骨折なう(11月1日訂正、追記あり)



昨夜、アスファルト敷きの駐車場で車止めに気がつかず点灯転倒。柔道一直線世代なので、とっさに前受け身を取り、おかげで顔面や腹部へのダメージは皆無だが、右手首と左肩にかなりの痛みあり。湿布して一晩様子を見たが、痛みは引かず。今日は仕事を休んで病院で診てもらったところ、左肩骨折で全治一ヶ月とのこと。

三角巾で左手を吊り、カバーで固定。勝手は悪いし痛みは引かない。何の因果でこんな目に遭うのか。我が身の不幸を歎く。そういえばその昔、デモ隊に乱入してきた右翼学生に怒りの鉄槌を振り落とし、その結果やはり一か月ほど右手を三角巾で吊っていたボーリョク学生がいた。彼がサークルの雑記帳に「かきたい」とミミズの這ったような文字で残したコメントが忘れられない。「え、書いてますやん」というのは、当時の女性部員だけだった、ってこんなときまでシーモネータかい!!!
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実録レポート「トトロの森の小さな音楽会」 その1

 とても素晴らしいコンサートだった。いや、主催者の言葉を借りると「小さな音楽会」だった。音楽は、それを演奏する人たちと受け手として聴く人たちだけで構成されるのではなく、その場の醸し出す空気、言葉通りの意味としての空気、風、光などの自然、そして目には見えないが音楽の場の周囲に確実にある精神的な存在、それらが混然一体となって出来上がった、僕の友人の言葉を借りると『国富町始まって以来のハイソなコンサート』だったと思う。まあ、最後の言葉は国富町に対してやや失礼ではないかと僕は抗議したのだが、国富町は本庄出身の男が自信を持って言い切ったので、それはそれでいいかと(笑)。

 もちろんこれは先だっての日曜日に行われた、『トトロの森の小さな音楽会』のことである。1983年に発生した大韓航空機撃墜事件の被害者である、岡井真・葉子さんのメモリアル・コンサート、事件から30年が経過したが決して風化はさせないという母親の強い意志と愛情が原動力ではあるが、そのイベントを成功させるために多くのミュージシャンやステージ・スタッフ、そして「おもてなし」のための地元の料理スタッフなどの協力と、北は北海道を始め日本全国から、このイベントのために参加した人たちすべての協力があったおかげだろう。おっと、それとトトロの森の自然と神秘さが、彼岸の国の住民である真さん・葉子さんというスペシャルゲストを招へいしたと思いたい。

 などと拙blogらしからぬイントロであったが、この調子で進めることはアイ・キャント・ゲット・ノー・サティスファクションであるからして、いつものペースに戻したい。今回のコンサート情報を持ってきたのは、毎度の相方であるY尾君ではなく、冒頭に名言を吐いた国富町本庄出身で今は大手メディア関係の仕事をしているS尾君であった。場所は酒井春佳のソロ・ピアノ・ライブの会場だった。あ、そういえばあの時の話をパート2まで書いたのだが、最後のかんじんな部分、訳ありおねいさんとのデートの話を書いてなかった。それはいずれまた書くとして(いずれっていつだよ、という声が聞こえなくはないが、そういう輩には、その昔、アメリカを代表したロックン・ロール・バンド、CCRのラスト・シングルのタイトルを紹介したい。その名曲のタイトルは「サムディ・ネバー・カムス」。「いつの日かなんて、決してやってこないんだよ、若者よ」って歌だ)、そこで演奏の合間に雑談していたのだが、ふとしたことから西藤ヒロノブの話になり、H高時計本店のサロン・コンサートで11月に西藤ヒロノブを呼ぶらしいと僕が話したところ、S尾君が、「うんにゃ、確か10月に国富に来るちゅう話をK野さんがしちょったじ。今度、ライフタイムに行った時に聞いてきて、お前に連絡するが」という、正調国富(本庄)弁で力強く断言した。

 それからちょっとして、S尾君からメールがあった。その時初めて、今回のイベントは西藤ヒロノブの単独ライブではなく、大韓航空機事件のメモリアル・コンサートであることを知った。この事件はもちろんリアルタイムで知っているし、亡くなった乗客の中に宮崎の人がいて、アメリカでジャズの勉強をしていて結婚したばかりの夫婦だったということも地元の新聞で知っていた。また主催者の岡井さんは何度かライフタイムでお見かけしたこともあり、陶芸の先生であることも知ってはいた。もっとも5年ごとに「トトロの森の小さな音楽会」と名付けたコンサートをしていることは全く知らなかった。その後、FACEBOOKのK野さん(ライフタイムのマスター)のウォールに、『前回紹介した大韓航空機撃墜事件の犠牲者である岡井真さんの追悼30周年LIVEが、10月13日の日曜日、母親の岡井仁子さんが運営する国富町の陶芸工房「トトロの森」で催されます。会費3,000にはフリーの飲食費「含アルコール類」が含まれ当店でも発売中です。開場1:30開演4:00&6:00。秋の午後を緑豊かなトトロの森で過ごしてみては?』という書き込みがあり、これは何があっても行かねばの娘だと思ったわけだ。

