ろうと、知人友人に声をかけてTシャツはいらんかと営業した結果、ロックバーのマスターがLを1枚。Y尾君がMを1枚、そしてなぜか当日ライブに来るはずのS尾君もMを1枚注文した。うーん、S尾君の体形からしてMは無理があると思うが奥方用なのか。あるいはこのMというのはシャツのサイズではなく、性癖のことなのか。Mの人が着るTシャツのデザインはどんなんだろう。Sは簡単にイメージがわく。くるみさんがレザースーツに身を固め鞭でピアノをしばきまくるという絵だ。Mは、Mは、そうか、くるみさんが振り回す鞭の先にタマヤさんと米木さんがのたうち回っている絵だ。と、またもや脳内妄想族が暴発しそうなのでやめる。

 で、一足飛びに当日だが、欠席予定だったY尾君も参戦できるようになり、よって購入するTシャツは自分の分とロックバー用と、おっと忘れちゃいけねー、おいらの彼女(配偶者じゃねーよ、ちょっと訳ありの彼女だぜ)の分の都合3枚でいいことになった。ライブは19時開場、19時半開演だったので、夕方の18時半にどこかで軽く飲み食いして開演時間に間に合うよう行くつもりだった。当日、待ち合わせ場所に向かって歩いていたら、Y尾君から電話が入り彼のほうが先に行くので、適当なお店を見つけてまた電話すると言ってくれた。その電話を切って歩き始めるとまたすぐ電話が鳴った。やはりY尾君からで、なんと宮崎の町のど真ん中で不発弾が見つかり、今警察が除去作業をしているらしい。せっかくだから写真にとってblogにアップしろとけしかける。まあ、ネタの提供はありがたいのだが、彼との付き合いが復活してから僕のblogの音楽話が少なくなり、アホバカ話が多くなったような気がする。せっかくなので、その作業現場によったら、若い国家権力が寄ってきて「ここは危険ですから迂回してください」という。「何、天下の往来を、我がポンニチの国民が、しかもちゃんと所得税も市民税もおさめて、さらには国民の3大義務を果たしている、このワタクシに迂回しろというのか、オレの人生は敗北続きだが、これまで一度も敵に背を向けたことはないぞ」、とまあ、若かった頃なら異議申し立てしたかもしれんが、最近とみに丸くなり、不良中年パンクも最近は人間が出来てきたので看板を返上せんといかんか、などと考えてしまう今日この頃であるから、「そーか、わかった、じゃ向こうの道を行く」と返事して迂回したが、作業現場からの距離はどっちにしても同じくらいで、いったい何を迂回させているのか良く分からなかった。

不発弾

 Y尾君の指定した店に入ると、まだ18時半すぎだというのに座敷は団体さんが何組かいて、かなり大きな声が上がっている。Y尾君はカウンターで生を飲んでいた。軽く挨拶して横に座ると、「不発弾も大騒ぎだが、K病院でノロウィルスがでたらしい」と最新のニュースを教えてくれた。「爆弾騒ぎにウィルス騒動か、こりゃ大変だ」と答えたら、「S尾は報道機関だから今日は来れないんじゃないか」という。まあ、もしそうだったら仕方ないよななどと適当に答え、暑かったので生ビールを注文し、ふと見ると紙袋が置いてある。何だと尋ねたら、寺久保エレナのCDのコピーだという。先日の宮崎国際ジャズデイで山下洋輔カルテットにゲスト参加した寺久保エレナのCDをY尾君と彼の同僚とそれぞれ1枚ずつ購入し、なんと彼女のサインはおろか山下洋輔のサインまでもらったと自慢げにいう。「わかった、今日のフリージャズの演奏が終わったら、草野さんに頼んで流してもらう」というと、いやそれはだめだろう、草野さんが認めるわけがないと、これはもう確実に間違いないので一緒に大笑いする。それでもY尾君はチャレンジャーで以前、買ったばっかりのスティーヴィー・レイ・ボーンのCDを客のいないライフタイムで流してもらったことがあるらしい。流し終わったCDを何も言わず返したらしいが、しかし、ライフタイムでジャズ以外の音楽が流れるってのは今まであったのだろうか。ちょっと気になった。まあ、世の中にはマイルスが来日した時に来たという有名ジャズ喫茶の「しあんくれーる」でポールのベストを流すという暴挙を行ったやつもいるから何とも言えん。って、オレのことだ(笑)。

