春に誘われたわけじゃないが



3月も最後の日曜日。車で堀切峠まで走る。BGMは神崎オンザロードのオープンマイロード。風が少し強いが、陽射しも強烈だ。さて、これからどうしようとタバコに火をつけた、というのはウソピョーン。タバコはもう十年以上吸っていない。おかげでデブりつつあるが、それがどうした男じゃないか。



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リメンバー3.11と声高に叫ぶのもいいけど

 Facebookでパンタのウォールを見ていたら、「福島の女子高生と一緒に踊ってもらえませんか」と誘われ軽く返事をした結果が動画になっていた。いやはや、パンタがフォーチュンクッキー踊るのかよ、と驚きつつ見てみると、なんと、パンタだけでなく漫画家の浦沢直樹、アナーキーの藤沼伸一、最近やくざ映画でしか見かけない白竜(歌えよ、もっと)、鮎川とシーナの夫妻、人間椅子(!!)、なんと御大ユーヤさんも楽しそうに登場している。そしてエンディング近くで笑顔でハートマーク作っているのは、あのミチロウだ(笑)。こういう支援の仕方はいいなと久しぶりホッコリした気持ちになった。パンタの投稿の最後は『とにかく、四の五の言わずにみんなが元気に笑顔を取り戻してくれればそれで良し♪』という言葉で締められていた。異議ナシ、パチパチ。

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さらば、人間風車

 仕事帰りに携帯でニュースをチェックしていたら、訃報が出ていた。毎日新聞の記事から引用する。

<プロレス>「人間風車」ビル・ロビンソンさんが死去

毎日新聞 3月4日(火)18時54分配信

 「人間風車」の異名で知られ、日本でも人気があった往年の名プロレスラー、ビル・ロビンソンさんが3日、米国アーカンソー州で死去した。新日本プロレスが発表した。75歳だった。

 ロビンソンさんは1938年、英国生まれ。68年に国際プロレスに招かれて来日し、ニックネームの由来となったダブルアームスープレックスやワンハンドバックブリーカーなど、多彩な技で「善玉」として人気となり、それまで「悪役」が主だった外国人プロレスラーの役割を変えた。

 70年代中盤からは、新日本プロレスや全日本プロレスに活動の場を移し、アントニオ猪木さんやジャイアント馬場さん、ジャンボ鶴田さんとも戦いを繰り広げた。

 引退後の99年から約10年にわたって東京・高円寺に住み、若手レスラーの指導に当たった。


 国際プロレスに登場してきたときはカッコ良かった。イギリス人だから当然外国勢なのに、いつの間にかサンダー杉山やグレート草津とタッグを組んで日本人チームになっていた。当時、まだ小学生だったワタクシは父親に、何故外国人のビルが日本人チームに入っているか質問したところ、「外人は反則ばっかりするから、紳士の国のイギリス人、ビル・ロビンソンが腹をかいて(「立腹して」という意味の方言)、日本人の仲間になったっちゃが」と明快に答えてくれた。そうか、外人はブラッシーとかボボ・ブラジルみたいな反則する奴ばかりだから、正義の人のビル・ロビンソンは日本人チームに参加したのか、スゴイ、流石、英吉利の薔薇、じゃなかったイギリスのジェントルマンと拍手したものだった。人間風車ばかりが注目されるが、僕は相手に首を捕まえられた危機的状況を一気に逆転するワンハンド・バックブリーカーという技が好きだった。

 後年、ワンショルダーのレスリング着を着てヒールになったロビンソンを見たときは悲しかった。体はぶよぶよになっていたから、それを隠す意味でそういうコスチュームにしたんだろう。かみつきをするビルの目はなんだか悲しそうだった。もちろんプロレスにはギミックが必要だし、所詮アングルだよ、みたいなちょっと通ぶったことも言える年になっていたが、コンバットのサンダース軍曹が悪役として映画に出るような感じで何とも言えない気分だった。しかし、家族で国際プロレスを見て、ビルの入った日本人チームを応援していた時代は平和だった。その国際プロレスもとうに無くなり、今はテレビでプロレスを見ることも無くなった。プロレスを見ながら安いウィスキーを飲み、熱くロックを語った時代も遠くに行ってしまった。合掌。

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Author:drac ob
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