招待状

 トトロの森がどんなところかは知らなかったが、名前からのイメージと法華嶽(ほけだけ)公園の近くだから自然の豊かなところだろうとは想像できた。秋の日差しを受けて、自然豊かな森で開かれるコンサート、素敵ではないか。しかもフリーの飲食、含アルコール類、さらに素敵ではないか。これはむくつけきオッサン連中などと行くのではなく、訳ありのおねいさんと行くのがベストだと、0.5秒で判断した僕は電光石火、彼女にメールした。返事が無かった。しかたないので、返事が来るのを待った。ひたすら待った結果、その日は都合が悪いと言われた。そうか、都合が悪いんだったら仕方ない。いや、オレから誘われたから、それが嫌で断ったわけじゃないから、いいんだよ別に、何も気にしてないから、気にしてないって、全然、いや、何言ってるの気にして、気にしてもどうしようもないじゃないか、と最後は涙声になってしまった。

 ということで、いつもの相方Y尾君と行くことにしたが、問題は移動手段である。僕たちの住む宮崎シティから会場までは車でも小一時間。まずまずの距離がある。JRは通ってないのでバスしかない。いやもちろん一番簡単なのは車で行くことだが、会場はフリードリンクなので、これは間違いなく呑んでしまう。呑んでハンドル握ることはこれはダメゼッタイであるから、僕やY尾君の車で行くわけにはいかない。幸いなことにS尾君が全く呑めない、いわゆる下戸なので彼の車に乗っていけばいいと勝手に決めていた。10月に入り、そろそろ足を押さえようと思ってS尾君にメールしたら、その日はサッカーの試合があって何時になるか分からないとのこと。S尾君は下戸なので、その代償行為として休日はサッカークラブで汗を流していたことを、すっかり忘れていた僕は焦った。バスのルートをHPで調べたが、良く分からない。仕方がないのでY尾君の車で行くことにした。ここでY尾君が男気を出して、「オレがハンドルキーパーをするからお前は遠慮なく呑め」という発言を期待したが、当然そんなことはなく、「オレが呑めないならお前も呑めんだろうが」という一蓮托生的結論に至った。しかし、捨てる神あれば拾う神ありで、この移動手段のことをK野さんのウォールに書いたら、ご丁寧にバスのルートを教えてくれた。それで往復の時間を調べてみたら行きは11時半のバスで到着が12時半。開場は13時半からだが、それまでに弁当でも食って、近隣を散策すればいい。しかし、問題は帰りの時間で18時半のバスに乗り、途中乗り換えで帰宅は20時半くらいになる。ネックは帰宅時間ではなく、演奏は16時からと18時からの二本立てなので、18時半のバスで帰るには一番盛り上がるだろう第二部を見ることが出来ない。他にルートは無いか調べたが、にっちもさっちもどうにもブルドッグ、ワォである。それでも演奏を全然見られないよりはマシなので、バスで行くことに決定した。車で行けば帰宅時間を気にせず、最後まで見られるというのに、酒飲みは意地汚いな、全く。

 といういきさつがあって、10月13日秋晴れの日曜日に僕とY尾君は11時にバスターミナルに集合した。土日には1日500円でバス乗り放題のチケットがあり、毎年フェニックスのジャズナイト会場に行くときに重宝しているのだが、今回もそのチケットで国富町の役場まで行けることをバス会社の人に教えてもらった。もちろんイベント会場まではまだまだ距離があるのだが、役場から目的地の狩野バス停までの差額分を払えばいいと言われたのだ。バスの時間まで隣接するショッピングモールで弁当とガソリン、要するにアルコールね、今回はビールだと現地に着くまでにぬるくなって美味しくないからチューハイにした。用意のいいY尾君がクーラーバッグを持参してきたので、それにチューハイとチェイサー用のお茶を入れてバスに乗り込んだ。バスはがらがらで、途中から乗ってきた人もいるにはいたが国富町内に入ってからは、お年寄りが2~3人乗って来ただけだった。完全貸切状態といってもいいくらいで、じゃ車中で一杯やるかと提案したが、いつもならすぐに乗ってくるY尾君が珍しく、今呑んでしまうと現地に着いてからの待ち時間がもたないとかなんとか理屈をつけて反対する。しょうがないのでバカ話をしながら時間をつぶしているうちに目的地の狩野バス停に着いた。