 早い時間帯にしては結構混んでいた居酒屋を出て、料理もおいしかったし金額もそれほど高くはなかったので、今後ライフタイムのライブの前はここで腹ごしらえしようと決めて、さて、それからライフタイムに向けて歩いた。数分もしないうちに着いて、階段を上がると店内はほぼ満席だった。左側の一番奥にS尾君夫妻がいたのであいさつ。S尾夫人は西藤ヒロノブが好きだと聞いていたが、この手も聴くのかとちょっと意外。お店の入り口近くのテーブルに空いている席があったので、そこに座った。せっかくなので写真を撮ってFBにアップしようと思ったが、買ったばかりのiPhoneの使い方が良く分からない。やはり最近スマホに変えたS尾君に「アンドロイドとどっちにするか迷って、利便性を選んでiPhoneにしたけど、字が小さくてローガンには辛い」と話しかけたら、「じゃっとよ、じゃかい、オレはアンドロイドにしたつよ。字がこんめーと読み切れんどが」と、まあネイティブの宮崎弁、いや正確には国富弁で答えた。もう少しバカ話をしようと思ったが、何しろお客が多くて(ライフタイムにしては、って草野さんスイマセン)話もできない。開演時間は過ぎたが、それでもまだお客さんが来るので、草野さんが席の整理を始めた。僕の座っていた席を移動して3人が同じテーブルに座れるようにしてくれと言われたので、二つ返事で答えたら、「美人が前に座るからいいだろ」と草野さん。言われてみると3人組のうち2人はとてもきれいなおねいさんで1人はお子さんだった。昔からきれいなおねいさんは大好きなので全然不満はなかった。相手の方と視線があったので会釈をしたが、別段知り合いでもないので話しかけるようなことはしなかった。このあたり、九州の男はシャイなんだよね(笑)。

 本日、演奏する紅毛碧眼人が3人出てきた。良く考えてみたらバンド名もミュージシャンの名前も知らずに来ていたことに気が付いた。後で調べてみたらFrode Gjerstad Trioといって、サックスのフローデ・イェシュタがリーダー、ベースはヨン・ルーネ・ストレム、ドラムはポール・ニルセン・ラブ。定刻を少し過ぎて、ステージに3人が登場した。ガタイがでかいのでライフタイムのステージがとても窮屈そうだ。サックスとベースはほとんどくっついているといっても過言ではない状況。またドラムは立ち上がるたびに天井からつりさげてあるマイクに頭をぶつけていた。簡単に英語でメンバー紹介があり、演奏が始まった。強烈な音だ。サックスは間隙なく吹き続けるがブロウするという感じではなく叫ぶとか切り裂くという感じ。ベースは、これはコードとかスケールとか、そういうものはこの世には存在しないといいたくなるような、なんていえばいいのか、ギターのストロークみたいに弾きまくる。そして一番気に入ったのはドラム。ジャズト・イン・タイムという表現がまさにぴったりくる力で叩きまくるのではなく、柔軟な手首から振り落とされるスティックと、ああ、なんだあのスネアの低さは。まるでジミー・ペイジのギターの位置ではないか。そして、演奏が終わらない、止まらない。1曲目は20分以上、感覚的には30分近く演奏したのではないか。ちょっと記憶はあいまいだが、ファースト・セットは2曲で終わったと思う。



 いやー、良かった、カッコいい、カッケーなどと賞賛する単語しか出てこず、のども乾いていたのですぐに焼酎のロックを追加する。そして、このあたりの記憶はやや曖昧なのだが、目の前に座っていたおねいさんと何度か視線が合ううちに世間話が始まった。キーボードを演奏するという彼女はプログレが好きだという。プログレ、懐かしい響きだ。ヤサグレではなくてプログレッシブ・ロック略してプログレ。いやー、オジサンが高校生の頃は大人気だったよ、クリムゾンとか聴くの?ついこの間、『USA』をCDで買いなおしたけど「スターレス」とか凄まじい演奏しているよね、などと態度は完全に小娘にロックと教えるオジサンスタイルであった。メロトロンの音が好きでプログレを聴いてるといったが、しかし、どうか考えてもリアルタイムで聴いているはずはない。せっかくなのでプレミアータ・フォルネリア・マルコーネ、通称PFMを知ってるかと尋ねたら知らないという。パツヨロのプログレも良かど、イタリアだとPFMにル・オルメにフォルムラ3(トレ)、そうそう、オランダにもフォーカスっていいバンドいたんだよ、フォーカス知ってるだろ、何、知らない?「悪魔の呪文」とか流行ったんだよ、キーボードプレイヤーならぜひタイス・ファン・レアの演奏聴いたらいいよ。サウンド的にはのちのフュージョンに近いけど、音はロックなんだよ。そうそう。当時は西ドイツって言ってたドイツにもEL&Pのコピーバンドだけどいいメロディを作るトリアンヴィラートなんていたんだよ、とオジサンは遠い目をして延々と話していた。そのうちお子さんと一緒に来ていた、もう一人のおねいさんも会話に参加するようになり、実は一緒にバンドをしていてレゲエをやってるという。