矢印_convert_20131024213605

 バス停から坂を少し降りたところに駐車場があり、そこからはシャトルで会場まで往復してくれるとK野さんのコメントがあったので、駐車場への看板を確認し坂を下った。駐車場はすぐに分かったが、そこは農家の作業場みたいで弁当を広げてくつろげる場所は見当たらない。川のせせらぎを聞こえたので、坂を下っていくと小さな川が流れていた。その河原でシーメとハイチューを頂くと、まさに自然に溶け込むワイルドライフなのだが、川の土手から下に降りる道が無い。橋の手前に小道がありちょっとした木陰があったが、その先は介護施設のようで車の出入りがありそうだ。いくらなんでも、そんなところでブルーシートを敷いて飯食っていたら、完全にホームレスの人である。仕方がないので、先ほどの駐車場に戻り、入り口近くの木の下に腰掛ける場所を見つけて弁当を開きチューハイのリングプルを開けた。二口、三口弁当を食べのどを潤した頃、突然ライトバンが駐車場に来て停まった。ドアが開くと運転していた中年の男性と、若い男女が4人ほど笑顔で出てきた。「音楽会に行く方ですか」と声をかけられ、こちらは慌てた。「あ、そうです。今日はバスで来て、シャトルが来るのは13時過ぎだと思っていたので、今ランチを」などと言いよどむ。弁当は確かにランチだが、呑んでいるのはチューハイだ。若い男女はそれでも、キラキラした目でこちらを見ている。運転していた人が、「食事終わったらおっしゃってください。すぐに会場にお連れします。むこうにもビールや焼酎がたっぷりありますから、コンサートまで楽しんでください」などと、あきらかにこちらの様子を見て、昼間から呑んでるこいつらは人格が破産してるだろうから刺激しちゃいかんな的な警戒心を笑顔のオブラートで隠して、などとどうも酒飲みは被害妄想が激しくてイカン。

 若い男女は宮崎大学のジャズ研究会のメンバーで、今日はライフタイムのK野さんに動員されて駐車場の案内係りをしているらしい。運転してきたのは今回のイベントの協力者の人で、何とこのためだけにわざわざ金沢から宮崎に来られたという。急いで弁当を食べたが、その間に車が何台か来て、その人たちを先に送ることになり、僕達はもう少し待つよう言われた。待ち時間はほんの数分ですぐに、次のシャトルがやってきた。ちょうどその時到着した人たちと一緒に乗り込み、会場まで送ってもらった。道は一本道で、だからといって阿佐ヶ谷の駅でしんせいの箱をひねりつぶしてゴミ箱の中に投げ込んだりはしなかったが、会場まで10分くらいだったが、途中からくねくねした山道で、もし対向車が来たら絶対離合は出来ないようなところも何か所かあり、これはシャトルで送ってもらって大正解だった。坂道を登って降りると、そこはすでに会場入り口で運動会なんかで使うような大きなテントが数丁張り出してあった。前売りのチケットを買ってなかったので、受付でお金を払ったら、チケットがお弁当の引換券になっていた。わざわざ弁当を買わなくても良かったのだ。受付のテントの横に別のテントがあって、そこには地元のスタッフが大勢いて何やら料理をしていた。指示だししているのはK野さんである。挨拶して、会場に入った。

会場_convert_20131024213351

 敷地面積はどれくらいだろうか。受付のテントの後ろに家があり、そこはミュージシャンやスタッフの控室になっていた。さらに左手にも大きな平屋の家があり、そこには岡井さんの陶芸作品や大韓航空機事件に関連した資料などが展示してあった。ゴルバチョフに事件解決の要請をする岡井さんの写真などもあった。陶芸などにはとんと縁が無いというか、見る目のないワタクシたちであったが、そこに展示してある作品から発するオーラみたいなものに圧倒された。そして広い中庭にパイプ椅子が多分100席以上用意され、その奥の木々の手前に仮設ステージがあった。テレビクルーがいて誰かをインタビューしていた。良く見ると西藤ヒロノブその人であった。どうやらここは、岡井さんの仕事場らしい。ステージの前には木製の長椅子が3列あったが、僕達はその後ろのパイプ椅子に荷物を置いて、まずはビールを飲む。まだ中学生か小学生くらいの男の子が氷と水がたっぷり入ったクーラーボックスから缶を取り、丁寧に水気をぬぐって渡してくれたビールは良く冷えていた。周りには高い木が生い茂り、何故かあちこちに犬がつながれていてなんとも不思議な雰囲気だった。ビールを呑んだら、当然自然現象として排泄をしたくなる。この手の会場ではトイレの場所と数の確保は結構大事なポイントなので、早速調査した。陶芸品の飾ってあった家の後ろに、仮設トイレが4か所設置されていた。そこで用を済まして、何気なくあたりを見回すと、下に降りていく道があった。何も考えずに降りていくと水の音が大きくなる。なんと目の前に小さな川が流れていて、その前の平地にも家が一軒建っている。手すりが張りまわしているところを見ると、小さい子供が住んでいるんだろうか。その周辺も、なんというか森林のイオンが満杯で木々の枝葉がこすれ合う音、川の音、鳥の声、犬の鳴き声、様々な音が静かにしかしながらそれぞれの存在感を示していた。少し離れたところに小さな橋があり、そこを渡ると木のトンネルがあり、まさにジブリの『となりのトトロ』の世界だった。一旦上の会場に上がり、Y尾君にこの場所を説明した。彼もこの景色には非常に感動していた。

木のトンネル_convert_20131024213535

 開演は16時で、その時はまだ14時になるかどうかという時間である。いくら自然が豊かでも2時間景色を見ながらビールを呑んでいたら、完全に出来上がってしまう。僕は比較的大きいブルーシートを持参していたので、それを敷いてどこかで昼寝しようということになった。楽屋の裏側に適当な森があったので、そこにブルーシートを敷いて寝た。上を見ると高い木々の隙間から空が見える。そこを風が通り抜け、下からは小川の音が聞こえる。ここ数年経験したことのない快適さで、しばらく熟睡した。惜しむらくは、向こう側に寝ているのがY尾君ではなく、訳ありのおねいさんだとか、若いおねいさんだとか、若くはないけどまあまあいけるおねいさんだったら文句はなかったが、天は二物を与えない。あ、なんか表現がおかしいか。しかし、あまりに周囲の環境が素晴らしすぎて30分もすると目が覚めてしまい、携帯をチェックしてしまうのは現代人の悲しいサガである。15時半を過ぎたので、ステージ前の押さえていた椅子のところに戻った。お客さんはまだ半分くらいの入りだが、皆さん遠慮しているのか前の方はがらがらである。アナウンスで前の方が空いていると説明が入るが、皆さん謙虚な方ばかりで後ろでグループごとに固まっている。もっとも何人かは僕たちの座っている最前列に来て、普段はこういう場ではお互い無視し合うことが多いのだが、この会場の雰囲気のせいかどうもどうも、こんにちは、どこから来られたのですかなどとあいさつを交わす。

主催者挨拶_convert_20131024213428

 時間が来て、ステージの前に主催者の岡井さんと二男の方が登場した。岡井さんは車椅子に乗っている。今年の春先に脳梗塞で倒れて、まだ半身にマヒが残っているとのこと。それでもしっかりした口調で、今回の小さな音楽会の趣旨、1983年の理不尽な事件で亡くなられた息子夫婦のことなどを話された。二男の方の話にはさらに驚かされた。何と今年、FACEBOOKで知り合った方から、亡くなられた葉子さんのお腹には新しい生命が宿っていたことを教えてもらったというのだ。聞いていた僕は良かったなと一瞬思ったが、すぐに複雑な気持ちになった。息子夫婦が亡くなられただけではなく、お孫さんも、それもまだ見ぬお孫さんも無くなられたのだ。アンボーンチャイルドという単語が脳裏をかすった。スピーチは国富町の町長の代理の方や30年前の事件の時に現地で報道に関わった北海道新聞の人などが続け、そしていよいよコンサートが始まった。

 特設ステージに上がったメンバーをバンマスの西藤ヒロノブが紹介する。まずドラムは今回のコンサートのため東京から駆け付けてくれた藤井伸昭。西藤ヒロノブよりも前に10年間ニュー・ヨークで活動した実力者。ドレッドロックヘアがトレードマークで、その容姿からノブ・マーリーと呼ばれているなどと西藤ジョーク。しかし、そのレゲエ風なルックスが第二部の「たそがれ」で炸裂するとは、この時は予想だにしなかった。ピアノは宮崎出身と紹介されたが、実は大阪出身で宮崎大学に入学しそのまま宮崎でジャズ・ピアニストになった大西洋介。ベーシストの池田芳夫さんから東京に来いと何度も誘われながら、しっかり地元に根付いた活動をしている。サックスは宮崎でジャズの演奏に関わる人なら、この人を知らなきゃもぐりといえる日向市出身の河埜章。呑んで喋っている時は単なる酔っ払いのオヤジだが(当たり前か、笑)、いったんサックスを吹きだすと人格が変わる。余談だが娘さんもジャズのボーカリストでどうしたらあの父親からこのような美人の娘が生まれるかと、いやいや、余談はここまで。そしてベースは香月・大西グループの初代ベーシスト、確か宮崎大学のジャズ研OBの諏訪園“スマイル”哲哉。仕事の関係で一時期ライフタイムのライブに出られなかったが、都城に転勤になり復活。天真爛漫な笑顔を見せながら弾くベースは意外に堅実。

演奏開始_convert_20131024213320

 ドラムスティックのカウントから「せーの」という感じで一斉に音が弾けた。ギターにキーボードが絡みドラムとベースがリズムをキープする。突然、アルトサックスがテーマを吹き始めた。軽快で覚えやすいリフを繰り返す。前半のセットは岡井真さんが作った曲を5曲演奏すると西藤ヒロノブがMCで話していたので、多分難解な実験的な曲が続くんじゃないかと勝手な予想をしていたが大どんでん返し。実にキャッチ―でメロディアスな曲だ。聴いているうちに自然とリフを口ずさんでしまう。演奏後、曲名が”Big Bug”という曲だと知る。そういえばこの手の広葉樹林の森には虫が沢山いて、中には不快なものもいるけど、このトトロの森では昼寝をしているときも全然虫が飛んできたりしなかった。カブトムシもクワガタも玉虫もフンコロガシも音楽を聴き入っていたのかもしれない。