 レゲエ、レゲエもおっちゃんだいすきやで~。何しろレガエと呼ばれていたころから聴いていたし、そうそう、79年には京都の円山の野音でジミー・クリフ見た、一緒に「ハーダー・ゼイ・カム」歌った、なんて話し始めたあたりから空気が変わった。レゲエが好きで、実はワタクシ恥ずかしながらパンク少年でした、そしてスカも大好きでスペシャルズ、ええな~、セレクターもいい、マッドネスは少しおバカだけどそれもいい。なんて話をしていたら突然目の前のおねいさんが「村八分」と口走った。もちろん僕は「村八、見ました。再結成した80年の京大西部講堂だったけど」と言った瞬間、二人のおねいさんの僕に対する視線は一気に熱いものに変わった(今、考えるとシーラカンスというか、ガラパゴス諸島の動物を見る目つきと言ったほうが正しいような気がしてきた。つまり歴史的遺物を見る視線だが、その時はお酒の影響もあり、ああ、オレ、今この瞬間注目されてると大きな錯誤をしていた、笑)。実は僕と最初に話していたおねいさんは90年まで京都に住んでいたという。僕は75年から80年まで住んでいたが、当然シンクロするはずはないが、なんとその後から出てくるバンド名や喫茶店の名前などは僕の学生時代のものとまったく同じだった。

 「あの、スペルマってバンド知ってます」と突然聞かれたときは僕のほうが目が点になった。今これを読んでいるあなたに聴きたい。見ず知らずの女性、しかも美人からいきなり「スペルマって知ってますか」って聞かれて平静でいられる奴いたら出てこい!!!オレのことわかるやついるけ~(by 村八分)である。当然、知ってます。元コンチネンタルキッズだったランコが作ったバンドでしょうが。コンチネンタルキッズっていうのは母体がSSっていう京都でも最古のパンクバンドで、ボーカルは今は坊主になってしまったけど、ギターのシノやんと高速ロックンロールを聴かせてくれたんだよね。「恋のテレフォンナンバー6700」もレパートリーだったけど、なんつっても「1-2-3-4」と早口でカウントしていきなり演奏が始まりいきなり終わる、ワンステージ30分くらいかな。などと話は尽きない。その昔、東京ロッカーズってカッコいいロックバンドの集団があって、フリクションとかリザードとかいたんだよね。そして京都を中心に関西No Waveってのがあって、そこで今を時めく芥川作家の町田率いるINUだとか、SSだとかウルトラ・ビデだとかいっぱいいたんだよ、って僕の懐古話は止まらない。

 村八分の話では80年の再結成のライブは当時の関西ロックシーンでベストと言われるメンバーが参加していたけど(キーボードは「だててんりゅう」の隣さんだった)、その時は期待感が大きすぎたせいもあって、あんまりいい印象は残ってなかった。ただその時の演奏がCDで発売になり、去年それを買って聴きなおしてみたら実によかったとか、79年に大学のイベントで元村八分の青木真一率いるスピードが演奏したけど、その時受付にいたらバドワイザー持ったフジオちゃんがチケット持ってないけど連れのバンドやから入ってええやろと言われ、ビビってしまった話などが受けたと思う。しかし、まさかこのライフタイムで、しかもフリージャズのライブに来て京都の音楽シーンの話が出来るとは思わなかったと感想を伝えたら、相手のおねいさんも同感だと言ってくれた。音楽シーンの話も興味深かったが、その昔、京都にあったジャズ喫茶の蝶類図鑑の話(あそこはホワイトのキープが1500円で、おつまみで一番安いのが野菜スティックだったから、それで3時間も4時間もねばったとか)、「二十歳の原点」をよんで「しあんくれーる」に行ったとか、銀閣寺のCBGB(僕のいたころはサーカス&サーカスというライブハウスで、僕たちのたまり場になっていた。岐阜のTHIS BOYさんもS戸君もバイトしていた。そうそう、のちにどんとと一緒にローザを結成する玉城もバイトしていたな。玉城ごめんな、あの時のピンボールの掛け金踏み倒して)だとか、いやどう見ても1回り以上年齢は離れているはずなのに、こんなに共通する話題の人と会えるとは思わなかった。思わず結婚してくださいと言いかけたが、残念ながら我がポンニチはイスラムの国ではないので法律上は配偶者は一人しか持てないことを思い出し、じっと我慢の子であった。