 2曲目と3曲目は連続して演奏された。”Somewhere around you”という曲と”E.N.W.4”という曲だ。2曲目はタイトルだけでやられてしまった。今、この森のどこかで、このイベントに参加している人たちにゆかりのある魂が一緒に集まって聴いているかもしれない、などと柄にもないことを考えたりした。サックスが印象的な曲で、構成が非常にドラマチック。岡井さんはギタリストだったのに結構サックスに気を使った曲を作っていたのかなどと勝手に妄想していたが、なんのなんの、やはりギターの聴かせどころをしっかり押さえた曲でした。その次の曲は、変拍子の連続で7拍子、6拍子、4拍子、9拍子とリズムセクションは大忙し。しかし、ドラムとベースがしっかりリズムを押さえて、入れるところはちゃんと入れて聴かせてくれました。その昔、東西南北の頭文字を取ったらNEWSになると習ったことがあり、じゃあENWならなんだ、Nがなければキタナイ(北がない)なんだが、などとくだらないことを考える暇もなく、リズムに酔っていった。あ、もちろんビールにも酔っていたのは間違いない。緊張感あふれる演奏が終わった後、西藤が「難曲を終えてほっとしました」と話したのは、決してリップサービスではないと勝手に確信した。

 そして。4曲目は個人的に一番気に入った”Raindrop”という曲。その昔、ロック少年だった時期にプログレばかり聴いていた時期があった。その時好きだったバンドにPFMというイタリアのバンドがいて、彼らの世界デビューのきっかけになった曲が”River of Life”という曲だった。”River of Life,rain was your birth. Gathered deep, beneath the earth.”という歌詞が頭の中をぐるぐる回り、その次にビートルズのレインが流れ、最後はデレク&ザ・ドミノスのレット・イット・レイン、いやいやその前にニルソンのレインメーカーが、と枚挙に暇がないほど雨に関する歌や楽曲は沢山あり、そしてほとんど全てがいい曲だというのは一体全体どうしてだろうか、などということは今この文章を書いているから考えたのであって、演奏中はもうずっと感動しながら聴き入っていた。83年8月に岡井真さんが最後に作った曲らしい。演奏する西藤ヒロノブも雨に関する曲を作っていて、アルバムにそのものずばりの”The Rain”という作品がある。あの名曲”Message to you”の入っているアルバムだ。そういえば西藤ヒロノブとの最初の出逢いは、H高時計本店のサロンライブで、その時のメインはフランシス・マバッペだった。カメルーン出身の強烈なベーシストでコンポーザーだったが、その彼がちょっとハスキーに歌う”Message to you”がすごく良かった。西藤ヒロノブのオリジナル曲でCDは女性ボーカルで録音していると聞いたので、演奏後購入したCDにサインをもらいながら彼に「あの曲は絶対男性ボーカルがいい」と断言したが、「まあ聴いてみてください」と言われ、家に帰って聴いてみたら実に良くて、前言撤回なんてこともあった。まあ、オレの人生は前言撤回の繰り返しばかりだ、などと考えると悲しくなるので止める。

 時間の経つの早いもので、特に楽しい時間ほどすぐに過ぎてしまう。あっという間に第一部最後の曲になった。”F”というタイトルのその曲には作曲した岡井真さんの様々な思いが込められていた。お母さんの仁子さんはFamilyのFだと思っているとニュースで知った。僕がどうこう書くより実際の曲を聴いてもらったほうがいいだろう。こうして第一部は終了した。そしてインターミッションをはさんで怒涛の第二部に行くのだが、今日はここまで。さて、僕達は無事に第二部を見ることが出来たのか、続編はカミングスーンだ。誰だ、このパターンは絶対続きが無い、あっても忘れたころにやってくるなどというやつは。確かにそういうこともあった。しかし、僕も反省はするのだ。反省だけならサルでもするけど。



じゅってんにーいち (10.21)



だというのに、またもやジャズのライブなう。昨日、突然友人からタダ券をもらい参戦決定。高校の後輩がベースを弾いているとしか情報はない。ライブハウスに来てみると九割はナオンの団体。突然ワイルドにジャガーチェンジするワタクシ(笑)。

バスに揺られて1時間



まだ会場に行き着かない。シャトルで送迎してくれる駐車場まで来たけど、予定時間より1時間早い。仕方ないので缶チューハイ呑みながら弁当を食う。

例によって



性懲りもなくジャズのライブである。場所が国富町の山の中なので、バスで移動中。しかし僕たち以外に乗客は誰もいない。ナッシュビルじゃないナッシングだ。ナッシングイズリアルだ。仕方ないので車中でチューハイを呑む。

ミニ版 ヤングな僕のポップス・ナウ

 「駅に走る道は雨で、川のように僕のズックはびしょ濡れ~」という懐かしい原田真二のデビュー曲、「てぃーんずぶるーす」の歌詞そのままの土砂降りの日だった。もっとも、あれは「てぃーん」だからポップな歌になるのであって、「ふぃふてぃ」のワタクシたちになると、これはまさしく「ブルーズ」そのもの。石川セリの配偶者(あのグラサンかけて「脳天気ですか~?」とか言う男)が独身時代に「傘が無いから彼女の家にいけへん、どないしよ。都会で自殺しそうな若いもんの首吊りの足ひっぱたろか」みたいな歌があったけど、まあ、気分としてはそんな感じの台風通過の本日、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

 などと、非常にひねくれたイントロダクションであるが、実は今日は本当に久しぶりに『ヤングな僕のポップスナウ』シリーズの復活というか、ちょっと思い出したことをだらだら書いていきたい気分なのだ。先月は身内に突然の不幸があり、その前の月にも以前仕事でお世話になった元上司の、これまた突然の不幸があったせいか、ここ最近は昔のことをやたらと思い出すことが多くなった。別に一生懸命思い出そうとしているわけではなく、何か他のことをやってるときに、ふと昔聴いた歌のフレーズや友人・知人などの顔が浮かんでくるのだ。それも、ここ何十年か全然思い出したことのない友人だったりして、良く分からない。

 今日のエントリーを書くきっかけになったのは、ある日頭の中で「Goodbye Sam hello Samantha」というフレーズが突然、メロディとともに蘇ったせいだ。クリフ・リチャードのヒット曲だけど、いわゆるシーンには全く忘れられた歌というか、ラジオのヒットチャートで頻繁にかかった歌ではない。たまたまポップスに興味を持ち始めた中学生の時に耳にして、当時の拙い英語力でも聞き取れた歌詞だったので周りの友人たちに歌って教えたのだが、誰も反応してくれなかった。いや、正確に言うと一人を除いて反応してくれなかった。その、反応してくれた友人はK端君と言って、三島由紀夫の師匠というか、日本人で初めてノーベル文学賞を取った人と同じ苗字(イニシャルになってないちゅうの、笑)で、端正な顔と発達した運動神経、そして卓越した頭脳の持ち主であった。要するに、どこの中学校にも一人は必ずいるオールマイティな生徒というやつだ。



 当時僕は、延岡市のとある中学の2年生で頭は当然丸坊主、学校の行きかえりには雑嚢(ざつのう、と読みます。今のワカイモンには分かるかな)を肩から下げていた。そうそう、学生ズボンはダブルのタックの入ったやつで、ダサくてしょうがなかった。他の中学校ではストレートでノータックのズボンが許可されていたのに、僕の通っていた学校は禁止されていたのだ。理由は、「中学生が洒落っ気を出すのはけしからん」という、まあ流石は南九州の片隅の、夏目漱石に言わせると「人と猿が半々に住んでいる」田舎なので、仕方がないと言えば仕方がなかった。しかし、押さえつけられると反発するのは、これ人間としてある面当たり前だのクラッカーのことなので、「ダブルだと自転車の泥除けに引っかかって勝手が悪い、場合によっては泥除けが曲がってペダルに当たり、交通事故の原因になる」と中学生の頭にしてはまずまずの反論をしてみたが、「自転車に乗るときはダブルの折り目をおろせばいいじゃろが、バカモン。色気づくには10年早い」と一喝されて終わりだった。

 まあ、学生服のズボンの話はどうでもいいが、そのK端君とは中学2年の時に同じクラスになり、何故か無性に気が合ったというか、僕はその中学でもまあまあ普通くらいの生徒で、どうして成績優秀、眉目秀麗、運動万能のK端君といつも一緒にいるのか学校の先生や他のクラスメイトから怪訝な目で見られたことは一度や二度ではない。そのK端君に「クリフ・リチャードの『グッバイサム』って、いいっちゃが」と吹聴したのだが、何でも自分で確かめないと気が済まないリアリストK端君は、その時は何も言わず、数日後、「お前があんまりいい、いいというからラジオで聴いてみたが、大していい歌だとは思わんかった」とカウンターのキックが入った。僕は、そんなことはない、とてもポップでメロディもキャッチ―ないい曲ではないか(当時、そういう語彙を持っていたはずはないが、多分こんな感じのニュアンスだっただろう)、と主張したがとんと相手にしてくれなかった。

 このK端君、名前は次郎といった。お兄さんがいて、僕達が中学2年の時は既に大学生で県外に行っていたので、面識はないが名前は太郎といった。なぜこんなことを覚えているかというと、その時の国語の先生がK端君に「次郎、太郎は今どうしている」と話しかけてきて、「兄は××大学に行きました」という返事をしているのを横で聞いていたからだ。当時の僕からすると、高校生はもう凄いお兄さんで、その上の大学生というのは雲の上の人みたいな印象を持っていたため、『スゴイな、こいつの兄ちゃんは大学生、それも県外の大学生か』、などと思ったことが記憶に残っていたんだろう。また、その国語の先生が授業中に、あれは誰の詩だったか「太郎の家に雪降り積む。次郎の家に雪降り積む」というフレーズを読む時にK端君の方を見てにやにやしていたのも覚えている。他の生徒には何のことか分からなかったかも知れないが、K端兄弟の名前を知ってる僕は釣られて笑ってしまったが、「こら、お前は何がおかしいか。真面目に授業を聞かんか、バカモン」と怒られてしまった。