フリージャズ

 そして、また後半のフリージャズの演奏が始まったが、それはファーストセットをはるかに凌ぐ。強烈な演奏だった。始まったと思ったら、あっという間に終わっていた。客電がすぐについたのでアンコールなしかと思った。それでも粘り強く拍手をしていたら、意外とすぐにアンコールに応えてくれた。そして、それは本当にあっという間に終わった。そりゃそうだろ。あんな演奏をアンコールで20分も30分もやったら死んでしまう。ライブが終わり、ZEK3のTシャツも購入し、そして残念ながらおねいさん達ともセイ・グッドバイの時間が来た。その時、それまでほとんど会話に参加しなかったY尾君が突然、「お前のblogの名刺を渡したら」と言い出した。あいにく、blogの名刺など作ってはいない。すると京都のおねいさんがノートを出したので、そこにblog名とハンドルネームを書き、相手のお二人がFBをやっていることと京都のおねいさんはサイトを持っていることを確認して、お名前をノートに書いてもらった。帰ったらPCから連絡しますと伝えて。おかしかったのは最後におねいさん達から「お仕事は何をされているんですか」と聞かれ、ルンペン・プロレタリアートと答えたらわからなかったようで、僕はルンペンだと思われたようだ。まあ、ルンプロもルンペンも同じや(笑)。

ZEK3のTシャツ

 家に帰り、ネットで調べたら京都のおねいさんのサイトは立派なもので、これ一つで宮崎のライブ情報がすべてわかるものだった。何気に眺めていたら、なんと昨年の12月にミチロウが来ていたことに気が付いた。しかも、オーマイガー、オレの誕生日ではないか。家族から何ももらえなかったと拗ねてる暇があればライブに行くべきだったのだ。悔し~。

やっと出来た

しばらくエントリーしてなかったのは長年利用してきたガラケーを放逐し、スマホに変えて、 そこまでは良かったが今度はスマホからエントリーをアップするには、どうしたらいいかわからんといアナーキー世代じゃなかったアナログ世代の悲しい佐賀県だった。本日、やっとあぶれじゃなかったアプリを入れてみました。しかし、キーボードが小さいので、 しんどいです。終わり、って、小学生か、オレは(笑)。

結局、2組の音楽話だからダブルヘッダーで間違いないのだ

 最近ちっとも音楽話がないと鋭いご指摘を受けたので、本日はなんとダブルヘッダー。地元の春の二大イベント、ストリート音楽祭と宮崎国際ジャズデイについて書いていきたい。70年代風にいうと総括ってやつか、いやいや、そんなたいそうなもんじゃないが。4月29日、拙blogの開設記念日は実は「みやざきストリート音楽祭」の開催日と同じなのだ。この音楽祭に参加するようになったのは、とここまで書いて記憶に自信がなくなり拙blogで調べてみたら、ト音楽祭を見に行ったのは、なんと2008年、今から6年前、って、それはいいけど、その頃は5月の連休最終日に行われていたことが分かった。いや、何事も確かめてみることは大事だな、などと反省。その時のエントリーを読み直すと、宮崎市のメインストリートを歩行者天国にして、あちこちに特設ステージを作り、クラシックからジャズからロック、フォーク、ブラスバンドなど、アマチュアからプロまでいろいろな人たちが出ていたんだとつくづく思った。そして、この2008年にトシ永井のバンドのゲスト・プレイヤーで豪快にサックスを吹いていた宮里陽太を見て以来、ファンになったのだ。と、昔話を書いていくときりがないので、まずはストリート音楽祭の話をしていこう、って何回仕切り直ししてるのや、おっちゃん、かんにんや、キャインキャインと、ひさかたぶりの殿山節。

 こういうことを書いてしまうとあれだが、あれってなんだよ。あれはあれであって、これではない。花札で場に配る札は誰のものでもない。またわけのわからんことを書いてしまったが、要するに、ここのところだんだんストリート音楽祭に登場するミュージシャンが、必ず見たいっていうミュージシャンが少なくなってきているんだよね。これは当方の感受性の劣化が原因とも考えられるが、イベント全体にかける予算が大分削減されているのではないかと僕はにらんでいる。それでも、昨年は全く予備知識がなかったが見て一発でファンになった「勝手にしやがれ」(しかし、何度見ても凄いバンド名だな)と、清志郎にささげる歌を歌い演奏しまくった三宅伸治という素晴らしいライブを見ることができた。さて今年は、とプログラムを見ると三宅伸治が連続で登場というのが、まずうれしい。パチパチ。で、あとは、と見ていくと、どうも良くわからない。ギターの小沼ようすけの演奏は聴いてみたいと思うが、そのほかは、うーん。いやいや、そういう先入観はあかんぞ、年に一度のストリートの音楽祭だ。田舎とはいえ、県庁所在地のメインストリートを半日ホコ天にしてやるイベントだ。行ってみれば掘り出し物が出てくるだろう。