 なんだか、どうでもいい話なんだが、次々思い出すから仕方がない。そんなK端君だが、頭はいい、スポーツは万能、そして何よりもルックスがいいから、女子が放っておかなかった。ある時、クラスの女の子が僕に放課後残ってくれと言ってきた。その子は飛びぬけて美人じゃなかったけど、いつも明るくてスタイルも良くてまあまあ男子の中では人気がある子だった。いったい何の用事だろうか、もしかしてこの前、掃除当番をさぼって帰ったことを怒っているのか、などと考えていて、あることに気がついた。もしかしてだけど、もしかしてだけど(どこかで聴いたフレーズだが気にしないように)、オレに気があるんじゃないだろうか、残念ながら当時奥手な中学2年生だったので、「誘ってるんじゃないの」という発想は無かったが、人間思い込みとは怖いもので、もう、間違いない。あの女の子は俺のことが好きで告白したいんだ、などと気分はルンルン(死語)であった。

 結果はどうだったか。『人生なんてそんなもんよ、ケッ』という僕のシニカルな性格の原点はもしかしたらこの時がきっかけかもしれない。まあ、要するに彼女はK端君のことが好きで、でも自分から言い出す勇気はないので手紙をしたためた。本来なら靴箱にそっと置くのがセオリーなんだろうけど、当時の靴箱はオープンというか、学年とクラスの分別はあるけど、どこに置いても自由、バリアフリーの靴箱だったので、これはマズイ。で、よくよくクラスを見ているとK端君といつも一緒にいるお調子者のガキがいる。あいつは小学校の時も同じクラスだったから、手紙を誰にも分からないように渡瀬恒彦といえば何とかするだろう、するに違いない、じゃ早速命令しておこう。という思考回路だったのではないか。メッセンジャーボーイを頼まれたわけです。僕に対するラブレター授与があるんじゃないかと期待していたオレは大馬鹿で、でもしかし、これがオレのいいところで、そうか分かった、でもあいつを好きな女の子は結構いるぞ、競争率は高いけど、一転突破全面展開で頑張れみたいなことを言った様な気がする。あ、いや、もちろん一転突破全面展開なんて語彙は当時は知らなかったと思うが。

 で、その日、K端君に一緒に帰るために校門の所で待っていてもらったので、会うや否や、実はかくかくしかじかで、と一部始終を話した。すると、「分かった、それを寄越せ」とさっさと手紙を受け取り雑嚢の中にしまいこむ。その様子は、こいつ、こんな手紙をもらったのは一度や二度じゃないな、慣れてる、と嫉妬の炎が膨らむのを抑えることは出来なかった。で、彼女のこの恋だが残念ながら成就しなかった。翌日、K端君が「昨日の、アレ、読んだけど、オレはあの子と付き合う気はないから朝一番で断った。オレは別の中学に付き合ってる子がいる」としゃーしゃーと言いやがった。そんなにいるなら一人くらい世話してくれてもいいだろうが、と思うのはオッサンになった今だからであって、信じてもらえないかもしれないが当時の僕は硬派だった。女などと付き合うのは学問の妨げ、くらいにしか思ってなかった。この思想性は結構厄介で、高校になって♪ドドンドドン、しらぶじゅーいえーえーえ、、しらぶじゅゆーいぇーえーえーえー、の時期になっても結構手かせ・足かせになって、畜生あの時見栄を張らず手を出していれば何とかなったパターンは数限りなくあったのに、と後年悔しがる、あ、いや、そんな話はどうでもいいか。

 そういえばK端君と話をしていて、こいつにはかなわないなと思ったことがあった。小学校と中学校は何が違うかというと、字が違う、みたいな返事をしてクラスに笑いをもたらし、代わりに先生から拳骨をもらうというイチビリな性格だった僕は、いや、そうじゃなくて、小学校と中学校は何が違うかというと、もちろんいろいろあるが、一番は定期テストというものがあり、成績が1番からビリまでつけられてしまう。点数で子供たちを判断するのはベサツだ、全員100点でいいじゃないかというような、アホな先生はいなかったので、中間テストだ、やれ期末テストだ、ほれ全国統一テストだなどという鬱陶しいものがあった。普段は碌に勉強などしないのだが、それでも試験前には多少は夜遅くまで机に向かっていないと親の機嫌が悪くなる。さらに成績が下がるとお小言を頂戴するだけならまだしも、小遣いを取り上げるなどまさに大国の横暴、支配と被支配の関係はいずれ断ち切らねばならぬ、ああ、インターナショナル我らがもの、などという語彙は当時まだ持っていなかったので一方的に怒られたり、小遣いを取り上げられたりするのは嫌だったので、まあ、それも一つの動機として試験前の勉強はいやいやでもしていた。