 まあ、そんな感じでいたので昨年ほどは積極的に一緒に見に行く仲間も誘わず、かといってひとりってのもつまらないので、去年一緒に行ってくれたおねいさんにメールしたら、今年は予定があるとあっさり断られた。しかし、その昔、営業マン時代は新規開拓の鬼と言われた僕である。当然、第二、第三のおねいさんは準備していたのだが、そちらもまあ行かないことはないけど、何も一緒に見に行く必然性はどこにアルマゲドンと言われると身もふたもない。ええわい、音楽聴くのに女子供は邪魔じゃ。いつもの相方のY尾君がいるだろうと当日になって電話したら、これがでんわ。え、そりゃちょっとまずいだろうと焦りかけていたが、ふと、大学の先輩のA水さんにもこのイベントのメールをしていたことを思い出した。返事は、面白そうなので見てみるって書いてあったので、大急ぎで電話。こっちは出た。いや出ていただいた。そして、三宅伸治のステージが始まる16時前に合流しましょうとアポが取れた。その後、Y尾君も連絡が付いたが、やはり用事があってどんなに早くても17時くらいになるとのことだった。まあ、その時間だったら小沼ようすけのステージが見られるからと返事はしておいた。

 16時に始まるステージだが、その前に会場全体の下見をしようと思い15時には家を出た。毎年、ストリート音楽祭の始まる前は花火が上がったり、小中学生の吹奏楽部がファンファーレを鳴らしたり、或る年は自衛隊のジェット機がオープニングセレモニーに出てきて物議をかもしたこともあったが、今年は実に静かな感じ。それでも市役所前の交差点まで来ると、車両進入禁止のための横付けされた警察車両の後ろから金管楽器の音色がした。三宅のステージは県庁の楠並木前の特設ステージで、昨年は「勝手にしやがれ」が演奏したところだ。そのステージ近くまで来たら、耳になじみのある音が流れていた。あれ、JABBERLOOPじゃないか、今年はプログラムに出てなかったはずだがと思いつつ、ステージを見ると間違いなくJABBERLOOP。そういえばプログラムに登場するミュージシャンに変更があるかもしれないとあったから、急遽出演が決まったんだろうかなどと考えつつ、その場を通過した。

 県庁から少し歩くと、道路の中央に仮設テントの売店が並んでいた。マッサージやアロマなど美容系の出店や化粧品、小物、自然食品を売る店などさまざまである。霧島酒造ののぼりのテントも、もちろん出ていた。この音楽祭名物の100円で有名焼酎が飲める出店である。いつもならロックの焼酎をすぐ頼むのだが、そこはそれ、ワタクシも分別のある年にもなり、人間も出来てきたので、昼間から大通りで酒を飲むのはいかがなものかという考えが浮かんだ。四十にして惑わず、である。もっともとっくの昔にロールオーバー40’Sではあるが。そこから子供たちの吹奏楽のステージの横をすり抜け、デパートの前にある一番大きなステージまで来た。ここは本来の宮崎国際音楽祭に出演するクラッシックの演奏者たちのステージだった。見ると、二人で一つのマリンバを叩くという指示の曲を演奏していた。今流行のシェアというやつだろうか。しかし、シェアなどと横文字使わなくても共有でいいじゃないか。あるいは共産でもいいじゃないか。無政府共産なんて今時流行らないのは百も承知だが、シェアなどという曖昧な言葉で人間関係を誤魔化すのはいかがなものか。これは国家権力による耳触りのいい言葉による洗脳ではないか、などと黙考する。まあ黙考などと言う慣れないことは長くは続かなかったが…。

 いつもはここからUターンして、もと来た道に戻るのだが、今回はさらにデパートの通路にある小さいステージにも行って見た。地元の大学のモダンジャズ研究会の演奏をのぞいてみようと思ったのだ。しかし、残念ながらそのステージは終了していた。そこからさらに道路を渡って、シンガーソングライターのブースに行こうかと思ったが、今日の気分はロックンロールなので、県庁前のステージに向かった。途中、やはりというか、なんというか、焼酎のロックを購入。大通りのど真ん中を飲みながら歩く。いい気分である、先ほどの黙考などどこ吹く風。不惑どころか大惑である。三宅の演奏が始まる20分前にはステージに着いたが結構ステージの前のほうは人が一杯である。A水さんに電話したら、今から家を出るという。こりゃ今のうちに場所を確保せんとまずいと思い、手近なパイプいすを2つゲット。飲みながらステージが始まるのを待つ。