 あるとき、学年一番に何度もなったことのあるK端君に「試験前にどんな勉強してるんだ」と尋ねたことがあった。彼の答は「オレの父ちゃんから、試験のための勉強はするなと言われているので、試験前も特別何もしない」。むかつきまっしゃろ、この答。うそこけ、受験生ブルースじゃないけど『全然あかんと答えとき、あとでショックを与えるさ』作戦だろうと心の底で、思わなかったんだな。これが。なるほど、だからこいつは頭がいいんだなとつくづく思っただけだった。

 残念ながら僕は中学2年が終わると同時に宮崎に引っ越して、高校は宮崎だったのでK端君との付き合いはそこでいったん終わった。もっともたまに手紙を出したり(当時はまだ僕の自宅に電話がなかったのだ、笑)、延岡の親戚の家に泊まりに行った時に在ったりすることはあったが、どうしても以前の頃からするとやや疎遠になった。そのK端君とまた親しくやり取りするきっかけが出来たのはロックのお蔭だった。当時、LPレコードは1枚2,000円の時代で、僕の高校時代の小遣いが丁度、1ヶ月2,000円。つまり、アルバム1枚買ったら、ジ・エンド、ジス・イズ・ジ・エンド、マイ・フレンドなのである。もちろん、買ったアルバムがゴキゲンでお気に入りになればいいのだが、中には何を考えてこんなものを買ってしまったのか、オレの1ヶ月を返せと泣きたくなるものもあった。もちろん、そうならないように、どんなにつまらないアルバムでも美点凝視の精神で何十回も聞いているとそのうち段々良くなってくるんだこれが。いや、そんな話じゃなくて、まあ、一人の高校生が買えるレコードの数は限りがあるので、聞き飽きたレコードを交換、あるいは格安で売買したらいいというアイデアが浮かんだ。最初は同じ高校のクラスの仲間とやっていたが、それだとどうしても分野が狭いというか同じレコードばかりになる。それで、当時あった音楽専科などの雑誌にレコード売ります・買いますの広告を出して手広く始めた。ついでに、延岡の友人たちにも声をかけてみた。リア充(当時はこんな言葉は無かったけど)のK端君はロックなどというウルサイ音楽、カタワモンの聴くような音楽は興味が無いだろうけど、シンガーソングライターなんか集めてそうだと思って、これこれこういう趣旨で中古レコードの売り買いをしているが、不要なレコードは無いかと葉書を出してみた。その数日後、速達で届いた手紙にあるわあるわ、圧倒的にな数のレコードリスト。それも全部ハードロックばっかり。フリーやブラックサバス、ゼップにマウンテン、さらにはクリームにブラインドフェイスなどなど。どうしたんだ、K端君。何があったんだ、K端君と僕はそのリストを見て慄然とした。なんてことを、思い出したのさ。しかし、人生何があるか油断できないな、というのが本日の結論でした。

東八郎の死

 今朝の新聞で克美しげるが亡くなったことを知った。正確には「亡くなっていた」ことを知った。僕たちの世代では、あの8マンの主題歌を歌った人、自らの再デビューのために貢いでくれた愛人を殺した人、その後出所したものの覚せい剤でパクられた人という毀誉褒貶の激しい人だが、何と僕の高校の先輩だった。ウィキに書いてあることなんか、嘘っぱちのルンバばっかりであてにならないとカルメン・マキは言っていたし、ごもっともと思っていたが、この出身校はどうも間違いないみたいだ。まあ、それでも死者に鞭打つ習慣はもっていないので彼の冥福を祈りたい。しかし、僕の高校(Big Castle高校というのだが、埼玉は浦和市に同じ名前の高校があり、全国模試などで高校名を書くときは宮崎Big Castle高校と書かなければならなかった)の出身者というと役者だと緑魔子(古いな、しかし)。政治家だと福島瑞穂(だから、社会党のままで良かったんだっちゅうの。社民党何て名前になってからは一気にドツボですやん)。音楽関係は元サザンオールスターズの大森、現サザンの松田。うーん、どうも冴えない。その点、ライバル校だったサザン高校には今を時めく半沢直樹こと堺雅人(コノヤロー、菅野美穂ちゃんを返せ~、涙)。キヨシローの一番弟子の三宅伸二(今年の9.1のロックフェス行けなかったのは一生の不覚だ)。ちょっと古いネタだが元巨人の球団代表の清武英利(ナベツネとの闘争はその後どうなっているんだろう)。そうそう、拙blogにマニアックなコメントを頂くデューク先輩もこの高校のご出身である(笑)。なんだか、良く分からない話になったので終わり。そうそう、余談だが、パンタがこの前MRIの検査を受けたことをFBで知った。結果は頭脳拘束(脳梗塞)だったそうだ。まあ後遺症なども無かったと本人は書いていたが、皆さんくれぐれも健康に注意しましょう。健康は命より大事だって名言もあるしね。




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