 去年の三宅のステージは屋根付きのところで、登場するや否や「明日なき世界」を歌い始めた。聴いた瞬間、涙・ナミダである、キヨシローが所属するレコード会社からダメ出しされながらもリリースを貫徹した名盤『カバーズ』の1曲目だ。気がついたら一緒に大声で歌ってた。「そりゃデモするだけで平和が来るなんて、甘い夢など見ちゃいねーさ」という個所は特に力が入る。しかし、「お前は殺しが出来る年齢、でも選挙権もまだもたされちゃいねー」って箇所は、アベのタワケが今国会で18歳に選挙権を持たせよう、憲法改「正」の先兵にしようと虎視眈眈と狙っている。バカが権力持つとややこしい。そのバカを誰もバカと指摘できない世の中がバカみたいだ。しかし、この年の三宅は途中「デイドリームビリーバー」を挟み、「雨上がり」をやり最後は「ジャンプ」で締めるというようにキヨシローに捧げる歌が多かった。もう少し、本人のオリジナルをやればいいのにという小さな不満の残るライブだった。さて、今年はどうなるだろう、などと考えているうちに時間が来てMCのおねいさんが三宅のプロフィールを紹介し始めた。しかし情報をWikipediaだけに頼っていたようで宮崎県出身というのは分かっているが宮崎市なのかそれ以外の市郡出身なのか分からないなどと事前のリサーチ不足にやや不安を感じていたら、モロやってくれました。「そんな。三宅裕司さんです、あ、ごめんなさい。三宅伸治さんです。なんで裕司さんやねん、私すごく緊張してて」などと凡そ人前で話をする人間が言う言い訳じゃないし、第一、オレはスーパー・エキセントリック・シアターを見に来たわけじゃない。いや、それはそれで楽しいだろうが今日はロックンロールのライブに来たのだ。

 ステージに出てきた三宅は何事もなかったかのように、「三宅伸治です」と自己紹介し、客席大受け。歌はスローなブギから始まった。手拍子とコーラスを催促し、客がステージに一緒に参加できる雰囲気を一発で作り、アドリブの歌詞を入れて盛り上げる。1曲目が終わると「宮崎西中出身、南高卒業。今日は先輩、後輩の方が多く、いや、後輩の方が圧倒的に多いか」とまたもや笑わせる。そして三宅伸治バンドのアルバムが6月に出るという告知のあと、その中から最新曲を披露。間奏がちょっとオーティスの「ドック・オブ・ザ・ベイ」っぽい。どうやら今年は本人のオリジナルで勝負するようだ。3曲目は地元宮崎を一躍有名にした曲と同じタイトルで、本人が19歳の時に早く宮崎を出て都会で暮らしたいと思いながら作った歌、「フェニックス・ハネムーン」をハーモニカとギターで歌う。そういえば、去年もこの曲は歌っていたな。その後、マイウーの石ちゃんと一緒に宮崎親善大使を河野知事から任命されたという話になり、石ちゃんは笑っていいともで宮崎牛が最高とPRしてくれたが、自分は宮崎弁の歌を全国で歌うくらいしかできないとの前振り後、宮崎の男の事を歌った歌だと紹介して歌いだしたのが「新・フェニックスマン」。これも昨年聴いたが、スペシャルズの「モンキーマン」の替え歌である。そうそう、この演奏が始まる直前に自転車でやってきたA水先輩と合流できた。



 ♪なんしよっとや、そうやっちゃけどね、なかなかそうもいかんちゃが、うんにゃうんにゃそんなことはねっちゃけど、ひんだりーつよ~などと宮崎弁独特のねちゃねちゃした言い方がスカのリズムに乗せられて歌われる。と書いてしまったが、スペシャルズのオリジナルはスカだが三宅はC&W調にアレンジしてギターを聴かせる。歌詞の中に「いーじ、いーじ、それでいーじ」というフレーズが出るのだが、英訳すると”Easy, easy. It’s easy”という意味、ではないがニュアンスは近い。うーむ、宮崎弁は実は英語に近いという話を高校生の時聴いたがあながちウソではないかもしれん。たとえば、今は宮崎市に合併されているが佐土原町というところでは男の子のことを「ぼい」というし、クモの巣のことを「えばこぶ」というと聞いた。もちろん前者は”boy”で後者は”web cob”であり。実はここだけの話だが、キリストも宮崎出身だったという説もある。などと書くといよいよアブナイ奴だと思われるので止める。

 明るい歌の後は、ボトルネックギターで渋いブルースをじっくり聴かせる。そして、ハーモニカホルダーを装着し、タイマースの歌を歌うという。「土木作業員のブルース」かと期待したが、そこはやはりみんなで一緒に歌える歌ということで、ご存じ「デイ・ドリームビリーバー」。サビのところは声を出さず、客に歌うように仕向ける。ステージと客席が一体となった感じである。しかし、すっかりタイマースの曲というかセブンイレブンのCM曲としてのイメージが定着したが、オリジナルのモンキーズを知ってる世代は何人見に来ているのか。まあ、少なくとも僕とA水先輩はテレビでモンキーズを見ていたけどな(苦笑)。ここまでで、予定されていた時間の半分は過ぎていたと思う。「それでは合同演奏の時間がやってきました」と言って、本日のスペシャルゲストを呼んだ。やはり、地元宮崎は高千穂町出身のトランぺッターのいるJABBERLOOPだった。イベントのプログラムにスペシャルゲストありと書いてあったので、てっきり石ちゃんのボーカルが聴けるかと思ったが、そっちで来たかとこれは僕の勝手な独り言。これまではセミアコかアコギで歌ってきたが、これからはホーンセクションの入ったバンドサウンドが聴けるわけだ。



 しかし、メンバー紹介の時に知ってるのはトランペットのMAKOTOだけで、あとのメンバーはWikiで調べたというのは洒落が効いていて良かった。もっとも、本日ぶっつけ本番で演奏するというからどうなるか、ちょっと心配だったが、それは全然ノープロブレム。アンサンブルもしっかり決まったいい演奏だったと思う。バンドと一緒にやった演奏の1曲目はソウルナンバーの「ダンス天国」ならぬ「宮崎天国」。日南海岸、青島、平和台、都農ワイナリー、都井岬、チキン南蛮、冷汁うめーじ、などと地元のキーワードが羅列され、それらがホーンセクション交じりのバンドサウンドで飛び回る。「ダンス天国」の勢いのまま、名曲「雨上がりの夜空に」が演奏される。去年はギター一本の演奏だったが、今年はバンドでの演奏だ。先ほどの演奏で盛り上がっていた客も、一気にヒートアップして僕たちも立ち上がらないとステージが見られない状況だ。そして「ロックンロールやります」の叫び声の元、歌い始めたのは「ロール・オーバー・ベートーベン」。間奏の途中からギターを弾きながら客席に乱入する三宅。この時とばかりに接近するお客さんたち。あれ、あそこにいるのは我らが県知事ではないか。ニコニコ笑顔で三宅のギターソロを見て、写真を撮っている。客席の最後部まで来て、ステージを遠くからしか見られない客のためにギターを弾きまくる三宅伸治の姿はカッコよかった。

県知事と三宅_convert_20140506170015

 圧倒的なアンチベートーベンの演奏が終わり、ラストナンバーは三宅のソロアルバム『つづく』のラストナンバー、「たたえる歌」である。アルバムにはDVDがついていて、この曲に参加したミュージシャンたちの歌うシーンがおさめられている。なんと最初のボーカルは憂歌団の木村だ。海坊主みたいな赤ら顔の木村が熱唱し、それに続く豪華ミュージシャンたち。友部正人、チャボ、ヒロト、Leyona、そしてもちろん清志郎も参加している。CDに付いてるDVDにその演奏シーンが録画されていて、その瞬間瞬間もいいのだが、演奏が終わった後に突然清志郎が出てきて、ちょっとはにかみながら三宅に誕生日おめでとうのメッセージを送るが、その個所は何度見ても涙が出てくる。頭の中でDVDの各シーンを連想しながら一緒に歌っているうちにステージは終了した。今回、一番聴きたかった「たたえる歌」を一緒に歌えて実にコーフンした状態で、次の小沼ようすけのステージに向かった。A水先輩は自転車で来ていたので、先にステージに行ってるといわれ別れたが、そうこうしているうちにY尾君から電話が入り、今現地に着いたという。場所を確認して合流し、まずは焼酎のロックで乾杯。飲みながら小沼ようすけのステージに向かったが、まだ前の演奏が終わってなかった。脇の道路で演奏が終わるのを待ち、お客さんが出ていくのと入れ替わりに前の席を取ろうとしたが、動きが少ない。やばい、とにかく最前線の席を確保するのだとダッシュし、前から2列目になんとか2人分の席を確保した。周りはロールオーバー60’Sの男女の団体がいて席を占めている。3列目に1つ空席を見つけ、そこを押さえてA水先輩に提供。こういう気配りは大事なんだよ。聞いてるか、I橋!

 近くのコンビニにビールを買いに行くY尾君に、3人分のビールを頼み演奏が始まる前の雰囲気を楽しんだ。先ほどの団体の人たちはどうも小沼ようすけの追っかけみたいで、この前見たライブはどうだったとか、あ、あのジャンベ持ってるのは小沼の弟よ、何言ってんのよ、そんなのここにいる私たちはみんな知ってるわよ、とか、まあそういう話をしていた。さりげなくその団体の人たちを眺めると、みなさん身なりも立派、話し方も上品な、いわゆるエスタブリッシュメントの方々だと思われる。世代的にはダンカイに間違いない。ということは、オレとは不倶戴天の敵である。おおかた車はプリウスに乗って、普段は「クラッシック(発声は鼻にかけてスタッカートで言うに決まってる)音楽」が趣味で、時々ちょっと反体制めいた発言をするが竜頭蛇尾というか長いものには巻かれろ、お上に抵抗いたしませんという根性が染みついている連中に間違いない。そんなお前らに宮崎の地を荒らされてたまるか、お前がリーダーか、この野郎革命家の鉄槌を受けてみろ、と頭の中でゲバをかけたが、そこはそれ、最近人間が丸くなったワタクシ、じっと我慢の子であった。そういうダンカイ・プチ・ブルジョワジー諸君が追っかけをする小沼ようすけとはどんなミュージシャンだと目を開いてステージを凝視した。ギターを片手に現れた小沼ようすけはイケメンだった。こりゃ、60過ぎても追っかけをするのもわからないでもない。簡単なあいさつの後、ソロで1曲演奏。夕暮れが近づいた南国の空に静かな音色がしみこんでいく。Y尾君が買ってきたビールのロング缶を飲みながら、ときどきつまみの黒ゴマ入り裂きイカをくちゃくちゃやりながら聴いていると極楽だった。



 途中から先ほどダンカイオババ達が話題にしていた、小沼ようすけの弟ともう一人ジャンベをたたくメンバーが加わり、音に幅が広がった。ぼんやり聴いていたら、あっという間にラストナンバー。なんとクラプトンの”Change the world”を演奏し始めた。意外な選曲に驚きながらも、それはそれでいい選曲だと納得しているうちに3人の演奏は終了した。そして、今年の夏のジャズナイトに青木カレンをスペシャルゲストに迎えてカルテットで参加するというMCがあった。今年のジャズナイトはZEK3の黒のTシャツを着て、旗を作りついでに黒いヘルメット着用で参戦が決定しているので(旗とメットは冗談、マジで取らないでね)、こりゃ楽しみが一つ増えた、などとY尾君やA水さんと話して今年のストリート音楽祭は終わった。帰り道に地鶏のモモ焼きが1本200円で売っていて、もちろん即購入し自宅で反省会を開いたのは言うまでもない。

 えーと、ダブルヘッダーの予定でしたが、結構ここまで書いて疲れたので、翌日の山下洋輔のコンサート話は次回ということで、スマン。

掘った芋いじるな



連休最終日に行ったショッピングモールのトイレの注意書き。書いた人の怒りが伝わってくる。しかし午後16時って何時頃だろうか。

さらに、それまで過去形で書いていた文章が、なぜに最終だけ現在形か、そこまではらわたが煮え繰り返っていたのか。

あれからもう5年

 テレビで5年前に亡くなったバンドマンの番組をやっていた。あれから、5年。もし彼が生きていたら、どんな歌を歌ってただろう。どんな音楽をやっていただろう。という質問に、バンドマンの唯一無二の友達が、そういうことはもう考えないようにした。彼は58年の人生を全力で生きたんだと思うようにした、していると答えた目にはうっすらと涙が浮かんでいた。まだ悲しみは癒えないんだ。それは彼の音楽のファンだった僕も同じだ。でも彼の一番弟子の歌を数日前に聴けたことが、ちょっとだけ慰めになった。キヨシロー、そっちの世界はどうだい。こっちは相変わらず豚どもがこの国をいいようにしてるが、まだ負けちゃいないし、負けるわけにはいかないんだ。だから、キミの世界にはまだ行けないけど、いつか必ず行くことだけは約束する。5年目の5月2日か。



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